A3プリンター。

2014年3月18日(火曜日)

何かとお知らせが多いためA3が刷れるプリンターを求めました。A3は高いだろうな、と漠然と考えていましたがキャノンのiX6800シリーズが3万円台で買えました。
随分安くなったことに驚かされます。

当館のお知らせはコート紙の大きなポスターに印刷して大規模に張り出す用事はまずありません。およそワードや一太郎(私はいまだこれが好きなのです)でA4かB5のちらしを作って入館者様にお渡したり、館内や院内に掲示していました。

しかし掲示だけはA3くらいはないと、と思っていましたのでこのたびのプリンターに期待しているところです。

 プリンター手前が新調したプリンター、向こうはエプソンのES8500のA3スキャナー。

エプソンはスキャン専用で2002年前後に、自分の作品を取り込む為に買いました。以来本当にお世話になり今でも使っています。

次第に温まる樹下美術館。

2014年3月16日(日曜日)

日曜日の本日、終日寒く午後から時雨のような雨となった。
それでも昨日より多くお客様が来て下さり、中から15人の方が熱心に展示を見て下さった。

午後1時半に昼食がてら寄ると、知った方初めての方、いずれも嬉しかった。
少しずつ季節は暖まり、樹下美術館も温まるにちがいない。

140316のカフェ

合計8時間は絵を描いた。微細なチリや埃が知らぬ間に画面に付いている。
油絵だと後では取れなくなる。大きな絵なら構わないかもしれない。
しかし10㎝四方ないしハガキ2枚少々の小さな画面のチリはやはり気になる。

それをトゲ抜きで取りながらの作業の終盤は両肩に凝りと痛みを生じ、本日の作業を中止した。

倉石隆の男女 絵画ホールの青空。

2014年3月15日(土曜日)

寒かったが午後から陽も射した日、樹下美術館は今年の初日を迎えました。

初日はいつも静かで、今年も常連さん達とホームページをご覧になった方達だけのお客様でした。
午後は上越タイムスの記者さんが来られ、お茶を飲みながらお話をした後館内を巡りました。

興味をもってご取材いただき感謝しています。
本日は展示中の「倉石隆の男の像&女の像」6点の中から2点を掲載してみました。

みつめる73,0×52,0(1985年)男から「見つめる」(73×52㎝)。
エゴン・シーレ風の荒々しいタッチで描かれています。

夏の午後145,5×112,1(1981年)女から「夏の午後」(145×112㎝)
倉石氏らしいモノトーンの大きな裸婦像。力強い下肢が大変印象的です。
(記者さんもとてもいいと仰ってました)

以上に男女1点ずつを見ました。
かしこまる男性は倉石氏自身のようです。眼や手と全体に緊張とぎこちなさが漂います。
一方女性は力の季節・夏の午後を、強靱かつ伸びやかにくつろいでいます。

他の1点の女性も堂々と胸を張り、もう一点は感情豊かです。しかし他の男性の二点はそれぞれ声もなく沈黙しているのです。
男女、そして生命について倉石氏の洞察は鮮やかです。

皆様の印象はいかがでしょうか。
小ぶりなスペースに大小6点の男女、どうかご覧下さい。

009絵画ホールの天井はこのように半月に切られています。
設計者・大橋秀三さんの見せ所の一つです。午後から明るい青空が覗いていました。

明日から2014年の開館。

2014年3月14日(金曜日)

昨日の温暖から打って変わって本日の寒さ。雪もちらつきました。

ある種あっという間の2ヶ月余の冬期休館が終了し、明日から8年目の開館となります。
寒さが残るなか、雪の無い開館を喜んでおります。
劇的な変化はありませんが、陶芸と絵画の展示に今年なりの工夫を致しました。

倉石隆の絵画は「倉石隆の男と女」と題して油彩7点です。
齋藤三郎の陶磁器は昨年と一部を入れ替え「代表作」を続けます。
陶芸のキャプションを大きく致しましたのでお読みいただければ有り難く存じます。

大きなキャプション

 

 以下夜の館内ですので少々雰囲気が異なっています。絵画展示

 

陶磁器展示

 

手桶花生け今年も器に花を入れました。うっすらと館内に花の生気が漂っています。

カフェもお気軽にお使い下さい。
今年もどうか宜しくお願い致し申し上げます。

カフェにヘレンドの「ウイーンのバラ」

2014年3月13日(木曜日)

今年のカフェにヘレンド社(ハンガリー)の「ウイーンのバラ」(現代)のカップ&ソーサー2客が入ります。

緑のふち取りと小さなバラの爽やかな食器です。今までのカップ同様どうかお楽しみください。

「ウイーンのバラ」はハプスブルグ家だけで使われていたウィーン窯製作の紋様で、美しい妃エ リザベートに愛されてたパターンでした。後にヘレンド社に受け継がれてロング セラーになっていきます。
創立時代のヘレンド社はヘレンド村の小屋のような建物だったということです。しかし後にロンドン万博、ニューヨーク産業博覧会に出品するほどに成長し、世界で愛されるようになりました。


ヘレンドのウィーンのバラヘレンド社(ハンガリー)のカップ&ソーサー「ウイーンのバラ」

 

以下は今年の食器のラインナップです。

14カフェカップ表(大きくしてご覧下さい)

力が伝わらない復興支援。

2014年3月12日(水曜日)

2011年2月下旬からおよそ40日、新潟市知足美術館で小生の「ボタニカルアート展」が開催されていた。順調な出足に見えていた所、3月11日夕刻、仕事場で船に揺られるような異常に長い地震に見舞われた。

千葉のコンビナート火災などから始まったテレビは間もなく宮城県はじめ東北の大惨事を報じ始めた。リアス式海岸の美しい風光の地が信じj難い津波に蹂躙される様子を固唾をのんで見守ることになった。

震災に異次元的な打撃を与えたのは、原子力発電所のメルトダウン、水素爆発の最悪事故だった。

私たち夫婦には宮城県の身内が多い。その夜、音信途絶したままの弟一家が住む南三陸町は壊滅していると知った。
数日してネットに設けられた人捜しサイトで彼らの無事を知ることが出来、間もなく特設の電話所からようやく弟の声を聴いた。

現実,心情とも個展どころではなくなった。
地震当日、現地に降り始めた雪の映像は辛さと寒さを象徴して忘れることは出来ない。

昨夜は食後の数時間、来る個展の絵を描きながらNHKテレビを見た。
痛ましい犠牲者を出した家族の癒えない悲しみ。
根を下ろす場所の定めがつかない人々。
進んでいるのに実の上がらない復興事業。

戦争でもないのに放射能汚染されて苔とカビに朽ちゆく家。
人絶えた道を歩くイノシシ。
避難で全国に散らばった13万人の「戻りたい」率は当初の半分にまで減っている。
関連死の多さなどとともに原発事故は地震とは異質の困難を生み続けている。

被災の中で生まれた赤ちゃんが三才だ。
みな可愛い顔をしている。
沢山の亡くなった人の力を借りて生まれた子、とお母さんが言った。
お誕生日祝いは日をずらしている、とも。

〝大きな希望が示されて、新しい国を一つ作るほど力が注がれ、初めての州を
誕生させるくらいの復興〟

当時新潟市の個展会場に向かう高速道路で、多くの支援車輌を見ながらそんな願いを抱いた。

鵜の浜温泉の夕陽昨夕の鵜の浜温泉。月のように静かな夕陽。

目標があればアゲインストは支えになると考えよう。

2014年3月11日(火曜日)

昨日午後3月15日の開館を前にスタッフが集合してミーティングを行った。
ニケ月のお休みだったのでまだみな少々ぼんやりしている。
これから助走して一気に浮揚することだろう。

今年は展示とカフェで部分的な変化を付けるほか、4月の堀口すみれ子さんの講演会、春秋に陶齋の器で寿司の会が入る。

個人としては、4月にいのちの電話・桜茶会の席主、5月に個展と2冊の図録刊行、新潟市立美術館の講演が待っている。

本業の医療は不断であり、今年は人生後半の大きな山を迎えそうだ。

展示準備作品を出す。

カモメのソアリングミーティングの帰りは海へ出た。強風に向かって次々にカモメが西に飛ぶ。
風速20メートルにもなる中、わずかの羽ばたきで風上へ向かう。

薄いカモメ後ろから見るとこんなに薄いのに、飛翔は驚くほど安定している。
波を通過する上昇気流に突っ込み高く舞上がり、再び下降しスピードを得て波上に突っ込む。

若い時代、ヨットに乗ったが、アゲインスト系の風で艇は安定的に走る。
逆に後方から押される風の場合、スピードは出るが不安定となる。

年取ってアゲインストはきつい。しかし安定的な前進を促す要素であると認識してみよう。

盛大だった小山作之助生誕150年記念イベント 特別展とコーラス。

2014年3月9日(日曜日)

本日午後ミュゼ小町で大潟区出身、小山作之助生誕150年記念特別展を見てコーラスおおがたの合唱を聴いた。

場内入り口 (1)案内

展示は大変丁寧で、日本の音楽教育の黎明期を実直に歩んだ作之助の足跡を貴重な資料と写真で示してあった。

中でも夭折する瀧廉太郎が写る数枚の写真は興味深かった。

廉太郎と作之助明治31年、19才で音大本科を卒業する廉太郎が師の作之助とともに写っている。
この5年後、24才で結核で亡くなる瀧は繊細に見える。
幸田露伴の妹・幸田延(のぶ)、オルガニストの草分け島崎赤太郎も見える。
二人とも瀧の伝記映画「が愛の譜 滝廉太郎」の重要な登場人物。

※特別展は3月16日(日曜日)までです。

展示を見た後、大潟区の女性コーラス「コーラスおおがた」のミニコンサートを聴いた。会場は満席で大勢の人が立つ盛況だった。
立っていると係の方に案内され、最前列の真ん中に座らせられた。

場内入り口 (2)いっぱいのコーラス会場

合唱リーダーの挨拶で作之助の母の実家の人間ということで紹介され、立って頭を下げた。
作之助のイベントではたびたびこのようなことになり、いつも恥ずかしい。

コーラス

作之助の 「吉野山」「夏は来ぬ」「漁業の歌」のほか、上越市民の歌「このふるさとを」が歌われた。
夏は来ぬは三枝成章の編曲で高々と歌い上げられる。
このふるさとを、は何度か聴いたがスケールの大きい聴き応えある曲だと思う。

※このふるさとを:作詞・上原みゆき 補作詞・杉みきこ 作曲・後藤丹

三月「寒さの倍返し」 北陸園芸。

2014年3月8日(土曜日)

このところ寒さが続き、本日、仕事場の上越市大潟区は一時吹雪となった。

雪が少なかった当地は三月に入り、かえって雪交じりの寒い日が続いている。
「寒さ倍返し」とスタッフに言うと、古いという表情で笑われた。

悪天候の午前、当院の駐車場に車両が入って電線工事があった。

工事車両 工事の人二階の窓越しに写真を撮った。大正時代のゆがんだガラスでより厳冬の感じになった。

北陸園芸午後から高田は北陸園芸さんに寄った。ひんやりした空気の中で花が生き生きとしている。

その後ホームセンター・ムサシで展示品説明のキャプションを入れるケースを買った。
先日訪ねた県立近代美術館の展示でヒントを得て試してみることにした。

淡雪の高田は暮れて人恋し。

2014年3月6日(木曜日)

上越市高田は、私には旅情の街です。

とくに弥生の夕刻、淡雪の降れば儀明川の通りは人恋しさがつのります。
それでたいして飲めない人間も川向こうは仲町の、どこか侘しいざわめきに誘われるのです。

高田を何と呼べばいいのか、難しいような簡単なような、、、。
淡雪の高田は暮れて人(酒?)恋し

高田の詩情は宵なのでしょうか。
いえいえ間もなく訪れる昼の桜も真夏の蓮も素晴らしいのです。

 

儀明川今夕、遊心堂さんの後、大島画廊さんへ。帰りの儀明川に雪が降ってきた。

 

公園高田公演で強く降り始める。毎冬の雪に耐える桜は彫刻のようだ。
あとひと月もすれば華やかな花見とはにわかに信じがたい。

高田本町の遊心堂さんでは来る5月の個展の具体的な相談。
DMや後援のこと、展示法や会場のこと、など色々だった。
果たしてどうなるのか、もうカウントダウンに入っている。

樹下美術館、今年の倉石隆と齋藤三郎。 

2014年3月5日(水曜日)

週間天気予報で、今まで引っ込んでいた雪マークがずらりと並んでいる。
ここへ来て降り足りなかった冬がだだをこねているのか。

さて3月15日の開館を前に、樹下美術館の展示がほぼ決まりました。
また収蔵作品の図録が5月中旬に刊行される見込みがつきました。

長い懸案の図録ですので、それと対比で展示を観ていただければと考え、
さらに初めての方の事も考え、代表作とされる品々の展示にいたしました。

これまで展示した作品と重複するものがありますが、どうかお許し下さい。

2014年齋藤三郎展示案内陶齋は若い頃は地味目に、晩年に華やかになる一種傾向がありました。
会場を左から時計回りに年代を考慮して展示致します。
(図は大きくしてご覧下さい)

2014年倉石隆の展示案内倉石氏作品の大部分は人物画。個人に対する深い関心が読み取られます。
氏は男女をどのように見ていたのでしょうか。
(図は大きくしてご覧下さい)

早春の四ツ屋の浜の水溜まり。

2014年3月3日(月曜日)

本日夕刻の四ツ屋浜の日の入り時、低いながらあかねが射していた。
明日の日中は晴れの予報が出ているが、どうやら一日限りらしい。

四ツ屋浜の道海へ降りて行く四ツ屋浜の道。
雨上がりの後、向こうに必ず水たまり。

 

005その水たまりに小さな青空が写っている。

早春の四ツ屋の浜の水たまり ちひさき空載せ風に震える

案外出来ない日曜日 売るほど樹下美術館にフキノトウ イチゲの鉢。

2014年3月2日(日曜日)

仕事を上手く片付けるには〝予定を時間表にしてみる〟と何かに書いてありました。

そこで昨夜、本日日曜日の予定を以下のように作って休みました。

①10:30~11:00 某フリーペーパーに掲載予定の告知記事の材料を揃える。
②11:00~正午 24個の極小(10×10×3,5㎝)3Dキャンバスに「こぶし」の下絵を描く。
③13:00~15:00「こぶし」」の下絵を完成させて影を描く。
④15:30~16:45 陶齋図録の印刷初稿を修正して手を入れる。
⑤16:45~17:45 4枚のSMキャンバス「ルレクチェ」に加筆する。
⑥18:30~20:00 ホームページ用の今年度催事ファイルを三つ作成する。
⑦20:30~22:00 仕上げに入った34個の極小3Dキャンバス「椿」に手を入れる。
⑧22:30~23:30 ホームページ「カフェの図書」ファイルの改訂作業。

という欲張ったものでした。

しかし、残念ながら家から一歩も出なかったのですが、実行出来たのは、
①②③④と⑥の一部だけ、⑤⑦⑧は手も付けられませんでした。

無力を知りましたが、落胆せずに〝楽しみを残した〟ことにして、
貴重な日曜日の終了となりました。
運動不足に対してを280段ほどの階段昇降と自己流ストレッチをしました。

 

140302フキノトウ午後、妻が樹下美術館の庭から採ってきたフキノトウです。
売るほどとは、このようなことでしょうか。フキノトウコロッケが出来るかもしれません。

イチゲ父親を見舞った妻が友人から頂いてきたキクザキイチゲの鉢。
〝色々なお花を有り難うございます〟

春胎の日 陶齋の器で寿司を食べる会 残雪と花芽 小山研一さんの器。

2014年3月1日(土曜日)

冷え冷えとしていたものの、春の初日となりました。
春胎(しゅんたい)などという言葉があるかどうかわかりませんが、「春のかすかな兆し」、
「3月初日」、「それでも春」などという感じで掲げてみました。

さて今年6月と10月に「陶齋の器で寿司を食べる会」の予定があります。
本日午後、当日厨房に入られる寿司屋の主が来られ、色々器を見ながら話をしました。

お寿司は中段になりますが、お造り、焼き物、碗物、デザートなど、大まかなコースを考え、
アイディアを出し合いました。
とても楽しみです。

会は6月と10月の第1,2,3,4日曜正午から樹下美術館隣接の拙邸において、
訂正:6月は都合により第1、2、3,5,週の日曜日
→1日、8日、15日、29日 になります。 
3月18日修正いたしました
毎回5~7名様でテーブルを囲みます。
その都度小生もご一緒させていただきます。

会費は食後お茶室の抹茶のお点前を入れてお一人様7500円(3月2日修正いたしましたの予定です。
お申し込み方法など詳しくは近々ホームページでお知らせ致します。
お申し込みお待ち申し上げます。

 

 

1カフェの軒下に集まる雪を崩し、庭に落ちている枯れ枝を集めました。
雪が少なかったので大きな枝も無く、わずかでした。

以下は目にしたシャクヤクとクリスマスローズの芽です。昨年よりも早く、もう立ち上がっている蕾もありました。

43 25

7ひっそり花をつけていた赤い斑の椿。
器は大潟区出身で滋賀県高島市でご活躍の陶芸家小山研一さんの石肌焼きです。
氏は京都芸大のご卒業、京都精華大学の非常勤講師もなさっています。

新潟県立美術館のコレクション展「齋藤三郎生誕100年展」。

2014年2月27日(木曜日)

午後の定期休診日の本日、長岡市の新潟県立美術館へ行った。
本年1月31日から開かれ3月9日で終了する「齋藤三郎生誕100年」を興味深く観た。
4月13日まで催される同館の三つのコレクション展の一つとして展示室3の展示。

ホワイトの場内は穏やかな照明とあいまって気品が感じられた。
33点の選りすぐられた作品が展示されている。

年代別、カテゴリー分けなど展示法は丁寧でとても見やすく、さすが県立であろう。
作品では、
昭和18年製作の「呉須掻落牡丹文瓶」(ごすかきおとしぼたんもんびん)」と
制作年不詳とされる「窓絵椿小紋面取壺」(まどえつばきこもんめんとりつぼ」
および昭和20年代とされる「色絵茄子文皿」(いろえなすもんざら)3品が、
特に貴重に写った。

わけても窓絵小紋面取壺は流麗かつ緻密な最渾身作。
日本の陶磁史上に輝く優品にちがいない。
年代不詳とあるが、高田時代におけるかなり早い時期の作品と推察してみた。

以下は窓絵小紋面取壺が掲載されている「泥裏珠光-越後の陶齋-」です。
泥裏珠光(でいりじゅこう):文学者、詩人、書家・會津八一が齋藤三郎(陶齋)に贈った号。

泥裏球光から手許の「泥裏珠光-越後の陶齋-」から窓絵小紋面取壺(右)。
泥裏珠光-越後の陶齋-:編著・齋藤筍堂 毎日新聞社1998年10月15日発行。

以下は場内にあった樹下美術館のしおりです。置かれたしおり

しおり表

しおり中

訪問に際して徳永館長、立川副館長とゆっくりお話させて頂いた。
また、お二人の学芸員には付き切りで会場を案内して頂いた。

場内に樹下美術館のしおりが置かれまた展示もされていて、何とも有り難いことであった。
公立にもかかわらず斯く親しくして下さる事に深く感謝し、
末席ながら樹下美術館もまた頑張ろうという思いを新たにした。

閉館まで長居させていただき有り難うございました。
帰路の長岡市内でとんかつを食べて帰りました。

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