樹下だより

長野県からバスが来た。

2022年10月18日(火曜日)

本日午後、長野市芹田公民館の絵画サークル15名様がバスで来館された。

コロナ以来久し振り(何年振り)のバス。

小林古径記念美術館の後当館を訪問された。

展示室の皆さま。
とても熱心に観て頂き感謝しています。

 カフェで一息。

カフェでは蓄音機を聴きたいと仰り、小畑実唄「高原の駅よさようなら」と雪村いづみ唄「ブルー・カナリー」をお掛けした。とても珍しがられ、喜んでいただいた。

私のあこがれ長野県からのご来館。皆さま本当に有り難うございました。
別所温泉に行ってみたいと思っています。

秋空のフェリーチェ。

2022年10月11日(火曜日)

風はあったが空青く晴れた午後、美術館にお洒落な自転車が二台あった。
裏のベンチで自転車のお客様が休まれています、とスタッフの言葉。どんな方だろうと、お会いしに行ってみた。

 

 

鉄テーブルでお茶をされていたのはトラットリア ラ・ペントラッチャ上越ほか新潟市、東京都、川崎市でクオルス・トラットリアとしてイタリアンを展開されている高波氏とお友達の設計家。

ヨーロッパの庭みたいですと仰るお二人。
普段とがらり変わってサイクルジャージ。
お忙しい方がこうして寄って下さるのは嬉しい。

傍らのトクサに赤トンボが羽根を休めている。
スタッフと妻は来年に向けハーブやレモンの木を植えていた。

近隣の青空と雲。

 


ドメニコ・モドゥーニョ「ボラ―レ」。
真っ青な空を飛ぶ思いを歌っている。

学生時代のラジオからいつも流れていた「ボラ―レ(ヴォラーレ)」。秋空の下自転車で来館されたお二人の様子はイタリア語でフェリーチェ(幸福)というのですね。

日鉄工材の皆さまの訪問 植えて4年、初めて実った柿を食べた。

2022年10月1日(土曜日)

よく晴れて過ごしやすかった土曜日。午前の外来中に4日間高熱が続く方、徐脈と前身浮腫の方の往診があり緊張を禁じ得なかった。お一人は緊急入院となり一応安堵した。

本日午後上越市の日鉄工材の方達5人が美術館を訪問して下さった。地域のさまざまな施設を定期的に訪問、学習されているということ。文化団体やサークルの訪問は時々あるが、先端の工業生産会社の方達が訪ねてこられるのは珍しく、同社の文化面に対する取り組みにとても感心した。皆さま本当に有り難うございました。

夕刻庭の柿の木を見ると実が一段と黄色味を増している。ものは試し、一個もいで剥いてたもらったところ甘い!
これなら大丈夫、もう一つもぎ、居あわせたお客さんやスタッフとサクサクポリポリ、美味しく頂いた。驚いたことにスタッフの一人は甘柿を初めて食べたと言い、とても美味しいと言った。

玄関脇のベンチで秋風に吹かれながら食べた。

後口まで甘さが残って美味しく、皆さんの顔に幸せが浮かんだ。
まだ13個ある。これからゴマがいっそう黒くなり甘みも増すことだろう。4才くらいの苗木を植えて4年、初めて実った。美術館で秋の味覚を獲り、味わうとはなんと幸せなことだろう。

来週木曜日午後一時半ころにまた獲る予定ですので、居あわせた皆さまと一緒に食べてみたいと思っています。

ふと耳にしたラジオの「楽曲」と「曲」の違い。

2022年9月24日(土曜日)

本日はまた別の台風がシトシトと雨を降らせた。

話は変わりつまらない事かも知れないが、比較的若者向けの放送などで、かって私達が「曲」と言っていた和製のポップスなどをしばしば「楽曲」と呼称することに大げさだな、と違和感を覚えていた。

一昨日午後、美術館から仕事場へ戻る車中の若向けのラジオでおや?と思うことがあった。ディスクジョッキーが「楽曲」と「曲」を使い分けたのだ。

言うまでも無く楽曲の語感は固く、クラシック音楽の用語のようでもあり、短縮や省略の傾向を好む若者言葉からしてもわざわざ曲を楽曲とは何故?その昔シンガーソングライターの登場あたりから出て来たようでもあり、謎の一つだった。時には楽曲、楽曲の連呼がある放送などは耳ざわりで、スイッチを切ることもあった。

さて数日前の放送です。
30代の人か、若者向けの音楽を熱く語っている。楽曲、楽曲と30秒に10回も言ったのでは。切ろうとした時、次の「曲」は○○です、と突然言葉を変えた。そして“上京する前夜友人とカラオケに行き、この「曲」を二人で歌った。歌いながら途中から涙が止まらなくなり、その時の自分の気持とビッタリな「曲」だった“と話したのだ。

なるほど、彼は二つの言葉を使い分けている?どこが違うのか後にネットで調べてみた。すると“曲は歌詞で楽曲はメロディーが合わさったもの”というものから、“クラシックの曲”、あるいは“どちらも同じ”という記載まであり、すっきりしなかった。

しかしラジオのおしゃべりからすると、少なくとも自分あるいは自分たちが実際に歌う時の歌は「曲」。解説や総論では「楽曲」というのかな、と推量した。但しネットには“偉そうに言う時は楽曲”という皮肉めいた小さな記事があり、少しつかえが取れた。

 


宮城県の長持唄。
いま宮城県の親族が来ていて、新婚さんもいる。

14号台風が散らした落ち葉。

2022年9月20日(火曜日)

九州、四国に被害をもたらした台風14号。昨夜半から当地でも風の音が強まり直撃を心配しながら床に着いた。歴史的とも言われた台風だったが、当地ではさほどの被害もなく、温帯低気圧となり東北地方の太平洋へと抜けていったと聞いた。

以下台風一過の美術館の庭。

 まだ青いままの落ち葉も多い。
意図したように広く満遍なく散らばっている。

ひどい風であれば庭の端か隅に落ち葉を集めるか、一斉にどこかへ吹き払ってしまう。それがなぜこうも上手く均等に散ったのだろう。

今回も一度は払うよう吹いたが、弱まる頃は置くように吹き終えたのか。以前紅葉のモミジがこの様に散って感心したことを思いだした。雨で濡れた地面や草が落ち葉を抑えていたというのもあったことだろう。

明日お天気ならばスタッフは落ち葉掃きに大変なはず。どうか宜しくお願いします。

My condolences(弔意)。

2022年9月19日(月曜日)

ドイツびいきだった父は朝鮮戦争のころから米国の写真雑誌LIFE(ライフ)を数年間購読した。ひなびた農村の道を左右2列で進軍する米軍のモノクロ写真を何度も見た。

ある日華々しくも豪華な式典の写真が載った。エリザベスⅡ女王の戴冠式だった。特に目を奪われたのはカラー写真の王冠で、小さな脳みそが溶けそうなほどきれいだと思った。

あれから70年、国葬で柩の上に置かれた王冠(NHKの画面より)。下段の輪の中央にある317カラットの巨大なダイアモンドはかって南アフリカ共和国政府から贈られたもの。発見当初採掘現場でダイアと分からず、水晶として一旦捨てられたことがあったという。

 

1946年自室の王女(上)、2008年国会へ向かう女王(下)
写真はいずれもgettyimages提供

今夕女王の国葬中継があった。画面から英国の国力と随所に現れる(恐らく真っ当な)キリスト教の教義と儀式を興味深く視聴した。
戦後何度か浮沈を繰り返した英国。今ウクライナへ並々ならぬ支援を継続しているにも拘らず、完璧な葬儀と国民が現す弔意はさすが英国というほかなかった。

中継から三つの事が興味深かった。
○NHK地上波にはさまざまな説明キャプションのほか台風情報まで貼られてゴチャゴチャとして見ずらい。一方BSはこれらが少ないのですっきりして観やすかった。

○弔辞、返礼などは一切無く、大統領が一言聖書の一節を述べただけだった。ずっと聖歌が続き葬送の意義は明瞭で非常に洗練されていた。

○遺影が無い。
僭越至極だが、小生もずっと前から自分の葬式に遺影は飾らないで、とお願いしている。冷たくなって柩に横たわっている本当の自分を感じてもらえば十分だからだ。ただし女王の柩のように自宅の花を、バラで無くとも良いが少量添えてもらえるなら有り難い。

お客様に恵まれる 伝統の萩 ブットレアにヒョウモンチョウ 何度も聴く「枯葉」。

2022年9月18日(日曜日)

本日日中の車は37℃を指していた。台風の影響で一定の風が吹き、暑くはあるが気分が悪くなるようなものでは無かった。

12時頃の駐車場。
新潟日報の記事のお陰もあり夕刻までお客様は途切れなかったと聞いた。
一日二度来館されたお二人様有り難うございました。

美術館の紅白の萩。
秋の伝統の花が暑さの中、笑みを浮かべていた。

仕事場のブットレアはヒョウモンチョウを誘っていた。

 


若い頃は、また「枯葉」かあ、と言っていたが、
何度聴いても飽きなくなった。
紅葉になったらまだ別の「枯葉」を出してみたい。

若い人達にルンバと言っても何?と言うに違いない。

嬉しい新潟日報の記事。

2022年9月16日(金曜日)

過日新潟日報の取材を受けていた。開館15周年記念企画「齋藤三郎ゆかりの人々展」および倉石隆にちなんだ「ふるさと上越主体美術協会の人々展」についての取材だった。
上越支社の記者Wさんは地域や芸術について広い見識を有され、要点をしぼりながらの取材はお話していて楽しかった。本日その記事が朝刊に掲載された。

取材時間はかなり長かったのでどんな記事になるか心配だったが、想像以上のボリュームにもかかわらず読みやすく、ほっとして感激した。

「上越の芸術文化にふれ」のタイトル、樹下美術館15周年・記念企画展のサブタイトルが付いていた。タイトルに格調があり、二つの企画展それぞれの概要が樹下美術館の紹介とともにとても上手くまとめられていた。

申し分けありません、右下の汚れは朝食のイチジクです。
よろしければ全体を大きくしてご覧下さい。

構想2年。2007年、65才で突然のように開館。精一杯の個人美術館の15年は無謀、冒険の指摘も耳に入らないほどただ夢中に、そしてしばしば楽しく過ぎた。心身に良いものは美しくまた美味しく楽しいはず。それの豊かさを文化と呼んで頂けるなら幸せなことだ、と光栄も感じた。

このたびの記事を読み、私の願い以上のものが自然な文体で書かれ、記者さんの力量に深く感銘を覚え、掲載に感謝を禁じ得ない。
世界と世相は決して明るくない。この度の記事がともした一灯の有り難みは身にしみる。歳は重ねたがこの機会に精一杯歩みを進めたい。

本日、さっそく県内遠方から何組も来館者さんがあった。

二つの企画展の期限は今月20日までだったが、貴重な紹介記事を生かして以下のように延長致します。

「齋藤三郎ゆかりの人々展」「ふるさとゆかり主体美術協会の人々展」
につきまして会期を10月25日(火曜日)までに致します。

ホームページのお知らせは週明け20日に直る予定です。

残りの期間までどうか宜しくお願い申し上げます。

新潟日報のインタビュー 樹下美術館の拠り所。

2022年9月8日(木曜日)

本日新潟日報の取材があった。
当館15周年の二つの記念行事「ふるさと上越主体美術協会の人々展」「齋藤三郎ゆかりの人々展」が目的だった。展覧会と同様に美術の現況と樹下美術館、これからの樹下美術館など幅広い話に及んだ。
記者のWさんは美術はじめ地域の動向に詳しく、話題も深掘りでさすがと感心させられた。

二つの展覧会では前者はアーティストの個性と、展示して初めて分かる所属団体の気風あるいは漂う「まとまり」のようなものを述べさせてもらった。後者の展示では齋藤三郎の個人的魅力と他に類を見ない戦後疎開文化があらためて話題になった。

途中、メインコレクションの一つであり、主体美術協会に所属した倉石隆の作品と人となりに話が移った。作品に滲む作家の人生、垣間見られる人間とはの問いを考えてみることは、一般論としても意味があり、この度の取材の意義を感じた。

後段には樹下美術館の今後が訊ねられた。これは「収蔵品」「環境」「建築物」への個人的な愛情と責任をどう維持継承するかの問題であり、「もう一人の私のような人間」を必要とする面倒なテーマにほかならない。具体的な解決策があるわけで無く、模索に当たり一日でも長く精魂込めて維持するだけ、とお伝えした。

実際どのような紙面になるのだろう。
ささやかな規模ゆえ樹下美術館は一種「狭さ」から免れない。一端門戸を開き、多くに任せたら、直ちに漂流し荒れ果てる予感を開館の日から危惧し今日に到った。ただ一点、ゆっくりだが樹下美術館はお客様を増やし続けている。そのことが明日への希望に繋がるのではと漠然と期待している次第です。

 


デビット・ナディアンのバイオリン
フランツ・ドルドラ「Souvenir(スーベニール:思い出)

やっと良い天気になりましたね。

2022年9月4日(日曜日)

日曜日の本日も絵を描いた。風景画は乾かすことにして長く休んでいた椿を描いた。水彩のように薄く薄く塗り重ねているので大した失敗も無く描き進めた。もう少し進んだらここに出してみたい。

午後やや遅くカフェに行った。紅茶とケーキを頼んだ。持って来たスタッフが
「やっと良い天気になりましたね」と言った。
短い言葉だったが非の打ち所の無い一言だった。
光の庭を見ながらお茶とお菓子が美味しかった。
遅い夏休みをする庭でムクゲとサルビアの残花と、奥の方にはオミナエシが咲いていた。

芝生でゴルフボールを打っていると空がきれいになっていたので海へ行った。

帰りの道で釣りを終えた私より少し若い方に出会い、歩きながら話をした。
車が沢山ありましたが、何が釣れたのですか、と訊ねた。
私はダメだったが、早く来た人はイカを沢山釣ったようですと仰った。

長野県の人だったので、信州は山と雲が良くていいですねと言うと、いーえ、海がある新潟県の方がよっぽどいいですよ、と仰る。
無い物ねだりですね、とほとんど二人同時に言ってお別れした。

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