文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ・テレビ

画家・篠崎正喜さん

2010年12月13日(月曜日)

 もう10年以上、画家・篠崎正喜さんとのお付き合いが続いている。氏の絵画はいずれも豊かな詩情と美しい色彩によって観る者を幸福にする。私たちも幸運なことに作品を所蔵させていただいている。

 

 昨日氏は東京から樹下美術館を訪ねて下さった。当地へのお越しは三度目だが、樹下美術館の開設後は初めてだった。

 

 前回は2002年の晩秋。当時すでにお母さまのご病気が始まっていて日帰りをされた。以後、看病に引き続き長く懸命な介護を遂行され、今年6月に看取られた。東京にあって97才の老親を在宅で看取るまでの道程は、見事というほかないほど透徹されていた。その間の貴重な起伏は氏のブログに詳しい。

 

午睡と篠崎さん カフェでご自分の絵「午睡」と対面された篠崎さん

 

 午後、樹下美術館をご覧になりカフェの後、近くの田んぼをご一緒した。すぐそばまで来ている雪の匂いを含んだ風が気持ちよかった。 見はるかす大気と山々や海と川、そして作り物でない旅情。都会の人が地方に求めるものは共通している。

 

 道の灯り

 

 夜は米山山中の水野・銚子屋さんを訪ねて尽きない話に時を忘れた。もう年末、帰りの代行車中から撮った道路の写真には昨年同様クリスマス風の光が写った。

ケ・セラ・セラ 映画「知りすぎていた男」 そしてドリス・デイからハリー・ジェームス

2010年12月8日(水曜日)

昨夜、遅いお茶を飲みながらテレビで1950年代の映画「知りすぎていた男」の後の方を見た。ジェームズ・スチュアートとドリス・デイが主役。監督がヒッチコックなのでどうしても最後まで見させられる。映画の中で懐かしい歌「ケ・セラ・セラ」が歌われた。

ケ・セラ・セラは中学時代に生まれて初めて覚えたポピュラーソングだ。高校から東京へ行ってしまった姉が休みに帰郷してこの歌を歌った。とても新鮮でおしゃれに見えた。しつこくせがんで教えてもらった。

 

Young man with a horn  ドリス・デイとハリー・ジェームスのレコード(パソコンに立てて撮りました)

 それがこの夜の映画で突然のように歌われた。ああ、実際はこんな場面だったのかと思われる意外なシーンだった。往年の大スター達と懐かしい歌、なんとも言えない嬉しい30分だった。

 懐かしついでに。1960年代の学生時代に大岡山(東京工大があるところ)に住んでいた。掲げたレコードは近くのキッチン「まりも」(忘れていた名を突然思い出しました)のご主人から頂いた古い10インチ盤だ。ジャケットの左下にドリス・デイ、右のトランペットを持っている男性はハリー・ジェームス。ドリス・デイのTHE VERY THOUGHT OF YOUが入っていてよく聴いた。

ハリー・ジェームスは1964年に来日している。新宿厚生年金ホールへ聞きに行った。ドラムスは名手バディ・リッチで女性ヴォーカリストが1人入っていた。
暗めのモダンジャズを喜んでいた当時、華やかなスウィング・ジャズオーケストラを表向き苦手にしていた。しかし、しばしばラジオで聴くハリー・ジェームスのSLEEPY LAGOONには特別な晴れやかさと郷愁が感じられて好きだった。目の前で本人の演奏が始まるとすぐに涙がぼろぼろこぼれた。

 当日、演奏が終わって出口へ向かう広い階段を降りる時に、何人かの男たちが賑やかに話をしていた。特別大声の男性がいて若き大橋巨泉だった。氏が司会をしたオスカー・ピーターソントリオの東京公演・有楽町ヴィデオホールにおけるコンサートも思い出深い。

 一旦昔話に囚われると、見境なく長くなるのは年のせいにちがいない。

私の思い込み 美しいスーザン・ヘイワード

2010年11月30日(火曜日)

 昨夜の放送“永遠のヒロイン その愛と素顔「ヴィヴィアン・リーを探して」”を見た。ひごろビビアン・リーが一番綺麗、とは妻の口癖で、ほかの女優さんを見るとビビア・ンリーに比べれば,,,とも言う。

  ところが色々と疎く、ビビアン・リーの映画も風と共に去りぬをテレビで一回見ただけの私。それが、妻が彼女に感嘆すると、ほかに綺麗な(またかわいい)女優さんがいるのに、と心中つぶやく。キャリアーなどはお構いなしに。

 『キリマンジャロの雪』の場面より(1952年)
Wikipediaのスーザン・ヘイワード

 50年近く前の学生時代、姉が取っていた映画雑誌で「私は死にたくない」だったかスーザン・ヘイワードの写真を見た。何より脚に驚き、以来詳しくもないのに彼女が一番だと思っているのは、おめでたいことかもしれない。

年とともに早くなる時間とは

2010年11月18日(木曜日)

 年とって感じることの一つに時間が早く経つことがある。ひと月前に来られた患者さんを一週間ほど前のように感じたり、11月初旬から中旬過ぎまでなどあっという間だった。猛スピードのため何かと積み残しも少なくない。

 

 加齢と時間のスピード化はいくつか要因が重なっているように思われる。
 一つとして、作業や思考に対する集中や関心の度合いが以前よりもあっさりしていることもあろう。若い頃は物事にいっそう集中し、沢山の事が気になり、絶えず何事かを深刻に考えて過ごしたように思う。毎日は今より濃く長かったにちがいない。

 

 2つめは年と共に作業や思考の効率が下がっているのだろう。同じ作業に以前の数倍も時間が掛かったりする。時間対効果が落ちていることを、時間が早く過ぎると実感して過ごしているかに見える。

 

  ところで小学校時代の登校で、よく時計屋さんの先輩宅へ寄って一緒に通学した。彼が出てくるまで店先の時計を眺めた。正面の時計の振り子と長針を見ながら1分間の感覚を覚えようとした。おかげで一分当てのような遊びは得意になった。

 

 時間当てと言えば中学生の頃の父に思い出がある。ストップウオッチにもなる時計を用いて父と1分当てをしたが全く勝てなかった。何度やっても父はピタピタと当てた。どうして分かるのか、執拗に訊いた。白状した父はある種ずるをしていたのだ。
 最初にお互い試しの一分をしようと父は言い、それからが本番だった。父は試しの一分間に自分の脈をこっそり計ったのだ。その後は前で両手を組むような動作などをすれば脈は簡単に計れる。さすが親は色々なことが出来ると感心した。

 

 さて3つ目として、5年ほど前のある日、何十年ぶりに暗黙の一分を試した。60秒を数えてみると1分16秒も経っていて愕然とした。その時の時間は自覚よりも1,26倍早く過ぎていたことになる。

 

 古いランプ
仕事場のトイレのそばにある古いランプ
昔の時間は如何ばかりだったのだろう。

 

  もう一つ追加してみたい。私たちは何処かへ出掛ける場合、行きより帰りを早く感じる。知らない所への往復ではなおさらだ。もしかしたら人生も似ていて、半分を過ぎた頃から往路と異なる経験であっても、いつか来た道を歩むような現象が起きているのかもしれない。

 

 昔より時は早く過ぎる。しかし仕事では以前よりも時間を掛けてゆっくり皆様と接するようになった。

 

 今夜センチュリーイカヤさんでヴァイオリン永峰高志氏、チェロ桑田歩氏、ピアノ大須賀恵里さんのコンサートがあった。晩秋のコンサート~ロマン派の甘きささやき~だった。魂を根こそぎさらわれるような大きな感動を覚えた。

(下段の9行を修正しました。11月18日 午後10時ころ)

いくつかのささやかな文化

2010年11月3日(水曜日)

 時に風雨時に陽がさす不安定なお天気だった。ヒマがあれば海が見たくなる自分、午後の雁子浜で佐渡汽船を見た。

 

 二日余り続いた強風の余波が残る海上を遠ざかる汽船の果敢さに感心した。西風は追い風のはずで、航行はより不安定なことだろう。色々あろうがずっとずっと頑張れ佐渡汽船。

 佐渡汽船 
 果敢な佐渡汽船

 

 午後から寄った樹下美術館。荒れ模様の日にもかかわらずお客さんたちがこられていた。中に、テーブルの紙ナフキンで素敵な細工を残された方がいらして、スタッフに見せてもらった。初めて目にしたがにわかに信じられない出来映えだった。

バレー 動き、表情,,,素晴らしいです

 

 それから昔一緒にお茶の稽古に通ったAさんにもお目に掛かった。俳句をなさっていて、カフェで魅力的な句を聞かせて頂いた。お仕事に趣味に、昔の仲間が頑張っていることはとても嬉しい。こんな再会が出来るのも美術館を営むことの果報にちがいない。

 

 良い文化の日だった。

クラヴィコード、バッハがそこに

2010年10月26日(火曜日)

 ほんの昨晩、バロック音楽の人、チェンバリスト・加久間朋子さんが東京から樹下美術館を訪ねて下さった。大切なイングリッシュ・スピネットとクラヴィコードを携えて。

クラビコード 
 とても個人的な(私的な)雰囲気の楽器クラヴィコード

 

イングリッシュ・スピネットでチェンバロ、イングリッシュ・スピネットの加久間さん

 両楽器を半々ずつ計9曲を演奏された。クラヴィコードはささやか且つ高尚な楽器だった。急遽お集まり頂いた10数人で楽器を囲み耳をそば立てて聞いた。バッハでは長男W・Fバッハを隣に座らせ、精魂込める父が現前するが如きリアリティに鳥肌が立った。

 

 イングリッシュ・スピネットでは豊かな情感に包まれ、中世の物語世界へいざなわれた。

 

 古楽研究会の代表を務め、音楽三昧の主要メンバーの加久間さん。今夜はますます充実した演奏、そして楽しいお話も聞けて貴重な一夜だった。

The Moon Was Yellow 

2010年10月23日(土曜日)

The Moon Was Yellow というスタンダード曲がある。いつか黄色い月が出たらこの曲を載せてみたいとずっと思っていた。

 

今日の夕暮れ、柿崎の海を歩いた。すっかり暮れてふと見ると、山の端からその月が恥ずかしそうに覗いていた。幸運にも満月が当たるとは。今夜の月をどれだけ沢山の人が見ることだろう、良い月だった。

米山の肩に   振り向いたら黄色の月

登った月
僅かの雲を抜けて登った満月
セイタカアワダチソウなんかに負けるな

 ETHEL ENNISの「The Moon Was Yellow」

  とても素直に歌われます。安定感があって聞きやすい歌手ですね。
“Here we are! Is our romance to continue?”
胸打つ歌詞。

楽しい旧高田師団長官舎

2010年10月21日(木曜日)

 午後の定休日、新潟から裏千家茶道の先生が来館された。これで三回目、深く感謝を禁じ得ない。陶齋のドクダミ更紗文様の水指をとても気に入って下さった。

外観 
  食事のあと旧高田師団長官舎へご案内した。当館は旧所より移設復元されている。以前一度訪ねたことがあったが、今回はゆっくり回って楽しめた。
 明治43年(1910)年の建設で、一階は洋室、二階は和室の折衷。一階は男女別々に応接間が設けられるなど贅を尽くしてある。二階は7室が公開されていて、後のしつらえと思われる炉が二カ所で切られ、水屋風の一間もある。中央南向きの比較的小さなサンルームは気持ちがよかった。

天井模様と灯り 
アールヌーボー調とアールデコ調
月星 
二階西端の透かし障子
ドア 
軽やかなドア
押し入れの補強紙 
なぜか押し入れに昭和の張り紙
   

 内部は格調とともに軽やかさや新鮮さが随所に見られる。主に設計プランを出したとされる官舎のあるじ軍人・長岡外史の先進性や訪欧歴を聞けばそれらが反映されていたことが伺われる。 

 

 当館は先回書かせていただいた世界館のほぼ一年前に建てられている。前者は私費で後者は官費。世界館のモダンな建設者は師団長官舎を大いに意識したのではと想ってみた。

 

 旧小熊写真館、旧直江津駅、旧イカヤ旅館、高田館、旧高田市庁舎などの洋館も当時次々と建てられている。高田師団の存在が大きかったようだが、往時の高田・直江津の勢いは如何ばかりだったのだろう。

 

 師団長官舎以外は、少なくとも学生時代まで目の当たりにした。高田公園の中心部にあった大きな洋館も懐かしい。中学時代、そこで開かれた性病撲滅の写真展示を友人達と見て、皆で青くなって出てきたことを思い出す。

高田世界館のアール・デコ

2010年10月18日(月曜日)

 去る10月16日のジャンゴ生誕100年記念コンサートは素晴らしかった。その会場となった高田世界館で60年も前に、父といっしょに美空ひばりの「とんぼ返り道中」を見たような気がする。越後獅子の歌、“今日も今日とて親方さんに、芸がまずいとしかられて,,,”江戸時代の子どもは何て可哀想なんだろう、と思った。

 

 さて半世紀以上経て、よく写真で見るようになった高田世界館。外観から当館はアールデコ様式ではないかと感じていた。1900年代初頭からおよそ30年余、世界のデザインを席捲したアール・デコ。現出には産業の飛躍、能率の追求、キュービズム、あるいはジャポニズムなどまで様々な因縁が合成されたと考えられている。直前のアール・ヌーボーからの急旋回は目を見張るばかりだ。

 

 アール・デコになって、絡んでいたものがほどかれ、線はより真っ直ぐに、円は単純に、カーブは滑らかに、色彩はシンプルに、乗り物は流線型に、建物はシンメトリックになった。器、ファッション、建築物、絵画・ポスター、乗り物、生活用品ほかそれ一色の感さえある。

 以下は一昨日、初めてこの目で見てきた高田世界館の様子です。私なりのアール・デコ探索も楽しかった。

 

1外観 
曲線と直線のコンビネーションによるシンメトリー
2天井 
天井の円と多角形のデザイン
3二階席 
二階席の美しいカーブに交わる黒い柱
4柱 
シンプルな曲面
5手すり 
円と流れる曲線の手すり
 
6窓枠? 
円に交わる直線の窓枠?油絵のように渋い 

 当館は1911年に建築されたとある。アール・デコのはしりの時期に相当しよう。手がけた建築家・野口孝博氏はアールデコをかなり意識したのでは、と思った。何よりも外観が素晴らしい。

 

 ところで現状の痛みは否めない。NPO街なか映画館再生委員会によって懸命な保存努力が続けられている。最近では、一口1万円のマイチェア200席の寄付はすでに満了ということ。ささやかながら是非とも寄付したいと思った。いつの日か、パステルカラーの壁が仕上がれば、木材との調和で美しいアール・デコが蘇るにちがいない。

 つましいホワイエで淡い色のアイスクリームも美味しかろう。

 

 さて、なぜか私はアール・デコが好きだ。それは自分の父母の青春時代、つまり親の生命力が最大であった時代に相当しているから、と考えている。もしかしたら私の子どもたちも、私の青春時代、つまり昭和30~40年を懐かしむようになるかもしれない。鬼の目にも涙、DNAにも思い出?

 

 ジャンゴ・ラインハルトの若き日々はアール・デコまっただ中に当たる。ほぼ同世代にヘルベルト・フォン・カラヤンや太宰治らがいて、数年後に樹下美術館の齋藤三郎が、さらに数年して倉石隆が続いている。

ジャンゴ・ラインハルト生誕100年記念 スイングタイム in 高田世界館

2010年10月16日(土曜日)

 1910年1月のベルギー、旅芸人の幌馬車で生まれたジャズギターリスト、ジャンゴ・ラインハルト。その生誕100年記念コンサートが上越市高田世界館であった。来越された二つのバンドによる演奏会は陽気さ、哀切、そしてエスプリと洗練の2時間半だった。

1新潟スウィングミュゼットのリーダー田中氏とベースの田中和人氏

 

 新潟スウィングミュゼット合奏団はアコーディオンの田中トシユキ氏が率いる5人編成(ほかにギター2、ドラムス、ベース)。アコーディオンをフューチャーするミュゼット音楽はまだ見ぬパリの街角へと心いざなわれる。田中氏の自在で詩情溢れるアコーディオンと古川穣氏のギターテクニックに胸が震えた。昨年から我が樹下美術館のカフェでもミュゼットが時々聞こえるようにしてあるので、生で聞けてとても嬉しかった。

2 イエロー・ジャンゴ・リバイバル

 

 続けて東京からのイエロー・ジャンゴ・リバイバル。ギター2、ベース1、バイオリン1,そしてリーダー長谷川光氏のギターだ。ジャンゴがバイオリニスト、ステファン・グラッペリとともに活動したバンド 「フランス・ホット・クラブ五重奏団」と同じ編成。長谷川氏の確固たる音楽センスが行きわたり、笹部祐子さんのバイオリンは秀逸だった。

 ジャズバイオリンは聞かせる意識が高じる余り過度に装飾音が入り易い。ステファン・グラッペリにしてもその傾向を強めたように思われる。しかし笹部さんのバイオリンは音澄み、優雅にコントロールされて実に心地良かった。小生の亡き父がかって愛したシャルル・トレネの「ラ・メール」には涙が出そうになった。

3佐藤さんが加わったセッション

 

 司会進行された佐藤俊次さんが促されてバイオリンを携え、一緒にセッションされた。曲目は「黒い瞳」。サウンドはいっそう膨らみ、佐藤さんは本当に素晴らしかった。あらためて上越人の多彩さに驚いた。

 4
フィナーレのジャムセッション

 

 フィナーレは二組のバンドによるジャムセッション。さすがジャズ、初顔合わせのバンドが舞台上で簡単にソロの順番を決めるとすぐに「Minor Swing 」が始まった。これこそジャンゴ・ラインハルト生誕100年の最後に相応しい演奏ではなかっただろうか。上越でこんなお洒落な音楽を聞けるとは、主催の方々に心から御礼申し上げます。

 

 話変わって、高田世界館の随所のしつらえにアールデコを感じた。本日の音楽もアールデコと時代が重なる部分があって、いっそう旅情をかき立てられた。撮った建物の写真を近々掲載してみたいと思います。

 

 ー写真クリックで不具合を生じていました。謹んでお詫び申し上げますー 10月20日23:22

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