上質の天一美術館 目の当たりにした谷川岳。

2014年11月23日(日曜日)

2週間前に妻の母の容態が変調し、月末の東京一泊における同級生との会食をキャンセルしていた。
嘔吐と肺炎だったが、幸い持ち直しに向かった。

そんな折り、美術館カフェの常連さんから水上の「天一美術館」の話を聞いた。
内容に強く惹かれた。
せっかくの連休、母の小康をみて急いで切符を手配し晩秋の各駅停車メインの日帰り旅となった。

訪ねた美術館は東京の老舗「銀座 天一」の創業者がそのコレクションを展示して1997年10月に開館している。

岸田劉生の充実した麗子像、さらに佐伯祐三の彌智子像と藤田嗣治の少女像の豊かな色彩に胸躍り、川喜多北半泥子の上品な侘びの陶芸に目を奪われ、小品ながらルオーやルノアールの油彩に驚きを禁じ得なかった。

吉村順三最後の設計となる爽快な建物と落ち着いた展示室、そしてロケーションの良さは聞いていた以上だった。
質を重視して選び抜かれた作品群は見る者の心を耕しかつ癒やされた。

行程は、ほくほく線普通電車で犀潟駅8;16発→越後湯沢へ、次いで上越線普通で→水上着。
予約した駅前レンタカで→「天一美術館」→谷川岳ロープウエイ&リフトで→天神峠→水上駅へ。
帰路、上越線普通で水上→越後湯沢→貴重な「はくたか」で直江津19:49着だった。

着後念のため義母を診て帰宅した。

天一美術館入場券天一美術館の入場券。

谷川岳遠景谷川岳遠望。

 天神峠の展望台から天神峠の展望台(1502㍍)から。
谷川岳頂上の笠雲はいっそう山の厳しさを感じさせた。

帰りのはくたか復路、越後湯沢で乗車した「はくたか」

おまけは、湯沢中里スキー場の休憩施設
ブルートレインの休憩施設 ブルートレインが使われ、風景とマッチしていて良いアイディアだと思った。
手入れさえ良ければ古い物のほうが旅情があり、推奨できる典型ではないだろうか。

上掲4点の写真はいずれも妻の携帯(スマホということでした)を借りて撮りました。

長く話に聞いていた魔の山・谷川岳を間近に見ることが出来て感激しました。
鈍行主体の日帰りでしたが、風景を見たり本を読むのに丁度良いと思いました。
それにしましても清水トンネルの轟音のすごかったこと、こんなに物凄かったでしょうか。

また水上から下り長岡方面への普通列車が極端に少ないこと、
水上駅前の多くの食べ物屋さんや喫茶店は午後5時ころから終了すること、に注意が必要だと思いました。

最後ですが妻との旅行の食事は、たいてい飛び込みの店で美味しく満足して食べています。
昼食は天神平のレストハウスでカレー、夕食は水上駅前のラーメン屋さんでした。

飽きなかった頸城野、小春日和の午後。 

2014年11月22日(土曜日)

本日午前のみの仕事だが、インフルエンザと肺炎球菌のワクチン接種で終始忙しかった。

この数日まれに見る好天が続いていている。
小春日和の午後、自ずと頸城野の田に足が向く。

食餌する白鳥の群、空に雁行、遠くに妙高連山や米山、尾神岳、現れては去るほくほく線の電車、刻々代わる空の色、、。
夕刻にかけて写真を撮り、飽きることがなかった。

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13名残尽きないほくほく線特急「はくたか」。好天のなか多くの白鳥の前を走り去った。

14突然現れたJRの展望車付カーペット列車・ジョイフルトレイン「NO.DO.KA」。
貸し切りのイベント列車として走った模様。

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本日の田んぼで連日記載しました蜘蛛の糸が幾すじも空に向かってなびいているのを見ました。
さらに当事者であろう極めて小さな蜘蛛と、それが舞い上がっていくのも見ました。

予定がありますので、もう一日お天気が持ってくれれば有り難いところです。

本日で長かった旧歴9月が終わる 晩秋の田を被う蜘蛛の糸。

2014年11月21日(金曜日)

旧歴の話で恐縮ですが、本日11月21日が閏(うるう)九月の末日、長い秋がようやく終わります。

九月がふた月続き、十三夜の名月が二度あった閏9月は1843年以来171年ぶりということでした。
次にこの年が来るのは95年後の2109年だそうで、奇妙な時間感覚に包まれます。

このことで言いますと、以前上京日記で書きました小生の高祖父・玄作(1818-1874年)は25才の時に閏9月を経験したと考えられます。
「ああようやく9月が終わる、長かったなー」などと言ったかもしれません。
その後の閏九月は171年経った今年で、偶々不肖小生が迎えました。
玄作爺さんが〝どんな人間が次の閏9月を迎えるのだろう〟と考えたとしますと、私などで良かったのか心配です。

では私の子孫のどんな子が95年後次の閏九月を迎えるのでしょう。
少なくとも2~3代先までかかるかもしれません。
はたしてそれまで私の子孫と名乗る者が繋がっているかどうか。
その前に日本が無事立国しているかが問題、などということだけは無しにして頂きたいのです。

さて以下は昨日の当館のモミジです(まだ紅葉が目立つ木を残して雪囲いが始まりました)。
今年の当館の紅葉は例年よりもきれいだったようです。

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ところで昨日頸城区で白鳥を見た田んぼは、一面細かい蜘蛛の糸のようなもので覆われていました。

このような景観を初めて見たのですが、やはり糸は蜘蛛のものらしいのです。
ある蜘蛛は晩秋の小春日和や春先の良い日に、空中に糸を飛ばす生活史があるそうです。
飛ばした糸が風に乗ると自らもそれと一緒に運ばれ、遠くで新たな生活をするということのようのです。

目にした糸はこのことと関係があるように思われました。
風が弱いためく舞い上がらずに田んぼを被っているのかもしれません。
農家の方や昆虫に詳しい人にもう少し聞いてみたいところです。

5本日の田んぼと蜘蛛の糸。
ひこばえがあり、水がひたっている一部の田んぼで見られるようでした。
この糸は弱くて、産卵する赤とんぼが触れも平気でした。

晩秋の風物詩とし、糸がが飛ぶのを「雪迎え」と言う地方がある模様です。

夕刻のほくほく線 金色のたんぼと白鳥。

2014年11月20日(木曜日)

やっと晴れた晩秋の日、午後休診日だが施設のインフルエンザワクチンの接種があった。

それを終えて美術館のカフェへで、常連さんと沢山話した。

その後ほくほく線の電車を撮りに近くの田圃へ。
白鳥の群がいたので電車を入れようとするが中々難しい。

ところでよく見ると田圃は一面に細い蜘蛛の糸のようなものが掛かっていた。
落日が迫るとそれが金色に光った。

042普通列車と白鳥は相性が良さそう。

 115名残惜しいほくほく線特急「はくたか」と白鳥の群。

055刈り穂の田一面に非常に細い糸が張り巡らされていて、陽を浴びると光る。
蜘蛛の巣であろうか、獲物は何だろう、とにかく初めて目にした。

 164逆光の白鳥たちは波の上にいるようであるが、光っているのは蜘蛛の糸。

もう数日は晴れるらしく何より有り難い。

明日は晴れる。

2014年11月19日(水曜日)

本日寒かったのですが、風は止みました。
連日の季節風と時雨、夜間しばしばのカミナリには少々閉口しました。
しかし明日は晴れるということ、楽しみです。

妙高高田方面本日午後遅く低い雲間から沢山の光芒が見えた高田妙高方面。
光芒には「天使の階段」の言い方もあるようですので幸せな情景に見えました。

日没間近日没直前の直江津、西頸城方面。
帯状に濃い茜が射していました。

ようやく明日から一両日晴れる予報になりました。

旧国鉄の美しい制帽。

2014年11月18日(火曜日)

本日お年寄りのめまいで急な往診がありました。
処置を終えますと室内にとても姿の良い二つの帽子が目に留まりました。
お年寄りは長く旧国鉄に務められた方で、当時の制帽でした。

帽子の写真を撮らせて下さい、とお願いしてお借りしてきました。
手に取ると引き締まったデザインにしっかりした作りでほれぼれです。

二つの帽子撮影した二つの帽子。向こうは昭和30年代、手前は昭和50年代の貸与日付がある。

 徽章桐に動輪の重厚な帽章。

巨大組織でありながら「一家」と呼ばれた旧国鉄。
格好良い徽章と帽子はその家族のシンボルであり誉れでもあったのでしょう。

午後、外出から帰ると往診先の奥さんが薬を取りに見え、
「もう一つありますので先生にあげて下さい」と銀色徽章の制帽をもう一つ持ってこられたと聞きました。
随分具合が良くなったそうで安心し、頂いた帽子は大変恐縮しました。

頂いた帽子頂いた貴重な帽子。4型 昭和54年3月貸与とありました。
いずれも美しく大切に手入れされていました。

夕刻、帰った妻が嬉しそうにしている私を見て、かぶった写真を撮りましょうか、と言います。
写真はともかく庭仕事などで是非かぶってみたいと思っています。

旧国鉄の制帽をかぶれるなんて思いもよらぬこと、この冬またひと頑張りです。

岩の原葡萄園棚橋社長とのひと時 齋藤三郎と親方・鳥井信治郎。

2014年11月17日(月曜日)

午後、岩の原葡萄園の社長・棚橋博史さんが来館されました。
今年、坂田敏社長の後を受けて赴任され大忙しの最中でした。

氏は2010年7月、サントリーホールディングスの当時副社長・鳥井信吾さんと共に当館を訪ねてこられ、
さらに高田における岩の原ワインの会で何度かお会いしていました。
本日あらためてご挨拶と仰り、とても恐縮しました。

ご一緒の時間は楽しく、氏の優れた経営者と学者の感覚、さらに夢ある少年の心が伝わるお茶でした。

冬木立カフェから見えていた空は初冬の模様。裸木もまた趣でした。

サントリーさんと樹下美術館の縁は、第二次大戦前における齋藤三郎とサントリー創業者・鳥井信治郎との関係から始まっています。
富本憲吉の元から独立していた三郎は信治郎氏が宝塚の雲雀ケ丘に開いていた壽山窯に昭和15年に迎えられ、同17年まで活動しました。
戦後、鳥井家と三郎の縁は続き、サントリーが経営参画していた上越市岩の原葡萄園の名ワイン「深雪花」のラベルは三郎の絵画から選ばれました。

鳥井信治郎は今年の人気朝ドラ「マッサン」で大阪船場の鴨居商店の熱い才覚の人、親方・鴨井欣次郎として登場しています。
壽山窯時代20代なかばの三郎は、晩年にかかるその欣次郎(信治郎)に認められたことになります。
文化事業に厚いサントリーと創業者。
二人の間にどんな会話があったのか、想うだにわくわくしますし、あらためて三郎(陶齋)を飾れることを誇りに思います。

・鳥井信治郎(1879-1962年)
・齋藤三郎(1913-1981年)

壽山荘同人作品展案内面戦前、阪急百貨店における作品展「壽山荘同人 陶器 絵画 作品展」の案内。

壽山荘同人作品展案内裏同案内に壽山荘同人として紹介されている7人の作家(多くは器に絵付けをした日本画家)。

紹介の最後に齋藤三郎があり、
「斯界の大家富本憲吉氏につき作陶法を修められ、毎年の国展に出品れれる方。壽山窯現在の責任者でゐられます」と書かれています。
案内文によりますと、齋藤三郎作品、画家たちが絵付けした器、およびその方達の絵画が展示された模様です。

リンゴのタルトカフェにおける棚橋社長とのひと時。

川上善兵衛と岩の原への思い、気に入っている高田、母校のこと、京都や山崎や琵琶湖のこと、ボルドーのことなど話尽きませんでした。
貴重なお時間、誠に有り難うございました。どうか長く長く当地でご活躍ください。

ほくほく線特急「はくたか」 思い出は美しく。

2014年11月17日(月曜日)

昨日日曜日、くもり時々晴れ間があった日。
貴重な蓄音機プレーヤーをお貸し下さったA氏ご夫婦が見えてくださっていた。

樹下美術館を心から支援くださる方達が少しずつ増えていて力強く感じられて本当に有り難い。

昼食のあと久し振りにほくほく線の高架へ行ってはくたかを撮った。
あと4ヶ月の眺め、今後1,2回ははくたかに乗る予定があるがぜひ成就したい。

はくたか本日曇り空を背景に颯爽と現れた「はくたか」。
間もなくお別れとなる列車。それが「美しくて良かった」と思っている。

ところで来年3月北陸新幹線開業以後、ほくほく線には超快速列車が走行すると発表された。
「はくたか」に代わって直江津-越後湯沢を1時間で結ぶという。
「上京に際して北陸新幹線にするか、ほくほく線+上越新幹線か」はやや悩ましい問題。

私のような直江津以北の頸北地域に住む者でも、車で上越妙高駅まで行くと北陸新幹線には乗り換えなしのメリットがある。
但し問題は雪の季節であろう。

一泊(日帰りでも)して帰ったら、駐車場の車が雪に埋まっていないか、が心配の種なのです。
(タワー駐車、地下駐車などあれば少し安心なのですが)
冬場の上京は、やはりほくほく線超快速(愛称未定)→上越新幹線が無難なのか、、、。

さてその超快速列車の愛称が募集されていて、私もいくつか応募してみたいと思っている所です。

盛会のSPコンサート 上越あなどるなかれ。

2014年11月15日(土曜日)

初めてでも有り、随分宣伝させて頂いていた「SPレコードコンサート」が盛会のうちに終わりました。
ご来場の一部の方には隣のホールで聴いて頂かざるを得ませんでした。

さてハイフェッツのスラブ舞曲を聴き、コルトーのショパンのノクターンを聴きました。
それから10数才の美空ひばりの越後獅子を聞き、14才の江利チエミのテネシーワルツを聴きました。
これらがみな最高の蓄音機から最高の状態で流れたのです。

蓄音機二台の蓄音機、向こう側はルミエール。

皆様お集まりの皆さん。

プログラム後半のとんがり帽子、みかんの花咲く丘では、
ハミングが始まり、鼻すする声さえ聞こえました。
「南国土佐・・・」で、後ろで踊りおどる人もいたのです。
音楽の臨場感、その本質において蓄音機はCDを凌駕するのではないか、と心底思いました。

「いやー、音楽は一つですね。3大B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)しかないと思っていたのが完全に間違いだったことを知りました」
とある方が仰いました。
なるほど本当にやってよかったなー、と思うのです。

若いお客様も見えて今夜ここだけの話になりますが、上越あなどるなかられ!日本もまだまだ捨てたもんじゃない!と、勝手に主催者の手前味噌的妄想を広げた次第です。

実はこの会を1年に1回、来年も今頃と漠然と考えていました。しかし本日蓄音機を提供された友人はもっとやりましょう、と言いました。来年4月、桜のころ、そしてそ   れ以後もまた開きたいと思っています。
本日はご来場の皆様、スタッフの皆様、蓄音機とレコードの厚い協力を頂きましたSさん、本当に有り難うございました。

波浪と時雨とヤブコウジ。

2014年11月14日(金曜日)

連日の季節風は台風並み、というより当地では台風以上の強さ。
叩くような時雨(しぐれ)も容赦ない。
いっとき、あられも混じったという。

庭の傍らのヤブコウジはほっぺを真っ赤にして集まり、
固い葉っぱを傘にかかげ身を寄せ合い、吹き寄せる枯葉を抱えて暖まる様子です。

 

防波堤の波2まるで獣の如く小さな漁港を襲う昨日の波浪。

ヤブコウジ真っ赤な実を沢山付けていた先日の樹下美術館のヤブコウジ。
今年は例年より実が多いと思われます。
わずか15~20㎝ほどの背丈ですが、草ではなく樹木なのですね。
荒れる空の下、こびとのようなヤブコウジたちは怠りなく冬仕度です。

明日はいよいよ蓄音機によるレコードコンサート。悪天候かもしれませんが、会場は皆様の熱気で暖かくなることでしょう。

SPコンサートのラフプログラムが出来て。

2014年11月13日(木曜日)

15日(土曜日)の手回し蓄音機による「SPレコードコンサート」がもうすぐになりました。
本日午後、ご協力頂いている同僚とおよそ以下の様な選曲をしました。

G線上のアリア(バッハ)  ミッシャ・エルマン(V)
スラブ舞曲(ドヴォルジャーク) ヤッシャ・ハイフェッツ(V)
タンブラン・シノア(クライスラー) フリッツ・クライスラー(V)
ノクターン Op9-2(ショパン)  アルフレッド・コルトー(P)
ロマンス-キプロスの女王ロザムンテ-(シューベルト)  エレナ・ゲルハルト(Ms)
星は光りぬ -トスカ- (プッチーニ)  エンリコ・カルーソー(Tn))
ヴォルガの舟歌(ロシア民謡)  フィヨードル・シャリアピン(Ba)
トッカータ  ト長調 アダージョ(バッハ)  パブロ・カザルス(Vc)
・・・・・ 休憩 ・・・・・
Boppenpooh Song ルイ・アームストロング
スター・ダスト アーティ・ショー楽団
霧のロンドンブリッジ ジョー・スタッフォード(歌)
青いカナリア  ダイナ・ショア(歌)
テネシー・ワルツ 江利チエミ(歌)
越後獅子の歌 美空ひばり(歌)
南国土佐を後にして ペギー葉山(歌)
とんがり帽子 川田正子(歌)
みかんの花咲く丘 川田正子(歌)

144蓄音機が二台揃いました。
右の蓄音機は全館に響くほどの音量があり、左は静かに聴く時間に合います。

夕暮れの樹下美術館荒天だった本日、夕刻の樹下美術館。

SPコンサートお陰様で現在、定数を超えて65人のお申し込みを頂きました。
せっかくの機会と思い、70席をご用意することに致しました。
ご希望の方は樹下美術館へお電話ください。
☎025-530-4155

イタヤカエデを植えた 何かを育てるのは張り合い、あるいは本能。

2014年11月12日(水曜日)

昨日11日は火曜日で樹下美術館は休館でした。
先日記載しましたイタヤカエデが年々立派になるのを見て、あと二本はほしいと考えていました。

さいわいネットの通販に1,5jメートルの苗が出ていましたのでそれを求め、
昨日お天気だった休館日に植えたという訳です。

044一本はカフェから見て正面奥に植えました。

046二本目は美術館左脇、もともと黄色のまだ幼いモミジがあった所を選びました。
イタヤカエデはしばらくすると1年に1メートル近く伸びるようになりますので楽しみです。

047その小さなモミジを美術館の真裏、館内の細いスリットから見える所に移しました。
(いずれも支柱をもっと丈夫にしたいところです)

ところで70才を何年か過ぎて樹を植えるのでは、その成長を見る時間はたいしたものてはありませんね。
しかし一般に花や野菜、稻や樹、人や仕事あるいは趣味など、わずかでも何かを育てたい、という心境は年と無関係のはりあいで、
ある主本能の如きものではないかと感じられるのです。

かなり昔のことですが、長くお孫さんのお弁当を作っていた高齢のおばあちゃんがいました。
お孫さんは高校卒業後、都会の大学へ進学しました。
するとおばあちゃんに明らかな鬱が現れて進行したのです。
大学に受かったのだから喜べばいい、と家族は慰めましたが、最後は肺炎で亡くなられました。

日中お天気は持ちましたが、夜に入り予報通り風が強くなってきました。

青い鳥その3 「子供」と「光」が主役のとても良い本でした。

2014年11月11日(火曜日)

「ああ、早く明日がこないかなー」
ふと耳にした小1の孫Kちゃんの言葉から始まった私の「青い鳥」巡り
その感想文を二回も書いてしまい、面はゆいばかりです。
本日はその3、最終回にしました。

さてチルチルとミチルの1年に及ぶ青い鳥探しの旅(冒険)はクリスマスイブの夢でした。
しかし第12場(最終章)で、目ざめた兄妹に回りのもの全てが生き生きと美しく輝いて見え、
両親に強い愛情を覚えるのでした。
あまりの変わりように両親がいぶかるほどだったのです。

しかし旅の目的であった幸福の「青い鳥」を持ち帰ることは出来ませんでした。
ただ軒下の鳥かごを見ると、前からいた鳥がわずかに青みを帯びているのに気がついたのです。

ためしにそれを隣の病の娘さんに渡しますと、奇跡のように立ち上がり歩き始めるのでした。
ところが一瞬手を離した隙に鳥は飛び去ります。
チルチル「いいよ、泣くんじゃないよ。ぼくまたつかまえてあげるからね」
(舞台の前面に進み出て、見物人に向かい)
「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ぼくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから」

波乱に満ちた幸福探しの後にしては実にあっさりした結末で、この言葉で戯曲「青い鳥」は終わります。
物語のテーマは何だったのでしょう。

本に、運命と時間を背負って生まれた人間はとにかく進まなければならない、と書かれていました。
生きながら陰や恐れや病や戦の危機にさいなまれ、目の前の虚栄や金満や怠惰に迷い、
自らも自然を食する人間。
はたして幸福はどこにあるというのでしょう。

しかし著者は、幸福は探し回るものではなく自分たちはすでに囲まれていると述べます。
そしてそれが見え、気づくためにあるものこそ「光」であるというのです。

劇中第11場、別れたくないと泣くチルチルに「光」が言います。
「いい子だから泣かないで、わたしは水のような声は持っていないし、ただ音のしない光だけなんだけれど、
でも、この世の終わりまで人間のそばについていてあげますよ。
そそぎ込む月の光にも、ほほえむ星の輝きにも、上がってくる夜明けの光にも、ともされるランプの光にも、
それからあなたたちの心の中のよい明るい考えのなかにも、いつもわたしがいて、
あなたたちに話しかけているのだということを忘れないでくださいね」。

201301「青い鳥」 モーリス・メーテルリンク著 堀口大學訳 (株)新潮社昭和35年3月20日発行
平成18年11月30日50刷改版 平成25年11月10日57刷

青い鳥は1908年発表で、メーテルリンクは1911年にノーベル文学賞を受賞しています。
我らが堀口大學の、子供への思いにあふれる訳もとても良かったのです。

「青い鳥」その2 主として第10場・未来の王国。

2014年11月10日(月曜日)

本日は昨日の続きの「青い鳥」その2です。
大人が童話の感想を書くのは気後れしますが、
おじいさんならそこそこ許されるかもしれないということでご勘弁下さい。

さて貧しい木こりの子チルチルとミチル(映画ではティルティルとミティル)の近所に病気の女の子がいました。
ある晩、現れた妖女がその子を救える幸せの「青い鳥」を探すように告げると、2人は案内役の「光」はじめお供の犬や猫を連れて
幻想と真実の世界へ旅立ちます。

第3場〝思い出の国〟で亡き懐かしい祖父母に会い、第4場〝夜の御殿〟で様々な夜のシンボルたちを知ります。中でも扉の向こうにいた「戦争」は全力を尽くして防がなければなりませんでした。
続いて訪れた第5場〝森〟は木々と動物の国であり、彼らにさんざん恨みを言われたチルチルたちは捕らえられます。
ツタに縛られあわや殺されかかった時、「光」が現れて彼らを消しますが、〝自然の本音や怖さも覚えなさい〟と「光」が言います。

恐ろしげな第7場〝墓地〟は朝日とともにさわやかな情景となり、目ざめた小鳥たちは太陽と命の歌を歌いました。

その後一同は昨日の第9場〝幸福の花園〟を訪れ、本日はその続き第10場〝未来の王国〟です。
まもなく旅は終わるのですが、王国は誕生を待つ子供たちの国です。
未来であると同時に、かって私たちが居た所でありますので、私たちの過去の国と考えていいかもしれません。


未来の国
 未来の王国では、この世が終わるまでの子供達が生まれるのを待っている。
手前が「ルチル」と「光」。皆が、生きている人だ、と言ってびっくりする。

船出誕生が迫ると本では船に乗りますが、映画では白くて大きなつぼみのようなものに入る。

この章のテーマは「運命」と「時間」で、なかなか厳しいのです。
生まれる前の子供たちにはそれぞれ役割や運命が授けられていたり、役割を自ら考えるように促されます。
中に第九惑星(後の冥王星)の王となる赤ちゃんや、長寿の薬、未発見の光、翼を持たない飛行体、巨大な果物、純粋の喜び、
死の征服などを持っている子などさまざまです。

いよいよ夜明けが近づくと長いひげを生やした「時」が現れます。
「時」は本日生まれる子供を選んで送りだす絶対的な存在です。

出て行く子供の一人一人を見て
「また医者だって?もう沢山なのに地上は医者でいっぱいなんだ。正直な子供がほしいんだ。」
「何かを用意してこなきゃいかん。病気でも、大きな罪でも、しかたがない」
などとせわしなくせかします。

抱き合って離れない「恋人」の二人の子供の番がきました。
まず男の子の番ですが、〝行きたくない〟といいます。
女の子が、自分が生まれる時すでにあなたは死んでいる運命だから、離れたくないというのです。

「死にに行くんじゃない、生まれに行くんだ」
「時」が二人を引き離します。
「どうやってあなたを見つけたらいいの」
「ぼくはいつだってきみを愛してるよ」(本のせりふ)
「一番悲しい顔をしているのがぼくだよ」(映画のせりふ)

このように悲喜こもごもの出発の中で
〝時間に勝るものはない、運命はさからえない、とにかく信じて進むのだ〟と「時」は言うのです。
映画で誕生を迎える子供たちを包んだつぼみが閉じる直前、小さな青い鳥がすっと中に入るのが見えました。
(皆様は見えるでしょうか)
出発に際し、本には「深淵の底からわきあがるような喜びと希望の歌が、遠い遠いかなたから聞こえてくる」と書かれます。

この場の最後で、かげにいた「チルチル」と「光」は「時」に見つかります。
「光」はチルチルに向かって〝何も言ってはいけまんせん。私は青い鳥をつかまえました。ここを逃げましょう〟とやや謎めいたことを言って終わります。

後は第11場「お別れ」と最終第12場「めざめ」ですが、次回恐縮ながら少々の感想を追加させてください。

「青い鳥」その1 主として第4場夜の御殿と第9場幸福の花園。

2014年11月9日(日曜日)

さる10月27日の孫の一言「ああ、早く明日がこないかなあ」から始まった私の「青い鳥」探しの短い旅。
歯科医院の待合室で絵本「青い鳥」から始まり通販の絵本「青い鳥」へ、その後堀口大學訳の「青い鳥」を取り寄た。
途中清里区のプラネタリウムで「銀河鉄道の夜」を観て、やはり取り寄せのDVD「青い鳥」を観終えた。

その結果、言われるように〝幸福は探すものではなく、すでに身の回りの日常にある〟と具体的に教えられるのだった。

読み物としては大學が訳されたメーテルリンクの原典である6幕12場の戯曲が読み応えがあった。
DVDはかなり原作に沿っていて舞台劇を思わせる一種ミューカル風の仕立てだった。

以下長くて恐縮ですが読書メモとして翻訳本を追い、場面は映画の中からお借りしました。

さて青い鳥探しの旅はいずれも案内役の「光」(映画ではエリザベス・テーラー)が導きます。
「チルチル」と「ミチル」には「パン」、「イヌ」、「ネコ」、「牛乳」」、「火」、「水」がお供として続きます。

興味深かったのは第4場の夜の御殿と、第9、10場の幸福の花園と未来の王国でした。

008夜の御殿で、「戦争」が入っている扉を開くと武器を持った人間達が威嚇しながら出てくる。
御殿のあるじ「夜」(映画ではジェーン・フォンダ)が
〝一つでも出てきたら最後どんなことになるかわかりやしない〟
〝みんな総がかりで扉を押さえなければ〟と訴える。

夜の御殿には「戦争」のほかに「幽霊」「恐れ」「病気」「鼻風邪」「陰」「沈黙」などがいた。
一方で「星」「かおり」「鬼火」「ほたる」「夜露」「ナイチンゲールの歌」など愛らしい一群にも出会う。
最後はたとえようもなく美しい花園が出現し数え切れないほど青い鳥がいるが、捕まえるとみな死んでしうのだった。

036第9場の幸福の花園の「一番ふとりかえった幸福」たちが饗宴の果てに12回目の食事をする。
「光」は〝みんな愛想がよく、この人達にはちょっとのあいだ青い鳥が紛れ込むことがあるかもしれない〟
しかし〝危険で、あなたの意志をくじく恐れがある〟とチルチル達に告げる。

第9場の扉の中で先ず「お金持ちである幸福」「地所持ちである幸福」「虚栄に満ち足りた幸福」「渇かないのに飲む幸福」「ひもじくないのに食べる幸福」「なにも知らない幸福」「もののわからない幸福」「なにもしない幸福」「眠りすぎる幸福」「ふとった大笑いの幸福」などと出会う。彼らは〝我々はなにもしないことで始終忙しい〟と言う。
幸福と不幸の境目は曖昧で不幸に落ちていく幸福もいるということだった。

狂気の饗宴に危険を感じた「光」はチルチルの帽子に付いている真実が見える魔法のダイヤを回させる。
すると饗宴の場面が消え「めざめのばら」「水のほほえみ」「あけぼのの空の色」「こはくの露」「子供たちの幸福」「あなたのおうちの幸福」が現れる。

続けてキラキラした光ととも大勢の「子供たちの幸福」と出会う。
〝この世でも天国でもみな最も美しく装われていて、お金持ちより貧乏な人に「子供の幸福」が多い〟
〝あの子たちは急いでいる。子供の時間はごく短いからね〟という「光」と述べられる言葉が印象的だ。
私の孫の一言「ああ、早くあしたが来ないかなあ」の心情は、まさに急いで成長する子供たちのものなのだろう。

次いで「あなたのおうちの幸福」「健康である幸福」「清い空気の幸福」「両親を愛する幸福」「青空の幸福」「昼間の幸福」「春の幸福」「夕日の幸福」「蛍の光り出すの見る幸福」「冬の火の幸福」「雨の日の幸福」「無邪気な考えの幸福」が次々に出てくる。いずれも私たちの近くにあるものばかりだ。

その後で「露の中を素足で駆ける幸福が」連れてきたのは以下の「おおきな喜び」たちだった。
「正義である喜び」「善良である喜び」「仕事を仕上げた喜び」「ものを考える喜び」「もののわかる喜び」「美しいものを見る喜び」「ものを愛する喜び」が現れ、遠くに「人間がまだ知らない幸福」が見えるのだった。
「光」は言う、〝人が一番幸福なのは笑っている時ではないのよ〟と。

最後に「くらべものにならない母の愛の喜び」が〝金持ちも貧乏も関係ない、いつだって一番美しい喜び〟としてチルチルとミチルの母が現れる。
家で見なれた母よりずっと美しい人だった。
光との別れの時間が近づき「大きな喜び」達は「光」に感謝し涙する。

二枚の掲載写真は以下のDVDの場面から引用しました。

512bTrWWZ8L1976年米ソ合作映画、ジョンキューカー監督「青い鳥」

次回は第10場・未来の国に触れさせてください。

 

 

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