春秋の混在 どうか自然は平然としていて。
今年の夏~秋は異常な高温が繰り返され、台風ありフェーン現象ありで草木には気の毒だった。米にも影響し、県下一帯で等級が下がった。
農家へ在宅医療で訪ねた際、米の等級が下がった話になった。買い取り価格もかなりさがってしまい、ご主人はしょんぼりされていた。
見た目だけの問題。味はそう変わらないので、安くなった分消費が増えればいいですね、と言うと。期待しましょう、と案外明るい返事をされた。これからは夏期の田の水温を人工的に調節する仕組みが求められるらしい。
そのようなことで、樹下美術館の樹木にも異変を生じていた。
手前のアオハダはが9月に一旦落葉し、10月になると今年二度目の芽吹きをして新緑になった。
アオハダの緑はそのまま続き、周囲のカエデの紅葉の中で誠にアンバランスな眺めだった。
現在モミジはほぼ散ったが、4本あるアオハダは緑を保っている。間もな降る雪に果たしてどうなるのだろう。
先日ハクチョウを見に行った折、農家の庭で梅が咲いていた。
傍らで柿の実が赤く、めまいがしそう。
今期このようなことは随所で見られていると思う。
この先毎年の現象となれば、1年に2回開花したり芽吹いたりで、木々は本当に困るだろう。
年のせいか世の中の多方面で奇妙なことが生じているように感じる。
自然だけは平然としていてほしいと、心から祈っている。
本日荒れ模様の空。
好天の昨日日曜日は朝から出かけ、車が示した海岸の外気温は1℃だった。
本日少々気温が上がったものの風雨強くひどく荒れた。
午後の在宅回りで寄った四ツ屋浜は荒れた空を反映した風景だった。
東(鵜の浜温泉など)の方向
白い浮き雲はとても速く東へと移動して行く。
刻々変わる暗い影の場所、光が当たる場所や雲。ドラマティックな眺め。
広い層状の雲によって北側半分の空が裂けている風に見え、割れ目から青空が覗いている。ひどく荒れた空は時に一種宗教的な奇跡が起きそうな気配を漂わすように見える(実際は何も起きませんが少しドキドキします)。
早起きをして海を歩き鳥を見て美術館へ オルゴール、猫、再び鳥 こどもには 良いものに接する。
12月1日。
本日日曜日は晴天の予報だったので、珍しく早起きをした。
早いと言っても7時少々前では、早起きとして通用しそうになく、恥ずかしい。
7時半ころから柿崎を一時間ほど歩いた。大勢の釣り人や静かになった海を撮りたかったが、残念なことにカメラを忘れていた。
海の後一旦家に帰り、朝のハクチョウ見にカメラを持参して昨日の場所へ向かった、
米山を背に朝日を浴びて次々にやって来るハクチョウは大変美しく、いくら見ても飽きなかった。
新たに鳥が来ると先に来ていた一群が一斉に見上げる。
大きな花びらが舞い降りる華麗さ。
ハクチョウの後は近隣の新潟県立大潟水と森公園へ。
国内で飛翔する最大の鳥の後は小さな鳥へ、お目当てはエナガ。前回出合ったのと同じ場所へ行ってみるとはやり居た。チー、チー、あるいはキッ、キッと小さな声で鳴くエナガ。素早い鳥なので中々上手く撮れない。
木々を移動するのに付いて回り、何とか少し撮れた。私の腕ではピントもサイズもいまいち。以下中からましなものを載せました。
日本で見ることが出来る中で最も小さい鳥と言われるエナガ。北海道のシマエナガは抜群だが、当地のエナガも大変可愛い。
エナガとシジュウカラはよく一緒にいるという。この日も何となく一緒。
午後美術館に出向くと、カフェは忙しそうだった。馴染みの親子さんと一緒に食事をした。
過日の東京行きのレストランで求めたオルゴール。
映画「ボディガード」の主題歌「オールウェイズ・ラブ・ユー」
がポロンポロンと流れる。
オルゴールの馬にテーブルにあったマユビトやルパン三世のミニチュアフィギュアが
ことごとく付けられていた。お客様が楽しまれた様子が浮かび、買って良かったと思った。
上掲のハクチョウは柿崎区だが、美術館周辺の頸城区ではどうかと車を走らせた。
高速道路の頸城バス停南側の水田に群がいた。今年はハクチョウが多いかも知れない。
クチバシを使って稲の切り株周辺を突っついている。
稲の根を食べているらしい。
群の中の一組のカップル?。ほかの鳥たちが熱心に食餌をしているなか、二人はしばし寄り添うばかり。
寄り添う二羽。
手前の鳥は片足を挙げて足の冷えを回避している。ハクチョウではよく見かける。
遠くに居た一団が若鳥を先頭に歩いてきた。
ねぐら入りの時間が近づいたようだ。
頸北地域の水田に飛来するハクチョウは、朝日池や青野・上吉野の湖沼をねぐらに日中は周辺の田へ食餌に行く。農業と鳥が自然な形で住み合い、独特の平和感に心なごまされる。
比べて長年餌付けをして大量の鳥を集め観光資源にしている所もある。非常に不自然で、鳥類の脆弱化が心配される。そろそろ止めてはどうかなと思うが、どうだろう。
さて過日はおばあちゃんと娘さん親子が来館された。
まだ小さなお嬢さんは絵本を読んでいる。
その時のお母さんの話。
〝こどもには小さい時からできるだけ良いものを見せてあげたい。先日は箱根の彫刻の森美術館や国立都科学博物館に行きました〟
お子さんの嬉しそうな顔がとても良かった。
素晴らしい。
豊かな人生のために私もまったく同感。
そのことは幸福への道のほか,不運な孤独を耐え克服する糧にもなろう。
昔はよく耳にした先のお母さんの言葉を、久し振りに聞いた気がして新鮮だった。
さて良いものに接するのは、そんなに難しいことではない。
間違い無いのは美術館、博物館であろう。また歴史的・伝統的文物や場所を訪ねるのも良い。地域の文化イベントにも面白いものがあろう。少々高級な品は見るだけでもまずは良いし、どうしても欲しくなれば節約を心がけて求めてはどうだろう。味覚は頭脳を開発すると信じているので、年に何度かは少々高額でもランクアップをしてみたい。音楽しかり、名著、名画の書物や映画も身近にいくらでもある。
よいものとは、先ずは飽きがこないもの、光を放って自分を呼んでいるものであり、出合う前提として自然への親しみは全て基本中の基本かもしれない。
それらの中から良いものの系統やトレンドがおのずから整理され、自らの好みが形成されて行けば最高だ。
良いものに接する事はいわゆる〝お勉強〟とは少々違う。それを楽しむ、それに親しむ、あるいは幸福に感じる、ことが決め手ではないだろうか。
樹下美術館も良いものの対象たるべく努力を続け、その末席を維持して行きたい。
本日富山県美術館の方が来館されたと聞きました。
遠路本当に有り難うございました。
本年5月に富山市を訪ねた。
ぜひまた伺わせて頂きたいと思っています。その折はどうか宜しくお願い致します。
夕暮れの柿崎海岸 シーグラス。
時折雨がポツリポツリと来た寒い日。
予報の夕刻から晴れてくるというお告げを信じて3時半近くから柿崎海岸を歩いた。
西の空の海上に雲の切れ間があり、日没はかろうじてそこから陽が射し、いっとき鮮やかな海になった。
打ち上げた波が桜色になって広がる時間があり、それを気に入っている。
本日は茜が低いためそれほど綺麗にはならなかった。
久し振りにシーグラスを見つけて帰り、水を使い、灯りを工夫して写真を撮ってみた。
以下はキーホールダーについている灯りを当てたいわゆるイタズラです。
特にブルーはウルトラマリンを思わせる深い色が綺麗でした。
水を使わずに見る海中で晒された風合いも良い感じだと思います。
明日はお天気が回復して良い日曜日になりそうで、楽しみです。
鳥(チドリ、カラスとムクドリ、コハクチョウとヒシクイ、コハクチョウの親子、チョウゲンボウ、トビ) 米山、尾神の雪化粧。
少し溜まっていた鳥の写真を並べてみました。
以下は10月の柿崎海岸のチドリです。一見よく分かりませんが4羽います。
以下は11月15日のカラスとムクドリです。
特に騒ぎにもならす、カラスはムクドリの食事をじっと見ています。
ムクドリたちが食べていたものは多分草の種。クチバシの大きいカラスにはちょっと食べるのが無理ではないでしょうか。
以下は本日午後の頸北地域の水田です。
大小5つの群で合計500羽くらいを見ました。随分増えました。
ヒシクイが混じっています。
敏感なマガンやヒシクイはおっとりした白鳥とよく一緒にいます。
この辺りの白鳥はほぼコハクチョウですが、ガン達をかばっているように見えます。
ハクチョウは頭を上下させ、しきりに刈り田の二番穂を食べているようです。
手前にサギが来ました。口の形が違うので稲穂を食べることができません。間もなく飛び去りました。
帰り道、随分道路の近い所に居た小さなグループを写しました。
穂をしごくように食べています。
刈り取った後の株から出る小さな稲穂を二番穂というようです。
これにどれほど実が入っているのか定かではありません。
あってもわずかと考えられますので、休みなく食べるのでしょう。
チョウゲンボウではないでしょうか(11月28日)。
小型のタカの仲間で、一羽で行動し野鳥を狙っているはずです。
たまたまトビが輪になって飛んでいました。お見合いでしょうか。
本日、米山さんと尾神岳が以下のようにちょっぴり雪化粧をしていました。
昨夜から厳しい寒さに襲われましたが、日曜日にかけて晴れるようなので、ほっとしているところです。
沢山並べてしまいました。
頭の良い美しい人が亡くなった 70年前の月の砂漠。
年と共に少しずつ年賀欠礼が増えていく。
本日その一つを手に取りとても驚いた。
みまかりが知らされた人は小学校時代の近所の同級生。地元の高校から津田塾へ現役で飛び立った才媛だった。
6年ほど前、その人は樹下美術館を訪ねてくれて50年振りに会った。こども時代の頭の良さと美しさは全くそのまま、会うと長い年月など何も感じなかった。
中学校から学校が別々になったが、身体能力も高く中高時代はテニスの選手だったと聞いた。
受験は猛勉強をされたのだろう、高校時代に私が肺結核を患い家に居ると、勉強で疲れたので注射をしてと言って来られた。休学をしていた自分が恥ずかしく、目を合わせるだけで診察場の片付けなどを続け、父がビタミン注射をした。
その後私の病が癒えて二十歳の同級会でお会いしたが、文字通り溌剌とされていた。樹下美術館訪問はそれ以来だった。語学を活かした貴重な仕事に邁進された後は学長秘書を、お会いした時は同窓会の要職をされ才を発揮されていた。
ところでもう70年は経つのか、小学1年か2年の学芸会で、二人で月の砂漠を踊った。
ただただ恥ずかしかった踊り。叱られながら稽古したのをかすかに覚えているが、当日ちゃんと踊れたかは思い出せない。
偶々過日のSPレコードの会で掛けた「月の砂漠」。
川田孝子・安西愛子の歌。
何故選んだのだろう、多分私たちはこのレコードで踊ったはず。
今夜は何度でも月の砂漠を聴いてみたい。
何度か聴くうち涙が出てきた。
眩しそうな眼をした頭の良い人が亡くなり、余りに早くとても悲しい。
突然の重い脳梗塞だったという。
NHKのファミリーヒストリー 太田光さんと新潟県上越市大潟区雁子浜。
今夕食後、なにげなくテレビを観ていると、NHKの番組で、漫才爆笑問題の太田光さんのファミリーヒストリーをやっていた。
ファミリーヒストリーは面白く、意外なご先祖の事実が判明したり、底流に今日の才能に繋がる物語が始まっているなど、興味深い。
およそまず父方のヒストリーを辿るが、母方にも思わぬ事実が浮かぶことがよくある。私自身かって母と祖母の出身地は訪ねたことがあるものの、その先の母方はさっぱり分かっていない。その点、番組は母方も詳しく遡り、人間味あるエピソードが掘り起こされ、見応えがある。
本日、お母様の旧姓が熊木と伝えられていた。熊木と聞き、まさか大潟区雁子浜の人かな?と少々気になった。というのも熊木性はほかであまり聞く事は無く、一方少し前まで雁子浜のほとんどの家が熊木姓だった。
番組では光さんの父方が静岡県から東京に出て、父三郎さんは室内装飾で成功する話が紹介された。
続いてお母さん、旧姓熊木瑠智子さんに話題が及んだ。すると瑠智子さんの祖父丑五郎さんは、まさかの雁子浜の出身だと分かる。やはり驚きである。
丑五郎さんは杜氏として埼玉県に出たあと所沢で酒屋を開業、父武三さんも東京王子で酒店主になると説明された。
丑五郎さんはヴァイオリンを弾くなど拓けた人だったらしい。武三さんはチルチルミチルの童話をもとに名付けた瑠智子さんに音楽や演劇を勧めている。そして瑠智子さんの劇団の研究生時代、若き日の光さんの父三郎さんとバイト先の店で出合うというドラマが待っていた。
※瑠智子さんの曾祖父のお名前を五郎さんとしていましたが、丑五郎さんにお直ししました。
お母様の祖父の出身地、大潟区雁子浜。
雪が多かった2018年2月の夕刻。
以前の当地頸北地方は杜氏となって県外に出た人が多い。丑五郎さん、武三さんは成功されたようで、こども時代の瑠智子さんは武三さんと銀座を歩くことが好きだったという。
眠る前に聞いたお母さんの優しい読み聞かせの思い出を語った光さん。お料理が美味しかったと話した相方の田中さん。
太田光さんのルーツの一つがすぐそこの雁子浜だったとは。事実は小説より奇なりではないが、大潟区に生まれ育った私には思わぬ展開。嬉しいファミリーヒストリーだった。
故郷を離れ人生を切り拓いた人達に、今更ながら畏敬を覚える。
お陰様で終了させて頂いた拙薄茶席、席の趣意。
本日フカミ美術主催「城下町髙田茶会」が、百年料亭「宇喜世」を会場に行われた。
濃茶席を裏千家茶道の山口宗好先生、薄茶席は同じく裏千家の小生が席を持った。もとより拙い器量の自分はお点前を有沢宗香先生お社中ほか友人達のお助けによって、終わることが出来た。
以下に本日の略々を記してみました。
朝7時過ぎ家を出ると鮮やかな虹が掛かっていた。
朝の虹を初めて見た。
雨は上がり日中好天に恵まれた。
昨日運び入れた道具で席を整える。
床に齋藤三郎(陶齋)の額「泥裏珠光」、同氏「麦藁手手桶花生」にヤマボウシの照り葉、茶の花、帯解野紺菊が入っている。写真手前は陶齋作「辰砂砂金袋水指」。
西村道也の「刷毛目丸窯」および陶齋「雪輪文蓋置き」
鈴木秀昭作「色絵金銀彩宇宙曼荼羅茶碗」および杉谷松芯作「遠山蒔絵大棗」。
このほか鈴木さんのお茶碗を3碗使わせて頂いた。
一席25から30名様が5席のお茶。大切な全てのお客様に対して、数茶碗に頼らず当代の作家さんを中心にそれぞれ異なるお茶碗でお出しした。
駒沢博司作「彩文茶碗」
秀逸なヨーロッパ風の風景画が描いてある。
ジャポニズムの風合い、英国バーレイ社「ブルーキャスコ」のボウル。
横山玄太郎作「TEA BOWL」
一席終了後それぞれお飲み頂いたお茶碗をそのままにして、皆様に観て頂いた。
自席の全てを終え、最後に宗好先生のお濃茶席に皆で座らせて頂いた。お仕舞の忙しい中、見事な綺麗さびを以て迎えて頂き本当に有り難うございました。
上越市、妙高市の親愛なるお茶の皆様、長野県、新潟市、糸魚川の遠路のお客様、 心からの感謝を申し上げます。
遅くなりましたが、茶席の趣意として、待合に會津八一「碧落」を掛け無窮の空を、本席「泥裏珠光」で地上の有様を、主茶碗の宇宙曼荼羅 で世界の様相を現してみました。※泥裏珠光は齋藤三郎(陶齋)が昭和27年に會津八一から贈られた陶号です。
時節は陶齋の拍子木香盒および雪輪文蓋置き、さらに次客様の清水卯一作白釉茶碗で雪、赤楽茶碗の作者鶴亭の屋号あぶり餅、及び四客様の永楽善五郎茶碗「雀」に降る雪で来る季節のイメージを試みた次第です。
お手伝い頂いた有沢お社中の皆様、J子さん、Y子さん。誠に有り難うございました、すべては皆様のお陰です。
さる週末の日曜日に二つの美術館 言い間違いと言い当て。
先週末の上京で、土曜日のお台場と食事会を先回書かせて頂いた。本日は翌日曜日の二つの美術館めぐりになりました。
午前は日本橋の三井記念美術館の特別展「茶の湯の名碗 高麗茶碗」展を観に。桃山時代から日本で人気となった高麗茶碗と称される朝鮮半島の茶碗は、洗練された素朴さという風合(私になりに)で今日まで茶人に好まれている。
120点を超える展示は大変充実し、陶器と磁器、形と紋様、技法や変化などの微妙さが分かりやすく示されている。半島独自のものから、次第に日本の要請に応じて茶の湯向けに焼かれるようになった高麗茶碗。
日本独自の文化のなかで、造り手と使い手が海を隔てて観点を一致させたことに深く感銘を受けた。
見終えて昼食時間。隣接するホテルの中華に入った。朝食を抜いていたのでお腹が空いていた。
食べ終えて出たのは英語の領収書。チャーハンが3800円!焼きそば2800円!
お陰様で東京の高価な食べ物は、優しく軽い感じがするということが何となく分かった。油脂と塩を最小限にとどめているからではないか、と思った。高額については、年一度のご褒美と学習ということで納得することにした。
東京は一段と国際化を早めているように感じられる。
食事のあと級友と別れて「コートールド美術館 魅惑の印象派展」の東京都美術館へ。
上掲のカタログ表紙になっているマネの「フォーリー=ベルジェールのバー」のほか、ルノアールの「桟敷席」をこの目で見るのが主な目的。
何度も繰り返される印象派展。その都度親しみが増すのも事実。残りの人生に、油彩で描いてみたい風景が二三あり、いつも何か参考にできるかと思って観る。しかし比べるべくも無い自分の力、せいぜい省略をどう活かすかが課題だと、あらためて感じた次第。ゴッホ、ゴーギャン、シスレー、ドガ、ロートレックほかロダンの秀作も多く観られ大変楽しめた。
余談ですが、このたびの東京行きで二つ言い間違えを聞いた。
その一つ。乗車した北陸新幹線で、大宮を過ぎて流されたアナウンス。
「次の停車駅は品川、品川に停まります」
上野、東京駅を飛ばす?このまま東海道線に入るの?品川って、何が起きたの?
見ると周囲の乗客はみな承知したように静かで、とても不思議だった。
焦った私は寝ている妻を起こして、アナウンスのことを告げた。
寝ぼけまなこで、えっ、えっ、というばかりの妻。
数分して、「先ほどは失礼致しました。次は上野、上野に停まります」と何事も無かったかのようなアナウンス。今でもキツネに包まれている気がしている。
だが、その車内で、
「次は戦争、戦争です」のアナウンスが流れ、皆黙ってそれを聞いている光景が浮かび、気持ち悪い感じがした。
二つめ。
土曜日の夕食会の冒頭、オーダーを確認に来たチーフスタッフの言葉。
「皆さんの中にエネルギーのある方はいらっしゃいますか」
エネルギーが無くなってきた人間ばかりだったので、一同苦笑い。
アレルギーを言い間違えたのは慇懃で良く気が利きそうな人だった。
本日訪問先の102才のおばあさんに、今は何月でしょうか、と尋ねてみた。
11月、と仰り、こんなことは滅多に無く非常に驚いた。
私の方が11月だと教えられたような気がした。
一昨日夕刻のお台場 年に一度の贅沢な食事 東京と地方 本日の異常高温 気象と人。
若き日同じ医局で過ごした級友三人と、今ごろになると夫婦で集まるのを長年繰り返してきた。
土曜日に食事し翌日はどこかの美術館に行く。食事場所は適当に幹事を回して予約、近時ホテルはKが取ってくれるので有り難い。
このたび一昨日土曜日午後、夕暮れのお台場(海浜公園)を見るべく早めに上京した。一昨年にはじめて行ってみて、都会ならではの海辺の風景が気に入り、再度予定した次第。
時間に余裕がないのでホテルからタクシーに乗った。
タクシーは大きなレクサスで、5ナンバーに乗っている私は広さと静かさに驚いた。運転手さんに聞くと新潟から積算4万キロで出た車だという。私たちも新潟から来ました、と伝えると喜んでくれた。
車内にラテンの「LA BARCA(小舟)」と「WAVE(波)」がモダンなアレンジで偶々流れ、これから行くお台場にピッタリ。いいですねと褒めた。
先回の帰りにタクシーが掴まらず苦労したので、到着後出来ればメーターを倒して待っていてくれますか、とお願いしてみた。
すると、いいですよ、待っている時間の料金は要りません、本でも読んでいますのでゆっくりしてきて下さい、そこに居ますと仰った。ここまでの料金を支払って降りたが、多分こんなドライバーさんは珍しい。50才くらいの人でメガネを掛け、スッキリした感じの人だった。
夕暮れのお台場は一種別天地だった。
湖のような浜辺に良い時間が流れ,
運転手さんは待っていてくれた。
ホテルへの帰路、道すがら見えるオリンピックの選手村、取り壊し中の旧築地市場、大きな豊洲市場を説明してもらった。
清潔なビル群、美しい東京を見てふと思った。
ここは何も東京の人だけの場所ではないだろう。同じように地方もまた地方の人だけの場所ではないはずだ、と。
暮れてホテルで浜松の級友と会い、六本木の店に行き、都内の友人と合流した。
毎年顔を合わせる夫婦6人、年は取ったが同じ顔ぶれで会えるのが嬉しい。
ぱりぱりとした愛知の海苔と青森の牡蠣に海水のジュレがあしらわれた皿。
ジュレはまさしく海の味がして、何とも言えぬ懐かしさが拡がった。
濃厚な味のオマール海老。ナイフの柄までおしゃれだった。
ワインは白が続いた。
メインのシャラン鴨料理。紫ニンジンなどの根菜、サツマイモとアンズのピューレ、あえ物は九州は陽田の梅を使ったという。産地の説明を聞いていると旅行をしている気分になる。
飲み物はいつもKが選ぶ。ジェニファーズのハートフォード・コートというカリフォルニアの赤ワインに変わった。よく香り、軽い甘みが美味しく、皆で褒めた。
メニューが進みチーズが出る。六種のチーズから特に
匂いが強い4種を取った。チーズは食事の楽しみの一つ。
熊本の栗とパッションフルーツのムースのデザート。
ほかに二種のデザートが出てエスプレッソでお終い。
手間を惜しまない料理は深い魅力を湛え、ことごとく美味しく親しめた。
デザートの途中で、シェフがデザインしタイの職人が作っているという鉄製のオルゴールを沢山見せてもらった。
赤いのがとても気に入り、樹下美術館のカフェに置こうと考え、お願いして買わせてもらった。
かってのシャンソンバー「銀パリ」や自由が丘にあったジャズ評論家いそノてるヲ氏のライブカフェ「ファイブ・スポット」、雨期になるとトラックで家を運ぶカンボジアの話、カルーソーを讃えたパヴァロッティの歌、酒を美味しく飲むための生活、映画は「静かなる男」「アフリカの女王」「Once Upon a Time」などが語られ、日本人が大好きだった女優ジェニファー・ジョーンズ、例によってローマの休日のオードリーヘップバーン、外国の女優達の社会奉仕、ふる里は高知県だが酒盗が嫌いで芋料理が好きと言う話、医局時代に通った床屋から当時の中華料理やロシア料理店のこと、今は亡きミッシェル・ルグラン、お気に入りのシャルル・アズナブール、いわしの美味しさ、日本のウイスキーに登場した第三潮流、飲んでいるサプリメントや級友の消息などを話した。
幸い個室だった事もあり延々4時間の食事だった。
不思議な事に例年健康の話を沢山するはずが、今年は殆どしなかった。
店は長くミシュラン二つ星を続けている「エディション・コウジ・シモムラ」。居心地よく楽しいひとときだった。
それにしても本日日中の天気は凄かった。
上越市髙田で25,9度とは、まったく理解に苦しむ。
気象(自然)は私たちには手に負えないモンスターと言ってもいい。
生命を、人類を、たぶん社会まで作りだしたのは自然にほかならない。
信心深い方に叱られるが、私たちが作ったのなら少しはコントロールできるはず。
それが出来ないのは、手に負えない者が作ったからであろう。
なにがしか調和に必要なのは、謙虚に徹する以外見当たらないと思うが、どうだろう。
翌日曜日のことは後で書くつもりです。
去る日曜日午後、新潟市美術館でワイエスの絵を観た。
さる先々週の日曜日、柏崎市を訪ねて念願の庚申塔に出合った。
その日柏崎の後、新潟県立美術館でアンドリュース・ワイエス展を観た。
ワイエスを知ったのは樹下美術館の開館間もないころで、東京のお客様からこのブログに載せた雁子(がんご)浜の写真がワイエスの雰囲気に似ている、と言われたのがきっかけだった。
インターネットで取り寄せた画集は素晴らしく、直ぐに好きになった。画集をみて、確かに荒涼とした雁子の風景は、どこかワイエス風かもしれないと思った。
※この時の画集は当時から美術館のカフェに置かせて頂いています。
そんなワイエスの展覧会が新潟市美術館に来ていると知り、このたび念願叶った。
館内は120点もの水彩画が掛けられている。画家が親しみ30年も暮らしたという米国はメイン州クッシングの静謐な土地。草地の丘のオルソンの家という大きな建物と、そこに住む兄妹の生活が、深みのある良い色を用いて克明に描かれている。
様々な角度からの家と周辺の草地や畑そして海辺、さらに農具や作物、卵や小舟などが描かれている。家は屋根や雨樋から煙突まで、内部は厩、納屋、風になびくカーテンやランプに到るまで詳細である。それらの折々には家の住人である兄妹が描き込まれ、彼らが営む慎ましい生活が静かに語られている。
最後に二人の住人が亡くなり主を失った家が、文字通り空ろに描かれていた。
空気に風、その音や匂いなど目に見えないものまで伝えたワイエスの作品は一点一点が詩であり、作家の情熱と技量に驚嘆せざるを得なかった。
〈クリスティーナの世界〉の習作である絵はがき。
オルソンハウスの住人クリスティーナは足に障害がある。
草地を這って丘の家をめざす力強いクリスティーナを描いたシリーズの習作。
さて話戻って以下は2007年12月から撮った雁子浜の小屋で、地元の人の漁具が仕舞われていた。
2012年12月5日。
周囲に自然に生えた松が大きくなり、一方小屋は傷んできた。
2018年1月15日。
厳しい浜で頑張った小屋は持ち主が亡くなると、ついに潰れていった。
オルソンハウスは現存し、2011年に米国の歴史建造物の指定を受けているそうです。
「アンドリューワイエス展 オルソンハウスの物語」は、
2020年1月19日まで新潟市美術館で開催されています。
お二人の名前。
とうに90才を越えられて今なお元気なクマさん。もうこれ以上こどもを死なせたくない、という親の願いが込められた名前のことを2012年1月に書かせて頂いた。
狭い私の世界なかから、本日はその後印象に残ったお名前を二つ書いてみたい。いずれも短い時間にお聞きしたものですが、時代を越えて親の願いが伝わってくる。
“ヤサシ”さん。
亡きお母さんの名が「ヤサシ」さんという方に出合ったことがありました。優しいのヤサシです。
実際はどうでしたか、と尋ねますと、厳しい母だったと仰いました。ヤサシさんは若いうちにご主人に先立たれ、お一人でお子さん達を育てられ、普段決して優しくはなかったそうです。しかしどんなに叱られた時も、本当は名前の通り優しい人なんだと思うようにしていたので、不安になることはありませんでした、と伺いました。
私自身はじめて耳にした名前“ヤサシ”。出来れば名付けたお爺さんお婆さんのことも尋ねてみたいと思いました。ご両親は昭和初期のお生まれではないか、と想像しました。
“栞(しおり)”さん。
ご本人のお名前です。長く当方に通われ、特に名を気にとめなかった栞さん。ご本人が80才半ばになるころ、気になって尋ねてみました。
名の由来が考えていた以上のお話で少々驚いた次第です。以下お話の趣旨をしるしました。
「私の母は当時としては進んでいたのでしょう、“平塚らいてう”に心酔していたようです。貧富や男女の差別に立ち向かい平等な社会を目指そうと生きる“らいてう”を尊敬していたのです。
「栞」という名は、文字通り本に挟むシオリ。
読書で、これまで読んできた所にしっかりシオリを挟んで区切りとし、明日からその先へ新たに歩むという、意味だと聞きました。らいてうを尊敬する親の思いがこもった良い名前だと思っています」
というお話でした。
東京の大手会社で長年重要な部所の事務をされ、ダンスが好きだったと仰り、油絵も描かれる。来院以来いつも検査結果をしっかり確認され、生活のアドバイスを求められる栞さん。夏休みに大勢の孫ひ孫さんが来れば、民宿です、と言って台所に立つ人。お話を聞いた後いっそう生き生きして見えるようになりました。
掲載の椿はいずれも「西王母」で、現在美術館の入り口向かって左側に咲いています。
暑さ厳しい夏でしたが例年に比べ花数が多く、びっくりしている次第です。ただ傷んでいるものも沢山あり、良いのを選びました。
コハクチョウの小さな群 一羽のハクガンがマガンに混じって降りた。
一週間ほど前、コハクチョウが150羽ほどいました、とある方から聞いていた。
そこで一昨日日曜日、午後から田を見に行くとそう遠くない場所で50羽ほどの群を見た。
見ているとほかから時々数羽が降りてきた。
この写真ではマガンも一緒だが、彼らの群は数百メートル離れた所にあり、
ハクチョウだけがまず田に降りる。
驚いた事にその中に一羽の白い個体が見える。ハクガンに違い無い。北国のどこかで、マガンに混じってしまったのだろう。たった一羽で一緒にここまで来るとは。
左か二羽目、間違いなくハクガンであろう。今後沢山来て欲しい。
帰路、ススキの土手にスズメの群。毎年減っていることばかり報じられる。
こうして少し大きな群に出合うとほっとする。
つぶさに観察している訳ではないが、これまで初めてハクガンを見るは大抵年明けた1~2月だった。一度だけ2010年は11月20日だった。わずか1羽の飛来ではあるが、例年よりも早くはないだろうか。
次第に冷えてきて冬鳥たちには丁度良い季節になった。どんな鳥に出逢えるか、北から山から沢山やって来て欲しい。
また雪には余り降って欲しくない。
去る日曜日の柏崎行き。
私の庚申塔探訪は言葉は悪いが、近郊ドライブの「眼なぐさみ」、あるいは一種気まぐれとして、細々と続いている。
先々で出合った石塔周辺の自然や社寺あるいは集落の印象などから、そこの風土や暮らしぶり、あるいは昔人の願いなどを思ったり、気づかされたりして楽しむという風で、研究などの上等なものでは全くない。
さて昭和41年発行の「越後の庚申信仰」には以下の丸い庚申塔が掲載されている。
越後の庚申信仰:尾身榮一 大竹信雄 共著 庚申懇話会 昭和41年10月28日発行
「越後の庚申信仰」にある写真。
何かとても可愛い印象。
下の基壇から上へ、構成している各部分のバランスが良い。
青面金剛が円形の石に掘り出されている一見和やかな石像だ。様々な様式がある中で、本尊が円いふち取りに収まるのは珍しく、是非とも見たいと念願していた。
くだんの本には柏崎市四谷2とあり、実は今年1月妻と車で周辺を巡ったものの見つからなかった。
このたびは去る11月3日日曜日、新潟市に用事があり、途中再度の柏崎行きを試みた。
目的の同市四谷の通りは隅々まで家が建つ。村落の庚申塔ならば集落の境や社寺の門前などでよく見るが、街中ではよほど目立つ場所か、所番地が明瞭でない限り中々見つけ難い。
この日も道を変えながら色々回ったが、駄目だった。最後に近くの柏崎警察署で聞いてみて、駄目なら諦めようと決めた所で、とある庭から婦人が出てこられた。
その方にお声を掛け、本の写真を見てもらい、近くにありませんか、と尋ねた。
「庚申塔ですね、多分あそこでしょう」
「え、あるのですか!」
「すぐそこですよ、主人は今出ていますが、この方面の専門家です」
ああ、こんなことがあるのだろうか、偶々遭った人のお身内が探しあぐねていたものの専門家とは。
女性は私たちがその前に立っている「三忠呉服店」の女主人だった。
利発そうなその方は道を挟んだ向かいの路地に入って行かれ、私は後に付いた。30メートルほど歩くと、傍らに以下のような石仏・石塔が突然固まって現れ、大変驚いた。
本当にすぐ近くだった。
右の奥まった場所(白矢印)に、ああ、ひっそりと円形の石塔が見える。
そこには庚申塔に石仏、墓碑、、、。
昔人の真摯な魂が宿るここはパワースポットでは。
三猿はデザイン化され、金剛の顔は横にらみ風に見え、どこかユーモラス。
本よりも一段と白カビが生え、持物などはっきりしない。
見える二臂のうち左手はショケラ、右手は羂索?あるいは剣を握っているようだ。
本尊はやや稚拙だが、このように変わった庚申塔を彫り上げた石工(いしく)は
一体どんな人だったのだろう。
若い人なのか、こんなに丸く円を切ったり彫ったり、素晴らしい。
あたりを見ると、石塔群の先に遺構があり、尼寺の跡だという。案内された方も尼寺の往時を知っておられ、後からお二人の女性(お店のお客さんということ)が加わり、ひとしきり尼さん(安寿さん)の話になった。
小生の近くにもかって尼寺があり、早春に涅槃図の前で説話を聞き、撒かれたダンゴを木の枝に刺して持ち帰ると、長火鉢であぶって食べた。柏崎の尼寺の跡で昔を偲ぶとは、この日は色々お土産が付く。
尼寺跡。
石塔群には多数の庚申塔があり、地蔵菩薩のほか僧侶のものと思われる先端が尖った丸い墓碑(卵塔、無縫塔というらしい)が数多く見られ、二十三夜塔もしっかり認められた。
青面金剛と二十三夜塔。
路地を挟んだ向こうにお堂があり、以下のように地蔵尊が三体安置されていた。
真ん中の像は中越沖地震で倒壊し、後に継ぎ合わせて復元されている。
痛ましい姿だが地元の方達の温かい信心が伝わる。
脇の二体はほかから運ばれたものとお聞きした。
新しい花が日射しを受けて幸せな光景だった。
お尋ねした方のお店「三忠呉服店」
後日の調べでご主人は元柏崎市博物館館長さんだった。
奥様は地域の故事風習に触れる活動をリードされておられる。
あこがれの庚申塔を探すに、これ以上ない家の人に尋ねたことになる。
こんな幸運があろうとは。
さて柏崎市では、古来大晦日から1月下旬まで学問の神様である天神様の掛け軸や人形を祀る習わしがある。また9年前から地震による中断を挟んで「天神街道 天神さまめぐり」が行われている。お店はその幹事をされているらしく、市内30カ所の参加店舗・家庭の中で要のひとつとして展示をされる。
ところでこの日、嬉しい事に、最初に名刺をお渡しすると、“樹下美術館なら私たちは良く行きますよ、とても気に入っています”と仰って頂いた。樹下美術館にはドナルド・キーンセンターや木村茶道美術館、地域活動のグループの方々ほか、柏崎の皆様にお寄り頂いていて、普段から感謝に堪えない。
同市は、庚申塔はじめ道祖神から風神まで石塔が多い。市のもとはといえば柏崎長勝と能「柏崎」の物語、桑名藩領としての歴史、貞心尼の足跡、幾本もの谷筋ごとの文化と産物、、米山信仰、番神岬の日蓮、由緒ある寺々、焔魔堂、随所の木喰仏保存、魅力的な綾子舞や大和舞、そして越後ちぢみの商いによって輩出された趣味家、文人に名コレクターなど、文化は鮮やかで深く、一方でポンツーンを連ねた海辺のハーバーは清々しい。
このたび思ってもみない出会いのお陰で余計柏崎が好きになった。来る1月には天神さまめぐりをするため、是非とも伺わせていただきたい。
(そういえば、私のところでも昭和20年代のある時まで、父が正月に天神様の軸を掛けた淡い記憶があります)
思えば2007年6月10日に樹下美術館が開館してほぼひと月余、中越沖地震に見舞われた。館内で台に立てかけた皿が一枚倒れたものの無傷で済んだ。しかしお客様として開館早々お尋ね頂いた柏崎市のあるコレクターさんが、まともに被災され悲しいお手紙を受け取った。
地震の際、直後から柏崎市医師会長とコンタクトを取り、夜間に同市米山の避難所を巡回したことも今は懐かしい。
いずれにしても民家、社寺の損壊、あまたある石塔石仏の倒壊などは如何ばかりだったか。まだ課題が残るかもしれないが、よくも立ち直ったと、あらためて感心させられる。
追加:当館の開館直後、同市の湿原の展開に合わせ、拙生の植物画の絵はがきをショップで販売させて、と博物館から申し出を受けた。大変恐縮し、お願いすると沢山売って頂いた。
御地の皆様、これからもどうか宜しくお願い致します。
ついつい長くなりました。
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