アイスの法則? 認知症本人と介護者の間で。
熱いだけならクーラーの効いた部屋にいれば良いのでしょう。
しかしながら雑草取りや水まき、時には植えつけで少なくとも一日1時間は庭に出まので汗をかきます。
砂丘地の樹下美術館の8月は夏枯れして花は少なく、もっぱら緑陰の庭の止む無しです。
それにしても愛想がありませんので、昨日洋もののケイトウを購入し植え付けました。
如何にも頑張りそうなこの花は一年草でしたので、水やりを欠かさなければ案外長く咲いてくれるものと期待しているところです。
明日写真をのせてみたいと考えています。
ほかに本日の外出では、一件だけ在宅まわりがありました。
認知症につきものの親子喧嘩は、どちらが認知症なのか、往々分からない場面に遭遇します。
自分は悪くないと言い張る親、なんとかしてやりたいあまりに愚痴る介護者。
扇風機やクーラーの音の部屋で、私たちは出来るだけ落ち着いて、双方に同じように理解を示さなければなりません。
うなずいたり確かめたりしながら、両方の話しをちゃんと聴くのです。
そして、完璧でなくていい、中心目標を示し、大きく外れていなければ良いですよ、と言うのです。
そんな暑い日の昼休み、庭仕事の後スタッフがアイスがあります、といってチョコレートのものと写真のキャンデー風のものを出してくれました。
チョコレートは大きく、熱量は300kcalもありました。写真はおよそその半分でしたが、案外ハイカロリーなのですね。
バー付きのアイスで思い出したのは、食べ終わる頃になると、手前の裏側に少し残ったものがポトリと落ちてしまうことでした。必死になってバーにくっついていたのが、最後力尽きて、口に入れる前にポトリ、さよなら、残念、という終わり方が蘇りました。
本日は最後に横からパクッと吸い取るようにして全て食べることができました。
あどけないことを書きまして申し分けありませんでした。
連日風情のない、ただ熱いだけの暑さです。
どうか用心をしてお過ごしください、私もそういたします。
クーラーの効いた部屋に入ると喉の渇きは消えるのか? 炎天下のコスモスの発芽、ムクゲの花。
前回、暑さにより薬の血中濃度が上がり、そのことによる症状が現れた例を書きました。
薬はワーファリン、症状は手の甲の皮下出血でした。薬の過剰な働きは検査で確かめられたため、直ちに減量し経過をみることにしました。
二日ほど草刈りと畑仕事で大汗をかいた、とは本人の弁だでしたが、当初は仕事上の打ちみも考えました。
ところでたまたま本日、掛かりつけている奥さんが受診され、〝うちの人は、汗びっしょりになって帰っても、あまり水をのまないのです〟と仰った。
先回は「暑さ慣れ」として、漠とした原因を求めたが、ちょっと違うらしい。
家は常にクーラーが効いているということ。もしかしたら以下のような事があるのではないか、と考えました。
炎天下で大汗をかき、喉が渇いていた。しかしクーラーが効いている家に帰った途端、渇きが消えてしまう?
念のために書物やネットで一瞥してみましたが、これに類する言及は見つかりませんでした。
しかし熱暑下の労働やスポーツで発汗した後、仮によく冷えた部屋に入った場合、本来あるはずの渇きを感じなくなる、ことは起こりそうな気がする。
彼だけの現象かもしれないので何とも言えませんが、水を持って出るのを原則とし、前述のケースでは意識して水を補給すべきでしょう。
喉の渇きを数値化し(感覚値でもいい)、発汗を伴う運動負荷後に常温の部屋とクーラーの部屋で渇きの比較を行う。これは生理学の極めてシンプルな実験モデルのはずですから、私の疑問は、その世界では実証済みの常識だった事も、十分に考えられます。
いずれにしましても、かの奥さんは、二人で気を付けるようにします、と真顔で仰っり、何よりなによりでした。
コスモスの芽。ダンスをしているようだ。
長年の念願かなって数日前に撒いたコスモスが一斉に発芽し伸びている。
水やりが楽しみです。
ムクゲもコスモスもこの炎天下で咲きほこり、あるいは成長している。大したものだと思う。
賑わい創出は第一の目標だろうか 暑さ慣れ?はあるのだろうか。
公民を問わず新しい事業に〝賑わい創出〟の冠がつくものによく出合う。
あるいはそれらを知らせるメディアの見出しに、この文言が見られる。
本日の新聞でオーレンプラザのエントランスにピアノが置かれ、ストリートピアノ風に市民に解放するこころみが紹介されていた。
原則予約だが、空いていればその場で申し込みが出来るという。
公共の場にグランドピアノがあり、市民が演奏できることはとても良いことだと思った。
その素敵な記事の見出しに「賑わい創出」の文言が付されていた。
だが一旦この言葉が用いられると、こころみの印象が重くなり堅さが加わる。
ピアノ演奏もそれを聴くのも「楽しみ」や「挑戦」であり、それだけで十分ではないのかな、と思うのである。
「活性化」も同じ、賑わいとともに地域の悲願であることはよく分かる。
だが多くの事業や試みは、本来人が楽しんだり、憩ったり、交流し、利便を感じたり、元気になる、などのためのものであろう。
内容こそ唯一無二であり、地域活性化や賑わい創出はむしろ副産物で良くはないだろうか。
小さな個人施設、樹下美術館はそれら重苦しい見出しを付けられることはなかった。
おかげで、大変ですが一方で楽しみながら営むこともできるので幸運だと思っている次第です。
昨夕の入道雲。
高さを想像したらちょっぴり涼しくなりました。
台風の影響もなく日照りが続くようです。
さて高温続きのため血液濃縮を生じ、薬剤によっては血中濃度が過度に上がり、対応が必要な症状が現れることがあるようです。
それほど高齢でない方でも、水が不足しているのに渇きを感じない場合があり、怖いなあと思います。
「暑さ慣れ」などということがあるのでしょうか、気を付けなければと、自ら言い聞かせています。
水の摂りすぎも問題になりますので難しいところですが、
この方は水気の少ない、明らかに乾いた舌をされていました。
舌の濡れ方、乾き方に水分の過不足が現れますので、普段から時々観察し、気になったらほかの人と比べてみて下さい。
涼しかった赤倉。
去る週末、赤倉観光ホテルで一泊してきました。
高速道路を使い、家から一時間少々。新しくなって初めてのホテル。標高1000メートルは涼しく、熱い温泉にもつかり、リフレッシュしてきました。
インターネットで求めた作品と本。
樹下美術館は齋藤三郎の陶芸作品および倉石隆の絵画を展示しています。
齋藤三郎は亡父の蒐集を引き継ぎ、倉石隆については自ら作品を集めました。
齋藤作品は今でも時折骨董店や美術商で店頭に出ますが、倉石隆作品は中々商いがありません。
一方インターネットには齋藤作品がたまに出品されることがあり、今まで貴重な品二点を求めました。
いずれもネットオークションで、応札者は私一人でしたので随分安く落札でき幸運でした。
インターネットにおける倉石作品は油彩やデッサンはごく希に出品されることがあるようですが、私はまだ購入したことがありません。
ただ挿絵や表紙に絵筆を執られた書物および記事を執筆された美術雑誌などは古書のサイトを中心に案外出てきましたし、一部はオークションでも求めました。
ちなみに今年の展示で「倉石隆の本」を展示しています。挿絵・表紙に関係した倉石隆の本のうち半数以上はネットを通して購入したものです。
諦めていた古い本に出会える古書サイトは非常に貴重で、今でも時折検索しています。
さて以下二点はネットオークションで入手した齋藤三郎作品です。
梅文香盒。髙田における初期の作品と考えられました。
師の富本憲吉ゆずりの梅が一輪描かれた初々しい作風です。
2017年秋、収蔵品図録が完成した後のオークションでした。
間に合っていれば、良い場所に掲載できましたので、大変残念でした。
鉄絵椿文皿。
昨年12月のオークション作品で、
昭和30年前後の一種民芸調の作風が魅力的でした。
オークションは市中で商われる価格より随分安いため、時々覗くようにしています。
以上二点とも良い品で、現在の「椿と梅 展」に展示しています、どうかご覧下さい。
ところで、ごく最近倉石隆が挿絵をした「チャイルドブック 昭46年4月号」が手に入りました。
以下本の表紙とご本人の挿絵からです。
林義雄氏の表紙、チャイルドブック昭和46年4月号。
株式会社 1971年4月1日 チャイルド本社発行。
当号に収載された二話から「おめでとう」で倉石氏が挿絵をされていました。
4場面から2つを載せてみました。
愛らしいこどもと、倉石氏には珍しく、細くない〝ふくよか〟な郵便屋さんが描かれています。
4月に新入園するこどもをお祝いする話です。
主として若者から大人、さらに老人を描いた倉石隆。
あどけない幼児の挿絵に出合うと,、ほっとし、今でも驚きます。
当挿絵が描かれた1971年の5,6月に倉石氏は渡欧し、フランス、ベルギー、ドイツ、オーストリアを旅されています。その年の11~12月にはアテネ画廊で個展「もう一つのヨーロッパ」を催され、油彩11点を出品されました。一種エポックメーキングであろう、この時の作品を一点でも収蔵したいな、と願っている次第です。
倉石氏が表紙や挿絵を描いた書物21点を現在展示中ですが、このたびの「チャイルドブック」も場所をこしらえて展示いたします。
「玄米・目刺し+野菜炒め」の夕食を続けながら。
去る8月14日から始めた「玄米・目刺し+野菜炒め」の夕食が形を変えながら、基本続いている。
形を変えながら、とは主食がソーメンになったり、他の雑穀になったり、昨日は個人が手打ちしたラーメンだった。
原則、胃に優しくカロリー少なければ、少々形が変わるのは構わない。
また胃への負担が強そうな副食は、歯は比較的良い方なので、しっかり噛むことを心がけたい。
ただ今後も基本「玄米・目刺し+野菜炒め」食にこだわろうと思う。
(目刺しの代わりにししゃもの日があるかもしれない)
玄米を食べ始めたことで、ある方から〝玄米は胚芽を通して農薬が移行していることが考えられる〟と助言を頂いた。
確かに、なるほど、である。
そこで有機米や無農薬米の玄米を検索すると、ぞろぞろ出てきた。
産地、銘柄、色々あったが、価格は結構高い。
高かろう良かろうという期待を入れつつ、私たちは量が少ないので、調べたり聞いたり、楽しみながら選んでみたい。
前髪のこと、おでこを見せる見せない。
何か観たり読んだりすると、それを長くネタに使う。私の良くない癖であるが、狭い日常を生きているためどうしてもそうなる。
本日は連日の材料であるDVD「にごりえ」から、三作品それぞれに主演した女優さんの髪に興味を持ち、そのことを書いてみたい。
まず場面写真から。
十三夜の若奥様おせき、丹阿弥谷津子。
丸いおでこがとても可愛い。
「大つごもり」の女中おみね、久我美子。
病気の叔父一家のために借金をしたいが、その工面が出来ない。
それぞれヒロインの立場は異なり、詳しくはないがしきたりに準じて髪型も異なっていた。
日本髪は非常に装飾的で、迫力がある。各部は前後左右どの視線にも美しく耐えることが意識され、すれ違って振り返えられた場合の、後ろ姿にも非常に気を使ったやに思われる。
さてこのたびの映画の三者三様の髪型に共通だったのは、前髪であり、みな揃えて上げている。
そのことで額がよく見え、これは日本髪の基本の一つにちがいない。
私は前髪を上げている(あるいはおでこを出している)のをいいな、と思うくせがある。
賢そう、涼しそう、大人っぽいうえ、個性がちゃんと表れるようだ。
前髪を下ろす上げるは、勿論好き好きであるが、
「王子さまが来るのを待っている」のと「王子さまを探しに行く」イメージの違いが何となく浮かぶ。
※追加です、王子さまを幸福と言い換えても良いかと思います。
親からもらった可愛いく個性的な「おでこ・額」。
この夏、お嬢さんたちも髪を上げ、涼しい額を見せてはいかがでしょうか。
十三夜の車夫。
過日は、明治時代の底辺の生活をシンボリックに伝える残飯屋を綴ってみた。
それを書物「生きづらい明治社会」で知り、後でたまたま樋口一葉原作、今井正監督の映画「にごりえ」のDVDで見た。
シーンはドキュメンタリーさながらのリアルさだった。
但し書物 明治の古典3「樋口一葉 たけくらべ」に載っている田中澄江訳による「にごりえ」の章には、残飯屋が出てこない。少女は「米屋」に米を買いにやらされ、帰路、ぬかるみで転び、途方に暮れる。その夜、父が今夜は「断食」、と言っているだけだった。
今井監督の映画は、「生きづらい明治社会」で紹介された「最暗黒の東京」(明治21年 松原岩五郎著)の挿絵をヒントに構成された場面ではなかったか、と思った。考えてみれば、考証を研究し資料を活かすのも映画監督の才覚にちがいない。
そして本日はDVD三部作から「十三夜」の車夫です、宜しくお願いします。
慎ましい暮らしの家から嫁いだ先の高級官吏の家で、おせきは辛酸をなめる。せがまれて嫁いだにも拘わらず、学識から作法はじめ生活の隅々を意地悪く指摘され、夫にはいじめられた挙げ句、完全に無視されて暮らすおせきに、唯一幼い長男は生きがいだった。
だが十三夜の月の晩、とうとう離縁を決め子を残して家を出ると、実家に帰ってくる。何も知らず、久し振りの来訪を喜ぶ両親に、嫁ぎ先の惨状と覚悟をおせきは打ち明ける。
物語のもう一つのテーマである人力車でやってくるおせき。
駿河台からお茶の水橋を渡り、上野坂下町の実家へ向かうところ。
セットらしいが、ニコライ堂が描かれた背景と、しつらえの美術は素晴らしい。
この時父は、子を残してきて家族で暮らすのもいずれ我慢が生じるだろう。一方子と暮らしながら夫に尽くすのも我慢だ。
外で仕事が出来る男は、得てして家では的を決めて我が儘に振る舞う。同じ不運に泣くなら、向こうの妻として大泣きに泣いたほうが良いと思うが、どうだと言う。
最後に「お前の口に出さなくとも親にはお前の苦労がわかる。涙はみんなで分けてみなして泣こうではないか」と父親が話す。
この下りは解決策では無いものの、行き詰まった人間の心に響くものと思った。
父親の話に対して、おせきは騒ぎを恥じ、心配を掛けたことを謝り、家路につく。
この後、流しの車夫が登場する。
おせきを乗せた車夫は、間もなく車を止め、今夜はどうも気が進まねえ、降りて下さい、としゃがみ込み一服しようとする。
ふと月が照らした車夫は、かっての幼なじみ禄之助だった。
(車夫役の芥川比呂志は芥川龍之介の長男ですね)
客がおせきだと知った車夫は、身の落ちぶれを恥じ、先刻の無礼を詫び、宅まで届ける、という。
おせきは、偉そうにして貴方の車には乗れない。別の車が拾える上野広小路まで一緒に歩いてくれるかと言って、二人は歩き出す。
極貧者の木賃宿に帰る禄之助、辛い嫁ぎ先へ向かうおせき。
広小路を昔ながらの名月、十三夜の月が照らしている。
以上映画「十三夜」からでした。
今から9年前、テレビで同じ映画を観た時、なぜ車夫がこんなに卑屈なのか不思議に思った。
このたび「生きづらい明治社会」を読み、後に再度DVDで出会い、それが当時の最下層の働き口だったと知り、なんとか物語を理解した。
車夫、嫁の人生、親子の情、物語を照らす名月。ただの叙情ではない十三夜だった。
明治29年に24才で亡くなる前、物語として世の辛さを切り取った樋口一葉に、すごいなあと驚くばかりだ。
(ちなみに今年の十三夜は10月29日だそうです)
残飯は太平洋戦争戦後の闇市でも売られ、人力車は昭和初期まであったという。
本日終戦の日の今夜、妻はNHKBSの再放送「映像の世紀プレミアム 独裁者三人の〝狂気〟」を観ていた。
夏のゴルフで1,5リットルの水分補給 年と共にシンプルな食事。
本日午前7:25スタートでゴルフをした。
場所は車ですぐの米山水源ゴルフ場。スタート時間が早いため涼しく、10時過ぎには半分回ってしまった。
美術館の庭を手伝ってくれる男性スタッフと二人のラウンド。まだ上手くなりたいので熱心に回った。
最高気温が35度近くはあった日、結局水やスポーツドリンクを1,5リットル飲み、それでも足りないと感じた。
時折吹く風が額を冷やし、本当に気持ち良かった。
さて突然何か言い出して妻を困らせるが、数日前「夕食のご飯は玄米、おかずはメザシと野菜炒めにして」とお願いした。
昨日からそのようになり、今夕2日目の食卓は以下のようだった。
私の昼間の食事は朝昼兼用でヨーグルトと果物にビスケット数枚を食べるだけ。
その分夕食はかなりヘビーになっていた。ほかに、夏場、果物を頂くことが増えているので、どこかで調節しなければと思っていたのを実行させてもらった。
年取るに従い、食事は増えるよりも、減ることで体が喜ぶのを自覚する。
何時まで続くか分からないこの食事は、まだ減らすことはあっても増やすことは無いように思われる。
そしてこの食事を食べられる事に感謝して行きたい。
本日ふと気がついた。
目刺し、野菜炒め、漬け物、味噌汁、、、これは学生時代、食堂や家で毎日のように食べた献立ではないのか、と。
器官の能力が低下する老人の体は、多すぎる種類と量の食事処理は明らかに限界を生じる。
そもそも我々の体は、なんでも受け付けるほど強靱ではない。
今後の健康維持には、残存機能を長続きさせること、その一点に絞られる。
浮いた能力で、出来れば続けなければならない仕事や、趣味を維持できれば、と願っているところです。
鵜の池のキアゲハとチョウトンボ 盆花と盆下駄。
数日の暑さ続きに比べやや涼しかった盆の入りの本日、当家の墓と隣にある小山作之助の墓を参った。
先祖の霊を迎えるお盆。
やって来る霊は明治や江戸時代くらいからか、平安時代あるいは奈良時代、いっそ縄文時代からの先祖からだろうか、と子供のような事を考えた。
いずれにしても、広い西念寺の墓地は霊でいっぱいになるのであろう。
日中チョウトンボがいればと、鵜の池に出かけた。県立大潟水と森公園の対岸、大潟区長崎新田側だ。
湖畔の船着き場跡。右側の道を池に沿って行く。
ずっと向こうに池が広がっている。
ここに菱を採ったり牛馬の餌となる草を刈るための舟を繋いだらしい。
かって盆花は当地の市に出ていたり、農家の人が売り歩いたりした。
あるいは私は見た事がないが、盆下駄というものもあったらしい。
頸城区の下駄屋さんでは、お盆になると綺麗な下駄をこしらえ、リアカーで売り歩くことも行われていたという。
お盆が近づくころ旦那さんの家に行くと、床の間に上等が盆下駄がずらりと並び、とても良い漆の匂いがしていた、とお年寄りから最近聞いた。
以下は湖畔で見たチョウトンボです。
過日の長峰池よりも接近して撮れました。
「にごりえ」の「残飯」。
たびたび登場する書物「銀の匙」の明治時代の子供達は、遊びに学校に無心に明け暮れていた。
一方で凶作や差別、さらに借金に苦しむ農村の困難も少しは分かっているつもりだった。
「おしん」の辛酸は典型かもしれない。
そして書物「生きずらい明治時代」には、都会の底辺事情も詳しかった。稼いだ日銭で布団を借り、残飯屋から残り物を買って食べる人々が居たことを知った。
このたび残飯屋について、偶々求めたDVDでありありとしたシーンが見られたので、とても驚いた。
松沢裕作著 岩波書店 2018年12月5日第3刷発行。
「生きづらい明治社会」 不安と競争の時代の図版より。
以下DVD「にごりえ」のシーン。
立っている男は秤をを手に残飯を計量している。
座っている男は杓を扱っている。
秤に掛けられた残飯がすくい取られたり足されたりするたび、待っている人の一喜一憂が伝わる。
女の子(ヒロインの幼少時代)の番が回ってくる。
帰りを急いだこの子はどぶ板の道で転び、泥に混じった残飯を泣きながら集める。
なけなしのお金を出して他人が残したものを食べる。
限界生活でも、食べられればなんとか生きて行ける。
だがそれも子供のころまでで、「にごりえ」では食べるだけでは生きて行けない人生が描かれる。
密かに運命に苦しむ色街一の美形、お力(淡島千景)は、かっての恋人により、最後は無理心中の犠牲になって終わる。
嬌声絶え間ない街の裏で行き詰まっていく生活、捨てられない業と自我、、、。
一葉作品は文語体で書かれている。
30年以上前に泉鏡花の「高野聖・歌行灯」とともに、円地ふみ子・田中澄江が訳した樋口一葉の函入り本を買った。
当初ちらりと見て、仕舞うばかりたったのを、このたび取り出した。
明治の古典3「樋口一葉 たけくらべ」「にごりえ」
1982年9月16日 学研発行
一部の原文とともに解説が詳しい。
24才で亡くなった樋口一葉の凄さにただ驚嘆するばかり。
ところで私自身、残飯を食べたかもしれない経験が一つある。
満州からの引き揚げで、逃避行の列車を降りて山東半島の青東(親は「ちんたお」と言ってた)港に終結した。
外は水溜まりのテント生活の中、夕食時「めしあげー!」の大声でテントから人が出て食事をもらいに行った。
ある日、姉と私で入れ物を持って、男が運ぶ大きな桶からご飯や汁などを貰った。
なぜか楽しくなり、二人で「めしあげー!」と叫びながらテントに帰った。
あれはそれこそ、どこかの軍か病院、あるいは街中から出た残飯だったかもしれない、とこのたび思った。
申し分けありません、今度は「十三夜」の車夫のことを記してみます。
長峰池のチョウトンボ。
正午過ぎに、上越市髙田の最高気温が36,7度だったという。
その午後に吉川区の長峰池にトンボを観に行った。あわよくば、まっ赤なショウジョウトンボに出会えるかと期待したが、叶わなかった。
大潟水と森公園の鵜の池にもいないということであり、消えてしまったのだろうか。
今夏、諦めずに池を巡りたい。
本日は、水草に止まり、風に対して器用に羽根を動かしてバランスを取るチョウトンボを載せました。
黒を基調にメタリックのブルーが混じるチョウトンボ。
さまざまに羽根を動かし、角度でブルーが変わり、撮っていて飽きない。
水辺とはいえ、火に囲まれているような暑さだった。
美術館で十分水を補給して出かけたので、倒れずに済んだ。
ところで美術館から高速道路が見える。例年今ごろは自家用車で混むのが分かるが、今年は普段とそう変わりなく見える。
コロナの「うーん」、二つの態度、スパコンなら何と答える、男性的?母性的?。
新型コロナウイルスの今後を占う夏休み、わけてもお盆に入る。
近時、「うーん」と唸らされる話が多い。
①「夫の三回忌で神奈川の家族が来る。帰った後、二週間は家に籠もります」と泣ききそうな表情で話をされたおばあさん。
②「うがい薬を下さい」と、切なそうに言った若い男性。
③「公園に月1回元気な高齢者が20人ほど集まり2,3曲歌も歌う。その場合マスクは必要ですか」というボランティアの責任者。
①は今更止められないということで、うーん、しかなかった。
②薬局から電話があり、品物が無いと言うことで決着した。
③「人数が多いので、念のためマスクをしては」と伝え、「後々の思い出にしましょう」と付け加えた。
強気と慎重。当初から新型コロナウイルスには二通りの態度がある。
強気の代表は政府であり、医療関係者はおしなべて後者になる。
後者については、「様子を見ることで手遅れになる」ことを避けようとする職業上の態度のため、良く理解出来る。
だが今まだ「様子をみる」ことを軸足とする政府が良く分からない。
最近になって、もしかしたら政府はスーパーコンピュータ「富岳」を駆使し、判断しているのか?とも考えるようになった。
自粛と緩和、検査と結果、年令、症度、地域性、季節要因、基礎疾患、体格、ウイルスの諸要素、業種、就業形態、地域性、対応と結果、経済諸指標、税収、予算、国外データ、そのほか考えられる全ての要素を富岳に掛け、コロナ対策の費用対効果を探っているのだろうか。
未経験な出来事が始まって半年余、毎秒100京を演算する富岳は、コロナについてどんな応答が可能なのだろう。
いずれにしても2,3週間すれば、現在の動静に対して最初の答えが出始める。
最近こんなことも考えた。
〝強気の人は男性的であろうとし、慎重な人は母性に立とうとする〟
と。
明治時代の「銀の匙」のこどもと家庭、同時代の貧困家庭の暮らし、今井正監督による樋口一葉の原作作品に見る暮らし。
昨年12月から繰り返し読んでいる「銀の匙」。
明治時代の幼少から青春へ、私小説風に書かれた一冊を興味深く何度も読んだ。
たびたびの小学館版「銀の匙」。
中勘助著 橋本武案内 2015年7月21日第5刷発行。
以下は人見知り激しいの主人公(私)が、小学校へ上がる前に友達になったお国さんを形容した部分です。
お国さんの櫛(くし)は赤く塗って菊の花の蒔絵がしてあった。緋と水色の縮緬(ちりめん)でこしらえた薬玉(くすだま)の簪(かんざし)ももっていた。お国さんはなんか新しいものを買ってもらうと自慢してみせておきながらよく見ようとすれば袂(たもと)へかくしたりして人を焦らせる。私はそんなものを見るたんびに自分が女に生まれなかったことをくやみ、また男はなぜ女みたいに綺麗にしないのだろうとおもった。
かくれんぼでは、あそこに一つ目小僧がいたと、脅かすお国さん。それに怯える主人公。
かと思えば月の夕刻、二の腕を見せ合いながら、互いの肌の美しさにうっとりする。
あるいはヒナ飾りでは、お国さんの家の立派なのに驚く主人公は、雛たちが生きていると思い、丁寧にお辞儀をして笑われるのである。
読む度に、このようにくったくない二人は、どんな家の子なのだろう、としばしば思った。
明確にどこのなになに、とは書かれず、男の子は上京した下級士族の子、お国さんはかなり上級の官吏の娘さんらしかった。
ところで初めて読了したころ、「生きづらい明治社会」という、意外なタイトルの本に出合った。
「生きづらい明治社会」 不安と競争の時代
松沢裕作著 岩波書店 2018年12月5日第3刷発行。
江戸時代から明治時代へ、没落し困窮する下級武士たちのことは学校で習った。ほか明治といえば、おおかた文明開化、富国強兵、自由民権運動くらいしか浮かばない。
生きづらいとは、どんなことだろうと思いながら読んでみると、知らないことばかりだった。
明治は厳しい時代だったと書かれている。
教科書には長屋で喘ぐように暮らす人々の事は無かったと思う。
下層と言うべき貧困家庭では、その日稼いだわずかな現金で「損料屋」から布団や枕を借りて寝ていたという。
あるいは、食事に不自由すると、兵舎や学校から出る残飯を商う業者の量り売りを買って食べたとあった。
このような暮らしを余儀なくされたのは、日雇い労働者、人力車夫、廃品回収者、大道芸人、あるいは鍋釜修理、露天商い、傘や道具の修理などを生業にしていた人々だったらしい。
これらをまさかと思っていたところ、最近、今井正監督による樋口一葉原作「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」の三部作が収められた「にごりえ」というDVDを求めた。
過日の月を見て、かってテレビで観た「十三夜」がとても良かったのを思い出して買った。
今井正 監督作品 樋口一葉原作「にごりえ」。1953年制作
「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」の順で三話が連続して収められている。
提供:独立プロ名画保存会、新日本映画社 2004年10月22日発売。
キネマ旬報1位、ブルーリボン賞1位、毎日映画コンクール作品賞/監督賞作品。
驚いた事に「にごりえ」には、ヒロインの子ども時代の回想で、残飯を買うシーンがあった。
また「十三夜」で、車夫であることを恥じる幼なじみとの場面があり、ああこれなのかと思った。
このようなことについて後ほど続きを記載したいと考えているところです。
ベン・シャーンで一部盛り上がっていました。
6月16日~7月29日まで新潟市美術館で開催された「ベン・シャーン展」。
貴重な展覧会は、診療を休んでもと考えたが、どうしても行けなかった。
幸い親しいT氏は2回もご覧になり、後日図録を下さり、素晴らしさをお聴きした。
7才でリトアニアから父とともに米国へ移民したシャーンの作品には、一種民族の香りがするヒューマニティあふれるのを感じた。
絵画とともに多くのポスター、イラストなどのグラフィックアートが載っている。目を引くのは多様な表情をした線で、鮮やかにモチーフの「らしさ」が簡潔かつ十分に描かれる。
人の何倍もトレーニングを積み、自在な表現を可能にしたにちがいない。
政治や社会の残酷な側面を告発し、一方街中や著名な人物、風景、静物に暖かな眼差しを送っている。色彩画にみられる美しく澄んだ色も素晴らしかった。
出品は丸沼芸術の森からということ、所有者の幸福を想い、社会への貢献に深く敬意を覚えた。
さて、小学校を卒業するころの1954年3月1日、北太平洋マーシャル群島で米国の水爆実験が行われた。いわゆる「ビキニ水爆実験」である。危険水域外でマグロ漁船が空から降る濃厚な放射性物質、死の灰を浴び、23人の乗組員は早くから被爆障害を発症した。
船は「第五福竜丸」。
懸命な治療の甲斐無く亡くなられたのは通信長・久保山愛吉さんだった。
入学したばかりの中学校でも第五福竜丸事件と久保山さんらの容態は、逐一話題になった。原爆よりはるかに強力な水爆というものが登場したこと。被爆すると間もなく食事が食べられなくなり、吐き気下痢を生じ、皮膚のただれが起こり、衰弱感とともに次第に髪の毛が抜け落ちる放射線障害の恐ろしさを知った。
帰国後、国を挙げての治療は困難を極め、逐一ニュースとなり、ご家族のことも報じられ、中学生になったばかりの私たちははらはらした。
久保山さんは半年後に亡くなり、伝えられる氏の言葉「原水爆の犠牲者は、わたしを最後にしてほしい」には大きな無念がこもっている。
第五福竜丸事件を書いた絵本「ここが家だ」
絵:ベン・シャーン 構成・文アーサー・ビナード
文中から
「久保山さんのことを、わすれない」と
ひとびとは いった。
けれと わすれるのを じっと
まっている ひとたちもいる。
ひとびとは 原水爆を
なくそうと 動き出した。
けれど あたらしい 原水爆を
つくって いつかつかおうと
かんがえる ひとたちもいる。
実験は その後 千回も
2千回も くりかえされている。
話変わって、熱心な地域活動をされ、時折樹下美術館を訪ねて来られる方が、
昨年春、〝私はベン・シャーンが好きです。彼の展覧会で「ラッキー・ドラゴン(第五福竜丸)の作品を観てショックを受け、以来美術に興味を持ちました〟と仰った。
樹下美術館の図書にベン・シャーンは無く、今冬上掲の本と、以下の2011年12月~2013年7月まで全国4カ所を巡回した展覧会図録を購入した。
261ページの図録
「ベンシャーン クロスメディア・アーティスト」
-写真、絵画、グラフィック・アート-
新鮮で明解、明晰なベン・シャーンは多くの芸術家に影響を与えました。
氏の絵は見やすく簡潔でとても親しめます。
上記三冊ともカフェの図書に置きたいところですが、コロナを恐れ、図書閲覧を中断していますので、とても残念です。
図書閲覧が危険とは、コロナウイルスの残酷な一面ですね。
本日は降ったり止んだり、気温も下がり梅雨に戻ったような一日でした。
そんな日にご来館された皆様、有り難うございました。
- 仏像、社寺、二十三夜塔、庚申塔
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 高齢者、昔話
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ・テレビ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- ハリハリ漬け 今夕の食事。
- 荒天後の海岸 戦中生まれのさが カワラヒワの水浴び 初々しいモズ ハクガンの飛来。
- ラベンダーの雪囲い。
- 本日樹下美術館の後片付けの日 ラヴェルの名曲がポピュラーやジャズに。
- 本日2025年度の最終日。
- 今年最終日曜日,午後のひと時。
- 「お婆さんのようなお爺さん」ズボン編 悪天を予告する雲。
- 頂いた椿を挿し木してみた。
- 「お婆さんの様なお爺さん」とは もらい物のセーター。
- 昨日今日の寒波は無事に過ぎた。
- 今冬最強寒波が来る 向こう側の季節から「楝(あふち)の花、いとをかし」。
- 堀口すみれ子さんから届いた詩集「月あかり」。
- 午前柿崎、午後大池 念願のエナガはピンぼけの1枚。
- 再度柿崎の海岸を歩いた 海のチョウゲンボウ 田んぼのマガン 低カフェイン抹茶。
- 暖かな日の朝日池、のんびり過ごす水鳥たち。
- 美味しいイチジクお菓子など、大潟区のマルト歌代商店は特別。
- 樹下美術館の紅葉 再度の木村茶道美術館 唐椿(からつばき)という花。
- 週末の種々。
- 盆と正月が一緒に来たようなお招き。
- 今夕も北海道の幸 懐かしい写真。
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