2022年6月2日

「齋藤三郎ゆかりの人々 展」からその2 近藤悠三と北出塔次郎

2022年6月2日(木曜日)

本日は齋藤三郎の最初の師近藤悠三です。
悠三への弟子入り前後のことに触れますと、旧栃尾町出身の三郎は13才のときに刈谷田川の洪水で母を亡くしました。多くの犠牲者の中で母だけ遺体が見つからなかったそうです。一家の悲しみは如何ばかりだったでしょう。
1928年(昭和3年)、兄泰三は福井県小浜の妙心寺に入り出家。1932年(昭和7年)、絵が上手かった18才の弟三郎を縁あって京都の近藤悠三の許へ入門させました。

●近藤悠三 1902年2月 京都市生まれ 83才没
1914年、京都市立陶磁器試験場付属伝習所轆轤科に入所。その後奈良県に窯を築いた富本憲吉の助手として師事。1928年に帝展で初入選を果たした後13回連続で入選。山、梅、石榴を得意のモチーフとして金彩、赤絵へと陶技を拡げ雄渾、明解な絵付け作品を生み続け、1977年染め付けの人間国宝に認定されました。
齋藤三郎は近藤氏のもとで足かけ4年の修業後、助手を探していた富本憲吉の許へ入門しました。

 

石榴(ざくろ)染め付け面取り壺。

石榴(ざくろ)染め付け角皿。
太めの筆が走り、モチーフにリズムと生命感を与えている。

石榴は悠三が好んで描き、富本憲吉は描くことがあり、齋藤三郎は好んだ。

 

梅呉須赤絵鉢。
※呉須(ごす):酸化コバルトを主成分とした顔料で、焼くと青色を発色。
呉須を用いる技法を「染め付け」と呼び、釉薬を掛ける前の素焼き上に描く。

梅は憲吉、悠三、三郎とも好んだ。憲吉と三郎は花びらを、悠三は枝を主に描いた。

後年近藤悠三は齋藤三郎を訪ね赤倉温泉で遊びました。
ゆかり展の氏の作品は入り口正面のボックスと左手前のボックス2カ所に3作品を展示予定です。
展示は近藤悠三作品から時計回り(右回り)で観るよう心がけるつもりです。

●北出塔次郎(きたで とうじろう) 1898年(明治31年) 兵庫県生まれ 70才没

北出塔次郎作「色絵急須と茶碗10客揃え」
華やかで明解な色絵磁器。

富本憲吉は齋藤三郎が師事した昭和10年代の前半に色絵磁器のさらなる研究のため九谷へしばしば通いました。九谷の宿泊は窯元である北出塔次郎宅の世話になり窯を借りて取り組み、塔次郎もまた訪れる憲吉から新たな色絵陶芸の世界を熱心に学びました。後年金沢美術工芸大学教授を勤めています。

「齋藤三郎ゆかりの人々展」その3では河井寛次郎、棟方志功、志賀重雄を記してみます。

本日、大潟区土底浜の内山木工所に注文していたゆかり展で用いる120×90㎝の多孔ボードパネル6枚が、思ったより早く出来上がってきました。
ひと安心です。

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