齋藤三郎(陶齋)

いよいよ明日開館 あらためて「齋藤三郎の絵と書」「倉石隆の肖像画と自己投影像」 ある記者さんと「馬上の人」

2021年3月14日(日曜日)

いよいよ明日が2021年度の開館になります。

本日ぎりぎりまでかかって来館者様に配る展示作品の紹介文を作りました。樹下美術館は全く小さく、その一から十まで個人施設です。自分が楽しむ室を皆様に開放せて頂くという、我が儘な本質のもとに始まり今日まで営み、今後も変わりなく推移することを願っています。

そうは申せ、一旦美術館と称すれば一種公共性を帯びるのは自明のこと、一応の自覚をもってやってきましたが、もとより凡庸浅学のうえ怠惰な日常。学識的な言動には全く曖昧さを禁じ得ません。

左様に以下展示の概要説明も自己流の域、ある個人の見解ということで、お許し頂かなければとお願いするばかりです。
勿論、責任や勉強のため皆様のご意見ご助言はこれまで通り、貴重なご好意としてお聴きして行きたいと思っています。

それでは、
陶芸作品展示「齋藤三郎の絵と書」
旧栃尾町(現長岡市)出身の齋藤三郎は18才の時に陶芸の道に入りました。後に絵付け陶芸の人間国宝になる二人の陶芸家、近藤悠三、次いで富本憲吉に師事したのはとても幸運だったと言えましょう。
5年もの修業を完遂し得たのは三郎が造形、絵付け、書、教養、それぞれに優れた才を有し、師達がそれを高く評価していたためだと考えられます。

中国出兵後、帰国し上越市寺町で窯をひらいた三郎は、民藝風な素地に江戸時代の琳派に通じる趣きを重ね、加うるに師の富本氏に連れ添って訪ねた九谷の陶風を自らのものともしました。
絵付けのモチーフはあまねく雪国の草木であり、風雅のうえに親しみと上品さが滲む作品を沢山造りました。

この度の展示では、氏の書にも光を当てましたので、関係する作品や手紙類をどうかご覧下さい。

大変勝手な印象ですが、書にも氏が愛した草木の品と流麗さ、繊細さと強靱さなどを見るのは私だけでしょうか。 みなが草花を愛するように、氏の書もまた私達を惹きつけるにちがいありません。

 

手紙類には仕事の精進と生活支援を頼む趣旨が多く含まれています。

昭和20年代中頃、芸術家はおしなべて貧しく、手紙は近況を告げると同時に、支援者に助けを働きかける重要なツールでした。三郎の手紙と作品に動かされ、父は喜んで窯出しに向かっていました。良い手紙を書くことは生きるためにとても大切だったのですね。

 

絵画作品展示「倉石隆の自画像 自己投影像」
倉石隆が敬愛したレンブラントはじめ、内外の画家は好んで自画像を描きました。人間を描いた倉石氏も当然そうしました。しかし氏の当館収蔵のそれは作品「みつめる」以外一般のような肖像ではなく、別の形を借りそれに投影させ(表象させて)描かれました。

展示作品の多くは愚者、空腹、ピエロ、漫画風に悩む人、壊れた操り人形など、いずれも存在の負に自らを投影しています。
自己のネガティブな要素を描くこと。それには相当な覚悟と自己追求の深刻な作業が必要だったに違いありません。ですが何度もやり直しの跡が見える作品を眺めるにつけ、どこか吹っ切れた感じを受けるものもまた事実です。

「黄昏のピエロ]はやはり悲しいです。しかし孤独は万人がともにする人間の一面であり、共感と親しみを覚えるのですが、如何でしょうか。
最後に「馬上の人」です。この氏は前進しています。オレンジの光の中を、馬に乗って坂を上ろうとしています。1979年、後期にかかろうとする時代における挑戦の決意でしょう。その男を隅に小さく描いたのも氏の美学ではないかと思うのです。

 

遙か広大な天地の上りを歩み始める。

 

初めて人馬を拡大してみました。
とても格好よくテンポ良く描かれていますね。

その昔、最初に「馬上の人」を展示した時の事、ある方とお話ししました。人物をドン・キホーテに見立てているのでしょうか、と述べると、その人は、いやこれは倉石氏の挑戦の決意を描いているのでは、と仰いました。目を凝らすと人物の姿勢、馬の歩みの力強さから、確かに氏の仰る通りだと心から同意し、私自身ほっとしました。
その方は当時、ローカル新聞の記者さんでした。よくお話しする機会があり常に高い見識に驚かされました。

本日冒頭でごちゃごちゃと並べましたのも、「馬上の人」にまつわる記者さんとの話を思い出したからでした。

明日からの開館、コロナに配慮しながら慎重に始めたいと思います。
皆様をお待ち致しています、どうか宜しくお願い申し上げますす。

大変申し分けありませんが、
3月31日まで午後1時~5時の開館。
この間は飲み物およびケーキのサービスに限定させください。

「続 良寛遺墨集ーその名筆とゆかりの人々」と齋藤三郎作品 3・11のこと。

2021年3月11日(木曜日)

書物「続 良寛遺墨集ーその名筆とゆかりの人々」 全二巻  序・泉田玉堂、 執筆・小島正芳、 企画編集・ 関谷徳衛 淡交社発行 2021年2月26日発売。
執筆者の小島正芳さんから届けられた函入りの大型本は素晴らしかった。

かなり昔、何冊かの良寛さんの本をすがるようにして読みそれなりに心酔した。何も無いというが全てがある人、良寛。そんなイメージを今でも抱いている。

このたびの本は一言で言えば「美しい本」だと思う。渋いグリーンを基調にした装丁が施された函入りの上下二巻は読みやすく、大変親切に編集、執筆されている。良寛は勿論、その縁者、後年の理解者、名だたるフアンまで作品と説明は逐一丁寧だった。
第一巻は作品写真で、それらは大きく色彩は自然で、釈文や読み下しが附され心おきなく鑑賞できる。第二巻は作品のモノクロ写真の再掲にさらに詳しい解説が加わる。
巻末に附された良寛の年譜、系図、440余人にわたるゆかりの人々や膨大な参考文献などは綿密で、専門書と同時に安心な入門書でもあるまいか、と思った。

ページをめくる度に師の貧しさと清らかさ、美しさと深さ、あるいは人間らしさなどが浮かび、読む人それぞれの良寛に出合うことができるのではないだろうか。

 

 

 

渋いグリーンを基調にした函と本の麗しい装丁。
お茶を服すように爽やかな印象。

本中の一部。一閑(右)および思無邪(左)。
以下解説の要旨。
閑は心の中がのどかで無心であること。良寛が大切にしていた心境。
思無邪:思ひ邪(よこしま)無し。論語にある言葉。
執筆の小島先正芳先生がよく口にされます。

 

特筆中の特筆。
ゆかりの人として齋藤三郎作品(左)が掲載されている。
皿のふちに良寛の詩から「花開蝶来」がしたためられている。
右は北大路魯山人の筆筒(ひっとう)。魯山人と並び示されるとは。

「続 良寛遺墨集ーその名筆とゆかりの人々」 (株)淡交社 令和3年3月12日 初版発行
A4判変型 2巻セット(ケース入) 総400頁 (カラー208頁・モノクロ192頁)の体裁で17600円です。

●ちなみに細川家ゆかりの永青文庫美術館(東京都文京区目白台)で「心のふるさと良寛 Ⅱ」が今年4月24日~7月4日の会期で開催されます。
小島先生は本展も監修され、齋藤作品が展示される予定ということで、とても光栄です。

先生の講演会「齋藤三郎の絵と書」が来たる4月3日、午後3時から樹下美術館で開催予定です。

さて本日、東北大地震から10年が経ちました。当時仙台市に二家族、南三陸町に一家族の縁者がいました。いずれも直ちに音信不通となり、特に南三陸街町の弟は6日間も音信が途絶しました。
被災地の心配ばかりしていたせいか、長い揺れを覚えていますが、その時家に居たはずの自分はどこで何をしていたのかさっぱり思い出せないのです。仙台の無事は間もなく確認できましたが、南三陸町の方は、弟と親しかった小室等さんのルートから無事が知らされた経緯がありました。
丁度新潟市の知足美術館拙植物画の個展会期中。順調に推移していましたが、それどころではなくなりました。

ところで良寛の時代に三条を中心に震度7,1607人が失われる大地震が発生し、良寛は深く悲しみ、被災者を励ましたといいます。
地震の詩があり、その一節に“凡て物微より顕に至るは亦尋常”とあり、今日のコロナ禍にも通じる観点が示されていました(上掲本から)。
すべて物事は、かすかな兆候から始まり大事に至るのは世の常と述べているようです。

長くなりました。

小島正芳先生の講演会が1週間延期になりました。夕食のカレイの煮付け。

2021年3月8日(月曜日)

上越市に発生しました新型コロナウイルスのクラスターに対応しまして、
念のため来る3月27日予定の小島正芳先生の講演会「齋藤三郎の絵と書」を1週間延期致します。

4月3日(土)開催に延します。
午後3時始まりは変わりません。

一週間延期をどうか宜しくお願い致します。
先生の齋藤三郎に対する愛あるお話をどうか楽しみにご参加ください。

 

さて遅くなりましたが、この日の夕食はカレイの煮付けでした。

カレイの煮付け、手前はフです。ネギがみそという話でした。
少し昔のこと春になると背中が盛り上がった大きなヒラメを下さる漁師さんがいました。
妻の包丁の手が止まったほど見事なヒラメだったと言います。
すでに亡くなられ、もう二度と食べられない、とは妻の口癖です。
私は妻の半分くらいしか味を理解していなかったかもしれません。

今年の樹下美術館の展示ご案内その2 小島正芳先生の講演会「齋藤三郎の絵と書」。。

2021年2月20日(土曜日)

昨日は今年度の陶芸展示のテーマ「齋藤三郎の絵と書」のお知らせをしました。
本日はそのことに関係する講演会「齋藤三郎の絵と書」のご案内です。

講師は昨年11月の講演会に続き、全国良寛会会長の小島正芳先生です。
先生は髙田にありました新潟大学教育学部書道科をご卒業されました。これまで数多くの良寛の書物、論文を執筆され、昨年から全国良寛会の会長をされています。学生時代に齋藤三郎の講義を受けられ、以来今日まで斎藤三郎を深く敬愛し、作品に魅了されていらっしゃいます。

 

本日は晴れたり曇ったり、夕刻から冷たい風が吹きました。
明日は一転暖かく良く晴れるようです。
なかなか雪解けが進みませんが、これからのお天気に是非頑張ってもらいたい所です。

明日のお知らせは、倉石隆の「自画像 自己投影像」です。

今年の樹下美術館の展示ご案内その1 陶芸は「齋藤三郎の絵と書」です。

2021年2月20日(土曜日)

雪よ、コロナよ、と言っている間に暦はタッタとめくられ、2月は下旬になりました。
3月15日は今年の樹下美術館開館日。
本日はホームベージ向けの展示お知らせのバナーと、倉石隆、齋藤三郎両氏のお知らせファイルを作りました。
ご案内その1としまして、以下今年の齋藤三郎の展示「齋藤三郎の絵と書」のお知らせです。

今年の齋藤三郎展示に関係しまして、昨年に続き全国良寛会会長の小島正芳先生から「齋藤三郎の絵と書」の演題でご講演を予定しています。
明日はそのお知らせです。

小島正芳先生の来訪 名残惜しい上下浜と四ツ屋浜の夕暮れ。

2020年12月5日(土曜日)

午前の仕事を終えて急いで美術館に戻る。
すでに新潟市から大切な方、小島正芳先生が自宅にお見えになっている。

今夏全国良寛会会長になられた先生は、優しいお心に朗らかな童心をお持ちの方。隣に座っていると澄んだ感受性が伝わってくる。

ふとしたことから先生の知己を得て、今秋樹下美術館で「齋藤三郎と良寛さん」を講演して頂いた。先生は新潟大学時代に髙田の芸能科で齋藤三郎の講義を受けられ、三郎に心酔し敬慕されていらっしゃる。
樹下美術館来年の展示は「齋藤三郎の書画」を予定し、秋にはそのことで再び先生のお話を聞けることになった。

本日は三郎の文字の書き込みがある焼き物と手紙類を見るため来訪して頂いた。関連作品と書に囲まれ、とても幸せそうにされ、ご一緒した私どもも幸福だった。

 

玄関に掲げた額。
齋藤三郎の書はとても鑑賞価値があるという。

来客をまじえた話は良寛の書と逸話に及び、それらに現れる優れた人としてのエッセンスに触れられた。
年末テレビの良寛の特別番組や、来春~夏の東京に於ける良寛展などの企画・監修でお忙しい先生。広く芸術に対する造詣深さが伝わる貴重な時間だった。

NST新潟総合テレビ、2020年12月31日9:50~10:20
「良寛さん出家の謎」 案内:小島正芳
ちなみに昨年の同企画番組の一コマをNSTのブログから以下に引かせていただきました。
昨年の大晦日番組での先生。

 

来客のお一人が庭のモミジをご覧になった。
根本から枝が出ていることがとても変わっていて面白いと仰った。

この木は手入れを怠っているだけと返事をした。が後になってよくよく考えると、購入したものではなく、ここで実生から育った木ではないかと思った。そもそもこの場所は、いまだ十分な手入れがされず半ば野のままになっているところ。来年はもう少しかまいたい。

楽しい時間はあっという間に過ぎる。高速バスの頸城停留所へ先生をお送りした。着いたのは良いが、上り下りの線を間違えてしまい、先生が慌てて強風の隧道を対側へ歩かれるのが見えた。走って行ってお詫びし、あらためてお別れした。

 

さて極端に日が短くなっている。陽の名残を惜しんで上下浜と四ツ屋浜に寄った。
まったく漠然とであるが、あの世では会いたい人に会えるかもしれない。だが風景だけはそうは行かないような気がする。

夕闇迫る上下浜は、いつものマリンホテル・ハマナス。

 

帰路の四ツ屋浜では沖の雲に降水が見られた。
遠くから見ると、時雨はこんな風になっているらしい。

 

心から楽しそうに良寛や齋藤三郎を話される小島先生。思い邪(よこしま)無し、幸福とは何かを垣間見るような時間だった。

小島正芳先生の講演会が盛会裡に終わった。

2020年11月7日(土曜日)

本日午前曇っていた空が午後から愚図つきがちなお天気となった。
そんな午後、新潟市から全国良寛会会長・小島正芳先生をお迎えして「齋藤三郎と良寛さん」の講演会があった。
40人のお客様をお迎えし、館内の気流確保と椅子ディスタンスの配慮、およびお客様検温と全員マスク着用で始めた。

講演は書道を学んだ髙田の新潟大学附属芸能科の思い出、受講した齋藤三郎との出会い、自然と一体化する良寛と三郎の共通したエッセンスが、ご持参された齋藤作品を示しながら説明された。

良寛ご専門の先生が、焼き物や三郎の系譜について非常に詳しいことに驚かされた。
齋藤作品について民芸の素地、白磁の温かみ、辰砂への愛情、ドクダミへの挑戦から椿への流れ、それぞれの器への繊細な心づかいなど詳細に語られ、それらから三郎が在野を貫き、民衆とともに生きた良寛の姿と重なることをお示しされた。

終わって、来年もまた是非ここでお話ください、とお願いした。
どんな内容が良いでしょうか、と先生。
「先生に全てお任せいたします」とお答えすると、「それが一番嬉しいです」と仰った。

本日は、学者特有の厳しさと、良寛と同じ論語の「思い邪(よこしま)無し」を貫かれる清々しい先生と半日ご一緒した。希なご縁を続けさせて頂き、来年もまたお話が聴けるよう心から願っています。

小島先生、ご来場の皆様、本日は誠に有り難うございました。

ネットで注文した野菜ギョーザ いつか母のを手作りで。

2020年10月22日(木曜日)

メザシと野菜炒めまたサラダの夕食を続けているが、作る妻としてはそれだけでは不満らしい。
基本はそれを軸に次第に変化を加えるようになった。気持ちは良く分かるので、体重を見ながら量で加減をして食べるようにしている。

本日は玄米メザシではなく餃子。
昭和30年代の何年間、節目の日があると、母は思い出したように餃子を作った。
新婚時代を満州で過ごした母は、中国人のクーニヤン(お手伝いさん)から餃子の作り方を教わっていた。

小麦粉を長時間練って寝かせ、小さな麺棒で丸く厚めに伸ばす。抜群に美味しかった餃子は肉もニンニクも無い。
具はキャベツあるいは白菜にニラ、それにみじん切りのタマネギも入ったのではなかっただろうか。ボールの中の具はねっとりしながら、少々シャキシャキもしていた。具はゴマ油が混ぜ込んであったように思う。

初期の肺結核で休学していた高校生の私は母と並んで皮を伸ばし、具を取っては皮で包んだ。
みな揃えば7人、熱いゴマ油がしたたる厚皮の餃子はウースターソースで食べた。

美味しかった本日の野菜餃子はネットで探した台湾製。少し焼きすぎた。
残りは水餃子にするらしい。

 

 

チーズ大根のスープ。

 

 

春雨とレタスのサラダ。

ある夏、父が懇意にしていた先代の陶齋・齋藤三郎さんがお子さんや甥姪たちを引き連れてやってこられた。まだ小さかった当代陶齋尚明さんも一緒だった。
海から帰った子供たちが揃うと餃子を焼いた。
総勢10数人の食べ手。大きな皿いっぱいに出すのが、たちまち空になった返ってきた。焼いても焼いても切りが無く、ついに具が無くなった。すると母は小麦粉で饅頭のようなものを作って出し、それもまた喜ばれた。

本日の餃子は美味しかったが、勿論母のようには行かない。早速別のものをAmazonで注文した。
多分最後は家で作ることになると予想され、上手く再現できればと思う。

とにかく野菜だけ。皮は大きめに厚く伸ばし、ゴマ油をたっぷり使う。油を敷いたフライパンで焼き、ビシビシと焦げる音が始まったらすぐに蓋をとり、餃子の三分の一くらいが浸るように急いで熱湯を掛け蓋して蒸す。ほんのわずか煙が立ったら出来上がり、だったか?

熱いのをウスターソースをつけ、ほおばる感じで食べる。

本日のはネットで探した通販のを食した。
肉無し餃子」で検索すると「にんにく無し餃子」などが沢山出るが大抵肉が入る。ただ「ベジタリアン 餃子」で引くと野菜だけの餃子が出てくる。
ネットに野菜ギョーザのレシピが沢山出ていたので、自作の時は具などを確認したい。

昨日製本した森のトマト畑を、本日昼比較的若いご夫婦が一冊お求めくださった。
拙くはあるが絵でも本でも絵はがきでも、作ったものが売れるのはとても嬉しい。

来る11月に「齋藤三郎と良寛さん」の講演会 仲秋の名月。

2020年10月1日(木曜日)

来る11月7日(土曜日)、樹下美術館に於いて、
「齋藤三郎と良寛さん」と題しまして全国良寛会会長・小島正芳先生の講演会を以下のように催します。

当館茶会におけるふとしたご縁で講演会が実現しました。
小島先生は長年に亘り良寛を研究され、今年8月に全国良寛会会長に就かれました。
演題は「齋藤三郎と良寛」に決まり、樹下美術館にとって打って付けの会になろうと想像されます。
コロナ禍は負の面とともに、文化・芸術への親しみを深める傾向を内包しているように感じられます。
感染への配慮によって満席の約半分での開催ですが、どうかご都合をみてご参加ください。

 

秋が深まります。

本日、庭の萩。優しくこぼれる様は何とも言えません。

 今夜は仲秋の名月でした。

 

 

20時頃に見えた月です。

名月や夜更けて屋根に雨の音

無事に終わった今月の茶会。

2020年9月27日(日曜日)

時に土砂降りを交えた本日日中、樹下美術館で今月の茶会をしました。
7月から始めた新機軸、月1回の月末茶会です。
午後1時と2時半の二回、11名様のお客様をお迎えし、雨も上がり良い日和になりました。

待合に掛けた堀口大學、團伊玖磨両氏による色紙「友と来て」。
お二人は慶應義塾式典曲などで作詞作曲を共にされています。
文言は大學氏、音符は伊玖磨氏と思われます。

樹下美術館は齋藤三郎を常設展示しています。三郎は戦後上越市に仮寓された堀口大學に気に入られ、親しく交わりました。

 

本日のつくばい。

 

軸は立花大亀和尚の円相。
花入れは柏崎市の吉田隆介作の掛け花入れ。
頂いたアケビと庭の茶の花を入れました。
器は今年正月、天神祭に出かけ吉田宅を訪問した際に求めました。

 

坪島圡平作の赤絵鳥文角切り香盒。
作者は川喜多半泥子の廣永窯を継いだ人です。

 

今日庵のお庭焼きによる四方風炉と畠春斎の菱形釜。
風炉先屏風は齋藤三郎筆の父宛手紙。
そして坪島圡平作菱水指です。

 

髙田の竹内泰祥堂さんのお菓子を坪島圡平の角皿に盛りました。
古い話ですが、30年前坪島氏の水指を求めた年の暮れ、
お歳暮と言って氏から届いた2枚の皿のうちの1枚です。
本日はコロナの日々を明るくする同氏の三器を用いました。

 

清水六兵衛の現代的なお茶碗と加藤卓男氏の棗です。

 

建て付けに蝋型鋳物による斑紫銅建水。
花入れと同じく今年正月の天神様祭で柏崎を訪れた際、
原惣右衞門工房にお寄りして求めました。

 

障子を開けた会が和やかに終わりました。
暗くなりがちな毎日ですので色彩を意識してみました。

お客様で、結婚式の前日に発熱し小生が注射をしたというご夫婦が見えました。40年も昔のこと、全く記憶にありませんでした。
式当日は熱が下がり無事だったということ、今更ながら良かったと胸を撫で下ろした次第です。今では、熱が出たからといってすぐに注射などをしませんので、今昔物語です。

 

終えて田んぼに行くと青空と大きな雲が緩やかに戯れていました。

 

毎年この場所のカンナに慰められます。

 

尾神岳と黄色の水田、そして大きな雲。

秋の茶を終えて仰げば大き雲

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