医療・保健・福祉・新型コロナウイルス

C群ロタウイルス集団感染

2011年12月16日(金曜日)

一昨日小生が学校医として関係する小学校におけるロタウイルスが想定される集団感染を書かせていただいた。

昨日木曜は午後を休診としているので、仕事のあと学校と教育委員会を訪れ現状の確認と対応を相談した。

 

学校では教職員、教育委員会職員、県職員によって大規模な消毒作業が行われていた。マスクにビニールのカッパは原発事故の作業を思いおこさせた。

学校関係者と面談の後、教育委員会へ向かった。医師会の事務長と途中で会い、立会人として同行してもらった。午前中に課題の骨子を同所にFAXしてあったのでスムースな対応だった。教育長はじめ5人の担当者が出席され真剣さが伝わった。

様々な情報交換と話し合いを行い、トイレの早急な増設に同意していただいた。ご理解に感謝を禁じ得ない。

 

【現時点における一定のまとめ】

●原因ウイルス:教育委員会で、その後の分析でロタウイルスはC群だったと県から報告された旨知らされた。大きな疑問の一つ、なぜ保育園でなく小学校だったか謎が解けた。
通常流行するA群は乳幼児の間で発症するが、C群は小学生を中心に年令が上がる。教職員など大人が罹患することもあるということで、現に今回は児童の親、中学生の兄なども一部罹患していた。

●発症時期と感染経路:そもそも当ウイルスの集団発症は希で、起こるとしても冬の終わりから春にかけといわれている。それに比すれば当校は極めて早く、12月だった。
経路については判然としないが、いくつかの報告のように,食品ではなく人→人の可能性を否定できない。いかに早期に対応し切るかが鍵となるが、大規模校ほど長引く可能性があろう。 

●出席停止などの対応このたび最も困難を感じたのは罹患児に対する出席停止の期間と学級や学年閉鎖の問題だった。重症度は各人さまざまだったが、下痢の十分な回復には一週間前後~10日以上は掛かっていたのではないだろうか。予想以上に長い印象を受けた。

罹患後の登校について一般に言われる主治医の判断や、完全に快復してからという原則にも曖昧さを禁じ得なかった。軽くはなったもののウイルス排泄を残したまま登校し、全体に遷延した可能性がある。今後の重要な課題だろう。

●再びトイレ:インフルエンザではおよそクラス単位、学年単位でまず発症する。しかしこのたびはクラスや学年で始まることはあっても、すぐにそれらを越えて次々と広がった。このことも不思議に感じていた。報告されている集団感染においても似たような事情が見られている。
これらは児童がある程度共通して使用するトイレが感染拡大へ大きく関与した可能性を示唆しているのではないか。特に今回は3階建ての校舎建て替え工事にって、通常よりも混雑するトイレ事情も無視できない。

●まだ油断できない:発生して10日が経過した。本日から4日の休校、その間に全校消毒である。いくつかの報告で終息には二週間から一ヶ月近くかかっている。まだまだ油断はできない。

●報告:500人を越える規模の学校における大規模な流行。無事終息したら保健所は学校と協働の後、中央の感染症情報センター(IDSC)へまとめて経緯を報告してもらいたい。

  

児童たちの無事と完全な終息を祈り微力を尽くしたい。  

ロタウイルス大規模流行の洗礼

2011年12月14日(水曜日)

自分が学校医をしている小学校が感染性胃腸炎(ロタウイルスの可能性)の大規模で執拗な流行に見舞われた。主要な症状は下痢である(初期には嘔吐、発熱もしばしば見られる)。

 

初期を過ぎれば回数は減るものの下痢は執拗に続く。12月5日から始まった流行はまだ終息せず、明日から二日間、土日を入れて4日間の休校の対応となった。この間保健所の指導の下で全面的に校内の消毒が実施される。

 

入院者が出ていないのが不幸中の幸いだが、決して油断はできない。

経過からいくつかの問題を感じた。

①年令ロタウイルス感染は一般に乳幼児をターゲットに流行する。しかるにこのたびは小学校が直撃された。直近の二つの保育園では目だった流行がみられていない。なぜなのだろう。

 

②規模と限定性上越市内では単発的な感染性胃腸炎が断続してみられている。それがなぜ当校だけ集団感染を起こしたのだろう。500人規模の学校で既に90人近い発症だという。発症数は後日訂正された数にしてあります(12月16日)。

 

③トイレの少なさ当校は秋以後、来年7月を目指して3階建て一棟の校舎を建て替え工事中であった。昨日そのことが気になって尋ねてみた。工事によって男女別に合計6カ所のトイレの使用が出来なくなっていると知った。残ったトイレを使うので通常のほぼ1,5倍の混雑が推定された。

 

以上感染年令と強い限定性などから、特異な要因が想定される。普段から学校の保健衛生への取り組みは熱心だった。特殊な原因があったとすると工事によって減少したトイレ、その結果生じた混雑使用を無視できるだろうか。

 

発症した場合の下痢(あるいは嘔吐も)は激烈だ。児童たちが混雑するトイレで我慢を強いられひどい失敗をしたり、落ち着いてあと始末が出来なかったりしなかっただろうか。あるいは混雑による濃厚な汚染によって清掃が間に合わなかったなどはなかっただろうか。
もしこのようなことが常態化していたとすれば、他に明確な原因が無い限りトイレの実情は極めて憂慮されよう。

 

そして濃厚なウイルスの汚染持続は年令を超える流行となった可能性がある。ウイルスは常にターゲットを求めている。それが突然爆発的に流行するには特別な隙間を考えざるを得ない。

 

果たして対応は消毒だけでよいのだろうか。

 今後ノロウイルスもまだあり、しばしば消化器症状を伴うインフルエンザの流行が本格化する。
当校には生徒数に見合った数のトイレを早急に整備する必要があろう。簡易ではないしっかりとしたものを是非ともお願いしたい。 

 

 このたびは養護教員から色々相談を受けたが如何ともし難く反省している。保育園への伝播や重症者が出ないことを切に願うとともに、トイレの件を教育委員会にお願いすることにした。

 

クリスマスイルミネーション大潟区犀潟駅のクリスマスイルミネーション、商工会がペットボトルで造った。

子どもたちが早く元気になり安心してクリスマスを迎えられますように。 

雪の梶の一本道  

2011年12月12日(月曜日)

さほど気温は下がらず雪もない。しかしこれからおよそ2月いっぱいまで雪国の悪天候は続く。

 

本日往診の時、大潟区・坂の下から吉川区・梶十文字へ続く一本道が妙にハッキリ見えて写真を撮った。

 

梶の一本道

 

梶までおよそ4キロ、以上のような往診をした当時の父より私ははるかに年をとっている。

 

それでも仕事ができるのは、道が舗装され、除雪され、信号が付き、暖房まで出来る車があるからにほかならない。

 

しかし当時の父が私より不幸だったかというと、決してそうとは言えまい。

雲見るためもあらむ今日の日 夜は救急

2011年11月18日(金曜日)

往診は夕刻までかかった。夕焼けは日没する西をはずして東寄りの雲を染めた。ダッシュボードのポケットカメラで撮った。

今日の夕焼け雲

 人の世のいかなるものかは知らねども雲見るためもあらむ今日の日

 

追加:夜9時過ぎに電話があった。夕食は変わりなかったという在宅患者さんの急変、痰が詰まっているようだということで急いで出た。完全に反応を失いぐったりされている患者さんの顔ががゆがみ、左上下肢がだらりとして脳血管障害。血圧は維持されていて、すぐに病院と救急に連絡し紹介状をFAXした。

 

在宅の急変は家族が直ちに救急車にするか、在宅主治医の往診を依頼するか、判断が微妙な場合がある。様子を聞いてすぐに救急車を呼んで下さい、と伝えることもある。

 

近時脳梗塞は、病院専門科による早期の処置(t-PAの静脈注射)によって重篤な麻痺の回避が期待できるようになった。事実この一両年、救われた事例がみられている。
いずれにしても如何に早く病院に到着するか(二時間以内の到着、三時間以内の処置)が鍵になる。

週末、貴重な場所で

2011年11月12日(土曜日)

インフルエンザワクチンの接種はピークが続いている。今年からお子さんたちの接種量が増量された。

 

これまで高額な費用を支払い痛みをこらえて受けても、40度もの熱で発症するお子さんが少なくなかった予防接種。このたびの増量による効果はどう判断されるか、目が離せない。 

 

四ツ屋浜の海午後三時、四ツ屋浜の海をみて

齋藤尚明さん作品展
高田、アートサロン遊心堂さんで15日までの齋藤尚明氏の作陶展を見た。
 樹下美術館でお出しする銘々皿セット、ほかに美しい茗荷の小品を求めた。

 

幼少を知る尚明さんとは雑談が尽きない。間もなく美術協会のIさん、エレクトロニクスのUさん、陶芸家のTさんが次々お見えになり、お話をご一緒して光栄だった。

 

皆様と別れて大島画廊へ寄り、額装を終えた倉石隆の「」を受け取った。店内でばったりIさんと出会った。「今日、友人を連れて樹下美術館へ行きましたよ」と、美しい人のもったいないお言葉。

 

びんのかけら初めて行った店「びんのかけら」。

 

リー・ワイリーのヴォーカルがかかる「びんのかけら」の店内。そこで美味しいピザとコーヒー、それにケーキを食べた。センサブルに選ばれた過去にはときめきと安心がある。今後「びんのかけら」はますます貴重だろうと思った。

 

秋バラの庭、奥にはバレースタジオ、、、おとぎ話のような場所だった。

大潟小学校の絵本室

2011年11月9日(水曜日)

日中は曇り空から時おり雨が降ったり陽が差したり。

午後、来春就学する児童の健康診断に行った。上越市大潟区(旧大潟町)の人口は1万人少々で、面積も小さい。それで小中とも学校は一校ずつで続いている。
学校医を35年ほど行いながら、一区(町)一校のまとまりのようなものを感じていた。現在一棟を建て替え中で本日は絵本室で健診した。

 

以前に比べるとアトピー性皮膚炎、喘息、それに肥満も減っていると感じた。

 

親御さんの服装も一段と穏やかになった。バブルの頃は肩パット入りのダブルスーツとネックレス、手に手にセカンドバックで、場に不似合いを禁じ得なかった。時代の移り変わりを実感した。

 

 絵本室
この他にもまだコーナーがある。

 

さてずらりと絵本が並ぶ部屋は如何にも楽しげに見えた。大潟小の充実は市内でもトップクラスだという。合併前から引き継がれた本がかなり膨大だったことが理由らしい。

 

本巧みに補修され、題字もきれいに書き直されているものも多い。
樹下美術館のカフェの絵、午睡を描いた篠崎正喜さんの挿絵、作・寮美千子
おおおとこエルンスト うみにいく」も見える。

 

同校のPTAや図書ボランティアは熱心に本の購入と補修を行ったと聞いた。本は幸せそうだった。

 

これからパーキンソン病の勉強会で懐かしい先生とお会いする予定です(午後7時頃記載)。

祝日に座学3時間とトンネル建設現場の研修

2011年9月23日(金曜日)

50人以上の事業所には職員の保健をサポートする産業医が付いている。日本医師会の認定産業医は5年ごとに更新が必要で、今回私の期限は平成24年1月29日と記されていた。

まだ先だと思っていたら、今年10月中に所定の単位を取得して更新申請をしなければならないと知った。現在、必要な研修は三分の一ほど(7単位)残っている。

本日、十日町医師会が主催された研修会が午前10時から午後3時40分まであった。昼食を挟んで5単位をもらえるので貴重な祝日を充てた。職場の作業環境と労働安全行政について2コマの講義の後に実地研修があった。

 トンネル入り口
通過する車輌をよけながら説明や質疑

掘削機械砂地に対する掘削機械 奇妙で大きな昆虫のようだ

十日町市側で見た八箇(はっか)トンネル建設現場は圧巻だった。想像を越える巨大さ、大規模な換気と排水、砂地地盤に対する特殊な工法、水やガス噴出への備え、モンスターのような掘削機械、、。初めて立ってみたトンネル工事の非日常にいささか興奮し、技術と安全対策を頼もしいと思った。更新に必要な研修はあと一回となった。

参加者トンネルは人気だった

この数日の寒さは少々こたえる。昨日はストーブを出しましたとお二人の患者さんから聞いた。

上越市最近の話題から その1新幹線

2011年9月22日(木曜日)

このところ上越市で注目された話題が二つありました。予定新幹線駅の名称と厚生産業会館の建設に関することでした。

 

【新幹線への感想】
新幹線駅名を考える会が最終的に提言したのは「妙高高田」でした。分かり易く爽やか、語感に格調・安定感があって好感が持てました。募集順位の上位二つには越後が付いていましたが、溌剌さに欠けていたかもしれません。あえて三番目を推した委員会の見識に敬意を覚えました。このまま決まるような気がしますが、はたしてどうでしょうか。

 

答申された駅名には直江津や頸城に関して表現されませんでした。しかしまず爽やかな表札が掛かれば後は家の中身が問題になることでしょう。上越のはずれ樹下美術館は、新潟・長岡の両市に近いメリットも生かしながら精一杯維持発展の努力を続けたいと思いました。

 

ここで2点ほど。
それにしても上越一帯の国道とその歩道、さらに中央分離帯などの雑草繁茂は凄まじく、植え込みは何処へやら眼を覆わんばかりです。立派な駅名が付いても「雑草のまち上越」では、とてももてなしになりません。

 

人を迎えるのであれば足許。少なくとも国道の雑草をしっかり管理し、まず足許に磨きをかける必要があろうと思いました。

 

色々懸念される新幹線メリットですが、メリットの一つに医療充足への期待は如何でしょうか。富山・石川の両県は足しても人口、面積などで新潟県より小規模の地勢です。しかしこちらは医学部が一つ、あちらには三つもあるのです。

 

上越-富山37分、上越-金沢42分。新幹線によって北陸から上越へ、通勤など医師往来の可能性が生まれそうです。医師数が切実に不足する上越地域は、人的交流を北陸へと広げ、ぜひ新幹線メリットとして生かして欲しいと願われます。
一方、上越-東京1時間35分、上越-長野16分というメリットも医師の往来のほか、医療の広域化としても注目されるのではないでしょうか。いずれにしても上越地域の医療水準の向上への付与を期待したいと思います。

 

時間をみて厚生産業会館について若干を記せればと思っています。

 司修氏講演会

「指示が入る、入らない」を止めよう。

2011年9月13日(火曜日)

10年ちょっと前、介護保険が始まる頃、保健、介護、リハ、看護、と多様な職種の方たちと交わるようになった。いろいろ話が聞けてためになったが、認知症に関連した奇妙な言葉にも出会った。

 

「この方は指示が入りません」、「指示は入るのですが、すぐ忘れます」などという言い方だった。こんな言葉は病院にいた時も、20数年の開業でも聞いたことがなかった。

 

この地域だけの言葉だろうか、一部でかなり一般的に使われていたように思われた。  

 

言葉は如何にも上から目線である。そもそも今どき「指示」はまずい。さらに「入る入らない」はなおさら問題だろう。あたかも動物かロボットを相手にしているようではないか、あるいは古い時代の看守など も浮かぶ。

 

「言ったことを理解出来る出来ない」、「助言を行える行えない」などの事だと思われた。治療者や介護者の言葉としては乱暴かつ冷酷であり何とも悲しかった。

 

かなり前、このことを地域の関係者の会議で述べた事があった。しばらく耳目にしなかったが一昨年の介護職の書類に使われていた。その頃ちょうど厚労省から人が来て上越市の担当者を交えた集まりがあったので改善を要望した。

 

そして今日の在宅訪問。同席したケアマネージャーが「指示が入らなくなっています」、と言った。ちゃんとした仕事をされる人だったので残念だった。相談ごとを済ませてから、言葉について皆さんで話し合ってみて下さいと告げた。

 

介護の現場は一定の洗練を続けている。しかし、いつか自分がお世話になる時に、この人は指示が入らない、などとは言われたくない、、、。

 

夜9時半を回った。先ほど痰が詰まって苦しそう、という方を往診した。最後までお願いします、と言われハイと答えた。何とかやってきたので何とかやっていけるだろう、というハイだった。満月を終えた月がむら雲とやりとりしていた。

 

 司修氏講演会

新潟市への往き帰り 船とトンネル

2011年9月1日(木曜日)

厳しい暑さを越えたころから在宅の方たちがが続けて発熱された。大方回復に向かわれ、入院の検討が必要だったお一人も今朝解熱された。

例年、夏と冬は寒暖のピークを過ぎたころに用心が必要な期間があることを知らされる。

今日木曜日午後は一応の定期休診で新潟市へ産業保健の講習を受けに行った。職業性呼吸疾患(じん肺)についての講義だった。作業環境改善と健診の注力でこの分野の改善は著しいが、長年の観察が必要で油断できない。

えちご 向こうに見える「えちご」は第九管区海上保安本部最大の巡視船、二基の砲門(機関銃らしい)が見える。その昔、能登半島沖を数人のクルーとヨットで航行中に近づいて来たのは多分この船。はるか沖合で出会うと少々怖い。
越路丸
新潟県所属の多目的漁業調査指導船、「越路丸」が入港してきた。
なかなか格好良く、研究室付きの漁船といった感じ。

しらかば 遠くに巨大な新日本海フェリー「しらかば」。深夜に新潟を出港して翌日夕方に小樽へつくという。ぜひ乗船してみたい。

赤い漁船
寺泊で見た漁船。赤と白のペイントはテレビで見るヨーロッパの舟のように美しかった。

新潟市まで高速道路を含めた運転が90分、講義90分で緊張の3時間。受講後は車を留めたホテルで珈琲を飲み、みなとぴあでしばし船を見た。それから海沿いの道をすたすたと走って帰ってきた。

 椎谷岬トンネル
椎谷岬トンネル

柏崎の手前で椎谷トンネルを通った。照明がグリーンで目に優しくとてもきれいだった。椎谷岬の国道は2007年の中越沖地震の崖崩れで通行不能となり2010年1月トンネルとして開通したという。あの岬の坂道は語りぐさになった。

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