無念の休館中 直江津の五智公園を歩いた。
3月15日予定の開館日から間もなく一ヶ月が過ぎようとしている。広がる新興感染症をみるにつけ、残念だったが休みにして良かったと思っている。
詳細を把握している訳ではないが、首都をはじめ国内の美術館、博物館の少なからず数は休館になっている。
延期後の再開を4月中とした所はまず無理ではないだろうか。8月31日までを設定している所があり、この方が無難なのかと思案する。
公立や大企業と異なり、樹下美術館は三ちゃん経営も及ばぬ弱小で基盤は弱い。開館していたなら、ニュースに一喜一憂し、心安まる暇はなかったにちがいないと振り返っている。
それにしても齋藤三郎、倉石隆とも今年の展示は面白く仕上がっていたはずと自負していた。無雪のおかげで庭はいつもより念入りに仕上がり、カフェはシェリーとマイセンセンを買い足し、妻は新たなメニューを考案して備えた。さらに新機軸の月1回の呈茶の準備は張り合いだった。
現在、暖かな日などは皆様のお顔を思い浮かべながら無念を噛みしめている。
昨11日(土)および本日日曜の週末は五智公園と頸城区の大池憩いの森公園を歩いた。上越市の現状なら健康のため外気と適度な運動は意義あろうと考えている次第。
以下昨日午後の五智公園散策から写真を掲載いたしました。
展望台へ向かう道での写真です。
オヤマボクチの枯れ花。
秋は女王様のように咲いているが、春の姿は過剰なほど悲劇的。
野山は下草、低木から緑が始まる。
大きな木立はまず彼らに日光を与えてから新緑を展開するつもり?
広大な公園は路傍の手入れが行き届き、陽を浴びた草花が情緒良く咲いている。
美術館へ帰ると餌台にスズメが沢山きている。
今冬は極めて温暖だった。
それで鳥たちは例年より数を減らさずに済んだのではないだろうか。
大池憩いの森の分は明日掲載させてください。
夕刻のほくほく線。
すっかり日が長くなった。
大潟区蜘蛛が池の先、頸城区の農道からほくほく線の高架が良く見える。くびき駅発上り下り18:16の列車があり、本日仕事を終えて出向くとちょうど間に合った。
かってここで特急「はくたか」を随分撮った。重厚な金属音とともに、のどかな田園の夕暮れを切り裂くように通過した列車は常に新鮮で魅了された。
はくたか去った後、何度か金澤でサンダーバードになった同型の列車に乗った。
しかしここを走っていた時の方がずっと格好良かった。
現在は普通列車だけになったが、ゆっくり走るので撮りやすく、夕焼け雲などが良ければ旅情めいたものが浮ぶので悪くない。
腕のせいもあるが、本日はいまいちだった。
この先時間と夕焼けの具合が合う良い日を楽しみにしたい。
頸城野の道。
薄曇りの午後休診日、
車を駆って頸城区は茶臼山公園の東を通過する林道を走ったり歩いたりした。新型コロナウイルスに巻き込まれているうちに、野は芽吹き新緑の装いを始めていた。
美術館からほど近いこの道は、さして高くもないが山道の風情があり、舗装もされている。花を、よしんば鳥にも出遭いたいと思って出掛けた。
小さな谷あいのユキツバキ。
五枚の花びらに楽しい変化があり、茶席でも喜ばれる。
遠慮しないでばっと開くのも良い。
初めて見たきれいな色の小さなスミレ。
名が分からなかったが、初対面なので訊くわけにもいかない。
み
道はおよそこのような感じ。
途中で来客の知らせがあり、引き返した。
客人はとても趣味の良い人で樹下美術館の常連さん。コロナの四方山に茶道具や棟方志功、あるいは作品の真贋のことなどを話して清々しく過ごした。
いつもより互いに離れて座るのは、それとはなしにコロナを意識しているせいであろう。
客人を見送って、新堀川の桜を見た。
(フラッシュを焚いています)
林道の帰りがけ期待したエナガの小さな群が枝から枝へ飛んだ。素早さに追いつけずうまく撮れなかった。
訪ね来る人影もなし樹下の庭 花や小鳥、そして歌 全てはPCR次第。
本日水曜日の暖かな日は午後から施設の回診。帰路、樹下美術館へ寄った。妻が手入れをしていた庭を見てまわった。
精一杯咲いてみせてたソメイヨシノ。
屋根に雀のつがい。矢印に毎年使用される巣がある。
今年はこのつがいが確保したらしい。
ルルリリ、ルルリリと松田聖子の歌のように鳴くカワラヒワ。
ただし顔はこわもて。
訪ね来る人影もなし樹下の庭 相手になりたや花や小鳥の
トゥルリラ、トゥルリラの松田聖子さん。
maj7thコードの詩情が多用される聖子さんの歌。この曲でも効いていました。
本日国内で、あらたに新型コロナウイルスの感染確認が503人となり、はじめて500人を超えたという。最も多かった4月4日の365人から一気に飛躍している。偶然ではないとすると一挙拡大の懸念がある。
一方、この急拡大は、突然PCR検査を拡げた結果の可能性が考えられ、ようやく実態に近づいたのかもしれない。新型コロナウイルス対策で何かと出遅れが指摘されたが、PCRの遅れがすべの始まりである。感染症対策のイロハの「イ」に目をつむり、後ろを向いて「医療崩壊を招く」とまで雑言を浴びせられた基本検査PCR。診断の手がかりを失った暗闇ではまともな疫学も診療も成立しない。事態は医療を離れ、陳腐なカオスと化した。
初めにクルーズ船でなけなしのキットを使い果たしに近い状態にしたのも痛かった。
首相は直近の会見でPCR拡充のテコ入れを表明した(今度こそ本気と期待したい)。まだ遅くは無い。精度の高い事実に基づくなら、如何なる悪材料が出ても有意である。合理的な分析・検討に沿うなら対応が可能である。またその発表にも自信が持て、結果としてパニックの総体は逓減し、真摯な国民は要請に応えるだろう。
緊急事態宣言の真の勝負はPCRから始まる。金と手間は掛かるが総力を挙げて取り組み、遅れを取り戻してもらいたい。
キットが余れば窮している国々を支援すればいい。
得意の経済面はそれこそ存分に実力を発揮してもらいたい。
当地初の感染が確認された。
間もなく緊急事態宣言に向かう東京。
そんな本日、上越市で東京から帰省された男性が、当地一例目の感染となったことが公にされた。公共交通を避け、自宅外へ泊まるなど配慮されてた模様であり、気の毒である。
話題は一気に地域に広まり、あたりにこれまでと違った緊張が漂うようになった。
本日、ほかに県内阿賀野市でも帰省中の女性に感染が確認されたほか、四月に入り帰省者の感染が見られている。偶然かもしれないが、みな東京からで、そちらが如何に凄い状況になっているか、一端を垣間見る思いがして恐ろしい。
東京の宣言および当市での感染確認は、いずれも今年の美術館開館可否の目安だった。こうしてみるとやはり延期をして良かった、とほっとする。
当地は既に新潟市などのクラスターをみているので、見聞が役立つことを念願している。
緊急事態宣言は出るけれど PCRへの思い。
ついにと申しますか、政府は明日主要な感染都道府県に対して緊急事態宣言を発する予定と表明しました。
4月3日のノートに〝間もなく発表〟と記しました通りで、本日の成り行きには特別な感想はありませんでした。
ただ今後往来が多い東京都の人達がこちらへ移動やある種避難的にやってくることが考えられます。本日の外来で、東京に住んでいる娘さんに帰ってくるな、と電話しましたというお父さんがいました。何とも可哀想で複雑な気持ちになりました。
すでに新型コロナウイルスは、規模、強さ、波動、影響、生成と収束などで複雑系分野の様相、一種カオス的になりました。
だが手探りの中で、克服に向け世界が有している唯一の科学と医学の根拠が「PCR検査」です。
〝一定の乖離がある〟〝テクニックエラーが混じる〟と述べて過小評価しようとする人がいましたが、悲しいことでした。〝検査拡大は医療崩壊に結び付く〟とまで述べた人もいました。
全く反対です、混乱した医療状況で、粘り強く道すじを作れるのが医師の判断と検査およびデータの積み上げです。検査で陰性、しかし状態に疑いがあれば機を見て再検査へと進めばいいのです。前出の諸発言の真意が分からず残念でした。
一定の乖離や一定のエラー。それを伴うのも科学であり、その事を認めた上で間断なく克服行為を続けたのも科学。それらによって今日の信頼と価値に結び付いたのではないでしょうか。
思えば日本はSARS、MERSともにコロナ未経験(とされている?)でしたので、この度はかって経験した国々に比べ、恐らく知見、検査とも出遅れを否めなかった事でしょう。
自前の検査開発を託された感染研は突然の事態を前に、必死だったと想像されます。政府は〝感染拡大に結びつく〟とか〝ゆるやかに感染コントロールを〟などと述べて、出遅れを修飾するのにまた懸命に見えました。
あまつさえ洗練されたロシュ社のキット増援は、感染が世界に拡大したため日本への補充が十分に効いていないことが想像されました。
緊急事態宣言による私たちの行動規範は大切ですが、国民はおしなべて真面目です。
どちらかと言えば、宣言を出す国側こそ、この機にPCRの検査拡充に邁進することを願ってやみません。
合理的な診断、治療、予防の拠り所として、科学(検査)を大切にする基本姿勢の徹底を望みたいのです。
そのために国器(造語:国の器)を大きくし、周辺諸国とさらなる疎通構築も願っています。
外見や立ち位置を気にするのはおしゃれなことですが、今は少しこらえてほしいと思うのです。
当分、樹下美術館は休館いたします。
昨日、東京都における1日の新型コロナウイルス感染者が100人を越えたと報道されました。
延期させて頂いていた樹下美術館の4 月6日開館の可否判断の一つに「東京都の緊急事態宣言」を挙げていました。
きわめて個人的な見解ですが、東京はじめ国の事情は緊急事態に準ずるものであろうと考えるに至り、
まことに残念ですが、来る6日の開館を当面延期することに致しました。
ささやかながら美術施設を営む者が、自ら門戸を閉ざすことには誠に忍びがたいものがあります。
一方決定について逡巡し、遅らせましたことを大変申し分けなく存じます。
お客さまおよびスタッフ、さらに地域の皆様の健康を最も優先すべきものとしての対応でした。
これまでお世話になった皆様のお顔を思い浮かべながら、いっそう充実した再開に備えたいと考えています。
望むらくはいずれ開館のとき、ともに元気にお会い出来ますこと、ただ一点です。
どうか宜しくお願い致します。
〝ご一緒に頑張りましょう〟
ほぼ展示準備を終えた 近隣の自然 特攻準備? 間もなく発表?
昨日は午後休診の木曜日で、齋藤三郎の陶芸作品を展示準備した。
「陶齋の梅と椿」がきれいに並び、室内は一見春でいっぱいになった。
手前味噌とはいえ、絵画ホールの22冊の本といい、館内にはある種迫力が漂っている。
一通り終えると、貴重な晴れ間、近隣の林へ鳥を探しに行った。
細い波状雲が空を埋めている。
爽やかな眺めだが前線の前触れと言われている。
雑木林の流れ。
小さな流れながら気に入っている。自然に見えるが手入れされていた。
天ケ池。
今冬の小雪にもかかわらず水は満々とある。
上越市大潟区は大小多くの湖沼がある。
天ケ池と蜘蛛ケ池は道と畑を挟んで隣り合っている。
天ケ池湖畔の砂利道を歩いていると初めて見る鳥に出合った。
上掲2枚は初めて見た鳥。調べるとミヤマホオジロだった。
頭部を中心に黄色と黒の色分けはとてもおしゃれだ。
飛び立った野鳥は追わずに待っていると戻ってくることがある。雀より素早く飛んだので待っているとやって来た。砂利道で餌を探すのをなんとか撮らせてもらった。
長生きは良いこと、という考えをコロナウイルスが曇らせる。
初めての鳥をレンズで追いながら、ああやはり良いことだと思い直した。
結局コロナを試練と考えることにしようと思った。
それにしても東京はじめ大都市の状況には何とも言えない危さを感じる。
このところ休みであっても1日に何度も手を洗い、何度も洗顔し、何度も歯磨きをする。
上越市で公式な感染者の発表はまだないが、私の外来でさえ緊張させられる方が混じる。
すでに何人かの方には翌日電話をして状態を確認した。
いわんや現在当地の病院にかかる見えざるストレスは並々ならぬものがあろう。
この先、実際に始まった場合、持ちこたえられるだろうか。
かって戦争で若い人が特攻に行った。
このたびのコロナでは、特攻として老医が前線に向かう場面を想定した方が良いかも知れない。
ぐずぐすのニューヨーク、たった2枚のマスクの日本、踏ん切りつかない東京、、、。
例によって精神論まで語られはじめた。
そもそも世界にはいわれるほどの体力は無かったのではという疑念がよぎる。
緊急事態宣言はすでに実施の具体的詳細を機密下に検討している最中と想像している。中央の検討のあと対象知事とのすりあわせが待っている。まもなく発表ではないだろうか。
これが試練で済むことを祈りたい。
日本に悪化はあるが、体型の要因などからアメリカのようにひどくはならないような気がする。
一つだけ危惧があるならば働き過ぎによる疲労であろう。
美術館コロナの春の薄化粧。
新型コロナウイルスに備えて、3月15日の開館を延長しました樹下美術館。
午後のみの開館、席数半減、滞在時間制限、メニュー制限、図書貸し出し中止、などを掲げての出発です。
小学校の始業が行われること、上越地域の感染が無い事などを条件に、4月6日に今年の開館をすることに致しました。
●文化庁のホームページには「文化芸術に関わる全ての皆様へ」という、,3月27日付け長官のメッセージがあります。
以下に最後の部分を引用しました。
〝この困難な時こそ、日本が活力を取り戻すために、文化芸術が必要だと信じています。
明けない夜はありません!今こそ私たちの文化の力を信じ、共に前に進みましょう。
宮田亮平〟●またドイツ政府は「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」と述べ文化芸術面に大規模支援を表明しています。
不安のなか、このようなメッセージには勇気づけられます。
本日スタッフが館内外の清掃を済ませ、一緒に展示準備をしました。
以下におおむね完了した倉石隆の絵画コーナーの様子を掲載します。
中央に5点の細長い油絵を架け、
手前に倉石氏が挿絵や表紙を描いた本19冊を展示しました。
16席から7席減らして9席にしたカフェ。
陶芸室のテーブル席も8席→4席としました。
何度もお伝えしましたクリスマスローズが真っ盛りになりました。
美術館コロナの春の薄化粧
色々考えてみましたが、相手は賢くて姿も見えない強力な魔術師。
混み合うことが少ない当館がいっそう閑散であれば、と妙なことを願っています。
残り少なくなった貴重な春を、こんな風に迎えるとは考えてもみなかったことです。
キーやボタンを押せば答えが出る生活で、すっかりご立派になってしまった私たち。
春で、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出しました。
レイチェルを出すと、揚げ足取りをする人がいそうで、これまた悲しいのです。
あるブロガーさんへの歌。
とても残念なのですが、ある方が最近ブログを閉じられることになりました。
遠くから樹下美術館を応援してくださっている方です。
ささやかなお礼としましてYouTubeから歌をお借りしました。
宜しければどうかお聴きになってください。
ある医師のお勧めの歌でもあります、
アルフレード・クラウスの「真珠採り(耳に残るは君の歌声)」にしました。
力づくで来ようとする者との戦い。
貴方に共感し応援しています。
「大丈夫ですからね」
来る4月6日の開館に際しまして。
「来る4月6日、今年の開館のお知らせです。」
感染症に対して以下のように配慮をいたしました。
●館内ではなるべく静かにお過ごし頂ければ有り難く存じます。
●カフェのお過ごし時間はおよそ一時間程度までにご協力ください。
お互いに予防を理解し、春の到来とささやかな文化に触れて元気を出しましょう。
本日の県立大潟水と森公園 4月6日に今年の開館を予定。
かろうじて雨をこらえていた本日土曜日日中の空、夜になりしとしとと降っている。
厳しさを増した東京のコロナの状況は、大規模な病院・施設の内部感染が報じられ、全体としての動静が気になる。
柏崎市以西の上越市および糸魚川市においては、依然として感染者の確認はない。この問題では、公の発表が実態を反映しているかどうか常に悩ましい。何となく疑わしい眼であたりを見る癖が付いてしまい、いかにも気が重い。
精一杯自己管理を続け、一定の行動規範に従う以外になさそうだ。逃げる訳にもいかず、これも健康維持の一つの形として、納得するので良いのかな、と考えている。
本日午後は大潟水と森公園を歩いた。このところヒマさえあれば公園に行く。寒暖の差が激しいので服装には気を付けなければならない。本日は、途中で小学時代の同級生に出合いほっとした。
騒然とした社会と異なり、公園の自然は確かな足取りで季節の歩みを刻んでいる。それらに触れると、混乱しがちなこちらの調子が整えられていく感じがしてくる。
タチツボスミレであろう、歴史ゾーンの一カ所に沢山咲いていた。
潟の里ゾーンのミズバショウ。
さて間もなく4月になります。
新型コロナウイルスのため、3月15日の今年の開館を小学校の新学期の始業まで延期する予定としていました。
当地は4月6日がその日にあたります。感染の収束や安全宣言など宛になるものがありませんので、やはり随分悩みました。
しかし、
「こんな時だからこそ、ささやかな文化ながら、心のともしびになれば」、と考え開館を決めました。
事情が事情だけに、幾つかの事項に配慮し、普段と異なる形で始めたいと思っています。
ぎりぎりになりましたが、詳細は明日掲載致しますので、どうか宜しくお願い致します。
メディアや記者ばかりはなく直接国民にも語りかけて ヒスイ色の海。
元気だった人が周りで倒れていく。おそらく欧州やアメリカの一部では感染症の恐ろしい一面がみられているのでしょう。
あまり好きな言葉でありませんが、内外で「国難」や「戦時下」という言葉が使われるようになりました。
全国を襲う未曾有の事態に対応するリーダーは国や自治体の長です。国民が冷静に振る舞うため、機を見て的確な説明をして取り組みを訴えなければなりません。
その際、
精一杯で良い、「明解な事実」、「強い問題意識」、「取り組みへの情熱」および「精度の高い対応」の伝達が期待されます。
これまで首相は、対策本部や専門家会議の後に何度も会見を重ねました。しかし主にメディアを介する会議の結論と報告が中心でした。
事態はまだ先まで続く様相です。不慣れな生活によるコロナ疲れも否定できませんし、軽症と言われる若者の逸脱も無視できません。
事態が重大なほど、長引く今、リーダーによる心打ち勇気と希望につながる言葉が待たれます。
うらやましいことに、マクロン氏やメルケル氏は、まるで国民を自室に招いて語るように自分の言葉で訴えました。我が国のように大勢のSPと役人、あるいは記者を引き連れる、権威に囲まれる会見は、仰々しい視覚的な雑音によって、素直に視聴者の心に入り難いのです。国民一人一人に向けた心に響く首相の(あるいは都知事の)生の言葉を聞きたいのです。
余談ですが、この点テレビでみる道府県知事たち(一部を除いて)はメモ無しで自らの言葉で話をされ、事態の切迫感と自身の真剣さが伝わります。そのほうが安心にも繋がるようなのです。
さて以下は先週土曜日、夕刻に近い柿崎海岸です。

過日の上下浜はオレンジ色でしたがこの日はヒスイを思わせる色でした。
ばいきんきち その2。
長年書棚の隅っこでレントゲンのフイルム箱に入ったままだった「ばいきんきち」。原稿用紙の文字稿と画用紙のスケッチをコピーし、クリップで止めただけのものでした。5,6部つくり子供達と知り合いに上げて終了でした。
もう一つ、水彩で描いた「森のトマト畑」は少し面白がってもらいましたが、「ばいきんきち」は気持ちが悪いなど少々不評、ただゼガー博士は面白かったと言ってもらいました。
では続きです。
4きちの中
外からみると、ボロボロのれいぞうこのきちも、中はピカピカで、あちらこちらにライトもついていて、とてもせいけつになっていました。
小さなれいぞうこでもばいきんたちにしてみれば、巨大なきちです。何千何万ものばいきんがいました。プラスチックでで出来たろうかや、体育館、きょうしつ、びょういんがあり、沢山のいすとテーブルがおかれた食どうでは、ばいきんたちがにぎやかに食じをしています。
「ヘエー、たいしたもんだな」、感心して写真をとりました。
こんな大きなきちならば、きっとけんきゅうしつがあるにちがいない、と思い、一匹のばいきんにたずねてみました。
「その先を右に曲がった所だよ。しかし所長のゼガー博士は気むずかしいので有名だよ」と言われました。
でもぜひ博士にあって、ばい菌のひみつを知りたいと思いました。言われたとおりに行くと、けんきゅうしつがあり、決心してドアをたたきました。
5ゼガー博士
とびらをあけると、しけんかんやピペットにくすりビン、色々なおくすりやバーナー、さまざまな機械のほかメーターがいっぱいみえました。
白衣を着たばいきんたちがいっしょうけんめいしごとをしています。かべに「人間をやっつけろ!人間にまけるな!」という大きな字が書いてありました。
ゼガー博士はどこですか、と入り口でたずねると、
「一番おくにいますよ」とおしえてくれました。見ると黒いふちのメガネをかけ、ヒゲをはやし、耳が特別大きな博士がみえました。
こわかったですが、近づいて声をかけました。
「博士、私はばいきんしんぶんの者です。今年のばいきんのどくはどんなとくちょうがありますか」とたずねました。
博士はじろりとこちらを見ると、めんどうくさそうに、
「げりだよ、今年はげりさ」と答えました、
それを聞いてわたしは心配になりました。というのはげりをするとかぜは治るのに時間がかかるのです。
その時でした、博士はとつぜんこちらを向き
「君、君は本当の記者じゃないね。人間だろう」と言いました。

はっとして後ろへさがり、
「私はばいきんしんぶんの記者です」と言いました。
「いやちがう、君は記者のマークをつけていないし、だいいちくつをはいている。ばいきんはくつなどはかないもんだよ、それにしっぽもないじゃないか!」
博士はおこってどなりました。
私はにげようとすると、
「こいつは人間のスパイだ!つかまえろ」
博士がめいれいし、わたしはあっというまにしばられてしまいました。
6脱出
しばられたまま沢山のばいきんがあつまっている体育かんにつれてこられました。
「みんな良く聞け。こいつは人間だ。これからこいつに新しいどくをちゅうしゃしてじっけんをする」
博士は大声で言いました。
すると、
「ちょっとまってください!」
その時、こどものばいきんが足を引きずりながら出てきました。
「博士、このひとはいい人なんです」といいました。
道ばたで足の手あてをしてやったあのピノでした。
しかし博士はかまわず、「じっけんをつづける」といいました。
このままでは大変なことになります。
「まってください。私のポケットにいおしいおみやげが入っています。それをあげましょう」
とひっしになって言いました。
博士は私のポケットに手を入れると、ホメオスターを取り出し、「これはうまそうだ」と言ってのみはじめました。
するとくすりがきいて、博士はみるみる大きくなり、天井までとどくと、しまいにはれいぞううこいっぱい、ぎちぎちになってきました。
飲み過ぎです、もうはちきれそうです。
おどろいたみんなはきちを走りまわり、大こんらんになりました。わたしはポケットに残ったホメオスターを急いで飲みながら出口にむかって走りました。
「博士が爆発するぞ!」とみんなに声を掛けました。
やっとのことでそとへ出ると、私のからだはしだいに大きくなりはじめていました。
ドッカン-! 突然大ばく発がおこりました。
れいぞうこは博士もろともこなごなになって飛び散りました。
あたりが静かになると、まわりにはばいきんが沢山横たわっていました。
動かなくなった小さなピノがみつかりました。
わたしを助けようとしたばいきんです。
落ちていたウメの花びらをひろってかけてやりました。
すっかりもとの大きさに戻ったわたしは、いそいで病院へ行き、庭のこわれたれいぞうこと、まわりを消毒してください、と頼みました。
大変な出来事でしたが、話はこれでひとまず終わりです。
その年、悪いかぜは、あまりはやりませんでした。
拙い「ばいきんきち」は以上です。
あらためて見ますと、変な所ばかりで困っています。無理を言ってお読みいただき有り難うございました。
休館中のお詫び ばいきんきち その1。
新型コロナウイルスはオリンピックを延期させるほどの力を見せつけています。やはりただの風邪でもなければインフルエンザでもなかったようでした。
さて以下は今から40年ほど前、小学校2年と4年生だった二人の子供に向けたまことに拙い文と絵です。
本当に恥ずかしいのですが、新型コロナウイルスによる休館のお詫びです。もし宜しければどうかご覧下さい。
1ミクロマイシンとホメオスター
私はいつもばい菌というのはいったいどこからやってくるのだろう、ということを考えていました。ばいきんのようすをさぐるには、自分もばいきんのように小さくならなければいけないので、人間が小さくなれるおくすりをつくるけんきゅうをしました。ある日、とうとうそのおくすりが出来あがりました。そして、小さくなるおくすりにはミクロマイシン、ふたたび大きくなるときのはホメオスターという名前をつけました。
かぜがとてもはやった冬、私はばい菌の基地を見つけにゆくことにしました。ばいきんにあやしまれないようにコートをきて、カメラをもって帽子をかぶり、しんぶんきしゃのかっこうをしました。そしてホメオスターをもポケットに入れ、ミクロマイシンをのんでみました。たった三つぶで私の体はどんどん小さくなり、つくえやいすが山のように大きくみえるようになりました。
2ピノ
さていよいよ外に出てみると、あちこちはみなばいきんだらけでした。空をとんでいるもの、れつをつくって行進しているもの、きたないみぞをのぞきこんでいるもの、中にはひるねをしているものもいました。
しばらく歩いてみましたが、ばいきんたちはあっちへ行ったりこっちは来たりで、どこにきちがあるのやらさっぱりけんとうがつきません。ところがよくちゅういしてみると、けがをしているばいきんたちは、みな同じ方向へ歩いたり、はこばれたりしていることに気がつきました。
けがのばいきんたちは、びょういんへ行くにちがいない。そこにはきっときちがあるはずだと考えました。そこへ足をけがしばいきんが「いたいよう、いたいよう」と泣きながら歩いていきました。あまりいたそうなので私は近づいて、足にほうたいをしてあげました。
「どうもありがとう」そういうとばいきんはまた歩きはじめました。するとこんどは仲間がやってきて、
「おいピノ、いったい何にやられたんだ」と言いました。
「くすりのたまにやられたんだ。逃げても逃げてもくすりがおいかけてきて、とうとう足をやられてしまった。と答えていました。ハハ-、あいつはピノというのか、いがいにかわいい名前だなと思いました。
「ピノおだいじに」というと仲間のばいきんはとおくへ走って行きました。ピノの後をつけると、ばいきんたちがとてもたくさんいる所へきました。きゅうきゅうしゃもいそがしそうに走りまわっています。いよいよきちのちかくへ来たのだ、と思いました。
3ばいきんきち
ほそいろじをぬけると広ばへ出ました。そこはとなり町のびょういんの庭でした。庭のすみにふるいれいぞうこがすててあり、ピノはそのそばへ行くとあたりをキョロキョロ見わたしました。わたしは見つからないように木のかげにかくれました。しばらくしてのぞいてみるとピノはもう見えなくなっていました。
そうか、あのれいぞうこがばいきんのきちにちがいない、と考え、走っていってれいぞうこをトントンとたたき、
「私はばいきんのしんぶんきしゃです、開けてください」とさけびました。
するととびらがひらいて「さあ、早く入れ、見つかるな」ともんばんがいいましたので急いで中に入りました。
次回続きをのせてみたいと思いますので、どうかもう少し我慢のほどお願いいたします。
- 仏像、社寺、二十三夜塔、庚申塔
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 高齢者、昔話
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ・テレビ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- ハリハリ漬け 今夕の食事。
- 荒天後の海岸 戦中生まれのさが カワラヒワの水浴び 初々しいモズ ハクガンの飛来。
- ラベンダーの雪囲い。
- 本日樹下美術館の後片付けの日 ラヴェルの名曲がポピュラーやジャズに。
- 本日2025年度の最終日。
- 今年最終日曜日,午後のひと時。
- 「お婆さんのようなお爺さん」ズボン編 悪天を予告する雲。
- 頂いた椿を挿し木してみた。
- 「お婆さんの様なお爺さん」とは もらい物のセーター。
- 昨日今日の寒波は無事に過ぎた。
- 今冬最強寒波が来る 向こう側の季節から「楝(あふち)の花、いとをかし」。
- 堀口すみれ子さんから届いた詩集「月あかり」。
- 午前柿崎、午後大池 念願のエナガはピンぼけの1枚。
- 再度柿崎の海岸を歩いた 海のチョウゲンボウ 田んぼのマガン 低カフェイン抹茶。
- 暖かな日の朝日池、のんびり過ごす水鳥たち。
- 美味しいイチジクお菓子など、大潟区のマルト歌代商店は特別。
- 樹下美術館の紅葉 再度の木村茶道美術館 唐椿(からつばき)という花。
- 週末の種々。
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