2017年6月3日

60年ぶりの級友 嘗て上越に咲いた大輪の花 忘却来時道。

2017年6月3日(土曜日)

予報通り気温が下がった日、雲は多かったが夕刻に向かっ
て晴れ間が見えた。

本日は60年ぶりと言ってもいい懐かしい級友T君がご兄弟
やいとこさんたち9人の方々で来館された。
大きな会社を勤め終え、代替エネルギーの研究機関にいる、
ということ。
真面目でどこか人なつこさを感じさせるT君は60年経っても
当時のまま、長い時間と遠かった距離が一瞬にして縮まり、
互いに学生服を着て話をしているような錯覚を覚えた。

皆様の親御さんたちは戦後高田の文化興隆時代の最中に
生きた人々で、子供さんである皆さんもその影響下で育ってい
る。
当時の地域には著名な詩人、歌人、小説家、童話作家、俳人、
民俗学者や茶人、画家、彫刻家に宗教家、そして写真家など
極めてバリエーション豊かな人々が居て、さらにその友人たち
が遠くから訪ね来るので地元を巻き込み渦のごとき文化交流
が生まれていた。
その香り高い大輪の花が咲いた時代に酵母の如く人々を繋
なぎ若者を刺激し、地域を芳醇にした存在の一人が、他な
らぬわが陶芸家齋藤三郎だった。

T君のタブレットには三郎氏の陶芸作品や臈纈染めまで収めら
れている。
その中の一つに、円相が描かれ中に「忘却来時道」と描かれた
徳利があった。
意味を聞かれたので漢詩の一節で〝来た時の道を忘れてしまっ
た〟とお答えした。

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当館にある齋藤氏の水注ぎの絵にその言葉が書かれている。
唐代において天台山の自然に仙人の如く同化するように暮らし
たという奇僧寒山による詩で「十年帰不得(十年帰るを得ず)」に
続く一節。

来た道を忘れてしまった、は人それぞれに解釈が可能だ。
もう帰る気がしない、もう引き返せない、過去へ拘泥しない(前進
あるのみ)、今が一番、俗世を忘れたなどあろう。寒山詩では最
後の意味合いであろう。

私なら、来た時の道を忘れたい、が一番ピンときそうだ。

T君と話に夢中になり、館内の皆さんのスナップを忘れてしまっ
た。以下は今期の様子ですが、一行様には熱心に観て頂き有り
難うございました。

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倉石氏の絵画ホール。

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齋藤三郎氏の陶芸ホール。

そして日が長い。
5時の閉館まじか、お客様がはけた頃合いから、庭仕事をした。
成長に問題がある二株のクリスマスローズを植え替えた。
庭は縦横に樹木の根が張っているので、移植は容易ではないが、
心だけは込めた。それから同じく心込めて芝に目土をして雑草を
取った。

約一時間半、終わってほくほく線の田んぼに寄り道をして夕焼け
電車を撮った。

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7時頃にやってきた上り電車。

明日また寒さを交えたお天気だという。

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