頸城野点景

荒天後の海岸 戦中生まれのさが カワラヒワの水浴び 初々しいモズ ハクガンの飛来。 

2025年12月18日(木曜日)

休診の午後柿崎海を歩き、新井柿崎線を走って帰った。荒海や冬鳥を見るつもりで出かけた。

柿崎海岸で車を停めるとカワラヒワが前の水溜まりで水浴びするのを見た。私はホッカロンを背中や腰に貼っているのに冷たい水溜まりを浴びるとは、野性は本当に謎だらけだ。

次々と水溜まりで浴びるカワラヒワ。

柿崎川の小さな突堤までシーグラス見つけながら歩いた。

シーグラスは色、形の良いものがあった。
染め付けの陶片も。

突堤から撮った波浪。

数日続いた悪天候は静まっが海はまだ荒れている。遠くに釣り人だろうか、小さな影が見えていた。
このような厳しい冬の光景を見ていると「異国の丘」の歌を思いだし、頭にメロディーが流れた。
“今日も暮れゆく異国の丘に 友よ辛かろ切なかろ”

昭和17年生まれは少年時代にこんな歌を覚え、日常はメザシとタクアンに親しみ、三輪車を買って貰った弟を羨ましく見ていた。
だれが何と言おうと生涯の信条や感覚はこんな時代の事象が基になっているのでは。

帰路の農道で見たモズ。
新鮮な印象だった。

お天気は次第に良くなり美しい夕焼け空となった。朝日池の白鳥を撮りに再度出かけた。
池の遠くに白い鳥の列が見えた。撮ってモニターをみるとハクガンだった。

100羽ほどだろうか。
ハクガンらしく真っ直ぐ並んでいる。

このところ年が明けて飛来するのを見てきたが年内に来たとは。鳥たちはカレンダーを見ないのは知っているが、それにしても早かった。

来年3月なかばまで留まるのだろう。
あまり邪魔にならなにようにしますので、今冬もどうか宜しくお付き合いさせて下さい。

暖かな日の朝日池、のんびり過ごす水鳥たち。

2025年11月29日(土曜日)

マルト商店で買い物をした一昨日木曜日は暖かだった。お休み日だったので昼前から朝日池へ出かけた。これまでねぐら入りや田んぼの食事を撮っていたが、この日多くの白鳥は日中も池に残りのんびり過ごす様子が見られた。

気温の高い日、時に白鳥が池に残るのを見た。冬鳥にとってこんな温かな日は、食餌といえどもわざわざ田に行くのが面倒くさいのだろうか。それとも到着直後のため羽休めいう一団もいるのだろうか。想像するのは楽しいが本当のところ分からない。

水位は低く枯れ蓮が沢山残ったいる。

枯れ蓮の中で白鳥だけが目立つ。
カモは見事にカモフラージュされている。
大きな白鳥はタカなどからの捕食を恐れないのだろう。

マガモの一群。
周囲との区別が付きにくい。

コハクチョウの羽ばたき。
バタバタと大きな水音。
後ろにもう一羽がいます。

 

 

ファインダーに鴨の仲間が入って来た。

 

よくみるオオバン。

鴨に混じってカワウの一群。
羽を広げ温まっている風。

カモたちが突然飛び立った。
はっきりしないがタカが襲ったのか。

近くの農道でマガンが日向ぼっこ。
仲間の多くはそばの田圃で食餌中。

鳥たちの生活はやはり大変であろう。特に渡りをする鳥は並大抵でない距離を飛ばなければならない。
鳥になりたいと思うことがあるが長距離の飛翔や保証のない食事など野性生活は自分には無理だと理解できる。

しかしながら異種同士の争い無い生活や群に見られる気まぐれな自由度は私達に足りないものに写り、少々羨ましい。

本日一時大雨だったが温かく髙田で15,7℃だった。

厳しい残暑のなか頸城野の稲刈り。

2025年9月2日(火曜日)

9月になっても酷い残暑が続いています。このところ当地域の最高気温が35度前後で推移、本日の髙田は36、3℃で、在宅訪問時の暑さは大変でした。

気象庁は1日、今夏三ヶ月の全国平均気温は平年より2.36度高く、統計のある1898年以降で最も暑かったと発表しました。異常で特別な暑さだったということになります。

今夏はコロナも多く拙医院でも毎日のように、日によっては何人も診ました。5類になりかつ軽症化しているとはいえ高齢者では症状が長引く方もいて重症化を心配しました。夏の発熱感染症は消耗がきついのでこの先まだ油断は出来ません。

暑さ寒さも彼岸までと言われます。これまで暑さが遠のいたと感じるとお彼岸だった事がよくありました。今年は9月いっぱい暑いという報道がありますので本当に参ります。

そんな猛暑でしたが近隣の田では稲刈りが始まっています。刈り入れは朝露を避けるようですので日中暑さの中でも果敢に行われるのですね。

以下は昨日の頸城野です。

 

 

10年前にくらべると機械は大型化しかなりの処理が自動化されているようです。また運転席はしっかり囲われエアコンが効いていると聞きました。

中にはエアコン無しのコンバインや上掲のように手作業で草刈りのような仕事をする方も見られました。

多機能、自動化するコンバインの操作法などを聞くと高齢者にはもう現場は無理という気がしました。

一方米の買い取り価格が今年も飛躍的に上がるようです。儲かる農業として従事者の若返りが生じるならそれはそれで良い面かもしれません。でも高騰しすぎて消費者の米離れが広がらなければという生産者の正直な心配も聞きました。

どんな分野も常に平坦という事ではないのですね。

土用丑の日の庭 蜘蛛が池 期日前投票 ウナギ。

2025年7月19日(土曜日)

当地も梅雨が空けたと報じられる本日土曜日は今年の丑の日。北陸三県とともに当地の気温も35℃近くあり暑かった。一般に梅雨開け十日という言葉ものがあり向こう10日ほど晴天が続くらしい。晴天とあるが酷暑であろうし農家さんの水田や畑、不肖私には庭が心配。

そんな日の写真を以下に並べました。

熱心に庭の写真を撮っておられたお客さま。
とても姿勢の良い方でした。

この花を撮られたのでしょうか。
黄金オニユリですね。

庭の入り口の赤のカノコユリ。
急に咲いてきました。

雑草「スズメのカタビラ」を克服して
芝生がきれいになりました。

旧知の方とお会いした後大潟区は長崎地区から入って鵜の池に行きました。県立大潟水と森公園の対岸を走ることが出来ます。砂利道の片側は田圃ですのでお訪ねの際は砂埃を立てぬようそーと走って下さい。

鵜の池の水の引き込み口。
一帯の渇水が心配されますが、まだ満々でした。

ツバメが沢山飛んでいました。

 

お目当てのチョウトンボ。

夕方期日前投票に行きました。大勢の来場者さんに出会いました。戦中生まれの私は生きてきた通りの信条に従い心広く、理想や平和を尊びそうな人を思って投票してきました。

投票所で合った妻が今夜はウナギにしましょうか、とこちらが思っていたことを言いましたので、以下の夕食になりました。

宮崎県の国産だそうです。
ちょっぴりのご飯が見えません。

冷えた漬け物。

 

冷や奴。

5月、月末の空と時 独居老人の緊急入院。

2025年5月31日(土曜日)

昨日5月30日は金曜日。晴れたり曇ったりの空、気温も丁度よく清々しく過ぎた。

昨日の空、妙高連山の火打山。
まだ残雪が多そう。

田植えが終わったばかりの田は
清々しい。

そして今日31日土曜日。午前の曇り空は午後から小雨、時にしっかり降った。

「夏は来ぬ」の卯の花が
高速道路の側道を
随所で彩っている。

路の南側に卯の花、北側
はノイバラが沢山咲いている。
しっかりと咲き分かれる理由は何だろう。

午後ムサシへ行き歯磨きチューブ、メガネ拭き、園芸部でアスチルベ5株を買った。安価で丈夫そうなアスチルベが揃っていたのは有り難かった。

帰路、田圃を見ながら帰った。
雨降りのため耕耘機は一休み。

カフェから雨降りの庭。
間もなく花を刈る予定。

これまで何度か失敗しているラベンダー。今年は比較的乾燥し陽当たりも良いカフェの窓際を試みた。まだまだ分からないが丸二ヶ月、一先ず無事に花期を終えた。どうか秋までしっかり力を蓄え来年再び花を咲かせてくれることを祈っている。

さて昨日外来終了間際に高齢の一人暮らしの方が緊急症で来院された。当然入院が必要だが付き添いが問題だった。親族は遠方で未だ連絡がつかないという。非常に貴いことだが、現場に居たご近所の方が、親族が到着するまで付き添うと申され、後光が射しているように有り難かった。必要な2種の薬剤を服用すると90才の老人は彼女の車に乗った。

このように時間外あるいは休日の緊急入院の際、付き添いが喫緊の問題になる。だれも間に合わない場合相談出来る公的な福祉機関はどこなのだろう。昔は派出婦という存在があった。いま地域包括支援センターなどで可能か、尋ねてみたい。

今夕刻の美術館閉館後、アスチルベを新しく植えたり、植え替えたりした。ラベンダーの後、手間要らずで彩り豊かなアスチルベを追加している最中。
これから咲き揃いますのでどうかご覧下さい。

路傍の花たちの競争、今年目に付くマンテマ 6月は良い季節。

2025年5月27日(火曜日)

5月は下旬となり間もなく暦の夏6月を迎えます。
振り返れば今月は朝晩肌寒い日が多く、一旦仕舞ったストーブをまた戻しました。確かに夏日はありましたが、いつもならもっと暑い日が多いのではないでしょうか。

本日夕刻の外来のこと、「まるで四月と五月が入れ替わったようだ」と話す人がいました。温暖化が一般的になった一方で肌寒い春というのは貴重かもしれまぜん。

さて以下近隣の農道の一部の光景です。随所に季節の花の彩りが見られました。

 

手前の赤い花はマンテマ、
向こうの白い花はシロツメクサです。

毎年路傍の草花は思った以上の競争をしているようです。今年はマンテマが頑張っている感じがしています。過去ブログで以下の様に扱われていました。
2009年
2014年
2021年
いずれも5月下旬今ごろでした。何となくあるいはたまたま目にしたというブログ記事ですので、その年一帯で特にマンテマが盛大だったとは断定出来ません。しかし路傍の花たちの何種類かは、必死でこの良い季節に良い場所を取り合って競争しているように見えるのですが、如何でしょうか。花はブタバナ、シロツメクサ、マンテマ、ハマダイコン、数種のイネ科植物などです。

さて昔から一年で一番良い季節が6月だと思ってきました(特に梅雨までが)。
風穏やか、雲良く、草木に力があり、安定の気温、、、。
19年前、樹下美術館はそんな季節を意識して6月10日に開館しました。

今週末までは好天が続き気温も上がるとテレビが報じていました。

明日はBSNテレビ「なじラテ」の取材を受ける予定です。メインはカフェのようですが時間を作って是非とも顔を出したいと考えています。

田植えに麦秋。

2025年5月22日(木曜日)

本日終始霧雨の雨模様。昨日29度もあった気温は15,6度に下がった。仕事場と美術館の行き帰りに田圃を走った。始まっている田植えのなか、ある一角に大麦が植わっていた。

まだ青味を残すものと黄色味を帯びるものがあり見慣れない私には新鮮だった。普段大麦は玄米と一緒に朝ごはんに炊いて貰っている。作り主はどんな意図で作付けされているのか分からないが、お世話になってます、という感じで眺めた。

 

 

もやは麦秋なのか早晩刈り入れを迎えるのだろう。長くピンとしたヒゲに霧雨の水滴が着いてきれいだった。麦雨(ばくう)という言葉もあるようだ。そういえば「麦秋」という映画もあった。ネットで観られると良いが。

新潟市から寄られるS氏にお会いするため美術館へ急いだ。

付近はニセアカシアの花盛り 写真集「昭和のこども」、「筑豊のこどもたち」

2025年5月20日(火曜日)

5月は中ばを過ぎて辺りはニセアカシアの香りが漂っている。美術館に近づくほど樹が多いため、窓を開けて香りを嗅いで走る。

以前の一帯は松林が主体だったのがアカシアが進出し、今ではすっかり取って代わられた。かって繁茂するアカシアを利用し地域の振興になればと、材による細工物のアイディア募集があったが話は進まなかった。当面、年一回白い花とすっきりした香りを愛でるので良いのではないだろうか。

過日の鳥海山見物旅行の際、酒田市の土門拳記念館を訪ねた。その折ショップで写真集「昭和のこども」を求めた。本日カフェの図書に加えるべく、以前購入した「筑豊のこどもたち」とともに紹介させて頂きます。

写真家が捉えた 昭和のこども

「写真家が捉えた 昭和のこども」:(株)クレヴィス 2017年第1刷、2014年第2刷発行。2017年発行。
日本を代表する写真家と一部アマチュアの計19人が撮った昭和10年から51年の写真170点を収載。戦前、戦中、戦後、高度成長期のこどもたちの生活と表情が生き生きと撮影されている。作品の背景にある時代と地域の特性に対する撮影者の鋭敏で的確な視点に驚かされる。

「筑豊のこどもたち」

「筑豊のこどもたち」:著者土門拳 築地書館1977年7月21日初版、1916年3月30日21刷発行。

同じ「昭和のこどもたち」でも「筑豊のこどもたち」は全く違っている。
自分はこどもの頃からのどかな「炭坑節」を耳にし、中高時代は九州や北海道の炭鉱地帯、とりわけ筑豊炭田を地理・社会科で教えられた。
一方で炭鉱は社会から取り残されたように閉鎖、労使紛争、国対労組、組合分裂、ストとスト破り、殺人事件など苛烈かつ陰惨な紛争の渦中にあり、大爆発事故もあった。学校の地理でそれらに詳しく触れられた記憶は無いが新聞、ニュース映像で連日のように報じられ、のどかな民謡とは別の暗さを感じていた。

本書「筑豊のこどもたち」は1959年の筑豊炭田の困窮をこどもたちに焦点を当てながら、異常とも思われる貧困生活を伝えている(訴えている)。
本書に見られるような貧しさは一種恐怖感を伴う。“これが自分だったらどうしよう”と怯えるのである。戦争も紛争も貧困も同じような伝わり方をする。
怯えつつ動向を耳目にし、何とかならないかと考えながら暮らすことになる。

何も出来ないまま世界の現実を知ることは辛いが、知らずに過ごすよりも少しは人間的に生きられるのではないかと、いうのも事実ではないだろうか。

上掲の表紙の児は、畳が抜け、家の入り口には戸が無く、三つの器しか無い生活を送りながらも家の掃除をする。
「家がきたないという言葉は一番こどもの心を傷つける不愉快な言葉のようだった」と説明文にあった。

少女のその後が気になるが、調べると成人して他所で健康に暮らしているとあった。
筑豊や親の事はあまり考えないことにしている、とも出ていた。

関山周辺の春 齋藤尚明さんご家族。

2025年5月1日(木曜日)

昨日は妙高サンシャインゴルフコースでコンペに参加した。一帯の柔らかな新緑は心身に滲みるようだった。

本日木曜は定期の休診日。午後に再度妙高市は関山周辺の新緑を観る予定にして、開館まで美術館の庭に出た。

この1週間ラベンダーに続けてアスチルベを植栽し都忘れを株分けしていた。本日それらに撒水後、昨秋、倉敷市円通寺の関係者さんから頂戴していた良寛椿二苗を植えた。

アスチルベは14株もありカフェから見て左奥、スズランやミソハギのところで眺めを変えるべく園路に沿って植え付けていた。沢山だが強く花期も長いのでとても期待している。

良寛椿は昨年春、一株植えたものがしっかり活着している。そこで昨秋新たに5株頂いたうちの二株(皆さまに三株お分けした残りです)を前年のと同じ場所に植えた次第。
花を付けるには2,3年待たなければならないことだろう。考えてみれば果たして私は初花までもつだろうか。
たしかに椿の成長とする競争など全く意味が無い。見守らせてらうだけで幸せで、良寛椿ならなおさらだ。

さて庭を終えてお客様がちらほら見えられたので茶も飲まず妙高方面へ出かけた。

文字通り山笑う眺めの中をのんびり走った。のどかさ一色で、厳しい冬だったことなど何処にも見当たらなかった。

 

 

以下は初めて通った場所の「妙高中央橋」から見た関川。雪解け水と流れの音がまことに清々しい。

 

橋の下から生えていた「サワグルミ」の花。
オニグルミよりも背が高いという。

 

最後に大洞原。
菜の花には早すぎたか。

美術館の到着はお嬢さん連れの二代陶齋・齋藤尚明さんご夫婦の来館と同時だった。
カフェが混んでいて先代三郎先生の陶芸室で作品を見た後そこでご一緒した。

三郎先生が活躍されたサントリー前身時代の「壽山窯」のこと、写真家「濱谷浩さんと朝夫人」のこと、氏の作品「ほんやら堂で歌うこどもたち」のこと、京都の絵はがき屋「便利堂」のこと、京都の喫茶「ホンヤラ洞」のこと、「富山市」が良い街であること、いつもながら我が母の「餃子」のことなど、たちまちにしてなめらかな話の花が咲いた。

お嬢さんの自然な反応、知識と意識の良さに驚きかつ楽しませて頂きました。

のどかな山桜、足許のすみれ草。

2025年4月20日(日曜日)

野に新緑が訪れ春は爛漫になりつつあります。私は高校生の頃肺を病み休学ましたが盛んに野を歩きました。コースは決まっていて九戸浜のお宮さんから林に入り朝日池の奥を見て帰っていました。

病が癒えた学生時代や帰郷した後も一帯の自然への親しみは続き、最も印象的な眺めは春の山桜と晩秋の妙高山でした。
朝日池のワンド(入り江)の一つサンバドヨは釣りで親しみ、3月の乗っ込みに続く山桜の季節まで鮒が良く釣れました。

現在サンバドヨの北側もゴルフ場になっていますが本日今年初、念願の同僚ご夫婦と一緒しました。気の合う二人とのゴルフは勿論楽しかったのですが、今も変わらぬ新緑に混じる遠近色とりどりの山桜は大変のどかで麗しいものでした。

以下一両日の山桜です。

昨日北陸道沿いの側道で。

 

昨日の樹下美術館。

以下は本日ゴルフ場で見た山桜。

 

周囲から浮き上がることも無く色とりどりに咲く山桜。野山が自らの幸せを現す春ならではの眺めです。

 

満々と水を湛えた朝日池。
この時期お弁当付きで一回り
する舟があるなら乗ってみたい。

 

 

コースで二種類のスミレを見ました。

そのうちの一つ色濃い野すみれ。
“山路来てなにやらゆかし”の
すみれ草ですね。

曇り空で始まったゴルフ。午前中はどんどんと暖かくなりましたが午後途中から急に気温が下がり、ポツポツと始まり本降りになりました。両手の指先が冷えて感覚が無くなりましたが何故か調子が良くなったのは本当に不思議なことでした。

沢山写真を撮れたのは、とても混んでいてホールごとの待ち時間が長かったことによります。

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