樹下だより

自然で優しい異能の人、司修さん

2010年9月26日(日曜日)

司修(つかさおさむ)先生は優しくて魅力的な方だった。本日午前、筑波進先生のご案内で樹下美術館をお訪ねくださった。私は大緊張してお迎えした。こちらの緊張を見て余計優しくなさったのかもしれない。

そのむかし、氏は練馬の倉石隆宅近くに住まわれ、お二人は毎日のように往き来されたという。本日は、館内で倉石氏の挿絵原画を顔を付けるようにしてご覧になり、なつかしいなあ、うまいなあ、と仰った。陶齋の陶芸作品も熱心にご覧頂いた。

絵をご覧の司さん
倉石氏の挿絵原画をご覧になる司氏

 カフェで
倉石氏の絵の前でお茶

 その後、カフェでお茶をご一緒した。若き日に倉石氏などお仲間たちと大いに飲み、議論し、時には喧嘩もしたことなどをお聞きして楽しいひと時だった。先生は若々しく、眼差しに青年の光を保有される。あったかもしれない不遇などは,みな教養と力に変えて膨大なお仕事に臨まれたことだろう。

 先生の画業、なかでも装丁と挿絵はその界の寵児の観がある。調べてみると装丁(挿絵がはいることもある)は、三浦哲郎、埴谷雄高、佐佐木幸綱、夏樹静子、大岡昇平、向田邦子、松本清張、石井桃子、中村真一郎、佐木隆三、井上光晴、山田風太郎、吉田健一、谷川俊太郎、瀬戸内晴美、椋鳩十、西脇順三郎、梶山季之、有吉佐和子、金子光晴、赤川次郎、小川国夫、水上勉、加賀乙彦、大江健三郎、岸田今日子、星新一、遠藤周作、柴田錬三郎、立花えりか、江藤淳、白石かずこ、黒岩重吾、竹中労、室生犀星、長谷川郁夫、野坂昭如、古井由吉、松谷みよ子、いぬいとみこ、阿刀田高、森敦、石原慎太郎各氏ほかのご本に。ギヨーム・アポリネール、バーネット夫人、ウラジーミル・ナボコフ、ミヒャエル・エンデ、ジュール・ベルヌほかの翻訳本、そして多くの文庫本と、ご活躍は驚嘆を禁じ得ない。

司さんのご本樹下美術館が所蔵している司さんのご本(一部はカフェに出ています)

 また小説家として自ら著作、挿絵、装丁(作者自装)になる書物も多数にのぼり、小生の僅かな蔵書でも格別な趣が感じられる。作品では人の遠く暗い場所に潜む生き物の、あるいは個人の源がしばしば掘り出される。それらによってある種経験の共有感覚が呼び覚まされ、読み終えると浄化を受けたような深い作用を感じる。

 これまでに得られた1984年ボローニャ国際図書展グラフィック賞推薦、ライプツィヒ国際図書賞金賞、講談社出版文化賞ブックデザイン賞、小学館絵画賞、小学館児童文化賞、毎日出版芸術賞、川端康成文学賞、などの栄誉は自然なことだったにちがいない。

  本日午後から高田やすねで上越芸術協会・たかだ文化協会主催による先生のご講演があった。画業の遍歴から最近のお仕事である与謝蕪村まで、興味つきないお話に時の経つのを忘れた。最後に、これまで出会った全ての人が自分の先生だった、と振り返られた。

著作の一つに、お母様の生地を新潟県東頸城に探し当てる小説「紅水仙」がある。氏はまた倉石隆、矢野利隆、賀川孝、矢島甲子夫、筑波進氏ら上越出身の画家と親交を結ばれ、当地は初めてではないとお聞きした。私たちとの縁は決して薄くはなかろう。

先生、このたびは本当に有り難うございました、ぜひまたお越しいただきたいと思います。

本日の秋晴れ、そして明日は司修さん

2010年9月25日(土曜日)

雨によってクリーニングされた空。こんな日の雲は特に楽しい。ぷかぷかほわりと、一日中くったくなかった。

 柿崎区坂田池 今日の柿崎区坂田池(左に米山、右に尾神岳)

 

明日は司修(つかさ おさむ)さんをお迎えする日。氏は絵画、装丁、文学の異能の人としてつとに知られる。このたびは上越市展の審査に来越され、明日は上越美術協会・たかだ文化協会主催の講演会でお話しされる。

司氏は無所属で元主体美術協会の創始会員。樹下美術館常設展示の倉石隆氏とは共に歩まれた間柄とお聞きしている。明日、光栄にも同会・筑波進氏のご案内でお訪ね頂くことになった。不勉強な私などはコメントできる立場ではないが、氏の多彩で繊細なお仕事には深い教養と強靱な心身のバネを感じないわけにはいかない。

中学校の学歴を最終として映画の看板書きから画家、挿絵・装丁家、そして小説家にまでなられた人。1999年に法政大学文化学教授、2005年に同名誉教授のご経歴はそれだけで貴重な物語であろう。

 

樹下美術館のデッキ 今日の樹下美術館のデッキ

 明日のお天気も良い予報が出ている。我が小館振りは恥じ入るばかりであり、緊張をもってお迎えしたい。

陶齋の椿、図録の追い込み

2010年9月22日(水曜日)

  小館といえども収蔵図録の一冊もなくて美術館とは言えない。こんな気持ちで今年冬から初夏まで夜を徹して図録制作に没頭した。それが夏になって暑さと年のせい?でペースダウン。最近、ようやく先行させた陶芸で写真レイアウトとキャプションの原型が出来た。

 

 作業を通して陶齋が絵付けした植物文様の多様さをあらためて知った。そこで作品のほか文様集のようなページを追加することにした。 

陶齋の椿文 
   上掲は約30種にわたる植物文様の中から椿を掲載させて頂いた。藍色の染め付け、黒・茶系の鉄絵、赤紫の辰砂(しんしゃ)、青磁に白土の象眼、辰砂に彫り、白磁レリーフ、華やかな色絵と、技法も多様。年代でみると、初期の花びらは先端に鋭い切れ込みが入るものが多いなど、時代による特徴もみられる。 

 

 図録はオーソライズされる使命があり制作にはプレッシャーがかかる。専門の学芸員も特別な予算も望めない我が樹下美術館。個人美術館ならではの愛着とねばりによって胸突き八丁を抜けたい。

樹下美術館にさわやかなオリジナルグッズ

2010年9月13日(月曜日)

 雨は降らないという一昨日の当て推量が外れて、同夜半から午前にかなりの降水があった。昨日伺った農家で「もう十分」というお話を聞いた。
 秋めいてはいるが油断できない、と思うのも少々悲しい。今年のお天気は本当に難しい。

 

チョーカー 
革紐を通しています。

 

 さて、絵はがきのほかにグッズらしい物が無かった樹下美術館。このたび当地の海で集めたシーグラスをチョーカーにして窓口で販売することに致しました。

 

 どのくらいの年月、海を旅したのでしょう、穏やかに角が取れたさわやかなグラスを選びました。春夏のほかに秋冬は薄手のセーターなどに合わせてはいかがでしょうか。

 

 発売は今月23日(金曜日)から致します。価格は一本1000円から1600円を中心に予定しております。優しく珍しい品だと思います、ご来館の際にはどうぞお手にとってご覧下さい。

 「ブリューゲル 版画の世界」展

2010年9月5日(日曜日)

 本日高田小町で、西洋美術研究家で明治大学名誉教授・森洋子さんのお話を聞く機会に恵まれた。先生はブリューゲル研究の第一人者として現在、東京、京都、新潟を巡回中の「ブリューゲル 版画の世界」展を監修されている。

 
 バベルの塔、雪中の狩人、農家の婚礼、子どもの遊戯、ネーデルランドの諺、など々で知られるブリューゲル。詳細さと思索の絵画は「人間だれでもの」の探求だった。作品は絵画的にも優れ、描かれる命の動態のリアルさから、16世紀にしてDNAの素性を知っていたかの如くである。

 

100904森洋子さん 
楽しいゼミのようだった講演

 

  森先生は自らの生地である新潟県上越市おける雪景色、子ども時代の遊び、山々の眺めから、ブリューゲルへの親しみを強められたと仰った。

 

 存在への警鐘を鳴らしつつ素朴な農村とその暮らしを温かく見守ったブリューゲル。超絶技法になる版画は時代のメディア的役割を担い、情報と教養を伝達するに相応しいものであったという。インパクトある作品は私たちに対しても目覚めと共感をもたらすにちがいない。
  

一級の研究者からブリューゲル版画について詳しい図説と懇切なお話を聴講出来て非常に幸運だった。新潟市美術館における展覧会を是非訪ねたい。

 

  ベルギー王立図書館所蔵  「ブリューゲル 版画の世界」

ブリューゲル版画の世界  
  2010年9月4日(土)~10月17日(日) 新潟市美術館
  ●開館:午前9時30分から午後6時(観覧券販売は午後5時30分まで)
  ●※休館:月曜日(9月20日、10月11日は開館)

カフェの本の紹介

2010年8月30日(月曜日)

 今春来、樹下美術館カフェに追加された本と、最近加わりました本をまとめてご紹介致します。後日ホームページ「本」欄に掲載致します。

ムンク画集

 ●ムンク画集 油絵 下絵 習作
著者:アルネ・エッグム   
翻訳:西野嘉章
発行:株式会社 リブロポート  1991年12月6日発行 

 ノルウェーのムンク美術館に収められている膨大な作品を年代順に配列し解説してある。絶え間ない喪失、愛、不安に対して心の深層を絵画の実像として描き切るムンク。
 ゴッホやゴーギャンと同時代的であり、揺れる背景に加え、新鮮な構図と色彩も独特で魅力的。有名な「叫び」の成立についてもよく触れられている。オーソドックスな作品のうまさも見逃せない。

幸福を求めて ●幸福をもとめて
著者:司修
発行:(株)新書館 1997年3月30日 

 帯に「自分探しの物語」とある。犬になぞらえられる主人公は「とにかく」旅に出る。旅は人生であり、夢のようでもあるが、最後に不思議な城の一室にたどり着く。普段何もしなかった城の住民は、ある日から神とも悪魔ともつかない大きな木の出現に翻弄され、最後に木を切り始める。
 主人公はそんな住民の行為を嫌う。ある日、部屋に架かっていた古い肖像画が実は若き日の自分だと分かって、それを抱きしめる。

 住民は「むだなことばかり」と言いいながら木の始末をしている。主人公は月の高みに憧れるが、皆の「むだなことばかり」の声に「ぼくもひたすら」と応じる。心と幻想の人、司修自身による上質な挿絵も見応えがある

女人暦日

女人暦日  濱谷朝追悼写真帳
撮影・著者:濱谷浩
発行:限定1000部(私家版)1985年10月13日発行 

  戦後間もなく、上越高田において一服の茶を通して朝(あさ)さんと運命的に出会った写真家・濱谷浩。2人は同じく高田に仮寓していた堀口大学の媒酌で夫婦となる。
 本書は1985年に亡くなった夫人を追悼して作成された私家本。A4サイズ沙羅コットン紙24枚に一枚ずつ写真が印刷されている。戦後間もなくの時代を考えれば全ての写真の美しさと詩情にハッとさせられる。
 激変する社会にあって、四季折々の女性の姿を残したかったと、文中に述べられている

ジャズミュージシャン3つの願い

●ジャズミュージシャン3つの願い
文・写真:パノニカ・ドゥ・コーニグズウォター
訳:鈴木孝弥
発行:株式会社ブルース・インターアクションズ 2010年1月10日発行 

 著者パノニカ(通称ニカ)はフランス生まれの富豪ロスチャイルド家の人で、外交官の男爵夫人。1950から60年代にかけて世界を席捲したモダンジャズの黒人プレーヤーたちを物心両面で支援した芸術パトロンだった。

 ニカはジャズプレーヤーたちに3つの願いを聞いていた。この本には300人におよぶミュージシャンの答えが、貴重な写真と共に掲げられている。金、健康、名声、センス、テクニック、良い楽器、友情と平和、家族の幸福などに混じって「白人になりたい」はマイルス・デビスだった。「日本に住むこと」という回答にも出会う。ミュージシャンたちの身近な写真と思いが詰まった珠玉の一冊。

現代日本の建築家  

●現代日本の建築家 優秀建築選2009
発行:社団法人日本建築家協会 平成22年5月27日発行 

 日本建築家協会は日本でただ一つの建築家を会員とする公益法人で、4800人の会員を擁する。
 毎年同会によって全国の建築物の中から優秀建築200作品が選定される。新潟県上越市の建築家・大橋秀三氏が設計・管理された当樹下美術館が09年度の入選作の一つに選ばれた。氏は多くの受賞歴を有される。
 本書巻末に「すぐれた建築があるのになぜ街の景色は美しくならないのか、建築家は反省しなければなりません」とあった。

 建物と景観の調和は、いわゆる昔のほうが優れていたのではなかったか、の思いを払拭できない。ささやかな樹下美術館の建設に際し、そのことを精一杯心砕いたつもりだった。今後も環境と建物が優しく調和して成長できればと願っている。
 選定された建築物が一件2ページずつ丁寧に紹介されている。大橋秀三氏の益々のご活躍を期待したい。

 

【上記とともに追加された本】
●日本のファッション 明治・大正・昭和
著者:城一夫 渡辺直樹
発行所:株式会社 青幻舎 2008年12月1日第三版発行
あふれる詩心 版画と陶芸 川上澄生/棟方志功/齋藤三郎
編集:新潟県立近代美術館
発行:新潟県立近代美術館©2009
●昭和女人集 
著者:濱谷 浩 
発行:毎日新聞社 昭和60年4月30日発行
●女人日日 おんなのひび
著者:濱谷 朝
発行:文化出版局  昭和60年11月11日発行
●貝原浩鉛筆画集 FAR WEST
著者:貝原浩
発行所:現代書館 2007年1月25日 第一版第二刷発行
●2010 ART/X/TOYAMA in UOZU 
 第6回富山国際現代美術展
発行:富山国際現代美術展実行委員会
●2009 CONTEMPORARY ART FESTIVAL NEBULA
発行:CAFネビュラ協会 2009年11月18日発行
●デビッド・マリンがとらえた 宇宙の神秘
著者:DAVID MALIN
発行所:(株)誠文堂新光社 2000年3月27日発行

 

 

イワン・ラツコビッチ・クロアタの世界

2010年8月19日(木曜日)

 新宿駅東口を出て左へ徒歩15秒のルミネエストB1のビア&カフェBERGベルグ。同店内におけるイワン・ラツコビッチ・クロアタ氏の作品展示のご案内を頂きました。

画像

 

 

画像 001

8月1日(日)~8月31日(火)までの展示です。
お近くへお出での際はどうぞお気軽にお立ち寄り下さい。

 

 

 ラツコビッチ氏はクロアチアを代表する画家の一人で、故郷の澄んだ風景と伝統的な暮らしを描きました。氏独特のペン画はナイーヴアートと呼ばれる如く素朴かつ詩的です。

 今は亡きラツコビッチ氏ですが、1992年から2001年まで新生クロアチアで国会議員を務めました。今展示はクロアチア大使館が後援しています。大使は詩人でもあるそうです。芸術家が政治・外交に関わっているとは!とても新鮮です。

 

 催事の企画は山崎富美子さん(ラツコビッチ・アート・ジャパン)。ご案内は上越市大潟区ご出身の渡部典さん(机上工房)から頂きました。両人のご好意で樹下美術館のカフェにラツコビッチ氏の貴重な作品集を置かせて頂いています。

 

ラツコビッチ画集

画集は命の尊さも伝えています。

あまた蓮咲く夏の外濠、そして木村茶道美術館から

2010年8月1日(日曜日)

  珍しく今日は二つも催しを回って楽しかった。

 

 最初は高田図書館のBlue Sky Project2010。微笑~深刻、単純~複雑、多数の作品を見て久しぶりに多くの人と会った気がした。作品が手頃なサイズに規格されていて見やすく、共通テーマが平和なので自然と心暖められた。

 

 会場周囲では外濠から吹く風が湿った蓮の香りを含んでいた。広大な濠全体が花と共に匂って、盆を前にあまたの仏を迎える支度を始めている。毎年訪れるスケールの大きい夏景色だ。 
 

お濠の蓮 
 どの花が尊き人を泊めたやら あまた蓮咲く夏の外濠   sousi

 次が筑波進さんの同プロジェクト協賛イベント「青の世界展」へ。No More Warの青による鎮魂は際限なく心に滲みる。小ぶりな裸婦のほか残像として画面に時間を与えた作品も魅力的だった。そしてお仕事場が昔の病院のようで、懐 かしくもあり心地良かった。

※今秋予定の司修(つかさおさむ)氏の講演案内を頂き有り難うございました。非常に楽しみです。

    

 一方樹下美術館では、開館早々に柏崎から木村茶道美術館の関係者がお見えになった。お当番に留守を任せて来られたということで、ゆっくりしていただいた。同美術館へはもう二十年以上通わせていただいている。

木村茶道美術館の皆様 
  「我が心の美術館の皆様、あらためて有り難うございました。貴美術館は茶道が生きている貴重な施設です。 心遣い、しつらえ、密かにお手本とさせて頂いています。近くに良い美術館があることを幸せに思い誇りを感じます。

間もなく秋、皆でまたお伺いすること楽しみにしています。」

お知らせ・山中阿美子さんの講演会「父倉石隆との思い出 そしてマッシュルーム」

2010年7月30日(金曜日)

 

 【樹下美術館三周年、秋の催しのお知らせ】

 

講演会お知らせ

 

 11月6日(土曜)午後2時から樹下美術館において「父 倉石隆との思い出 そしてマッシュルーム」と題して山中阿美子さんの講演会を開催いたします。

 

カトラリーやインテリアのプロダクトデザイナーとして活躍される山中さんは当館常設展示作家の画家・倉石隆氏のご長女です。幼少から高校時代まで上越市にお住まいになりました。

東京芸術大学の在学中、学生仲間三人で第一回天童木工コンクールにマッシュルームスツールを応募し、入賞の栄誉に輝きました。しかし難度の高いデザインであったため商品化デビューがなったのは、実に40数年後の2003年でした。

その後マッシュルームは人気となり、 2008年パリにおける日仏修好150周年記念行事「日本の感性展」で展示されました。好評を博した作品は2009年、パリ国立装飾芸術美術館のパーマネントコレクションに選定され、世界の名作家具の仲間入りを果たしました。

ご講演では父倉石隆の思い出とともに興味深いマッシュルームの物語をお聞き出来ることと思います、どうかご期待ください。

マッシュルーム
開館以来語り合っている樹下美術館のマッシュルーム

 会場は定数60人余と小さめです。ご予約お申し込みは樹下美術館窓口か、またはお電話でどうぞ。

 樹下美術館 電話 025-530-4155

上越市板倉区、増村朴斎記念館を訪ねた會津八一、齋藤三郎、そして女性。さらに南摩綱紀のことなど。

2010年7月25日(日曜日)

手元に二代陶齋からお預かりしている一枚の写真がある。會津八一が当館常設展示作家の齋藤三郎(陶齋)らとともに増村朴斎(本名:度次・たくじ)碑の前で撮ったものだ。碑は朴斎邸(現増村朴斎記念館)の西隅に今もしっかりある。
朴斎は明治29年、雪国上越市板倉に有恒学舎(現有恒高等学校)を私費で創立した貴重な教育者だ。八一は早稲田大学卒業後、明治39年に同校英語教師として招聘され4年間教職を勤めている。

碑について、八一は昭和17年の朴斎逝去に際して依頼され、碑文の揮毫を果たしていた。

 

当写真の撮影は1950年(昭和25年)前後だろうか。写真の服装から個人的な板倉訪問だったと伺われる。いかつい表情の八一を真ん中に左端に若き陶齋、戦時服などの男性、そして右端に着物の女性が写っている。一緒の陶齋は八一から泥裏珠光(でいりじゅこう)の号を戴くなど、親交があった。

男揃いの中、すらりとして明るく右端を占める女性が気になる。撮影者が当時高田市に居て文人や地方風土を撮っていた写真家・濱谷浩氏だとすると、女性は朝(あさ)夫人が考えられる。濱谷氏は八一、陶齋とも知己を得ており、人物の配置などからも氏による撮影が考えられるが、どうだろう。

 

會津八一と陶齋
朴斎碑の前で八一、陶齋ら。
今日の朴斎碑
今日の朴斎碑。

さて本日午前に訪ねた記念館。園内でシルバーから派遣されているという女性が一人庭掃きをしていた。樹下美術館も静かだが、ここはさらに静かなようだ。

資料をみると建学時の新潟県下の中学校(現高等学校)はわずか5校で、上越地方には現・県立高田高等学校の一校のみだった。私費をなげうった朴斎の教育への情熱と困苦は如何ばかりだったか。雪国に建った有恒学舎には感銘を受けて多くの著名人が訪ねてきたという。
そもそも氏は父・増村度弘(のりひろ)の遺訓を継いでおり、度弘は會津藩士・南摩綱紀(なんまつなのり・号:羽峰)の薫陶を受けていた。会津藩士で昌平校を出ている羽峰は、會津戦争の敗戦で高田藩謹慎となっていた。高田の羽峰は教育啓発で一帯に広く貢献をし、後年は東京帝国大学教授をつとめた。

 

記念館は有恒高等学校出身の佐川清氏(佐川急便創業者)が建設し、資料・設備など内部を住民と同窓生一丸で整えたということだ。明治大学ラグビー部の名監督と謳われた北島忠治氏も同校の卒業生と聞いた。

一階に、有恒学舎の教員たちを描いたユーモア溢れる似顔絵があった。若き會津八一が描いたもので、如何にもという人物たちが一筆でサッと描かれていた。大変に達者な絵筆だった。(コピーをもらえます)

有恒学者教員の似顔絵
八一による七凹八凸(ななぼこやでこ?)の図。幅1メートル少々あります。
右端が増村朴斎(倫理・漢文)、4人目が會津八一(英語)のようです。
「坊ちゃん」を彷彿とさせます。

 多くの展示物の中に、書は人の品格という言葉があり、印象的な文字や詩句に触れることが出来た。大きな建物ではないが格調を備え、うまくまとまっている。夏の昼下がり、清々としてまた来てみたくなった。

話変わるが、拙宅に南摩羽峰の筆になる背の高い屏風がある。祖父の開業以来、待合室に前島密の額とともにあった。今は別室にあるが、以前から屏風を知っているお年寄りに羽峰を勉強してと言われていた。陶齋の写真がきっかけで、本日ようやく実地研修の一端を済ませた気がする。

そしてあらためて思った、真の地域力とは若者を羽ばたかせる教育・教養力ではないのだろうかと。またそれはどこにも共通する要素ではないだろうかと。

※以上記述は増村朴斎記念館資料/野の人 會津八一:工藤美代子著 (株)新潮社発行/福縁随所の人びと:濱谷浩著 (株)創樹社発行/會津八一記念館ほか関係ホームページを参考にしました。

※今度は当院の古い待合室にあった南摩羽峰の屏風、前島密の額、前島家の教育係だった女性マツが書いた「杉田医院」の古い看板などを掲載したいと思います。今日はとても長くなりました。

2025年11月
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30  

▲ このページのTOPへ