樹下美術館のモミジ 胸打たれた「見る人 ジャコメッティと矢内原(やないはら)」。

2015年11月23日(月曜日)

二日連休だった日が終わる本日は、爽やかな一日だった。
美術館の紅葉は木々によってほぼ順番が決まっている。
いま十数本のモミジのうち最後に残ったカフェの右横にある2本が落葉を始めている。

強い風の日ならどこかへ吹き溜まってしまうが、それほどでなければ満遍なく散る。
昨年のある日、弱い南風で樹下の北側に楕円状に散った

本日は弱い北風で芝生の半分少々を均等に染めていた。

016日射しに暖まる落ち葉。

092それぞれに表情がある。

081山本信さん作品の「少女」は庭の四季に溶け込むが、落ち葉にもとてもよく合う。
樹下美術館に馴染み一段と表情が柔和になった。

四季折々に楽しませてくれる樹木、わけてもモミジは新緑から紅葉まで見所を維持する。

ところで木と葉のことを何かに例えてみたい衝動を時々覚えるが、いつも答えが出ない。
葉は私たちで木は人類?それらを網羅して全てを一人DNAが貫いている?
これではまことに味気ない。

「大切なのは土地でもなく風景でもなく、文化や文明の質でもない。大切なのは創造に仕えること、仕事をとおして生成の鼓動をきき取り、世界と一体となることである。大切なのは人間であり、愛であり、中心を目指す方向、極限を生きつらぬくことである。胸にわきのぼるさまざまな思いを反芻しながら、私は涙に曇った眼で車窓が暮れてゆくのを見ていた。」

アルベルト・ジャコメッティの故郷であるスイスの山奥で最後に彼と会った「見る人 ジャコメッティと矢内原」の作者宇佐見英治は日本への帰路の列車で胸詰まらせる。
超人的な芸術家と親しく交流し、そのはるか遠い寒村の故郷で再会した後の別れだった。
私はその人達のことを何も知らないが、高みを生きる芸術家や文学者たちの心情や言葉が突然胸打つことがある。

先日記したみすず書房の「見る人 ジャコメッティと矢内原」をのろのろと読み進み、本日のカフェでようやく90ページ近くへ来た。
上記に抜粋したところでふと目頭が熱くなり本日の区切りにしました。

めまいは日によって波があり、昨日は不安定でしたが今日のほうが良かったです。

牧野富太郎の歌 賑やかに蕾をつけるハクモクレン。

2015年11月22日(日曜日)

本日新潟市の方が現在上越市で公開中の保阪邸を見学された帰路お寄り下さった。
古美術店を営まれている女性で、かって樹下美術館開業の際などで大変お世話になった。

草花の愛好家で、展示中の陶齋の絵付け陶器を熱心にご覧になった。
そのおり、牧野富太郎の詩歌がお好きだと仰り次の一首を書いて頂いた。

いつまでも生きて仕事にいそしまん また生まれこぬこの世なりせば

富太郎は自ら花の精かもしれないと述懐するほど草花を愛し、94年の生涯を植物学に捧げた。
小学校中退の最終学歴ながら博士号を取得し、ついに文化勲章受章まで受賞した民間出身学者。
1940年に大著「牧野日本植物図鑑」を著し、
〝日本の植物学の父〟と呼ばれた偉人だけあって歌には迫力がある。

もう一度生を受けても同じ道はないと言い切り、現世限りと決めて没頭した研究。
花との心中さえ思うほどの同一化ぶりだったらしい。

花は全てを教える、世の中の人等しく花を愛せば諍いも戦争も起きない。
自分が宗教家だったら花を教義に道を開いただろう、とさえのべています。

 

151121モクレンの蕾さて樹下美術館入り口左にあるハクモクレンの蕾です。

現在みられる蕾つきは大変良いのです。
今夏の気候の穏やかさが蕾を賑やかにしていると思われます。
ほかの花々も同じようであればと期待しているところです。
11月も終わらぬうちに来年の話でした。

一昨日に始まっためまい。

2015年11月20日(金曜日)

これまで多くの方のめまいを診てきましたが、一昨日11月18日私自身が強いめまいに襲われました。
体験を記して余計なご心配をお掛けするのは恐縮ですが、出来事として記してみました。

18日早朝、まだ暗い時刻に突然の強いめまいで目ざめました。
目を開けますと緑、赤、青、黄色、などエアコンのランプが反時計回りに激しく回転していました。
つらくて目を開けていられません。

 

memai2 こんな風に見えたエアコンのランプ類。

 

めったにない右向き姿勢だったのをゆっくり仰向けに直すと再び眠りに落ちました。

さて起床時、頭の角度が上下左右30度ほどで途端にぐらぐらします。
特に用事の多い下向きで症状が誘発されるのです。
靴下などは出来るだけ下を見ないようにして履きました。

仕事も頭を動かさないよう、カルテなどはやや遠くに置いて書きました。
インフルエンザワクチンの方も多く忙しかったのですが、かろうじて午前の診療を終えるとベッドに横たわりました。

問題は午後からでした。
近隣の特養ホームのワクチン接種日。
なんとかなるだろうと出かけ、看護師さんたちにめまいがしていることを告げました。
立って行うベッドや車椅子の方の注射jは下向きが必要です。

始めるとまもなく辛くなりましたので、途中からひざまづくようして、前向きを心がけました。
予診票のサインは机上を避け、壁に紙を付けて行いました。
しかし後半に入るとゆっくり壁が回り出し、足もとが不安定になりました。
最後の方に注射をし終わると猛烈な回転が始まりました。

真っ直ぐになっていることが出来ず、しゃがみ込み必死にベッド柵につかまり目をつむりました。
体が右に飛ばされる感じがして、恐怖を伴い冷や汗がでて気が遠くなりそうでした。

看護師さんたちが集まり車椅子に乗せてくれました。
ひごろ出来れば皆さんを励ましたい自分が真っ青になり瞑目して車椅子で運ばれる。
まだこれはいつか来る日ではないだろう、と思いつつ辛さに耐えるだけでした。
運ばれて寝かされたのは霊安室。

そこは亡くなられた方を安置する部屋兼相談室で、半分ほどにご家族が休む畳が敷かれています。
そっと目を開けますと、法隆寺の夢殿観音と思われる仏像のプリントが見えました。
一瞬ですがいいなあ、と思いました。

部屋で何度も吐き気に襲われました。
一角ににシンクがあり、ペーパータオルが置かれていました。
伝わって近づきタオルを出してビニールカバーの中に吐きました。

間もなくやって来た妻は真っ青な私に驚きましたが、彼女の運転で帰宅しました。
家で我が方の看護師が点滴を刺し抗めまい薬も服用しましたが、めまいと嘔吐は続きました。
わずか5度前後しか頭の位置を変えることができません。
それをこらえて少しずつゆっくり振り幅を増やしてみました。

帰宅して7時間、ようやく左右45度ずつほど向けるようになり眠りにつきました。
昨日と本日はかなり改善され、きつい向きを避ければ仕事も往診も出来ました。
おそらく良性めまい(身体の傾き感覚を司る内耳の三半規管に、隣接する前後左右の加速度測定器官内にある細かな耳石が誤って流入しておこる平衡異常)。
本日一定の頭重感があり午後、念のため病院の脳外科を受診しました。

初めてのMRIで20分間、頭の周りでドードー、ガーガー、ポッポッという音を聞きました。
脳外科に紹介した患者さん達はみなこのような音を我慢して聞いていたのですね。
旧知の脳外科医の診察でした。
お陰様で出血や腫瘍はありませんでした。

ついでながら、目立った皮質の萎縮も無く、認知症にかかわる海馬はまあまあ充実、4年前のドック健診で動脈硬化が予想された左内頸動脈も順調な交通だということが分かりました。
おぼつかない自分の脳でしたが、形態的にひとまず維持されている様子に救いを覚えました。

 

IMG_20151120_135429 本日お世話になった病院。
妻のスマホを借りました。

ひと安心でしたが、もしかしたら伏線に前日の庭仕事があったかもしれない、と勝手に想像しています。
慣れない上向きの剪定作業のあと、強い下向き動作を繰り返し、朽ち木の根っ子をシャベルで掘ったのです。
ぐるぐる周りながらジャンプしてシャベルに飛び乗る。
もしかしたらこんな動作で耳石がずれ、明け方珍しく右向きの姿勢になった時に三半規管に流入したのかもしれません。

様々な方達が経験される激しいめまい。
今回その辛さがよくわかりました。
近時理学療法的な治療やリハビリもあり、治療の様相も変わったやにみえます。
にもかかわらず同じ人が繰り返される事も少なくありません。

最後に、多くの方にお大事に、無理をしないように、と仰って頂きました。
いたわりとして嬉しく思い深く感謝しています。

現在左右とも90度は大丈夫、上下もまあまあになっています。
生活を急に変えるわけにも行きませんが、庭仕事は当面加減し再発しないよう気を付けたいと思っています。
お世話になった皆様本当に有り難うございました。。

この暖かさはエルニーニョ現象だろうか。

2015年11月17日(火曜日)

暖かですねー、がこのところの挨拶がわりになっていた。
最高気温が18~19度になる日が続き、最低気温も10度を上回った。
本日昼美術館の庭で妻達はチューリップを植え、私は剪定やはびこりの手入れなどをした。
一時間ほどだったが体がほてり汗をかいた。

ところで世界気象機関(WMO)は16日、異常気象をもたらすとされるエルニーニョ現象が年末までに強まり、過去最大規模になるとの見通しを示した、とYahoo!ニュースが知らせていた。

10月のブログで11月から3ヶ月の気象予報とエルニーニョ現象を書いてみましたが、昨今の暖かさは既にそうなってきているのでしょうか。

例年なら冷たく時雨れる荒天の時期を迎えていますが、良ければ良いでこれで大丈夫かな、と思ってしまいます。

 

028去る11月7日に上越市牧区付近で見た桜の開花。
沢山の小型の花が細い枝に咲いていました。
狂い咲ききでなければマメザクラかシキザクラの可能性があるようです。

この時期に桜を見るのは少々頭が混乱しますが、いっとき心は暖まりました。

齋藤尚明さんの作品展。

2015年11月15日(日曜日)

本日夕刻、上越市本町4丁目の遊心堂さんで開催されている齋藤尚明氏(二代陶齋)の作品展へ行ってきました。

先日掲載致しました冴え冴えとした唐辛子文様の香合やポットなど、やはり目を引きます。
また落ち着いた唐津風のお茶碗や水指も深い味わいを見せていました。

022魅力的な檜垣文(ひがきもん)の絵唐津茶碗および奥に水指。

 

001作品展DM。

17日までの開催です、お出かけ頂き幸せな出会いをなさってください。

南風の日の落葉。

2015年11月14日(土曜日)

日中は南気の風が強く吹いた。
この風はフワ-と浮かす感じで葉を散らす。
本日は20度に近づく高温だったため特に乾燥して散った。

診療所のケヤキは昔の国道沿いにあり、こんな日は気がもめる
毎年の落ち葉が皆さんのご迷惑になる事を考えると身が縮む思いだ。

日中の美術館でも大小の落ち葉が大量に舞った。
コナラの葉は大きくてガサガサ言うし、枯れ松葉はへばりつく。

気になっていたスタッフが一度掃いたがすぐまたバーッと降った。
雨になってようやく諦めがついた。

 

151114妙高山方面の雲本日午後の妙高連峰。
降水雲に陽が射しているのだろう、明るいカーテン状の雲が下までかかっていた。

明日も暖からしい。

モミジの植栽と歳月。

2015年11月13日(金曜日)

本日金曜日は日中はずっと高い雲に覆われた。
今夜は少し降って明日日中も曇るらしい。

さて先日モミジの小さな苗2本を移植をしました。
昨年植えたのですが、ほかの木などに近すぎたためでした。
私にはよくあることで、接近のほか日射しが後で問題になって移植ということもありました。

 

2隣のハクモクレンから離した所。

1ヤハズススキに飲み込まれそうになっていて別の場所へ移動。
いずれも支柱が細いのですが、とりあえずこれで頑張ってもらうことに。

32011年11月10日に植えたモミジの苗。
背は160㎝くらいでした。

42015年11月10日の上記のモミジ。
4年経って背が倍近くなり木のボリュームが現れはじめました。

年とともに歳月はどんどんスピードアップし、どうにかならないものかと日頃文句を言っています。
但し植栽した樹木(特に雑木類)の成長で言えば、あっという間に大きくなりますので、
目に見える張り合いとしてスピード化にもメリット?があるのかなと、この時ばかりは思うのです。

頸城区の小径で赤とんぼに慕われる。

2015年11月12日(木曜日)

本日木曜日は爽やかな陽が射した。
休診の午後の車で美術館を出て上越市頸城区上増田に向かう途中で小さな用水に沿った道を見つけた。

004本日歩いた道。
小さな流れと横切る光が美しい小径でした。

右手に橋が見える場所に赤とんぼが沢山居ましたので立ち止まりました。
するとびっくりするようなことが起きたのです。

 007ズボンにトンボが三羽止まりました。

009次々に来て6羽。

0138羽です。

019とうとうこんなに、、、。

かって赤とんぼが一、二羽なら肩や頭に止まることはありました。
しかし本日、どうしたことか次々にやってきてズボンに止まったのです。
上はグレーのセーターに黒いベスト、ズボンは白でした。
白は太陽光を強く反射しますので暖かさを求めて集まったのだと思いました。

どちらかというと左足が太陽の方向に向いていたので多く止まったのでしょうか。
それにしましてもあっという間の出来事。
何か自分がトンボの神にでもなったような妙な気持ちになりました。

切りがないのと、遠くで人が見ていましたので止めました。

爽やかな日とはいえ冬の足音が聞こえ始めた季節。
トンボたちは少しでも暖かい場所を求めて夢中だったにちがいありません。

マイナンバー、本当はユアナンバー。

2015年11月11日(水曜日)

マイシューズ:私が履いている靴。
マイカー:私が乗っている車。
マイハウス:私が住んでいる家。
マイカード:私が使っているカード。
マイフレンド:私がつきあっている人。
言うまでもなくマイの付くものは自分が主体的に望み関係したり所有し用いているものです。

ところで本日私に届けられた「マイナンバー」と呼ばれるものは、国が決め管理し国自治体が用いる「あなたの番号」です。
どうみても「ユアナンバー」以外に呼びようがありません。

日常、自治体が付けた記号、番号で医療保険が浮かびました。
これは私たちが実際に使いますので、マイナンバーと言えるかもしれません。
しかし同じ番号でも本日のものの持ち主は国、しかも当面私たちに用事のないものです。
どこがマイナンバーなのでしょう。

ほとんどの先進諸外国にこのような制度があるという言われ方がされています。
但しこのたびの日本のように多くの項目が一気に網羅照合される国はそう多くはないようです。
しかも果たして外国でそれをマイナンバーなどと呼んでいるのでしょうか。

親が付けた名(マイネーム)なら誇りもありますし、どれだけ使ったことでしょう。
それを横から国がユアナンバーであるマイナンバーだなんて。
むしろちゃんと断って頂き、ありのまま「ユアナンバー」とされるほうがまだ納得出来るかもしれません。

名付けや言葉は文化そのもので、このたびのは特に国のシステムを体現する新たな法制の一般名でした。
それが文法、用法の基礎においてもおかしく、騙されているようでもありなんだか次第に恥ずかしくもなってきました。

 

039本日午後在宅周りの帰路に見た米山と雲。
ずいぶん日が短くなりましたが暖かいので助かります。

胸打たれた東京吹奏楽団名誉指揮者・汐澤安彦氏の記事。

2015年11月10日(火曜日)

今朝の上越タイムス「首都圏」は一面全て指揮者汐澤安彦氏でした。

音楽界とくに吹奏楽、ウインドオーケストラ界では一種カリスマとなられた汐澤氏。
本日サブタイトル「故郷〝潟町〟に思い出」の紙面をを読んで思わず目頭が熱くなりました。

 

001 本日の上越タイムス「首都圏」紙面から〝世界の舞台で指揮〟の汐澤安彦氏の記事。

 

私の小中学生時代、汐澤安彦さんは飯吉靖彦の本名でおられました。
当時の潟町中学校(現大潟町中学校)は器楽演奏が盛んで、
特に3つ上の周囲の先輩たちは揃って楽器を演奏されました。
大昔から通っているお向かいの床屋さんのご主人は小太鼓、お隣だったMさんはコルネット、Yさんはピッコロだったようです。

中で何と言ってもスターは飯吉靖彦さんでした。
色白でハンサム、学生服が似合う優しい雰囲気の中学生でした。
部員は一目置くばかりでなく、そろって彼を自慢しました。
楽器はピアノ、吹奏楽の舞台でもピアノが置かれ飯吉さんが座りました。

当時我が家に姉が弾くためのピアノがきたばかりでした。
すると時々飯吉さんがやってきて演奏したのです。
人の家だからでしょう、遠慮がちに始まるピアノは、どんどん熱気を帯びて聴くものを引き込みました。
演奏はいつも近所の部員たちが聴きたくて、また聴かせたくて、安彦さんを連れてきて始まるという風でした。

アルプスの夕映え、トルコ行進曲、子犬のワルツ、、、。

いつしか氏の足は途切れましたが、高校進学(直江津高等学校)が契機だったようです。
(当時、直江津高校から前後7年も続け東京芸術大学への進学者があったそうです)
また近所の音楽仲間の進学事情もあったにちがいありません。

時経て東京芸大を卒業後、発足時の読売日本交響楽団のトロンボーン奏者としてデビュー。
その後の斎藤秀雄氏との貴重な出会い、指揮への決心など本日の紙面で知り深く胸打たれました。

そして何より氏が7年住んだ潟町村(現上越市大潟区)が本当の故郷という言葉に感動させられました。
深かったため早く泳ぎを覚えた広い海、沢山の思い出は尽きないと述べられています。
出来れば私の家でピアノを弾かれた事も覚えいてくだされば、、、、。

 

 
最近の汐澤氏指揮「SIOフィルドリームコンサート2015」からハイライト。
バーンズ/アルヴァマー序曲 など(2015年10月16日 東京芸術劇場)。

今日沢山のお弟子さんを育て慕われる東京吹奏楽団名誉指揮者、東京音楽大学名誉教授・汐澤安彦氏。
記事「首都圏」は故郷を応援するシリーズです。
氏が慕いエールを送るに相応しい故郷でありたい、と心から願うばかりです。
不肖自分もまだまだ頑張らなくてはと思いました。

上越市安塚区小黒(こぐろ)の銀杏。

2015年11月9日(月曜日)

本日月曜日は湿気があり暖かめの一日。

現在インフルエンザワクチンの接種がピークを迎えつつあります。
「また来ました」
10数年、毎年今頃になるとワクチンを受けに来られる方たちは、冬に訪れる渡り鳥のようです。
今年はワクチン化されるウイルスの株数が3→4に増えました。
これまでは、接種されても高熱で発症されるお子さんたちが見られましたが、今年はそのようなケースが減ることを期待したいと思います。

 

017 - コピー一昨日走りました国道405号が良かったので、昨日もう一度安塚区小黒まで行きました。
写真は昨日見たあるお宅の作業小屋に並ぶ美しい銀杏の黄葉です。

枝の張りだしが少なくスリムですが、大変背の高い樹でした。

お年寄りが菜を洗っていらっしゃって、冬を迎える前の静かな里のひと時でした。

今夕のおかず 昨日午後の旧東頸城地域のちょっぴりドライブ。

2015年11月8日(日曜日)

本日日曜日は比較的暖かく時折降った。
そんな日の夕食に野菜の揚げ物と揚げ豆腐が出ました。

1

お豆腐と野菜は主に昨日日中に走った国道405号線の道中で求めたものでした。
実は昨日、頸城区の樹下美術館を出て→浦川原区→安塚区から牧区を車で回りました。
午後4時からのブドウ・ワイン学会の特別講演はその後に参加したのです。
つまり上越教育大学の講堂へ行くのに、ぐるっと旧東頸城地域の里々を回って行ったことになります。

写真の夕食のおかずは以下のようなちょっぴりドライブ(とても小さな旅?)で偶然に求めました。

 

2浦川原区で見たお宅の長い石垣。
道に沿って美しいカーブを描いていました。

3安塚区小黒地区にある称専寺のダイナミックな石垣。
ここに名刹専敬寺ほか4寺が隣り合っているのです。
後ろ髪引かれる思いで後にしました。

4寺を過ぎてすぐの坂道でお豆腐屋さんの車に出会いました。
道沿いの商店に届けに寄られたようでした。

4’お豆腐屋さんの荷台。
お揚げはありませんので、家で揚げて下さいと仰いました。
おまけにオカラを頂きました。

5牧区に入っていると思いましたが、途中の無人野菜売り場。
「あねやん達の腕自慢 もったいない市」。
看板の手作り感もとても良かったのです。

5’店内にあった野菜と穀類。
にこにこ笑っているようでした。

6途中に廃屋と思われる家屋の庭がありました。
路傍に美しいアジサイの枯れ花と紅葉があり、少し頂きました。

7あねやんの無人店で求めた野菜。
町のおよそ半値だったそうです。

さて、あちらこちらを寄り道して2時間ほどの運転でした。
にもかかわらず、先々で出会う様々な表情の石垣や民家とお寺、紅葉の山、そしてお豆腐屋さんに無人市場。
晩秋の旧東頸城(私には今でもこの呼び名が馴染みます)の里を巡る道中は何とも心和みました。

今夕の食卓に野菜の一部が乗りましたが、美味しくてこんな贅沢はない、と妻が呟きました。

2015年日本ブドウ・ワイン学会特別講演「ワイン葡萄の父・川上善兵衛」を聴いて。

2015年11月7日(土曜日)

2015年日本ブドウ・ワイン学会(会長松本信彦)が上越市の上越教育大学を会場に昨日から開催されていました。
当地岩の原葡萄園の社長・棚橋博史氏が実行委員長です。

10のポスターセッション、12の口演発表がありました。
初日のセミナーセッション「発酵の町 上越」を武蔵野酒造 小林元氏が話されていました。

 

1会場の案内プレート。

004プログラム。

 

6特別講演の会場。

そして本日学会の最後を飾る特別講演「ワイン葡萄の父・川上善兵衛」を上越市北城町の桑原圭司氏がされました。
氏は自然科学と愛郷と起業の先人、岩の原葡萄園を拓いた川上善兵衛の研究家です。
善兵衛に関する事がらなら遺伝学からその生涯の詳細まで膨大な蔵書、資料をお持ちで、本日の講演が期待されました。

 

2特別講演のタイトルスライド。

 

3講演される桑原先生。

 

5熱い講演に熱を帯びる場内。

 

横浜国立大学ご出身、高田北城高等学校の生物学の教師を始め長く教育に奉職された桑原先生。
かたわら日本水泳連盟の役員として長岡市から中村真衣選手を育てられています。

詳細なスライドが駆使された本日のお話は自然科学者としての善兵衛の神髄に迫る名講演でした。
明治中頃から始め大正時代には、いち早く厳格なメンデルの法則に則った膨大な交配作業へ挑戦。
途方もない失敗の中から生まれた今日のマスカット・べーリーAやレッド・ミレリンニウム、ローズ・シオタ-など宝石のようなぶどうたち。
善兵衛の道に、失敗を杖とて挑戦された先般のノーベル賞受賞者大村智先生のイメージが重なりました。
そして上越市内高士小学校で行われている「善兵衛学習」におけるぶどう栽培や品種改良の紹介も胸熱くなったのです。

偉大な先人の評価をいっそう新たなものにした記念すべき講演を聴くことができて幸運でした。

〝上越地域には郵便の父・前島密、音楽教育の母・小山作之助、そしてワイン醸造の父・川上善兵衛、酒の博士・坂口謹一郎など素晴らしい先人たちがいる〟
45分の講演を終えてお会いした先生は、貴重な学芸の素地を有している上越をもっと誇りたいと、心込めて仰いました。

立派に学会を開催された棚橋実行委員長に心から敬意を申し上げます。

ジャコメッティの「早く明日になればよい」  倉石隆の言及。

2015年11月6日(金曜日)

良いお天気が続いていましたが、明日からしばらく
ぐづつくようです。
昨日は「早く明日になればよい」というアルベルト・
ジャコメッティの呟きを書きました。

同じ言葉でももしも私なら、楽しい予定を待ちきれ
ないでいる幸福なつぶやきでしょう。
しかし「見る人」のジャコメッティでは、およそ以下
のように書かれていました。

彼はモデルを前にして言います。
「千年、きみがそこにいるかのように仕事をしなけ
ればならない」と。
そして絶え間なく仕事を思い一分も待ちきれずに
仕事に掛かっていたそうです。
膨大な仕事量は多才や量産を誇示するものではなく、
失敗を繰りかえすことによって、少しでも真実に近づ
くことを願っていた、という事でした。

トイレに行く時間も寝る時間も惜しむ生活の中で、仕
事を中断してアトリエを離れたとき、仕事を続けたい
一念から思わず呟いた言葉が、「早く明日になれば
よい」だったのです。

寝るヒマがあるくらいなら仕事をしていたい。
今日以上の仕事をしたい待ち切れない明日、、、。
ジャコメッティの明日は、さらに真実に近づくための
明日だったことになります。

そんな生活で、あるモデルを写そうと製作を続けた
時のこと。
似せれば似せるほど像は小さくなり、ついに石膏が
米粒よりも小さくなって消滅した、そうです。

これは笑い話ではなく、人間の事実を写そうとすれ
ばあり得ることかもしれません。
樹下美術館のわが倉石隆(当時56才)は「戦後美
術の流れの中で 座談会Ⅲ 幻想とは」
(主体美
術1972年)に於いて、尊敬するレンブラントと
ともにジャコメッティに言及して次のように述べて
います。

「幻想という事を僕なりにとらえるとすれば、ジャコメ
ッティの消えそうな形の中に大きな宇宙を感じたり、
レンブラントの顔のしわの中にも小さな宇宙があって、
そういうふうにものが実在するという感じがなまなまし
い程何か神秘的で幻想的なんだなあ」。

本日の「見る人」は40ページまででした。

003
Yahoo!の時計は間もなくひと月ですが、ほぼ
正確に動いています。

もう一冊あったみすず書房 アルベルト・ジャコメッティの「早く明日になればよい」。

2015年11月5日(木曜日)

一昨日、みすず飴のお土産からみすず書房へ、そし
て身の回りの信州あれこれをほんの思いつくまま書
かせて頂きました。

ところがもう一冊みすず書房の本がある事に気づき
ました。
自分がいつも座っている机の脇の書棚でした。
本は宇佐見英治著 ジャコメッティと矢内原1999年
9月10日発行。
手の届く所には、いつか読もうと思って置いたままの
本が結構あるのですね。

本日午後高田に用事があり、その本を持参しました。

 010
県立看護大学前の桜の植栽。
高田公園もここも美しい桜の紅葉と落ち葉が見られました。

 

118
もう一冊あったみすず書房の「見る人」。

彫刻家アルフレッド・ジャコメッティは細長い人物の作品
で有名です。
,彫刻としてぎりぎり、針金のように細い人物像は,人間の
不条理を現していると、ピカソやサルトルを驚愕させまし
た。
樹下美術館の倉石隆も影響を受けたジャコメッティ、死
後ますます異常な人気芸術家なのです。

高田の用事の待ち時間に20数ページの読書でしたが、
本で興味深い言葉に出会いました。
ジャコメッティはある時次のように述べたそうです。
「私は千年生きたい」、「せめて五百年でもいい、五百年生
きられたら、相当の進歩ができるだろう」と。

さらに「早く明日になればよい」と呟いたと書かれていまし
た。
著者は〝こんなに明るいため息があるだろうか〟と感嘆し
ています。

私は読んでいて、この一言に飛び上がるほどびっくりしま
した。
「ああ、早く明日がこないかなー」と以前、孫が突然呟いた
のと同じだったからです。

孫は母親と交わしたゲームを買う約束を待ちきれなくて
言いました。
もしも大昔の私なら、憧れた人とのデートの前日などに
つぶやいたかもしれません。
しかし、ジャコメッティは自分たちと全く異なる意味で、
明日が待ちきれないと言ったようなのです。

さて、もう日付が変わりますので、ここまでにしました。

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