樹下だより

新潟日報のインタビュー 樹下美術館の拠り所。

2022年9月8日(木曜日)

本日新潟日報の取材があった。
当館15周年の二つの記念行事「ふるさと上越主体美術協会の人々展」「齋藤三郎ゆかりの人々展」が目的だった。展覧会と同様に美術の現況と樹下美術館、これからの樹下美術館など幅広い話に及んだ。
記者のWさんは美術はじめ地域の動向に詳しく、話題も深掘りでさすがと感心させられた。

二つの展覧会では前者はアーティストの個性と、展示して初めて分かる所属団体の気風あるいは漂う「まとまり」のようなものを述べさせてもらった。後者の展示では齋藤三郎の個人的魅力と他に類を見ない戦後疎開文化があらためて話題になった。

途中、メインコレクションの一つであり、主体美術協会に所属した倉石隆の作品と人となりに話が移った。作品に滲む作家の人生、垣間見られる人間とはの問いを考えてみることは、一般論としても意味があり、この度の取材の意義を感じた。

後段には樹下美術館の今後が訊ねられた。これは「収蔵品」「環境」「建築物」への個人的な愛情と責任をどう維持継承するかの問題であり、「もう一人の私のような人間」を必要とする面倒なテーマにほかならない。具体的な解決策があるわけで無く、模索に当たり一日でも長く精魂込めて維持するだけ、とお伝えした。

実際どのような紙面になるのだろう。
ささやかな規模ゆえ樹下美術館は一種「狭さ」から免れない。一端門戸を開き、多くに任せたら、直ちに漂流し荒れ果てる予感を開館の日から危惧し今日に到った。ただ一点、ゆっくりだが樹下美術館はお客様を増やし続けている。そのことが明日への希望に繋がるのではと漠然と期待している次第です。

 


デビット・ナディアンのバイオリン
フランツ・ドルドラ「Souvenir(スーベニール:思い出)

やっと良い天気になりましたね。

2022年9月4日(日曜日)

日曜日の本日も絵を描いた。風景画は乾かすことにして長く休んでいた椿を描いた。水彩のように薄く薄く塗り重ねているので大した失敗も無く描き進めた。もう少し進んだらここに出してみたい。

午後やや遅くカフェに行った。紅茶とケーキを頼んだ。持って来たスタッフが
「やっと良い天気になりましたね」と言った。
短い言葉だったが非の打ち所の無い一言だった。
光の庭を見ながらお茶とお菓子が美味しかった。
遅い夏休みをする庭でムクゲとサルビアの残花と、奥の方にはオミナエシが咲いていた。

芝生でゴルフボールを打っていると空がきれいになっていたので海へ行った。

帰りの道で釣りを終えた私より少し若い方に出会い、歩きながら話をした。
車が沢山ありましたが、何が釣れたのですか、と訊ねた。
私はダメだったが、早く来た人はイカを沢山釣ったようですと仰った。

長野県の人だったので、信州は山と雲が良くていいですねと言うと、いーえ、海がある新潟県の方がよっぽどいいですよ、と仰る。
無い物ねだりですね、とほとんど二人同時に言ってお別れした。

風景を描き始めたものの 老人ゆえ危ない橋を渡らせられる。

2022年8月29日(月曜日)

幾つかの予想があったように月末に来てコロナが減少に転じ始めた印象がある。

色々現況に問題を残しているが、やってくる予定にも備えなければならない。その予定の第一は拙「館長にひごろ展」だ。
2月3月のころはまだ半年も先と、たかをくくっていたいたものが一ヶ月先まで迫っている。写真はこれまでの中から選び、写真屋さんにお願いすれば良いが問題は絵画だ。

描きためた水彩植物画だけで展示点数は足りるが、この誌上で予告的に書かせてもらったことの中に、新たな油彩があった。そもそも絵を描くのは仕度を含め気持が集中できる出来ないが、取りかかれるか否かの分かれ道になる。間の悪いことにコロナだ心臓だと騒ぐなかで中々キャンバスい向かう気持になれなかった。

それでも一種約束を自ら科したことは事実なので、遅ればせながら先週末から絵筆を執ってみた次第。
以下取り組んだ3点で、いずれも縦27×横43㎝の小さなサイズです。

 

遠くに海が見える土底浜屋敷跡公園の風景。

現在左上の2本の榎木と格闘中。
いずれも土手に白い野菊の群生を描き、遠くに二人の人物を入れる予定。

木を描ければ一通りの風景画になる、と思っているほど木は難しく大切。だが上掲2枚の木の大きさと描き方は文字通り手探り。手探りのほかにもっと「勉強」が必要だと痛感している。最悪の場合木を省略することも頭をよぎった。

 

金原の郵便車の絵。
描き進んでから吹雪のように雪を降らせて冬の絵にする予定。

ほか風景は数点の構想があり、上手く描ければ観ていただけるのではないかと考えている。
だが残り期間は短い。色々やってみてダメなら今年は写真と植物画だけにして油彩はまた先ということも考える必要があるかもしれない。
たとえ自分が満足してもまずい絵はあろう。まして不満足なら恥さらしのほか皆さまを不快するだけのはず。

まことに悩ましいがまず自分が少しでも楽しめる秋になれば。

 

だが果たして秋を楽しむことが出来るだろうか。

 

コロナの相談は車まで行くが、雨の日はカーポートでお会いする。

 

過日の往診。
在宅といい、コロナといい、老人ゆえ危ない橋を渡らせられている気がしないでもない。

偶然カーラジオから聞こえた秋田荷方節と松坂というもの。

2022年8月22日(月曜日)

先日のこと車のラジオから激しい三味線の音色が聞こえて歌が始まった。民謡「秋田荷方節(あきたにかたぶし)」と紹介された。

もとは新潟県の民謡「越後松坂」あるいは「新潟節」が秋田県に伝わり秋田荷方節になったと説明された。
荷方節を耳にしたのは全く偶然。一方「松坂」は今年5 月、加茂市へ行ったとき加茂山公園で松岡譲が揮毫した「加茂松坂」の歌碑を見ていた。甚句や音頭などは耳にするが勉強不足で松坂は知らなかった。調べてみると「祝い歌」「座敷歌」に分類される民謡だった。
そもそもは伊勢参りで松坂地方から持ち帰られ新潟県に定着した民謡の形とも言われている。県内に前述の加茂松坂、新津松坂、魚沼松坂、小国松坂、瞽女歌の祭文松坂ほかがあり、全国各地にも伝承され、驚いたことに近隣には「頸城松坂」もあるということだった。

頸城松坂は優れた民謡らしいので機会があれば聴いてみたい。

一方荷方節は秋田県内で「仙北荷方節」など幾つもあるほか東北、北海道、北陸、関東中部地方各地に多く残されているという。民謡が県や地域を跨いで拡がり創作され伝承される。荷方節に松坂、、、少し調べただけだったが、歌や音曲に対する昔人の意欲を垣間見るような気がした。
それにしても新潟節が荷方節になるとは。

 


素晴らしい秋田荷方節 歌:小野花子 三味線:高橋希脩

歌は「にいがたー」で始まる朗々とした節にテンポの早い三味線の伴奏が休み無く付く。華やかな伴奏は津軽三味線でも取り上げられる難曲の一つらしい。

ちなみに前半の歌詞は
“新潟 寺町の 花売り婆さま 花も売らずに 油売る”と歌われる。

ところで三味線の演奏は何人で行っても同じ旋律をきっちり揃えて弾く。5人、20人でもひたすら同じ旋律。音量は増えるが表情や合奏としての膨らみは生まれない。
なぜ三味線のアンサンブルが無いのだろう。検索してみたが一つもヒットせず少々不気味なくらいだった。パートに別れ、和声に添って複数で合奏するなら三味線独特の素晴らしい和音が生まれそうなものだが、試みはタブーなのだろうか。
(私が知らないだけでどこかで演奏されているのかもしれない)。

個人、家族、在宅、各種施設、、、あちこちコロナの状況はひどい。まみれてると言いたいほどだ。
昨日も今日もそれに悩まされた。明日はどうなるのだろうか。

「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」のご紹介 その3 積乱雲から土砂降り。

2022年8月13日(土曜日)

本日「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」のご紹介が三回目。これで全員のご紹介になります。
このようにして作品について書いたり作家さんの内面を覗くことは難しい仕事だなあと感じました。

わずか9点ですが、個性的な作品ですので、遠くで眺め近くへ寄って構図、形や線、素材、色づかい、描き方、さらに作家さんの息づかいや人柄、作品の意味などを自由に想像してみるのも楽しいのではないでしょうか。

 

午後しばらく晴れて大きな積乱雲が出ていたが、5時半頃から土砂降りになった。

 15時半ころ南の山脈上の積乱雲。

二時間もしないうちに土砂降りになった。

「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」のご紹介 その2。

2022年8月13日(土曜日)

本日は11日に引き続き展示中の「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」から、簡単ですがさらに3点、三人のご紹介です。

作品の解釈、感想は観る人それぞれにゆだねられますが、ご紹介が何かの手がかりになるなら有り難いです。

暑さ厳しくコロナ激しい夏です。
そんななか遠方からお訪ね下さる方もいらして感謝しています。過日は小杉放菴記念日光美術館 の学芸員の方が来館されました。齋藤三郎ゆかりの人々展をご覧頂き、心ばかりの小杉放庵コーナーをお褒めいただきました。本当に有り難うございました。是非貴館をお訪ねさせてください。

「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」のご紹介その1。

2022年8月11日(木曜日)

昨夜は来館者さん向け配付資料、新たな案内葉書などをこしらえプリントしているうちに日をまたいでしまい、午前3時に寝た。
そして目が覚めると12時近く。あれれ、妻は起こしてくれないし、今日は患者さんが来ないので昼まで寝かされたのかな、と時間感覚がはっきりしない。
ああ休日なんだ、と分かったものの配付資料を届けなければ、来館者さんは手ぶらで観なければならない、、。慌てて美術館に出る。

ちょうど主体美術のお仲間が大勢いたしていたので手渡し。若干お話をさせていただいた。筑波先生が引率された皆さまは熱心で、聞こえるお話も面白い。前後に20名ほどの来館者さんが見え、「ふる里上越 主体美術協会の人々展」は樹下美術館にしては良い初日だった。

今後毎回3名の作家さんと作品をご紹介して行きたいと思います。
本日は以下の三点と作者の概要です。配布資料からの勝手な私見をどうかお許しください。

昼まで寝たお陰で体が楽になった。
9月20日までの展示です。どうかお暇をみてお楽しみ下さい。

チームワークを発揮? 良い展覧会の予感。

2022年8月11日(木曜日)

昨日午後は11日から始まる「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」の展示作業を行った。出品者9名、各一点ずつの展覧会といえども初の複数作家の絵画展。過程はこれまでとは異なる神経の使い方が必要で、少々疲労はしたが最後に充実感を覚えた。

新たなチラシ。
倉石隆の作品を「秋」に変更したのでチラシも改めた。

物故者を交えた作品は上越在住主体美術の筑波進先生と涌井和子ご夫婦のお陰で、私が到着したときはほぼ位置決めが終了。近隣の施設回診を終えて戻ると全てが壁に架かっていた。

皆さんが帰ったあと照明を調整するスタッフ。

大小、色調、志向などがバラバラに異なる個性的な9点は専門家の手に掛かり実に自然で生き生きと見え始めた。
ささやかな展示だが、さすが主体美術協会。9点はあたかも良い野球チームのラインナップのようであり、楽しい展覧会になる予感がした。

作品ごとの拙く短い紹介文を作った。

 

9月8日まで延長した好評の「齋藤三郎ゆかりの人々展」

どうか両展ともご一緒にお楽しみください。

8月11日~9月20まで二つの記念展が同時開催。

2022年7月30日(土曜日)

今年15周年の樹下美術館。記念の一つに8月11日から9月20日まで絵画コーナーで「ふるさと上越 主体美術協会の人々展」を催します。展覧会は当館が常設展示する倉石隆が所属した主体美術協会で発表を重ねられるなど協会ゆかりの皆さまの作品展です。

この度は倉石隆はじめ三人の物故者を含めた9名の展示になります。ささやかな会場ですが、賀川隆、矢野利隆両氏のように上越での発表が珍しい方もいらっしゃいます。真夏から初秋へ、どうか個性あふれる作品をお楽しみ下さい。

 

出展者は大口満、賀川孝 ※、倉石隆 ※、篠原真知子、関谷昌夫、筑波進、舟見倹二 ※、矢野利隆、涌井和子の9名です。
倉石、賀川両氏の作品は樹下美術館収蔵品を出展致します。

さて6月23日から始まっていたもう一つの15周年記念「齋藤三郎ゆかりの人々展」。同展が終了する8月9日が近づいていますが、リピートする方や「2度3度と観たい」と仰る方がおられるなど、お陰様でご好評を博しています。

そこで会期を先の「ふる里上越 主体美術協会の人々展」の終了日9月20日まで延長することに致しました。
結果、二つの記念展覧会は8月11日~9月20日まで同時開催となり、行事に厚みが出ることになりました。

熱さとコロナの盛りですが館内は十分に換気を心がけています。マスクを着用されどうか展示やカフェをお楽しみください。

クリームソーダーがカフェ・メニューの仲間入りしました。

熱さつのる日の雲。

2022年7月28日(木曜日)

雨や暑さが行ったり来たりしながら夏が過ぎて行く。午後、日射しは強いが風は秋めいているように感じた日。ベンチのお客様は風が通るのでここが一番と元気に仰った。

お休みの午後、ゴルフの練習に行く時間があった。クラブを短く持ったり長くしてみたり、力を入れたり抜いたり、色々してみるが果たして練習になっているのか怪しい。

終えて美術館に戻って8月11日から始まる「ふる里上越主体美術協会の人々展」に向けて届いた作品の写真を撮った。さまざまな志向の作品を見るのはとても楽しい。小規模ながら面白い会場になる予感がした。近々是非一端をご紹介したい。

夕刻関田山脈の方向に力強い雲が広がったので出向いた。

ごく近くの田んぼで。

20分後別の場所で。
秋に向かって雲が多様に変化する。

そう言えば昨夏の退院後夕焼けの海で自動シャッターを切って自分を写していた。大病などすると自分を撮っておきたくなるらしい。大きな雲を見て恥ずかしいが自分も入れた。

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