文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ・テレビ

懐かしく辛い訛り  アマポーラ

2011年3月16日(水曜日)

今日の外来のAさんは全く元気がなく顔色は青冷めていた。長期出張のAさんは仙台からこられている。地震の話になった。

「仙台はもとより三陸一帯は営業で非常にお世話になった」「三陸はきれいで食べ物が美味しい、こんなことになるとは」「テレビで懐かしい訛りを沢山聞けたが、辛いです、、、」、一気に話されると言葉に詰まった。

 

「先生もお元気で」と帰り際に言われて、こちらがつまった。

 

 
ナナ・ムスクーリのアマポーラ

 羊飼い的なスペイン生活を経験している弟。乾いて花の少ないスペインではアマポーラ(ひなげし)がきれいだった、と聞いたことがある。

バテンレース 上越の素晴らしい織物文化

2011年3月7日(月曜日)

 バテンレースの名は子どもの頃から知っていた。昭和50年代以後も、上越市大潟区の農村部を訪ねるとお嫁さんやおばあさんたちが一生懸命編んでおられた。しかしその後次第に耳目にしなくなった。

 

 それが先日、88才になった患者さんから、出来ました、よかったらどこかに置いてください、と突然レースを差し出された。非常に繊細な出来映えに驚き、まじまじと見つめた。“糸の宝石”、レース!

 

全体 
 縦横:20×47㎝

コーナー 

センター 

  重なるブレート(基本となるテープ状の織物)紋様の重厚さ、軽やかな網目パターン、上品な姿。とても単なる内職仕事には思われなかった。

 かってバテンレースは高田一帯で8000人もの人が携わり、上越の一大特産物だったとある。

 

 中世ドイツのファブリック(繊維製品)が、地域のご老人によって密かに繋がれていたことに感動を覚えた。私たちの創造意欲とセンスは、88才の彼女に負けているわけではないだろうな、と少し心配になった。

 

 地域でこのように高いクオリティを有する産品が継承されていることにもっと眼が向けられてもいいのではないかと思った。私だけがよく知らなかったのかも知れないが、この先も長く伝えられてほしい。

 

レースを編む女 
 ウィキペディアの「レースを編む女」
フェルメール(1632-1675)作
23,9×20,5㎝
ルーブル美術館

 

  日本で唯一のバテンレース事業所:越後高田の特産を継承する
   吉田バテンレース
 

旅情の日曜日

2011年2月13日(日曜日)

プログラム見出し

  夕刻、直江津のセンチュリーイカヤさんの音楽会へ行った。
 前半は五郎部俊明さんのテノールで大須賀恵理さんのピアノ伴奏。食後のN響奏者による弦楽5重奏はコントラバスが入っていた。

 

 五郎部さんはイタリア歌曲を中心に美声と溢れる声量で場内を圧倒した。

 

 弦楽アンサンブルによるウインナーワルツは春を伝えてこまやか、かつ重厚だった。礼装した奏者は格好もよく、19世紀かくやありなん、旅情満点の熱演だった。帰るとテレビにN響オーケストラ、今見たばかりのお顔が見えていた。 

  チョコレート  

  

 

 

 

 

午後、最近では貴重となったチョコレートが届いた。ルブランの画像の前で記念撮影を。

 

 
 さんざんな予報が出ていた週末、寒かったがさほど降らなかった。

日本橋 ときわ木の御菓子「若柴」に善五郎の雀のお茶碗

2011年1月24日(月曜日)

 きめこまかいあずきを砂糖でコートした半なま系統の御菓子「若紫」。綿密なあずきと滑らかに装われた砂糖の歯ごたえが嬉しい。見た目以上に濃厚な味わいでお茶のお代わりが欲しくなる。

 御製は日本橋のときわ木、若紫は年に三回だけ予約を受けるという。

 

若柴  御菓子「若紫」の箱表

 

 20数年前に求めた永楽善五郎の雪中の雀のお茶碗で頂いた。偶然源氏に見初められ、いずれ紫の上となる若紫はまだ愛くるしい少女。出会いは愛玩の子雀をいたずらによって逃がされた騒動の最中だった。善五郎のお茶碗に今夜の出会いがあったとは。

 

 御菓子を届けて下さった方の有り難みを思い、雪の夜にかみしめるように頂いた。

 

               お茶と
雪の越後で若紫と小雀が再会

 

 さて当地では、一旦緩んだ寒波が再び猛威を振るい始めた。上越市は大雪災害警戒対策本部を設置、かなりの地域ですでに県災害救助条例の適応基準に達している模様だ。明日我が診療所も駐車場の除雪に業者さんが入る。

小生の植物画(ボタニカルアート)展のお知らせです

2011年1月21日(金曜日)

 恥ずかしながら来月18日から新潟市で小生の植物画(ボタニカルアート)展が行われます。所蔵されている方からも一部お借りして50点ほどの予定となりました。

 

 主催者さんが作成されたポスターやDMなどが届きましたので宣伝させていただきました。春を迎える1ページになればと存じます。

 

ポスター 
    お知らせb    

    “花の命を描く” 杉田玄ボタニカルアート展
     ●とき:2月18日(金)~3月30日(水)
     ●ところ:新潟市「知足美術館(ちそく美術館)」

              新潟市中央区新光町10番地2
             技術士センタービル別棟2F
             TEL 025-281-2001

     ●開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
     ●入館料300円
     ●休館日:会期中は無休です

     会場は県庁の左側(西側)4,5百メートルほど、

うす紫色のビルが二つその間になります。

     

41日間の長期展示です。お近くお越しの方、ご興味の方は

お気軽にお寄り下さい。

部屋の片付け そして映画「道」 

2011年1月9日(日曜日)

午前から始めていた部屋の片付けがほぼ半日かかった。長年関わった医師会と新しく始まった美術館。数年来部屋で入り交じった物を何とか仕分けした。最後に部屋の隅で直角だった二つの本棚の向きを同じに揃えた。いっしょにこっちを向いて、すっきりした。

 

その後に見た映画が「」で、いつもながら途中から。以前二回は見たはずだが、打って変わって素晴らしい映画だと思った。

いくつも分かれ道があるジグザグの人生。それが切なくも何とか一すじ繋がっている。二人の主人公に自分を重ねた。モノクロならではの鮮やかな陰影、脚本もカメラも風景も素晴らしかった。

ジェルソミーナのテーマは私の中学生の頃に流行った。映画では悲しく美しいメロディーが要所に流れる。こんなにうまく使われていたとを、あらためて知った。

上掲のyou tubeから借りた場面で、ある晩女主人公ジェルソミーナが嘆く。“自分は叱られてばかり、何一つまともに出来ない。そんな自分は生きている価値が無いんだ”と訴える。笑って聞いていた綱渡り芸人が石を拾う。そして“この小さな石ころにも存在している価値がある”と告げる。
男の胸元に小さなペンダントが時々光る。ここには無いが、別れ際男はジェルソミーナにそれを掛けてやった。長いカットが連続する場面は、山場の一つだろう。良い場面だった(全て良かったが)。

 ラストはアンソニー・クイーン演じる主人公が夜の渚で慟哭する。演技とは思われない老いと呼吸の苦しさが現れて迫真だった。監督は海をよく知っている人だろうな、とも思った。

 ところで正月、ある教授と話をした。今年のテーマは悲しみ(寂しさ)かな、と仰ったのが心に残る。

 

大晦日の蛍の光 Farewell Waltz  ハンサムな先輩

2010年12月31日(金曜日)

2010年が間もなく終わります。少し緩んでいたお天気が再び荒れ始めました。来る2011年がどうか健やかな年でありますように。

 

映画「哀愁」の場面から“Farewell Waltz”

 先日の“Till We Meet Again”は今年美術館終了のワルツに。連日you tubeで恐縮ですが大晦日は蛍の光“Farewell Waltz”を借りました。日本語タイトル蛍の光は古いスコットランド民謡で1780年頃バーンズによって詞を付けられ、同じ頃メロディも確立したようです。スコットランド語で、さあ友よ古き友情を暖めあおうと、いう意味が歌われているといいます。

 

掲載の蛍の光は、妻お勧めのビヴィアン・リーの代表作「哀愁」の一場面です。一生一回の人生、もちろん映画のようにはいきません。書きかけでもいい、自分なりの小さなドラマに憧れます。少なくとも一途さと良心だけは持っていようと思うのですが。

 

動画にダンスの場面を借りました。ダンスと言えばその昔、学生時代に複数の学生バンドが参加するダンスパーティがよくありました。私の学校のバンドにハンサムでピアノの上手い先輩がいました。
パーティでは前のバンドがラストにワルツを演奏します。そのワルツが後半になると次の出番の彼は前のピアニストの右側からそっと入って、腰をかがめて右手でメロディを弾き始めます。前の演奏者は左手を弾きながら静かに左に抜けて鮮やかに入れ替わるのを見ました。any number any key okでプロのようでした。

この先輩は絶えず挑戦を続けているように見えました。ピアノではどこへ出ても恥ずかしくないばかりか、ハワイで飛行機免許を取得すると、最後には合衆国の医師免許試験に合格して渡米しました。女性にモテて、まるで映画の中の人のようでした。

どうしてそんなに出来るのですか、と尋ねたことがありました。「ひたすら努力」が答でした。男前が並外れた努力をするのですから、もう異次元です。

 

Till We Meet Again

2010年12月27日(月曜日)


パティ・ペイジ「Till We Meet Again」

 今日、樹下美術館は皆様のおかげで無事に今年の営業を終えました。開館以来4年大賑わいというわけではありませんが、コンスタントにお訪ねいただいていて喜んでおります。

 来年の開館は3月2日(水曜日)です。何とか齋藤三郎、倉石隆両氏の図録二冊を仕上げて美術館らしくしなければと思っております。
また、2月18日から3月30日まで小生の拙ボタニカル作品の個展が新潟市・知足美術館であります。お近くにお越しの際にはどうかお寄り下さい(大雪でなければいいのですが)。

最後に今年一年、素敵な皆様にお訪ねいただきました。また多くのブロガーの方々に樹下美術館をお書きいただきました。心からの感謝をこめまして“有り難うございました”を申し上げます。

ノートは今後も書いて行きたいと思っています。
書き忘れる所でした。シーグラスのチョーカーは季節外れでしたが、15個売
れました。

おだやかな日曜日と感謝

2010年12月26日(日曜日)

今年最後の日曜日、思ってもみない穏やかなお天気でした。

午後の樹下美術館

 足許の悪い中、大勢お見えくださって、本当に有り難うございました。

皆様にはゆっくりくしていただいてとても幸せでした。


セリーヌ・ディオン“ラヴィアン・ローズ”

樹下美術館は明日で今年度を終了致します。

マッシュルーム・けやき

2010年12月15日(水曜日)

ちょうど一年前のノートに名作椅子「マッシュルームスツール」のことを書かせていただきました。記事で当椅子が2008年12月パリにおける「日本の感性展」で好評を博し、09年10月にパリ装飾芸術美術館のパーマネントコレクションに選らばれた事を記しました。

 

この秋、デザインした山中グループは装飾美術館の選定記念に限定100脚のマッシュルームを制作しました。これまではマホガニーとクスでしたが、記念スツールはケヤキで制作されました。

マッシュルームけやき樹下美術館に加わった「マッシュルーム・けやき」(左手前)、フレッシュです。

 その昔1961年に家具メーカー天童木工は家具コンペを行いました。3人の学生、山中グループがデザインしたスツールが入賞を果たします。しかし作品は2003年の商品化まで41年間も眠り続けました。眠りを覚したのは昨今のミッドセンチュリーへの人気でした。マッシュルームは復刻後一気にパリ装飾芸術美術館の永久収蔵まで登りました。

2007年、樹下美術館開館の際に絵画ホールの椅子にと天童木工のスツールからマッシュルーム二脚を選びました。後で山中グループのお一人が当館収蔵作家・倉石隆氏のご長女と知って大変驚きました。

「マッシュルームスツール・けやき」には和やかな味わいがあります。どうぞご興味のある方は以下からご覧ください。 山中康廣建築設計事務所&YAMANAKA DESIGN OFFICE

今日から上越市一帯も今年初めての寒波に入り、降雪に見舞わました。

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