樹下だより

雨の美術館 桜の枝払い。

2020年5月17日(日曜日)

終日細かな雨が降った日曜日。
自家菜園の方達は雨が欲しいと口々に仰っていた。私どもも一応庭をいじり、サルビアを植えたり芝に肥料や土をくべていたので、雨は有り難かった。

終日降る雨はホースの散水など比較にならないほどしっかり滲みこみ、植物に生気を与えてくれる。どれだけ馴染み、庭が生き生きするか、次の晴れ日が楽しみになる。

植えが終わったばかりの田んぼから撮った雨中の樹下美術館。
水田は海・山・川に比肩する田舎ならではの貴重な環境。

 

ベンチの桜の枝を払った。

新緑を過ぎるや庭木は猛烈に枝を伸ばしている。暖冬で力を蓄えた上、花や芝に施した肥料をお相伴して繁っている。
高枝バサミを使ったので首が痛くなった。

戦争よりまし 減らない死亡者と現場消耗の懸念 いつしか夏の庭へ。

2020年5月13日(水曜日)

宣言の有無に拘わらず、この先もじわっとした不安と緊張に包まれて日々過ごすに違い無い。そんななか、かってある年配の女性の患者さんが仰った、
「それでも戦争よりましです」と。

田植えの季節になった。
一年で最も良い季節の一つであろう。かってそのような折、夫に召集令状が来て出征し稲刈りの頃、遺骨になって帰ってきた。近所の男衆にもたびたび同じ話を聞くようになる。
それが何年も続き、生徒さんたちは工場へ動員、物資は配給、当地でも空襲のサイレンが鳴るようになり、〝欲しがりません勝つまでは〟一色の社会を経験したのである。
まともには比較できないが、言われれば今の所そのような日常よりはまだいい、と思うしかない。

ただ最近の状況をみると、感染報告は減りつつあるものの死亡者20人前後の日がそう珍しくない。
すでに受け入れ機関の関係者は3ヶ月余、ウイルスに身をさらし、連日死と背中合わせで重症者と取り組んでいる。院内感染による一旦撤退も無視できない。
また重積する疲労とストレスで逃げ出したい心情が去来するのは頷ける。実際、耐えきれずに現場を去った関係者がいるやに伝わる。

対象が減少しているのに死亡者が減らない。
バランスを考えれば、質・量とも医療側の消耗の現れではないか、と心配している。
だれ一人としてスーパーマンではない。彼ら彼女らは風邪と戦っているのではなく、基本丸腰でウイルスの相手をしているのだ。

どうか政府には長期戦で消耗しているであろう現場に対し、いっそう手厚い支援を考慮してもらいたい。

 

いつしか樹下美術館の庭は初夏の趣きになった。

 

 

 

 

多くは無いというものの、はっきりとは減らない死亡数が気になる。

開館の見通しにつきまして れんげ畑 ツバメの飛翔。

2020年5月11日(月曜日)

随分暖かくなってきました、皆様いかがお過ごしでしょうか。
コロナの春が過ぎようとしています。果たしてこの先夏はどのようなになるのでしょう。穏やかであることが期待されますが、一応の気遣いは必要な日常であろうと考えています。

さて、3月15日の開館をせずに休館を続けている樹下美術館。
新潟市のクラスター発生、上越市の感染報告があり、当地の拡大も心配されました。しかし安心はできませんが、ここへ来てやや落ち着きがみられ、全国レベルでピークを越える兆しも見えはじめました。国からは、新潟県を含め34県は、5月末までの緊急事態宣言を前倒しで解除する検討に入ると,知らされています。

そこで樹下美術館としまして、
今月いっぱいは様子を見させて頂き、東京都の宣言解除などをみて開館する予定といたしました。
当面、5月の連休の結果が現れる今月15日~20日の動向に注目しています。
具体的予定につきましては、今月25日ころを目安にお知らせ出来ますよう考えているところです。

開館の際
営業時間は最初の一か月は午後1時~5時に致しましたす(昨日の記載を訂正致しました)。
最初の1ケ月間のカフェはお茶とケーキのサービスだけにさせてください。
茶室の呈茶は開館1ヶ月をみてからの予定です。
※そのほか、感染予防などは、またお知らせ申し上げます。

今後は感染再燃も考えられ、その時にはどうか柔軟に対応させてください。

 

さて以下は昨日日曜日の写真です。

美術館の近く頸城区のレンゲ畑です。比較的小さな一角ですが、とてもきれいです。
以前に明治時代のこどもたちが「れんげの花ひらいた」
をして遊ぶ「銀の匙」の一節を紹介させていただきました。

 

芝生を改良すべく肥料などを買ってきて撒いた。

 

庭の南に初めてサルビアを植えるべくまっ赤なのを買ってきた。
妻が場所の仕度している。

以下は隣の田んぼを行き交っていた燕です。

 

 

 

ツバメの一回目の子育てが終わったらしく、水が入ったばかりの水田を大勢で飛んでいました。
時々みんなで鳴いては集まり高く舞い上がります。何をしているのでしょう、給餌でしょうか。

それにしましても流麗なツバメの飛翔は特別です。また撮ってみたいと思っています。

クリスマスローズを切った。

2020年5月9日(土曜日)

2月中旬から順次咲き始めたクリスマスローズ。およそ三か月、休館の庭で静かに咲き続けていましたが、受粉も終わり色あせてきました。株が力を保つよう本日花を切りました。

 

卒業した花を積んで記念撮影。

 

水盤の水を替え花の一部を入れました。

残りはほかの水盤に入れ、仕事場の待合室にも飾りました。クリスマスローズを器に生けた場合、終わった花の方が長持ちするようであり、いつまでも楽しめる花だなあと感心しています。

亡き級友を偲んで三つの「Goodby」。

2020年5月6日(水曜日)

コロナによって日々重い気持ちを、目の前の予定や仕事に向けて、なんとか薄めて過ごす日が続く。そんな折、級友が亡くなりさらに悲しい思いに包まれる。

都合によって会えないでいるのと、相手が亡くなり会えなくなった、のでは、全く違う。とくに急な知らせは、驚き、無念さ、悲しみ、むなしさなど負の心情全てが去来する。また親しくした者ならば、自らの体験でもあるかのように、同一化された怖れをも伴う。

生ける者の理とは言え、父母や妹のように今後何かにつけて思い出すだろう。

集まりをしない、というご遺族のお気持ちに従って精一杯の電報を打った。
昨日の二曲では全く足りないので今日は「Goodby」を三つ載せた。


クラシックの演奏家による2012年、Sibelius Academy of Musicの演奏。
Goodbyには二通りの譜面があり、
これはゴードン・ジェンキンスのもので演奏している。

 


鈴木章治のソロ。氏は1995年に63歳で亡くなっている。
映像は随分古い録画ということになる。
かってカーネギーホールで演奏した人。
当時氏の曲はラジオで聴かない日がないくらい人気があった。
テレビの録画であろうが、普通にジャズの演奏家が出ていた昔が眩しい。

 


ゴードン・ジェンキンスは戦前から作・編曲、指揮で活躍した人。
学生時代のラジオでこの人の名前は時折耳にした。
ただただロマンティックにアレンジされた「Goodby」。
情緒が日常とともにあった昔が懐かしい。

時代・場所・様式・人・みな違う演奏。
だが三者とも演奏キーが揃い(ほぼ)、一続きの演奏のように聞こえる。ピアノを叩くとE♭マイナー(変ホ短調)。各再生音のピッチもある程度忠実だと思う。

亡き人を思って掲載した音楽は果たして当人に届くのだろうか。級友を偲びながらどうみても自分が慰められている。一緒にこのような音楽に親しんだことをいくら感謝しても足りない。

軽い食事 お二人からがちゃがちゃのお土産 始まった春耕。

2020年5月4日(月曜日)

晴れた緑の日の休日。

 

本日昼食はヨーグルトと紅茶のみ。
夕食は半玉のラーメンだった。軽い食事を嬉しいと思うようになった。

今後絵を描いてみようと思い、何年も仕舞ったままの絵の具を出してみた。
固くなった絵の具などを捨てて身軽にした。気持ちの高まりが無ければ中々描く気にならない。道具がごちゃごちゃしていてもその気が起きない。果たして明日どんな気持ちになるだろうか。

午後のベンチに顔見知りのお二人の女性が見えた。

 

ガチャガチャのお土産という鳥の起き上がりこぼしはとても可愛い。
左メジロ、右アカゲラ。囲むのはお二人が付けていた手縫いのマスク。
桜で染めたという良い色加減。
左のは鼻の部分が尖った西村大臣のパターンらしい。

マスクづくりは感染症が興した思わぬトレンド。戸外志向と共に思ってもみなかった流れで、心が温まる。
これまでガチャガチャをしたことが無いが、鳥のがあるならやってみたい。

十分離れた二つのベンチ。

 

いよいよ春耕。

昭和の日の休日 先へ進む花 懸命に酸素を運ぶトラック。

2020年4月29日(水曜日)

連休初日となる本日休日は昭和の日、ということだった。
昭和時代の期間は実質62年と14日になるという。私が生まれたのはその四分の一ほどの前期に相当する期間だから、遠い時代の出生者ということになる。

自分が中学校に入学した時、今の私の年令に相当する人は明治9年生まれだ。何とグラハム・ベルが電話を発明した年らしい。
だから今年中学へ入った孫の一人にして見れば、私などは(私にすれば)、もはやはるか歴史上の世代に属していることになろう。
あらためて昭和、なかんずく自分は古いと感ずる。

だが現在、ノスタルジーなど許さぬとばかり強力なウイルスに囲まれてしまった。昨年の今ごろ、いや今年の正月に、だれが今日を予想しただろう。

困惑の日々にあって、以下は本日午後の樹下美術館の庭です。
八重咲きイチリンソウ、黄花ホウチャクソウ、白ヤマブキ、エビネ。
私たちの混乱を傍目に、「お先に」とばかり咲き誇っていました。

 

 

 

 

 

 

 

風で落ちたか、たぶんジュウカラの巣。
新しい巣をちゃんと造ったのだろうか。
忙しい鳥がこんなに手の混んだ物を作るとは。

 

ベンチに座ると高速道路をトラックが忙しく往来していました。
行き交うトラックは呼吸困難の国を救おうと、懸命に酸素を運んでいるように見えました。

森のトマト畑 その1。

2020年4月18日(土曜日)

新型コロナウイルス感染対応に準じ、なんとか休館中の樹下美術館。

お詫びのひとつとして、誠に恥ずかしいのですが1982~83年ころの自作「ばいきんきち」を掲載させて頂きました。
同じ頃もうひとつ「森のトマト畑」を書きましたので、本日懲りずにその前半を載せてみました。当時文は原稿用紙にボールペンで書き、絵は半紙に水彩を施しました。

長年経ち、一定の語句を添削しています。また表紙を替え、新たに後半の挿絵を用い、タイトルはパソコンで上書きしました。当時多くの漢字にルビをふり、一応小学校低学年の娘向けに書いていました。

 

1 はじめに
今日は、むかし私がお山を歩いていたときに見つけたトマト畑のことをお話しましょう。
あつい夏の日でした。わたしはとおい所にあるお山をあせをかきかき歩いていました。うすぐらいお山の森に小さな空き地がありました。
おどろいたことに、そこにまっ赤にじゅくしたトマトがたくさんなっていたのです。

あついひざし、かわいたのど。そのとき、がまんしきれず一つもいで食べたトマトのおいしかったこと。でもなぜ、こんな山のおくにりっぱなトマト畑などがあるのでしょう。私はわけが知りたくて森のおくへはいっていきました。

森にはいろいろな動物が住んでいました。動物たちはリスもクマもテンも、タヌキも野ネズミも、キツネもみなつやつやと毛なみが良く、とてもじょうぶそうでした。元気なのは、おいしいトマトを食べているせいにちがいない、と思いました。

私は動物たちに、どうしてこんなところにりっぱなトマト畑があるのか、わけを聞いてみました。
すると年よりクマのマーグじいさんが、「こちらへいらっしゃい」といって、じいさんお気に入りの木のあなぐらへつれて行きました。
「じつはあのトマト畑にはわけがあってのう、ひとつ聞いてみるかい」といって話してくれたのがこのお話です。

2 うすぐらい森
動物たちの森はむかしからひあたりが悪く、とてもくらかったのでした。そのためみんなはよく病気になりました。それで動物たちはもっとひあたりが良ければなあ、といつもねがっていました。

ある日、村からいちわのカラスが森にまよいこんできました。カラスはみんなから明るい森のねがいをきくと、
「それなら私が空をとんで、太陽のひとかけらをとってきて森を明るくしてあげましょう」といいました。
みんな大喜び。くちぐちに「カラス君、おねがいします」とたのみました。

3 がんばりカラス
雲ひとつないたいそう良いお天気の朝、
「では行ってきます」
動物たちにみおくられ、カラスは大空めがけいきおいよく飛び立ちました。

 


パタパタパタ、パタパタパタ、、、。カラスはいっしょうけんめいはばたきました。
でもとんでもとんでも、太陽は高い空の上。がんばりつづけたカラスでしたが、夕がたまでにようやく低い雲の下までしか行けきませんでした。

太陽はどんどんしずんでいきますし、羽もすっかりつかれてしまいました。とうとうカラスはあきらめて、地上にまいもどりました。

それからあくる日もあくる日も、カラスはとびたちましたが、うまくいきません。


そのころ森では、動物たちがなかなかかえってこないカラスのことをしんぱいしていました。
「太陽はあついからなあ、カラス君、おおやけどをしてしまったのでは」
マーグじいさんはしんぱいそうです。
「空をとべるカラス君だ、きっと太陽をとってきてくれるよ」
小リスはカラスをしんじているようでした。
「もしかしたらカラス君、太陽をもちにげしたのでは」、キツネはうたがっているみたいでした。
それでも夕方になると、みんなでお山のてっぺんにすわって、カラスの帰りをまちました。

4 こまったカラス
ところでカラスはどうしていたのでしょう。
なんどくりかえしてもうまく行かないカラスは、しょんぼり村はずれの道をあるいていました。
「このままでは森にかえれない。こまったなあ、カアー」と空を見上げてなきました。

しばらく歩いていると、広いトマト畑が見えました。まっ赤にじゅくした大きなトマトがたくさんなっています。おなかペコペコのカラスは一つをもぐと、モグモグ、むちゅうになって食べました。
「あーあ、おいしかった」

カラスはようやくひといきつくことができました。
そしてもう一つ食べようとトマトをくわえたとき、
「コラー、いたずらカラスめー!」
大きな声がしておひゃくしょうのとくべえさんが走ってきました。
カラスはトマトをくわえるとスタコラ、スタコラはしってにげました。

ようやく草むらへとにげて、ひとやすみ。
くわえてきたトマトを食べようとしたとき、
まてよ、太陽がとれないなら、かわりにこのおいしいトマトをおみやげにもってかえろう。そしてみんなにわけを話して、あやまろうと思いました。
その夜カラスは、トマトをわきにおくと、ぐっすりねむりました。

申し分けありません、後半へ続きます。

 

これが当時の表紙。
いつでもコピーできるように、原本は閉じずにクリップで止めていました。

文の原稿用紙。
こどもたちなどに上げる時はこれをコピーし、
挿絵のコピーをはさみ表紙のコピーを乗せてホッチキスで止めました。

10部ほど作りました。当時白黒のコピーが普及しはじめていましたが、私が知る限りカラーコピーは新潟市の印刷屋さんが扱っていてそこへ持参しました。一枚800円だったと記憶しています。その後カラーコピーは急速に普及しました。

三密 淡交 自分を消す。

2020年4月13日(月曜日)

長年どちらかというと賑やかな所は苦手で静かな場所と時間が良かった。
30代のころ、近しい人が、春の連休の軽井沢について〝まだ賑やかではないのでイヤだ〟と話した。
アララ、春の軽井沢は静かで新緑、それなりに良いのに、と思ったが、人の好みは如何ともしがたいので、〝そうですか〟とだけ言った。同じ一万円でもお札1枚より一円玉1万個を喜ぶようなものかな、と思った。

そんなわけで外出となると近郊の静かな里また里山、柿崎海岸あるいは自然公園などで十分楽しめている。ましてお隣の妙高、柏崎や糸魚川の市へ出かけたならば旅情十分で、自然も風物も外国へ来たように心奪われる。

慣れた所も季節ごとに花鳥風月は異なり、毎日毎分雲と日射しは変わる。ましてカメラを持参するようになってから、なにかしら初めての草花や鳥に出合えるようになった。さすが連日は飽きるが日を変えれば基本同じ場所で一向に差し支えない。

もしかしたら自分は忘れっぽいので何を見ても面白いのかな、と思うことがある。ほかに迷惑をかける事でもないので、まあいいか、と深く考えないでいる。
そもそもこの年になると〝ある程度健康であれば生きているだけで満足〟という道理も働くのだろう。

「三密」
世が世なら、これは空海が説いた「身」「口」「意」、三つの本意(加持)だった。それで字面をみれば宗教的あるいは哲学的な雰囲気を漂わす魅力的な文言に見える。だが今日、新興感染症対応の基本として登場したのは密閉、密集、密接を三密として避けようと、いうもので偶々同じ文字になっただけのことである。
さてよく見れば現三密を避けるのは、親友もいない、酒も飲めないことなどから、およそ自分の性に合っていると捉えている。ただし密閉から開放され静かな戸外へ出ることだけは許して貰いたい。

普段仕事上密接する機会は多く、今日皆様とは相当距離を意識するようになった。逆に皆様の方から私との距離を置こうとされる態度に接することがあり、三密の行き渡りに感心している。ただ三密の励行は行政の力などではなく、ウイルス自身の強大さがさせるものであり、そのことだけは肝に銘じなければならない。
はたしてこれが何時まで続くのか、以前触れたように当面新しい文化として親しむことになりそうだ。

「淡交」
昭和62年初夏に入門した裏千家茶道の同門組織に「淡交会」があり、不肖永久会員の末席を汚している。人との距離、あるいは密接度に関して良い言葉がある。

〝淡交会」とは、十四代家元淡々斎宗匠の斎号に因み命名されたもので、荘子の「君子之交淡若水」 (君子の交わりは、淡きこと水の若し)に典拠するものです。
淡々としてあたかも水が流れるようになにごとにも執着せず、 どんなときにも感情に流されない平常心の交わりを意味し、茶禅一味の精神を根本とします。」、とホームページにある。

 

人はじめ万物との交わりについて述べられているのだろう。原典には続きがあり「小人の交わりは甘きこと醴(あまざけ)のごとし」と述べられるので、淡きことの価値がいっそう分かりやすくなる。

ところで世間には、ある種の話題になると反射的に激しい感情を込めて人や他国を非難する人がいる。見ていると喧嘩そのものとして写る。
自分を愛する余りであろう、心中休むことなく喧嘩が行われているのではと想像される。ご自分の正義とはいえそのような言説を耳にすると、立派な人なのにと、悲しい気持ちなる。

この点禅味が原点の淡き交わりは理にかなっている。
一昨年4月、お家元がお正客の八畳間の席でお点前をさせて頂く機会に恵まれた。
所作を分けたり繋げたり、人にも観ててもらったり、イメージトレーニングを入れつつ徹底して稽古をした。
最後の方になって、良いお点前とは〝自分が消えてしまうこと〟ではないかと気がついた。すべてそのための稽古だったのかと振り返った。

心配をよそに本番では、水のごとく淡く振る舞えたやに思われた。その時不思議な有り難さで夢心地さえ去来し、あとで家元から暖かなねぎらいを受けた。
但しもう一度それを行えるかと問われれば、今後の稽古(修業?)次第としか言えないのが情け無い。

さて、以上何からこのようなことを書き連ねたのかよく分からなくなりました。昨日日曜日は頸城区にある「大池いこいの森公園」へ出かけた事、それを三密の一つとして言い訳をしたかったからのようです。大変長くなりました。

昨日の大池湖畔。

当日の花鳥などの写真は次に掲載させてください。

無念の休館中 直江津の五智公園を歩いた。

2020年4月12日(日曜日)

3月15日予定の開館日から間もなく一ヶ月が過ぎようとしている。広がる新興感染症をみるにつけ、残念だったが休みにして良かったと思っている。

詳細を把握している訳ではないが、首都をはじめ国内の美術館、博物館の少なからず数は休館になっている。
延期後の再開を4月中とした所はまず無理ではないだろうか。8月31日までを設定している所があり、この方が無難なのかと思案する。

公立や大企業と異なり、樹下美術館は三ちゃん経営も及ばぬ弱小で基盤は弱い。開館していたなら、ニュースに一喜一憂し、心安まる暇はなかったにちがいないと振り返っている。

それにしても齋藤三郎倉石隆とも今年の展示は面白く仕上がっていたはずと自負していた。無雪のおかげで庭はいつもより念入りに仕上がり、カフェはシェリーとマイセンセンを買い足し、妻は新たなメニューを考案して備えた。さらに新機軸の月1回の呈茶の準備は張り合いだった。

現在、暖かな日などは皆様のお顔を思い浮かべながら無念を噛みしめている。

昨11日(土)および本日日曜の週末は五智公園と頸城区の大池憩いの森公園を歩いた。上越市の現状なら健康のため外気と適度な運動は意義あろうと考えている次第。

以下昨日午後の五智公園散策から写真を掲載いたしました。

五智国分寺の三重の塔。

 

展望台へ向かう道での写真です。

 

傷みやすいユキツバキが一輪、しゃんと咲いていた。

 

オヤマボクチの枯れ花。
秋は女王様のように咲いているが、春の姿は過剰なほど悲劇的。

 

二メートル間隔どころか、どんどん先を行く妻。

 

どこを見てもイワカガミが眼に入る。

 

はじめて撮ったアカゲラ。

 

展望台から直江津と向こうに尾神岳を望む。

 

野山は下草、低木から緑が始まる。
大きな木立はまず彼らに日光を与えてから新緑を展開するつもり?

広大な公園は路傍の手入れが行き届き、陽を浴びた草花が情緒良く咲いている。

 

美術館へ帰ると餌台にスズメが沢山きている。
今冬は極めて温暖だった。
それで鳥たちは例年より数を減らさずに済んだのではないだろうか。

大池憩いの森の分は明日掲載させてください。

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