2019年6月5日

昨日夕刻のヒバリ 上越市大潟区は雁子浜の人魚伝説と比翼塚。

2019年6月5日(水曜日)

雨が遠のき田畑と庭が水を欲しがっている。
美術館では大切な花がぐったり寝てしまったり、施肥をした芝も水を欲しがっている。週末から向こうに傘マークが見られているので期待したい。

以下は昨日の夕刻の2コマ。

 

あぜ道にヒバリが二羽降りて来た。
(すっかり減ったヒバリですが、美術館の周囲少なくとも三カ所でヒバリを観たり聴いたりします)

 

そのうちの一羽がこちらに向かってくる。スズメよりは、ゆうに一回り大きい。

 

間もなく飛び立ち、数羽の仲間と水田を飛び回った。
普段昼の青空へ高く飛ぶヒバリが、夕刻の水田でくるくると遊んでいる。
“遊びをせんとや生まれけむ”。今春生まれた若鳥なのか、とても楽しそうだった。

田んぼから夕陽を見に雁子浜へ。
海岸に出た東の先にこぢんまりした人魚伝説公園があり、常夜灯と「人魚塚伝説の碑」が設えられている。

 

 

毎夜、佐渡島の娘が常夜灯をめがけてやってきて、地元の若者と逢瀬を重ね、悲劇を迎える人魚伝説。
近くの竹やぶに以前から人魚塚と呼ばれる小さな塚があったが、場所をあらため、公園化した。

伝承の悲恋でなぜ人魚なのか、といえば、岸に上がった娘のなきがらの長い髪が波にゆらめき、人魚のようだった、と伝わるだけである。
一方、童話作家小川未明は当人魚伝説を下地に、「赤い蝋燭と人魚」で美しい人魚を設定し、物語の果てに見世物に売ってしまう人間の深刻な醜さを描いた。

恥ずかしながらかって私は台本と演出を担当して、地元の人達と芝居・「人魚塚」を公演したことがあった。鵜の浜温泉の開湯40年記念事業の一つとしての企画だった。そこで元は魚だった自分を助けた漁師に遭うため、成長して人魚に姿を変え雁子浜を尋ねて恋におちる騒動の顛末を悲劇風に脚色した。稽古を積み、三回の公演で1000人近くのお客さんに観てもらった。

以上雁子浜の人魚について若干記してみたが、その昔この浜で若い男女の心中があったのかもしれない、と想像している。

※追加です:もとは竹藪にあったとされる塚は比翼塚と呼ばれ、別名人魚塚とされたようです。かって新潟のローカルテレビでこの塚を探す番組がありました。地元の老人が案内し、浜沿いの集落から上がった所でびっしり生える竹やぶの中にひっそりとあるのが見つかりました。
丸石の上に四方の石屋根が乗る小さな古い塚だったと思います。
比翼塚とは、心中など非業の死を遂げた男女を弔う碑だということ。比翼は、目と翼がオスメス一つずつしかないの鳥のことで、つねに雌雄一体で飛んで生きる中国伝説上の生き物だそうです。
詳細は分かりませんが、雁子浜の人魚伝説はやはりかって心中事件があり、比翼塚を建てて二人の成仏を願い、遺骸の様子から人魚塚と呼び、物語へと昇華させたのかもしれません。
もしそうであれば、名もない男女の悲恋が時を経て、立派な碑と手入れの良い小さな公園になったという事になります。非業の男女とそれを憐れんだ住民、、、。人魚伝説に二つのドラマを感じてしまうのですが、如何でしょうか。

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