2022年6月9日

齋藤三郎ゆかりの人々展 その4 堀口大學と長女すみれ子さん。

2022年6月9日(木曜日)

「齋藤三郎ゆかりの人々展」の紹介がその4まで来た。
本日は詩人でフランス文学者堀口大學の番になった。齋藤三郎の師である富本憲吉、近藤悠三からはじまり、これまで6名の士に触れさせて頂いた。そのうち三人が文化勲章の受章者、あるいはそれに比肩する日本を代表する人々であり、知るほどに皆さまは大きく高くなるばかりで身が縮む思いを禁じ得ない。
さらに、そのような人々と関係し、当地の交流では「かすがい」にも似た働きを負った齋藤三郎の器量と、上越という風土の懐の深さにあらためて驚きを禁じ得ない。

●堀口大學 1892年(明治25年)東京市生まれ新潟県長岡市育ち 89才没。
有能で文芸の理解もあった外交官を父に持ち、幼くして母を亡くし、祖母のもと長岡市で育った。短歌に親しんだ青春時代は与謝野鉄幹、晶子を師とし、佐藤春夫を友(終生の友)とした。慶応大学の在学中に父の任地であるメキシコに渡り、以後ベルギー、スペイン、スイス、フランスなど多くの国々を巡る中でマリー・ローランサンやジャン・コクトーの知己を得、フランス文学への造詣を深めた。外遊中に一時帰国すると最初の詩集『月光とピエロ』を著している。
14年間の海外生活を終えて帰国。同年ベルレーヌ、ボードレーヌ、アポリネール、コクトーなど66人、340篇を集めた詩集「月下の一群」を発表、文壇に多大な影響を与えた。生涯で300にも及ぶ著作を発表し、後年は歌会始の召人にも選ばれ1979年(昭和54年)に文化勲章を受章。

上段左・妙高市、上越市時代の詩集「雪国にて」「甘い囁き」「人間の歌」など。
上段右「幸福のパン種」「虹の館」「水辺の庭」など長女堀口すみれ子さんの著書。
手前写真左・髙田に於ける堀口大學ご家族、右・齋藤三郎窯に於ける先生。
写真は「虹消えず 又」 堀口大學先生三周忌追慕写真帖の見開き。
(1983年3月15日私家版 撮影・発行濱谷浩)

堀口大學の妻マサノは現妙高市出身。昭和19年一家は妙高市に疎開。21年髙田南城町に移り、25年に葉山町へ転居するまで足かけ7年を上越で暮らした。

●長女堀口すみれ子さんは昭和20年生まれの詩人、エッセイスト、料理家。髙田で幼少を過ごし濱谷浩夫人朝さんの寸雪庵で茶の稽古をされている。爽やかな著作の行間には風や水の音が聞こえるのを覚える。

来たる7月9日土曜日、午後3時から堀口すみれ子さんの講演会「父堀口大學と上越そして齋藤三郎」を催します。これで樹下美術館4回目になるすみれ子さんのお話、前回は2014年でした。涼やかな声で語られるお話をどうかお聴き下さい。
講演会お申し込みは 電話025-530-4155(良い午後)でお願い致します(入場料お一人500円です)。

色紙「花は色 あなたは こころ」

鼠地に蝋の筆で書き抜いた色紙。
「槍にはたんぽ 筆にさや 埋み火にこそ 手はかざせ」
「埋火(うずみび)にこそ手はかざせ」とは何と良い言葉なのだろう。
自身を維持するには過去歴史に触れてみなさいと言う意味
ではないか、と思う。

詩集「甘い囁き」 昭和22年5月10日 岩谷書店発行
表紙・装丁は東郷青児で戦争直後の貧しい時代、
芸術家たちは仕事を分け合って生活してたことが伺われる。

1950年髙田を去るに当たって残した詩「髙田に残す」。以下読み下し。
ひかるゝおもひうしろがみ
のこるこヽろの なぞなけん
すめばみやこと いふさへや
高田よさらばさきくあれ
おほりのはすよ きようさけ
雪とこしへに白妙に

1980年、有志によって髙田城址公園にこの詩文を刻んだ詩碑が建てられました。

詩碑建立を記念して齋藤三郎は詩文が書かれた染め付けの
酒盃を焼き建立協力者に配りました。

次回はマグナムフォト写真家濱谷浩と朝夫人です。

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