夏の大潟水と森公園 生き物編。
本日土曜日、午後2時ころから1時間半ほど大潟水と森公園を歩いた。
今年3月は、新型コロナウイルスが拡大しはじめる中公園を3度訪ね、緊張しながら歩いた。いま4ヶ月が経ち、散策やリクレーションの人は増えたが、当時と異なりほぼ全ての方がマスクをされていた。
コロナ禍によって広い自然公園の存在価値はさらに大きくなっていると思う。
本日目にしたものの中から以下に生き物を乗せました。
大きな鯉。ここでは釣りをする人がいないので、魚はゆっくり出来る。
ヒヨドリソウに止まるモンシロチョウ。
白い花に白い蝶は一種の格調。
この花に以下のヒョウモンチョウ(ミドリヒョウモン)もいた。
地味な場所ながら2種の蝶が来ていた。
蝶は小さな花が集まって咲く集合花を好む傾向があるという。
小さな花の蜜を吸うのは容易ではないはずで、少々不思議だ。
1000キロに渡って列島を大移動するアサギマダラもこの花が好きらしい。ヒヨドリソウは園内に何カ所も咲いているので、次回訪ねた折は特に蝶に注意をしてみたい。
次回は本園内で目にした植物を載せたいと思います。
新潟市から月刊キャレルの取材。
本日御前に新潟市から月刊キャレル掲載予定の記事について取材がありました。
眺めの良いカフェ特集ということ、ライターさんとカメラマンのお二人には丁寧に取材して頂きました。
仕事の合間に駆けつけて短時間でしたがインタビューに応じました。
ライターさんは美術館と周辺の世界にとても造詣深く、当館のコンセプトや設えについて大変好意的にとらえて下さり、感謝しています。
奇しくもライターさんが仰るように、当館は展示作品とともに建物、家具、食器、庭まで、樹下のものはみな鑑賞対象になるように励んで行こう、とあらためて思った次第です。
遠路の御取材、まことに有り難うございました。
雑誌は8月20日発売号ということ、楽しみに致します。
コロナの海に漂流する船 歩みを進める夏。
昨日上越市から10代と20代二人の感染報告があった。
当市の感染は今年4月26日以来6人となり、一気に緊張が走った。
現在、国内で再び拡大に転じている感染は、5月25日に次ぐ6月19日の自粛緩和が反映されたものであろう。
間近に迫るGoToトラベルには、各界から深刻な懸念が指摘されている。
いずれも容易に想定された事態である。
未知の医療マターにも拘わらず、予防、検査、診断、治療を検証重視して進められる医療の王道が顧みられていない。
おそらく絶えず政治の都合に押しまくられるのであろう。
政府の部会に参加する医療の専門家たちは、不条理をどのように耐えているのだろうか。
経済優先と言いながら、付いて回るツケは想像以上に大きいことが危惧される。
主要な流行地である東京都は迷走の末、一昨日知事は警戒レベルを最も高い水準に引き上げ、本日GoToに独自の制限を設けた。
周辺各県も追従する可能性がある。
〝緊張感をもって見守る〟といつも国は述べる。、
だが克服の港に向けてコロナの海を航海する船は、漂流しているように見える。
あるいは、もうこの先国民は、〝個人の責任に於いて泳いで渡れ〟と、言われているようでもあり、
経済とともに感染を促すのは、犠牲者を盾に抗体保有者を増やすことによって、社会防衛を果たそうと目論んでいるようでもある。
死亡者が少ない一点が楽観を許しているのだとすると、ウイルスはそんなに甘くはないことが経験されている。
重症者と死亡者は遅れてまとまって増えるのではないか。
予算に余裕があるとは考えられず、GoToの補助は支援金として直接業界に交付し、感染拡大防止と医療資源の確保に専念してはどうかな、と思う。
おしまいに、お目汚しに昨日、本日の写真です。
「銀の匙」の夕刻 過日の夕暮れ。
雨に何か考えがあるのだろうか、とにかく降り続く。
今日も降り、体調がすぐれない人が、自分はコロナではないでしょうか、などと言う。
さてたびたびの「銀の匙」。明治期中頃にかけて幼年のこどもの日常が描かれる。つぶさな描写から生活は、まだ江戸時代の名残を引き継いでいる。一方現在の私たちの心の中にも、かっての時代の情緒性が息づき、ある時刻や情景によって浮上し、共感を覚える。
以下は「銀の匙」から、夏の初めの夕刻における幼い主人公と仲良しの女の子お国さんとの場面です。
あの静かな子供の日の遊びを心からなつかしくおもう。そのうちにも楽しいのは夕がたの遊びであった。ことに夏のはじめなど日があかあかと夕ばえの雲になごりをとどめて暮れてゆくのをながめながら、もうじき帰らねばとおもえば残り惜しくなって子供たちはいっそう遊びにふける。
ちょんがくれにも、めかくしにも、おか鬼にも、石蹴りにもあきたお国さんは、前髪をかきあげえ汗ばんだ顔に風をあてながら
「こんだなにして遊びましょう」
という。私も袂で顔をふきながら
「かーごめ かごめ をしましょう」
という。
「かーごめ かごめ、かーごんなかの鳥は いついつでやる……」-途中略-
夕ばえの雲の色もあせてゆけばこっそりと待ちかまえてた月がほのかにさしてくる。二人はその柔和なおもてをあおいで お月様いくつ をうたう。
「お月さまいくつ、十三ななつ、まだとしゃ若いな…..」
お国さんは両手の目で眼鏡をこしらえて
「こうしてみると兎がお餅をついているのがみえる」
というので私もまねをしてのぞいてみる。あのほのかなまんまるの国に兎がひとりで餅をついているとは無垢にして好奇心にみちた子供の心になんという嬉しいことである。
以下は7月9日、いっとき雨が上がった夕刻の写真です。
夕暮れの茜があたり全体を包むと、去りがたい名惜しさをがつのる。
出来れば茜と一緒に西の国へ行ってみたいのだが、それは黒い森影などを残して去ってしまう。
取り残されて私は、いつも動物のようにすごすごと家路をたどる。
♪ 菜の花畑に入り陽うすれ~
♪ 夕焼け小焼けの赤とんぼ~
♪ 夕空晴れて秋風吹き~
♪ 夕焼け小焼けで日が暮れて~
♪ 秋の夕陽に照る山もみぢ~
♪あの町この町日が暮れて~
♪ぎんぎんぎらぎら夕陽が沈む~
※「叱られて」も夕暮れでしたね。
斯く子供のころから、私たちは日暮れを歌ったり聴いたりして育ってきた。
さて、くだんの本では、伯母さんが迎えに来て、幼い主人公と女友達お国さんは
「かいろが鳴いたからかーいろ」と、玄関先までかわるがわる呼び合いながら家に帰るのである。
新型コロナウイルス対策で都道府県の「貯金」が痛手 深刻な三すくみの中で。
昨日のノートで、新型コロナウイルス感染症(COVIT19)対策に〝国や自治体が血が出るまで繰り返す以外ないのではないだろうか。と記しました。
昨日日曜日は新聞を読まず、本日になって12日の朝日新聞を手にしましたところ、
〝42都道府県「貯金」58%減ーコロナ対応 1兆円超取り崩しー〟と一面トップにあり、否応なく目に留まりました。
貯金とは都道府県が、主に緊急支出に備えて蓄えている財政調整基金です。
日本が新型コロナウイルスの災いに見舞われておよそ半年。
4月以後の基金取り崩しの調べの結果、47都道府県のうち42都道府県で残高の平均58%を使ったとありました。
90%を越える都県からゼロの所まであり、各自治体の事情や考え方などで色合いが異なるようですが、多くは相当の身銭を切って出血し対応していることが窺われました。
ちなみに東京都は8521億円(万単位切り捨て)で、残高に対する減少率は91,2%でした。石川県も90%台と多く取り崩していました。こんなに使って大丈夫かな、と思いますが、カバーできる税収や国からの他の交付金で埋め合わせするようなのです。
ちなみに我が新潟県は380億円と比較的多額の残高を有していて、この度の取り崩しは4億円で率1,1%と小さな範囲に留めていました。ほかの財源で多くをまかなったこと、発症者が比較的少なかったなどもが関係しているかもしれません。
さらに未だ感染者の報告ゼロである岩手県は5億を、反対に多くの感染に見舞われた埼玉、千葉、京都、兵庫などでゼロのまま踏ん張っているという、多様な様子も窺われました。
終息はおろか再拡大をはらんでいる感染症。
元はといえばわずか0,001㎜という電子顕微鏡レベルのウイルスがもたらしている災禍です。
くすぶる大都市圏、思いがけない劇場クラスターの発生、さらに拡大する世界の感染事情、、、。
この先どのような姿がゴールなのか、イメージしにくいのが本当に辛いところです。
そんな中で地味ながら、私たちなりに新たな生活様式に準じようと、あらためて思うばかりです。
感染対策、財政出血、税収確保。
小さなものがもたらしている深刻な三すくみ。
少なくとも1点「安心」の二文字を共通項として、国、自治体には長く長く粘ってもらいたいと、心から願っている次第です。
日中晴れ間が見え、雨が上がった本日。
終始肌寒く、夜になってシトシト、ザーザーとまた降り始めました。
雨降りが続くようです。
よろしければ作品とテッポウユリの庭に憩っていただければ、と思っています。
解禁拡大、どうなる第二波、やはり厚生労働大臣が前面に。
新型コロナウイルスの感染報告が東京都と周辺および大阪などで4上旬のレベルを越えるようになった。
死亡例が少ないだけで感染状況は明らかに2波であろう。
現況の死者は少ないが、今後の社会・家庭における接触シャッフルにより重症化リスクの高い老人や有病者への拡大は否定出来ない。
移動解禁と.、5000人以下というイベント解禁はどうみても流れが悪い。
恐らく国はそれも見越して拡大に踏み切ったはずである。
根拠として①陽性増は検査を増やしたため、②死亡例が少ない、③医療資源が足りている、の3点が挙げられている。
しかしこれは、わずか一瞬の相を見ているだけに過ぎないのではないのか。
この先、急な感染と死亡例の拡大が避けられる保証はなく、むしろ悪化の可能性のほうが想定される。
それでもやろうとするのは、集団(社会的)感染→集団(社会的)免疫獲得によって終息を図ろうというのだろうか。
そうであれば、最終的には弱者切り捨て。コメントするのもおぞましい現実が浮かぶ。
新たで厄介なウイルスのコントロールとは、デリケートな措置をラジカルに繰り返すことでしか成立しないように思われる。
慌てて経済を回す前に、根気良い予防マナーの継続、潜在的な発生源の完全な封鎖と経済保証、水平な損失補填の継続。
これらを、国や自治体が血が出るまで繰り返す以外ないのではないだろうか。
当地方では隣接の糸魚川市で初めて一例が報告された。
これと東京都および全国の動静をどう関係づければよいのか。
一般にこれらに対して答えるのは、
厚生労働大臣ではなく経済再生担当大臣が出てくるなどというのは、非常に奇異である。
一刻も早く、直さなければ災禍は永遠に続くように思われる(本気度が疑われる)。
PCRのさらなる一般化と医療確保と同様、リーダの人違いは最も根本的な問題であろう。
体を張っている知事たちは、もどかしくないのだろうか。
2020年3月1日~7月12日までの全国新規感染者数の推移。
Yahoo!ニュースから。
しゃんとしている今年のテッポウユリ。
毎年テッポウユリは梅雨のまっ最中に満開を迎える。
咲いたままひどく雨に降られると、早くしおれたり、脱色してガラスのようになってしまう。その点今年は雨に当たっているものの、しゃんとしていて驚いている。
例年の今ごろはお客様が減り、せっかくの美しい百合を見る人が少いので、花は可哀想だな、と思っていた。
ところが今年は皆様に多めに来て頂き、しかも庭をご覧になる方が多く、百合にも満足気な表情がうかがえる。
ところで花全体に言えることだが、夕暮れ時になると、彼や彼女たちは一段と穏やかな雰囲気を漂わす。
昨日は昼間の写真でしたが、本日は午後7時近くの花を撮ってみました。
美術館が陽当たり側なので、およそそちらを向いているのもけなげだ。
例年賑やかにおしゃべりをしている風に見えるのに、今年はみな静かな印象なのが不思議。
新鮮な感じは、宝塚の卒業生か、舞妓さんから芸妓さんになったばかりの女性達のようだ。
梅雨を越えてもはや「雨期」 換気、庭の花。
連日の雨は梅雨というより、「雨期」と呼びたくなるほどの執拗さ。
しかし当地では、昨夜から降り続いた雨は昼頃から小休止となった。
本日は換気の様子と庭の花を記しました。
開けっ放しの玄関ガラス扉。今までどんなに降っても閉めずに済んでいる。
トクサも庭を涼しくしてくれる植物。
以下今春沢山植えたテッポウユリがあちらこちらで賑やかになりました。
ヤマアジサイが終わった後、以下園芸種の額アジサイが綺麗に咲いている。
柿の実が大きくなってきた。
母の出身地の川がテレビに映った 雨降りの昼。
本日も雨が降り続く。
人間ならば息切れするところだが、雨はいっとき休んではまた降るを繰り返している。
洪水が頻発している九州の雨は残酷なほどで、昨日は母の出身地である佐賀県鹿島市の映像がテレビに出た。
母の昔話に出てきた川が氾濫しそうだった。
母はよくこの川で泳いだという。
ある日泳いで帰ると、いつもは穏やかな母が烈火の如く怒り、お前の背中に石をくくって沈める、と言ったという。
子ども時代ならまだしも、もう娘になるのだからはしたない、ということだったらしい。
近隣の水田。
雨を降り残した雲がもやもやと米山にけむっている。
本日昼のいっとき美術館はお客様で賑わっていた。多くの人がカフェを使われるが、今年は特に初めての方々が熱心に展示をご覧になり有り難い。
私がいた時に、俳句の皆様が寄ってくださり、庭を見ながら発句をされていた。
また車椅子でご老人をお連れした女性の静かな甲斐甲斐しさは印象的だった。
あるご夫婦は毎年結婚記念日に当館を尋ねてお茶を飲み、玄関で記念写真を撮ると仰った。例年スタッフがシャッターを押すらしいのだが、今年は私が押させてもらった。
持ち寄り食事会の後と仰る四人の女性は、カフェがいっぱいで陶芸室のテーブルにすわって頂いた。陶齋の作品に囲まれ、ここもいいですね、と仰った。
雨降るお昼のひととき、皆様有り難うございました。
明治時代の信心、小説「銀の匙」の伯母さんと主人公 信心は生の肯定と憐れみの心。
何度も登場している銀の匙。明治時代中頃の生活が描かれ,信心深い伯母さんと、こどもである主人公の日常の応答がリアリティをもって心に響く。
本日は、その伯母さんの仏性や信心の深さが窺われる場面から、いくつか引用させてもらい記してしみました。
●主人公(こども時代の著者)に対する伯母さんの考え。
〝伯母さんは私を育てるのがこの世に生きている唯一の楽しみであった。(途中略)というのは、今もし生きていればひとつちがいであるはずの兄が生まれると間もなく「驚風」でなくなったのを、伯母さんは自分の子が死んでゆくように嘆いて
「生まれかえってきておくれよ、生れかえってきとくれよ」
といっておいおいと泣いた。そしたら翌年私が生まれたもので、仏様のお蔭で先(せん)の子が生まれかえってきたと思いこんで無上に私を大事にしたのだそうである。
たとえこの穢い(きたない)できものだらけの子でもが、頼りない伯母さんの頼みをわすれずに極楽の蓮(はちす)の家をふりすててきたものと思えばどんなにか嬉しく、いとしかったであろう。それゆえ私が四つ五つになってから、伯母さんは毎朝仏様へお供物をあげるときにーそれは信心深い伯母さんの幸福な役目であったー折折お仏壇のまえへつれていってまだいろはのいの字も読めないこどもに兄の戒名、伯母さんの考えによれば即ち私が極楽にいた時の名まであるところの、一喚即応童子(いっかんそくおうどうじ)というのを空に覚えさせた〟※驚風:こども時代にかかる高熱や痙攣をともなう髄膜炎。
※厚く手を掛けた子が逝き、翌年に生まれた子をその生まれ変わりとして可愛がる。最も尊ぶべきものがアイデンティティとする現代ではあり得ない心情であろう。だが極楽からとって返してきたという考えや、兄の戒名をそらんじさせて同一化を願うなど、あの世とこの世が一続きであるとする信心の深さに感心させられる。
●観音様の形をした雲。
〝夏になればいろいろな形をした雲の塊が日光にあふれてぎらぎらする空を動いてゆくのを伯母さんは、あれは文殊菩薩だの、あれは普賢菩薩だのとまことしやかに教えた。
ある日のこと遊び疲れた私はひとり寝ころんで自分をまもってくださる仏様の姿に似た雲のくるのを眺めていた。そうしたらちょうどそこへ通りかかった雲の、観音様の仰向けになったようなのが不意に崩れて恐ろしい形になったので、私は化けものが観音様になって、とりにきたのかと思ってあわてて伯母さんのところへ逃げていった。それから私はそういう形の雲を死人観音(しびとかんのん)と名づけてその影をみればすぐにかくれてしまった〟
※この下りの雲は一部自分も経験しているので、楽しく読めた。
●伯母さんは四角い字(漢字のこと)こそ読めないが、無尽蔵と思われるほど話の種を持っていたという。
その1
〝なかでもあわれなのは賽(さい)の河原に石をつむこどもの話と千本桜の初音(はつね)の鼓(つつみ)の話であった。伯母さんは悲しげな調子であの巡礼唄をひとくさりうたっては説明をくわえてゆく。その充分なことわけはのみこめないのだが、胎内で母親に苦労をかけながら恩を報いずに死んだため塔をたてて罪の償いをしようと淋しい賽の河原にとぼとぼと石を積んでいるのを鬼がきては鉄棒でつきこわしてひどいめにあわせる。それをやさしい地蔵様がかばって法衣(ころも)の袖のしたにかくしてくださる というのをきくたんびに、私は息のとまりそうな陰鬱な気におしつけられ、また可哀そうな子供の身のうえがしみじみと思いやられてしゃくりあげしゃくりあげ泣くのを、伯母さんは背中をなでて、
「ええわ ええわ、お地蔵様がおいであそばすで」という。
※賽の河原と子が積む石塔の話は子供時代から色々聞いていた。文中、悲しむ主人公に対して伯母さんはこれ以上無い慰め方をする。その2
〝仏性の伯母さんの手一つでそだてられて獣と人間とのあいだになんの差別もつけなかった私は親の生皮(なまかわ)を剥がれたふびんな子狐の話を身につまされてきいた。親の白狐は皮を剥がれながら わが子かわいや わが子かわいや といって鳴いたという。これは私の知っている鼓についての三つの話のうちの最もあわれな話である。それは神秘の雲につつまれて天から降った鼓でもなく、つれない人が綾でで張ったという音なしの鼓でもなく、大和の国の野原にすむ狐の皮で貼ったただの鼓が恩愛の情にひかれてわが子を思う声をだしたというのである。私は今でもこの話を思い出せば昔ながらの感情の沸きおこるのをおぼえる〟
※この下りは義太夫や歌舞伎の「義経千本桜」における人気の段にある。初音と呼ばれた鼓の名器の皮は、千年生きた狐から剥がされたもの。鼓の皮となって死んだ親に対して子狐は人に化けて鼓を守る。源氏の時代、静御前へと鼓が渡ると、子狐は義経の家臣佐藤忠信(ただのぶ)に化けて御前と鼓に付く。
ある日病気だった本物の忠信(源九郎忠信)と、狐忠信がともに義経の前に現れる出来事が起きる。どちらが本物かの詮議で、鼓への反応で狐忠信は正体がばれ、御前に切られそうになる。しかし親孝行を遂げたいという子狐の切々たる身の上話を聞いた義経は、許したうえ鼓を与える。
YouTubeに掲載された文楽や歌舞伎で、鼓を与えられた狐忠信が、ほおずりしながら嬉々として舞い帰る最後の場面など非常に秀逸だった。
以上は信心深い伯母さんと、幼く多感な主人公の日常の一部です。
〝胎内で親に苦労を掛けた恩〟などという凄まじい考えは、今や困難だ。しかしその昔では一般に感覚された事がらかもしれない。
親への恩や孝行には何かしら越えるべき試練が内包されているが、全て〝生まれた幸せ、いま生きている幸せ〟が前提で成立しているように思われる。古めかしく見えるけれども、かつてそれは、陰に日なた「生」と「その幸運」を肯定しようとする原点を有し、生活のすみずみに溶け込んでいたのではないだろうか。このようにみると、過ぎし日常文化の深さを考えないわけにはいかない。
但しこれが戦(いくさ)における主従とその恩に取り入れられると、「犠牲の強要」という残酷な相に転化され、本来の生の肯定的な意味と反対のものになる。
銀の匙の物語は、国が富国強兵に染まる過渡期の話であり、特に幼少時代の風俗習慣と信心はまだ善良な庶民感覚にあふれている。
但し後半では、前者の堅苦しい感覚を持つ兄との相克が描かれるようになる。
強靱に成長した主人公は、後に幼き日の郷愁から、視力を失い遠くで一人暮らしをする老いた伯母さんを訪ねる。
繰り返し読んでいる「銀の匙」
ほかの出版社版もあるが、私のは2015年7月21日第5刷発行の小学館版。
まだ読むつもり。
雨に濡れた木肌 山中教授とタモリによる番組「人体VSウイルス」。
ほぼ一日中雨が降った日、熊本県の球磨川流域で深刻な水害が見られている。
地方のことは観光や物産で知るほか、毎年災害で知る事も少なくなく胸が痛む。
当地でも午後からかなり激しく降り、肌寒く終日雨音を聴いた。
美術館ではコロナ対策のため外気が流通する天井の排煙孔から雨が入ったためそれを閉じた。但し強い降りでも、玄関のガラス扉は開放のままで全く問題なくとても助かる。
カフェのお客様は解放した窓を喜ばれるが、さすが激しい降りとなったため遅くなって閉じた。
雨の日も良い、と言って本日来館されたお客様方、張り合いを感じます、有り難うございました。
さて雨に濡れる樹木の木肌が目に留まり、撮ってみた。
以下の様に十本十色で面白かった。
下枝を払われたばかりのツルツルした椿。
向こうのスチール椅子と良い絵づら。
雨がスジ状に伝わったり、一面に濡れて光ったり、木肌はそれぞれ独特で面白い。
このほかケヤキ、コナラ、松、若いモクレンやヤマザクラなど撮ってないものがあり、別な雨の日に撮りたいと思っています。
さてこの所、東京を中心とした新型コロナウイルス禍が拡大しはじめ、一次の続きというより第二波の始まりかもしれない。
そんな折、今夜山中伸弥教授とタモリ、そして二人のゲストによるNHKスペシャル「「タモリ×山中伸弥『人体 VS ウイルス』~驚異の免疫ネットワーク~」を観た。
CGが駆使され、ウイルスに対する免疫細胞や免疫物質の動態が如実に示され、新型コロナウイルスの特異性なども非常に興味深かった。
このなかで回復した患者から得られた抗体を投与することによる重症者の回復例、さらに100才の高齢者の生還に希望を感じた。
ワクチンと特効薬が存在しない時点で、回復して高い抗体価を有する人の血漿を治療に用いることは非常に現実的だ。
感染が急拡大した中国は、この方法を積極的に採用したのではないかと当初から思っていた。
治癒→血漿採取→重症者へ投与→治癒→採血、これを洗練させ繰り返す。
方法は患者が多いほど効率が上がろう。
このサイクルを効かせ、甚大な1波乗り切りの一助としたのではないかと思うが、如何だろうか。
雲がダイナミックだった強風の日 本日から通常の開館時間と営業。
本日梅雨の晴れ間の訪れ。
かなり風が強かったが、雲がダイナミックで清々しい日だった。
午前の仕事を済ませ通常営業となった美術館へと向った。しっかり雲が見たくて途中四ツ屋浜へ寄った。
四ツ屋浜は海沿いの旧国道(129号線)を大潟総合事務所付近で海側に入るとすぐ出る。
濃淡2色に別れた青い海は。風によって一面に白波(三角波とも聞く)が立っていた。
北東方向に大きな白い雲。
昼さがりの美術館は大勢の方に来て頂いていました。
美術館から東方の雲。
本日からカフェは軽食としてベーグルサンド、ホットサンド、トーストをお出しすることになった。
今年購入し、裏庭に設置した丸テーブル席に座り、ベーグルサンドを食べた。
丸テーブルのサイズは小さめだが、二人分ならサンド類の食器が乗りそうだった。
余裕を期待して、似たような仕様のサイドテーブルを探してみたい。
本来ベーグルサンドはピックルスと果物およびポットコーヒー付きで1100円です。
これがベーグルサンドの正式メニューです(後日追加しました)。
二度目の四ツ屋浜。帯状の雲がうねりながら横たわっている。
過日上越市の海岸から沖合に出現した貴重なロール雲が撮影された。
モーニング・グローリーと呼ばれる珍しい雲で、撮った人が羨ましかった。
ねっとりとした、いかにも高密度な雲は晴れ間を交える強風の日に現れる。
レンズ雲の系統は、風によって雲が練り込まれている印象を受ける。
出現には山が関係しているようであり、東は米山・尾神岳、西は妙高山が影響していると考えられる。
本日ご来館の皆様、有り難うございました。
今後ともどうか宜しくお願い申し上げます。
ケータイメール・ライン無経験者の4枚目の机上メモが始まる。
私は一応スマホを持っている。
しかし汎用出来ず電話メインで、時々ほくほく線の時刻表を見るか、外出で地図を見る程度しか使わない(使えない)。
その上恥ずかしながら一度もケータイやスマホでメールというものを打ったり貰ったことがない。パソコンのEメールは使うが、まず仕事か買い物関連に限定される。
小さな道具のひらがな入力が苦手なのが原因といえば原因。ほかにアナログ頭なのと、親密な人間関係を有さないこと、あまり暇がないことなどで、電話以外ほとんどスマホをいじらないし、メールもラインも過去現在皆無なのである。
それでも生きているので、良い悪いの問題ではなさそうだ。年のせいかなと思ってみるが長年のことなので何とも言えない。
一方、ニュースを見たりブログを書いたり、写真を扱ったり、調べ物や品物を探すなど、パソコンには頻繁に接する。
それで問題なしと諦めてはいるが、目の前の人が、あっちょっと待って、とスマホを取り出したり、即座に検索したりするのを見ると少々羨ましく写る。
話変わってそのアナログ者(もの)の骨頂、机上の一枚メモです。
PCのキーボードの手前に広げて使っています。
昨年8月から始まった大きな一枚メモが3枚目を終了、本日新しいのを敷いた。
仕事用、ブログ用、学習、予定などに手書きで使う。
今回終わったのは今年2月18日に替えたもので、4ヶ月半使ったことになった。
※手帖は医師会の仕事をしている時に必携でしたが、止めると使わなくなりました。
このたび終了した縦39センチ横42センチの紙はカレンダーの裏。
角などはボロボロになってくる。
2月18日のブログに「新型コロナの件が好転するような断片が現れることを期待している」と記している。
近づいて撮ってみました。
ボールペンの記載の上にマーカーなどを使って更に書いている。
新型コロナウイルスに関連したメモが多くみられる。
コロナの事情が好転したとは言えず残念。
本日4枚目となる紙を敷きました。
取り替えると、明日へのささやかな希望を感じます。
便利と言っていますが、結局横着が正解なのでしょう。
さて、スマホ苦手、いろは入力苦手でしたが、検索だけでも出来ればと考え、昨日就寝前のベッドで、スマホを手に例文を打つ練習をしました。
はたして少しは使うようになるでしょうか。
大変申し分けありません、7月1日は定期休館日でした。
昨日の記事に「7月1日から通常の営業です」と記載いたしました。
しかし、1日は水曜日のため定期休館でした。
通常の営業に戻るのは、「7月2日から」でしので、陳謝し訂正させていただきます。
勇み足を致し大変申し分けありませんでした。
どうか宜しくお願い申し上げます。
樹下美術館 館長
明日7月1日から通常の営業ですが、油断は出来ません。
このところ空は梅雨らしさを増し、私の好きな6月が本日で終わります。
終わるものあれば始まるものもある、という道理。明日7月1日から樹下美術館は通常業務に移行する予定です。
6月いっぱいの開館時間は午後1時~5時まで、 カフェのメニューは飲み物とケーキのみでした。
これを
●開館時間:午前10時から午後5時まで
●カフェメニュ-:ホットサンドイッチ、ベーグルサンド、トーストの軽食をお出し出来ます。
思えば
●コロナの燃え盛りの兆しによって3月14日、翌日に迫っていた開館の延期を決めました。
●4月16日全国緊急事態宣言。これにより三密を逃れ、盛んに野山を歩きました(大潟水と森公園、茶臼山の道、五智公園、大池憩いの森、茶臼山公園など)。
●5月15日新潟県など緊急事態宣言解除で、5月25日に6月1日から午後のみ開館を決定し、一ヶ月が経ちました。
ようやく明日から例年通りの営業ですが、まだ大都市周辺を主に新型コロナウイルス流行は安定感はみられません。
むしろこの所の新規報告は、事態が本格化する3月下旬よりも多いという事実がみられます。
そのため樹下美術館は、玄関扉と屋根排煙孔の開放、カフェの窓開放(雨天は閉鎖)で大気の新鮮保持を図るほか、感染対策のいっそうこまやかな励行を心がけるつもりです。
緑深い庭と周囲の水田は大気浄化の働きをしているのではないでしょうか。
ところで、
●今月第4日曜日(7月26日)の呈茶につきまして、
一回目午後1時から、二回目2時半から、1回5名様までのお客様をで迎えする予定です。
●ご希望の方は美術館の窓口か、☎025-530-4155でお問い合わせ下さい。
10年ほど前から、〝長生きをすれば良いことがある〟と皆様に真剣に話すようになりました。コロナ禍を経験しながら、果たしてこれは良いことか、と考えてしまいます。
しかし周囲も自分も大変ですが、日々取り組みを続けながら、これもまた幸せのうちかもしれない、と思い直すようにしている次第です。
新型コロナウイルス対応につきまして今後とも皆様とご一緒に頑張りましょう。
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- 館長の作品。
- 激しい雨、めまぐるしい空 今年はどんな晩秋か。
- 回復の途で「何が食べたいですか?」に意外な返事。
- 長野市からの団体さんと倉石隆の作品。
- 加齢で不自由になる生活を「老化ゲーム」で。
- 昨日のオーケストラアンサンブル上越公演 ピアノとティンパニーのスリリングな即興演奏。
- 柿のカラス対策、お彼岸のオハギ、今日の食事。
- 遅くなりましたが上越市長の三田発言から「三田青磁」。
- 2025年、樹下美術館秋の催し三題
- 「小3の凄まじい体罰」をお読みいただいて。
- 上越市八千浦中学校の皆さま。
- 小3の凄まじい体罰 その3 終章。
- 小3の凄まじい体罰 その2。
- 小3の凄まじい体罰 その1。
- 小学校に上がるまでジャンケンを知らなかったAちゃん。
- 台風直後の上野駅から大潟町へタクシーに乗る その2。
- 今朝方の雷雨 その昔、台風直後の上野駅から大潟町へタクシーに乗る。
- 厳しい残暑のなか頸城野の稲刈り。
- ほくほく線のポストカードで。
- 気に入って頂いたほくほく線電車の写真。
- 今年初めての赤倉CC 仕事上の最年長になっている。
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