鳥海山の前に酒田市は本間美術館へ。

2025年5月8日(木曜日)

5月4日仁賀保市へ向かうため新潟を発った特急は酒田乗り換え。酒田市の本間美術館を観る十分な時間があったので出向いた。

何といってもその富を公共事業や救民対策に投げ出した姿勢がケタ違いである。そもそも美術館も第二次大戦の敗戦に沈む市民を慮って昭和22年建てられたという。
展示品は本間家に伝わる庄内藩主酒井家、米沢藩主上杉家など諸藩からの拝領品および私蔵品を投じている。

長澤芦雪の「狗児(くじ)図」
師の応挙に劣らずとても可愛い。
※狗児は子犬のこと。

扇面の後に与謝蕪村筆の俳句草稿に弟子であった呉春が絵を添えた屏風があった。
以下二作は添えられた生活感ある呉春の作品。

「蕪村自筆句稿貼交屏風 呉春画」
貼り交ぜの絵画は当然一発で
決めたに違い無い。

 

以上二点は青手古九谷。
重厚な存在感。

太刀 名  月山正信作

 

安田 雷洲作「赤穂義士報讐図」
(写真は同館のデーターベースから引用)

上掲作品は大石主税が吉良上野介の首級を抱いている。幕末時代の作品は劇的な構図、陰影のグラデーションなど西洋の宗教画を思わせ、一瞥してドキッとした。

竹内栖鳳作「富士山」屏風
六曲一双の超大作。
(写真は同館のデーターベースから引用)

 伊藤若冲作「布袋図」
なめらかな曲線がとても爽やか。

以下は美術館隣接の庭園「鶴舞園」の一部です。

目立っていた赤いモミジ。
ノムラモミジか。

 

少々危ないジグザク橋には、
今居る場所を意識せよ、足許を見よ
など禅の意味合いもあるらしい。

向こうに別荘「清遠閣」

美術館の礎を築いた本間家は文字通り「日本一の地主」。かつ北前船で巨万の富を築いた商家でもある。往時は殿様以上の実力、実績があった。

『酒田照る照る、堂島曇る、江戸の蔵米雨が降る。』
『本間さまには及びもないが、せめてなりたや殿様に』
堂島は国内の米が集中した大阪の街。そこが曇り、江戸の米倉に雨が降っても酒田は照っている。万一殿様にはなれるかもしれないが本間様は絶対無理、と歌われている。

このたび新潟県人として嬉しかったのは、上杉輝虎(謙信)公や直江兼続の書状や漢詩が展示されていたことだった。
そもそも本間家が佐渡で成功し、当地へと移り発展したこと、および同県の米沢藩が越後春日山から上杉家を迎えた経緯などから越後との深い因縁を感じない訳にはいかなかった。

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