文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ・テレビ
施設に架かるNさんの絵。
本日患者さんがお世話になっている高齢者施設を診察で訪れたところ、見覚えがあるNさんの水彩画がホールに架けてあった。
同じグループの別施設で見たことがあるNさんの作品は風景もあるが花が良く描かれている。
このたびのは初めて観た作品で縦1メートルくらいはあり水彩としては大きい。
感心するのは良く研究されていること、陰影に力があること、構成の緻密さ、植物の迫力、なにより水彩画としてご自分のスタイルに到達されていること、などいつも感心して足を止めさせられる。
「あじさい」
「朝顔」
2枚ともアクリル板の上部にに照明が写り込み申し訳けありません。、
如何にも楽しんで描いてらっしゃる風で素敵だ。
お世話になりながら開館 国連におけるパブロ・カザルスの「鳥の歌」 文化芸術が無ければ。
今日が2022年の開館。
昨日はお魚が届き本日はお花そしてお客さんに来て頂いた。
3年目に入ったコロナ禍に加えて深刻な戦争色が重なり、気が滅入る。会う人ごとに皆ユをひそめ、むごたらしい侵略を憂う。
それでも自分なりの外来を診て、三回目のワクチンを接種し、施設を訪ね、在宅回りの暇をみて美術館の仕度をした。幸い仕事はその時だけいくばくか重い気持ちを和らげてくれるので助かる。
本日複数のお客様から展示の助言や興味深いご指摘を頂いた。なるほどと思ったくことだったので、採用したり確認をした。皆様には本当にお世話になる。
早春の庭のカフェにお寄りの皆様、有り難うございました。
これからトサミズキ、コブシ、イチゲ、モクレン、桜、チューリップ、丁字ザクラ、そして新緑へ。
その前のクリスマスローズだけの庭は木の葉も無くまだ寒げです。
時には小雪がちらつくかもしれませんが、曖昧さを漂わせて静かに春を待つ風情はまた何とも言えません。
伝説的なチェリスト、パブロ・カザルスの「鳥の歌」
1971年91才、国連平和賞受賞式での演奏とスピーチ。
ダリ、ミロ、ガウディ、カザルス、ピカソ、カレーラス、FCバルセロナ、ジャズのモーティスを生み出すスペインはカタロニア。カザルスは内戦、さらに独裁的なフランコ政権の圧政に苦しむ同地方の平和を願って国連で演奏しました。
1975年フランコの死去後、1977年に何とか民主的な選挙が行われました。
樹下美術館で毎年末行っているSPレコードを聴く会のお終いにカザルスの「鳥の歌」が掛かります。蓄音機をお貸し頂き、毎回レコードを持参されるA氏にはとてもお世話になっています。
自由な文化、芸術がどれだけ平和に役立っているのか具体的に知りません。でも、もしそれが無ければ世界はもっと野蛮な戦争に明け暮れるのではないかと思うのです。
ウクライナは可哀想な国 ふと高校時代の「Animal Farm(動物農場)」が蘇る 当時の二人の恩人。
「コルホーズ ソフホーズ」。高校時代の地理でY先生が何度も口にされた言葉だった。
そのたびに「ウクライナ」も。
以来肥沃で広大な地にコンバインが似合う農業地帯は、寒い観念が先立つソビエト連邦の中で唯一温かさと豊かさのイメージがあった。
そして同じ高校時代、月2回通った英語教師のもとで読んだイギリスの作家ジョージ・オーウェルの「Animal Farm(動物農場)」。このたびのウクライナ侵攻でそれも思い出した。
「Animal Farm(動物農場)」の話はこうだった。
酒浸りの農場主のもとで辛く理不尽な生活を強いられる家畜たちが反乱を起こし、平等で主体的な自治を目指した顛末の物語だ。
“2本足(人間)は悪、4本足(動物)は善”、“ベッドで寝てはならない”、“動物を殺してはならない”など7項目のスローガンが掲げられ、そのもとで動物たちは懸命に働き成果も上がってくる。
しかし農場は、演説が上手い手下と、子犬を自らの番犬に育て上げたリーダーの豚に牛耳られるようになる。リーダーと同様、豚たちは特権的で、かって人間が住んだ家で番犬に守られながら、禁止した酒まで飲み贅沢な生活をはじめる。
彼らは計画書や書類を書いては焼き捨てることを繰り返す。あまつさえ上層の豚たちは収穫を人間と取引し、最後に2本足で歩くまでになり、当初の理想は失われ、事態は以前より遙かに悪化する。
読んだ当初は、人と動物の風刺物語程度に感じ、さほど面白く無かったが、次第に深刻な真実が書かれていたことを知るようなった。
さて常に不条理を強いられるウクライナは可哀想な国だ。
帝政ロシア時代、広大な国の食糧を支えた農民は「農奴」として最下層の悲惨を味わされ、革命後はソフホーズ、コルホーズの名のもと国家管理される。
1932~33年にはウクライナを中心に人類史上最悪と称される飢饉「ホロドモール」が起きる。
外貨を稼ぐ為に農産物は輸出に回され、過酷なノルマと常態化した飢えに耐える農民をさらに飢饉が襲う。医師は農民を診る事を禁じられ、パンを食べられない農民は犬や猫や草を食べ、抗議する者は収容所送り、子殺しが拡がり、路傍に次々と死体が放置され、数百万から千数百万人が死亡したと言われる。
後の政権は飢饉は国全体で起こったもので、ウクライナに限られたことではないと弁明する。しかし同地方には以前より先進性と自由の気風があり、帝政やその後の共産主義体制に対しても批判的な空気が存在した。
それが気に入らなかったスターリンは策を弄し同地をいっそう深刻な飢饉に追い込んだといわれ、現在もそのいきさつは払拭された訳ではないという。
不条理を強いられるウクライナは可哀想な国だ。
この色が国旗になっている。
侵攻はまさに現実であり、根源に優越欲求が染みこんだ確信犯的な行為にほかならない。
我が国の首相は難民を受け入れると明言した。大変だが何を於いても急いですべき救済措置であろう。上越地域に彼らが来ることがあるなら揃って歓迎しなければならない。
さてこの機にかねての願望、改憲を言い出す人はすくなくない。しかしその人たちはウクライナ侵攻のお陰ですと、ロシアにお礼を言わなければならない奇妙な立場に立つことになる。
勇ましければ良いというのでは軽くて小さなプーチンの量産でしかない。
ひるがえって首相の先の救済決意は理性的で有益、立場をわきまえた指導者として信頼に足りるものとして写る。
※赤文字、後日(3月12日抹消、無いつもりでお読みください)
改憲は誰が口にするかで性質と将来が全く異なる。どういう人がどんな言い方をするか慎重に見なければならない。
ところでこの度の侵攻で、「動物農場(Animal Farm)」を思い出し、検索するとスタジオジブリ版のアニメ映画があったので申し込んだ。
本日到着したので早速観た。
最初に指導者になった良い豚。
権力を志向する別の豚が飼育するどう猛な番犬に抹殺される。
同映画は伝説のイギリス・アニメーションスタジオ「ハラス&バチュラー」が1950年代に制作し、スタジオジブリ美術館が国内向けに上映、出版したもの。
「動物は他の動物を殺してはならない」は最後に「理由なく殺してはならない」に変えられるのが今さらながら恐ろしい。
公の大切な書類を燃やしてしまうようなリーダーは、数年前までどこかの国にもいた。気を付けていないと動物農場はどんな国でも簡単に生まれる。
前述の英語教師のもとで動物農場のあとバートランド・ラッセルとジョージ・ケナンの随筆集が教材になった。内容を訳す以上に問題を考えることが重視されたと思う。
わけても、“今で言うwin-win”、“議論と多数決”、“偏狭の排除”、“粘り強い交渉”、“中庸(ニュートラル)の貴重”などを熱心に説いた当時40才の美しい教師。最後になると、“あなたは理系ではなく文系に進んだら”と言った。
※後日加筆→“熱狂の危うさ”も何度も出ました。
この人と、世間知らずの私に、物の大切さと世間の義理を説いた下宿のおばさんは大事な恩人。
今日の「小さな村の物語 イタリア」から。
開業して47年間、沖縄はおろか海外というものへ行った事が無い。お金と暇が無いうえ、さらにコロナだけは間に合っているという皮肉な日常だから如何ともしがたい。
せめてというので数年前に妻と奈良京都や長崎へ行った。国内で十分、これからはたまに旅行しようと考えていた矢先のコロナだった。今では近くの飯山市と野沢温泉、それに秋田県の鳥海山を見に行く計画で十分な楽しみになっている。
そんな訳なのでテレビで世界遺産や「小さな村の物語 イタリア」を観て旅情を味わっている次第。先回も書いたとおり、小さな村の物語は風土が美しいうえ生活の豊かさに毎回驚かされる。
そこには文化や教育、あるいは歴史、宗教の違いと一言で言えないものがありそうだ。素晴らしさが私達にも伝わる限り理解できる何かがあるのだろう。
だが一体それは何なのか、いつも考えさせられる。
本日(再放送?)は101才の老人の生前と、亡き後の長男夫婦が取り上げられた。
生前の老人はかって炭焼きをしていた。
ある朝目ざめのベッドへお嫁さんが蜂蜜を運ぶ。老人は何度もスプーンを舐めたあと、再び寝るかと思いきや四点杖を両手に数段の階段を降りて居間に出る。さらに暖炉に近い椅子に腰掛けると新聞を拡げた。
あまつさえ記者に向かってナポリの歌を歌おうかといって歌う。私は歌手じゃないからね、と断りを入れて恋の歌を歌った。
こんな生活をしていたら当地ではたちまち新聞に出るが、家族は静かに心こもった対応をするだけである。父を愛し後を継いだ長男は父中心の生活を語り、父の居ない生活など考えられないと述べる。
人望厚い老人の最後の床に村人たちが次々に訪れて手を握り祈った。村中の人と楽隊が出て歩き祈る葬儀の映像があったが、教会にあふれるた村人の服装はみな普段着だった。
亡くなって初めて父を語る人の多さに長男は驚く。お金を払えないまま村を出た女性は父から黙って品物を受け取ると“子どもだけは大事にしなさい”と言われたと話す。
“後で相手が嫌な思いをするから、施しは決して人に話してはいけない”、と述べていたという。
もう一つの話は少し若いパン職人の夫婦だった。夜なべの仕事中「この土地で採れるものは格別だから、それを使った私達のパンはいつかローマに届く日がくるだろう、コーラのようにね」と笑った。
休憩のベンチで夫は“出合った時と変わらず素晴らしい奥さん”と言うと、妻は涙ぐんだ。
向こうの谷間に見えるヴァッレピエトラ村。
世の中にこのような話以外どんな良い話があるだろう。
やると思った平野歩夢選手 白鳥とタゲリ。
平野歩夢選手が期待に応えて優勝した。中継をみていたが二回目まで二位のところ三回目にほぼ満点を出して覆した。
決勝(三回目?)を前に、
“色々状況が変わるが、どんなでも対応できるようにしている”と述べ、その通りに結果を出した。
マナーは全く異なるけれども、バンクーバ五輪当時、服装と態度を批判されたパイオニア国母和宏選手を先輩として敬愛しているのではないだろうか。
見た所彼らの世界には独特なまとまりが感じられ、ドレッドヘアーなどもとても似合っている。
同選手はいつも落ち着いている。上掲の言葉など、若くして修業を重ねた茶人のようでもある。将来茶道に進めば立派な師範になれそう。
さて本日も日射しが良く、いつもの場所にコハクチョウが居た。嬉しい事に途中からタゲリが来た。かって何度か突然現れたことはあるが、群で素早く飛んでいるものばかり。地上の写真をちゃんと撮れたのは初めてで、不思議な鳥の印象だった。
タ「今日のところ急ぐんで、さよなら」 「僕の飛翔かっこいいでしょう」
白鳥にとってタゲリは特に珍しくはないことでしょう。珍しかったのは私だけでした。
遊びたがるコハクチョウとエサが欲しいタゲリという風にいたずらしました。
スノーボード競技 愛されることとプライド。
午後休診の本日、テレビで冬期オリンピックを観た。女子ハーフパイプのスノーボードが行われていて妙高市の冨田せな、るきの姉妹選手が銅メダルと5位入賞した。

せな選手が難度の高そうな業を次々に決め、るき選手は3本中2本を転倒したが最後は決めた。
代表になるだけでも大変なのに、オリンピックで上位に入るなど、それも10代で、とても信じられない。

その前にあった男子スノーボード・クロスも面白かった。一度に4人が滑降する。その協議中何組かで二人が接触転倒し、決勝進出ならなかった。しかしゴールで握手し互いに非難することも無かった。
またハーフ・パイプ女子優勝者は決勝を前に「私は何も求めない、ただ楽しむだけ」とコメントしていた。
いずれも鍛錬し精魂込めて競い合った末の洗練された境地であろう。
春の開館までもう少し、今年度の展示企画です。
早いもので12月16日からの冬期休館が半ばを過ぎようとしています。皆様には長くお待たせして大変申し分けなく思っています。現在美術館の雪はカフェの前で地の雪と屋根から落ちたものが合体し、そこだけかなりの量があります。
さて今年は開館満15年になります。特別なパーティーなどは致しませんが、催事としまして以下を企画しました。
●3月15日(火曜日)~6月14日(火曜日)常設作家企画
・齋藤三郎「湯飲みと盃 展」
・倉石隆「倉石隆 コレクション展」
●開館15周年特別展
・「齋藤三郎ゆかりの人々」展

齋藤三郎は作品、人柄ともに優れた芸術家で戦前の修業から復員後の髙田における開窯と花開いた疎開文化を通して多くの文化人と交流しました。
始まりに陶芸修業の師、近藤悠三と富本憲吉、支援を受けたサントリー創業者の人々、木工黒田辰秋、戦後も交流した版画家・棟方志功。その後疎開文化を期に画家小杉放庵、歌人會津八一、童話作家坪田譲治、詩人堀口大學、写真家濱谷浩と茶人朝夫人、画家松林桂月、登山文学者深田久弥、微生物学者坂口謹一郎各氏と交流し学びました。
展示は小さな樹下美術館のそれぞれ僅かずつの収蔵品ですが、貴い諸氏が遺した品々によって館内が麗しく香ることを期待しています。
●開館15周年特別展
「ふるさと上越、主体美術協会の人々」展
樹下美術館常設展示の画家、倉石隆は芸術家集団「主体美術協会」に属していました。
このたびは上越市および妙高市出身で、物故者を含めた同会所属の8名の作家作品を展示企画しています。
倉石隆もそうですが、当地ゆかりの同協会所属者には、故賀川孝、故舟見倹二、故倉石隆、現役の筑波進、矢野利隆、関谷昌夫、篠原真智子、大口満の諸氏など、多くの作家さんがいらっしゃいます。
本展を通して倉石隆の同士、地元ゆかりの人々の個性と生命感あふれる作品をご覧ください。
●秋から冬に15周年を一人記念して、全く勝手不遜な館長の作品展「館長のひごろ展」を思い付き企画しました。

・絵画
9月27日(木曜日)~10月27日(火曜日)
1999年から描きためた植物水彩画に、後の植物および風景の油彩を加えました。すべて小品です。
・写真
2015年樹下美術館開館を期にブログを書き始めて以来カメラを手にするようになりました。その後次第にカメラは分身のようになりました。
絵も写真も日常がモチーフの自己流。本来お見せ出来るようなものではありませんが、お暇の節にお目汚し頂ければこの上ありません。
以上の今年度の各企画展につきましては、今後さらに詳しくお伝えさせてください。
1957年の映画「An Affair to Remember」のテーマ曲。
エミール・パンドルフの優しいピアノ。
差し迫った施設療養と県の説明会 もっと楽しんでもいいのでは。
コロナ禍は特異なオミクロン株の拡大によって療養、治療とも方法が変わってきた。自宅が主な療養の場になったのに伴い、障害者や高齢者の施設療養が差し迫った課題となった。
施設は入所者さんの心身特性と閉鎖的で集団的な環境のため、感染症に対する脆弱さを否めない。
これまで比較的大規模な騒ぎを免れてきたのは、ひとえに地域の施設スタッフ挙げて取り組んだ予防の賜物だと思う。
昨夕YouTubeを使った新潟県による講習会があった。冒頭のようなオミクロン拡大に対し今後ニーズ増大が懸念される施設内療養の要点が説明された。
(当然重症者は病院医療になりますが)
予防と防護テクニックの確認、検査キットや備品の確保、館内のゾーンニング、抗ウイルス薬使用の必要諸事項、スタッフ確保と休養、メンタルヘルスおよび県の支援など逐一詳細だった。
ところで三年目になったコロナ禍。
公から“注意深く見守りたい”が連発される。だが何事も事態は悪化か、維持か、改善か、3パターンしかない。常に三通りを想定して柔軟に準備する事が必要だ。
専門家は十分にいるし世界一のコンピュータ富岳もある。だがその富岳では室内におけるウイルスの飛散くらいしかシミュレーションが示されず、果たしてちゃんと使いこなされているかもはっきりしない。
望むらくは見守るだけでなく、エポックごとに三様の対策を先回的に用意して臨むのが今日の方法であろう。
その点、このたび新潟県が行った講習会は非常にタイムリーだった。
不肖自分は特養、グループホーム、障害者施設の三カ所に部分をまじえて関係している。
昨日の説明会で切迫感が伝わり、身が引き締まるのを覚えた。
一方コロナはオミクロン株で弱さを装いながら拡大し、最後に脆弱な高齢者や障害者をターゲットにして仕上げるストーリーを描いているかもしれない。
このたびのある意味最悪を想定した講習会は現実的だと思った。このような事は杞憂でも構わない。それならそれで幸いではないか。
さて連日恥ずかしげもなく傘寿になったことを書き連ね申し分けありませんでした。
挙げ句励ましの品を頂戴し、さらに申し分けなく思っています。
佐賀県のお豆腐。
鍋を見ただけで美味しいことが分かった。
一緒のタレも良く、食していっそう旨かった。
静岡県三島の富士山羊羹。六色あって美しいお菓子だった。
さっそくお抹茶のお伴に頂きました。
忘れん坊の自分のためにポシェットまで、、、。
さていつものYouTubeからです。
スペインの若者達が大人と一緒に演奏する
「ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET(明るい表通りで)」
その通りで老若男女が楽しく踊る。
私は基本楽しいダンス音楽が好きです。
今やダンス(歌もそうですが)はアクロバットやサーカスの如く高度なテクニックを見せるばかり。それはそれで良いのだがどこかに皆で楽しめるダンスや音楽は無いのでしょうか。
どういう訳か私達はややもすればお利口さんを意識しすぎて、堅苦しく生きているように感じます。出来れば皆でもっと気楽に楽しめればなあ、、、と思うのです。
冬は半ばを過ぎようとしているかもしれません。早くON THE SUNNY SIDE OF THE STREETを歩いてみたいこの頃です。
但し、この先二三日かなり雪が降りそうです。
亡くなった人を思い出すこと。
あるところに小柄で色白でいつも静かなKさんが住んでいました。背が真っ直ぐ、銀色の髪にしっかりした眼差しの瞳はグレイでした。詳しくありませんがどこかロシア人を思わせる美しい人だなと思っていました。
その昔お会いした亡き旦那さんは男前で絵が上手な職人さんでした。
一人になった後、Kさんの静かな暮らしぶりには何かしら物語が秘められている印象を受けていましたが、立ち入って訊いたことはありませんでした。
80半ばになると彼女は施設に入り、受け持ちになりました。ある時期いっそう静かになっているのが気になりました。
そんな折、お茶のためにベッドから身を起こした所へ伺いました。
「どうですか、変わりありませんか」
「はい」
「そうですか。ところでKさんは親のことや亡くなった人のことを思い出すことがありますか」
「ありますよ、どうしてですか」と、瞳をこちらに向けました。
「あのね、亡くなった人たちのことを思い出すと、天国で眠っているその人は眼をさまして、すごく喜ぶんだって」
「本当ですか」
「そうらしいよ、思い出すだけで喜ぶんだって。青い鳥という本に書いてありましたから」
するとKさんはしばらくじっと私を見てから、
「ありがとうございます」、「ありがとうございます」と、何度も繰り返えし、白い手を差し出してきました。
思いがけない反応に驚き、出された手を触れるように握ったあと戸口へ向かうと、
「ありがとうございます」
後ろからまた声が聞こえました。
高齢者さんに亡くなった人を思い出しますか、と尋ねると「はあ?」という返事が多い中、Kさんの反応は珍しいことでした。
彼女はどんな人を思い出すのか分かりませんが、意外なほど話を喜んでくれました。
そのことで彼女は幸せな人だと思いました。
昨日の父の話からKさんへ移りました。プライバシーのため設定などを一部を変えています。
今日は五つも2が付く日でした。
80才の誕生日に「Song for My Father」。
昨日の予告?通り本日無事に80才を迎えることが出来た。
高齢化で身体にほころびが出てくるのは好かないが、今日まで生きたことには思いもしなかった目出度さが去来した。
昨日は、お世話になった方々へのお詫びと感謝を記した。しかし肝心な親への感謝をすっかり失念していた。
仕事場で、「長生きできたのは先生のお陰です」と時々言われる。
そのようなときは、「いやとんでもない、なによりあなたの親が良い体に生んで呉れたんですよ」と応える。
すると不思議そうな顔をされた後、あ、そうですかね、と仰り、どこか嬉しそうな表情が浮かぶ。
歳をとると親の事などどんどん忘れる。しかし時には、自分にも親が居たんだ、と思い出すと一瞬幸せな気持になる。
ホレス・シルバーのコンボで「Song for My Father」
浪人時代の正月、ホレス・シルバーが来日し、
学生服を着てサンケイホールへ聴きに行った。
80の誕生日にあえてこのような「父への歌」を挙げさせてもらった。
後付けで申し分けありません、ホレス・シルバーは以下のような感じの人です(2月4日)
1961年(昭和36年)正月、東京公演滞在中の一コマ
(「東京ブルース」のアルバムジャケットから)。
幸せそうなシルバー。
当時黒人は米国ではまだ差別に遭っていたようですが、シルバーは日本でとても歓迎されました。出光石油の令嬢がすき焼きに誘うなど、熱気あふれる当時の様子が今はなきスイングジャーナル誌に掲載されました。
ところで自分の誕生日2月1日は父と同じ。苦手な干支も一緒の馬。珍しいなど色々言われたが、ともに寒い時期に生まれたんだな、という感慨はあった。
それより、後年私が大学を卒業する年、上京した父はタクシーの中で、
「長いこと嫌いな勉強をさせて悪かったな」と突然言い、とても驚いた。
勉強は嫌いではなかったし、むしろ面白いと思っていたのであまりに唐突だった。
だが考えてみれば学業優秀、もっぱらベートーベンを聴いた父。自分は上掲のような音楽ばかり聴き、盛んに部活をするなど、勉強嫌いに見えていたならその通りだったのだと思う。
ただ父の言葉にどこか心身の弱りを感じてしまい、車中とても申し分けない気持を覚えた。
さてなんとか男の平均寿命に達した。
しかし昨夏の事を考えれば、到達はそう容易でないことも知った。
これでようやく一人前になれたのかもしれないし、
先はそう長くはないかもしれないし、これからが本番かもしれない。
いずれにしても今日あることをあらためて親に感謝したい。
誕生日めし、妻のかに玉丼
本日から高齢者向け三回目ワクチンが始まった。本日は24人で合計は360人だという。今回は倒れないようにしなければ。
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