2019年2月27日

1958年(昭和33年)の小野喬選手を囲む写真 上越市の体操。

2019年2月27日(水曜日)

小生の地元、上越市大潟区九戸浜に来年3月開場を目指して上越市体操アリーナ(仮称)の建設が進行しています。
国内最高レベルの規模を有し、来る五輪ではドイツチームの事前合宿の練習場になる予定です。

大潟区は体操競技が盛んで、中学校体操部は着実な歴史を刻み、上越市大潟体操アリーナを練習拠点に活動する体操クラブが充実。レインボージムナスティックス大潟は周辺から多くの人を集めるようになりました。

 

ところでわが家にオリンピックで活躍した体操の小野喬選手を囲む写真があります。
小野選手は1956年メルボルンオリンピックの鉄棒競技で、初めて日本人として金メダリストとなり、次のローマオリンピックでは初の団体総合優勝に貢献しました。
1964年の東京オリンピックは日本選手団主将として選手宣誓を務め、オリンピック選手として4大会連続で代表に選ばれました。そして全ての大会でメダルを獲得、4大会連続メダルは男子として日本人最多の記録として残っています。

さてその写真です。
1958年(昭和33年)10月8日、大潟町中学校の体育館が新装なり、お披露目に新潟大学髙田分校の選手とともに小野喬選手と後輩2選手が招待演技をしました。


選手招待時、旧大潟町「池之端」に於ける記念写真。
中央に品川監督と小野選手、同日ともに演技した慶応大学体操部の2選手が写る。
前列右から二番目に元県議会議長、当時町長の藤縄清二氏、左から二番目に父。
小野選手と同窓の父は、選手招待の一助になれたことを喜んでいました。

体育館の新装と小野選手一行の模範演技を機に、地域は指導者にも恵まれ、その後体操が盛んになりました。またそれ以前から上越地方の男子体操で高田高校、女子は直江津中学校、直江津高校による目覚ましい活躍があり、広くその基礎が築かれていました。

平成20年の上越市大潟体操アリーナを経て、来年3月の上越市体操アリーナの完成へ。
上越市が体操の盛んな町として、今後五輪におけるドイツとの交流ほか体操界への寄与。さらにトレーニングおよび健康づくりへと、有益な場所となることを心から願っています。

関係者の長年のご努力に敬意を表し、来る施設の発展を祈っています。

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