アジサイは梅雨の宝石?

2014年6月20日(金曜日)

乾きが続いていた畑に程よく雨も降り、患者さん達のジャガイモは収穫ににこぎつけたようです。
このところ毎年失敗の声が聞かれましたが今年は一安心です。

その梅雨の最中、美術館のアジサイは鮮やかさを増しています。

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カシワバアジア医

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この時期アジサイは宝石のようです。

ラテンの美男美女 シェリトリンド アイス入り抹茶。

2014年6月19日(木曜日)

昨夜の事で恐縮ですが、サッカーWCの再放送を見た。
双方ラテンアメリカのブラジルVSメキシコ戦でメキシコが善戦した。

情熱的で大らかな印象があるラテン(アメリカ)の文化は遠いが親しめる。
試合中メキシコの攻勢でアウエーの場内にシェリト・リンドの合唱が起こった。

シェリト・リンドは愛しい人を思うメキシコの国民的歌謡で、自分なりに懐かしい。
思えば我が青春時代のラジオでラテン音楽はメジャーの一つで、幅広い人気があった。
マリアッチ、マンボ、レゲエ、ルンバ、チャチャ、ミロンガ、ボレロ、フォルクローレ、、、
タンゴに至っては本家のアルゼンチンのほかにドイツタンゴまであった。

今日と違って色々なことが自由に楽しめ、寛容でのどかな時代だったと思う。


ルチアーノ・パヴァロッティとエンリケ・イグレシャスによる「シェリト・リンド」
エンリケはスペイン出身の歌手でセレブリティであるフリオ・イグレシャスの次男。

 

黄色一色のスタンド

ラテンの男前達

女性選手たちは男前、観戦の美女たちも大人感があり魅力的だった。

アイス抹茶本日午後休診の木曜日は桜のアメシロ退治と散水などを行った。
汗した後カフェで妻が出したアイス入りの抹茶はいわゆる〝バカウマ〟
風味とともにさっぱりした甘みが広がり、いくらでも飲めそうな気がした。
(カフェの写真は妻のスマホで撮りました)

※あまりに美味しいので近くメニューに出来ればと思いました。

近郷の農家から浜の職人の家に嫁ぐ。

2014年6月17日(火曜日)

お年寄りのところで診察が途切れると何かとその方の話を聞いている。
最近、その昔近郷の農家から海辺の職人さんに嫁いだお年寄りから以下の話をお聞ききした。

自分の生まれ育ちは隣村の田んぼ農家だった。
家には2町5反の十分な田があり、農耕は牛馬を使っていた。
農作業は男中心の仕事で、女や子どもは春秋の農繁期を祭りのように手伝った。

口利きをする人がいて、一帯の農家から海辺の人の家へ娘達がよく嫁いだ。
「そこへ行けば田も少なく、相手は手に職をもっているから生活は楽だ」という決まり文句で自分も誘われた。

嫁いた先は職人の家で、田があり、行って見るとほとんどが嫁任せということでまず驚いた。
遠くにある田は小さかったが、牛馬も無く鍬を使う重労働だった。
田への途中に長い砂利道の坂があり、自転車の往き帰りで何度もひどく転んだ
嘆きをこらえて毎年農作業を続けた。

ある時代から田は人に任せることになり、夫のテコ(手伝い)をするようになった。
道具を運び足場を組み、重い資材を受けては支えた。
もともと丈夫ではなかったがいつの間にか骨も太くなったと思う。
その間に子どもが3人出来た。

後年夫の体力が衰えると、突然のように四国と北海道の旅行に連れて行ってもらった。
それぞれ一週間づつ二年続いた旅は本当に夢のようだった。

後に夫は亡くなったが今でも旅行を思い出すと、お父さんありがとう、と手を合わせている。
夫の死後数年、体調を崩したが、先生には早く胃がんを見つけて貰って助かった。
兄弟姉妹で自分は一番出来が悪かったが、今日まで生きたのは何より皆さんのお陰だ。
(一部を少しだけ変えてあります。最後に恥ずかしながら私も登場していました)

今夕の上りはくたか今夕7時10分ころ通過したほくほく線下り「はくたか」。
頸城区の農道で撮りました。

コムクドリとヒヨドリが一緒に水浴び。

2014年6月16日(月曜日)

数日梅雨の晴れ間が続いている。最高気温は27度前後、朝夕は20度少々で過ごしやすい。

先週土曜日の午後に座った美術館のカフェからヒヨドリとコムクドリが一緒に水浴びをするのが見えた。
何かと威張っているヒヨドリと愛嬌のコムクドリが一緒の光景は平和だった。

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3水浴びには楽しむという雰囲気も感じられる。
鳥たちは新しい水を分かっていて特にそれを好んでいる。

三回目の陶齋の器でお寿司の会 コートジボワール。 

2014年6月15日(日曜日)

快晴の梅雨の晴れ間、三回目の「陶齋の器で寿司を食べる初夏の会」が無事に終了した。

本日も満席の7名のご参加があった。
職業、立場違えど陶齋の器で美味しいお寿司を食べ、お抹茶を服して思い出深い一期一会となった。

午前の庭清々と芝も刈られた本日の庭。

 絵唐津咲良に碗ものと絵唐津皿に盛られた寿司。

染め付け扇皿にいつもの染め付け扇皿に盛られた寿司。オクラにもご飯が詰められていた。

こうして良い季節6月が過ぎて行く

本日WCで日本を破った国コートジボワールを少し調べてみた。
西アフリカの海岸線にずらりとならぶ比較的小さな国々の一つ。
ウィキペディアでは人口:20,600、000人(???位)という実に曖昧な表記だった。
経済規模は佐賀県一県の水準だという。

数年前にも内乱があったという国状でこの強さ。
国名はフランス語。意味するところは象牙海岸(アイボリー海岸)。
その昔一帯から奴隷と象牙が欧米へ売られていった。
サッカーがこれだけ強いのだから今は平和にちがいない。

鳥たちの合歓の木が枯れて。

2014年6月14日(土曜日)

2012、2013年と仕事場の二階から見える合歓の木でコムクドリが営巣、給餌し、ヒナの成長が観察された。
この木は小生が子どもの頃亡き父が林から採ってきて植えたものだ。

毎年夏に盛大で美しい花をつけた。
一昨年春、その木の二カ所のウロでコムクドリが営巣しているのを知った。
ウロは思ったより深くまで空洞となっていて、鳥には安全な巣だったと思われた。

それが昨年の台風でダメージを受け、冬を越すとまるごと枯れていた。
急遽コムクドリのためネットで巣箱を求め、近くに架けた。

①2012年の合歓の木2012年夏の合歓の木。A,Bにウロ(枯れ落ちた枝の根元に空いた穴)でコムクドリが営巣。
2013年春雀がBに営巣。この巣はほかのコムクドリから猛烈な攻撃を受けた。
しかしツガイは耐えてヒナを育てた。

②Aで給餌する雄2013年6月、ウロAにある巣に虫を運ぶオス。

③Bの雀2013年7月、ウロBで給餌を受けるヒナ。
運ばれたのは合歓の花の一すjじに見える。
ここに至るまで雀は巣を破壊されるなどコムクドリの群から陵辱され続けた。

④折れた木2013年10月9日の写真。台風の後大きな枝が落ちていた。木は秋~冬の間にすっかり枯れた。

⑤切り株と巣箱今年4月30日の写真。合歓を切り向こうに巣箱を架けた。
右下の合歓の切り株は中心部まで枯れていた。

⑥14春現れたコムクドリ今年5月上旬、切られた合歓の近くに来ていたコムクドリ(いずれもメス)。
架けた巣箱に興味を示す鳥もいたがだれも使わなかった。

⑦昨日の巣箱昨日2014年6月13日の古い巣箱(2012年に設置)の様子。
親以外のコムクドリが来ていて下でヒナが顔を出している。

過去いずれも巣立ちが近づくと若鳥(独身鳥?)と思われる仲間が集まってきた。
巣立ちや集団への加入を促すのか、好奇心と喜びの印象を受ける。

今朝、巣のまわりに沢山コムクドリが来ていた。
仕事を終えた昼しばらく見ていたがあたりは静かで、巣立ち終えたと理解した。鳥たちはさらに北へ高地へ、涼しい所へ急ぐのだろうか。

さてコムクドリは実に愛らしい姿をしているが、昨年行われた雀への執拗な攻撃など十分な野性も所有している。
雀は耐え反撃し、同じ環境で巣の再構築、交尾、抱卵、給餌、そして巣立ちへ導き本当に逞しかった(いつかこの過程を掲載したい)。
掲載したいことの積み残しが多く日頃から多々失礼しております。

諦めていたコムクドリが仕事場の庭にいた。

2014年6月13日(金曜日)

降ったり止んだりの日中は風強く、夕刻には寒さのため長袖を着た。

面白い雲にも出会わなかったが(一日中空を見ているわけではありませんが)、
一つトピックがあった。

一昨年、昨年と熱心に観察し、当ブログにも頻繁に掲載した仕事場のコムクドリ。
それが、営巣に使っていた合歓の木が昨年の台風以後急に弱り、冬にはすっかり枯れ落ちた。
4月、泣く泣くその木を切った。

渡り鳥であるコムクドリは帰巣するに違いない。
がっかりするであろう鳥の為に近くの木に巣箱を取り付けた。
4月、鳥たちは巣があった付近に何度も現れたが、巣箱を使わなかった。

ところがここ数日、近くからコムクドリの雛の鳴き声が頻繁に聞こえるようになった。
実は以前、同じ庭のソメイヨシノに架けたが使われずに放置されたような古い巣箱があり、
そこに雛の姿があった。

雛 (1)もう巣立ちが近そうな雛。

給餌に来た雌餌を咥えた雌(右下です)。

初めてこの鳥をコムクドリと知って3年目になった。それまで目に止めたことが無かったし、今も知る人は少ないように思われる。
それが続けて仕事場の庭で営巣し、あまつさえ今年は美術館の水場にも飛来している。

何故か私はコムクドリと縁がありそうだ。
上掲の巣箱は駐車場のすぐそばで、かなり低い位置にある。

間もなく巣立ってしまうだろうが、カーポートの車内からよく見えるのでしばらく写真を撮りたい。
次回は合歓の木のことなを書いてみたいと思います。

庭と愛。

2014年6月12日(木曜日)

さほど降らない午後の定期休診日。
ある工場の産業医として巡視(保健的な工場診断)に行き、終わって美術館でお茶。

それから気になっていたソメイヨシノの丸まった葉先を観た。
開けてみるとアメシロの虫卵(又は極く小さな幼虫?)が疑われた。
アメシロは時期を逸すると非常に厄介になる。
二年続けて被害に遭っているため高枝バサミでかなり切った。

その後、南側の雑草のはびこりを草取り。
庭仕事(畑もそうらしい)はある種際限なさがあり、結局6時過ぎまで続けた。
終わったとは言えないが、費やした時間だけそれでもきれいになる。
明日夕刻、晴れ間を見て続きを行ってみたい。

本来庭は毎日の関わりや手入れを必要としている。
その意味では愛していなければ出来ないことの一つであろう。

そして雑草は微妙だ。
元気よくはびこりながら「取って」と言う。

027トクサとイトススキ(写真のおよそ左半分の所)がぐんぐん伸びる。

 

042袋が六つ、本日の結果。

 

 

樹下美術館が8年目 図録のこと。

2014年6月11日(水曜日)

本日6月10日は樹下美術館の設立記念日。
あいにく火曜日だったので休館と重なった。

日頃早過ぎる月日に文句を言っている。
しかし樹下美術館に関して言えば、過ぎた時間は十分に手応があり、一種重量のようなものを感じる。

だが過ぎた日を懐かしむ暇などは全く見当たらない。
真剣に樹下美術館を考え思いを巡らせる毎日だ。

長い課題は齋藤三郎、倉石隆二人の収蔵作品図録。
本来ならスタート時に出来上がっているべきものを、毎年「今年こそは云々」と皆様の前で
7年も言い続けた。
これはもう罪というほかない。

今年に関しても年初めに、5月半ばの拙画展に合わせてと言い、
それを6月10日の設立記念日へと延ばし、そして本日その日にまだ出来ていない。

倉石隆図録原稿 (2)最終に近づいている齋藤三郎の稿。

 

倉石隆図録原稿 (1)倉石隆は齋藤三郎の二段階ほど手前にある。

間に合わないことの原因の一つは挨拶文に英文を付けることにしたことがある。
印刷会社さんが新潟市でその方面の方に依頼してくださり、作成中ということ。
そもそもレイアウト作業も自らPCでノロノロ行っているのが仇になっていよう。
最後に、倉石隆氏の「あとがき」が中々書けなかった。

本日それが突然のように概要として出来上がってきた。
あとがきに何ヶ月も掛かるのだからいくら時間があっても足りないわけです。
(今後これも何度か書き直すことになるでしょう。
天地ほどちがいますが、宮沢賢治はどんな原稿も際限なく書き直したと、聞いたことがあります)

あとがき

1995年夏のこと、「主人の展覧会が新潟市美術館である,、テープカットをご一緒しませんか」という一本の電話があった。倉石隆夫人からだった。夫人はその名を幼少にお聞ききしただけの遠縁の人で、電話で初めて倉石隆の名を耳にした。
40日に及ぶ展覧会が終わると、夫人からその時の図録が送られてきた。何気なく手に取った中身はおよそ人物画、それもみな深い魂を抱えているようで惹きつけられた。以来毎晩のように本を眺めては眠るようになった。「親戚に画家が居る、、、ああテープカットに行けばよかった」。日ごとに実物を見たい思いがつのった。

間もなく倉石宅を訪ねる日が来た。ベッドに身を起こした倉石氏は病によって言葉を失っていた。素晴らしいお顔立ちとはにかむような笑みは忘れられない。
当時、亡き父と小生で集めた陶芸作家・齋藤三郎氏の小さな美術館の構想が生まれていた。
「そのカフェの壁にでも架けて頂ければ」と夫人が仰った。以後彼女のご厚意や画商の案内で作品が少しずつ集まるようになった。

2007年樹下美術館が竣工し、その湾曲部に小さな絵画スペースが出来た。
壁前に立つと、倉石氏のモノクロームの人物達がこちらを見ている。決して美男美女ではない人々はいずれも作者の真剣な苦楽から生み出されている。不思議な事にホールに行くとどこからともなく倉石隆が現れ、作中の人物達と一緒の時間を過ごせる。集まるお互いは孤独でも孤立でも構わない。作家を囲みそれぞれ人生や命の営みを黙って語るのである。

氏のモノクロームは見やすいうえに深い。
往時を知る人から、倉石氏はとても素敵で地位名誉を求めることのない得がたい人だったとお聞きした。
嬉しい言葉だ。
樹下美術館の小さな白い絵画ホールに佇む時、いつしか心癒やさtれている自分に気づく。

さて以上ですが、今後も樹下美術館に文字通り精一杯(出来れば楽しんで)携わりたいと願っています。図録の遅れについては、「せっかくだから急がないで納得がいくように」というお言葉を何人かの方から頂きました。
このような暖い方々に甘えっぱなしで恥ずかしい限りなのです。

混雑のあと静寂、夏の庭へ 晴れと小雨そして霧。

2014年6月9日(月曜日)

昨日は二回目のお寿司の会がありましたが、美術館では昼過ぎまで30人の来館者さんがあったと聞きました。
樹下美術館の半日で30人は大変な混雑だったと思います。

翻って本日は8名の方で静かでした。
私が昼食に寄った午後、お近くのご夫婦がゆっくりされていました。

カフェで昼食モネ人形と一緒に昼食。向こうの水盤にシジュウカラとコムクドリが来ました。
あるウエブサイトの記事に「ブログは強調したいことがあれば何度も同じ事を取り上げてもいい」とありました。
良い記事でしたね、私も安心して同じ事を書くことにします。

 

窓辺からの庭窓から見た庭。さらに力強くなり間もなく紫陽花や鉄砲百合が盛りになります。

霧の山あい夕刻一時雨になりに気温が下がると、山あいに霧が垂れ込めるのが見えました。
夕食後見に行きましたが物語感十分でした。写真は近くの頸城区。
あまり濃いのは大変ですが薄い霧は旅情があります。

本日「陶齋の器でお寿司を食べる初夏の会の二回目」。

2014年6月8日(日曜日)

り降らない梅雨、そのまた晴れ間の本日。
「陶齋の器でお寿司を食べる初夏の会」が先週日曜日に引き続き二回目が無事終りました。

今週は4組7人の方が参加され、自己紹介をして和気藹々の食事会となりました。
食後は拙お手前のお抹茶をお飲み頂きました。

ヒメタイサンボク庭で匂っていたヒメタイサンボク。

キョウガノコとアジサイキョウガノコにアジサイが混じるようになりました。

page001本日の献立です(大きくしてご覧下さい)。

陶齋の確かな器によってお寿司、お料理は一層色良く映え、美味しくなりました。
ご参加の皆様誠に有り難うございました。

宵闇の虹 惜しまれるほくほく線特急「はくたか」。

2014年6月7日(土曜日)

夕食を始めてふと見ると松の上の方が夕陽に照り映えている。
悪いけど行ってくる、と妻に告げてほくほく線を撮りに急いだ。

西の空は真っ赤で、良い時間は限られている。
すると途中通過の大潟区岩野の中谷内の池でうっすら架かる虹を見た。

140607宵闇の虹虹がみえるでしょうか。間もなくほんのちょっぴり雨が当たってきました。

宵闇の虹こんな遅い時間、ちょっぴりの雨に人知れず架かった虹。
神秘的また少々感傷的な気持ちになりました。

夕暮れのはくたか今夕のはくたか。私の技術ではいっぱいいっぱいの時間。

この日目指したポイントに先客さんがカメラを構えていた。
はくたかが往復した後、そのサラリーマンの方と立ち話をした。

間もなく夏至で夕陽のはくたかを撮る時間は限られてくる。
そもそも来年の今頃はもう姿が無い。
まして特急の灯が田面に写るのはもうすぐ終わる。

そう思うと居ても立ってもいられず、直江津から撮影に来たと。
私よりかなり若く私よりずっと電車に詳しい。

はくたかは時速160キロものスピードでここを走る。
遮壁もなく高架の特急が丸見えなのも非常に貴重だ。

確かに開業新幹線に「はくたか」の名は残る。
しかし夕焼けを背景に水田を疾走する姿を撮ることは、出来ないのではないか。

ほくほく線「はくたか」は本当に勿体ない。
随分世話にもなった。

私も同じです。

まん丸に抜かれた雲。

2014年6月6日(金曜日)

北海道を除いて全国が梅雨入りしたと報じられている。
しかし本日当地では一時ほんのわずかの雨が降った程度だった。

昨日に続いて今日も色々な形の雲を見ることが出来た。
爽やかに晴れた日の雲はのんびり感のあるのどかなものが多い。
しかるに 前線が関係するような不安定な気象のそれは一種おどろおどろしかったり、
あるいはドラマティックな様相を呈して興味深い。

017夕方近くの四ツ屋浜でぽっかり丸い穴が空いた雲を見た。

気象が空に作り出す雲の造形はスケールが大きく意外性があり見飽きない。
特に朝夕は斜光により陰影と色彩が強まり、立体的で見応えある。

朝が苦手な小生はもっぱら夕にかかる在宅回りが終わるころから、
一日を懐かしみつつ雲に目をやる。。

久し振りに雲が良かった夕刻。

2014年6月5日(木曜日)

雨の予報も出ていたが降らず済み、風を伴った涼しい一日。
夕刻にかけて久し振りに雲が一段とくっきりと見え、目と脳を和らげた。

四ツ屋浜大潟区四ツ屋浜

頸城区頸城区中増田付近。絵画のような静けさ。

米山方面頸城区の水田から米山、尾神岳と雲。ダイナミックで立体的な動き。。

妙高方面頸城区の水田から妙高連峰と雲。伸ばした真綿を乗せたようだ。

上下浜海の事故があった上下浜は、ハマボウフウとハマヒルガオが優しかった。

電線と夕焼け 汽船を見送る草。

2014年6月3日(火曜日)

昨日よりも色濃い夕空だった本日6月3日。
テレビは暑いと言ったが、夕刻は涼しくなり車が示した外気温は30度に届かなかった。

畑の人達は口々に雨が欲しいと仰っている。
庭のためにも降ってほしいところ。

076懐かしい電線と夕焼け。

088夕暮れの佐渡汽船を見送る夏草はまだ小ぶりで乙女のようだ。

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