明け暮れ 我が家 お出かけ

トゲ

2009年1月27日(火曜日)

 昨夜の入浴後、右手小指に刺さっていたトゲを抜きました。先日の暖かな日に庭の始末をした時のトゲです。トゲ抜きで駄目、抗生剤の軟膏と絆創膏で済ませていました。

 

 それが昨夜は痛んで赤味も出現、注射針で口を広げて抜きました。わずか3ミリのトゲでしたが、左手での処置は少し苦労しました。

 

 抜いているときの写真をタイマーで撮りました。処置に際して他の指も総動員され、それぞれが「押さえ、支え、スペース作り」など複雑な補助をしているのが分かりました。このようなこともヒトの進化の恩恵なのでしょう。

 

  手術ロボットが研究・開発されていますが、末端のレバー操作などはやはりヒトが行っているようです。

 

越後の冬・里の風情

2009年1月25日(日曜日)

 新潟市の「私のまちの美術館展」は後半に入りました。相変わらず賑わっているようです。当館のリーフレットも不足がちで、すでに二度追加していました。それも危いということで、今日午後、さらに400部を届けに行きました。合わせて1000部を越え、さすが新潟市だな、と関心しています。

 

 120キロもある新潟行きは雪が止んだ穏やかな午後。途中、近隣の上越市柿崎区、さらに先の柏崎市西山付近へと寄り道をしました。両所一帯の「里の風情」が好きで、この冬如何ならむ、と訪ねました。写真の前半5枚が柿崎、後半は西山付近です。

 里は期待にたがわぬ雪化粧。ひっそりとして、民家には風格が漂うのを感じました。それに大河ドラマ「天地人」の武者たちが現れそうな気配までも、、、。写真がてんこ盛りになってしまいました。6,7、9枚目は別のカメラで撮っています。 

 

 最後に現在の植物画の状況を掲載しました。白のデンドロビュームは意外と地味で、かえって難しさを感じています。

 

 

   
   
   
   

 


印象的な小屋

 
少々自信喪失ぎみ

植物画:ボタニカルアート4

2009年1月9日(金曜日)

 1月2日から始めてちょうど一週間。うやく初期の色づけへと進んだところです。絵の具が古くなったせいか、いえ、腕のせいでしょう、澱(おり)のようなものが少し残って気になっています。モチーフは蘭の一種デンドロビューム(白)です。

 

Photo_5   
葉の艶や、花の陰影、茎の文様、などが残っています。
白花を目立たせるためにバックを塗るかどうかも問題です。

 


道具:左から筆、練りケシ、シャーペンと鉛筆、使い捨てパレット、
向こうに絵の具、絵の具溶き、ルーペです。

植物画:ボタニカルアート3

2009年1月7日(水曜日)

 去る1月2日から白花デンドロビュームを描き始め、前回、スケッチの輪郭線をトレース紙に転写しました。昨日それを本画紙のイラストレーションボード(1ミリ厚の白色ケント紙:B4版)にさらに転写。今日はおそるおそる最初の彩色をしました。

 

 ところでボタニカルアートの要点のひとつはグラデーションでしょう。透明水彩ではグラデーションを付けたつもりでも乾くと縁に線が出てうまく行きません。私は、ごく少量の絵の具と水で乾かし乾かし、なだめるようにやりとりして行ってます。筆も穂先を寝せて掃くようにするなど自分なりの工夫をします。

 

 苦労をして、ああもう駄目かなと思った頃、初めて植物本来の深い質感が出てくることがよくありました。今回はどうなるでしょうか、いよいよ始まりです。

 

※イラストボードへはチャコペーパーを使って転写しています。
※掲載の図はB4版のものをトリミングしています。

昨日、本画紙に転写 これからが大変
   

画家。それから子役

2009年1月5日(月曜日)

 正月休みも昨日で終了です。昨日は二つ良いことがありました。
一つはなんと言っても「村山陽の軌跡」展を見られたことです。先生が新潟大学教育学部藝能科で学ばれていたころ、自分はそこの前を通って中学校に通ったことを年表で知りました。あらためて先生と作品に何とも言えない親しみを覚えました。

 

 作品は着想から色彩、タッチなど全て絵画センスにあふれて楽しめました。「デッサンをやれば色もよくなるよ」。天与の才に加えて、優れた助言と懸命な反応努力があったのですね。
「手足は難しい」、倉石隆の言葉です。村山氏の絵には手足がしっかりと描かれ、対象の心が如実に語られていました。実体の品格に出会えた貴重な時間でした。上越大和で6日までの開催です。

 

 二つ目は「天地人」の始まりです。
与六(後の兼続)役の子役・加藤清史郎の素晴らしさ!脚本家はこの役者のために、台本を書き直したのでないか、と思わせるほどの俊才ぶりでした。喜平次(後の景勝)役の溝口琢矢も立派でした。

 

 早くも与六と喜平次の間に「北斗の七星の定め」と「木の葉と樹」の運命が示されました。景虎ファンとしては少々気がもめます。

 


「村山陽の軌跡展」賑わった会場

 


20歳代、100号の大作がずらりと並ぶ

 

※素晴らしい村山先生を観た日、自然と小生の絵の掲載は先延ばしに、、、。 

植物画:ボタニカルアート2

2009年1月3日(土曜日)

 今朝、一年半通った94歳のおばあさんを看取りました。ご家族は一生懸命介護されて立派でした。ご本人もきっと安心だったことでしょう。介護や看取りは人生の一大事業に違いありません。方法と心の曲折を経て続けられる介護。精一杯関わった方々には、人知れず佳人の徳が漂うように感じられます。

 

 さて、デンドロビュームの続きです。今日はスケッチを整え→輪郭線を描き出し→トレーシングペーパーにH・鉛筆で写し取りました。これは、仕上げを最初のスケッチ紙ではなく、イラストボードに描くための作業です。花を色々な角度から見て、見やすく書きやすい部分を探しながら仕上げました。 

明日は冬休みの最終日。トレースした輪郭線をボードに写して最初の彩色をしてみます。何年ぶりですし、選んだ花もややこしく、あまり自信がありません。

 

※反省:もう少し左右の葉をふんわりとさせるべきですね。

 

002_2 Photo_3   
描いたり消したり、輪郭線をまとめる 手を加えながら輪郭線のトレース
   
001 Photo_4 
トレース上がり この花を描いています

私の植物画:ボタニカルアート1

2009年1月2日(金曜日)

 今から15年くらい前から庭造りに精を出しています。生長する樹木、移り変わる花々に魅了されるうちに、花の美しさ、けなげさを描きたい、と思うようになりました。
平成9年早春、たまたまNHKの趣味百科、小柳吉次講師の「植物画を描く」を見て、ボタニカルアートにシンパシーを感じました。さっそく講座の教則本を買って自分なりの植物画がはじまりました。

 

 絵は細密を心がけ、写真に頼らないようにしました。作業は苦痛でしたが、我慢を続けると仕上げ直前から、俄に画面が生き生きしてくることを知りました。一方で、最後まで魅力が現れない時もあり、それらは破り捨てました。

 

 ここ3年あまり、描く機会を失っていました。しかし、今年の正月は少し時間が取れましたので久しぶりに描くことにしました。年末のホームセンターで990円の蘭・白花デンドロビュームでちょうど良い小鉢がありました。花が少々ややこしく、果たして完成するのか自信がありません。

 現在、スケッチがほぼ終了です。左回りの手癖が出過ぎているのと、バランスがいまいちなのでもう少し手を入れます。うまく行く限り完成までをブログに載せてみます。

  

A4半紙に2B鉛筆。さらに輪郭線を決めます。完成まで2~3週間?

鮫ケ尾城,景虎哀れ

2008年12月20日(土曜日)

 来年一月からNHK大河ドラマで「天地人」が始まります。昨年の「風林火山」に次いで上越市・春日山は重要な舞台となりました。相次いで新潟県が大河ドラマに登場するのは、二度の地震被災に対する激励の意味もあるのでしょうか。

 

 ドラマでは、三郎景虎ファンの一人として御館の乱(おたての乱)の扱いが気になります。謙信の養子の一人、喜平次景勝との確執は、小説ではさほど深く触れられていません。また放送でも本旨ではないので、多くは割かれないかもしれません。
北条氏の子として、幼少より相模、甲州で人質の定めを生きた三郎。ついには同盟によって越後春日山へと送られます。春日山城では謙信に庇護され養子となり、由緒の名を継いで景虎を名乗るまでになります。悲運を続けた景虎の心は開放されつつあったかに見えました。しかし謙信の急死によって景勝との間で御館の乱が起こります。情勢は次第に不利に傾き、最後に頼った鮫ケ尾城でも裏切られて果てます。三国一の美将と謳われた景虎の哀れは、もう一つのドラマではないでしょうか。(参照:上杉三郎景虎 近衛龍春著 角川春樹事務所発行 2001年4月8日第一刷など) 

   

 

 ところで上越ICから高速道路を西へ進むと右手に春日山城跡が見えます。その手前のJCTを妙高市に向かって左に折れ、約10キロでトンネルが二つ続く所があります。このあたりこそ景虎最後の地、鮫ケ尾城跡だと思われます。あっという間の距離ですが、春日山から続く一帯には彼の無念が漂う気配がします。ドラマの景虎役・玉山鉄二に哀愁があっていいとは、妻の感想です。ぜひ見たいと思います。(城跡の位置について一部修正をしました。09年2月7日)

 

 それにしても当時、春日山に登場した主だった人物たちが、ことごとく他所からやって来た武将だったのには驚かされます。そして全てが終わると、今度は景勝、兼続はじめ皆北へ東へと去って行きました。はたして上越の人々はこのような乱世をどう見ていたのでしょう。

 

   
天地人 火坂雅志著 日本放送出版協会
第4刷 2007年1月20日発行

トキを悼む

2008年12月15日(月曜日)

 佐渡で放鳥後にカップルとなった二羽のトキのうち、メスの死亡が昨日確認された。今日になって発見現場の映像を見たが、最後は地上の動物の餌と果てたようだった。散らばる羽、わずかの骨片、はかなげな亡きがらは痛ましかった。

 

縄張りがからんで反撃された可能性が伝えられている。冬に戻った猛禽が、トキの闖入に一撃を加えたのだろうか。映像で、左の頸にたて15㎝ほど皮膚が露出している傷があるように見えた。

 

ところで、篭の鳥の最後は横たわるだけだが、自然では食されることも現前にされた。放鳥には、いっそう厳しい生態系への視点が求められそうだ。死とその先にあった法の克服は、思いのほか困難な課題だと考えられる。

 

 それにしても受傷後からメスの傍らを離れなかったオス。また彼が空から懸命にメスを探し続けた様子も観察されている。生きものの愛情は深く、出来事の象徴性は貴い。犠牲となったトキNo15を心から悼みたい。

時を惜しんで

2008年12月14日(日曜日)

 今夕刻、土日の上京から帰りました。10月7日に見残した国立新美術館のピカソ展を観てきました。いつものように東京のN、浜松のK、上越から小生で同級生夫婦が集りました。年に一度のつもりが、今年は先回の2ヶ月後にまた会ってしまいました。
 

土曜の夕刻はKの提案で、虎ノ門・智美術館(とも美術館)で加藤陶九郎・重高・高宏の三代展を観ました。美術館では魅惑的な階段に導かれて地下へ下ります。光を落とした館内で、志野・黄瀬戸を中心に織部、黒織部など一統の優作が高質な照明に映えて楽しめました。
翌日曜日、開館直後に入ったピカソ展は最終日です。大勢の来館者がありました。人生を共にした女性が変わるたびに変化を遂げたピカソ芸術。しかもそれぞれが時代を切り開いたのですから驚きます。徹底したデッサンと線の訓練、さらに貴重な天賦があったに違いありません。余談ですがここでも額が簡素だな、と感じました。地元の美術館が修復中の海外巡回展ですから、額も仮のものなのでしょうね。少し残念でした。

 

土曜は夕食を4時間、そのあとK夫婦と前回のシガーバーで2時間。沢山話をして冬の宵を惜しみました。松永弾正のきわどさを語り、脂質の最前線を説明した学者N。兼続を知っていて嬉しかったです。探求の人Kは加藤陶九郎の永仁の壺事件とその背景を話し、ジャズを聴くようになったと語りました。
ありきたりながら、小生は映画「ファニー」と「シェルブールの雨傘」です。よく似たストーリーと音楽の良さなどを話し、若きレスリー・キャロンとカトリーヌ・ドゥヌーヴを懐かしみました。

 

最後にフランス映画「田舎の日曜日」(1984年カンヌ映画祭監督賞)をKに勧めました。1912年、パリ郊外に年老いた画家が住んでいます。秋晴れの日曜日、汽車に乗って新興サラリーマンの一家が父である画家を訪ねて来ます。遅く一人、新しい車でやってきた娘は実は失恋したばかりでした。娘は父を川辺の賑やかなカフェに誘います。カフェで娘は父の手を取って立ち上がり、楽師のワルツに合わせて踊ります。
哀愁をおびた素朴なワルツは、100年前の現場から聞こえてくるようです。ルノアールが描いたような人物たちが居るこの場面、不思議と胸が熱くなります。ほかにフォーレのピアノ5重奏曲が落ち葉や過ぎゆく時を慈しむように奏でられます。やや退屈かもしれませんが、忘れられた過去の人々と時間を共有できる不思議な映画です。

 

     
夕刻の智美術館入り口 付近の桜坂
   
        

膝掛けと温風/桜坂のカフェ

国立新美術館の壮大なカフェ
   
             

智美術館/切符

ピカソ展/絵はがき

   
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