花鳥・庭・生き物

白鳥は哀しからずや  当地が雪に染まるのは何時。

2012年11月27日(火曜日)

昨日の在宅回りでまた例のハクチョウを見た。一羽のままで以前より数百メートル移動している。飛ばずに歩くだけの移動かもしれない。

 

この鳥には孤独を受容する習いでもあるのか。このままで降雪や獣の襲撃などに本当に大丈夫なのだろうか。近くの鵜の池が本来の居場所ならば、そろそろ戻った方が良かろう。

ハクチョウ

 

“白鳥は哀しからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ”

 

悲しげな節のついた若山牧水の歌は中学時代の音楽の時間で習った。牧水の白鳥(しらとり)はハクチョウではなくカモメだ。しかし自分はどうしてもハクチョウのイメージから離れられなかった。 

 

 里山の雲
往診先から遠くを見ると、低い霧靄が里の山々に忍びこんでいる。

 

季節はぎくしゃくしながらやって来る。根雪は何時ごろだろうか。

雪囲いと遅い植樹。 新潟市から「石州」編集者さんたち。

2012年11月24日(土曜日)

男性スタッフが次々と庭木の雪囲いをしている。妻と私は今年最後の苗を植えた。こんなに寒くなってからと思ったが、頑張れと言い聞かせながら行った。

 

モミジ
ホームセンターで求めた小さなモミジ。
銀杏
隣の荒れ地に妻の知人からの銀杏。
雪囲いの西王母
この秋植えたばかりの椿(西王母)

 

 

夕月
夕月

西王母雪囲いから顔を覗かせている西王母(せいおうぼ)。

今冬は大雪という予報があるという。他県から上越(髙田など)に住んで、“雪国だが上越は良いところ”という人が何人もいる。何が良いんだろう、暖かな人々、文化、街、自然、食、、、。

 

本日新潟市から茶道月刊誌「石州」の編集者さんはじめ5名の皆様が樹下美術館にお寄り下さった。「石州」は、日本文化史家でお茶人の熊倉功夫先生が長く連載記事を執筆されてる。
優しい編集者さんに励まされ、恐れ多くも一年間「樹下美術館だより」として、当館の種々を書かせて戴いたことをずっと感謝していたい。

白鳥はコブハクチョウだった。

2012年11月22日(木曜日)

木曜日は午後からの休診日。昨日一羽で佇んでいた白鳥が気になっていたので見に行った。昨年2月、病んだオオハクチョウを保護していただいたのもすぐ近くだった。

 

昨日はじっとしていたが、今日は刈り田に入って僅かの穂を食べていた。穂は空なのに一生懸命嘴でしごくようにして食べる。あるいは水際に来て草の根をついばんだ。この程度のもので満たされるのだろうか。

 

白鳥1

 

 白鳥2
近づいいてよく見るとコブハクチョウだった。

 

近寄っても飛び立たず、小さな声でフーと啼いて威嚇した。そばに寄るととても大きく感じる。哀しげにも、悠然としているようにも見える。もしかして病んでいないのかもしれない。

 

毛繕い
毛繕いをする。

 

ちなみにコブハクチョウは公園などの観賞用としてその昔ヨーロッパから移入されたものだという。野生化して地域に定着したり、大きな群を作らず優美で、人に慣れているものが多く、時には餌をねだったり、時に威嚇攻撃することもあるらしい。

 

今年8月に近くの大潟大潟水と森公園で一羽のコブハクチョウを見たが、この個体はそれなのか。

 

潟町の駅
夕暮れの信越線潟町駅。小さな池に面している駅は水に映ってきれいだ。

本日の事 ピクルス 空 白鳥。

2012年11月21日(水曜日)

インフルエンザワクチンの接種が最後の山場にさしかかり、いつもの倍くらい忙しい。スタッフが頑張ってくれて助かる。

 

小学校で移行学級の健診があった。目立った肥満が見られず、健康意識が向上しているように感じた。 

 

ピクルス
妻が作ったピクルス。

 

午後の空
健診が終わる頃、雲が分かれてきて。

 

夕刻の空
夕刻の在宅回りは晴れてきた。

 明日は好天らしい。

 

1羽の白鳥
途中の田に白鳥が1羽、動く気配がなく少々心配だった。

 

本日も柿を頂いた。

秋のばらに昭和美人の面影。

2012年10月29日(月曜日)

変わりやすく荒れ気味の空の下で、妻が作っているばらが次々と咲いては交替する。

 

全体に花はこぶりながら秘めた情熱を漂わせる。本日目にしたのはしっとりした小さな赤い色。どことなく昔の(昭和の)美人を連想させた。

 

秋のばら
拙句) 秋薔薇や昭和美人の花の色

赤とんぼの群。

2012年10月27日(土曜日)

先日赤とんぼの群をあまり見なくなったと書いたところ、本日午後3時すぎから美術館で賑やかな群と出遭った。

 

赤とんぼの空穏やかに晴れた今日を選んでやってきたことだろう。夏は涼しい山で過ごし、秋は里へ下りるという。水気無く何グラムもない小さな生き物が、飛翔しまた休む月日。終止無言なのもどこか神秘的だ。(沢山いるので、どこにピントをあわせたら良いのか迷いました。)

 

枝の赤とんぼ枝で休息か。群は南へ田んぼへとゆっくり向かうと、ほどなく姿を消した。

秋のばら 催事の余裕。

2012年10月26日(金曜日)

毎日何度か仕事場で妻が作っている薔薇のそばを通る。

 

秋はぽつぽつと数が少ないのでつい探してまで眺める。

 

ばら

もの思いにふけるような姿は秋ならでは。

さて11月の催事ですが、鑑賞会は日によってとてもばらついています。音楽会は残り10席ほどになりました。どうぞお暇をみてお寄り下さい。

作品鑑賞会
沢山余裕があります。

秋の音楽会のお知らせ
あと10席になりました。

赤とんぼの午前。

2012年10月17日(水曜日)

午前を中心に晴れていたが、夕刻から雨模様となり、気温が少し下がってきた。

 

午前の晴れ間に珍しく赤とんぼが多く飛来し、秋の深まりを感じた。オスが赤くなっているのも嬉しい。

  

赤とんぼ赤とんぼ(アキアカネ) 

 

昔話で申し分けないが、子供時代の毎秋の夕刻、空一面に赤とんぼが飛翔する日が何日かあった。

 

あるいは随分前のこと、トンボが大発生した日に、高速道路で新潟まで行った。気になってパーキングエリアでフェンダーを見ると、やはり大量のトンボが隙間に詰まっていた。このところ赤とんぼの大きな群をあまり見なくなったが、また見てみたい。

 

ところで秋になって田などに出払っていたスズメがつがいとして戻り、軒下の巣を守る様子が見られる。ムクドリの小さな群も家の回りで巣を巡って争っているようだ。もう来年の準備か、、、早い。

秋の紫。

2012年10月16日(火曜日)

東西を問わず古来から高貴な色と言われる紫は、沈静と共に静かな力を感じさせてくれる。

樹下美術館ではキキョウの残り花が一株ひっそり佇み、あたりでノコンギクとリンドウが盛りを迎えようとしている。

 

桔梗一株残ったキキョウ(桔梗)。

竜胆始まったリンドウ(竜胆)。

野紺菊野紺菊。濃いと薄いの二色があちらこちらで咲いている。

紫というと、赤みがかったものと青みの二通りある。英語はパープルとヴァイオレット。パープルは赤みをおびマゼンダに類し、ヴァイオレットは青味がかっていわゆる江戸紫に属するようだ。

当庭のリンドウはヴァイオレットで江戸紫ということになり、掲載の古いスタンダード曲“Deep Purple”は深い赤紫になろう。

 


アッカー・ビルクのクラリネットによる“Deep Purple”

  “Deep Purple”の前半部の歌詞

When the deep purple falls  over sleepy garden walls
And the stars begin to flicker in the sky
Through the mist of a memory
You wander back to me
Breath – ing my name with a sigh.

 紫の深いとばりが、眠むそうな庭壁に降りる時

空に星々がまたたき

思い出の霞の中から

貴方の面影が現れる

ため息とともに

私の名をささやきながら

(夕暮れは赤紫でパープル、まずい訳を申し分けありません)

樹下美術館は休館日でしたが、東京から貴重な方が来越され当館にもお寄りになりました。二回目とお聞きし、喜んでおります。

善行寺さんの花 遊心堂さんの八雲会・創作アート展 そして恩師との再会。

2012年10月11日(木曜日)

木曜日の午後休診日。曇りの午後上越市髙田は寺町「善行寺」さんと本町は「遊心堂」さんへ行った。

 

善行寺さんは昨年秋、何気なく訪れて境内に群れ咲くシロバナホトトギスに驚かされた。帰って髙田出の妻に話すとよく知っている寺という。今年は事前に連絡してお花を拝見した。住職のお母さまにはスコップまで用意して待っていて下さり、沢山お花を頂いた。

 

「まことに有り難うございました」

 

善行寺のシロバナホトトギス善行寺境内のシロバナホトトギス。

 

壁画と三浦先生
展示されていた浄興寺本堂内陣の壁画「飛天」と、作者の故・三浦顯栄先生の写真。

 

寺町を後にして、かねて親しくして頂いている高校先輩のK氏からご案内頂いた八雲会・創作アート展へ行った。

 

新潟県立髙田高等学校、昭和31年卒業生による作品展は当時の先生方や物故者を含めた特異でボリューム感のある展覧会だった。

 

書画、彫塑、写真、工芸、文献書籍、詩、、、。同級生を中心に恩師と、よくもこれだけ作者、作品、カテゴリーを網羅出来たものと、驚嘆し、プロフェッション、アマチュアを越えた情熱に心打たれた。

 

同校は普通科高校のはずである。卒後56年を経て、同級生の学芸の成果を一堂に会させる。最もダメな学年と言われたと、K氏。よく花開くのは、そのような肥やしが効いていたのですか。

 

会場で故・三浦顕栄先生がご自分の大作の前に立たれる写真を見た。先生は数少ない小生の高校時代の恩人。病気を患い一年間の休学を余儀なくされ、下の学年に混じって以後卒業まで二年間の担任だった。

毎日沢山薬を飲み、週一の臀筋注射。孤独な高校生活で、先生には教科で描いた絵を褒めて頂き、また進路への貴重な助言を頂いた。お礼一つせず今日まで過ごし、本日ご立派なお写真に出遭った。ああ50年、、、故人となられた先生。一気に目頭が熱くなった。

 

先生は、髙田高等学校を辞されたあと、新潟大学・教育学部教授になられている。師の大きさ、有り難み、当時何も知らずにいたとは。

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