医療・保健・福祉・新型コロナウイルス

新潟県立柿崎病院、そして高岡から

2010年7月10日(土曜日)

 今日は上越市柿崎区で新潟県立柿崎病院主催「頸北地方の医療を考える会」に参加した。あまつさえシンポジウムの一番バッターを指名されてかなり緊張した。

 

 同病院のこころざし熱き藤森院長の総合司会のもと、自治医科大学地域医療学センター長・梶井先生の基調講演で開会した。 

 柿崎病院は明治17年来の歴史があり、地元で長く愛された病院だ。55床の小病院ながら、日ごろ在宅医療を始め呼吸器など色々お世話になっている。

 

 同病院には民間の後援会があったり、地元による心づくしの財政支援システムがあるなど、如何にも地元密着の実績がある。今日不肖私は、同病院の概念を「地域密着医療」から進めて「地域愛着医療」の実践病院と表現させていただいた。

 

 振り返れば、梶井センター長には上越医師会役員の折り、上越地域医療センター病院の医師招聘の相談で何度かおお目に掛かったことがあった。今日は懐かしい先生と、懇親までご一緒させていただいて光栄だった。

 

「みんなの医療」、「知恵と工夫」、「人生はどこかで鐘が鳴る、しかもその兆しも現れる」、「教えることはできないが、伝えることはできる」、、、。梶井先生の医療と人生のしずくに触れて感銘を受けた。

 

 さらに今日の会で小さきことも良きこと、の実感を得た。あらためて小さな樹下美術館に希望の灯を点させてもらった。

 

 会を終えて帰宅すると、先日、富山県高岡市から来館されたご家族が、今日再び樹下美術館を訪ねて下さったことを知らされた。何ともいえない幸せを感じた。

 

 明日は同業者のゴルフコンペ。腕は磨かずとも靴を磨いて参加しようと思う。

 

樹下美術館の庭 
樹下美術館の庭

チマキ

2010年6月12日(土曜日)

 午後、お年寄りの急な腰痛を往診した。骨折でなくてほっとした。

 

チマキ 
 

 大おおおばあちゃんの診察を終えると、年配のご夫婦はちまき作りに戻られた。奥さんが笹にお米を詰め、ご主人が巻いていく。近くの作業所で出荷用を作り、家では自分たちのを作るという。

 

 立派な笹が使われていた。銅鍋で煮ると笹の色が青いまま褪せないと聞いた。見てると呼吸のあった仕事ぶり、出来たらお持ちしますと仰ってくださった。
 これからの季節、梅雨空とチマキはうるわしい田舎の風物詩だ。お宅のまわりの田んぼがいよいよ生気を増していた。

 

 その昔、アカシアの花などを食べようとした私たち。後によそからチマキを頂くことがあった。砂糖入りのきな粉を付けて、あまりの美味しさに頭がヘンになりそうだった。

貴重な明治生まれ

2010年6月2日(水曜日)

  美術館たる者、たとえ小館であっても図録一冊出せなくてそれとは言えない。このところ決めた期限が迫って懸案の制作に追われる毎日となった。いつしか大小400点に迫った分量もあるが、日頃の整理の甘さを痛感させられている。

 

 それで毎日のように明け方まで格闘が続く。若ければもっとはかどるのに、一日は35時間くらい、一ヶ月は45日くらい欲しい、など考えるまでになった。それに何とかノートも、、、。

 

 さて一先ず色々置いて、私が在宅でフォローしている方に明治生まれの人が4人いらっしゃる。いずれも女性でそのうち3人は100才を越えられた。4人のうち3人の方が杖で室内を歩行され、デイサービスへも通われる。お一人は押し車を使って近隣を散歩される。

 残念ながら今日訪ねた方は骨折後に寝たきりとなられた。よくうとうとされているが、私たちが訪ねると一転して言語が冴える。今日の話をつないでみると次ぎのようになった。

 

 「おや先生、相変わらず惚れ惚れするようないい男ですねえ。私がもっと若ければ本当に惚れるところですよ。
  これでも学校時代の私は飛び競争の選手で、試合で直江津や柿崎までよーく歩いて行ったもんです。マイクロバスなんて無かったですから。
 その時の先生がまたいい男で、私を好きだったらしいです。しかし私はまだ若かったからそんなことは分からなかったんです。今なら惚れるのに残念だったですよ、本当に。 しかし先生は男前だ、お帰りは気をつけて!先生もお元気で!」

 

 すらりとして長身、言葉もきれいで、いつも似たようなことを仰る。要は褒めてやるからさっさと用事を済ませて帰りなさい、という風にも聞こえて、さすがだと思う。

 よく面倒を見られている息子さんと、同行の看護師がくすくす笑いながら聞いている。

 

 今日は明治生まれの女性から多めに褒められて疲れが和らいだ。それにしても彼女たちの存在は非常に貴重だ。お会いしてお話できるのを幸せに思う。

 

  ミヤコワスレ ヒメサユリ 
樹下美術館隣接の庭のミヤコワスレ 同じにヒメサユリ(乙女百合)

この雨は嫁の涙か介護の家

2010年5月29日(土曜日)

 連日冷たい雨に降られている。

 

 先週、今週と在宅介護が始まったばかりのお宅への訪問があった。「大変ですね」とお嫁さんに声を掛けると、わかりますか、と言って二人とも突然ぽろぽろと涙をこぼされた。時と場所が違う二人に同じ涙。

 

 先週のお宅ではおばあさんの足が不自由になって失禁も頻繁に始まった。しかしどうしても私にオムツを替えさせてくれない、とお嫁さん。下着や蒲団が汚れていると思ったら、あっという間にいくつも褥瘡が出来てしまった、と。

 

 そして昨日のお宅では、おばあさんの認知症の様子を話しているお嫁さんが言葉に詰まった。「おばあちゃん自身、親の介護などほとんどしなかったのに、貴方にはああしろ、こうしろと言うのでは」、と話してみた。みるみるお嫁さんの眼が真っ赤になって涙がこぼれた。

 

 しばしば介護の家でお嫁さんたちは涙をこらえている。始まったばかりではなおさらだろう。しかしもう一人辛い人がいるのだ。不自由になったご本人(おばあさんたち)だ。この認識は円滑な介護のためにとても大切だ。私たちは常に二人のバランスを考え、当事者たちがうまく近づき合うように配慮しなければならない。

 

 全ては 「困ったことがあったらケアマネや私たちに何でも相談してください」としっかり告げることから始まる。最初のお宅にヘルパーさんが、次いで介護ベッドが入り、大至急で訪問看護が始まった。昨日そのお嫁さんが薬を取りに来られた。

「私にもオムツを替えさせてくれるようになりました」とお嫁さんの少々ほっとした顔。

「何かと便利になりましたが、お金が掛かるのも事実ですね」と私。

「本当にその通りです」

「しかし、オムツを替えれば床ずれはどんどん直りますから訪問看護は早めに終るでしょう、あせらないで」と足した。

 

 いずれの介護も始まったばかり、これからも色々なことがあると思う。しかしどんな事態にも方法はあろう。私も精一杯支えたいと思う。特に始まりでは話を聞いて、時には涙してもらうのも私たちの立場かもしれない。 

 

バラ

忙しさ

2010年5月13日(木曜日)

  美術館を営んでいると私のことをヒマな人と思われるかも知れません。しかし自ら言うのも恥ずかしいのですが、何かと本業(診療所)も忙しくしています。ちなみに昨日を振り返ってみました。

●午前の外来は40人ほどの診察。この間に心臓症状があって心電図に異常が見られた方を病院循環器科へ、またレントゲンに異常はなかったものの約一ヶ月カラ咳が続いている方を病院呼吸器科へそれぞれ紹介状を書いた。ほかに施設リハビリを受ける方の書類を終える。
 ※専門科への紹介は診療所の大切な役割だと思っています。


●昼近くになって、脳血管障害と認知症で長く在宅療養を続けられた方の急変の電話。緊急往診をしたが、処置の施しようがなく看取りとなって診断書を書いた。息子さんご夫婦は熱心な介護を続けられた。日中の看取りはあまり経験がない。


●午後から小学校で健康診断、150人ほどを診た。本日も続きがある。


●帰ってから在宅患者さんの往診と訪問で4カ所を回る。


●在宅まわりを終えて夕刻の診療。熱の下がらない旅行中の幼児を診た。インフルエンザとは考えにくかったが、昨年今頃の新型騒動が思い出された。明後日に帰る予定という、ぜひ元気になってほしい。

書類
 私を待っている書類。  



●午後7時から月一度の介護保険の要介護認定審査会へ。今回は20人分と少ないが100ページの資料を読み込んで臨む。3月にメンバーの組み替えがあったが、今回の委員もみないい人達だ。上越市には合計24チームの審査合議体があり、保健医療福祉の関係者144人が委員として参加し審査しています。


●審査会から帰ってから夕食(この間に妻は入所中の実家の母が痙攣を起こして施設へ呼ばれていた)。


●昼に要介護認定に必要な7件の医師意見書が新たに届いて12件となった。


忙しい日には「多くの人がもっと忙しくしているはず」などと思うようにしています。


      (5月13日 木曜日 午前1時15分記載、すぐに寝なくては)

伺ったお宅で

2010年3月24日(水曜日)

モクレンの蕾
 

 ここのお宅では比較的若いご主人が奥様を長く診ておられる。部屋はいつも整って世話はこまやかだ。今日は発熱で伺って、処置のあと薬を置いた。

  外へ出ると部屋の前の庭でモクレンがびっしりと蕾を付けていた。冷たい雨のなか花を待ちきれない様子だった。

 

子犬

 

 

 月一度伺っているお宅でおじいちゃんの蒲団からいきなり子犬が飛び出した。家に来たばかりというが、何て可愛いのだろう。
 お二人暮らしのおじいちゃんは寝たきりのおばあちゃんの世話をされている。診察の前に「おばあちゃんのお名前は私の家内と同じです」と声を掛けた。目を開けられた後、わずかの表情でありがとう、という小声が聞こえた。真冬のころよりも反応されるようになった。

仕事が始まり、インフルエンザは?

2010年1月4日(月曜日)

 看取りや往診もあった正月休みがあっという間に終わった。仕事始めとなる今日、大人のインフルエンザの方が何人か来られた。皆さん高熱だった。 

 新型インフルエンザが多い分、通常のインフルエンザが少なめという報道が12月にあった。A型の場合、すでに現場では両者の区別が付かない。はたして新型の強毒化や耐性など進化はどうなのだろう。遅れたワクチンとウィルスのせめぎ合いが続く。公的な情報だけが頼りだ。減少傾向とあるもこれからが本番、油断は出来ない。

 

 夕食後遅くに陶齋の茶碗で抹茶を飲んだ。梅と笹が書かれた大きな茶碗。笹はそれぞれ雪をかぶり、如何にも富本憲吉一門といった文様が描かれている。

 

 小康となっていた雪は今夜あたりからまた降るようだ。予報は暖冬だったが大雪を覚悟したほうが気持ちは楽ということもあろう。 

お茶

留学の時に健康診断書を書いた人

2009年12月26日(土曜日)

 今から20年以上も前、夏だったろうか、用事で直江津郵便局へ行った。ガランとした局内の窓口にアルバイトの女子高校生が座っていた。私の近くの生徒さんだった。

 

 受験シーズンになると、彼女はアメリカの美術学校へ留学するための健康診断書を、と来られた。アメリカ留学は感染症のチェックが厳しい。辞書を片手に少々汗して書類を書いた。

 

  年月を経てその人はイェール大学の若いオリエント史研究者と結婚された。それで今年初夏のころ、ご夫婦で郷里上越市大潟区の親御さんを訪ね、樹下美術館にも寄って下さった。その時はお会いすることが出来なかったが、今回身内のご不幸で急遽再び帰郷された。

FREUD'S EOMEN 
FREUD'S WOMEN   Author:LISA APPIGNANSESI AND JOHN FORRESTER
 Cover design:Kaoru Tamura

 先日、お線香を上げに実家へ伺って、彼女にお会いした。沢山の教養を積まれ、しかもお元気な様子は頼もしかった。そのおり、ご自分が装丁された本を二冊頂いた。フロイトや愛着理論に関わる精神・心理の専門書だった。彼女の周辺にいくつも学問があることを眩しく思った。 

 

 高校時代の郵便局アルバイトからもう随分と経っている。平坦ではなかったはずの道で、若き志を維持されたKaoruさんに心から拍手をした。

ATTCHMENT THEORY AND PSCHOANALYSIS 
ATTACHMENT THEORY AND PSYCHOANALYSIS   Author: PETER FONAGY
  Cover design:Kaoru Tamura
 

ついに新型インフルエンザ

2009年8月1日(土曜日)

 今週初め、私の診療所で大きな出来事がありました。新型インフルエンザの経験でした。これが過日記述したフェーズ6なのかとやや奇妙な感じでした。掲載を迷いましたが、今後に向けて少々のことを綴ることにしました。

 

 下の写真は診療所に続く古い自宅居間です。ここは廊下同然、ある種空き部屋になっていました。少し前に部屋を片づけて、ティッシュ、医療用ゴム手、アルコールジェル、聴診器などを置きました。新型インフルエンザが疑われる患者さんに備えるためでした。

 

 

 

 7月27日月曜日午後、診療所の受付で「39度1分です」というスタッフ同士の会話が聞こえました。気になりましたので、「待合室は止めて、マスクと手の消毒をしてもらって」と話しました。関東から旅行中の児童と付き添いさんです。待合室には4、5人の一般の方がおられました。

 

 すぐに看護師が二人を外から写真の居間へ誘導しました。ここで鼻腔から採取した児童のサンプルが迅速診断キットでA型陽性でした。新型インフルエンザが濃厚です。その後、保健所とのやりとりで、児童の自宅で姉が新型に感染していることがわかった、と知らされました。

 

 翌日、保健所員がPCR法(確定診断)のサンプル採取用具を持参しました。写真の部屋で付き添いの方ほか4人を対象に鼻腔からサンプリングをしました。7月29日、発熱の児だけがPCR陽性、新型インフルエンザ確定と知らされました。

 

 マスクや手袋で対応した私たちスタッフは濃厚接触者とみなされないということでした。またその後の異常もありませんでした。

 

 振り返れば医療機関の対応について、公式な通知が次々と変わった時期でした。正直、診療は漠然とした戸惑いを否めませんでした。また居間での診察の適否も課題でしょう。簡単ながら以下のような感想をまとめてみました。

 

①新型インフルエンザはやはり身近にあった。

②新型インフルエンザは夏でも油断できない。

③夏休み中のサーベイランス(届け出・監視)は別途の考慮が必要かも知れない。

④夏休み後、学校を中心に急速な拡大の懸念がある。

⑤日常の予防(清潔習慣、カゼのマスク着用など)はずっと続けたい

 

 

この度の対応はやや事大だったかもしれませんが、以下のことを意識しました。

「ウイルスはまだ若く、強毒化や通年性(夏型?)など今後、思わぬ変異を否定できない。感染が増えれば変異機会も増え、そして死亡者も。この一点で、当面はほかの疾患よりやや厳格な扱いが求められるのではないか」という意識でした。

 

 話題が美術館から離れてしまって、申し分けありません。お互いが意識を維持して、なんとか新型インフルエンザを乗り越えましょう。落ち着くまで数年はかかるとも言われています。

フェーズ6

2009年6月13日(土曜日)

 先日フェーズ5を書いたばかり。ついにWHOは新型インフルエンザの警戒水準を6にした。こんなにやんわりとした形は想像出来なかった。しかし国内外の感染は穏やかさを装いながら着実に拡大している。一方で夏場も続く流行は衣の下に鎧を見る思いがする。

 

 これまで国の対応はなにかと劇場的でやや滑稽だった。これから本番、安直な点から面へ、形式から科学へ、新たな英知の結集を願いたい。

 

チャンWHO事務局長はこのたび以下の指摘をされた。
○今後感染の首座となろう南半球の途上国への支援。
○予想される2波への備え。
○ことは始まったばかり。    まったくその通りだと思う。

 

 終息まで数年の見通しが示された。長引くほどウイルスは複雑な変異を重ねるだろう。南半球の推移を見ながら連立方程式に挑むような作業がはじまる。

 

美術館の作品と庭は相変わらず静かで元気だ。

 

夢みはじめたガクアジサイ 間もなく開花、120本のテッポウ百合
   
   
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