淡交6月号巻頭言、利休百首 削った茶杓 新潟の茶会記事。

2017年6月8日(木曜日)

茶道裏千家の淡交社から発行されている月刊誌「淡交」
の6月号が手許にある。

家元による月々の巻頭言はテーマが平明に説かれ、とて
も読みやすい。
今月号は「もとのその一」だった。
如何に到達しようとも常に初心を忘れないようにという、利
休道歌(利休百首)の教えが説明されていた。

「もとのその一」は百首の中の以下の歌から取られている。
「稽古とは一より習い十を知り十よりかえるもとのその一」

ふとしたきっかけで昭和62年の今頃だったか、ご近所の裏
千家茶道教授である渡辺宗好先生の許に通い始めた。

普通毎週一回、月3回くらいが標準の稽古ではないかと思
われるが、元来長生きは出来ないという観念がある私は最
初の一ヶ月間は週二回をお願いして始めた。
週に1回追加の日は、ある地区の方達の稽古を終了した後、
残り火に炭を足して湯を沸かし、教えて頂いた。
その日は夕食を早くしてそそくさとお宅へ急いだ。

先生一人弟子一人、茶会であれば一客一亭の贅沢な、あ
る意味迷惑な稽古だった事だろう。
そんなはじめの頃、よくお聞きしたのが利休百首の言葉だっ
た。
基本となる茶道の精神、そして点前の手順や所作、および
道具の扱いなどの心得が詳細に述べられている。

「茶の湯とは只湯をわかし茶をたてゝ飲むばかりなる事と知
るべし」などはもっとも耳目にした言葉だった。当初は単純
過ぎてよく分からなかったが、仕度や所作で迷った時にこの
言葉を思い出すと、解決の糸口になることがよくあり、あらた
めて百首の凄さを知らされた。

当初、
「その道に入らんと思ふ心こそ我身ながらの師匠なりけれ」
もよく聞いた。
師範は「私は貴方の師だが、茶を始めようと決めた貴方の
心もすでに自分の師なのですと説明された。
なにやら禅問答のようで難解だったが、何故か心地良く響い
た。
そして「はぢをすて人に物とひ習ふべしこれぞ上手のもとゐ
なりける」は如何にも分かりやすかった。

稽古が進むと「稽古とは一より習い十を知り十よりかえるもと
のその一」が強調された。常に基本を忘れないように、という
意味に受け止めていた。

 

1
巻頭言「もとのその一」が載っている淡交6月号。

さてデビューの茶会で点前の手が震えて泣きたくなるような
こともあったが、14年目に茶名を授けられる日が来た。
ともに頂くT氏に習って拝名の茶会では竹の原型を買ってき
て、自分で削った茶杓を用いた。

茶杓には銘を付けても良い。
出来上がったものに迷い無く「その一」と名付けた。

茶名から7年経った2008年春、誠に残念なことに先生が逝去
され、、稽古から遠ざかってしまい迷子のまま今日に至って
いる。

 

2
懐かしい「その一」。

淡交には各地で開催された数多くの茶会が記録されている。
今月号に4月9日、新潟市で行われた数寄者の会が掲載さ
れていて、お正客のお家元に薄茶を差し上げた時の写真が
あった。
光栄な事に皆様のに混じって会記(日時、場所、用いた道具
類と作者、花、菓子などについて記したもの)も載っていた。

3
上段が当日の記事。勿体なき日の冷や汗がよみがえる。
淡交6月号から入門の頃と去る4月のことを思い出した。

淡交は「荘子」の「山木篇」〝君子の交わりは淡きこと水の如
し 小人の交わりは甘きこと醴の如し 〟に由来しているという。
※醴(ライまたレイ:あまざけ)

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