少々前のことですが、上野でUFO?

2013年10月8日(火曜日)

接近する台風が気がかりです。当地新潟県上越市は明日に圏内となる模様で被害が少ないことが願われます。また前後では果たしてどのような空になるのでしょうか。

さて少々古くなりますが、以前空の写真でハッとすることがありました。去る9月2日のこと、東京は上野精養軒で行われた第49回主体展のレセプションに参加した時の写真です。翌日家に帰ってパソコンで見ますと、空に円盤状の物体が点々と写っているではありませんか。

写した時は気がつきませんでしたが、まさか超常現象、これがUFO?かなり焦りました。

 

上野の空当日夕刻、上野の西の空。
1,2,3,4の部分に円盤形の物体が写っていました。(拡大してご覧下さい)

1の拡大うーん、UFO?

 

2の拡大近くに2機?。

 

3の拡大左にも?

 

4の拡大左上の部分です。

さて当日、会場まで急いでいましたので何処で撮ったかとっさに思い出せませんでした。前後の写真を見て精養軒に入ってすぐ、広いロビーから外を写した一枚だと思い出しました。4の上方には黒く窓枠が写っています。

円盤状のものは大きなガラス窓に写ったロビーの天井灯だったのですね。明るさの残る夕刻、灯がある屋内からガラス越しに空を写せば灯だけ写り込み、時にはこんな写真になるのでしょう。もう少し暗くなりますと外の明かりと共に、屋内の様子もしっかり写るにちがいありません。

以前話題のトワイライトゾーンもこんなイメージと関係があるのでしょうか。仕切られた二つの空間が混じり合う、というようなことで、、、。場所は全く異なりますが、当ブログにやや似た時間帯の写真があります。ほかにはこれもそうですね。

賢明な皆様はよくあることと、初めからお分かりだったかもしれません。私はUFOを信じたことはありませんし、超常現象も詳しくありません。しかし当初はさすが東京、奇妙なものに監視されているのかと、今回ばかりはどっきりさせられました。

陶齋を心深く偲んだ日。

2013年10月6日(日曜日)

本日高い空の日に、冒険とも思われました〝陶齋の器で食事会〟の一回目を終えました。

新潟市から6名のお客様を迎えて割烹「京」のご主人松本末治氏が包丁を振るわれました。

食事部屋の棚に陶齋親子の作品を飾り、用いた器は陶齋および師である富本憲吉と近藤悠三のものでした。

今年は陶齋生誕100年ということ。私どもは特別な事も出来ませんでしたが、本日ご本人とゆかりの人々の品を無事に実用致すことが出来ました。

二人の希有な師と陶齋、陶齋を愛した父。給仕に出ながら亡き人々の有り難みを噛みしめた一日でした。

 

親子二代の棚食事部屋の棚に陶齋の壽皿と香炉および陶箱、そして二代陶齋・尚明氏の白磁花瓶が二器。

 

陶齋の志野と唐津「口取り」に鮑焼きや鴨ロースなど9品が盛られた陶齋の志野皿(左)と絵唐津皿(右)。

近藤悠三の角皿香の物(お漬け物)は近藤悠三作ざくろの角皿に。

富本憲吉の花皿デザートのいちじくワイン煮、茶巾栗など6種が盛られた富本憲吉の花皿と陶齋の梅皿(手前)。

食後の茶は小生の点前でした。一カ所、道具の扱いを明らかに間違えました。しかし暖かなお客様は何服も茶を所望され、一期一会の一座建立となり、深く感謝致しています。

また、皆様がまず美術館の展示をご覧になり、強く興味を示して頂いたこと何よりの喜びでした。

器を生かしきって9つもの素晴らしいお料理(献立)を作られた松本氏ご夫妻。庭、給仕、水屋をお手伝い頂いたスタッフはじめ知人友人の皆様、本当に有り難うございました。あと三回、頑張りましょう。

美しい夕空がある限り。

2013年10月4日(金曜日)

今夕の夕暮は素晴らしい空でした。夕方まで何気ない曇り空でしたが、突然のように優しく鮮やかな色に変わったのです。

いつもながら夕焼けの予想は難しいと思います。いいかなと思えば平凡、あるいは本日のように突然色づいたりと。

しかも最も素晴らしい時間はほんのいっとき、ある意味一瞬で、せいぜい1分前後でしょうか。今夕も家を出る直前の空が最高だったように思われます。
玄関を出た時、ご近所の家々の壁がみな鮮やかなピンクに染まっていました。1分少々、海へ到着した頃には既に幕引が始まっていました。それでもしばし息を飲みシャッターを押したのです。

 

四ツ屋浜でいつもの四ツ屋浜です。

燧岳と焼山紫色の火打山(左)と焼山。

13104夕焼け優しい色に包まれた上越火力発電所。

ブログは日が空くどころか連日となりました。こんな夕空がある限り仕方がないのです。

秋の花 女性が作った新米 シャリマールのカレー。 

2013年10月3日(木曜日)

何とか降らずに済んだ一日、さすが10月、肌寒さを感じた。館内の花もすっかり秋のものに変わった。

ばら庭で淋しげだった秋ばらが白磁壺で
華やいでいた。枝は柏葉アジサイです。
秋草三種のホトトギスと水引き草と紺菊、
ススキと共に手桶の器でお出迎えです。

本日は、かって当館がお世話になった旧上越市の女性から20キロもの新米を頂いた。魅力的な女性が携わる農業!ずしりと重いお米を抱くとひとしお豊かな秋が感じられました。

新米とても楽しみです。台風は大変でしたね、収穫まで本当にご苦労さまでした。

カレー夕食のチキンカレー。

三日後に迫った〝陶齋の器で食事会〟の最後の支度で遅くまで掛かった。寄りつき、食事処、茶席で使う三部屋の片付けとしつらえは、時間と共にしっくりし始め次第に楽しさがつのった。

夕食は樹下美術館の近くのカレー屋さん「シャリマール」で。春から4,5回は来ている。スパイスが効いているのにまろやか、お米が美味しいのも嬉しい。

※ブログが空くと書いた筆先も乾かぬうちに、気がつけば一日2記事も書いていました。

ブログが空く訳 図録と絵画

2013年10月3日(木曜日)

このところ、ノート(ブログ)の更新がしばしば2日~3日空くようになりました。まだ完成を見ない樹下美術館の図録原稿に今また取り付いていることがあります。これまで何度も構成や編集を直し、9割がた終了するとそこで止まってしまうのです。

なぜ?答えの一つとして「図録が出来れば死んでもいい」と、思っている事があげられます。もう少々生きたいという気持ちが、密かなブレーキとなっている気がしないでもないのです。
もう一つ、「こんなんでいいわけがない」といつも最後になると感じるのです。不思議なことに、構成や文章、資料の添削と見直しをすると良くなったりするのです。一生懸命な作業を行っていないのでしょうか。

最後は何より年のせいに違いありません。

色々訳があってもオオカミ老人も限界、笑う鬼も居なくなれば淋しい、と9月を期して毎日取り組んでいる次第です。

ところで図録とは別に、来年5月に遊心堂さんで個展をすることになっています。展示のみの作品を40~50点、売る絵も少なくとも20点は用意しなければなりません。展示だけのはおよそ揃っていますが、売る絵はまだ予定の四分の一ほど、これからです。

ところで私は物心ついた時から絵を描きはじめると、あるいは描こうを思っただけで、自然に口笛が出ます。さほど時間に余裕が無く、絵も決して上手くはありませんが、描くことが心から楽しいのです(しかしいざ描いて、どうしても上手く行かない時は、癇癪を起こして破ってしまうこともありますが、、、、)。

 

つばきの絵昨日再び手を付けた西王母椿の絵。
花の絵は一枚描くのにキスのはらわたほどの絵の具があれば足ります。

さて昨夜、2011年に新潟市は知足美術館の個展に向けて描いたうち、途中で止めていた絵を出して続きを描きました。この完成作品は元々手許にありました。が、10年近く前のこと、上越地域医療センター病院への医師派遣の相談で、医学界の権威を訪ねた折りに持参献上しました。たいした品物ではありませんが、私が最も気に入っていたものでした。

その後、絵画が何かの役に立ったかどうかなど、大きな世界の話になりますのでわかりません。しかし輪郭線トレーシングペーパーが残り、絵はスキャナーに取ってありましたので、復元に挑戦している次第です。

先日大島画廊で見つけた極めて小さな立体キャンバスに、昨夜椿の下絵を描きました。終わってみると有り難いことに、いつもの頭痛が取れて頭がすっきりしているのは嬉しいことでした。

花の貴重 環境破壊的な植物繁茂 新幹線の真の効果とは。

2013年9月30日(月曜日)

草花の偉いな、と思うところは黙って暦に従うのもその一つだ。今年のように荒っぽい気象が続いた年でも、彼岸過ぎるとちゃんと秋の花が咲き始める。

樹下美術館でホトトギス、ノコンギク、シュウメイギク、リンドウが開き始めた。無言のうちに私たちを幸せにさせてくれる花にはますます貴さを感じる。

ただし、クズ、ツタ類、セイタカアワダチソウなどの破壊的な繁茂と圧倒的な開花は一帯でも異常で、昔の人が見たら「なんだこれ!」と言うにちがいない。住環境に近い松、山桜、ほか低木類の緑は、絡まれ締められ被われて病んでいる。野を銀色に染めた心の花・ススキは埋もれがちで、肩身が狭そうである。

あちらこちらの分離帯や歩道も荒れて結構つらい。地域ないし町全体を公園に!は大部分かけ声だけだったのだろうか。

今朝の新聞をみると、新幹線は若者達(子どもたち)がきれいな都会や都市へ出て行く(見に行く)ための乗り物になりそうだ。「こんなじゃだめ」。彼らがそう言って初めて本当の地域作りが始まるかもしれない。

ホトトギスホトトギス秋明菊秋明菊 ノコンギク野紺菊コスモス路傍のコスモス

 

鵜の浜の雲鵜の浜温泉で見た秋の雲。
いわし、ひつじ、うろこ、色々な形の雲に被われていたが、夕刻は厚く曇ってきた。

上越茶道会の記念茶会 美味しい薄茶 陶齋のお茶碗。

2013年9月29日(日曜日)

本日9月最後の日曜日はいっそうよく晴れました。この日、直江津駅前ホテル センチュリーイカヤさんで上越茶道会による20周年記念茶会がありました。

江戸千家(濃茶)小川紫雪、裏千家(薄茶・立礼りゅうれい席)有澤宗香、表千家(濃茶)香西宗英、各先生のお社中による三席です。

 

130929センチュリーいかや上越茶道会会記本日の会記

日曜日とはいえ宿題と重症の患者さんを抱えていて時間が取れず、宗香先生のお席だけ座らせて頂きました。
千家三代目、およそ400年ほど前の茶人〝わびの宗旦〟画賛によるお軸「六祖面目」は禅味に溢れ、唐物(からもの)の籠に入る5種の秋草は季節そのまま爽やかでした。皆具からたばこ盆までみな大変貴重、そして見事だったこと。

恥ずかしくも主客席に座らせられた小生は古萩のお茶碗、銘「熊川(こもがい)」でした。びわ色~ほんのりうす紅に変化を遂げ、李朝の風情を伝える碗。お隣で支えて頂いた西口宗米先生は唐物(中国伝来)の珠光青磁の端正な平茶碗でした。

そして三客さんは齋藤三郎(陶齋)の「秋草の絵」です。前もって会記を読んでいましたので陶齋のお茶碗は興味津々でした。実際目にした器は傍目にも見事で言葉もありません。
拝見を所望しますと、全体は黒々とした筆跡が覗える鉄絵茶碗。正面に白く抜かれた大きな半月、それに秋草が掛かり宗達を思わせる風趣満点の作でした。

私も大好きです、と宗香先生。その碗でもう一つどうぞ、と宗米先生共々勧めて下さり、あらためて一服を頂きました。若き陶齋の気力と今日まで器を伝えた人々の愛情が口いっぱいに広がるのでした。

お点前された若き人は樹下美術館の美しい常連さん。お心こもりの所作で、美味しいお茶が立ちました。時間が足りず名残惜しい会場を後にしました。

帰宅して往診、そして福祉書類の作成、図録文言集の見直し、個展の風景画の下絵、、、いつもながら忙しい日曜日でした。

大書されない場所の旅情。

2013年9月28日(土曜日)

上越市大潟区には「大潟パーキングエリア(PA)」があります。パーキングですので小規模ですが、案外多くの車が休憩しています。本日柿崎へ向かうのに入り、はじめてトイレを使いました。とてもきれいで、行き届いたもてなしの心を感じました。

またここにはETCの出入口(スマート・インターチェンジ:スマートIC)があります。大潟区、頸城区、吉川区の一部にはとても便利です。すぐ近くでほくほく線が高速道路上を通過します。特急「はくたか」の通過が見られ、非常に珍しい所ではないかと思います。

樹下美術館もここで降りますとおよそ10分ほどで到着します。降りてからJR土底浜駅の踏切を渡って国道8号線(R8)へ出て左折。直江津方面に走り、さいがた病院手前で左折です。その後電子工場を通過しますが、電柱看板どおりにお進みください、間もなくです。

大潟SA1大潟SASAのトイレきれいなトイレ。 大潟SA2SAそばを横切る特急はくたか。
ベビー対応赤ちゃん連れ対応トイレ。

以下、当ブログによく掲載していますささやかな旅情の場所から。今夕の四ツ屋浜とほくほ線が見える頸城区の写真です。

四ツ屋浜今夕大潟区四ツ屋浜の夕暮れを見る車。 四ツ屋浜2四ツ屋浜で撮る関東ナンバー車も。

夕暮れ電車今夕のほくほく線夕暮れ電車。ここも大潟スマートICを使いますととても便利です。
頸城区柳町新田手前を農道へ左折(農耕車の邪魔をしないでくださいね)。

地域には華々しく大書されなくとも旅情漂う所が沢山あります。看板も行政PRもない、自分たちだけの場所。何かの折りに諸処お訪ねしてみてください。

本日午後、横浜市←→長岡市の方達が遠回りして樹下美術館カフェへ寄って下さいました。三回目ということで感謝しています。また当ブログで紹介させて頂いたレストランへも足を伸ばしたということ。「上越には美味しい店がありますね」とは有り難いです。

樹下美術館も大書されない旅情の場所として旅のお役に立ちたいと思っています。

夕暮れと上越火力発電所。

2013年9月26日(木曜日)

肌寒く雨ふりの一日。秋とはいえ乾いていた庭が助かり、畑に恵みの雨だったと聞いた。

夕刻雨が上がり、美術館の帰り道で空が真っ赤に染まった。海へ急いだものの夕焼けのピークは途中で終わった。

薄明かりのなか、近くの渋柿浜漁港から見る上越火力発電所の明かりは鮮やかだった。

 

010

060三基の巨大なLNGタンクと150メートルの集合煙突、そして荒波は迫力。

当発電所は中部電力初の日本海側施設。南海トラフ地震やロシアからのガス輸入への備えもあるという。電力はお隣の長野県に供給されている。

来春には工事の全てを完了する模様だが、長年全国から多くの人たちが工事のために集まった。当院にも博多弁を話す人たちが通院してきた。

今日の雨から一転、明日は良く晴れるらしい。

介護の形 遠距離介護。

2013年9月24日(火曜日)

刈り入れ時の農家を悩ませた台風の雨が去ると、一転して晴天が続いています。樹下美術館の庭で早々とニシキギが紅葉し始めました。

ところで以前から当館には介護にまつわる方たちが訪ねて来られます。地元で在宅介護の方、近くの施設や病院に入っている人への訪問、そして遠くから当地の親ごさんや病人さんを訪ねる方たち。時には介護する方される方がご一緒でお見えになることもあります。

介護はご本人の状態とご家族の事情などでおおまかに幾つかのパターンに分かれます。そのうえ状況によってそれぞれの形が移行しあうこともよくあることです。いずれでも介護者ご家族の思いは様々で、何かと気がもめ心重いこともおありと思います。

当ブログではよく在宅介護の事を書かせて頂いてます。しかし遠くから親ごさんや病人さんを訪ね、樹下美術館へ寄られる皆様もよくお見受けします。東京→新潟市の方が、わざわざほくほく線で来られたこともありました。

私の知人友人では東京→四国、東京→新潟県岩船郡、東京→上越市、上越市→隣県、大潟区→妙高市、上越高田→大潟区、さらに町内同士など大変な遠距離から近隣まで介護、看護で往来している方達は少なくありません。

地元の介護支援(サービス)を受けながら、兄弟姉妹の分担で、あるいはお一人で、病を、食事や着替えを、転倒を、周囲とのことを、冬場の雪を、認知症を案じながらの訪問と別れ。老親が独り暮らしの場合、特に大変だろうと想像しています。

 

ニシキギ色づき始めたニシキギ。

女性像とモネ人形カフェの女性像(山本信さん作品)とモネ人形の記念撮影です。

イナゴ長い時間ガラス窓からずっとカフェを覗いていたというイナゴ。
(写真はいずれも一昨日です)

どうか皆様、ケアマネと密に連絡しあい、ご自身のことも気をつけて頑張ってください、応援しています。

茶の復習 アキアカネ 栗とスダチ。

2013年9月21日(土曜日)

 

稽古来月の毎日曜日昼、「陶齋の器で食事会」が近づいた。本日も茶の稽古をした。

食事のほか、食後に陶齋の器を使ってお抹茶を差し上げることになっている。合計4回のうち3回を館長責任で、小生がお点前をすることになった。緩急と呼吸、自然な所作と手順。昔ほど上がらなくなったと思うが良いお点前をしたい。

 

トンボ連日の晴天で庭が乾いてきたので要所に水を撒いた。
庭のアキアカネが盛んに首をかしげて考え事をしている風。

 

栗とスダチ家に帰ると、いつもの方から元気いっぱいの栗とスダチを頂戴した。

昼のガラス栓 夜の名月。

2013年9月20日(金曜日)

昨日木曜日午後はいつもの休診。柿崎の海を40分ほど歩いた。海は先日の台風も知らぬげに穏やかで、沢山の砂利が上がっていた。シーグラスを期待したがやはり少なかった。すでに多くの人によって拾われている感じを受けた。

シーグラス幸運なことに、写真中央の緑色の先が丸いガラス栓のシーグラスが見つかった。
他のはこれまで集めたものの一部です。右には薄いブルーのガラス栓があります。
(コップに入れて水を注いでいます)

さて昨夜9月19日は旧暦8月15日で、十五夜の名月(仲秋の名月)の日に当たっていました。そして三年続きで暦どおり満月を迎えましたが、次にこのように暦と満月が一致するのは8年後ということです。

登り始めた月上越市は尾神岳の南側に昇った月。 大潟区渋柿浜から頸城区へ向かう道路から。

ところで、夕刻にお見えになった男性のお客様が、「今夜8時ころ、樹下美術館のデッキで月を観ていいでしょうか」とカフェで尋ねられたそうです。妻からそのことを電話で知らされました。

ご遠慮なく使ってください。それより私たちもご一緒するのはどうですか、と聞いてと言うと、是非というお返事。急遽ご一緒のお月見が決まりました。

お客様とは8時の約束。私たちは6時半から月明かりの下でお弁当を広げました。昇るに従ってますます明るさを増す月。

月と妻お弁当を終えて、デッキの妻とススキとお団子、そして月。

8時になると約束の男性が貴重な草団子を持参して現れました。40才ほどの背の高い男性とは初対面です。侍のように礼儀正しく振る舞われ、丁寧な挨拶をされました。何度か樹下美術館を訪ね、とても気に入っていると仰ったのです。

東京の写真学校を卒業後、広告の世界を経て父親の没後、故郷上越市へ戻られた人。現在設計に携わっておられるというこで、沢山四方山話をしました。私たちから無理に誘ってしまい、ご迷惑でなかったかなと思っています。

 三人で田んぼに昇る名月を惜しんだ一夜。氏とはお団子にお抹茶、番茶、コーヒーを一ご緒した。

お団子話を聞いたお茶をされる友人の奥様が、予め自宅用の月見団子を分けて下さった。
月明かりの下、軽い甘みとほのかな塩気は美味しかった。

さてオリンピックといい、次の十五夜満月といい、いずれも7ー8年先のことになる。それまで生きているかどうか、とは老人たちの話であり、71才の私の話でもある。

増々危うい年齢になっては健康への留意以外、将来に関してなすすべは無い。先日の後輩との食事、昨夜の初対面の男性との月見、、、。いつしかみな一期一会の真実味を帯びてきている。

お付き合いはある種厚かましさを禁じ得ません。ご無理を聞いていただき感謝しています。

敬老の日 台風18号の影響 雁子浜の夕空。

2013年9月16日(月曜日)

敬老の祝日の本日、台風18号は新潟県上越地域に雨の被害をもたらした。

雨を避けようと昼前に東京へ立った長男たちは、やはり高速道路の通行規制に遭い、ある区間は一般道へ降りたという。

早くから多くの河川で増水の警報が出続けていた上越地域。夕刻5時頃とうとう矢代川の堤防が決壊したと報じられていた。
氾濫は避難を促すだけで、目の前で進行する堤防決壊までは防げないらしい。川の怖さであろうが、歯がゆさも感じた。

避難所のニュース映像に妙高市の親戚の地名が出ていたが、水害は免れたと聞いた。堤防決壊の映像はひどいものだったが、その後も大丈夫なのだろうか。

 

雁子浜 の夕刻夕刻に向かって雲が切れてきた。大潟区雁子浜は日没後に鮮やかな空。
台風一過の夕は何時までも空が明るいことがある。

敬老の日だった。現在104才の方と間もなく104才を迎える方を月一で訪問させて頂いている。いずれも女性。104の方は100才で大腿骨頸部骨折の手術をされたがベッドサイドに端座され、しゃんと話をされる。もうお一人は普段よく眠っていらっしゃるが、デイサービスに週二回通われ、耳のご不自由があるものの、目立った認知症もない。

お二人とも長生きの愚痴を仰ることがある。しかし、「またおばあちゃんの顔を見に来てもいいですか」と言うと、お二人とも同じように手を合わせて拝む仕草をされる。

この方たちに共通する生活方法や身体の特徴を一概に言うことはできない。ただ酒たばこをせず、一生懸命身体を使って働いたことのほか、ご家族の暖かな見守りと敬老(愛老)の姿勢が共通していると思う。

週一回特養に出向いているが、私が知る範囲でこの年まで比較的お元気なのは在宅の方たちのようだ。

ホットサンド 萩、アキアカネ SPレコード シャルメーヌ。 

2013年9月15日(日曜日)

本日9月15日は日曜日、明日の敬老の日に続く連休です。その明日、夜半から朝にかけて台風が来ると報じられています。

さて樹下美術館のカフェでは妻の提案によってトーストに追加してホットサンドをお出しすることになりました。当館内はこじんまりしているうえドアが一つもありません。それでカフェの匂いは全体に行きますので、あまり食事らしいものは用意できませんでした(もちろん手が足りないのもあります)。

本日ホットサンドはお二人から注文があったそうです。小生も昼食に食べました所美味しかったです。館内はかすかに暖かで香ばしい匂いがして、なんとなく幸せな感じがするのを覚えました。

※大変に申し分けありません。ホットサンドのメニューは1ヶ月ほど日曜、祭日だけの対応ということです。どうか宜しくお願い申し上げます

 

ホットサンドホットサンド。秋めいた庭を見ながらどうぞ。

 

はぎ隣接の庭は萩の盛り。

 

あきあかねアキアカネがあちらこちらで羽を休めています。

 

spレコード息子たちが来ていて家で夕食の後、久し振りに蓄音機を開けてでSP盤を鳴らしました。
写真のレコードはシュナーベルのピアノソナタです。

最初にマントヴァーニの「シャルメーヌ」を掛けました。さほど大きくない機械ですが、音はかなり出ます。
上越出身(新井、大潟、塩沢にもいらした)のピアニスト、編曲家・故飯吉馨さんは、クラシックからジャズ、ポピュラーに転向したきっかけは、このレコードを聴いたため、と後に仰っていました。1950年代のことでしょう、ジャンルを超える名盤ではないでしょうか。

次ぎにアルトゥル・シュナーベルが弾くベートーベンのピアノ・ソナタから一枚出して掛けました。SP二枚、若者に感動と驚きが走るのが見えました。

 

YouTubeに同じ音源、機械も同型の「シャルメーヌ」が掲載されていました。小生の盤より良い音がしています。

 

台風はどうなるのでしょう。衰えていること、出来ることなら夕焼けがきれいになることが願われます。

イプシロンロケットの発射 突然ですが「国歌 君が代の由来」。

2013年9月15日(日曜日)

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は昨日午後、ロケット「イプシロン」の打ち上げに成功した。8月27日の中止以後慎重な姿勢が伝わっていたが、昨日の発射映像は鮮やかだった。

ところで南国にはやや変わった感じの地名や姓がよくある。ロケット打ち上げセンターの町・肝付(きもつき)も珍しく写った。一方かって書物に姓が肝付という人が写真とともに載っていた。
本は以前紹介させて頂いた音楽教育家、作曲家・小山作之助の遺稿集「国歌 君が代の由来(昭和16年6月27日発行 発行者小山眞津)」だった。肝付は変わった名なので頭に残っていたが、ロケットの打ち上げで再会するとは思わなかった。

 

随分横道にそれますが、前述の作之助は上越市大潟区の人で、たまたま私どもの縁者(大叔父)になります。「夏は来ぬ」の作曲者であり、東京音大の前身で瀧廉太郎を育てた人でした。それだけであればいいのですが、国歌の由来を探ったテキストとなりますと特異で重く感じられます。
幸い音楽家(学者)として、国歌の意義、歌詞における古歌の詳細な検討、君が代草創の人物たちとの書簡による多くのやりとりおよび楽譜、写真などを示して淡々と書いているので助かります。

以前この本の紹介をさせて頂きたい、とここに書きましたが、きっかけをつかめずにいました。今回たまたまロケットが肝付町から飛び立ちました。地名が同書に登場する人物と同名の機縁で、作之助の本について触れさせて頂くことになった次第です。

 

肝付兼弘氏の写真前述の書物から肝付兼弘。

肝付氏は国歌制定の黎明あるいは発端期である明治2年おける関係者の一人として登場しています。

氏は幕末ー明治の薩摩藩士でお側用人の要職。函館戦争に出てその帰路、氏の隊は横浜に上陸します。藩命で同地に駐屯していたイギリス軍の兵法や教練を見習うことになりました。
兼弘は英国の軍楽隊の存在と演奏を目の当たりにして、カルチャーショックを受けます。儀式における晴れやかな英国国歌の演奏、一方自分たちには洋式の楽器・楽隊はおろか応答できる礼式(国歌)もなかったのです。

急な展開がはじまります。駐留していた楽長ウィリアム・フェントンに礼式(国歌)の作曲を依頼する運びとなりました。フェントンは先ず歌詞を所望したのでしょう。そこで古歌から選んだ32文字「君が代」の提出となるのですが、このほかの経緯で、肝付氏以外にも選者(推奨者)として西建蔵や大山巌元帥(いずれも薩摩の人)などの名が挙げられています。
(自分たちで国歌まで作ってしまおうとは、当時の薩長の凄さが伝わりますね)

作之助は歌詞について、選者の個人特定は無理としたうえで、薩摩藩主とするのが最も相応しいのではないか、と述べます。
同藩には〝吉書〟という習わしがあり、正月をはじめ慶時の折に書いたり詠ったりする。なかでも古今和歌集第七巻、賀の部に〝題しらず〟〝読み人しらず〟として載る〝我が君は〟あるいは〝君が代は〟の古歌が折々に用いられていました。中には日の丸に添えて書かれているものもあったようです。
これが藩主により礼式(国歌)に相応しいとされフェントンに伝わった、という大きなくくりで結んでいます。

同時に和漢朗詠集の〝君が代は〟あるいは薩摩琵琶の「蓬莱山」や往古から俗謡にみられる同種の歌にも言及しています。

つい長々となりました。まさか自分が国歌に関連したことを記載するとは思ってもみないことです。しかしたまたま古い縁者が書いたその由来の本を避けて通ることは出来ないことでした。

今後拙くはありますが、〝我が君は〟と〝君が代は〟のこと。メロディの変遷と確定。遺稿集の編者小山眞津(マツ)さんのことなども載せることが出来ればなあ、と思っている次第です。

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