80才の誕生日に「Song for My Father」。

2022年2月1日(火曜日)

昨日の予告?通り本日無事に80才を迎えることが出来た。
高齢化で身体にほころびが出てくるのは好かないが、今日まで生きたことには思いもしなかった目出度さが去来した。

昨日は、お世話になった方々へのお詫びと感謝を記した。しかし肝心な親への感謝をすっかり失念していた。
仕事場で、「長生きできたのは先生のお陰です」と時々言われる。
そのようなときは、「いやとんでもない、なによりあなたの親が良い体に生んで呉れたんですよ」と応える。
すると不思議そうな顔をされた後、あ、そうですかね、と仰り、どこか嬉しそうな表情が浮かぶ。

歳をとると親の事などどんどん忘れる。しかし時には、自分にも親が居たんだ、と思い出すと一瞬幸せな気持になる。

 


ホレス・シルバーのコンボで「Song for My Father」
浪人時代の正月、ホレス・シルバーが来日し、
学生服を着てサンケイホールへ聴きに行った。
80の誕生日にあえてこのような「父への歌」を挙げさせてもらった。

後付けで申し分けありません、ホレス・シルバーは以下のような感じの人です(2月4日)

 1961年(昭和36年)正月、東京公演滞在中の一コマ
(「東京ブルース」のアルバムジャケットから)。
幸せそうなシルバー。

当時黒人は米国ではまだ差別に遭っていたようですが、シルバーは日本でとても歓迎されました。出光石油の令嬢がすき焼きに誘うなど、熱気あふれる当時の様子が今はなきスイングジャーナル誌に掲載されました。

ところで自分の誕生日2月1日は父と同じ。苦手な干支も一緒の馬。珍しいなど色々言われたが、ともに寒い時期に生まれたんだな、という感慨はあった。
それより、後年私が大学を卒業する年、上京した父はタクシーの中で、
「長いこと嫌いな勉強をさせて悪かったな」と突然言い、とても驚いた。
勉強は嫌いではなかったし、むしろ面白いと思っていたのであまりに唐突だった。
だが考えてみれば学業優秀、もっぱらベートーベンを聴いた父。自分は上掲のような音楽ばかり聴き、盛んに部活をするなど、勉強嫌いに見えていたならその通りだったのだと思う。
ただ父の言葉にどこか心身の弱りを感じてしまい、車中とても申し分けない気持を覚えた。

さてなんとか男の平均寿命に達した。
しかし昨夏の事を考えれば、到達はそう容易でないことも知った。
これでようやく一人前になれたのかもしれないし、
先はそう長くはないかもしれないし、これからが本番かもしれない。

いずれにしても今日あることをあらためて親に感謝したい。

 

誕生日めし、妻のかに玉丼

本日から高齢者向け三回目ワクチンが始まった。本日は24人で合計は360人だという。今回は倒れないようにしなければ。

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