樹下だより

デッキにパラソル 懐かしいクルーと再会。

2014年6月22日(日曜日)

ひどく降ることもなく梅雨といえば梅雨らしい一日。

さて先日のこと、大きなバイクで来られた男性のお客様が一人デッキで読書をされていた。
雨止んでいて、日射しも風も戸外で本を読むにほど良い日だった。

そうそう、うちにはパラソルがあった、とその時思い出した。
梅雨が開けるとデッキは日射しが強く、お茶を飲むのにやや問題となっていた。

幸いデッキのテーブルはパラソル用の孔があり、本日仕舞いっぱなしのパラソルを入れて広げた。

012

 

001スタッフがお茶を運んでくれた。

 

005ロールケーキを切って貰いケーキセットの750円を払った。
曇り空だったがパラソルには安心感があり、目の前の水田もご馳走だった。

この日、カフェで何十年ぶりに昔のヨット仲間と出会った。スキッパー(艇長)のI氏をK氏とともに支えていたW氏。当時自分は恥ずかしながら30フィートのオレンジペコ号のオーナーをさせて貰っていた。

クルーはサラリーマンを中心に、自衛隊員、とび職で佐渡海峡横断などのレースは常に捨て身で臨み、強かったと思う。W氏は何度か当館カフェを訪れていたとおっしゃった。30年ぶりだったが一目みて分かったし、当時と同じ純粋感、体型と健康感までそのまま。色々な意味で嬉しかった。

14秋、「陶齋の器でお寿司を食べる秋の会」のお知らせ。

2014年6月21日(土曜日)

来週末日曜日で「陶齋の器でお寿司を食べる初夏の会」が終了致します。
1回5~7人の予定でしたが、毎回7人のご参加となり好評です。
(次回最終回は8名様となり館長は臨時席を設けて座らせていただきます)

次回10月の秋の会ですが、すでに何人もの方が参加希望を伝えてこられました。
(正式な受付は7月1日からとさせて頂いています)

 

14秋の寿司の会チラシ

「どうか秋の会もお気軽にご参加ください」

ラテンの美男美女 シェリトリンド アイス入り抹茶。

2014年6月19日(木曜日)

昨夜の事で恐縮ですが、サッカーWCの再放送を見た。
双方ラテンアメリカのブラジルVSメキシコ戦でメキシコが善戦した。

情熱的で大らかな印象があるラテン(アメリカ)の文化は遠いが親しめる。
試合中メキシコの攻勢でアウエーの場内にシェリト・リンドの合唱が起こった。

シェリト・リンドは愛しい人を思うメキシコの国民的歌謡で、自分なりに懐かしい。
思えば我が青春時代のラジオでラテン音楽はメジャーの一つで、幅広い人気があった。
マリアッチ、マンボ、レゲエ、ルンバ、チャチャ、ミロンガ、ボレロ、フォルクローレ、、、
タンゴに至っては本家のアルゼンチンのほかにドイツタンゴまであった。

今日と違って色々なことが自由に楽しめ、寛容でのどかな時代だったと思う。


ルチアーノ・パヴァロッティとエンリケ・イグレシャスによる「シェリト・リンド」
エンリケはスペイン出身の歌手でセレブリティであるフリオ・イグレシャスの次男。

 

黄色一色のスタンド

ラテンの男前達

女性選手たちは男前、観戦の美女たちも大人感があり魅力的だった。

アイス抹茶本日午後休診の木曜日は桜のアメシロ退治と散水などを行った。
汗した後カフェで妻が出したアイス入りの抹茶はいわゆる〝バカウマ〟
風味とともにさっぱりした甘みが広がり、いくらでも飲めそうな気がした。
(カフェの写真は妻のスマホで撮りました)

※あまりに美味しいので近くメニューに出来ればと思いました。

コムクドリとヒヨドリが一緒に水浴び。

2014年6月16日(月曜日)

数日梅雨の晴れ間が続いている。最高気温は27度前後、朝夕は20度少々で過ごしやすい。

先週土曜日の午後に座った美術館のカフェからヒヨドリとコムクドリが一緒に水浴びをするのが見えた。
何かと威張っているヒヨドリと愛嬌のコムクドリが一緒の光景は平和だった。

2

3水浴びには楽しむという雰囲気も感じられる。
鳥たちは新しい水を分かっていて特にそれを好んでいる。

三回目の陶齋の器でお寿司の会 コートジボワール。 

2014年6月15日(日曜日)

快晴の梅雨の晴れ間、三回目の「陶齋の器で寿司を食べる初夏の会」が無事に終了した。

本日も満席の7名のご参加があった。
職業、立場違えど陶齋の器で美味しいお寿司を食べ、お抹茶を服して思い出深い一期一会となった。

午前の庭清々と芝も刈られた本日の庭。

 絵唐津咲良に碗ものと絵唐津皿に盛られた寿司。

染め付け扇皿にいつもの染め付け扇皿に盛られた寿司。オクラにもご飯が詰められていた。

こうして良い季節6月が過ぎて行く

本日WCで日本を破った国コートジボワールを少し調べてみた。
西アフリカの海岸線にずらりとならぶ比較的小さな国々の一つ。
ウィキペディアでは人口:20,600、000人(???位)という実に曖昧な表記だった。
経済規模は佐賀県一県の水準だという。

数年前にも内乱があったという国状でこの強さ。
国名はフランス語。意味するところは象牙海岸(アイボリー海岸)。
その昔一帯から奴隷と象牙が欧米へ売られていった。
サッカーがこれだけ強いのだから今は平和にちがいない。

樹下美術館が8年目 図録のこと。

2014年6月11日(水曜日)

本日6月10日は樹下美術館の設立記念日。
あいにく火曜日だったので休館と重なった。

日頃早過ぎる月日に文句を言っている。
しかし樹下美術館に関して言えば、過ぎた時間は十分に手応があり、一種重量のようなものを感じる。

だが過ぎた日を懐かしむ暇などは全く見当たらない。
真剣に樹下美術館を考え思いを巡らせる毎日だ。

長い課題は齋藤三郎、倉石隆二人の収蔵作品図録。
本来ならスタート時に出来上がっているべきものを、毎年「今年こそは云々」と皆様の前で
7年も言い続けた。
これはもう罪というほかない。

今年に関しても年初めに、5月半ばの拙画展に合わせてと言い、
それを6月10日の設立記念日へと延ばし、そして本日その日にまだ出来ていない。

倉石隆図録原稿 (2)最終に近づいている齋藤三郎の稿。

 

倉石隆図録原稿 (1)倉石隆は齋藤三郎の二段階ほど手前にある。

間に合わないことの原因の一つは挨拶文に英文を付けることにしたことがある。
印刷会社さんが新潟市でその方面の方に依頼してくださり、作成中ということ。
そもそもレイアウト作業も自らPCでノロノロ行っているのが仇になっていよう。
最後に、倉石隆氏の「あとがき」が中々書けなかった。

本日それが突然のように概要として出来上がってきた。
あとがきに何ヶ月も掛かるのだからいくら時間があっても足りないわけです。
(今後これも何度か書き直すことになるでしょう。
天地ほどちがいますが、宮沢賢治はどんな原稿も際限なく書き直したと、聞いたことがあります)

あとがき

1995年夏のこと、「主人の展覧会が新潟市美術館である,、テープカットをご一緒しませんか」という一本の電話があった。倉石隆夫人からだった。夫人はその名を幼少にお聞ききしただけの遠縁の人で、電話で初めて倉石隆の名を耳にした。
40日に及ぶ展覧会が終わると、夫人からその時の図録が送られてきた。何気なく手に取った中身はおよそ人物画、それもみな深い魂を抱えているようで惹きつけられた。以来毎晩のように本を眺めては眠るようになった。「親戚に画家が居る、、、ああテープカットに行けばよかった」。日ごとに実物を見たい思いがつのった。

間もなく倉石宅を訪ねる日が来た。ベッドに身を起こした倉石氏は病によって言葉を失っていた。素晴らしいお顔立ちとはにかむような笑みは忘れられない。
当時、亡き父と小生で集めた陶芸作家・齋藤三郎氏の小さな美術館の構想が生まれていた。
「そのカフェの壁にでも架けて頂ければ」と夫人が仰った。以後彼女のご厚意や画商の案内で作品が少しずつ集まるようになった。

2007年樹下美術館が竣工し、その湾曲部に小さな絵画スペースが出来た。
壁前に立つと、倉石氏のモノクロームの人物達がこちらを見ている。決して美男美女ではない人々はいずれも作者の真剣な苦楽から生み出されている。不思議な事にホールに行くとどこからともなく倉石隆が現れ、作中の人物達と一緒の時間を過ごせる。集まるお互いは孤独でも孤立でも構わない。作家を囲みそれぞれ人生や命の営みを黙って語るのである。

氏のモノクロームは見やすいうえに深い。
往時を知る人から、倉石氏はとても素敵で地位名誉を求めることのない得がたい人だったとお聞きした。
嬉しい言葉だ。
樹下美術館の小さな白い絵画ホールに佇む時、いつしか心癒やさtれている自分に気づく。

さて以上ですが、今後も樹下美術館に文字通り精一杯(出来れば楽しんで)携わりたいと願っています。図録の遅れについては、「せっかくだから急がないで納得がいくように」というお言葉を何人かの方から頂きました。
このような暖い方々に甘えっぱなしで恥ずかしい限りなのです。

混雑のあと静寂、夏の庭へ 晴れと小雨そして霧。

2014年6月9日(月曜日)

昨日は二回目のお寿司の会がありましたが、美術館では昼過ぎまで30人の来館者さんがあったと聞きました。
樹下美術館の半日で30人は大変な混雑だったと思います。

翻って本日は8名の方で静かでした。
私が昼食に寄った午後、お近くのご夫婦がゆっくりされていました。

カフェで昼食モネ人形と一緒に昼食。向こうの水盤にシジュウカラとコムクドリが来ました。
あるウエブサイトの記事に「ブログは強調したいことがあれば何度も同じ事を取り上げてもいい」とありました。
良い記事でしたね、私も安心して同じ事を書くことにします。

 

窓辺からの庭窓から見た庭。さらに力強くなり間もなく紫陽花や鉄砲百合が盛りになります。

霧の山あい夕刻一時雨になりに気温が下がると、山あいに霧が垂れ込めるのが見えました。
夕食後見に行きましたが物語感十分でした。写真は近くの頸城区。
あまり濃いのは大変ですが薄い霧は旅情があります。

本日「陶齋の器でお寿司を食べる初夏の会の二回目」。

2014年6月8日(日曜日)

り降らない梅雨、そのまた晴れ間の本日。
「陶齋の器でお寿司を食べる初夏の会」が先週日曜日に引き続き二回目が無事終りました。

今週は4組7人の方が参加され、自己紹介をして和気藹々の食事会となりました。
食後は拙お手前のお抹茶をお飲み頂きました。

ヒメタイサンボク庭で匂っていたヒメタイサンボク。

キョウガノコとアジサイキョウガノコにアジサイが混じるようになりました。

page001本日の献立です(大きくしてご覧下さい)。

陶齋の確かな器によってお寿司、お料理は一層色良く映え、美味しくなりました。
ご参加の皆様誠に有り難うございました。

本日「陶齋の器でお寿司を食べる初夏の会」の一回目。

2014年6月1日(日曜日)

6月は風、雲、花などみな良く、力がありとても好きな月です。
折々降る雨の風情も得がたく感じられます。

そんな本日6月1日快晴の日に「陶齋の器でお寿司を食べる初夏の会」の一回目。
定数いっぱい7名のお客様を迎えて無事終了しました。

初対面同志の方が多かったのですが、
自己紹介をして一期一会の楽しい食事会となりました。

出待ち盛られて運ばれるのを待つ膳と陶齋の器。

お寿司メインのお寿司は二皿出ました。
これは二皿目で染附け椿の扇皿に盛られました。

お茶を待つ食後の待合室。

床の間茶室床の間。お軸はおなじみの陶齋の版画です。

正午から15分の休憩とお抹茶を入れて午後2時半過ぎまで。
最後に記念写真を撮りました。
「皆様本当に有り難うございました」

厨房の都寿司さん、お疲れ様でし。た。
とても美味しかったです、来週もどうか宜しくお願い致します。

マンテマの赤い道。明日は「陶齋の器でお寿司を食べる初夏の会」。

2014年5月31日(土曜日)

2009年の今頃、美術館裏の農道でマンテマの群生を見た。
数日来この花が、上越市土底浜の西の端で旧国道に沿って数十メートルの土手を赤く染めている。

008

近くで見ると白いふちどりのある小さな赤い丸紋が集っている。007外来種と言われるが愛らしい着物の小紋のようで和風な印象がある。

明日は暑い一日の模様。陶齋の器でお寿司を食べる初夏の会の初日。無事を願いたい。

 

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