豚飼い フォルテシモからピアニシモへ

2011年7月16日(土曜日)

去る5月10日の拙ノートに「フォルテシモな豚飼い」のことを書かせていただきました。著者は小生の一つ違いの弟です。このたび前著の続きになるのでしょう、ピアニシモな豚飼いのリーフレットが届きました。

 

無沙汰がちの拙弟ですが紙面をお借りしてご案内させて頂きました。

 

ピアニシモな豚飼い 
  本 

「ピアニシモな豚飼い」は来る8月6日に西田書店から発売されます。2009年の「フォルテシモな豚飼い」から丸2年が経っています。

 

 あれ以後、人間の所以(ゆえん)はどうなったのでしょう。20年余の豚の放牧「コルティッホソーナイ牧場」と「風の宿」は果たして所以に叶ったのでしょうか。

 

3月11日、南三陸町の山中で執筆中の著者を大地震が襲いました。破壊と汚泥の中から著者の魂はさらなる所以を求めて最後(多分)の飛翔を試みようとしているかに見えます。

 

“緑あふれる日本にあっては、心に宿る魂の「私」が穏やかに満たされると所は、やはり人類が百九十九万年あった、意なき緑の静寂にあってしかないようである”と彼は述べます。

 

幼少から弟は走るのが速く私は遅い。彼が自転車で日本一周を試みる間私はバンドなどを行い、彼が反戦デモから帰ると、私は戦争は当事者が消耗し切れば終わると述べました。

 

“国破れて山河あり”。昭和29年、中学校入学式で校長が述べた言葉です。校長は大学の仏教美術の教授を兼任していました。幼弱な私たちを黒々とした視線でキリのように貫きながらその言葉は発せられました。私は何のことだかさっぱりでした。

 

それが50才を過ぎた頃から、自の精神の拠り所は緑なす山河しかない、と確信するようになりました。何かと異なる弟なのに似たようなことを思っていたとは、やはり同じ親の子だな、とつくづく思います。

 

「ピアニシモな豚飼い」、宜しければどうかご笑読ください。

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