卯の花の季節 夏は来ぬ。

2015年5月28日(木曜日)

卯の花の 匂う垣根に
時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

小山作之助作曲・佐佐木信綱作詞「夏は来ぬ」の清々しさはこの時期にぴったりだ。

一帯でホトトギスの声は聞けないが、卯の花は真っ盛りとなった。

卯の花高速道路の土手で満開の卯の花。
作之助が当地の人のせいか大潟の区間に沢山植栽されている。

話変わって、本日見えた同級生の男性患者さんは若々しいブルーのチェックのシャツを着ていた。
よく似合うじゃないの、と言うと。
「孫のお古ですわ、今の若いもんは一年着るとポイだもんね」

特にお爺さんたちは、よく息子さんや孫さんのお古を着ている。
不自然でもなく似合っているから不思議だ。
女性も娘さんたちのお古で来られることがあるが、男性ほど多くはないかもしれない。

私の世代は古いものを有り難がり、10年、20年前のものを喜んで着るのではないだろうか。
夏を迎えているが、年と共に半袖を着るのが遅くなり少々情けない。

 

ヤマボウシいまカフェの前のヤマボウシも満開。
今年は特に花つきが良い。

貴重な水、貴重だったポンプ。

2015年5月27日(水曜日)

暑くなり、水が貴重な季節になってきた。
地元上越市大潟区は沿岸の砂丘地で、地域によって昔から水で苦労してきた。

私が小学校低学年の頃まで、我が家は100メートルほど先の井戸から水を運んでいた。
水を汲んだ桶をテンビンの前後に掛けて担ぐのである。
水汲みは嫁が行い、重い桶は揺れるし途中に坂もあって辛い仕事だった
佐賀県出身の母は「越後に来て雪で悩むのはいいが、水で苦しむとは思わなかった」と言っていた。

先祖が井戸を掘ったらしいが、出なかったと伝えられていた。
見かねた父は名人という「井戸源」さんに頼み、夏に向かって井戸掘りを始めた。

組まれたやぐらの滑車を使い、ロープをくくり付け、枠で囲った穴へ降りて行く井戸源さん。
やぐらの脇には掘った土砂が日に日に高く積まれていった。
学校から帰ると「出た?」と毎日母に聞いた。
出てもいい深さを十分越えても駄目で、母は井戸源さんが心配だとよく言った。

それがある日ついに「出た」。
きれいな水を期待したが、実際は茶色く濁っていた。
それでも何日かすると澄んできて、水はとても冷たかった。

鉄管と電動ポンプを取り付て高い水槽にくみ上げ、水道組合を作り近隣に配管した。
深井戸のせいでどんな年も涸れることなく、後々まで父は感謝された。

ポンプ (2)空き地に残されている手こぎポンプ。
ポンプは畑でよく見るが、旧国道沿いの空き地のは家庭で使っていたものだろう。

後に自治体の水道が整備され、わが家の井戸は厚いフタをされてそのままになっている。
事情によって家が壊された沿道の空き地に、ぽつんとポンプだけ残されているのを目にする。
貴重だった水、貴重だったポンプが潰されずに残っているのも分かる気がする。

楽しかったスターバックスコーヒー上越店 「一周年アニヴァーサリー」の音楽会。

2015年5月26日(火曜日)

今夜8時からスターバックスコーヒー上越店二階で「1周年アニヴァーサリー」の音楽会があった。
初めて入った店、、、ああ若者達はここに居るんだと思った。

読書、pc、物思い?おしゃべり、みな居ずまいが様になっている。
美味しいイチゴのフラペチーノを突っつき、かつての「アカシアの大連」を読み返しながら開演を待った。

いつしかフロアーは満席の上、ぐるりと立ち見となっていた。
上越教育大学の5人の学生さんの演奏は実にはつらつとして、楽しい一時間だった。

踊り場の窓踊り場の窓

行列入場の行列。

チャルダッシュ見事なチャルダッシュ。

ドュエットめいっぱい楽しいデュエット。

フィナーレフィナーレ。

どんどん成長される皆さんは眩しかったです。
皆さんの幸福な道程、どうかいそしみ励んでください。

間もなく夏 お詫びとお知らせです。

2015年5月25日(月曜日)

かなり気温は上がったが蒸すこともなく朝夕は涼しかった。

五月も最終の週に入り、以前なら月日は早すぎると不平を言っていたと思われる。
しかし何故か最近早く感じられても、あまり不平を言う気が起きなくなった。

不平を言っても仕方が無いというのもありますが、近頃は、
飛行機に乗って自分と地上の一日を見ているような感じがしないでもないのです。

西の方角今夕の四ツ屋浜。

東の方角入り陽と反対方向の空です。
雲の形はいつも様々で意外でもあり、楽しみです。

 

 
「Byond The Sea」。シャンソンの「La Mer(ラ・メール:=:海)」の英語版です。
シャンソンは海の詩情を歌っていますが、
当英語版は、海の彼方で自分を待っている人がいる、という憧れを歌っています。

〈さてお詫びがあります〉
6月は「陶齋の器でお寿司を食べる初夏の会」を第一週と第四週の土・日に予定し、お知らせして参りました。
しかしこのたび主催者の事情によりまして、日を変え(6月21日、22日)の二日開催に変更させて頂きました。

以上謹んでお詫びしてお知らせ申し上げます。

 

昨日土曜日のこと 「あかね」で佐渡は十分勝負できる カフェの名椅子「セブンチェアー」。

2015年5月24日(日曜日)

昨日土曜陽の夕刻は陽も雲も良く、美しく暮れた。

小木-直江津航路の佐渡汽船カーフェリー「あかね」が今年4月から就航している。
カタマラン(双胴船)というかってない斬新な船形は是非とも見たいと思っていた。

時刻を調べてみると18:10分に直江津港に着くという。
昨夕はきれいな夕焼けが期待されたので時間に合わせて家を出た。

直江津港で待つことしばし、時間通りに美しさと迫力をもって姿を現した。

 

017 - コピー直江津入港の優雅な「あかね」。

カタマランは速度と安定性に優れている。外観の魅力とあいまって「あかね」には夢がある。
実際に片道60分もの時間短縮を果たしている。
このように思い切った更新は佐渡汽船、ひいては佐渡観光のために大いに期待される。
船旅、農漁村とトキ、清々しい空気と海、哀愁の佐渡おけさと相川音頭、食と継承文化、佐渡は十分北陸と勝負出来る。

 昨日のカフェ昨日のカフェの様子。

さて皆様が樹下美術館のカフェで座られる椅子はデンマークのフリッツハンセン社製「セブンチェアー」です。
「7」の文字を対称性に組み合わせた形の背もたれからその名が付けられました。
名手アルネ・ヤコブセンがデザインし1955年に発表され、以来今なお世界で人気を博している名椅子です。
すでに700万脚が出荷されたそうです。

コピー商品も多くあるようですが、当館は開館時に直営店から17脚を入れました。
外見の美しさもさることながら、安定性と包まれるような安心感から長時間でも疲れません。

さすが名品です。
どうかご来館のおりには、あらためて眺め、そして座ってみて下さい。

明日で20才を迎えるという日に猫が。

2015年5月23日(土曜日)

昨年の3月24日のブログで、もう19才、人間では100になるという猫の事を書かせて頂いた。
ある農家でのことだった。

お宅の大おばあさんは既に100才を迎えていた。
「競争しているんでしょうか」
若いおばあさんが仰った。

猫昨年私には子猫に見えた間もなく19才の猫さん。

ところが先日の訪問で、1年経った4月下旬、
その猫が20才の誕生日を迎える前の日から居なくなったと聞かされた。

以下若いおばあさんのお話。
〝一ヶ月ほど弱りが見えていたところ、先ず誕生日の一週間前に一度姿が見えなくなった。
その時は集落の神社で見つかり、かなり遠い所だったので皆で驚いた。

家に連れ帰り、ようやく明日が20才と言う日に再び姿を消してしまった。
手を尽くして探し、二三見かけた人もいたが音沙汰なくひと月近く経った〟

「だめでしょね」

「どなたが一番可愛がったのですか」

「私です」
寂しそうにおばあさんが仰った。

猫は人目に付かない所で最後を迎えると、子どもの頃から聞いていた。
家から出ない猫なら別だが、出入りするならそのようなこともあるように思われる。
何故だか分からないが、最後は奥底の野性に導かれるのだろう。

眠りを好み喉を鳴らしてまどろむ一方、突然小動物に襲いかかる猫。
密かな猫足、静かな気配、すり寄りなど、独特の生態には犬とは異質の存在感がある。
このような動物を20年も可愛がり一緒に暮らせば、喪失による悲しみははた目以上に深いにちがいない。

それにしても20才の誕生日が近づいた日、神社へ行ったという話はある種猫の神格性を物語るようで興味深い。
かって猫は養蚕に於ける鼠の害を救い、農家の貴重な現金収入を補償した。
このことで猫を祭る神社は各地に少なからずあるらしい。
弱りを迎えた猫が神社に行ったと聞いて、独特な次元に触れたように思った。

如何に愛されても何も言わない、残さない猫。
挨拶して玄関を出るときの、おばあさんの悲しげな立ち姿も目に浮かぶ。

倉石隆「男の像」の額装 すっきりしている関川の路傍。

2015年5月22日(金曜日)

4月下旬に倉石隆作「男の像」が樹下美術館の新たな作品として加わりました。
当初、作品は額が無く簡易な仮枠がついていました。

数日後、展示に向けて額を付けたいと考え上越市本町の大島画廊さんで枠を選び額装をお願いしていました。
これまで何度もこの様な作業を行ったことがありますが、いつも難しいと感じます。

見栄えが良すぎるものでは作品が冴えなくなり、個性が強すぎると不調和が生まれます。
本日額装が出来上がり取りに伺いました。

額装彫り模様がついた細めの渋い銀色の額が付きました。
欲求不満の大男がやや可愛くなったようでした。

私としてはうーん少々締まりが足りなかったかな、と感じましたが、
展示向きに控えめな飾りを施させて頂いたということで納得する事にしました。

さて画廊の帰り道稲田橋にさしかかると、関川と妙高山が大変気持ち良く見えました。
そこで稲田小学校の方へ土手の道を曲がって見てみました。
山や川はもちろん美しかったのですが、足下のシロツメクサがイネ科の草に混じって揺れるのも可憐でした。

稲田橋付近のシロツメグサ可憐な路傍の草花。
感じが良かったので、ブログのヘッダーにしばらく用いることにしました。

路傍が荒れずにすっきりしているのは、市がほどよく草刈りを行っているからでしょう。
県道なども含めほかの地域にも、このような配慮が行われてほしい、と心から思いました。

田んぼの燕と雲を見ながら昼食 どうする爽やか、清々しい。  

2015年5月21日(木曜日)

晴れて暑からず文字通り風薫った木曜日。
午後の休診のデッキは雲も風も爽やかだった。

俳句で「爽やか」は秋の季語だが、音が少なく濁らない分親しみやすい。
それで本日のように気持ちの良い風光は「爽やか」と言ってみたくなる。

爽やかな香り、爽やかな色、爽やかな人などがあるため余計である。
しかし一旦季節となると秋限定とされる。
同じように初夏なら「清々しい」とするというのも、意識されると少々窮屈さを否めない。

さわやか→秋は文学上の区別だとすると、その明確な訳(説明)もあったのだろう。
だが果たして民間の日常語として、古来からこのような区別があったのだろうか。
音数が制限される俳句においては、このような決まりは役立つこととは思うのだが、、、。

 

雲雲が吹き上がる南方の関田山脈、その向こうは信濃。

 

ツバメ3 ツバメが何羽も飛び交う。
もう若鳥が混じっているように思われた。

 

 

ベンチでホットサンド水が張られた田んぼを見ながらデッキのベンチで遅い昼食。

ホットサンドは通常4切れですが、本日は2切れにしてもらい、紅茶はミルクと砂糖を入れました。

陶齋の呉須搔落どくだみ文湯呑(ごすかきおとしどくだみもんゆのみ)。

2015年5月20日(水曜日)

先日樹下美術館に齋藤三郎(号・陶齋)の湯呑が新たに加わりました。
呉須(酸化コバルトを主成分とした鉱物顔料)による青い器です。
顔料を全体に掛けた青い地を、クギで掻いてどくだみ模様を見せています。
※呉須は染付(そめつけ)と呼ばれる藍色の器の絵付け全般に用いられます。

 

呉須どくだみ文湯呑呉須どくだみ文湯呑
高さ7,4×口幅6,0㎝
この様式は樹下美術館では初めてでした。

湯呑を見て新潟県立近代美術館で何度か見た呉須搔落牡丹文瓶(ごすかきおとしぼたんもんびん)をすぐに思い出しました。

昭和18年、中国への出征前に製作されたとされるこの瓶(びん)の青の美しさは、印象的でした。

 

呉須搔落牡丹文瓶陶齋作「呉須搔落牡丹文瓶」
「泥裏珠光 越後の陶齋」 齋藤旬堂著 毎日新聞社 1998年10月5日発行 より。
当作品は現在新潟県立近代美術館に収蔵されています。

このたびの湯呑は青い地のほか、文様を掻き落としているところと線を加えるのも似ていました。
陶齋の呉須は貴重な中国産で、唐呉須と呼ばれるものでした。

署名力のこもった湯呑の底の署名「齋」。
高田のかなり早い時期、昭和20年代中頃の作品かと思われます。

戦中、死を覚悟した中国への出征。
後に負傷するも命得て復員し、高田で築窯した陶齋が大切な呉須で作っ湯呑にちがいありません。
鮮やかな青、はつらつとした文様、しっかり決まった署名。
小さな作品ですが、再び作陶できる喜びが伝わります。

樹下美術館のカフェに来た蓄音機 往診カバンのライオン。

2015年5月19日(火曜日)

去る16日のSPレコードコンサートの後、持ち主のS氏は小さなルミエールだけ持ち帰られた。
そして次回のこともあり、大きめ方はカフェに置きましょう、いうことになった。

本日見ると、カフェの畜音機は周囲の本や食器、庭や自然と気持ち良く溶け合っている。

008憩っている風のHMV163蓄音機。
英国から日本に渡り恐らく幾人かの持ち主を経て柿崎へ、そして樹下美術館へと旅した。
激動の昭和時代から平成へ、往時の持ち主たちはどんな思いでレコードを掛けたのだろう

午後S氏ご夫婦が見に来られ「ああこここそ相応しい」と仰った。

 

004さて、これはあるご夫婦から頂いた往診カバンのライオンのマスコット。
本日健診で訪れた保育園で、子供達に注目されて幸せそうだった。

ニセアカシアの課題。

2015年5月18日(月曜日)

上越市の犀潟付近から大潟、柿崎の一帯は国道やJR線に沿ってニセアカシアが満開です。

樹木強力な繁殖を続けるニセアカシア。

白い花と甘い香りは大変魅力的ですが、この樹の旺盛さは一種深刻です。
成長が早く、根を張って増えるなど一旦植栽されると管理の追いつく暇がありません。
根が浅いため倒木しやすいうえ、他の草木を弱らせるアレロパシー作用も厄介な点と言われます。

結果として従来の森林構造と植生の多様性を損なわせ、独特の茂りを拡大させることが問題になってしまいます。

花清純に香る花は美しいのですが。
コントロールが難しいのです。

JR線に沿って以前にあった松の植栽が部分的に続けられています。
しかし植える後から付近のアカシアも進出し、一緒につる性植物などを繁茂させますので植林の成否が心配されます。

国は「要注意外来生物リスト」で「別途総合的な検討を進める緑化植物」の一つに指定しているようです。
葛やセイタカアワダチソウの繁茂などとともに、ニセアカシアの寡占は環境の荒廃として、
具体的な取り組みが必要ではないでしょうか。

事情は広く国土の問題の様相です。
里や野を巡るテレビ番組でも葛やツタの繁茂で荒れすさぶ環境が随所に見られます。
国の「ふるさと創生」は経済ばかりでなく、荒廃する「地域の自然環境の回復」も課題にしてほしいと思うのです。

樹下美術館 思い思いの日曜日。

2015年5月17日(日曜日)

風薫り気持ち良い日でした。

連休後静かだった美術館が、若い人を中心に賑わいを取り戻した一日。
皆様には作品の鑑賞、カフェの読書やおしゃべり、庭巡りなど思い思いに憩って頂きました。

ベンチで抹茶田んぼの風に吹かれてベンチのお抹茶は美味しそうでした。

 

庭の人ことのほか庭に目を向けられる方が多かった。
いよいよ緑濃くなったきました。

閉館後、芝生に液肥を撒きました。
良い日でしたね、ご来館の皆様有り難うございました。

HMV163 HMV460Lumiere(ルミエール) そしてお客様と雨上がりの夕暮れ。

2015年5月17日(日曜日)

5月の催し、蓄音機で聴くSPレコードコンサートが昨夜終わりました。

50名のお客様と、蓄音機とレコードが自然に三位一体となった一時間半でした。
主催が申すのも面はゆいのですが、選曲も上手く行き、一曲ごとに拍手が起こりました。
(江利チエミのテネシー・ワルツは「Come on-a My House」に変更しました)

015開演前のデッキ。
水田は一面に水が入っています。

 

021開演前の会場。
椅子を拭き、ファブリーズを少し撒きました。
正面のスリットから雨上がりの夕刻の光。

004 出番を待っている蓄音機。

 

049開演しHMV163(手前)の扉と蓋が開き、向こうにLumiere(ルミエール)の振動盤が立ち上がりました。

アンコールはショパンのワルツ第7番(アルフレッド・コルトー Pf)
およびアニー・ローリー(オイゲン・コスマン楽団)でした。

何でも昔が良かったとは言いません。
しかしあざみの歌が心に沁み、エルマンやフルニエ、そしてギーゼキングやコルトーが奏でた極上の音は、
密やかな息づかいとともに私たちの胸の奥へ響いたのでした。

次回は11月を予定しております。
ご来場の皆様有り難うございました。

明日の蓄音機によるSPレコードコンサートのプログラムが出来ました。

2015年5月15日(金曜日)

明日の蓄音機によるSP盤コンサートのプログラムが出来ました。

前半がクラシック、後半はスタンダード曲/歌謡曲/童謡です。
前半はS氏のレコード、後半は小生のものを掛けます。

クラシックはおなじみのものから、大変珍しいある種文学的な作品までバラエティに富んでいます。
後半はスタンダードと歌謡曲にしぼりましたら良い並びとなりました。

前半プロ後半のプロ手前味噌になりますが、滅多に聴けないプログラムになったのではないでしょうか。

このたびご参加できなかった皆様には秋に再び行う予定ですのでどうかふるってお出でください、お待ち致します。

蓄音機が来た 1970年ころの自分と会った人 シロバナシラン タカブシギ。

2015年5月14日(木曜日)

ヘッダーを季節に会うようにしました。
本日の午後のカフェです。

さて今夕A氏宅から方2台の蓄音機が運ばれ、いよいよ第二回の蓄音機によるレコードコンサートが近づきました。

貴重で有能な機械は保険を掛けて運送屋さんによって慎重に搬入されました。
お陰様でお申し込みが50名様に近づき、大変申し分けありませんが締め切りらせて頂きました。

016幸福の蓄音機は耳と心に染みこむ音を響かせることでしょう。
左・レコードキャビネットに乗ったLumiere(ルミエール)と右・HMV163の名器

 

シロバナシランシロバナシラン。
紫のシランのシロバナ種だがよく増える。
この花が咲くともう夏という感じがする。

 

タカブシギ夕刻の田んぼで見たタカブシギ(鷹斑しぎ)らしい鳥。
何羽もいました。

本日のお客様の女性が大学病院時代の私に会ったことがある、とおっしゃり本当にびっくりしました。
昭和40年代中頃から後半のことでしょう、偶然お父さんにもお会いし診察までしたそうなのですが、
全く覚えていませんでした。(病院は品川区旗の台にありました)

突然出てきた昔の写真を見るよりもリアルな懐かしさを覚えました。
自分が知っている(覚えている)自分以外に、他の人だけ知っている自分がある。
怖い気もしますが、45年前、私は今よりも元気だったようです。

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