病院にお世話になった土曜午後 “駄目なら放っておくしかない、誰かが何とかしてくれる”でいいのだろうか。

2024年1月13日(土曜日)

新年1月も中ばに差し掛かった。予報通りに気温が下がり雪が降った土曜日午後、当直態勢の病院さんに二つの案件でお世話になった。

一つは午前中ある症状によってこられた方の対応だった。念のため採血し緊急検査として医師会センターに出したところ、午後から届いた幾つかの項目の一つに明瞭な異常が見られた。緊急性が想定され、病院に電話をすると当直医は「良いです、すぐ来て下さい」と明解な返事をされ、本当に有り難かった。

もう一件は、介護保険申請前の独居高齢者がある出来事を境にどうしても介護と観察が必要になった。だがさしあたりの問題は当面の介護力が間に合わないことだった。

平日なら在宅介護支援センターなど自治体が関与する福祉機関への相談案件である。担当地域二カ所へ相談をしたところ、土曜午後のため対応出来ないという。どこも同じらしく万事休すである。

事態は介護保険制度では動かないようだ。ならばその制度前、大昔の方法、つまり病院相談をすることに。恐縮しながら数カ所に電話をした結果、最後の病院で「来て下さい」という返事、地獄に仏だった。

最初の例では病院と患者さんへ2本の電話で済んだ。しかし二例目は五カ所の医療、福祉機関と遠くの縁者を含め合計7本の電話でやり取りした。
何とか歩けるなら一人暮らしであろうと1日半くらい様子を見ればいいというi意見があるかもしれない。しかし食事、排泄、薬、いずれにも深刻なリスクを生じているため福祉介護の不対応は痛かった。

これは決して希なケースではないだろう、このたび手間が掛かったのは私の力量不足のせいだったのか。
それにしてもその世界の者が、
“駄目なら放っておくしかない、誰かが何とかしてくれる”でいいのだろうか。

介護保険の始まりの頃、案件はpcを開き、フォーマットにチェックを入れれば1動作で解決するシステム試行の提案があり、みなで頭をひねった。そして23年が経った本日の二例目はぎくしゃくとあちらこちらへ電話を頼りに頻回のやりとりの止む無しだった。

もしかしたら実は今日、きれいに制度が出来ていて、ひとり私が取り残されているだけなのかと不安になった。

これがもし能登の被災地だったらどう扱われるのだろう。問題の根本は普段から不足する地域の医療福祉全体のマンパワーと、その根本に政治における問題意識の不足があるのではないかと深く考えさせられた。

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