上越市で少々懐かしい友人と食事。

2013年9月12日(木曜日)

過日、私より少し若い知人が樹下美術館を訪ねて下さった。数年前のこと、展示だけご覧になって帰られたことがあった。このたびはカフェにも寄られ、留守中の拙宅の呼び鈴を押したという。そのことが同夜のメールにあった。

誰もいない家の呼び鈴を押す情景は目に浮かぶ。追い返したようで申し訳なかった。詫びのメールをしてひさしぶりに食事をしましょう、と返した。話はとんとん拍子となり、何日も経ずして今夕上越市は高田「おと」で夫婦の会食をした。

おとの踏み石店の土間の踏み石。食事の最中は夢中で写真を撮る暇なしでした。

地野菜、魚の焙り、のっぺ、貴腐サラミ、栃尾の油揚、ほか皿を回しあって美味しく食べた。代金もリーズナブルだと思った。

医師会の今昔、旅、上越の偉人、焼き物、庭、体調のことなど話尽きなかった。
氏が仰ったとおり、いつしか過ぎた食事は一期一会の味が残った。氏とは若干の起伏はあったが、知人から友人へ変わった様な気がした。

番茶と甘納豆家に帰って齋藤尚明さんの近作の湯呑で甘納豆を。

酒は弱い方の私ですが、、今夕は生ビールのあと「山崎」のストレートをちびちび頂きました。
相客は良い方なので無理に酒を勧められず、ほどよい加減。
家に帰るといつものように甘い物と牛乳を少し口にしました。

陶齋の器で食事会 茶の復習 セプテンバー・ソング。

2013年9月10日(火曜日)

陶齋の器で食事会が迫ってきました。10月の毎週日曜日の昼、拙宅で5,6名の食事を予定していました。早いお問い合わせや、常連の方、何かとお世話になっている方たちで、皆様に詳しくお知らせする前に一杯になってしまいました。まことに申し訳なく思っております。

このたびは一回7名となりましたが、全てでわずか28名様です。うまく出来ましたら来年は6月に4回、あるいは毎月、何番目かの日曜日を決めて3月から12月まで行うことも検討しております。
後者ですとうまくいけば70名様に参加して頂けます。今年を踏まえて方法を検討し、ぜひ来年も行いたいと思っています。

ちなみに、今回は高田「京」のご主人に厨房に入って頂き、食後はお抹茶のお点前を差し上げる予定です。私も何とか頑張って一、二度座ることになりました。

 

月
お茶の復習を終えて外へ出ると月齢5という月。ほどほどの雲を従えて煌々と輝いていました。

 


ユーチューブからの「September Song」です。

〝9月になって日は短くなり、あなたとの日々はいっそうかけがえのないものとなった〟
ウエスタン歌手のウィリー・ネルソンが心を込めて歌っています。
古いピアノを使っているようですが、敢えてでしょうか。

「良心と責任のオリンピック」

2013年9月9日(月曜日)

2020年のオリンピック開催都市が東京に決まった。悪条件の中でよく決まったと思った。ブラジルを経て7年などあっという間だろう。

およそ50年前の学生時代、東京に居て同時進行的にオリンピックを経験した。当時の都内はひたすら突貫突貫の日々だった。それに較べ、今日大津波と原発事故が加わり明らかに事情が変わった。国土から漏出した海洋の放射能汚染という前代未聞の敏感な問題の中、よく承認されたものだと思う。

45年間の医者の日常からいうと、家に重病で苦しむ家族がいるのに、祭りだ祭りだとおみこしを担ぐ図式には到底なじめない。。

オリンピックはスポーツの祭典である。しかしこのたびは国際的にも深刻課題となった原発事故を含む震災復興をもう一つの輪として実直に取り組むことが要求される。
実現の可否は「日本の良心と責任意識」に掛かっていよう。

国の良心や責任意識を世界に示すチャンスなど滅多に無い。しかしそれは世界が期待し、開催地決定のカギにもなったものかもしれない。

福島の復旧と復興は支援などという曖昧なものから名実ともに厳格な国家事業となった。
初めからしてして当然であろう。現地と世界を裏切るわけには行かない。

今日の雲今日の樹下美術館上空の雲。朝夕だけでなく日中も涼しくなった。

雲の季節 頑張れ農業。

2013年9月6日(金曜日)

午後に樹下美術館でコーヒーを飲んだ。裏手の田んぼからどーどーとコンバインのエンジン音が聞こえている。大きな機械が何台も入って次々に刈っていた。毎年もち米の品種から始まるらしい。

農業は天候に大きく左右される。今年は春以来、冷温、乾燥、猛暑、大雨など何かと異常と言われ続けた。皆さんの規模は昔よりはるかに大きい。やり直しが効くとは思われないゆえ、心安まる暇が無かったことだろう。

それでも稲作は平年並みと報道された。あと少し穏便な気象が続くことを祈らずにはいられない。

 

涼しくなって雲の形が面白くなってきた。雲は自然現象なのに、見上げるだけで即、巨大なアートに変わる。昨日のように雨を降らせたり風まで吹かせる。自然は偉大だ。

 

昼の雲本日は変化に富んだ気持ちのよい雲。

コンバイン美術館に隣接する農道を行く大型のコンバイン。

いま燃料の高騰は馬鹿にならない。
安全、新鮮、美味、美観、 日本の風土の根幹を支える農業!
こんな立派な仕事はない、どうか粘って頑張ってください!
新潟県でも再び小麦への取り組みや、地熱利用の野菜栽培などが試みられていると聞いた。

柿崎海岸で九月の驟雨に遭う。

2013年9月5日(木曜日)

午後休診の夕刻、春以来となる柿崎の海を歩いた。シーグラスを探しながら歩いたが、いつしか「浜千鳥」をくちずさんでいる。ここでよく千鳥を見るのと、千鳥と母が重なるので柿崎にくると自然に出てしまう。

生前シーグラスを探して持ち帰るたびに、ベッドの母は青くてきれい、大きいね、などと興味を示した。色々こまごまと喋った人でも、最後はきれい、大きい、小さい、もう少し、お腹空いた、などとしか言わなくなる。最晩年は、そんな時間がいっそう貴重で有り難った。

 

今夕の柿崎は東の方角に当たる米山が雨雲に被われていた。雲は次第に低く広がりそこから強い風が吹いてくる。いつもとは逆、まさか竜巻などは来ないだろうが、帰りには土砂降りとなり最後は走って車に飛び乗った。

前歩き始めた頃、東北の方角は雨雲。

 

途中から帰り始めると、強い風とともに雲がこちらに広がってくる。

 

本降りへずぶぬれになって車に飛び乗った。

途中まで湿った風が気持ち良かったのですが。
ずぶ濡れで車のシートに座るのは気持ちが悪いですね。
シーグラスはほとんどありませんでした。

上野で出会った人々 松井豊氏の「笑ふピエロ」 画家達の幸福。

2013年9月5日(木曜日)

去る9月1日の主体展における非日常インパクトが強く残り、一両日は多少のぼんやり感に包まれた。

それにしても当日多くの方にお目に掛かった。中でも倉石隆氏が繋がる主体美術協会の方々や新潟県ゆかりの会員・阿部正彦、妙高市の大口満氏に出会ったことも幸いだった。ちなみに大口氏は13人の佳作入選作家の一人で、同県人として鼻が高い。

以下は1995年、新潟市美術館における倉石隆展の図録である。中に7,8枚の小さなスナップ写真が載っている。そこにはご本人とともに上越市ご出身の若き賀川隆、矢島甲子夫、矢野利隆氏らが、そして友人の司修、松井豊各氏のお顔が見える。

図録表紙1995年9月14ー10月22日 新潟市美術館に於ける展覧会図録。
樹下美術館カフェでご覧頂けます。

賀川氏、矢島氏は既に亡くなられているが、賀川氏のご子息にはお会いしている。また司氏は当館でご講演をしていただき打ち上げもご一緒した。そしてこのたび精養軒のレセプションで懸案だった矢野氏と松井氏に初めてお目に掛かった。

お二人とも大変お元気で、出品された作品にはそれぞれ時間の静止と流動の物語が若々しく描かれていた。倉石氏が去ってすでに15年が経つ。しかしありし日のアルバムで一緒だったお二人が、現に目の前に元気でおられること、しばらく夢のような感覚に包まれた。

 ところで樹下美術館には松井豊氏の「笑ふ道化」というとても小さな作品がある。倉石氏の奥様から頂いたもので、自作と思われるアルミjの額が付いている。

笑ふ道化「笑ふ道化」(7、9×10,3㎜)。〝豊〟の整ったサインがある。
(傷みを生じていて大変申し分けありません)

裏面手作りの額の中、笑ふ道化の裏面に描かれていた美しい女性の像。
倉石隆様 197? 松井豊  と記されたいた。

ピエロといえば哀愁のイメージであろう。しかしそのモノトーンの裏に、ファンタジーを思わせる美しい女性が色鮮やかに描かれている。まことにはっとさせられた。

記された文字からして贈り物だったのか。小さな絵に込められやりとりは、すでに忘却の彼方にありそうだ。しかし友人同士のエピソードめいた名残りは、美しく小さな化石になってこうして残っている。絵の表裏のことは偶々だったかも知れず、事の詳細は分からない。だがこうした心の込め方は、芸術家たちの一つの幸福ではないのかと羨ましく思った。

上野で第49回主体展とレセプション。

2013年9月2日(月曜日)

昨日、第49回主体展に行ってきた。正午前、上野駅で降りた東京は猛烈な暑さ。コンクリートが吸い込み貯めて跳ね返す熱波は並みでは無かった。会場は東京都美術館。

歩いて行くのだが暑さをものともせず、上野は賑わい、多くの芸術・博物施設へ、そして公園へ向かう人でごった返していた。

1ウエイトレス不忍口から出てJR線下は軒並みのレストラン。満員の店内で色々親切だったスタッフ。
最後に、〝今日はこれで帰ります〟と挨拶に来て驚いた。写真はブログOKのピース。
急ぎの昼食でまごまごする私たちがとても田舎者に見えたのだろう。
店は「バニュルス 上野店」だった。

2風船公園で大きなシャぽん玉。

3琢也の前1300点を超える作品が展示された広大な館内で二番目に樹下美術館から出品された
特別展示作家・倉石隆の「琢也」があった。
若者の不安と内なるエネルギーが横溢するモノクロームの「琢也」は見やすく、多くの人に足を止めて頂いた。
おびただしい作品はみな個性と切磋琢磨のエネルギーに満ち、晴れやかで、素晴らしかった。

4司修さんの講演午後2時から始まった司修(つかさおさむ)さんの講演会「イメージの迷路」。
大江健三郎の経験、精神分析医ユングの症例、芭蕉と其角のエピソードなどから、
心の闇から抽出される命の物語の象徴として浮かぶイメージについて語られた。

司さんは女性に人気があり、来場者の7割以上が女性。書物のサイン会も長蛇の列だった。

さて夕刻、6時半から精養軒でレセプションがあった。来賓挨拶を美術評論家の林紀一郎氏がされた。氏はその界の大御所のお一人で、元新潟市美術館の館長もされた。また1995年新潟市美術館で開催された倉石隆展の64pによぶ展覧会図録で、倉石隆の左手の製作について書いておられ、ぜひ一度お目に掛かりたいと思っていた。
「老後に認知症となり施設に入る時があっても、イーゼルと絵筆を忘れずに持って行って」など、気骨溢れる挨拶をされた。

その次の挨拶が何と筆者で、当日頼まれた。何を話したかよく覚えていないが、上越市と樹下美術館を紹介させていただき、主体美術協会の倉石氏に巡り会えたことへの感謝を述べさせて頂いた。

5鏡割り秀作入選者によるレセプションの鏡開き。手前が「繚乱」で損保ジャパン表彰を受けた井上樹里さん。

 7受賞者と入会者秀作入選者と新入会員の皆様。若い人、女性の多さが目を引く。

 8林先生と司さん歓談する林紀一郎氏(手前)と司修氏(向こう側)。

当日上野のホテルに一泊して今朝早くの新幹線で帰ってきた。行きの車中、施設から患者さんの39度を超える発熱の相談電話を受けていた。幾つか対応を指示したが、朝には落ち着いたと連絡があった。出先でよくこのようなことがあり、綱渡りのやむなきを経験する。

芸術はいずれも価値と力をもっている。主体美術協会へ若い人たちの入会が増えていると聞いた。手を抜かなければなんとかなろう、皆さんの可能性が楽しみだ。

002立派な第49回主体展図録。
404点の応募、188点が入選。うち7名の秀作、13名の佳作、新人賞山岸結さんだった。

005作品2ページ目に倉石隆氏と「琢也」。

最後にこのたびは同協会の﨤町勝治さん、榎本香菜子さんに大変お世話になりました。
謹んで御礼申し上げます。

明日から主体展 1979年の朝日新聞日曜版を倉石隆、司修(つかさおさむ)両氏の作品が飾った。

2013年8月31日(土曜日)

明日は9月となり、早いというほかない。

その9月1日から東京都美術館で第49回主体展の本展が始まり、その後京都、名古屋を巡回する。
主体美術協会による主体展は来年が満50周年に当たる。その記念企画として、昨年度から同会の草創に参加された物故会員5人を選び、一点ずつを「礎の作家たち」として特別展示をしている。

今年vol2の同企画に倉石隆氏が選ばれた。5月に同協会の担当が来館され当館の「琢也」を決めていただいた。大変に光栄でまた楽しみである。

 

ところでおよそ35年前、1979年(昭和54年)2月4日の朝日新聞日曜版の文化面一面を倉石氏の「髪」が大きく飾っている。連載記事・紙上創作展における〝おんな〟シリーズの掲載だった。

倉石氏記事紙面で倉石氏は、〝本当のことが描いてある絵は強い。ひかれるのはそういう絵だ。(途中略)僕は人間を好んで描くけれど、美人とかチャーミングな女の絵は苦手だ。(途中略)一生懸命、美人を描いたつもりが、怖いとかいわれてしまう。迫真という言葉は、僕には魅力的だけれど、それを目指すとき、甘美なドラマの主人公のように、万人に好かれることはまず無いと思っている〟と述べている。

 

「髪」の3週間後の同シリーズは司修氏の「卑弥呼の時代」だった。主体美術協会のベテラン、中堅が続いていたのである。

司氏記事

紙面で司氏は、〝戦災で街が焼けて、バラックがあちこちに建ったころだった。つぎはぎだらけのモンペに黒く汚れた木綿のシャツを着て、姉が洗濯をしていた。(途中略)僕は子供心に美しいと思った。喧嘩よりしたことのない姉に対して不思議な感情を持った。(途中略)街中で、電車で、仕事で出会う美しい女性は、姉が重なって見えてくる。その姉も事故で他界した。僕は古代人の中に姉を送りたいと思っている〟と述べている。

年の違う倉石、司の両氏は仲が良かったと聞いている。一昨年9月、樹下美術館で司修さんに倉石隆についてのご講演をお願いした。
明日、東京都美術館で同氏の記念講演会が予定されている。司氏は「卑弥呼の時代」当時、すでに第7回講談社出版文化賞のブックデザイン賞に輝くなど多彩な活動のスタートを切っていた。

 第49回主体展の案内。

ほぼ同い年の友人宅で。

2013年8月29日(木曜日)

今夕ある友人宅に招かれ(押しかけ)てご馳走になった。

食卓1

食卓2

食べ物飲み物、お話、ともに新鮮で5時間もお邪魔してしまった。

緑一色の庭 身にしみるツクツクボウシ 残った宿題。

2013年8月28日(水曜日)

夏から秋へ、本日当地の気温は30度に届かなかった模様。

いよいよ庭は花少なく、良く言えば緑一色となった。それはそれでいいのか、緑がきれいだと仰るお客様に出会う。

花なき庭と蝉の声さて木々では声をからしてツクツクボウシが鳴いている。

拙句) 花絶えて緑一色樹下の庭

拙歌) 木立にて何をか為さむ空蝉の尽くし尽くしと鳴くぞ哀しき
→ 木立にて何を為すらむ空蝉の尽くし尽くしと鳴くぞ哀しき
(ダメはいくら直しても変わりませんね)

彼らオス蝉は良き妻を得るまで皆して鳴き続ける。あたりのメスを求めてあるいは「尽くす尽くす」と訴えているのでしょうか。

さて子ども達の夏休みが終わる。本日の通りで小学生とおぼしき女の子とお母さんが玄関先の階段に並んで座っていた。お母さんが通りを見ながら絵を描き、子どもがのぞき込んでいる。宿題が残っていたのだろう、微笑ましかった。

秋を迎えて 水鳥 残照。

2013年8月26日(月曜日)

日が短くなり始め夏~秋へ季節は移る。新旧の暦に照らす暇もなく、気象や生き物そして気分・感情まで移ろうのを感じる。

昨日日曜日、4組のゴルフコンペは妙高CCだった。高原のコースでかろうじて100を切り2位のお土産を頂戴した。31もついているハンディキャップのおかげというほかない。

潟川 昨日日曜日夕刻の潟川。水鳥の影に秋を感じる。

さて潟川は上越市の大潟区と、吉川区と頸城区の一部の水田から水を集め、大潟区犀潟の新堀川を経て海に排水されています。
昔は小舟が往き来して稲を運んだと聞きました。筆者の子どもの時も我が子たちともこの川で釣をしました。よくフナが釣れ、ハヤやナマズを釣ったという人もいました。

四ツ屋浜の残照昨夕の大潟区四ツ屋浜の残照。秋の旅情が漂う。

7月始めの日没は19時15分ころだったのですが、今や18時25分ということです。

アメシロ退治 まことにタフなヨットレース 美術館は人生最後のレース。

2013年8月24日(土曜日)

秋を迎えて厄介なアメシロの二回目の繁殖時期になっている。。今夕、アメシロが巣をかけている木に梯子を掛けて大枝を切った。それを細かに切って焼いた。本当は枝など切りたくない所だが、消毒が効かない場合もあり致し方ない。当分格闘が続きそうだ。

慣れない梯子、枝きり、たき火、ともに汗だくになった。

さて色々と過酷なものがありますが、競技としてヨットのオーシャンレースがある。
9レグをかけて世界一周を争うボルボ・オーシャンレース(VOR)などはその一つだ。
艇が見えなくなるほどの大量のスプラッシュ(しぶき)、危険な傾斜角、遭難の領域を猛烈なスピードで帆走する。
落水を免れているのはしっかりハーネスを装着しているからにちがいありません。

超過酷なレースだが優勝はトロフィーのみで賞金は無い。

ヨットでほぼ30年前ありし日の小生?レース後の帰路、富山湾沖だと思う。
このときのレースは輪島-舳倉島往復レースだったのか。
当日夜半から朝にかけ、余りの悪天候のため棄権艇が出はじめレースは途中中止となった。
めったに行けないので舳倉島だけは廻った。

当時の数年間、およそ30フィートのレースヨット「オレンジペコ号」を皆で所有し乗り組ませてもらった。
艇は6人が寝泊まり出来、能登や佐渡のレースに参加したりクルージングを楽しんだ。
とび職、サラリーマン、機械リース会社の整備工、自衛隊員、、、皆さんは様々に能力がありレースは強かった。
仕事が多忙を極めるようになって、船を下りたが、クルー各氏には本当にお世話になった。

こんな写真を引っ張り出すと大変懐かしく、ある種別人と出会っている感じがする。
年を取ったが、人生の最後に美術館の維持という自分との戦いに参加しているようにも感じられる。

蘇った芝生。

2013年8月22日(木曜日)

あちらこちらに灰色のまだらを生じていた芝生がきれいによみがえった。約一週間、朝夕たっぷりと散水した後、昨日はしっかり雨が降った。

日陰や樹木の周囲など貧弱だった所も濃くなった。芝刈り直後で散水のタイミングも良かった。

樹下美術館の周囲およそ450㎡の芝生はお客様への眼ぐすりになれば、と思っている次第です。

007

 

芝生2均等に緑が帰って来た今日の芝生。

昨日の雨のせいでしょうか、本日は幾分涼しく感じられました。

予報通りに雨が降った。

2013年8月20日(火曜日)

予報通りに降った雨。しっかり降って当地の田畑や庭にとって慈雨となった。このたびの予報は正確で少々驚いた。

「百姓にとって雨は悪いはずがない」。洪水や鉄砲水がまず無い上越市大潟の農家で聞いたことがある。

百日紅驟雨に煙る仕事場の百日紅(さるすべり)。雨も日照りも気にしない風で、ある種驚異的だ。

ただいま23:25、遠くにわずかな虫の声。すこしでも涼しくなりますように。

夏の話が二つ。

2013年8月19日(月曜日)

明日はとにかく雨が降るらしい。近くの家庭菜園で、早々に夏の畑に見切りをつけ、秋に備えて耕やし始める人を見るようになった。暑さのなか、乾いた畑にモウモウと土ぼこりが立ち可哀そうなくらいだ。しっかり降って是非とも慈雨になってほしい。

さてお二人の以下のお話に感心している。

超ご高齢の方にこの暑さは厳しい。しかしあるせがれさんの介護は非常に熱心だ。
「朝食はいつもの時間だと全く口を開けなくなりました。しかし時間を遅らせると反応するようになりますね」
相手に合わせていく、なるほどである。こうして一日2食になることもあり、それはそれで良いのである。

「ウトウトしてなかなか口を開けない時は〝婆、さあさあ畑の草取りに行くでね〟と声を掛けるとぱっと眼を開けて少しは食べます」
まず眼を開けてもらう、これも上手だ。介護者はお母さんが最も夢中だったことをちゃんと知っていらっしゃる。

手を掛けるだけでなく深い愛情と洞察。せがれさんには同行の看護師ともども感心させられている。
「少しでも親と話をしていたいのです」と本日の帰り際に仰った。

夕刻来られた方が仰った。
「夏休みは次々に子ども夫婦や孫がきて、今日やっと皆帰りました。私は夏の我が家を〝民宿・赤字〟と呼んでいます」

 

6月の四谷浜6月の四ツ屋浜の夕暮れ。このところ空に入道雲も見られない。
明日はどんな雲からどんな雨が降るのだろう。

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