樹下だより

愛知県からのお客様に励ましを受けた。

2022年7月27日(水曜日)

日中美術館に居る妻が折々その日の事を話してくれる。
過日の二組の方たちには直接お会いしたが、一昨日聞いた愛知県からのご夫婦のことは妻からの伝聞だった。

以前お二人は富山県からよく来館されたということだが、愛知に移ってからここが遠くなった。このたび思い切って来てみたが、展示が非常に素晴らしかった。カフェや庭も以前のままで、“樹下美術館ほど素敵な所は無い”と仰ったという。

これだけで十分感激なのに拙ブログを知っておられ、昨年倒れた小生の体の事がとても心配と、涙ぐまれたという。

コロナ、戦争、自身の病、、、良くないことが続くなか、何と有り難い話だろう。多忙に明け暮れ年令を重ねると、ふと悲観に襲われることがある。
遠くからのご夫婦に温かな励ましを受け、つくづく“美術館をやっていて良かった、生きていて良かった”と気持が改まる。
また訪ねると仰って、帰路に向かわれたそうだが、心からお待ち致します、遠路本当に有り難うございました。

仕事場のキンカンにきていたクロアゲハ。
何度も蜘蛛の巣に止まり産卵するような動作をする。
糸に絡まないか心配だったが全く恐れを見せなかった。

秋になったら美術館のブットレアのそばにもキンカンも植えたい。

私より少し若い?二組のお客様との話 あれから一年。

2022年7月25日(月曜日)

過日私より少しだけ若く見受けられた二組のお客様とカフェで話をした。一組は柏崎の女性二人で、最初お二人は柏崎は何も無い、としきりに嘆かれた。しばしば他所から見える方はそんな風に地元のことを嘆かれる。

が私が知る柏崎は先ず桑名藩との関わりなど歴史が古く、謡曲「柏崎」があり、市内に寺が沢山あって、お寺の宗派が色々のうえ焔魔堂まであり、天神様飾りの習慣があり、随所に庚申塔など石塔が多く、越後ちぢみで代を為した大コレクターが大勢居て今日諸美術博物館の礎になっている等々を述べ、にわか知識ながら柏崎は何も無い所ではない、と弁護した。

そう言えばそうだわね、と話が進み、柏崎の人は確かに信心が厚いかも知れないと仰った。
一つとして、よそ様から何かを頂くと子どもさえ先ずお仏壇に供える、と話された。私自身かって柏崎をめぐるなかで、郊外を含め市全体に信心深さが漂うのを感じていた。
私が知らない風情の良いお寺を教えて頂いたり、かってお参りした御嶽社を口にすると、うちは直ぐそのそばと話が弾んで楽しかった。何も無いなどと謙遜しなくても、まず信心深さが漂うだけで素晴らしい市ではないかと思い、教えて頂いた寺を訪ね、いつか必ず綾子舞いを見たいと願った。

樹下美術館のキキョウ。

同じ頃お会いした上越市内二人の男性との話。
立ってお聴きしただけだったが、お二人とも写真好きとお見受けした。拙ブログや写真をあげ、特に鳥は素晴らしい、と褒めて下さった。
また昨7月倒れたことを知っておられ、もう一年ですねと仰り、もう一方は「机上メモ、私もやっています」と話されたのにはびっくりした。

以前はもっとお客様と話したが、コロナになって少なくなった。しかしこのように接してみると、色々楽しくかつ励みになり、続けてみたいと思った。

昨年7月24日夕刻に心筋梗塞で倒れ半分死にかけた。循環器の手術場で寒さに震えながら冠動脈拡張術を受け、三ヶ月一度の通院を続け、お陰様で一年無事過ぎた。
主治医師に勧められていることを口実にするゴルフ以外何かと用事に追われる日々。現在4回目のワクチン接種の最中で、本日自分も受けた。

この先、去る日、齋藤三郎ゆかりの人々でご紹介した深田久弥著「我が愛する山々」から齋藤三郎が登場する火打ち山の一節を書かせて下さい。

第18回卯の花音楽祭 SPレコードで聴いたクライスラーの名曲と長崎の鐘。

2022年7月18日(月曜日)

本日海の日の祝日。月曜日が休みだと大変気持が和らぐので貴重な日になる。

午後「卯の花音楽祭」が頸城区の希望館で開かれた。“小山作之助を讃えて”とサブタイトルがある音楽会はコロナ禍によって3年ぶりだった。
作之助の母は我が家の人なので例年名札付きの席に座らせられ正直恥ずかしい。本日は新潟市から後藤丹もと上越教育大学教授が隣に座られ、光栄かつお変わり無く懐かしかった。

大潟オカリナアンサンブル、大潟ギターアンサンブル、コーラスゆりかご、シニアコーラスさざなみ、コーラスおおがた、卯の花合唱団の地元グループのほかゲスト「サックスアンサンブル E7SS」が招待された。

 

メジャー、ローカル、ファミリー、さまざまな音楽活動がある。耳障りでさえなければ音楽はどのレベルでも楽しめる。本日はグループごとに個性があり楽しく聴いた。
わけてもコーラスおおがたが歌った小山作之助作曲「鏡が浦の驟雨」は後藤丹氏の編曲で、メンバーは9人と少なかったが鮮やか、かつ爽やかなハーモニーが印象的だった。積み重ねられた真剣な練習のたまものにちがいないと思った。

会場の全体換気と休憩を終えた後サックスアンサンブルE7SSがダイナミックな演奏を終えた午後3時ころ、残念だったが所用のため会場を後にした。

本日夕刻美術館でA氏とお会いし持参された2枚のSPレコードを聴いた。1枚は藤山一郎の「長崎の鐘」もう1枚はクライスラーの名曲「愛の悲しみ」「愛の喜び」だった。乾いた夏の庭が雨と出会ったように三曲のレコードは胸深くしみ込んだ。

クライスラー自身が演奏する二曲のSPは貴重で、YouTubeに出ていたが共有に制限があったので「長崎の鐘」を以下に掲げました。

この歌で思い出すのは昭和43年夏、ある大きな団体が行う九州旅行の医療班のアルバイト。
特に長崎市で平和祈念像や浦神天主堂を巡った後、バスガールさんが美しい声で歌った「長崎の鐘」は思い出深い。狭い通りを走りながら説明と歌を聴いて切なく胸に迫るものがあった。

新幹線は一部のみで、車中や船の寝泊まりを入れて5泊6日?、とにかく強行軍だった。真夏の九州をバス10数台を連ねて走り、時々私達はタクシーで最後尾に付いた。湯の児温泉の朝の爽快さのほか、阿蘇のつづら折りで一台が故障した時ずらりと並んだ壮観なバスの車列が妙に印象に残る。
帰りの船中で起きた大規模な船酔い騒ぎ?のほかは大した用件も無く、当時の人たちは強かったなあ、と思い出す。

堀口すみれ子さんの講演会。

2022年7月11日(月曜日)

先週末9日午後3時から堀口すみれ子さんの講演会があった。2010年が1回目、2016年が4回目だった。これまで父であり詩人、フランス文学者、文化勲章の人堀口大學のひととなりと交友、上越市や葉山町の暮らしなど、時々でテーマを変えてお話し頂いた。

このたび樹下美術館開館15周年の記念講演の申し込みをお願いすると、5回目だから何を話したらよいやらと、すみれ子さんは逡巡された。
最後の講演から6年が経っています、初めての方も大勢さんいらっしゃいます。お話は繰り返し何度でもお聴きしたいと述べ、あらためて上越時代の堀口大學のこと、交友特に齋藤三郎とのことを折りまぜ「堀口大學と上越 そして齋藤三郎」の演題でお話頂くことになった。

当日みどり鮮やかなスーツで来館されたすみれ子さん。緑いっぱいの樹下美術館の庭に溶け込みながら、姿は美しく際立つ風にお見受けした。

45人の方が来場された当日の様子。
参加されたお客様が撮られたました。

これまではスライドをまじえての講演だったが、このたびは終始お話だけで進行した。静かに語られる妙高市のお母様のふる里から髙田へ。わずか1時間の講演だったが、雪国の疎開で激変する高潔な詩人の苦しい生活と心が、徐々に癒やされる様子が詩を交えながら語られた。
変えたものは上越の風土と人々の情けだったことが自然に浮かび立つ感動的な講演だった。

このたびすみれ子さんは以下2枚の大學先生自筆の貴重な書を持参され、私どもに与えてくださった。

母よ 僕は尋ねる 耳の奥に残る あなたの声を
あなたが世にあられた 最後の日 幼い僕を呼ばれたであろう
その最後の声を
三半規管よ 耳のおくに住む巻き貝よ 母のいまわの その声をかえせ
堀口大學 印

越にふる 雪の 深さか   越びとの あわれの 深さ  大學 印

 

一番目の詩「母の声」は詩集「人間の歌」に、二番目の詩「越びとに」は詩集「月かげの虹」に初出掲載されています。

「越びとに」は講演の最後に読まれ、お身内ならではの情愛がこもり、越びとの一人としてとても感動しました。
良い人の良い話は何度でも聴いてみたいし、聴く度に新たな発見があります。
文化や芸術は単に知ることではなく「感じること」だと、このたびも知らされました。

堀口すみれ子さん、ご来場の皆さま、本当に有り難うございました。
スタッフ共々感謝致しております。

齋藤三郎ゆかりの人々展 その12 サントリーの人々および齋藤尚明(二代陶齋)。

2022年7月8日(金曜日)

齋藤三郎ゆかりの人々展の展示紹介は本日のサントリーの人々およびご三郎氏の次男、二代陶齋齋藤尚明氏で一応の終わりになります。

齋藤三郎は戦前戦後、サントリーグループ分けても創業者の鳥井家と幾つかのエピソードで交わりがありました。
一つは戦前です。三郎は近藤悠三、富本憲吉の許で足かけ7年の修業を昭和12年に終えます。その後京都で一時活動した後、サントリーグループの創業者鳥井信治郎が寿屋社長時代に宝塚市雲雀丘(ひばりがおか)の自宅に開いていた陶房「壽山窯」で昭和13年から数年間活動しました。
同所には複数の陶芸家と画家が所属し「壽山荘同人」という名で作品発表が行われていました。阪急百貨店における作品展の案内には三郎の師である近藤悠三の名も見えます。

案内で齋藤三郎の紹介は「斯界(しかい)の大家富本憲吉につき作陶法を修められ、毎年の国展に出品される方。壽山窯現在の責任者でゐられます。」とあり、高い評価と信頼を受けていたようです。
※斯界:その道の専門家の人々。

その後のエピソードは後に述べさせてください。

昭和15年前後、寿山荘同人による陶器、絵画作品展の案内。

 

壽山窯で焼いた「染附竹林菓子器」。
とても慎ましい。

壽山窯時代の三郎は信治郎社長はじめご家族とも親密だったようだと、次男尚明氏が述べられています。戦後三郎が髙田で開窯した後、大阪の阪急デパートで作品展を行いますがこの催事でも鳥井家のお世話になっていることが伺われます。

鳥井信治郎の次男でサントリー(株)の前専務取締鳥井道夫氏はかって岩の原葡萄園の社長として髙田を訪ねては三郎の窯に寄りました。陶房における二人の写真を展示ボックスに掲げています。

このたび「齋藤三郎ゆかりの人々展」で、サントリーの人々の展示の相談をさせて頂いた取締役副会長の鳥井信吾氏(道夫氏のご子息)と通信する機会がありました。
その折、「齋藤さんから食べ方の図と共に送られてくる空豆がとても美味しかった」と述べられていて、温かな交流の一端を伺うことが出来ました。

2010年樹下美術館を訪ねられた鳥井信吾氏(前列中央)。
美術館スタッフとともに、左は当時の岩の原葡萄園坂田敏社長。
この写真も展示中であり、小さなボックスは一杯です。

サントリーグループの岩の原葡萄園のワイン「深雪花」。
1991年(H3年)同葡萄園創業100周年記念として販売開始された。
齋藤三郎の雪椿図色紙がラベルに用いられている。

さて最後のゆかりの人々紹介は“ゆかり”どころか、齋藤三郎の次男二代陶齋齋藤尚明さんです。
1950年(S25年)年上越市生まれ。1973年京都の白磁の第一人者竹中浩に足かけ7年間師事。ちなみに竹中氏の師は三郎の師でもある近藤悠三でした。
1979年修業を終え帰郷、晩年の父と共に作陶。栃尾美術館などの親子展や銀座松屋デパート始め県内外で発表のかたわら中国景徳鎮を訪ねて研鑽、2000年父の窯を継承し二代陶齋を襲名。師から修得した発色の美しい白磁、丹精込めた色絵磁器を鋭意発表しています。
氏の幼いころ、三郎氏とともに私どもを訪れ海で遊び、夕食は母が焼く餃子を皆で腹一杯食べました。あの餃子は美味しかった、と今でも口にされます。

岩の原葡萄園で展示される尚明氏の色絵椿文大皿とワイン「雪椿」と「善」。
15年の同園リニューアルを記念して発売された「善」には尚明氏の椿が
ラベルに描かれている。

そしてこの度のゆかり展の展示です。

氏が修業した京都風に言えば“はんなりした”風合いの「色絵市松文水指」。
とても目を惹きます。

 

父三郎氏の「色絵どくだみ文水指」と一緒に親子一つのボックスに展示しました。

現在週末に行われている薄茶の茶会で用いられる同水指。
展示中ですが、茶会の午後だけ茶席に移動します。
棚の上に父親三郎氏の薄茶器が置かれています。

今後のゆかり展記念茶会は7月16日(土)、24日(日)、30日(土)および8月7日(日)です。
1席目は午後1時から、2席目は午後2時30分からです。
コロナに配慮し1席6名様まで。茶室は雨天以外窓を開け、お飲み頂く以外はマスク着用をお願いしています。

長々となりましたが、これで「齋藤三郎ゆかりの人々展」で展示される人々の紹介を終わります。途中からスペースの関係で黒田辰秋の展示を取り止めましたことをご報告しお詫び申し上げます。

齋藤三郎ゆかりの人々 その11 松林桂月。

2022年7月2日(土曜日)

ゆかり展のご紹介が残り僅かになり本日は日本画家松林桂月です。

松林桂月:1876年(M11年 – 1963(S38年) 86才没、山口県萩市生まれの日本画家。
雰囲気とともに良く観察され描写される花鳥風月は、幕府や大寺院のお抱え絵師である狩野派に対して南画(南宗画・文人画)と呼ばれる。桂月は近代南画の重鎮であり、「日本最後の文人画家」と称され、文化勲章を受章している。

 

齋藤三郎窯を訪ねて描いた「染め付け蟹文皿」
30㎝近くある大きな皿。
同じ時に蘭を描いた皿があると言われている。

画家が焼き物に絵付けをするのは易しくはないと聞いた。この皿の桂月は中心部の濃淡によって作品を整えたのかな、と想像した。

 

鶏の親子を描いた「鶏図」
右上から左下への動きは桂月得意の構図と言われている。
情愛あふれる柔らかな作品。

青春時代に結核を病み、闘病し治癒した桂月。別格だが同じ結核で高校を一年余計に通った私はこの病を経験した人にシンパシーを感じる。

齋藤三郎ゆかりの人々展 その10 坂口謹一郎 すでに酷暑。

2022年6月29日(水曜日)

「齋藤三郎ゆかりの人々展」の紹介は農化学者、発酵微生物学の坂口謹一郎です。

坂口謹一郎:1897年(M30年) – 1994年(H6年)上越市生まれ 97才没
東京帝国大学農学部卒業、同大学で発酵を研究。後に沖縄戦で絶滅の危機に瀕した焼酎の発酵菌(黒黴)を救済、岩の原葡萄園における日本初ワイン醸造の成功ほか内外の発酵化学に尽力。多くの著作と映像を残し文化勲章を受章。歌に優れ歌集を著し陶芸の造詣も深く、後年は齋藤三郎を支援し氏の葬儀では弔辞を読んだ。上越市頸城区に杜氏技術の展示場と椿の庭を有し資料を展示する坂口記念館がある。

以下は坂口謹一郎の展示品です。

齋藤三郎(初代陶齋)の窯で書き入れ焼かれた抹茶茶碗。

齋藤尚明(二代陶齋)が成形した器に書き入れた染め付けの湯呑。

 以下は坂口氏の色紙です。

 

椿と雪のふる里を愛した色紙。

 

齋藤三郎ゆかりの人々展の展示紹介は今後サントリーの人々および松林桂月、そしてご子息の尚明氏(二代陶齋)を予定しております。

おしるし程度の梅雨が終わるや、厳しい暑さが始まりました。すでに熱中症の方が来られます。
「強いだるさ」「急な吐き気や食欲不振」「足などの突っ張り」「頭痛時に発熱」。このうち二つがあれば該当するかもしれません。急に来ますので、あらかじめの水やミネラルウオーターの用意そして補給は本当に大切です。

昨午後2席の15周年記念茶会。

2022年6月27日(月曜日)

昨日おおむね晴れた間午後、お客様をお迎えして開館15周年記念の呈茶を2席行いました。

玄関
額:齋藤三郎筆 寒山詩から「忘却来時道(来た時の道を忘却す)と水注図」
花:半夏生、撫子、紫陽花、茗荷、蓮玉草 花生:辻村史郎 信楽

待合:軸 「竹林小倉」 富本憲吉筆

風炉:深草焼き四方 窯:浄汲 口四方 棚:淡々斉好み寿棚
薄茶器:齋藤三郎作赤絵十薬(どくだみ)文小壺
水指:齋藤尚明作色絵市松文水指
風炉先屏風:薬師寺薬師三尊像台座拓本 白虎と青竜


軸:小林古径筆「壽」 花生:榊原家伝来竹籠

 香合:新井野正直作かわせみ香合

お菓子:竹内泰祥堂 あじさい

主茶碗:鈴木秀昭作 色絵金銀彩天空茶碗

 

呈茶を終えた庭でテッポウユリが陽を浴びていた。
例年雨に打たれて傷むが、空梅雨ぎみの空の下安心している風だった。

今後の会は次のように致します。
日時:7月2日(土曜)、7月16日(土曜)、24日(日曜日)、30日(土曜日)
時刻:1回目午後1時から  2回目午後2時30分から
1回6名様までにさせていただいています。

齋藤三郎とゆかりの人々展 その9 深田久弥。

2022年6月26日(日曜日)

「齋藤三郎ゆかりの人々展」で展示されているゆかりの人々について、これまで富本憲吉から黒田辰秋まで13名の方々を紹介させて頂きました。7名の方がのこっていますが、本日は文学者、登山家深田久弥です。

深田久弥:1903年(明治36年) – 1971年(昭和46年) 石川県生まれ 文学者、登山家 68才没。
1935年(S10年)日本山岳会に入会。多くの登山を行った。1959年から足かけ5年をかけ『山と高原』に山行の掲載を100回行い、1964年新潮社から『日本百名山』を出版、翌年第16回読売文学賞を受賞。1966年隊長として4ヶ月間シルクロード踏査隊を率いる。国民に広く影響を与えた「日本百名山」の名付け親。終焉の地も登山中の山だった。

深田久弥の展示ボックス。
本「日本百名山」 新潮社昭和39年7月20日発行。
齋藤三郎の染め付け妙高山文皿(裏面にの妙高山の文)

皿の表です。

深田久弥と齋藤三郎:1960年に「髙田山の会」が発足、齋藤三郎が初代会長となっている。妙高山麓の赤倉温泉に齋藤三郎が懇意にしていた「和田屋旅館」があり、深田久弥は妙高連山の登山で投宿し、齋藤と登山を共にすることがあった。
※日本百名山の基となった著書「我が愛する山々」(山と渓谷社)の火打山の章に三郎のことが書かれているそうです(齋藤尚明氏談)。本を注文しましたので到着したらご紹介させてください。

本日は予定を変更して深田久弥お一人の紹介でした。次回微生物学者・坂口謹一郎を予定しています。

「齋藤三郎ゆかりの人々展」 70余年振りの再会? 今日の庭。

2022年6月23日(木曜日)

本日初日の15周年記念企画展「齋藤三郎ゆかりの人々展」。直前の不具合を修正して慌ただしくスタートした。

常連さんやお茶人たちに寄って頂き丁寧にご覧頂き有り難かった。樹下美術館は何事も少しずつ良くなる流れがあるので順調な出だしだと思っている。

展示ケースを三つ増やし、列を中央に寄せ壁にも展示、その間を通路とした。 照明が上手く当たるようになったせいか、広く感じられると仰った方がいらした。

小館の陶芸ホール1室を使った17組、ご家族を入れると19名という賑やかさ。予定展示品を減らし、キャプションと案内は最小限にしてゆっくり眺めて頂くことを心がけた。
考えてみれば展示の人々は、地方小都市の苦しい疎開生活などで知り合い、助け合った間柄でもあったのでは。昨夜半ひとまず作業を終えると、70余年を経て皆で再会を喜び合っているような錯覚をおぼえた。

梅雨入りとは言え本日もほぼ晴天。庭はもたもたする私を追い抜いて夏の歩みを進めている。

「くれないアジサイ」がルビー色に近づいた。

アスチルベ咲く水盤でヒヨドリが水浴び。

三年目のオカトラノオが開花を始めた。

夕陽を浴びているミゾハギ。真夏の開花が楽しみ。
※以前ミソハギとしていましたのを訂正させて下さい。

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