文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ・テレビ

年末旅行最終日は岡山市から旧閑谷(しずたに)学校へ。

2026年1月7日(水曜日)

前回の備中高梁の駅隣接ビルの記載で蔦屋を蔦谷などと記載してしまい、申し分けありませんでした。
本日は旅行の最終日、岡山市内と旧閑谷(しずたに)学校行きです。

実は旅行の三泊目を瀬戸内が見晴らせる倉敷市児島を予約していましたが、岡山市周辺を調べると「閑谷(しずたに)学校」という聞き慣れない場所を知りました。吹屋同様山間にひっそりと、しかし確固たる存在感を現す古い校舎の魅力に惹かれ児島から岡山連泊に変更した次第です。

この日は帰郷するので夕刻までに岡山を発たなければなりません。以下簡単ですが31日午前の岡山市の後楽園と岡山城です。

入園早々岡山城が見える後楽園。

後楽園は広大で池と水路などふんだんに水があしらわれる庭園でした。

 

舟置き場。

蓮田、茶畑、蘇鉄(そてつ)畑など
農への重視は印象的です。

茶で言えば中国から日本に茶を紹介した臨済宗開祖・栄西は岡山県の人だと知りました。同園では田植え、茶摘み、観蓮、月見、能楽、芝焼きなど伝統を重んじた四季折々の催事が行われ、開かれた庭園として広く市民に愛されていることが覗われます。

庭園側から見た岡山城。

上掲の撮影後旭川(あさひがわ)に掛かる橋を渡って岡山城を眺めに行きました。

時間が来ましたのでお城の後岡山駅から山陽本線は普通列車で「吉永」へ。約35分で到着後、「旧閑谷(しずたに)学校」へはタクシーを利用しました。

山間に入ってすぐに目的地、国宝や重文の建造物群を有する特別史跡「旧閑谷学校」でした。

校門である鶴鳴門(かくめいもん)。

これが校門とは、鶴鳴門の荘重な屋根瓦。
雨水の傷みに備え緻密な構造。

国宝の講堂。冬以外は芝生の緑に囲まれるようです。

 

塀の上面は侵入の手がかりにならぬよう丸い。
高さ幅とも2メートル、総延長700余メートルです。

昭和天皇お手植えの楠(くすのき)

旧満州、奉天生まれの私ですが、
故郷を訪ねたような懐かしさ。

建物の膨大な瓦は全て備前焼で、耐久性保持のため特に高温で焼成されたと言われます。長年にわたり大量の重い瓦を支える木造部分の強さにもほとほと感心させられます。維持し続けた後世の人々にも感心しました。

閑谷学校の始まりは早く、寛文十年(1670)、岡山藩主池田光政公により庶民のための学校として30年も掛けて創建され、他藩をも問わず広く子弟を集めたということです。

当然ですが江戸初期からの歴史ですから浮沈が見られ、衰退ごとに有力者らによって再興され現在で運営財団は寄付を募っています。

藩校として長く存続、明治時代以後は中学校としても使われ大正時代まで実用されたようです。

池田公墓所へ椿の道。

学校の右手に椿の道があり、池田光政公の墳丘へ続いているということです。当所一帯はまだまだ見どころ多い場所。いつか叶うなら花の季節に再訪したいと思いました。

本日で年末旅行記事は終了ですが、吹屋も閑谷も遠い所でした。しかし両所とも古い学校が格調高く保存され、この度の旅行を意義深いものにしてくれました。

長々お読みいただき有り難うございました。
今回、地域の隆盛は地勢・環境も大事ですが有能な殿様と城下の熱意、学問は決定的であろうとつくづく感じました。

帰路は東京を経由して北陸新幹線でした。東京駅で乗車後すぐ肘掛けの脇にタブレットの忘れ物を見つけました。
携帯の置き忘れをしたばかりなのに今度は私が発見者、急いで車掌さんに届けた次第です。
旅は本当に色々なことが起こりますね。

到着した上越妙高駅は雪降りの最中で今週末は大雪が待っています。

3月15日、樹下美術館は20年目の開館です。
休館日など少し変わりますが今年もどうか宜しくお願い致します。

備前高梁で見た蔦屋、スタバ、図書館、そして駅の複合。

2026年1月6日(火曜日)

当地の雪は降っては止みを繰り返していますが、時々降る雨と常時吹く風によって消えるのが早く、幸い積雪は増えていません。

 

1月4日の大潟区の通り。雪は現在も同じくらい。

さて昨日お知らせしましたが、本日は備中高梁駅に直結する複合施設に触れさせてください。

去る12月30日、岡山市から備中高梁駅へ。そこから吹屋を往復しましたので、この日二度高梁駅に寄ったことになります。
帰りの駅で隣接するビルの二階へ上がると正面に「高梁市図書館」と明るい看板ががありました。ほぼ駅に図書館があるのです。

若者たちが入って行きます。

 

入ると目に付く高い書架と読書スペース。

すぐ隣のスタバと自由に往来できる

ホームから見えた『高梁市図書館」の看板。

現在、蔦屋とスターバックスの協力は「ツタバ」と呼ばれ、「ブック&カフェ」の形態はすでに全国展開が図られていると聞きました。
さらに図書部分は市図書館として行政が指定管理者を選定して参加、そのうえ駅(JR西日本)が場所の提供者になるケースも始まっているということでした。
人口わずか2万5千人の備中高梁市が年中無休でそれをj実現していることに大変驚きました。
ちなみに同複合施設は2025年に公共建築賞「優秀賞」を受章しています。

別に喫茶や本屋を誰がやるかに決まりは無くても、必要なセクションが参加し有機的に便利向上を図るのは地域の有望な課題かもしれません。

これらは幼いこども連れの父母にもニーズがあるということ。ただ場所によっては駐車場確保が課題になることもあるようですが、文房具、お土産、生鮮品、観光案内所などがある場合の駅ビルの利便性は否定し難いのではないでしょうか。
高梁駅ではそれらもコンパクトにまとまっていました。

機会があればまだ新しい新潟駅へ見学に行ってみたいと思いました。

年末旅行3日目は吹屋のベンガラ色の街と吹屋小学校へ。

2026年1月5日(月曜日)

昨日に続いて岡山県備中高梁(たかはし)市は午後の観光です。

駅ターミナルにあるバスセンターから10:55発、終点吹屋11:52に乗りました。乗車したのは私達と一人のおばあさんだけでした。
そのおばあさんも早々と降り、38もある停留所からは一人も乗りませんでしたので終点まで貸し切り状態でした。

バスは高梁川に沿って走り、およそ反対は山の森林です。森林が上越と違うのは雑木に混じって照葉樹が混じることでした。また特に目を引いたのは南天です。大きな赤い実を沢山つけて随所に「自生」していて驚きました。

時折、傾斜地で田畑も無い所に立派な家があるのにも目を奪われました。

よく見た石垣と白壁それに蔵の家。
南天はマスト。

吹屋が近づきました。

車中から見たベンガラ色の民家。

バスは街道の通りが終点で、降りてそのまま散策です。ベンガラ(弁柄)色の建物に赤味を含む石州瓦の家が続く通りは国の重要伝統的建造物群保存地区に認定されていました。

 

街道はしんとしていました。

 

晦日なので開いている店は僅かです。

通りを右に入って坂を進むと岡山県指定重要文化財、および日本遺産になっている「旧吹屋小学校」へ出ます。

 

 

立派なプールは教育イベント用でしょうか。

 

小学校とは思われない構え。

小学校にしては広大であまりに重厚。そのはず古くからあった周辺の鉱山は明治期から吉岡銅山として三菱財閥により本格的に開発され同時にベンガラの産地として大いに栄えました。ちなみに学校敷地は三菱からの寄付だったそうです。

明治中頃から順次建てられた学校は平成24(2012)の閉校まで「現役最古の木造校舎」として使用されていました。
閉校後一旦解体、大がかりな補強工事を行い令和4年(2022)2月将来へ繋ぐ遺産として竣工したそうです。
残念な閉校はここでも人口減少でした。

通りへ戻るとバスに揺られた後小学校まで行きましたのでおなかが空いていました。「きいろい台所」でカレーを食べました。すらりとした若いネパール人の店でした。

上は香料が効いたカレー、下は熱いチャイ。
高度550メートルの高地で、
ずっと外に居たので温まりました。

店内にあった六芒星の飾り。

さらに時間まで歩きます。

 

ベンガラ染め「志楽」の遠藤さん。

「志楽」さんのお隣「麻田百貨店」でグレーのマフラーを買いました。夕方になり冷えましたのでさっそく用いました。恥ずかしながら後ほど写真をお出しします。

大人しい猫は通りの副会長さんでしょうか。
南天もきれいです。

買ったばかりのマフラーを着けて。

赤い町並を堪能し15:42のバスの時間になりました。帰路のバスも発車から終点まで私達だけでした。

大晦日前日、深閑とした「ジャパンレッド」に包まれ、夢の中を彷徨うようで不思議な感覚を覚えました。

帰りのバスから高梁川と山の夕焼け。

バスを降り高梁駅に着き人並みに紛れると、この世に戻った感じがしました。

しかし赤い吹屋の時間は、まるで原体験のし直しのようで心身のリフレッシュになりました。

次回は戻った備中高梁の駅ビルについて少し書かせてください。

年末旅行3日目の備中高梁(びっちゅうたかはし)駅周辺。

2026年1月4日(日曜日)

思いがけない正月大雪になりました。しかし美術館は20㎝前後の積雪、風雨が強かった沿岸の仕事場ではせいぜい10㎝ほどに減りました。

さて戻って年末旅行3日目の記事です。
12月30日、岡山市から伯備線で備中高梁市へ、そこからバスでべんがら屋根の街、吹屋(ふきや)へ行きました。吹屋で長かったため、本日は午前の高梁駅周辺だけ記載いたしました。

伯備線は岡山駅から先ず西に行き倉敷を経ると高梁川に沿って北上、中国山地走り鳥取へと続くJR線です。
かって大学病院時代、米子で行われた糖尿病学会と、津山で後輩の結婚式に参加し、当線は2回乗車経験がありました。しかし昭和40年代後半のこと、長々と山間を走った記憶しかありません。

このたび岡山発9:13特急「やくも」で35分で備中高梁へ(普通列車55分)。

「やくも」の入線。
「やくもブロンズ」と呼ばれる褐色カラー。

やくもブロンズは沿線が関係する銅や鉄及び弁柄(ベンガラ)のふる里、宍道(しんじ)湖の夕日などから独自のカラーが出来たということです。

高梁川に沿って山が続く。
山頂部分はいずれも濃い霧がかかっていた。

 

備中高梁駅前。ここでも山に霧。

 

「トマト銀行」

トマト銀行は1989年、山陽相互銀行が改名して生まれたそうです。同銀行は改名により世界で話題となり、国内各地から預金が集まったとありました。

べんがら色の街、吹屋行きのバスまで1時間少々余裕があり、タクシーで天台宗「頼久寺」へ。
案外近い寺院は清々しく、小堀遠州作の庭は大規模ではありませんがさすがに想像以上の造形美でした。

「頼久寺」前景。

 

冬でも色鮮やか。

色彩と形状のほか動きにも目を奪われる。
非常に良く手入れされている。

楽しい丸窓の変化。

頼久寺から駅への途中、山田方谷(ほうこく)記念館を外から眺めました。

ここにも「義」がありました。

山田方谷は藩政と財政に苦しむ備中松山藩を生涯改革した偉人。諸国の藩士にも影響を与え、佐久間象山はじめ後に明治政府で太政官から東京大学教授になる会津藩の南摩綱紀や越後長岡藩から河井継之助らも方谷を訪ね薫陶を受けています。

館長家に伝わる南摩綱紀(羽峰)書屏風

一昨年倉敷市で継之助が投宿した宿跡を案内してもらいました。一帯では大河ドラマに山田方谷をという運動が熱心に行われているのを知りました。

駅前で見た岡山牛の自販機。

備中高梁に着いたころ、近隣の山はみな雲海が掛かっていました。駅をお掃除する小母さんから、一帯はこの時期毎日のように霧が掛かり雲海が発生すると聞きました。
気温が上がれば松山城が見えるかも知れませんよ、という言葉通りバス発車間が来ると山頂の城が見えました。

10:55吹屋行きのバスの乗客は私達のほかにおばあさんが一人、それも間もなく降車されました。
終点吹屋まで1時間、高梁川に沿う38カ所のバス亭はみな通過です。貸し切り状態となった車は何度も山中を曲がり吹屋へと入りました。

週末の上京 カーヴ・デ・ランパール 「良寛の書簡」特別展。

2025年12月22日(月曜日)

先週末展覧会を観に上京した。20日土曜日、夕食は妻の兄さんと一緒だった。氏は発達心理学分野で、長くある女子大の教授をされた人。

場所はかって長男が案内した「カーヴ・デ・ランパール」。ワインリストは超一級で、食事は見た目お洒落なフランス料理とは異なり、プロが作る本格的な家庭料理。

私は飲まないので妻、義兄で白1本と赤のグラスワインを飲んだ。ここには基本「ノンアルという飲み物」は無いため、「水」を勧められるが、10ミリリットルばかりの乾杯ワインを4時間掛けて舐めた。

前菜のテリーヌに続いて、
茹でキャベツと桜エビの料理。
栃木のキャベツは青く驚くほど柔らかだった。

「牛モツのオニオングラタンスープ」
美味しさがあふれ出ている。

デザートの「ほうじ茶のフロマージュ」
確かにほうじ茶の香り。
乗っていた「わさび塩」が素晴らしい。

女子大の止まらない入学者減による規模縮小や共学が進んでいる現状を聴き、旅などの話に花が咲いた。
4時間近く居て三人の会計は税込み4万480円だった。

翌日日曜日午前はまず「良寛の書簡」特別展を観に行った。会場は東中野の「東京黎明アートルーム」。周辺は学生時代に友人がいた懐かしい所。少し若返った気持がしてホテルの新橋から電車で向かった。

会場のアプローチ。
徹底して磨かれている。

会場は閑静な東中野の住宅地にあった。受付で入場券を渡すと、招待券ですね、どなたからのものですか、と訊かれた。小島正芳先生からです、と言うと喜ばれ、万事丁寧に応対して頂いた。

美術館は2階建てで、外観に比しはるかに十分なスペースがある。小島先生が企画・展示・解説にと、中心的な役割をされている「特別展」だった。

書簡は良寛の父母兄弟あるいは知人恩人たちとのやり取りで、いずれの書面もこまやかな愛情に加え気品と教養にあふれていた。

二階にあったさわやかな茶室。

床は「天満大自在天神」の軸。
良寛ならではの楷書は、「在」に
関して逸話が残る名作。

軸は唯一撮影許可されていた。

茶室前に革張りのソファー。
茶会の待合を兼ねているのだろうか。

誠意が尽くされた展示会場には絶え間なく来場者さんがあった。観終わり、受け付けを通る時に、感想を聞かれ、「心洗われました」とお答えした。

昨夕食はヘビーだったため朝食を抜いていた。当日は電車に乗り、良い展覧会をじっくり観たのでお腹が空いた。駅近くで昼食のカレーを美味しく摂った。出先で昼食するのは珍しいことだった。

駅前の環六(明治通り)も懐かしい。
建物は変わったが雰囲気は同じ。

美味しくカレーを食べた店内。

もう一件別の展覧会を観る予定だったが、良寛を堪能後これで十分と判断、帰路に着くことにして駅ビルに寄った。

駅ビルのカフェスペース。
生活への密着感がある。

駅ビルは大規模ではないが、カフェのほか書店・文房具、食品、菓子店などが有機的に配置され、賑わっていた。
カフェで読書する人達をみて、東京はいいなあ、近くにこんな場所があって、雪国では何ヶ月もこもりっ切りになりかねない、と思った。

さて実は前日、東京への新幹線で携帯を車内に置き忘れました。
それが二日後の本日午後、有り難いことに所在が分かりましたので、後日その顛末を書かせてください。

本日樹下美術館の後片付けの日 ラヴェルの名曲がポピュラーやジャズに。

2025年12月16日(火曜日)

本日は後片付けの日、5人のスタッフで手際よく今年度の展示や庭の冬支度が終わりました。
来春まで美術館は庭の木々と共に静かな眠りに就きました。

二つあるベンチも囲われました。
ブルーシートは感じが寒々としますので
いずれ色を変えようと考えています。

来年度の展示予定はほぼ決まっていますので年が明けましたら掲載致します。

厳冬に向けカフェの前のラベンダーが屋根からの落雪にどう耐えるか唯一の懸案です。対策の道具が揃う来週に手を付ける予定です。
今夏好評だっただけにラベンダーには是非とも無事に雪を乗り越えて欲しいと願っています。

以下1930年代後半に流行したという古い曲「The lamp is low」です。ほの暗い灯り、小さな灯りという意味でしょうか。歌詞に高い月の深夜、低い灯りのそばで貴方と一緒に居て幸せという風に歌われています。


昨日同様ノーマン・ルボフのコーラス。


スウイングするテンポで。

「The lamp is law」は以下のラベルの名曲「亡き女王のためのパヴァーヌ」を原曲としたものです。後に交響曲にもなりましたがラヴェルがはじめに書いたのは1899年のピアノ曲だったようです。
ちなみにこれは、亡くなった人への葬送曲ではなく、ベラスケスの名画「王女マルガリータ」の肖像画(ルーブル美術館所蔵)にインスピレーションを得て書れたということです。
疲れが鎮まるような曲ですね。


ラベルのピアノ曲で。

時折小雨が混じった時間、美術館と庭の一年の片付け、本当にご苦労さまでした。

本日2025年度の最終日。

2025年12月15日(月曜日)

本日で2025年度の樹下美術館が終わりました。3月15日から開館以後皆さまには沢山のご来館、ご協力を頂き本当に有り難うございました。お陰様で19年目が無事に終了しました。

さて昨日は少し触れましたが、アリゾナ州からのALTさんが友人と来られ、展示やカフェのパウル・クレーの画集をご覧になりノートに可愛いメモを残されました。

スイスのパウル・クレーセンター
クレー作品の60%、4000点を所蔵しているという。
(スイス政府観光局のホームペー-ジから)

 

細長いメモには以下のように書かれていました。

Thank you for a wonderful visit. I could visit here thanks to my coworker,on a windy winter’s day ,with a rainbow in the sly. I hope to visit again in the spring. The matcha set was delicious ,and the art was lovely to see. Thanks very much! K from Arizona R712/14.
素敵な訪問ありがとうございました。虹が掛かる風強い冬の日、同僚のお陰で来ることが出来ました。春になったらまた来ます。抹茶セットは美味しく、展示は素敵でした。とても感謝しています、アリゾナからのK R7 12/14。
というような内容でした。
Matcha:抹茶は外国人さんにも人気だと聞いています。Kさん有り難うございました、どうかまたいらして下さい。
今年後半のノートには他に何筆かの英語メモがありましたので、折々紹介させてください。

以下は「Days of Wine And Roses 酒とバラの日々」をYouTubeから引いてきました。


ノーマン・ルボフ合唱団。

私は普段飲みませんが、こんな昔の曲を聴いていると少し飲んだような気分になります。

本日お客様から妻と私にと頂いた靴下。

毎年靴下をプレゼント頂くお二人さん、今年も大変有り難うございました。来年春の開館まで色々と宿題があり、ある意味あっという間かもしれません。
皆さまとともに風邪に気を付けまたお目に掛かりましょう。

冬休みあいだもブログは続けます、館長。

今冬最強寒波が来る 向こう側の季節から「楝(あふち)の花、いとをかし」。 

2025年12月3日(水曜日)

今期最強の寒波がくると予報されている。温かい日が続いていたのがついに変わる。すでに外の風はヒューーヒューと鳴り雷がドカンと来た。

降雪はさらに地域の高度が加味される。

例年12月早々寒波がやって来る。この雪は先ず根雪になることはないと思うが、万一そうなれば大変だ。
こんな風に今後二ヶ月半ばかり、天気予報に一喜一憂しなければならない。

さて話変わり、前回の堀口すみれ子さんの「月明かり」から「楝の花、いとおかし」です。
大雪と反対側の季節の詩ですね。
「楝(おふち→おうち)」という花木。当地で親しまれているのは以下の小山作之助作曲、佐佐木信綱作曲の唱歌「夏は来ぬ」4番冒頭の“楝”ではないでしょうか。

楝(おうち)ちる 川べの宿の
門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して
夕月すずしき 夏は来ぬ

楝をこちらで見ることは無く日本の南西部の木で、栴檀(センダン)ということです。
花はバニラに似た香りがあると言います。

学生時代、小田原でテニスの夏合宿があった時にコートの脇にこの木がありました。
大きな木には沢山実が付いていて豊橋の同級生が「これは「栴檀(センダン)」だと言いました。

“若葉が繁ったあと淡紫色の小さな花を房状に咲かせる。遠くから仰ぎ見ても美しい花である。「アフチ」は栴檀の古名で、万葉集にもその名を見ることができる”とネットにあり、満開は素晴らしいようです。

以下すみれ子さんの詩「楝の花、いとをかし」です。

対岸の富士山に
はだらの雪を数えるころ
汀(みぎわ)ちかく
大様に(おおように)枝をひろげた楝の大木
さみどりの葉かげから
淡い紫の花房をゆらす
初夏の日に 茫(ぼう)とかすみ
えも言われぬ香りたて
この上なく﨟(ろう)たけて
この世のものとは思えない
夢の中の花のよう
ゆたかな美しい時
今年また会える楝の花

清少納言も言っている
「かならず五月五日にあふもをかし」

※はだら:まだらのこと、﨟たけて:気品があること。

初夏の日、対岸に富士山を眺め「おふち」の大木が満開とは何と言う風光でしょう。

長居植物園の植物図鑑から引用。
30メートルに届く大木になるという。

と言う訳で,最強寒波の到来を前に麗しい初夏の詩を読み、いつしか「夏は来ぬ」を口ずさんでいる次第です。
かって私が見たのは沢山の実だけ。機会があれば初夏の頃にこの花がきれいな所へ行ってみたい。但し花期は短いらしいのです。

堀口すみれ子さんから届いた詩集「月あかり」。

2025年12月1日(月曜日)

先日湘南にお住まいの詩人・エッセイスト堀口すみれ子さんから詩集「月あかり」が届いた。
50篇が編まれたご本はこれまで月間「かまくら春秋」に掲載された詩篇から選び、第三詩集として出版されたものと、あとがきにあった。
その末尾に令和7年秋としるされているので最新の出版ということになる。

「月あかり」堀口すみれ子著
かまくら春秋社令和7年12月21日発行
頂いたのは発行前の本だった。

届いてから5日ほど、まず10数篇を読んだ。初めて目にする言葉が幾つも出てきて調べるのは楽しかった。

土地、草花、鳥、時節、生活など詩人を巡るモチーフが美しい言葉で編まれる。前両陛下が長年お忍びで食事に寄られたすみれ子さん宅。貴い詩は私みたいな者の心にも触れてくれる。
何時でも何処でも携行し何度も読みたい。

読んだ中から「夏野菜」を掲載させて頂きました。

つやつやと
ひかりを照り返す
なんと美しい茄子の皮
この紺色と
青白い果肉の対比は
案外だ
太陽に愛された
トマト、ピーマン、ズッキーニ
忘れてならない
玉ねぎ、にんにく
個性きわだつ
夏野菜たち

これらすべてを粗く切り
「ごめんね、煮るよ」と
炒めて 煮ること 三十分
とがった個性が融け合って
あまく やさしく 丸くなる
ラタトゥイユ 夏の逸品

すみれ子さんが初めて当館を訊ねて下さったのが2009年、以来5度の心打つ講演をして頂きました。

週末の種々。

2025年11月23日(日曜日)

今週末は二組のご夫婦が訪ねて来られた。一組は作日滋賀県からもう一組は本日東京からだった。滋賀のお二人には昨年末の京都、滋賀行きで大変お世話になり、思い出多い旅行が出来た。
この度は、かって深くお付き合いのあった方の供養に来県され、木村茶道美術館と夕食をご一緒した。

もう一組は本日到着した若い身内で新婚ほやほやの二人。静かな表情にあふれんばかりのエネルギーを秘めた両人と幸あれと願って夕食を共にした。

以下はまず木村茶道美術館から。

本席の一行書「大衆角雖多一麟足」
大徳寺116世管長・萬仭宗松筆。
萬仭宗松(ばんじんそうしょう)、
1325年没。

衆角雖多一麟足:いかに角付きの獸が多く集まっても聖獸である麒麟一頭に足りない→いかに多く凡人が集まろうと一人の聖なる存在を越えられない。

神山清子作
信楽焼き締め偏壺花入れ。
花:桧扇の実と西王母椿。

刻文李朝水指。
白釉の温かみと自由な文様が麗しい。

 

美術館の松雲山荘は紅葉の名所。
モミジ散る庭は晩秋の風情満点だった。

以下は新婚夫婦と一緒した今夜のイタリアンレストラン「ラ・ペントラッチャ」。

ダイナミックなピザ窯操作。

 

今日は若い夫の誕生日。

何かと忙しいが本日日中、かねて予約の米山水源カントリークラブを回った。このところ非日常的な食事が続き本日はゴルフ場で昼食を食べ夕食も外食。そのため朝食を抜き牛乳コップ半分と水分のみ摂取して家を出た。

かっての3分2しか飛ばなくなった。

前々から晴れの予報。朝は寒かったが風も無く芝生は黄色に色づき、草もみぢの眺めは壮快だった。シルバーティーから45、52で回り今年のゴルフ納めとした。
冬中、心身に気を付け、来る年も60数年目になるゴルフを続けたい。

2026年1月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

▲ このページのTOPへ