こども

富山の買い物 学童の健診 緑の庭とカフェ。

2019年5月9日(木曜日)

去る富山行きで幾つか買い物をした。
美術館向きに出来る範囲でお金を使うが、普段自分用は倹約をしている。
富山市内で森記念秋水美術館へ行く途中に店があり、ウィンドウに魅惑されて入った。
店は「和具 ペリカン堂」。
富山県内と全国各地の民芸風の陶器、和紙や革細工および紙や繊維に木製雑貨など、手作りの風合いが親しめる品が並んでいた。
気に入ったものがあったので、求めた。

 

文箱と手ぬぐい。しっかりした和紙の文箱(4000円)は特に気に入りました。
手ぬぐいは庭仕事で使うつもりです。

 

和菓子用の楊枝(ようじ)。
すでに美術館のカフェで、お抹茶に付くお菓子に使っています。一本500円でした。

 

 

以下は駅構内のお土産屋さんで求めたオコジョの可愛いおみやげ陶器。

 

 

コップの縁につけてみました。カフェの丸テーブルのメニュー表にに乗せてみます。
以上、財布能力にも収まり、楽しい買い物だった。

さて本日午後から小学校の健診があった。
クラスによっては一部の肥満が気になったが、みな個性的で可愛いかった。
大人しく順番を待っていた一人の児童が印象的だったので、何になりたいの、と訊いてみた。
小さなな声で「パテシエ」と答えたので、「がんばってね」と言うと、「うん」とうなづいた。
みんな可愛いのだから、ずっと健康でいて欲しい、とつくづく思った。

 


樹下美術館の庭はいよいよ緑まばゆく、カフェをも満たすばかりです。
良い季節になりました。

夕焼け小焼け。

2018年7月22日(日曜日)

毎日続く暑さだが日暮れ時に美しい夕焼けがよく見られてい
る。

以下は本日上越市大潟区は雁子浜と潟町の夕焼け。

 

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美しい詩、美しいハーモニー。
演奏はインターカレッジ男性合唱団
VOCES VERITAS(ヴォーチェス ヴェリタス)。

こうしてみると、譜面なしで歌うことの大切さが分かる。

 

“子供がかえったあとからは まあるい大きなお月様
小鳥が夢を見るころは 空にはきらきら金の星”

声を出せない鍵の切なさ。

2017年5月4日(木曜日)

キーホルダーが消えて一ヶ月ほど経ち、何
かと不自由をかこって来た。
家で往き来をする場所をくまなく探したが見つ
からなかった。

諦めた訳ではないが、溶けて無くなったかもしれ
ないとまで考えはじめていた。

それが本日長男一家が訪ねて来て、仏壇を参り
たいと言う。
予め仕度のため段前に座ろうとすると、座布団の
脇に夢にまで見た鍵があるではないか。

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ああ懐かしや我が鍵、、、。

命日でもないのに気が向けばたまに線香を上げ
る仏壇。
前回お参りを済ませ鍵を脇に置いたまま立ったに
違いない。
嬉しさもあったが、ひと月も仏壇に放りっぱなしに
された鍵はぞかし寂しかったことだろう、と詫びた
くなった。

時計や鍵や財布などは大切で便利だが、自ら物
言うことが出来ない。
そこへ行くと本日現れた孫は疲れて馴れない部屋
に寝たはいいが、途中で目を醒ますと、「助けてー」
などと言って泣き叫んで親を呼んだ。

鳥は少なかったが、良く山が見え雲がおしゃれをしていた朝、そして子供。

2017年2月5日(日曜日)

先週の日曜日は上越市大潟区は朝日池で雁のねぐら立ちを見物
した。
妙高市の孫たちといっしょの約束だったが、熱を出したので私たち
だけで壮大な飛び立ちを見た。

無事風邪も治り、本日は6時半集合でリベンジ。
だが連日の温暖で鳥たちは北上しているのか、大きなねぐら立ち
は見られなかった。

代わりに幼い白鳥が傍へ寄ってきたり、頭上を飛ぶ白鳥をみてから
急遽朝の柿崎海岸へ足を延ばした。

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7:30頃、朝日輝く妙高連山は彫刻を施したように鮮やか。

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時折愛嬌を振りまいてくれたオオハクチョウの子。


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飛びたった白鳥。

コンビニで朝食を買って皆で車中食。
柿崎で下の孫と歩いたが誰も居ない朝の海で、親たちが見えなくな
るほど遠くまで歩くのは珍しいらしく、
「こんなに遠くへ来ちゃった」と言って不安と挑戦をないまぜにして頑
張って歩いた。
美しいシーグラスがいくつも見つかったので、よかったね、という事
で楽しい朝だった。

今朝の大気は清澄で山並は美しく、雲の低い部分は波状の揺らめ
きが連続する変わった形をしていた。

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雲を見るのは冬の楽しみの一つ。


子供達というのは可愛い。場面はどこか、もしかしたらスペインの
のロマ(ジプシー)の村かもしれない。演奏者はオランダのジプシー
出身、S・ローゼンバーグのグループ。
曲はスペイン近年の歴史的ギタリスト故パコ・デ・ルシアによるRIO
ANCHO(広い河)。
地続きのヨーロッパは多様な民族人種が行き交い多様な文化を生
みだし、親しみ楽しむ。それも平和ならばこそであり、その価値は
計り知れない。

ところで大人と子供が音楽を通して楽しみ踊る日常など、日本では
通常考えられない。
動画がスペインであれば、大人と子供、そして家族が常に交わる生
活はスペインで暮らした弟もその良さを話していた。
子供たちは甘えるために大人と居るのではなく、早く大人になりたく
てそうするらしい。

ツバメの巣を見ていたらひっくり返ってしまった坊や。

2016年9月5日(月曜日)

あるお宅に伺うと、よく外孫さんの話を聞い
てみる。
いま小学二年生の男のお子さんだが、保育
園の時から新幹線が大好きだった。

保育園当時、実家に遊びに来ると紙に新幹
線の絵をいっぱい書き、部屋や廊下にセロテー
プで繋いで貼って帰った。

絵は今もそのままで、自分や親の顔も描き込
まれているらしく、見ていて幸せな気持ちに
なる。

感心したのは描く事への集中力だった。
機関車と車輌の筆致は作品ごとにスピード感
が異なっているが、細部に全く手抜きが無い。
違いはその時、時間が十分あったか無かった
かだけで、いずれでも見応えがあった。
このような時間と集中力のことで棟方志功を思
い出したほどだった。
またどんなに急いでいても車輪や顔の円がき
れいで、特異な才能を感じさせられた。

一年生になった昨年、当地に北陸新幹線が開
業すると早速パパに乗せてもらったが、姿勢を
正して座り、じっと前を見て感激を噛みしめてい
る様子だったという。
今年は念願の京都鉄道物博物館に連れて行
ってもらい、ご両親の理解にも心温まる。

一方、この夏の坊やは玄関に巣を作ったツバメ
の子育てに夢中だったと聞いた。

そのツバメの最後の子育てが終わる頃、突然
玄関でドタッという音がしたので、ママが見に行
くとランドセルを背負った坊やが仰向けに倒れ
ていたという。

上を向いて巣のヒナたちを見ているうち、ランドセ
ルの重さでひっくり返ってしまったらしい。

細くて小柄な二年生だというが、何ごとも夢中に
なる子には、色々と可愛いエピソードがあって微
笑ましい。

ランドセルのお陰で頭を打たずに済んだようだが、
近頃のランドセルは重いらしいですね、と実家の
おばあちゃんが笑いながら言った。

夏、疲れを知らないこども。

2016年7月17日(日曜日)

雨模様の午前が昼になる頃晴れてきた。
一番小さな孫が来ていて近くの鵜の浜温泉海水浴場へ一緒
に行った。

知り合いの浜茶屋「みやこや」(海の家)でラーメンやおでん
などをゆっくり食べてから三才の孫は日本海初デビューとな
った。

初めは波に怯えて、帰ると言っていたが根気良い親が時間
を掛けて馴らすと、浮き輪無しで波に向かって行くようになっ
た。

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鵜の浜は多少深めだが楽しみながら海の泳ぎを覚える事が出
来る。
監視所のアナウンスも適切だった。

さてこどもというのは本当にアクティブだ。
海から帰って昼寝をすると夕食前のひと時はダンス。
家にある卓上型蓄音機で1940年代のレコードを掛けてみた。

 

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ベニー・グッドマン クインテットの「世界は日の出を待っている」が
回っている。

 


ユーチューブに同じレコード演奏がありました。

 

非常に早いテンポですが一生懸命腰を振って踊ります。
そのあとフリッツ・クライスラーのヴァイオリンでベートーベン
のクロイツェルソナタ第三楽章を掛けました。

 


やはりユーチューブにあった同じ盤の演奏です。
テンポに合わせてご機嫌でした。

“疲れを知らない子供のように”
はシクラメンのかほりの歌詞でしたね。

実はもう一つ八ッ橋が。

2016年7月2日(土曜日)

先々回ある孫の修学旅行みやげとして八ッ橋を送って貰っ
たことを書かせて頂いた。
記載したのは聖護院八ッ橋だったが、実はもう一つ別な店
、本家西尾八ッ橋が一緒に送られていた。

京都で試食の際、どちらも美味しくて迷ったすえ、両方送
ることにしたと聞いた。

中学三年生なったばかりの生徒が年寄りの土産に迷うの
は容易に想像出来る。

そもそも聖護院八ッ橋と本家西尾八ッ橋とでは、同じ菓子
でも由来が異なっている。

聖護院は江戸期のお琴の名手八橋検校の遺徳に、本家西
尾のものは伊勢物語などで伝えられる「三河の国八ッ橋」
の逸話に由来するとされるようだ。

由来をも勘案して決めかねたことが想像されるが、結果とし
て両方にした、というのは本当に微笑ましい。
彼がもしも裁判官になったなら、良い判決を下す名判事に
なるような気がする。

お小遣いを散財させて申し分けなく思い、またR君の人柄に
触れて心温められた。

 

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抹茶味の本家西尾八ッ橋

今では生八つ橋のほうが人気があるが、私の場合昭和31年の
中学時代、修学旅行で食べて感動した固い方の味が忘れられ
ずにいる。
(当時まだ生八つ橋は無かったかもしれません)

「早く明日がこないかなー」 「SL銀河」開始のCM。

2016年1月12日(火曜日)

また本日も「ああ早く明日がこないかなー」です。
実はこの言葉を検索しますと、JR東日本の釜石線・花
巻〜釜石間における、「SL銀河」号発車のCMに出会い
ます。
昨年春の始発に向けたものだったようです。


簡潔ですが希望への純粋な気持ちが伝わります。

最後に流れるナレーションも実にいいですね。
妻が見て涙が出そうになったと言いました。

いつとはなしに続きました「早く明日がこないかなー」
シリーズ?
もう無いかもしれませんが、一応カテゴリーを作って
入れてみました。

「青い鳥」「銀河鉄道の夜」、ジャコメッティ、「星の王子さま」 “雪がきれいなのはどこかに春をかくしているから”.

2016年1月11日(月曜日)

何度も書きましたが孫の一言、
「ああ、早く明日がこないかなー」は一種啓示的だった。
長年忘れていた言葉から始まった遅咲きの本巡り
孫の言葉の午後、歯科医院で手に取った絵本が「青い
鳥」だった。

その先堀口大學訳の「青い鳥」を別に求めて読むと、
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の時空を感じ、本と共に双
方のDVDも観た。
両者とも自分をとりまく世界の秘密に触れるようで新
鮮だった。
ブログに書かなかったが宮沢賢治の感受性性と方向
が、いっそう特別なものに思えた。

青い鳥と銀河鉄道の夜
銀河鉄道の夜:宮沢賢治著 新潮社 平成24年6月10日
第60刷
青い鳥:メーテルリンク著 堀口大學訳 新潮社 平成25年
11月10日 第57刷

そして希代の彫刻家、画家のアルベルト・ジャコメッティの
本は、秋に頂いたみすず飴からみすず書房に振られて読
むことになった。
文中図らずもジャコメッティは「早く明日になればいい」と述
べていた。
孫のつぶやきはこんな所へも繋がっていた。

ジャコメッティ二冊
アルバム ジャコメッティ:矢内原伊作著 みすず書房
1999年9月20発行
見る人:矢内原伊作著 みすず書房 1999年9月10日発行

さらに昨年12月、「青い鳥」「銀河鉄道の夜」を一緒に検
索すると、「星の王子さま」に関連するヒントがあった。
求めた芥川賞作家、池澤夏樹氏の翻訳絵本はとても
親しめた。
氏は弟の本「フォルテシモな豚飼い」の書評を書いて下
さっているので、いっそう有り難みを感じた。

星の王子様
星の王子さま:アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ著
池澤夏樹訳 集英社2015年11月18日第13刷

さて先の大戦で枢軸国への隠喩的な警告を含む本と言
われる同書。
汚れ無き王子は地上を問いあるいは詠う。
全編詩篇と言っても過言では無い本だった。
最後にさしかかると、物語は王子の遺言ではないのかと
思われ、せつなさと重みを増す。
それを若かりし日、自分は途中で中断していた。

このたび数々の言葉が心に響いた。
「砂漠がきれいなのは、どこかに井戸をかくしているから
だよ」
そして、「家でも、星でも、砂漠でも、きれいなものはみん
な何かをかくしている」
と続く。
かくれている大切なことにしっかり気付いて、
と言うメッセージなのだろう、立派な言葉だ。

この言葉を以前にある方から聞いたことがあった。
それがこの本からだったとは、巡り会いを喜んだ。
今夜たまたま、その方たちと食事をした。

「雪がきれいなのはどこかに春をかくしているから」
帰りの車中で呟いてみた。

言葉は王子に触発され、一昨日三和区の雪を見て
よぎった。
どかどか、ぐじゃぐじゃの雪はいやだが、
降り始めの雪や快晴の雪原はきれいだ。
それらに遠い春や近い春を思うこともあろう。

我ながら上出来の呟きも元はと言えば、
孫の一言から始まっている。

こどもの言葉 仕事の新年が始まる。

2016年1月5日(火曜日)

終日雨降りの本日、私の正月休みが終わる。
休みの間、読書や図録に携わる時間が取れた。
一週間もの休みは初めてで、時間は普段の倍
以上もゆっくり長く感じられた。
患者さんには大変申し分けなかったが、心身は
助けられた。

ところで読書は何かとためになる。
だが現実の言葉、なかんずくこどものそれには
時に驚かされる。

一昨年秋のことだが、
遊びに来ていた二年生の孫の突然の一声が心
に響いた。
「ああ、早く明日がこないかなー」
呟きに似た声は隣室からで、とてもはっきり聞こ
えた。

なんと純粋で懐かしい言葉だろう。
昔々そんな呟きをしたかもしれないが、
いつどんな時だったのか、浮かぶはずもない。
孫の一言は母とゲームを買う約束をした直後に
出たものだったらしい。

ゲームでも何でも良い、喜び一心に明日を待ち
焦がれるのは子どもの、あるいはもしかしたら大
人にも起こる心境かもしれない。
だが大人では大声で呟くことなど先ずあり得な
いだろう。
こどもというものは凄いものだ。

こどもの言葉ですごいなあ、と思った事がほかに
もある。
「ママ、僕を褒めるのは本当に良い子の時だけに
して。
少しだけ良い子の時なんか褒めなくていいから」
かって園児だった時の別の孫の言葉で、これも
驚いた。

さらに先日のこと、父兄参観であまり手を上げな
かった最初の孫の言葉。
「国語や社会は答えがいっぱいあるようで中々手
を挙げれないよ。
だけど算数は答えが一つだから手を挙げられる
んだ」
これも実にもっともだと思った。

さて仕事の新年が始まる。
まず健康に留意し、時には神仏の助けも借りて
過ごしたい。

明日から寒波か、大雪でなければ良いが。

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