白鳥と同じ二番穂を食べてみるその5、本日ついに炊いた。

2019年12月23日(月曜日)

当上越市一帯は今のところ雪も無く温暖に経過している。あまりの暖かさに、この先どうなるのだろうという声も少なくない。

さて去る12月10日から始まった「白鳥と同じ二番穂を食べてみる」シリーズ?は本日5回目を迎え、ついに炊いた。

 

白鳥たちが盛んに食べている田んぼの二番穂(刈り取り後の穂)。

 

見れば裏の水田の二番穂はコウベを垂れるほどびっしり実っていた。
その一本を取ってみた。

 

 

始まりとなった一本の稲穂(12月10日)。

 

手でモミガラをむくと22ツブの米が採れた。

その後田のオーナーにお話しして何度か採らせてもらった。
お米にするのにモミすりが最も難題だった。色々試した後、ネット情報から、すり鉢を用い軟式野球のボールで擂る(する)と能率が上がることが分かった。

稲穂を増やした。

 

12月15日

 

12月18日、4回の収穫で26グラムの米が採れた。

ついに本日それを食べることに。

 

少量だが丁寧に研ぐ。

 

研ぎ終わった玄米。色黒、小粒で不揃いながら立派なものだ。

 

ガーゼに包む。この辺りから赤ちゃん誕生の雰囲気。

 

炊飯器の白米の上に乗せる。

 

炊きあがった。

 

ふっくらあがっていい匂い。
計り忘れたが50~60グラムあると思われる。

 

地元の方が釣ったサバのウシオ汁や煮豆などと一緒に食卓に上がった。

 

浜松のチリメンジャコと昆布の佃煮を添えた。

ご飯は穀類独特の香ばしさが漂い、とても甘味があった。品種は「わたぼうし」というもち米だった。

白鳥は三月初め頃から北へ帰る。暖冬ということで雪の心配もそう無さそうだ。
美味しい上に腹持ちが良い。
二番穂とはいえ彼らが夢中になって食べるのがよく分かる。あとふた月余、ここにいる限り思う存分食べてもらいたい。

作り主の大潟ナショナルカントリーの皆様、とても美味しかったです、良い経験でした。

余計な事をしてはいけない山中の出来事。

2019年12月22日(日曜日)

昨年11月末のこと、尾神地域の庚申塔を探すべく出かけ、ナビがあるにも拘わらず雪の山中で道に迷った事を書かせて頂いた。初めての山道で日が暮れてしまい誠に心細い思いをした。

妙なことをしてはいけない、と反省したつもりだったが、本日やはり心細い思いをした。
動機はそう無謀というほどでは無かったと思うが、ある行動できわどいことになった。

昼近く柿崎海岸を歩数計で4000少々歩いた後、高速道路での帰路、車中から雪を頂く妙高山がくっきり見えた。先週は県北の胎内市は村松浜へ出かけ、遠浅の海と風車の列に一種絶景を見た思いをした。
「絶景」。このまま車を1時間少々走らせれば野尻湖へ着き、湖畔の妙高山を見ることが出来る、、、。

野尻湖は昭和20年代中頃から高校時代までのおよそ10年、毎年親と一緒に訪れた場所だ。湖と妙高山は素晴らしい眺めとしていつまでも脳裡にある。そのうえ最近読み始めた中勘助の幼少時代を書いた自伝的小説「銀の匙」は、野尻湖で執筆されたというではないか。そのことで野尻湖との距離が急に縮まっていた。

上信越自動車道から北陸自動車道へ入ると、あの窮屈な対面通行部分が無くなり全四車線に整備されていた。ゆっくり走ってもせかされることなく気持ち良く走行した。
新井の道の駅へと下りになる坂に差し掛かった。そこから正面に見える妙高山は裾野の広がりまで良く見え誠にスケールの大きな眺めだ。だが以前写真を撮るべくSAの駐車場からカメラを向けてみたが、その感じは今一歩だった。高速道路のあの下り坂から俯瞰するような視界はそれだけ特別ではないのだろうか。

そこで新井インターを出て少し戻れば高速道路の坂道に類似するポイントがあるのではないか、と考え一般道へ出た。すると近くにそれらしい場所へ行けそうな交差点があり、左折して高速道路の下をくぐった。先は林道風の狭い山道となり、行けば良いポイントに出れそうな雰囲気もある。

しかし道は意に反してすぐ行き止まりとなり、車を降りた。

そこから先の林道?は川の如く水が流れている。

 

止めた車を振り返る。

 

右向こうに土砂崩れが見え、側溝からあふれた水が道路を流れている。

土砂崩れに出水。カメラを手にしていると人格が変わるのか、構わず先へ行った。

 

流れが終わると舗装も途切れる。
あの先から妙高山を俯瞰できるかもしれない。

 

期待に反してこんな眺め。

 

さらに歩みを進めたが、この程度。

 

諦めずにこのような所を通過して行く。

 

ついに道なき道となり、藪こぎの止む無し。

かまわず進む。

 

このような場所に出たが駄目である。
これ以上行っても森林がさらに深くなる気配があり、引き返すことにした。

引き返すのにまずAからDへ高い土手を降り、大きく曲がる道をカットした。

土手は枯れたススキが折り重なっていて、すべらないよう横向きになり手を着きながら慎重に下りた。
だが途中、上掲Bの所でクズのツルに足を絡ませ、つんのめって二回ほど横転した。幸い怪我せずに済んだものの、生じた問題を知るよしもなかった。

 

土手から下り立った場所。

 

さらに帰路、このような場所があり、妙高が見えるかとテッペンを目指した。
苦労して上まで行ったがヤブのため全く視界が得られなかった。
縦横無尽のクズは誠にたちが悪い。
左下にわずかに高速道路が見える。

さて、ここから本題です。
迂闊にも引き返した車のドアは施錠してなかった。乗ってスイッチボタンを押したものの、エンジンが掛からない。キーは持参しているか車内にあれば掛かる。しかし全く反応してくれない。
慌てて確かめた全てのポケットに鍵は無かった。
あの土手で転んだ時、ジャンバーのポケットから落ちたのか。戻って探そうと思案したが、深い枯れススキの広い土手ではまず見つかるまいと観念した。
諦めて妻に電話を掛けた。
場所を説明してスペアを頼んだ。

時に私は突拍子もないことで妻を困らせる。
「何でまたそんな所へ、、、JAFに頼んだら?、でも時間がかかるし駄目か、、、行ってみるわ」
ということになった。
時間は午後2時前。本来なら野尻湖へ行き妙高山を撮って帰り、夕刻まで美術館の庭仕事が出来るはずだった。

果たして妻はこんな変わった所へすんなり来られるだろうか、鍵には色々なものが付いているし、、、心細い思いで車中、外を見ていた。

だが待てよ、まだ4,50分はある、ただ座って待っているだけでいいのか。
土手へ探しに行こう。

行った道を再び歩き現場に着いた。
恐る恐る土手を見上げ、登ろうとした時、

 

ああ何ということだろう、立っている目の前にあるではないか。
ここまで飛んだのか、ススキの中ではなかったのだ。
鍵に付けた小さなライトが引っかかって助かったらしい。
失敗をカバーしてくれて、何と利口な鍵だろう。

妻に電話すると、高速道路に入る直前だったという。

 

美術館に帰ると先に庭に来ていた妻に加わり、煉瓦で傾斜に段を付ける仕事をした。
そのあとは「妙高市」からの孫とその親たちと食事。

 

美味しい食事中、一件を説明するのに苦労した。
皆は怪訝な顔をして笑った。

ちなみに鍵を助けたあのライトは樹下美術館の名入りで、ささやかなショップの販売品だった。

出来事は「年寄りの冷や水」のほか言いようが無い。
また昨年の11月のことといい、手近な所でも「山」というのは恐ろしいと思った。
あるいは「坂」や「近道」は恐ろしいと言うべきでしょうか。
貴重な日曜日でしたが、名付けようの無い日でした。

カフェ丸テーブルの画帳から、秋の部です。

2019年12月21日(土曜日)

カフェの丸テーブルに小さな画帳が置いてあります。
今年は5月3日および7月24日のノートに掲載させて頂きました。
皆様に沢山絵を描いて頂くようになり、今年途中から色鉛筆やカラーボールペンを増やしました。

すると赤ちゃん、お子様、お姉さん、お兄さん、保護者さん?などなど色々な方たちに沢山描いて頂きました。
絵から皆様の楽しい気持ちがとても良く伝わり、見ているほうも幸せになりました。
夏以後の分を以下に掲載させていただきました。

どうか覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いかがだったでしょうか。
庭の草木が見えるカフェで一心に描く、、、。年令も上手い下手もまったくありませんね。目の前に紙があって用具があると何か描きたくなる。人間って不思議です。

館内4冊のノートのメッセージは数日後に樹下美術館のホームページに掲載させて頂く予定です。

閉館翌日の本日、スタッフたちがチューリップと百合を植えました。
明日日曜日はお天気が持てば私も加わって庭の手入れをするつもりです。

本日2019年の営業を無事終わりました。 

2019年12月20日(金曜日)

本日で樹下美術館は2019年の営業を無事終了しました。
ざっと今年を振り返りますと、常設展は倉石隆の細長い絵および齋藤三郎の辰砂を展示。春~夏に特別展として上越市立小林古径美術館から倉石隆の大型作品の借り受け展示、須川展也・美奈子氏ご夫妻によるサクスフォーン・コンサートそして齋藤三郎・尚明氏の陶齋親子展を行いました。
秋にはじゃんごっこの皆様によるトリビュートコンサートのジャズコンサート、さらに歌を取り上げた「蓄音機でSPレコードを聴く会」を館内で行ました。

また晩秋に上越市内宇喜世で行われたフカミ美術主催による髙田茶会で、有沢宗香先生のご支援のもと薄茶席を担当したことも思い出深い出来事でした。

例年になく忙しい1年でしたが、多くの皆様にご参加頂き無事に済みましたことを深く感謝致しております。
またカフェはお客様の裾野が広がり、いっそう賑やかにして頂き誠に有り難うございました。

明日から冬期の休館をさせて頂き、2020年度は3月15日から開館致します。

休館はさびしいというお話を沢山頂戴しています。本当に申し訳ありません。どうかしばらくお待ち下さい。新たな気持ちで春からの営館に備えたいと思っています。

 

本日お客様から頂いたクリスマスカード。
テディベアを首に巻いて飛ぶ白鳥とはとても素敵です。
ヒイラギの葉と実はご自宅の木からということ、生き生きしたカードを有り難うございました。

 


YouTubeから1973年発表のカーペンターズ「イエスタデイ・ワンス・モア」
〝昔、ラジオで聞いたお気に入りの歌が古い友達のように思い出され、昨日のことのように蘇る〟という風な歌だと思います。

来年春の開館では〝古い友達〟のように皆様をお迎えしたいと思います。
なおブログ「樹下のひととき」は引き続き書くつもりでので、どうか覗いてみて下さい。

〝2019年の樹下美術館は皆様にとてもお世話になりました〟

時間の姿 白鳥と同じ二番穂を食べてみるその4 今夕の食卓。

2019年12月18日(水曜日)

年は押し詰まり、年賀状の仕度がはじまった。

拙詩)
1日を噛みしめる暇もなく時は背中を押し日は滑る
重力などと同じ、絶対にあらがえない王者時間
彼は私をどうしようとしているのだろう
見ればカレンダーに潜みぽつんと壁にぶらさがっているだけだ

さてそんな日頃、昨日は裏の田から二番穂をさらにとってモミ擂りを行った。ゴムボール様々だが、擂ったモミを少量ずつ新聞紙に乗せ、息を吹きかけて殻を飛ばすのだがこれが難しい。
一回できれいに擂れるとは限らず、量が多くなったせいか二度三度とすり直しが必要だった。

 

4回の試みでトータル26グラム採れた。左は昨日のモミガラ。

20数つぶから始まり4グラム11グラムを経てようやく口に入る量になった。
この間、モミ擂りの大変さが分かり、過日100歳になった老人に昔はどうでしたかと、お尋ねした。
すると一時は粘土と杉の皮を使いました、と仰ったものの具体的な手順は分からなかった。
主流は臼引きであろうが時代によっては種類があるようだ。出来れば近隣の民俗資料館で実物にお目に掛かりたい。
いずれにしても、農業の技術進歩にはあらためて感心させられる。売られている米は白一色で、モミガラの一片も割れ欠けもなく一粒一粒が見事に揃っている。
しかも大量に扱う行程は自動化されているのだから、その分莫大な経費が掛かろう。私の行為は愚かしくも痛々しいが、あまりに洗練された現代の農業にも反対の意味で一種痛々しさを覚える。

 

さて以下は時代を越えた今夕の食卓です。

 

先日頂いた柚子が今夕大根と里芋の味噌田楽に沢山乗って出て美味しく食べた。

 

今夕家のハリハリ漬けは、景気が良いのかカズノコの量が増えていた。
スルメ、ハリハリ、カズノコのほか色付けにニンジンが、隠し味に千切り生姜が入っているらしい。
とにかくこの食べ物はよく噛む必要があり、挑戦的だ。

 

白鳥が食べている二番穂ははたしてどんな味だろう。
妻は笑っているが一両日には協力してもらって食べるつもり。

超高齢者、福祉医療の隙間 日曜日の胎内市は中条の海岸。

2019年12月17日(火曜日)

先週末はお二人の看取りがあり、昼夜4回の往診をした。
かっての週末二日間に10回近く往診が必要だった日もあった頃に比べれば、楽になったと感じられる。

そのような中、事情によりやや長期のショートステイを利用中の方などで容態が悪化した場合、ご本人の境遇から施設、在宅とも行き詰まりを生じる場合がある。
ならば病院であるが、超高齢者をすんなり受け入れるのに地域の病院事情が十分な余裕を有しているとは限らない。このような場合往々にして関係者は、「なんとかして」と一斉にこちらを見る。だが考えるに事情は医療の範疇を越え、本来なら福祉職による諸機関の調整案件ではないか、と一人思案にくれる。
近時福祉分野の各職は高いモチベーションを有しているが、病院に対してもう一歩踏み込んでは、といまだに思うことがある。
本日たまたまこのような課題が予想される事例が生じた。是非とも関係ケアマネ、地域包括、病院連携室またワーカーが連携調整し、シュミレーションをして突破してほしいと思った。勿論相談に参加するし先が決まればしっかり紹介状をお書きするつもりです。

さてその先週末の日曜は午後をすぎて体が空いた。それで車を駆って胎内市は中条の村松浜に出かけた。
そこの海岸は当地近隣と異なり、さらさらと白い砂が広がる遠浅の海である。2009年5月にたまたま訪れ、白砂と見事な風車の列が気に入り、その年の秋にも出かけた。
最近コマーシャルだろうか時折テレビで流れ、冬如何ならむと思いたち、空を気にしながらで出かけた次第。

以下のように短時間でしたが海岸を往き来して写真を撮りました。

 

 

 

 

風が強く寒い日でした。
季節風によって漂着物が沢山ありましたが、夕暮れに紛れて少し写り込みを回避できました。
春になったら是非ともまた訪ねたいと思いました。

 

ところで昨日美術館に寄るとお客様が、私たちも新潟市でワイエス展を観てきました。館長の写真はワイエスの絵に似ていますね、と仰った。途方も無いトレーニングを積み、研ぎ澄まされた独特の感性を有し、時間を掛けて克明に描く芸術家に比べられるべくもありませんので、かなり面はゆい思いをしました。

140キロほどあるのでしょうか、日曜日午後の中条は少々遠かったです。短い陽を気にしながら早々に帰ってきました。

白鳥と同じ二番穂を食べてみるその3。

2019年12月15日(日曜日)

12月10日から始めて、美術館裏の水田の切り株跡から出ている稲穂(二番穂)を食べるこころみの記事が三回目となった。
実は昨日、軟式野球のゴムボールと小さめのすり鉢が手に入り、懸案のモミすりを行ってみた。
これがスムースに行けば、ある意味原料は沢山あるので米の収量は上がることが期待出来る、

 

昨日の稲穂のうち実が入っていなかったもおの。
まっすぐツンと立ち中は空。

 

米が入っている稲穂は一様にこうべを垂れる。

稲穂からモミを取るのは簡単で、一本一本爪でしごくように引けば、ばらばらと取れる。

 

準備が出来たモミ。

 

 

いざゴムボールとすり鉢を使ってモミを擂る。
これには若干の要領があった。写真のモミは一回分の量が多すぎでした。

一度に沢山モミをすり鉢にとると、時間が掛かるうえ、擂った米がつぶれたり、粉になったりする。いわゆるひとつまみ程度で行うとかなりきれいに取れる。

 

昨日は前回より何倍もの玄米が取れた。

さて、お天気が良ければ再度田んぼから穂を頂戴し、もう少し収量を増やしたい。
一つ問題があるとすれば、これはどんな種類の米か、ということである。飼料米?と聞いたことがあるため確かめなければならない。
こうなってはどんな米でも構わないから白鳥たちを真似て二番穂を食べずには終わらない。雑穀に等しいものでも、まずは炊いたものをそのまま食べてみたい。
工夫するならば、オリーブオイルに漬けてから炊いてみるとか、あるいは炊いたものをチャーハンにするなどして試したい。いずれにしてももう一息の増量と妻の協力が不可欠。

柚子、陶齋の歳寒三友。

2019年12月14日(土曜日)

荒れたり晴れたりをめまぐるしく繰り返す日。暦は12月も半ばにかかり一気に慌ただしくなりました。
そんな日頃に近隣の庭先で黄色や橙(だいだい)の柑橘類の実を見ると心温まります。

過日は柚子を沢山頂き、スタッフと分け合いました。これから茶碗蒸しや熱いお蕎麦にお雑煮などがとても楽しみです。

ところで樹下美術館展示の作家齋藤三郎は柚子を描いていて、美術館にも何点かあります。

 

 

百合や椿などを描いた染め付けの絵変わり皿セット。向かって左下に柚子皿。
和食器は一般的に5客1セットですが、陶齋は6客で設えました。
1客欠けても揃うようにという配慮だと聞いたことがあります。

 

染め付けの青がとても爽やか。

 

こちらは色絵の一枚。師の富本憲吉から受け継いだデザイン。
磁器の白さ、カゴの赤と黄色の実の対比が美しい。

 

この柚子皿は上越市髙田における初期の作品の一つ。
もりもりとしたボリュームが柚子らしい。

上掲の柚子皿には「歳寒酸友」と讃が記されています。この言葉は中国宋代の「歳寒三友」を陶齋らしいユーモアでもじったものです。
歳寒三友とは、古来中国で尊ばれた三つの画題「松」「竹」「梅」のこと。
歳寒は寒さ厳しい時節を指し、そのような折に緑の生命を維持する松、しなやかな竹、香り高い梅の三つが画題として尊ばれていたといいます。またそれらは、高雅風流を愛する文人が冬に友とすべきもの、として親しまれたということです。

当絵皿は、齋藤三郎が髙田に来て未だ日が浅い昭和20年代の作品です。当時の髙田で彫刻家の戸張幸夫及び写真家の濱谷浩と陶齋の三人は「三貧(さんぴん)倶楽部」と称して集まり、安いお酒を酌み交わしては四方山を話したといいます。
皿に書かれた醋友は、酸っぱい友「柚子」であり、一方で貧しかった三人の仲間のことではなかったか、と想像しているところです。
万葉集もそうですが、中国の古事への造詣など、陶齋世代の教養がしのばれまた感心させられます。

話変わって美術館裏の田に生える二番穂を食べる試みは進み、昨日新しい野球ボールがネットで手には入りましたので試してみました。このことも追ってご報告しなければと考えています。

今日の田の蜘蛛の糸 白鳥と同じ二番穂を食べてみるその2。

2019年12月11日(水曜日)

昨日までこの時期に珍しい晴天が2日続いた。さすがに本日午後には薄曇りとなり次第に雲が広がった。

さて昨日は田に広がる蜘蛛の糸と、現在白鳥たちが盛んに食べている刈り取り後の二番穂を食べてみる試みについて書きました。

蜘蛛の糸は、昨日見られた樹下美術館裏のものは随分減り、わずかしか見られませんでした。本日ほかの田で以下のような眺めが見られました。

 

広い田んぼ一面に糸が張られている。晴れていれば綺麗に光って見えるはずです。
このような光景は全ての田ではなく、一部に見られることが多いようです。

 

さて二番穂を食べてみる試みの続きです。
もう少し稲穂を増やすべく、田の作主である大潟ナショナルカントリーさんへ一言挨拶に行った。今年の二番穂が良くついているのは夏~秋の高温のせいではないでしょうか、とお聞きした。
いくらでもどんどん採って下さい、ということだった。
ほんのちょっぴりで十分なのだが、田んぼというと神聖な場所のイメージがあるので農家さんにお寄りした次第。

 

本日の稲穂。

 

しごいて脱穀?したモミ。

但し手仕事でモミガラを取り除くのはまことに能率が悪く根気が要る。爪を立てて殻を剥こうとしてもらちがあかない。

そこでモミ(白矢印)にカッターで縦に切れ目(細い白線)を入れた。

右手の親指の爪を使って切れ目を裂いてモミガラを取る。

 

トゲ抜きや毛抜き用いてみたが上手く行かず、ついにカッターが滑って負傷。

本日採れた玄米。昨日のと合わせて4グラムあった。

稲作の歴史に於いて指を用いてモミ殻を取るなどはあろうはずが無い。だが刈り取り以後の乾燥、脱穀、精米などの過程の中でモミすりは特に神経も手間も掛かった仕事だったのでは、とつつくづく思った。

強い加力ではモミは潰れる。長年石、土、木などの臼をさまざまに工夫をして引いたと出ている。数人で行う場合には作業を揃えるための「臼曳き歌」があったとも書かれていた。

 

Wikipediaから大正時代のモミすりの様子。
親たちの幼少、農家では日常の風景だったのか。

モミは揉むから来た名付けでは、と考え、手のひらに取って両手で揉んでみたが全く駄目だった。
(もしかしたら幾つかの小石とともに揉むと出来るのかもしれない)。

調べてみると家庭学習の方法としてすり鉢に入れ、軟式野球のゴムボールで引く方法が載っていた。
農業用の自動電気モミ擂り機の原理は、モミを注いだ二つのゴムローラーを異なる回転数で回し、殻を除く方法が取られているという。
今や更に進化しているらしいモミすり機だが、すり鉢とゴムボールは朗報だった。

斯く話はローテクそのものの流れなっている。
せっかくだから白鳥と同じ食べ物を、数十グラムくらいは食べてみたいだけのことなのだが。

小春日和の田 田一面に光る蜘蛛の糸 白鳥と同じ二番穂を食べてみるその1。

2019年12月10日(火曜日)

昨日に続いてよく晴れた本日。
昼に美術館の南手に続く田んぼへ出てみた。
出て少し右手の田を見ると一面に白く光っているのが見えた。まだ納得出来る呼び名が無い、例のあの現象である。

 

 

ここでは田の三分の二ほどが光っていた。

光っているのは無数の細い蜘蛛の糸であることが見て取れる。

 

多角形に編んであるのではなくみな同じ方向に積もるように並んでいる。
わずかな風に揺られてふわふわと小さく波を打つ。

蜘蛛の糸に間違いないと思うが虫自身は見えない。

2014年以後、晩秋から初冬の好天の日の同じ光景を4回、このノートに記載したことがあった

 

蜘蛛の糸に浮かんでいるような白鳥たち(2014年)。

当節の蜘蛛の糸に関して、雪迎え、雪送り、糸遊(いとゆう又ゆうし)、流れ糸、英語でバルーニング、gossmer(ゴッサマー)など、ウェブサイトに記載が見られる。
これらはには、この時節の良い天気の日、蜘蛛が尻を空に向けて糸を吹き出し、風に乗せると自らもその糸に付いて遠くへ旅立つ現象、ないし空中を浮遊する蜘蛛の糸、を呼ぶと記載されている。
但しgoo辞書のgossamerには草むらにかかったり空中に浮遊している)細いクモの糸、の記載があった。田んぼに掛かる雲の糸は英語はゴッサマーでよいのかもしれません。(※問題は日本語ですね)

私が見た冒頭の現象はちょっと目に分かりにくくても、出来れば逆光の位置で少し腰をかがめればかなり明瞭に見える。
過去、記載したものはいずれも同じような小春日和に見られた。一度だけ細い糸が空に飛び立ち、最後の方に小さな虫体が付いていたのを見た事があり、それがいわゆる〝雪迎え〟〝雪送り〟だったのでしょうか。
実は田だけでなく、ゴッサマーで言うように好天の日の芝生や枯れ草に、無数の蜘蛛の糸が揺れているの目にすることがある。

空中を飛ぶ蜘蛛の糸はまれにこれかな?というものに出合う。しかるに田んぼ一面の蜘蛛の糸とはなんであろうか。
空想するに、当節の穏やかな温かい日蜘蛛は糸を放つが、場所や時間により風が弱く、遠くへ飛ばなかった糸がこのように田に付いたままになるのではないだろうか、という考えである。また田んぼや芝生などには特有の小さな蜘蛛がいるのではないか、とも思っているが、如何であろう。

だがかように時節を決めて出現する明瞭な現象にも拘わらず、あまり一般に取り上げられないのを不思議に思っている。
以前何人かの農家の人に尋ねたことがあったが、そういうのは知らない、と仰った。
あるいは時節に敏感な俳人が詠んだり、季語として名付けていないのも不思議と言えば不思議なことだと思っている。

 

話変わって本日田に近寄ると稲の切り株から二番穂が盛んに出ている。
気のせいか今年は例年よりも沢山実っているように感じられた。

 

切り株が15から20㎝の高さ。その中から穂が出て先端が実っている。

 

穂の部分。
今まで二番穂はちょろっとしているだけであまり実が入っていないのではないかと思っていた。
ところが今年はしっかり膨らみ頭を垂れているものもよく目にする。

そこで一本、作主のナショカン(ナショナルカントリー)さんに失敬して取らせてもらった。

 持参した本に乗せた穂。

手に取るとかなりしっかり実が入っている感触。

その穂をしごいて〝脱穀〟

 

爪を使ってかろうじて米を取り出した。右はモミガラと実が無かったモミ。

脱穀、籾すりをして採れたのは20数粒の玄米。明日もお天気らしいのでナショカンさんにお断りしてこの二三倍を採り、ガーゼに包んだものを炊飯器に入れ、一緒に炊いてもらおう。

今年は例年以上に白鳥の数が多く感じられる。雪が降らないせいもあって鳥たちは一心不乱に二番穂を食べている。彼女らはモミのままで一向に困らないらしい。

その白鳥と同じ物を食べてみる。どこか幸せな予感。

 

追加です:田んぼで見てきた蜘蛛の糸。本日gossamerという英語に出合った。最後の頼みは例によってYouTube。
gossamerで試すとテントに同名の商品があるらしく、テントばかりが出る。
gossamer on fieldで探すと幾つかの動画がありました。

 


この動画は部分的ですが、本日見た田んぼの様子に似ています。

YouTubeは本当にさすがです。
一方国内のサイトは蜘蛛のバルーニングで調べますと少しずつ分かってきました。後日再度書いてみます。

樹下美術館、朝な夕なの庭。

2019年12月8日(日曜日)

一種適当に維持している樹下美術館の庭は何風と問われても名付けようがない。目立つ石を置いたり松を剪定するのでは無く、作意無く出来れば自然な感じで清々して見えれば良いと考えている。
しかし自然な感じで清々というのは案外難しく、放っておけば直ちに枯葉累々、草ボウボウ、花はうなだれ、一目で手抜きがばれて皆様にはご不快の種となるはずである。

本当は毎日でも自ら手入れをしたいところだが、そこまで時間がなく、いい庭ですね、と言われても、この程度で済みません、と心の中で謝っている。

今年の営館も間もなく終わる。
今いち、と思いながら私なりに愛している庭。
作品、スタッフとともに庭にもご苦労さまでした、とねぎらいたい。

 

一昨日の芝生に散っていたモミジ。

 

冬木立と冬雲。

 

本日夕刻見上げると厚い雲が途切れ、月が昇っていた。

 

茜が南方に移動してもうすぐ冬至が来る。

今年から終了を少し早め、来る12月20日で冬休みになります。
間もなくですが、それまでどうか宜しくお願い致します。

集団の白鳥 夕刻の渋柿浜は大潟漁港。

2019年12月7日(土曜日)

本日土曜日、午後から車を走らせ近隣を巡った。

 

 

上掲の二葉の写真は本日柿崎区のコハクチョウ。
賑やかに見える群に何か意味があるのだろうか。

美術館に寄って遅い昼食。妻の友人が来館されていて過日の茶会の慰労をして頂いた。

夕刻は雲の様子が良いので大潟魚港へ足が向いた。

 

左手に突堤が見える。

釣り人がそこから帰って来たので、替わって先へと歩いてみた。

 

突堤の先端に小さな標識灯があった。
濡れている所は滑るので慎重に歩かなければならない。

 

 

 

突堤から西方の眺め。空が赤く染まり雪の妙高連山が浮かんでいた。

幾分寒さが和らいだ本日日中。
昨日髙田や妙高市はわずかな積雪があり初雪になった模様。大潟区、美術館の辺りの頸城区は痕跡程度だった。
明日は雨がちで空はぐずぐずするらしい。明けて月火にお天気マークが付いている。

マカロンとブルーキャリコのカップ&ソーサー。

2019年12月6日(金曜日)

昨日のこと、最近求めたカップ&ソーサーにコーヒーを入れ頂いたマカロンを食べた。お菓子には流行があるようだが、マカロンは甘さ軽さ食感など申し分なく地位を確かにしている。

カップ&ソーサーはバーレイ社のブルーキャリコというシリーズで、過日の城下町髙田茶会の席で同社のボウルをお茶碗に見立てて用いた。

 

手前がブルーキャリコと称するシリーズのカップ&ソーサー
シリーズにはティーポットからキッチン手袋などまで色々あるようだ。

バーレイ社キャリコシリーズのバックスタンプ。

 

髙田茶会の薄茶席で使ったシュガー・ボウル。
抹茶茶碗のほぼ平均サイズはあり、お出ししてみたところ概ね好評の感触だった。

ジャポニズムの風合いの二つの器を来年から樹下美術館でお出しする予定です。
キャリコにはレッドキャリコとして赤のシリーズもあるようです。

荒れ模様の夜に〝It’s Magic〟を聴いてみた。

2019年12月5日(木曜日)

連日荒天のうえ寒く、ほぼ終日雨が降る。
雨は時に激しく時にアラレを交えて容赦ない。幸い雪にはならず初雪はもう少し先らしい。

fyuーfyu-、フューフュー、冬冬という窓外の風音を聴きながら昔懐かしい曲を聴いてみた。ある人の言説によればその人の音楽の嗜好は、およそ30代ころまで聴いたジャンルになる、という話があった。
当時の私はもっぱら軽い音楽あるいはジャズをよく聴いたので、先の言説は当たっているように思う。

以下は今でもよく耳を傾けるYouTubeの〝It’s Magic〟です。
この曲は学生時代のラジオからよく流れ、歌のほかピアノでも好んで演奏された。特に以下掲載の三番目、スタンリー・ブラックの曲は、夜遅くラジオで流れた番組の出だしテーマだったと思う。

 


ドリス・デイの歌。あなたのささやきはヴァイオリンのよう、という歌詞で始まる。
長生きを全うされ今年5月になくなった人。1956年の大ヒット曲「ケ・セラ・セラ」を東京の高校へ行った姉が休みに覚えて帰り、しつこく迫って教えて貰った。

 


当時なら、奏者は〝ご存じカーメン・キャバレロ〟と紹介されるであろうピアニスト。彼はエディー・デューチン40年の生涯を描いた映画「愛情物語」で全編を弾いた。

 


スタンリー・ブラックの〝It’s Magic〟空から聞こえるうように感じていたピアノの音。
枕元のラジオで流れる最初の弦で眠気に誘われる。振り返れば、こどものような時代として思い出される時間(今でもさほど変わりがないかもしれません)。

 


この〝It’s  Magic〟はコード(和声)が大人で、さすがジャスの名手トミー・フラナガンです。
二番目のカーメン・キャバレロもそうですが、音源がモノラルなのでピアノは転がる粒のような響きとして聞こえる。モノラルのピアノの音は今でも好きです。
※〝It’s Magic〟が終わるとそのままソニー・リードのアルトサックスで〝My One And Only Love〟が始まります。長いのでどうぞお止めになって構いません。
※このレコードを持っていたはずですが、忘れ物が多い私はいつしか何処かへやってしまいました。

風が止んできましたのでスタンリー・ブラックのを聴いてから寝ることにします。

荒れる冬空 イソヒヨドリ ブリと大根の煮付け。

2019年12月4日(水曜日)

荒れた天気はしばらく続く模様。
すでに暗い空を見てもさほど沈鬱にはならない。

 

田に冬雲がうず巻き

 

かかり始めた虹は間もなく消えてしまった

 

だが荒れる浜に一羽のイソヒヨドリ

 

そんな日の夕ご飯に小さめのブリのアラと大根の煮付けが出て
それを時間をかけて突っついた。

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