ほくほく線電車&乗り物
新幹線 上越地域の明るい明日とは何だろう。
東京にお住まいで、昨年倉石隆の版画6点を寄贈してくださったご夫婦が本日来館された。昨日から瀬波→村上→新潟市→犀潟→樹下美術館へと到着された。明日はもう長野県入りという日程だった。
某テレビ局に長くお勤めのいわゆるテレビマン、後年は美術界のお仕事だった。赤坂生まれの東京ッ子。夕食を直江津の「おと」でご一緒して楽しい時間を過ごした。新潟県のことで興味深かった話を二、三記してみたい。
●新潟県人といえば河井継之助です。そもそも上野はなぜ西郷さんの銅像なのでしょう。継之助が当然だと思っています。前島密は立派な人ですね、恥ずかしい事ですが高田の人だったとは知りませんでした。上杉謙信のことはあまり興味がありません。
●新潟のお米は本当にすばらしいですね。お米が美味しいものだということを初めて知りました。見渡す限りの田んぼも本当に見事です。
●根曲がりタケと言うのですか。初めて食べましたが、こんなに美味しいものがあるのですね。
●新たな新幹線の名が長野新幹線か北陸新幹線か、もめていますね。新潟県の言い分はどうなのですか。
高田の桜と蓮は見応えがあった、と東京などの人から聞く。特に蓮は素晴らしいとも。そもそも旅行者は無駄を避ける。一過性の話題づくりやパフォーマンスでは観光はきつい。
遠くから来る人の貴重な時間を頂戴するにはやはりそれなりのクオリティが必要だ。˝時間の無駄、二度と行くところではない˝などという悪評だけは絶対に避けなければならない。そのようなことがどこかにあれば、上越全体の評判として一挙に定着する可能性がある。
大切な通年集客は一朝一夕に成立するとは考えられない。日本にはさまざまな人が居る。広い視野のもとで、大変な努力の継続が必要だ。当然ながら最初が肝心であろう、果たして間に合うだろうか。
追加:予定新幹線といえば、まず上越市のことを考えるが、妙高一帯の高原は有望だと思う。少なくとも北陸三県、さらに関西圏には妙高高原のようなのびのびとした美しい場所が見当たらない。もともと関東、首都圏にも人気だった。
冬場のスキーはじめ野尻湖とのタイアップなど復活のチャンスは大きい。荒れ地の整備、愛らしい在来線の高原列車、宿泊施設の質向上は不可欠であろう。実力あるプランナーを得ることも鍵にちがいない。
一泊の上京 その1・御茶ノ水駅界隈
3月23日土曜日は所用で上京した。宿泊したのは長年のあこがれ駿河台の「山の上ホテル」だった。川端康成、檀一雄、三島由紀夫、山口瞳、池波正太郎などなど、数多くの文人たちが愛した宿に泊まるとは、ある種夢のようだった。
そもそも御茶ノ水駅一帯は東京のど真ん中であるのに昔から縁遠かった。出身校が品川区だったせいかもしれない。このたび外国に行くような気持ちで由緒ある宿にチェックインし、待ちきれずに付近を歩いた。
こじんまりながら、なんとも嬉しいアールデコ調の山の上ホテル。
スタッフの初々しいホスピタリティも素晴らしい。
そもそも場所は明治大学の構内のような所。
同小学校で夏目漱石も学んでいる。当時は錦華小学校と呼ばれていたらしい。近くに錦華坂というのもある。
古書の雄、神田は八木書店。ここから定期的に立派なカタログが送られてくる。
御茶ノ水駅から向こうに二つの大学医学部、それぞれの病院の眺めはさすが。
聖橋。中央線と地下鉄が交差し、ダイナミックで立体的なスケールはさすが。
東京には早く着きすぎたかなと思ったが、一種旅情を感じながら楽しいお上りさんの散歩が出来た。
またきましょう、とは妻の感想だった。
※後日の追加です:山の上ホテルをアールデコ調と書きましたが、思い出すのは当ノート2011年12月の記事でした。筆者は母校の旧病院の写真を付してアールデコ調と書きました。改めて山の上ホテルの写真と見比べますと、よく似ています。
病院は1939年、ホテルは1937年の竣工ということ、当時よく似た建造物が各所で見られたことが伺われます。様式の流行は昔のほうが濃厚だったのかもしれません。また当初、御茶ノ水駅の表記がばらばらだったこと反省しています。
どか雪の昨日JAFに助けられた。
昨日からの寒波で上越市大潟区は今年一番の雪に見舞われた。
その昨日、筆者は田んぼの中の一本道でのすれ違いの際、土手へ脱輪し走行不能となった。
大きな車をよけようと路肩に積んである除雪された雪に近づくとそこはすでに土手。積まれた雪は柔らかく斜面は急で、前後の左タイやがずるずると滑り落ちた。四駆ながら前進もバックもアクセルを踏むほど落ちていき、脱出出来ない。
お世話になっているスタンドは人手が無いということ、JAFに電話した。場所の説明に手間取ったが35分後に到着すると知らされた。
近くに同級生宅があり、訪ねてJAFの到着まで待たせてもらった。お茶を頂いた後、時間なので出るとちょうど車が来るところだった。
若いスタッフが一人、状態の観察や作業、私への指示も寸分無駄なく行われた。搭載のウインチでゆっくり引き上げてもらい、損傷のチェックなどのアドバイスも丁寧だった。
悪天候の中、迅速な対応にも拘わらず会員だったので無料だった。JAFは不安な急場を丸ごとレスキューしてくれ、本当に助かった。
当初車中に居る時、すれ違う車が止まったり、スピードを落として心配そうに見て行った。二次の事故につながらず胸をなで下ろした。
今朝、このあたりから来た方が、近くに沢山車が落ちていましたとおっしゃった。その一号が私だったのかもしれない、本当に恥ずかしい。今冬の沿岸は小雪だったが、一昨日から今朝にかけての雪はひどかった。
しものがえ 汽笛に涙。
連日雪の予報はあるが美術館の頸城区、仕事場の大潟区ともほとんど積雪がない。但し明日から寒波という話も聞こえる。
さて、一昨日は皆様からお聞きした話として、農家の忙しい冬を書かせていただきました。本日は知る方もいらっしゃると思いますが、「しものがえ」です。
初めて聞いた言葉しものがえは、お嫁さんをもらうと、今度は相手方の家にこちらからお嫁に行くことを指しています。一定の年月の間に二つの家の間でお嫁さんが往き来するのですね。
なるほど、一度親戚になっているので、互いの家の様子が分かっている。問題がなければ安心であり、他を探す手間が省ける利点?が考えられます。
“親戚が増えないことも良かったのです”とも聞きました。余計な親戚づきあいを省き、倹約にもなるということですね。
しものがえは戦後のある時期まで、珍しいことではなかったと云います。昔は子どもを沢山生みましたのでこんなことができたのですね。(様式はともかく、言い方は当地だけのものかもしれません)
ところで当院では、冬期の通院の厳しさを考えて慢性の方にはお薬を長めにお出ししてます。それでお正月が終わったばかりの今頃はかなりヒマなため、何かと皆様に昔のことをお聴きしています。次は今夕の方のお話です。
“15才で名古屋に女中奉公に行きました。たまに親から手紙が来ましたので風呂場で読みました。その時に汽笛が聞こえると帰りたくて涙がでました”
この方は私より7つ年上、奉公はさほど古い話ではないことも知りました。
小生が撮った10代のころ(1950年代中頃)の上越市大潟区の広い海岸。
夢のような春の浜は浸食され、いくらお金を出してももう戻りません。
小春日和となった日 カルメン故郷に帰る 昭和27年の上京。
このところ雪も降らず風も無く、時に雨の日があったので樹下美術館の雪はおおかた消えた。
夜になると隣室からテレビ映画の音が漏れ聞こえる。いつものように何の映画?と妻に聞く。「カルメン故郷に帰る」だった。一、二度みているが、いずれも断片的だ。
国産初のカラー映画ということ、随所で“色”が意識されていた。木下恵介監督、高峰秀子が綺麗で滑稽、牧歌的な軽井沢と浅間山が素晴らしかった。
昭和26年製作ということ。主役の踊り子が乗る貨車は草軽電鉄の凸型電気機関車が牽いた。
昭和20年代の社会には戦争の傷跡とナイーブな民主主義への期待が織り混ざり、児童生徒であった私にも独特な時代の味わいが残る。
昭和27年、5年生の夏休みに若い叔母に連れられて、姉弟と三人で東京へ行ったことがある。信越線の車列は長く、上野まで長時間かかった。
その車中、痛々しい姿の傷痍軍人がたびたび募金箱をもって現れた。お金を入れるかどうか、子供心に苦しんだ。
赤羽か大宮(あるいは双方?)では駅構内の大きなレンガの建物が大破したまま、爆撃の痕が生々しかった。
三人で一週間ほど寝泊まりして世話になった年配の叔母は、築地で幼稚園を営んでいた。彼女は美しい人だった。
幼稚園では、近くの米軍病院(旧聖路加、現国立がんセンターの場所)の看護婦さんたちの子どもを多く世話していた。お母さんたちが院内の免税店からラッキーストライクなどのタバコをみやげに買ってきたが、叔母は笑顔でそれを私たちに見せた。
他の時の伯母はとても疲れて見えた。銀ブラや読売ホールの音楽会、神宮球場、上野動物園などへ連れて行ってくれたのは若い叔母だった。
「パンパン」「ルンペン」というような言葉を教わり、「私もルンペン」と若い叔母は笑った。僅かの米を持参して上京した三人の子供。昭和20年代の東京の親戚には迷惑な事だったろう。後年幼稚園の叔母にそのことを言うと「分かってくれたかね」とにやりと笑った。今その伯母もない。
「カルメン故郷に帰る」では軽井沢の生徒達が美しいオルガンの音に合わせて男女で踊る。
昭和29年から髙田市の某中学校へ通ったが、ある日、映画「二十四の瞳」の鑑賞学習が市内の映画館であった。やはり木下恵介氏と高峰秀子さんの映画だ。
その往き帰り、男女が手をつないで歩くように言われた。
民主教育の一環だったのだろうが、大変に恥ずかしかった。私は実は手をつなぎたい人がいたが、実際は当然別の人で、覚えていない。
健診を生かす はくたかに虹 クリスマスリース作り レス・ポールの虹の彼方に。
本日午後、ある工場の健診結果に対する個人面談があった。過食、偏食、アルコール、喫煙、塩分過多、運動不足、そしてストレス。これら七つは何処でも変わらない課題だ。
生活上のほどよい節度なしに薬だけに頼るのは問題の解決にはならない。健康な人生、健康な老後を考えれば自ら納得してぜひ望ましい生活習慣に向かってほしい。
本日の事業所は長いお付き合いもあって、工場長以下担当者の意識は高く、個人面談の理解や反応はもとてもいい。
さてこの時期の悪天候は虹と遭遇しやすい。本日も事業所の帰りに見事な虹と出遭った。
虹を背景にほくほく線の特急はくたか号。強風のためのろのろと走っていたので写せた。
家を覗くと妻の友人たちやスタッフが、知人の奥様からクリスマスリース作りを習っていた。一段落して隣室でお茶だった。女の人達はよく集まり、よく話す。
女性は存在価値を確認するために和(輪)を広げる。
存在価値がよく分からない残念な男たちは、敵を求めて人迷惑なことをする。
名ギターの生みの親で名プレーヤーの故レス・ポールがお爺さんになって「Over The Rainbow」を弾いていた。
エンディングは華やかなカデンツァから穏やかなルートに戻って終わった。
私の車。
今夕、直前まで雲は良かったのに、どういうわけか、さほど芳しい夕空にならなかった。
せっかくだから海辺で車の記念撮影をした。
愛車(のつもり)2000ccトヨタ・プログレは平成17年12月に購入。「小さな3ナンバー」の概念を体現する当車は、在宅回りや往診で細かい所へ入って行き、4駆なので冬も強い。
10万キロを越えた現在でも大変静かに走り、代行の運転手さんによく褒められる。
車にさほど執着が無かったので、それまで日本車の5ナンバーばかりだった。ただ一度乗った外車は卒業後、1960年代後半に買ったフォルクスワーゲンだった。
当然中古のポンコツで、何度も故障した。ある時、大通りで「クラッチのバネが切れる」という目に遭った。
信号待ちからの発車でクラッチを踏むとスコンと言ったきり全く動かなくなった。どうしょうもない故障だ。ドアを開けて、ハンドルを操りながらソロリソロリと押した。JAFに初めて入ったのは多分その時。
バタバタ、バタバタと走る空冷車。緊張のデートでよみうりランドへ行った時など、なにより無事な帰還を祝った。
プログレは既に廃盤となっているが、15万キロ以上は何とか乗っていたい。
一時間の夕暮れピクニック 電車を見ながら夏の田んぼで食事。
爽やかに晴れ上がり、気温も30度を越えて梅雨開けを思わせる一日。何処へも出かけなかった連休最後の夕食は、雲が良かったので妻が用意した食事を持って車に乗った。
上越市大潟区は海辺の町で砂丘の丘陵地。周囲もフラットなので、雲や夕焼けがよく見える場所が色々ある。
今日は夕映えのほくほく線を見ながらの食事のつもりで、田んぼへ向かった。海だと思っていた妻は怪訝な表情。
バスケットは冷やし中華にピータンと枝豆(大潟ナショナルカントリ-産)。
妻はビール、私はサントリーのオールフリー(ノンアルコール)。
![]() 中谷内の池から米山と尾神岳を見る。 |

蜘蛛ケ池の田んぼで上り電車を見て。
岩野の水田から妙高方面。

潟川を渡る。
当所のほくほく線は、田んぼの中をほぼ4キロに亘って高架橋と一部盛り土が続く。遮壁もないのでその間、電車の往き来がまるまる眺められる。灯りだけ小さく見えた電車がみるみる近づいては去る。ドキドキするが、はくたかのシャーッと言う音とスピードは元気がでる。
およそ一時間の近郊ドライブ。夏の田んぼで手軽な旅情を楽しんだ。
家屋が受けたストレステスト 特急はそろりそろり。
昨夜の風には家の倒壊を真剣に心配した時間帯があった。築90余年の古い家に居たが、容赦ない暴風に対して大声を出したり唸ったりしながら家屋は必死に耐えてる様相だった。図らずも本番による厳しいストレステストを受けたのではなかったのか。
一夜明けて会う人ごとに風の話だった。屋根屋さんは手が回らないほど忙しかったらしい。田畑でハウスなど多くの被害を見た。
ほくほく線は「くびき」ー「犀潟」間で平地に出る。まだ残る風の中、特急はそろりそろりと高架橋の上を走っていた。
低気圧は去ったがあの膨大なエネルギーを電力に変換したり蓄電できないことかと思った。
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