頸城野点景

本日、雪の晴れ間。

2018年2月9日(金曜日)

本日概ね晴れて少々気温が上った。
大きくなりつつあったつららが解け,屋根の雪も減った
ように感じられ、有り難い。

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海岸沿いのこの場所でこれほど雪があるのを見たこと
がない。

上越市大潟区の県道(浜線)沿いは懐かしい風景が随所
にある。雪が懐かしさ(あるいは親しさ)をつのらせる。

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本日の雁子浜。

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昨日の潟町。

 

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この所、路上で餌を探すスズメやハクセキレイをよく見る。
車を恐れないのは、豪雪で餌に不自由しているからに違
い無い。このキジバトは痩せて見えた。

明日も気温が上がり晴れ間があるという。

以下は一昨日の樹下美術館と駐車場。

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2007開館来最高の積雪。この分だと、来る3月15日
の開館は雪が残っている可能性があり、除雪機の活躍が期
待される。

妙高山を見に行って。

2018年2月8日(木曜日)

本日日中は澄んだ青空が見られた。
仕事場の大潟区は早朝に降り、雪は1メートルを越え
たようだ。

こんな日は妙高山を見よう、というので板倉の針を目指
して車を走らせた所、中腹までの姿しか見えない。
時間が経てば見えるかも、ということでパインバレーへ
と足を伸ばした。
スキー場は閉鎖されているはずだが、道路は非常にきれ
いに除雪されている。

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私たちのためにだけ除雪されている、と錯覚するほど気
持ち良く、もったいない道路。

だれが利用するのだろう、ホテル、スキー場駐車場など様
々なエリアへのパースがしっかり除雪されていた。

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ホテルを出たすぐの通り。正面の妙高の山頂は相変わら
ず見えないがスケール感は期待どおり。
その昔ゴルフやスキー、そして食事に来た懐かしい場所
だけに寂しさを禁じ得ない。開場するイルミネーションシ
ーズンには訪ねてみたい。

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施設を出て西側の道を関山まで走った。思わぬ下りの急な
曲がりが続き、日陰は氷り、浅からぬ谷沿いでもあり、肝
を冷やした。

せっかくだからということで、ロッテアライリゾートへ向か
った。

3
妙なアングルだが、かっての様子と随分変わっている印象
を受けた。

今冬は浜雪、里雪になっているがやはりスキーリゾートは
豊かな積雪。春めいててきたら一帯の散策や食事などに寄
りたい。

今の所二月の方が良いお天気 夕刻の風景を顔にしてみた。

2018年2月4日(日曜日)

本日日中は予報よりも良く、風はあったが晴れ間の
多い空だった。
今の所前月よりも今月のほうが良いお天気になって
いるようだ。但し明日から4,5日は寒波が続く模
様。
現在20:30を回った所で、さっそくヒューヒュー
と空が鳴りだした。

 

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東方の米山が穏やかな雲に囲われていた。

 

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西では雲間から白い陽が覗いた。

陽は眼を思わせたので簡単な加工ソフトで顔
にしてみました。

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左下の権現山を唇に使わせてもらいました。
お眼汚しとなり、申し分けありません。大きく
してみると少しだけ優しくなるようです。

大雪中休みの日 県立大潟水と森公園。

2018年1月13日(土曜日)

本日は寒波の中休みのおもむきとなり、小雪模様、
時々陽が射した。
昨日来の大雪で鳥たちが気になる。
午後の晴れ間、県立大潟水と森公園に向かった。

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晴れ間のひととき、大潟区は長崎集落。

 

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3

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歩道の柵に積もった雪。ふわっと丸くするなど人間に
は無理。自然のデリケートな側面を見せつけられる。

 

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失敗のようだがこれも難しいのでは?

 

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6

 

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右手前からカワセミが飛び立った。カワセミは見るだけ
で写真に撮ったことがない。

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通路の除雪が進んでいてとても助かった。良く知って
いる人が行っていた。公園への愛情が伝わる。

 

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辺りの葦原に四十雀が沢山いて茎を突っついている。
何を食べているのだろう。

 

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すぐに飛び立ったマヒワはこれ一枚でお別れ。

 

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アトリ。昨日の大雪で心配したが除雪された通路にいた。
ただし数は少なく、分散して過ごしているのだろうか。

 

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暖かなオレンジ色、可愛い目。
本当に鳥たちは何を食べているのだろう。

 

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公園への道すがら。気象の温情、あるいはイタズラ。

 

鳥たちは居た。厳しい季節だが、私が知らない餌や生き
る術があるのだろう。

だが以下の鳥は可哀想だった。

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あぜ道で二羽のカラスに攻撃されていたトビ。車を止め
るとカラスは飛び立ち、間もなくトビは近くの庭へ去っ
た。
後日訂正:すぐ近くで見たので大きく見え,トビだと思
った。しかし尾羽の形状、羽毛の色、カラスとのサイズ比
較などからトビではなく、ノスリのようでした。
(1月15日)

 
カラスは弱ったもの達の後を執拗に追う。かって上手く
歩けないキジ、すぐに座り込み取り残された白鳥でその
ような光景を見た。つがいなのか、いずれも二羽で追っ
ていた。

どか雪の後、一部ながら迅速に道が付けられていた公園
を本当に有り難く思った。

沢山になりました。
本日は全てコンパクトカメラ(Canon Power Shot SX720
HS)で撮りました。

白色で暮れた大晦日 詩人は雪晴れの妙高山を大白ばらと謳った。

2017年12月31日(日曜日)

昨日から正月休暇にしたものの、遅くまで寝て外出もせ
ず年賀状を作り、夕刻にインフルエンザの人も診た。

これではいけない、と思い、本日は8時過ぎに起きた。
幸い晴れている。
冬の晴れ間は特別遠くへ行かずども家の周囲で十分楽
しめる。

 

2
大潟区は朝日池に近い田んぼのコハクチョウ。朝の放射
冷却で薄氷が張り、穏やかで鳥は鏡の上にいるようだった。

 

3
糸魚川市方面の海谷山塊。

 

4
朝日池から飛び立った雁は西を目指していた。白い山は火打
山。(ズームで撮っているため山と鳥は近く見えますが、40キ
ロ近く離れていると思われます)

鳥や山を見て海岸へ。

 

3'

 

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白い波がくだけていた柿崎海岸。雪を戴いた佐渡の金北山
も見えた。

 

7
県立大潟水と森公園へ。園内の葦が白さを増している。

 

8
朝日池の農道に大型カメラを構える人が増えている。この方は
神奈川県からきれいなキャンピングカーで来られていた。オジ
ロワシと、間もなく訪れるであろうハクガンを待っている。

 

1
本日午前の妙高山。

冬の妙高山を謳った堀口大學の短い詩がある。

「白ばら」
西のかた
いち夜に咲いた一輪の
空いっぱいの大白ばら!
雪晴れの朝の妙高!

(昭和22年1月20日初版 「冬心抄」から)

“妙高山は峨々として、千古の白雪天を衝き、、、”
その後が思い出せない私の高校校歌。
厳しい、険しい、雄大、などと形容されるこの山ををま
さか「大白ばら」とは!

本日、外輪山の大きな花びらが、高い花芯を囲み、
まさに大白ばらの素晴らしい眺めを呈していた。

冬至の本日、今年の開館も残りわずか 冬は最も長い季節。

2017年12月22日(金曜日)

今日は冬至。6月下旬から本日までの半年は短かったよう
であるが、表向き真夏の暑さを越え、爽やかな秋を越え、
日ごと昼を縮めようやく冬至にたどり着いたことになる。
着いてみれば本日お天気も良く、決して日が短かった印象
にはならなかった。風雪の日よりよほど夕刻を明るいと感
じた。

今年の樹下美術館も23,24,25日の三日を残すだけ
になり、改めて展示室の写真を撮った。

 

2
絵画「カリカチュア風な倉石隆」は観やすかった、と思う。

 

1
陶芸「陶齋の色絵と鉄絵」も楽しかったのではなかっただ
ろうか。以上自画自賛させて頂きました。

 

3
夕刻の訪問診療のお宅の前の田んぼにマガンの群が
いた。普段鳥などは私が見つけるが、本日は看護師が
見つけた。
雁も冬陽が貴重なのか、皆その方を向いていた。間も
なくねぐらの朝日池に帰る時間だったであろう。

 

5

 

さて本日60代の方が、「一年の中で冬が一番長いです
ね」と仰った。
そもそもかっての農家で、男衆は稲刈りが終わるとそそ
くさと出稼ぎに行った。途中帰るのは正月くらいで、長け
れば5,6ケ月は家を空ける。

家に残った者はワラ仕事や縫い物などをしながら春と
男衆を待ち続けなければならず、この間は冬なのであ
ろう。
残った者はもちろん、出かけた者たちにとって、それは
とても長かったにちがいない。
これは農家の方ばかりではない、最も強く次の季節、
春を待ち焦がれる点で点で、冬は私たちにも長く感じ
られる。

言葉の方は山間の農家のご出身だ。

ところで私は2月生まれであるため、祖父に玄(ふかし)
と名付けられた。
玄は五行説の冬であり、人生では晩年を指している。
これから何度冬を迎えるのか知るらないが、冬が来るた
び、(本当は嫌いなのですが)、これは私の季節だと思っ
て迎えるようにしたい。

再度話が変わり、私はワードが苦手で、今もって「一太
郎」の愛用者。
どういうわけか、現在使用している一太郎のソフトが「玄」
という名のバージョンなので余計に愛着を感じる。
ワードにも慣れなければということで、図録編集は倉石
隆分を一太郎、斎藤三郎をワードで行った。

冬至ではじまり一太郎で終わりました。

改装なった土底浜の歩道橋に上ってみた。

2017年12月15日(金曜日)

昨日に続いて晴れ間が多かった日、午後からある事業所の
健診結果についての相談に出向いた。産業医として何十年
も携わっている工場は100人規模だが、長く労働衛生の
遂行に実直な姿勢を維持してきた。
当初の担当者の熱心な取り組みが代々継承された結果で
あろう。

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早く出たので建て替えられたばかりの歩道橋にのぼってみ
た。

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JR土底浜駅前交差点の歩道橋、駅と大潟町小学校に近いの
で子供たちが多く利用する、同小学校は私の母校。この時期、
防寒具に身をを包んだ児童たちはとても可愛い。、

 

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歩道橋から国道8号線の西の方角を見る。比較的海が近いの
で雪はなくなっている。ただし左側の狭い松林を越えると10
㎝ほどは残っている。

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東方面を見る。出来たばかりのドラッグストアの向こうに米
山が見える。

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陶芸展示室の白テーブルにツリーと熊?のガラスのフィギュア
が出ている。妻の親族から頂いたものでとてもきれいで可愛い。

日中、昨日よりもよく晴れ、気持ち良く過ごせた。

本日,小春日和のアルバム。

2017年12月7日(木曜日)

本日朝からから暖かく晴れ風も感じられず良い日柄だった。

上手い具合に午後は休診、少し気になる人がいたので遠出
をせず近隣を移動した。

 

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一つ覚えの柿崎海岸を30分歩いた。灰色の海が青に変わって
いた。

 

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自転車が置かれた風景は単純だが詩情がある。

 

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美術館近くの水田にトビとカラスが寄り添っている。普段仲が
悪そうなのに、こんなこともあるのかと驚いた。トビが飛ぶとカ
ラスがついて行った。

 

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樹下美術館の庭の夕暮れ。冬木立とハケで掃いたような雲が
調和している。

 

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暮れた朝日池。白鳥を追うバードウォッチャーがずらりと車を
停めている。世田谷ナンバーなどを見るといよいよ水鳥のシ
ーズン到来を感じる。

ちなみに、ハクガンはまだですか、と訪ねると「向こうが凍らな
いと来ないね」という返事だった。向こうとは「八郎潟」のことで
あろう。

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道路の近くで憩っていたコサギ、マガモ、オオバン。写真を妻に
見せると「異業種交流」と、いささか古い言葉を発した。

本日はしっかりと晴れた。

2017年11月27日(月曜日)

本日珍しく一日晴天となり気温が10度を超えて暖かかった。

1
春の面持ちの頸城区両毛あたりの農道。
辺りの地図に頸城区潟町という地名があって驚いた。

 

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その付近に小さな群の白鳥。今期生まれの中央の若鳥はすっかり
大人の顔をしている。

 

3
気になっている老人に食欲が出て来た往診帰りのハクセキレイ。

 

4
今夕、鵜の浜温泉付近の駐車場からの夕暮れ。向こうは中部電力
の火力発電所。

本日昼、かって来館された柏崎市の方が新潟市のお友達を誘って
再び来られた。新潟からは100キロ以上の道のり。真に有り難うご
ざいました。
お飲み頂いたお抹茶の和菓子が陽に映えて、とても美味しそうでし
た。

霧雨の大洞原を再び訪ねた。

2017年11月4日(土曜日)

去る9月、妙高市は関山の大洞原で農業を手伝っている方か
ら美味しいトマトとトウモロコシを頂いた。
また倉石隆氏のスケッチと油絵に昭和20年代中頃の大洞原を
描いたと考えられる作品があることから興味を持つに至り、9月
中旬に初めて同地を訪問した。

戦後、国・県によって進められた集団による開墾は馴染みが
無く、詳しく知りたくて妙高市役所にお電話をしたところ、入植
第一世代に当たるSさんを紹介して頂いていた。
間もなくSさんから貴重な資料本三冊が届けられた。

本日午後霧雨の大洞原のお宅をお礼かたがた訪問した。
90才をこえられる氏は移動にご苦労をされていたが、頭脳、
感覚はしっかり維持され、純粋で闊達なお人柄だった。

痩せて広大な大地の開墾は途方もない事業である。
較べるべくもないが、庭の除草で腰が痛いと言う私などは揺り
かごの中の赤ちゃんみたいな話である。

 

1
↑大洞原のほんの一角。

2
立派な大根が干されている。
入植当時の地味は痩せ、カボチャはツルがわずかに伸びるものの、実を
つけることは無かったという。
導入された育牛によって得られた肥料と生乳の現金収入が開墾を下支
えすることになる。
5
↑傾斜地をささえていた大きな石。黒い表土のわずか50~60㎝下に礫
とともに分厚く埋まっていたものらしい。

6
巨岩は妙高山の噴火の凄さと開墾の困苦を物語っている。

 

敗戦に終わった国の農家の次男三男たちフロンティアによる開墾。新
天地を得て子孫に残すべき希望だけが、執拗な草木の根と岩石、そし
て飢えとの格闘を日々可能にした。
大洞原開墾は県下各地から集まった人々によってなされ、S氏は西蒲
原は旧味方村のご出身。

戦後妙高山麓には九つの開墾地が設けられ、武蔵野と命名された土
地には東京都出身者が中心となって入ったが、成功しなかったという。

数知れぬ失敗、朝鮮戦争と施策の変遷、多くの去就、節目の困難に
強いリーダーが現れ、問題を克服して今日に至っている。

 

3
クラインガルテン妙高(滞在型市民農園)という新機軸の居住地区と
トマト畑。
先日の訪問の折、若い両親と子供たちが憩っていた。
現在の大洞原は大きな二つの時代が入り交じっている、とはS氏の言葉
だった。

 

7
↑昭和62年、開拓第一世代入植40周年を記念して建立された碑。

S氏宅に2時間余お邪魔した後、関温泉方面へと上ってみた。

8
↑妙高カントリークラブを過ぎた右手にあった「休暇村 妙高」。
ここは五最杉(ごさいすぎ)という場所であり、昭和22年に開墾隊が最
初に入植した土地。
同地は地形、地味、水利など問題が多く2年で中止となり、平均200メ
ートル高度が下った国道8号線に近い大洞原へと移ることになる。
地元住民との協調も多くの曲折が必要だった。

9
国立妙高青少年自然の家付近。

霧雨が降り止まず車外温度は7度を指していた。
山麓の雪はそこまで迫り、すでに初冬を迎えている。
妙高山の自然と人間が織りなす歴史をわずか一コマながら垣間見た3
時間だった。

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