陶齋の器でお寿司を食べる秋の会その1 良い食器を作る人は。

2014年10月5日(日曜日)

やや寒い雨の昼、陶齋の器でお寿司を食べる秋の会が、予定通り3組7名様が参加され終了しました。

お寿司を始め碗物、和え物、吸い物、デザートなど季節感満点のお料理でした。
大変和やかな会になりました。
お客様、調理場の都寿司さん、そして陶齋の器のお陰と有り難く思っています。

膳陶齋作品として秋草の徳利、鉄絵の皿、染め付けの小碗が出ています。
子持ち鮎の甘露煮、栗巾着、ばい貝の旨煮、柿窯盛り、はんぺんと青ネギのお吸い物などがまず運ばれました。

陶齋の器は「威張らない」「人を和ます」「品良く鼻につかない」ことなどが決定的です。
言い換えれば「草花の魅力と同じ」と言っても過言ではないでしょう。
あるいはご自身が「花のような人」だったのかもしれません。
多くのファンや文化人たちに広く愛されたのもうなずけます。

寿司都寿司さんの腕が一段と上がったようです。
何度も出ましたが、陶齋の染め付け扇皿に。

手前座本日炭が入る前の手前座。右下の水指(みずさし)はやや晩年の「色絵秋草文水指」
食事のあと場所を移してお抹茶を頂きました。

 

ご異論はあろうかと思いますが、
樹下美術館を始めてから私は以下のことを心でつぶやくようになりました。
「良い食器を作る人は良い陶芸家」

カシワバアジサイの紅葉 ハクセキレイ 可愛いコサメビタキ。

2014年10月4日(土曜日)

庭が少しずつ色づいてきた。
雨がちの昼、カフェに居ると小鳥たちがやって来ては立ち去った。

アシワバアジサイシックな色に染まっていく大らかなカシワバアジサイの紅葉。
他の秋草とともに器に活けるとお互いが引き立て合う。

ハクセキレイカフェの窓辺の前で常連のハクセキレイがトンボのなきがらを見つけた。

コサメビタキカフェの正面の竹杭からパッと庭に飛び降り、また戻るのを繰り返していた小鳥。
シジュウカラに似ていたが色うすく小型でふっくらして、メジロのような目をしていた。
コサメビタキという鳥のようであり、地味ながらとても可愛いかった。

さて明日の陶齋の器でお寿司の会は台風の影響で雨の予報です。
ご予約頂いた皆様とご一緒の食事、そして暖かな茶室の一期一会を楽しみにしています。

人の時間、鉱物の時間 秋の直球。

2014年10月3日(金曜日)

昨日に続いて曇りの一日、但し気温は下がった。

年と共に寒さに敏感となり、春秋はどんな服装がいいのかよく迷う。
現在長袖シャツと薄めの毛糸のチョッキを着ていて、本日看護士の半袖を吃驚の目で見た。

その昔30才後半の頃、あら先生そんな格好で寒くないですか、と往診先で言われたのを覚えている。
10月だったと思うが、自分は半袖白衣を当たり前のように着ていた。

そうおっしゃったのは亡きUさんご夫婦で、当時70代半ばだった。
いつしか(ある種手品のように)今私はUさんたちと同じになった。

 

_MG_3456本日東頸城地域がふるさとの方から秋の直球を頂きました。

さて生き物の時間と変化はめまぐるしい。
それで言えば、普段の鉱物には時間などあるのかと思うほど変化を見つけ難い。
しかし一旦災害になれば、地殻は大胆に変動し砂礫や岩石を生じまた移動する。

ほんとうに色々ありますね、とある方が仰った。
災害列島に住み色々あるなか、無事を祈る間もなく一日が終わる。

_MG_3472明後日に迫った「陶齋の器でお寿司を食べる秋の会」に向けて集めた紅葉した柿の葉。
調理の都屋さんから柿の紅葉がありますか、と言われ、自宅のとよそ様のものから色味のよいものを選びました。
当日のお料理に添えられるはずです。

秋の会は予告より回数を減らして申し分けありませんでした。
明後日、台風が来そうですが一生懸命おもてなしするつもりです。

真新しい除雪車 派手なETR-Rー01号。

2014年10月2日(木曜日)

本日は蒸し暑く日中は30℃に迫ろうかという一日だった。

その曇りの日、犀潟駅の引き込み線に真新しい除雪車(機械)が止まっていた。

IMG_3417赤と緑の調派手な車体。
除雪などの作業を行う車は車籍(車輌の扱い)はなく、正式には「機械」と呼ばれるようだ。
仕事の性格から派手な色彩を施されている。

IMG_3419前からの眺め。
がっちりとローターが付いている。

IMG_3425反対側も同じ構造。前の両翼を開いて雪を集めて飛ばす。

車体にはえちごトキめき鉄道 機械番号ETRーR-01 と書かれていた。
製造年月が平成26年9月とプレートにあり、まさにできたてのホヤホヤ。
新潟トランシス社(旧新潟鐵工所)製造と記されている。

一足早く冬の便りだが、冬場の在来線確保に新しく逞しい力を発揮してください。

産卵期のカマキリ二色 御嶽山噴火と医師。

2014年10月1日(水曜日)

本日昼の庭で茶色のカマキリを見ました。

色は違いますが先日(9月27日)と同様お腹が大きく、産卵を待っているようでした。

カマキリは人間が近づいても慌てずに、見て見ぬ振りをしたり、じっとこちらを見てたりします。
ご異論はあろうかと思いますが、どことなく猫の気配に似ていないでもありません。

緑のカマキリ先日のカマキリ。

茶色のカマキリ本日の茶系のカマキリ やはりお腹が大きい。
これらはオオカマキリという種類で、生活の場の違いでもともとの色が違うようです。
棲み分けているのですね。

シュウメイギクいつも遅い我が秋明菊がようやく開きました。

ところで御嶽山噴火の犠牲者さんが増え続け、痛ましい限りです。
このたびのことで遭難された方々が心肺停止とされる期間が長く、不自然でお気の毒に感じていました。
どうしても現場と医師の距離が気になります。

まだ助かる人がいるかもしれません。
医師と現場がより接近して迅速な対応がなされることを切に願っています。

医師の寿命と健康。

2014年9月30日(火曜日)

今夕ある医師のお通夜に出かけた。
まだ50代の貴重な病院医師だった。
大変お世話になった方で痛恨の極みである。

この数年、現役の医師が重篤な病で倒れたり亡くなることが相次いでいる。
「先生は大丈夫ですか」と私を心配した後輩が見に来たこともあった。

倒れる医師たちに「無養生」という言葉は当たらない
私の知るかぎり倒れた医師達も健診を受け節制している。

万一健診を受けていなかったとすれば、そのために半日休むのなら
少しでも眠りたいという過酷な日常が想像される。

そもそも昔から医師の平均寿命は短いと言われる。
平均よりも数年から10年近く短いとも。

私は現在、美術館を営み、幸か不幸か多趣味もあって多事に携わる。
しかし昭和50年開業後の二十数年間は昼夜を問わない急患や往診に追われ、多くの胃がんも見つかった。
一日200人を越す日もあり生活のストレスは強かった。
それを越えたら医師会長が待っていた。
数年前の健診で頸動脈の劣化、老化が分かったが積年の産物に違いない。

今も外来のほか、常時30人ほど在宅患者さんを抱え特養ホームにも定期的に出る。
昔と違い、ホームでも看取りをするようになった。
近時、盆正月に5日の休みをもらうが、大抵誰かを診たり看取ったりしている。

先日、丁度私と同じ年の医師ご夫婦がカフェに来られた。
ご主人は多忙な開業の中から二つの特養ホームに出務されている。
「私たちは日帰りの旅行しかできない」と仰った。

「先生、少なくとも一泊くらいしてください、当日急変があれば私が診ますよ」
と思わず言った。
「これから小さな土地で庭づくりを趣味とし、そこに小屋を作って音楽を聴いたり読書をしたい」
とも仰った。
この医師にあらためて強い親しみを覚えた。

上越市に何十億という箱物を作る余裕があるのなら、地域医療の充実にまわらないものだろうか。

トンボとトクサある日の庭。

秋の庭になろうとしている お茶人から頂いた花々。

2014年9月29日(月曜日)

樹下美術館の庭は深い緑陰から秋の花の季節に変わろうとしています。

これからリンドウ、ホトトギス、野菊類、シュウメイギクなどが盛んになってきます。

1コハクジョウロウホトトギス

2タイワンホトトギス

3リンドウ

4キキョウの名残花

6カシワバアジサイの枯花

5本日お茶人から頂いた花々 花切れの時節、館内展示の器に生けます。
有り難うございました。
タムラソウ、ダンギク、白花ホトトギス、細葉タムラソウ、
ジャコウソウ、黒花ヒキオコシ、赤花オケラ、山路ホトトギス、チャボシオン。
(下段の花は教えて頂きました)

SPコンサート

今年の秋は長い(旧歴の話です)。

2014年9月28日(日曜日)

今月初めのこと、今年は「旧暦の秋が長い」という記事を読みました。
月周期29,5日を一ヶ月とする旧歴は3年に一度閏月(うるうづき)として一ヶ月分をどこかの月に足して一年を調整しています。

草2本日農道の土手。メヒシバも黄色味をおびてきました。

今年の閏月は新暦9月に当たり、旧暦でいう九月は閏を入れて日数29,5日×2=59日もあるようなのです。
旧暦9月は新暦9月24日から始まっていますので、以後閏9月として11月21日まで9月が続くわけです。
文字通り長月です。

とりわけ9月が閏月になるのは今世紀中にはもう無いということ。
詳しくは24節季の「中(寒露や霜降など)」が必ず含まれることが一ヶ月の必須条件ということからそうなるらしいのです。
偶々今年は9月が終わった翌日10月24日~11月21日までの一ヶ月(29日間)の中に「中」の日(霜降)が無いので10月とせず、
閏9月としてひと月を足した(延ばした?)ということになるようです。

草1同じくキンエノコログサ。より黄色味が濃くなってきました。

考えちがいをしていましたが、昔の秋は7,8,9月でしたね。
確かにキキョウは7月から咲き、仲秋の名月は8月15日です。
昔風に言えば今年は晩秋が延々と続く、という感じになるのでしょう。
普段あまり考えないことを思い浮かべるのは、結構難しいです。

しかし旧歴とはいえ、9月が長い、秋が長い、と言われると、清々しさが長く得をしたように感じられます。
それにしましても、御嶽山の噴火は大変なことになりました。

随所にコスモス 満足そうなカマキリ。

2014年9月27日(土曜日)

いよいよ秋深まる候です。

午後美術館の周囲をぐるっと運転してコスモスを撮りました。

春先から一帯では動植物ともに元気で数も多く、命盛んな年に見えます。
こともあろうに御嶽山まで噴火したのにはとても驚きました。

噴火は突然でしたが、今月に入り火山性微動が観測されていたそうです。
黙っていて大丈夫なのでしょうか、、、。

1
3
5
2
4
6

7カフェの前の芝生にカマキリ。
お腹が卵でぱんぱんでした。
産卵場所を探しているのでしょうか、満足そうに見えました。

学校保健委員会 減らすことの考え方。

2014年9月25日(木曜日)

本日午後から当地の小学校で今年2回目の学校保健委員会がありました。
参加者者は5年生4クラス全員と保護者、校長、担任、養護教員、学校医、区の栄養士と保健婦でした。

テーマは「食から見直す生活習慣」。
過去には生活リズム、運動、メディアとゲーム、睡眠、肥満などが取り上げられましたが、本日の食は最も重要なものです。
しかし適切な食習慣やそれへの是正などについて話や議論をするのは案外むずかしいのです。
話し手の情熱や力量(体型も)が不足すれば退屈で何も伝わらない時間になりかねません。

本日、上越市大潟区の保健師と栄養士がそれぞれ話をしました。
配布されたパンフレットはずばり、
「寝たきり予防はこどもの頃から始まることを知っていますか?」でした。
このような言葉で小学生と親御さんたちに話をする時代になったのでね。

驚くと同時に非常にまっとうな視点だと思いました。
健康と人生はある種哲学的な命題ですが、今から遠く終末まで見据えて考えてみましょう、というのです。

特に今回は「食」。
望ましい寿命のための第一はやはり「食」であろうと考えていますので大賛成でした。

ところで「食文化」という言葉が美しく使われて久しくなります。
しかし健康の為の「食」と、文化としての「食」はいささか違うのではと考えられます。
文化とつけば不倫も不潔も、無謀さえ文化と言えないこともありません。
それが食なら過食も肥満も、アルコール依存症も文化として成立してしまうリスクを心配するのです。

医療や保健から見れば食の根底はあくまで健康にあり、
今日長いスパンで言えば「(長い)寝たきり予防」のためにあるにちがいありません。

さて、多くの食習慣の是正には「増やすこと」より「減らすこと」が求められます。
子どもにおいても脂肪、糖質、肉類の過剰摂取は成人同様に指摘されるようになりました。
しかし過剰の習慣は手頃な満足感につながっていて、減らすことは中々大変です。
禁止や精神力を求めるだけでは反発にもつながりかねません。

「減らしたら損をしたと思わないで、体の為に得したと考えて下さい」
「減らすことは、体が望んでいるとても良いことなのです」
「体はだまっていますが正直で、良いことをしてやれば喜んで反応してくれます」

日頃の現場で、くりかえしこんな風に話して「頑張りましょう、応援しています」、と伝える
ようにしています。

このことで、メタボでは「まず運動」、次いで「食の配慮」の図式が続いていました。
なぜこうなったかわかりませんが、実行の難しさ、経済界への配慮などが働いていたのかもしれません。

私はあくまで「まず食事」、「同時に適切な運動」の図で考えます。
本日、保健婦さんと栄養士さんは血液量をペットボトルで、血糖値をシュガースティックで、肉と野菜は見本を示して話しました。
彼女達は本気であり、情熱と力量そして勇気の進化を賞賛せずにはいられませんでした。

さらに「自分で考える」ことの強調も大変良かったと思いました。
お二人の話の後「減らすこと」への理解の仕方を話してみました。

本日話題になりませんでしたが、実は寝たきり予防には骨折の回避があります。
そのためにも適切な食事と運動への配慮が欠かせませんね。
私は本日から区の保健師、栄養士さんへの考えを変えることにしました。

012小学校へ出向く前に雨の美術館で食事をしました。
普段家の食事は葉野菜、根菜をメインというほど沢山食べます。

やってきた息子が便座を変えた 混乱の国でビールを買う。

2014年9月24日(水曜日)

このたびやって来た息子は文化の違いか、今時の人間らしく料理をはじめ家事や育児に熱心に携わる。私にはとても出来ないことであり、幾分唖然とさせられる。

昨夕の食事前、なにやらをホームセンターから買てきて、工具を貸して、と言う。
工具を渡すとトイレの一つにこもりっきりになった。

3温水洗浄便座を買ってきた。

 

1昔のままのもう一つのトイレの写真。20年前の簡単な便座。

2あれこれやって、ホースなどが取り付けられ今風のものに変わった。
お客さんのために変えた方が良いでしょう、ということだった。

夕食後、二人で話をした。システムとしての政治・経済さらに宗教。おもにそれらの建前と本音、あるいは手法やシステムに内包されるリスクが論点だった。彼は私の質問に逐一歴史的、地政学的事例を示して説明した。

話題は多岐に亘ったが、いずれも個人の欲望と社会・国家システムの軋轢(ストレス)と緩衝の方法論へ繋がる。それらの失敗例における共通課題などは、時に掘り下げあるいは広角的に語られた。
最後にこの国の投票率の低さを心配した。

いま小児科医の彼は1999年大学を卒業すると、国家試験も受けずに中国から出発して東南アジア、インド、中近東、近東など大陸を横断し欧州まで単身バックパッカーとなって旅している。
特にイラクは湾岸戦争後の混乱が続いていて心配した。

旅のエピソードとしてアラビア半島某国において禁じられているアルコールを買う話が出た。
酒を買うには時計・宝石商を訪ねるのだという。
行くと店主は用件の表裏を尋ね、ドルの所有を確認後、夜の広場の一角で指定の時間に待つように言われた。

その通りにすると、やってきた車に乗せられ郊外の荒れ地で降ろされ、車は行ってしまう。
待つことしばし、別の車がやって来て男がビールを二瓶取り出すなり、「ドル!ドル!」と催促。

支払うと男は慌てて立ち去り、間もなく最初の車が現れて広場へ戻された。
斯く曲折の後、宿に戻ったが肝心の栓抜きが無い。
机の角でガツンガツンとやってようやくぬるいビールを飲んだ、いう。

息子は来るたびにクーラーボックスと共に、シャンパンやワインを持参するがいずれも値段は安い。
その酒が美味しいのは、吟味されていることと話の内容次第であるように思われる。

かように何でも行う人間には体のことを心配してしまう。
彼の健康と幸福を願わずにはいられない。

秋分の日の雲 大潟水と森公園 「はくたか」の鑑賞。

2014年9月23日(火曜日)

本日祝日は穏やかな日和で雲良い日だった。

長男夫婦が来ていて大潟水と森公園を散策した後、特急「はくたか」を見に行った。

 

1午前からたびたび飛行機雲が天空の羽となって流れた。

2午後から大潟水と森公園を歩き。

3ほくほく線を見に行き。

4特急「はくたか」を鑑賞。

5豊穣のコシヒカリも見た。

普段休館日の火曜日ながら祝日の開館。何組かの貴重なお客様に来て頂き嬉しく思いました。

「陶齋の器でお寿司を食べる秋の会」が近づいて「都寿司」へ。

2014年9月22日(月曜日)

10月の「陶齋の器でお寿司を食べる秋の会」が近づきました。
5日と19日の二日の予定ですがお陰様で予約は一杯です。

2回の予定でしたが、どうしてもという新潟市の皆様のお声がありました。
寿司の親方の都合で4回から2回になりましたのを、最終日曜日を追加いたしました。

当日、初夏の会と同じく会場の館長拙宅の厨房に上越市大潟区の「都寿司」さんが入ります。
昨夕、秋の会のメニューのおよそが決まりました、ということで店に寄りました。

031 夕刻の「都寿司」 上越市大潟区土底浜。
夕にまぎれて映画のセットの如く雰囲気よく撮れました(親方は恥ずかしいと言ってましたが)。

以下は昨夕の品で、この中から幾つか品目を選んで当日出される予定です。

1柿釜盛りのなますあえ4豆腐とうなぎのあんかけ5お寿司7漬け物 2鮎甘露煮とだしまきたまご3はんぺんと青ネギのすいもの6うに・いくら小どんぶり8デザード・いちじくのワイン煮

土底浜の「都寿司」では、昼食(主にづけ丼)は10人様まで、夕食は二日前までの予約で一組さまのみということです。
国道8号線土底浜駅から200メートル柿崎方面に向かって右側です。
電話025-534ー2185 で料金などもお問い合わせください、 店前に駐車場があります。
※私の記憶では都寿司さんは開店して25年は経っていると思います。

 

小田嶽夫の特装版「回想の文士たち」と倉石隆。

2014年9月21日(日曜日)

過日本棚の奥まったところにある本が気になって開いた。
手書き風の表紙文字にまず興味を惹かれた。

小田嶽夫 回想の文士たち 冬樹社 特装本 限定100部の内39番 定価15000円

書棚に上越市が生んだ芥川賞作家の文字通り特別な本が眠っていたのだ。
2007年、樹下美術館設立に先だって地元関係者の書物などを集めていた時期に、古書店から購入した一冊だった。
本は大切に、何重にも函に包まれ、ひもとくというより、まず取り出す作業が必要だった。

途中、扉を開けると、倉石隆の銅版画「少女」の実物がひょっこり出てきた。

1外箱(ケース)の全体

2スライド式に外箱から中身が出てくる。

3上部を折り合わせて本がくるまれている。

4出てきた箱入りの本。表題の紙に花のカットがある。

5箱から出し、半透明のグラシン紙カバーを取った本。表紙に顔のイラストが貼ってある。

6見返しの著者自筆署名。 

7扉に樹木のカット。

8扉を開くと薄紙の下に少女の図が透けて見える。

9図は版画であり、鉛筆で39/100のエディション・ナンバー T、Kuraisi のサインが記されている。

11天は金箔がほどこされ、いわゆる天金の様式。

10奥付(おくづけ)。以下その要旨。
特装版 回想の文士たち ©1978 限定部数100部
著者 小田嶽夫 三十九
文士生活50周年記念 金谷山麓文学碑設立記念 昭和五十三年10月16日発行
定価15000円 発行所 株式会社 冬樹社
などと並び印刷会社、製本会社、製函会社名が記されている。
装丁 倉石隆 とあり、函や表紙のカットも倉石氏の手になろう。

78樹下美術館が収蔵している倉石隆の胴版画「少女」 (9,0×7,7㎝)
a..p(Artist ‘s Proof:作家管理分)と記され、T,Kuraisiのサイン。

小田嶽夫と倉石隆の親交は戦後小田氏らによる「文藝冊子」の黎明から始まっている。
1950年上京した倉石の、後の練馬の家には多くの画家達に混じって小田氏や上越出身の彫刻家・岩野勇三氏も訪ねた。
時を経て、記念すべき小田氏の特製版書籍の刊行に際し、版画入り装丁という形で倉石隆が協働されていた事に驚き、感激を禁じ得ない。

書籍には小田氏の多岐に亘る友人、知人、先達諸氏との親交や印象が綴られている。中でも太宰治、井伏鱒二、檀一雄、武田泰淳、小川未明、坪田譲治らとの酒にまつわる縁、将棋、文学論、崇拝あるいは同情、またはけんか話など興味尽きない内容である。

戦前・戦後、阿佐ヶ谷周辺に集まった若き日の文士たちが多く登場し、先日阿佐ヶ谷へ孫訪問に行った際、中身を持参して読みました。

〝私の友人の殆どは、その人がまだ世に出てない時分からの交わり者ばかりで、お互いに世に出たあとでの友人というのはごく少ない〟
〝例外も無くはないが、人間のいちばん大切なのはその青春時代のような気がする〟
など真摯に愛された人ならではの述懐も心に沁みます。

;
多事にかまけて大切な箱入り娘?を長くしまい込み反省しています。

※当書籍は1973年6月20日初版発行「回想の文士たち」の特装版になります。
※できれば来春、収蔵の版画を特装版とともに展示いたしたいと思います。

11月15日の「SPレコードを聴く会」のお知らせその3。

2014年9月20日(土曜日)

本日午後は11月15日の「SPレコードを聴く会の2回目の打ち合わせ。
協力をお願いしているA氏宅を訪ね、実際に機械を回して音を聞かせてもらった。

氏の蓄音機は大きなコンソールタイプであり、私の卓上型よりずっと素晴らしい。

全容全容。
前の扉を開けて聴く

ターンテーブルとサウンドボックスターンテーブルとサウンドボックス。
演奏には竹針が使われ、針音はわずかで非常に上品かつこまやかな音が出ます。

氏のレコードからG線上のアリア、ヘンデルやモーツアルトのピアノ曲、幾つかの歌曲を掛けて貰った。
それは愛おしく、抱きしめたくなるような音でした。

当日、Aさんはクラシックとジャズの一部を提供され、私はジャズの一部と歌謡曲・童謡を出すことになりました。
小生持参の江利チエミのテネシーワルツ、川田孝子の鐘の鳴る丘(とんがり帽子)なども元気な音を響かせました。

麗しい音楽とともに美味しいコーヒーやお菓子などまでご馳走になり、楽しいひとときでした。
11月始め頃、もう一度プログラム作成に向けてお会いする予定です。

当日、途中15分の休憩を挟んでおよそ20曲、1時間15分ほどをみております。
現在10数人のお申し込みです。

〝どうかふるってご参加下さい〟
お申し込みは樹下美術館窓口、あるいはお電話025-530-4155でどうぞ。

2025年10月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

▲ このページのTOPへ