東北の大災害から5年が経った。

2016年3月11日(金曜日)

本日は5年目の大震災の日だった。
当日も金曜日であり、夕刻近く当地もただならぬ揺れに見舞われた。
ゆさゆさ、ゆさゆさと不吉な揺れの後テレビは宮城、岩手県はじめ一帯の
前代未聞の大地震を告げた。

仙台市に妻の子と私の義理の弟が、南三陸町には弟が、それぞれ家庭を
持って住んでいた。
仙台市との電話は最初だけ繋がったが南三陸町の音信は最初から途絶した。
同地の姪たちはともに小学校に通っている。
テレビの映像は想像を絶するもので、津波が下校時間と重なっていたため
安否がとても気になった。

同夜遅く南三陸町が壊滅したという情報に接した。
災害が超巨大であることが次第に明らかになっている。

翌日夜、仙台の甥から電話があり、姪達はほぼ全員高台の学校に残り一
夜を明かして無事らしい、と電話があった。

数日後、インターネットの安否確認サイトを通して弟一家は全員無事らしい
ことが分かってきた。
サイトでそのことを知らせてくれたのはフォークシンガーの小室等さんと、
お仲間の歌手のネットワークであり、有りがた味は心に沁みた。

後日臨時に開設された公衆電話所から弟の声を聞いた。
自分の事より、町の防災庁舎の痛ましい犠牲は行政の怠慢と憤慨した。

三週間ほど経って妻が子供達を訪ねた。
あまりの惨状に帰ったあともしばらくショックをひきづっていた。

そしてかねて忌まわしかった原発が本当に事故を起した。
悪夢は地獄の出来事のようであり、異次元感覚を引き起こさせた。
失敗が広大な地域を汚染させ、十万を越える人に故郷を捨てさせる。

いつかこうなる予感はあったし、さらに先に絶望的な廃炉と廃棄が待っ
ている。
生活のために得体の知れない魔物を使い同居することをどうしても肯
定できない。

「他者とその犠牲を本気で心配する人」と、「風評としてお上に付く人」
事故は肝心な点で人が二通りに分かれることを示した。

人間はこんなに違うものかと実感するのは淋しいことだった。
願わくば両者は根底で繋がっていれば、と一縷の望みを託したい気持ち
だ。
幸福、不幸の根拠が互いに対極とはどういうことだろう。

政治は高い理想を掲げ、行政はその方法論を練る、願わくばそうあって
ほしい。
だが今日それは入り口から便利不便の現実論に後退して始まる
理想理念が漠然としたまま、いつしか政治は行政の代弁者の如く漫然
となる。

大災害ほど政治家の勇気や希望や慎みの言葉が期待されるものはない。
5年経ても現場の無念と必死が伝わるだけに、心打つ言葉が期待される。

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