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とても良かった「永青文庫所蔵 近代日本画名品展」。
昨日日曜日、上越市立小林古径記念美術館と上越市立歴史博物館へいった。
あいにくの雨降りだったが駐車場は満車で盛況だった。
古径記念美術館の永青文庫所蔵 近代日本画名品展は前期展示だった。
永青文庫は小林古径はじめ近代日本画家たちの主要なパトロンの一人細川家16代、細川護立(ほそかわもりたつ:細川護煕氏の祖父)の収集品を収蔵展示している。この度は市制50周年および同館一周年記念として同文庫やその寄託先である熊本県立美術館の貴重な協力のもと開催された。
第1室は古径作品で20年ぶりという重要文化財「髪」が素晴らしかった。
ごく薄い緑の腰巻を付けた女性が髪を梳いてもらっている。梳く人と女性の表情は良く似ている一方、二人の動静と着物の濃淡や柄の有無は対照的。それらの対照性と関係をふさふさした黒髪が強く結びつけている。清潔な青と緑による湯上がりの構成は素晴らしかった。
不思議なことに作品に署名がみられない。作品の左右に湯道具や脱いだ着物を描く構想があったのかもしれない、という話がある。
上越市のホームページから「髪」
髪を真ん中に右の人物の一部を切る。
全部を入れるとモチーフが小さくなり動きと迫力が落ちるのであろう。
同室に戦前北京を訪ねた古径の写真と写生および解説文があった。古径は、京都や奈良の良い所がここではいっそう生きている、という主旨を述べていた。今北京のどこかにその面影は残っているのだろうか。
最後に書院の小襖に二羽の野鳥が描かれた「鳥図」の小品が魅力的だった。左はオオルリ、右はエナガ。オオルリの青が美しく、身軽なエナガは、いかにも愛らしかった。古径がこれらの鳥を取り上げるとは、鳥好きとしては嬉しい。
永青文庫所蔵近代日本画名品展(上越市ホームページから)。
企画展示室は細川護立の収集作品が並ぶ。近代日本画と題するだけあり、会場には斬新さが漂っていた。
入ってすぐ左、中村岳陵の「摩耶夫人」はじめ三人の女性像の鮮やかな色彩とモダンな容貌、下村観山「女」の艶やかな二人の女性の眼差しと絡み合うような着物の縞模様、川端龍子「霊泉由来」の洋画風な色彩・タッチと物語性、が特に印象的だった。
さらに横山大観「野の花」。
キキョウ、ウツボグサ、キク、カワラナデシコ、オミナエシ、オカトラノオ、アザミなどの花々にススキやスギナが上品に描かれている。多く富士山を仰ぎ、一方で蕭然たる「屈原」を描いた大観が足元の野の花を描く。花は赤倉に岡倉天心を訪ねた折に親しんだものだったのか。鎌を脇に置いて休息する女性の強さがまた目を引いた。
加えて赤倉にあった細川家別荘の杉戸に大観ら12人の日本画家によって野鳥が一羽ずつ描かれた「鳥尽(とりづくし)」も面白い。即興で描いたのであろう、鳥の理解と描画の習熟に驚かされる。描いた画家達の赤倉におけるくつろぎが浮かぶ作品だった。
全体として掛け軸を主にするいわゆる「床の間作品」は控えられ、主として額装され、高さ1,5メートルを超える大型の「会場作品」や屏風が並ぶ圧巻の会場だった。
基本影を付けずにボリュームと奥行きを描く日本画家の創意工夫や、越えてきた困難および到達した清々しさに心打たれた。花鳥風月、女性、そして神秘性など日本画のエッセンスを堪能した。
いよいよ二度と観ることが出来ない作品と出合って行く年になった。後期約半数の展示入れ替えもあるが、この度の展覧会をもう一二度観たい。
同日、上越歴史博物館で開催されている「上越のみほとけ」も観ました。後日掲載しますがご覧頂ければ有り難いです。
樹下美術館の秋の庭 きれいな声。
予報よりも良い目の晴れ間に恵まれた本日土曜日。
樹下美術館の午後の庭はホトトギスやリュウノウギクが貴重な陽の中で満開になっていた。
ホトトギスはよくもあの熱波に耐え、我が世の秋とばかりに今咲き誇っている。
10年以上も前に富士山麓の庭から送られたリュウノウギクはすっかり定着した。
きれいな声だ。奏でているのはウクライナの民族楽器だという。
私の場合ゴルフは心臓に良いらしい ゴルフ場の存在意義。
次第に晴れ間が貴重になってくる。
よく晴れた本日午後、K氏と米山水源CCで半ラウンドのゴルフをしてきた。実は入院中、ゴルフはできますかと主治医に尋ねると、大いにやって下さい、と言われていた。
リハビリと心身リフレッシュに有意義ということで、とても有り難かった。
実は去る日曜日、松が峰CCで5組のコンペがあり、94で回り準優勝をした。50-44は近年にない良いスコア。慎重に回ったのが良かったのか、と思いつつ少々驚いた。
午後1時半からはじめて二時間少々、まもなく上がる頃の辺りのコース。
コロナ禍はフレッシュエアのスポーツであるゴルフを盛んにした。普段をみても多くの老若が参加しているのが良く分かる。
ゴルフ場は広大な野山を開発して作られる。バブル期に「乱」開発されたが今やそれも無い。むやみな自然破壊は心痛むが、ゴルフ場はたゆまぬ手入れによって全体として荒れぬよう慎重な管理が図られている。
人家が近い周辺では荒れ果てて近づけない自然は少なくない。それに比べ大いなる大気のもと、美しい緑に親しみ体を動かすゴルフ場の存在は意義がある。
昔よりプレイ代はずっと安くなり、一部の人の場所ではなくなった。また肥料や除草剤は改良され、有害事象を残さぬよう分解されるなど改善された。
折角の良い場所、今後さらに多くの人がゴルフを楽しむようになって、と思っている。
髙田の夕べ、映画のあとさき 新潟市のお二人。
一昨日の「クリムト」の映画は午後4時からで、その前後に何枚か写真を撮った。
映画館のすぐ近く、町屋交流館髙田小町の夕暮れ。
出来て随分経った。町屋らしい花のあしらい、手入れの良い建物。
世界館の二階席。
黒い手すりに円柱と角柱、そして赤い椅子の格調。
和やかな窓口、距離の近さはまさに下町の風情。
世界館と銘打つだけあり超モダンだったであろう建物は、
いま超レトロで貴重。
本日午後新潟市からA氏の同級生と仰る二人の女性が見えた。
樹下美術館は何度目かで、拙ブログを観て下さっていると仰った。
とても光栄です。
映画「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」を観た。
展覧会シーズンまっただ中で何か腰が落ち着かない。
そんな午後休診の木曜日。妻を誘って長岡市の新潟県立近代美術館に行こうと樹下美術館へ出向くと、A氏が現れた。如何にも良いことがあった風に入って来られた。
いま髙田世界館で映画「クリムト 云々」を観てきた、とても良かった。さすがウィーン、エゴン・シーレ(シーレ)も詳細で、随所にフロイトが現れ、音楽やダンスも素晴らしかった、と興奮気味だった。
この言葉で足は長岡ではなく、A氏と三人直ちに髙田へと向かった。
アプローチに生き生きとした秋の花が並んでいた世界館。入館すると上野支配人が甲斐甲斐しくモギリをし、生のアナウンスをされた。スピーカーではなく「生」の声が嬉しかった。
メインタイトルはクリムトだが、私にはシーレがよりフォーカスされていると思った。前者の装飾耽美の芸術に対して自己のゆがみと性、そして死へ没入するシーレ。作品のゆがみは意味との間で均衡し、色彩の濃淡は渋く美しい。二人に相当な違いはあるものの、精神の神話的な深さに於いて通底していた。
さらに同時代の、リビドー論や神経症などで革新の精神科医フロイトが登場。二人の芸術を補完すべくナレーションと当時の映像が何度も挿入された。フロイトが動くとは驚きだった。
画家のドキュメントのなか、時代が交錯するマーラーやシェーンベルグの斬新な音楽がかぶる。いずれもウィーンの芸術家であり、音楽は都にゆかり深いベートーベンやモーツアルトにも及んだ。
ちなみにラストはバックにモーツアルトのレクイエムから「ラクリモーサ(涙の日)」が全館に響きわたり、90分の映画はあっという間に終わった。
モーツアルトのレクイエムから「ラクリモーサ(涙の日)」
演奏ウィーン・コンツェルトウス・ムジクス
館内で求めた映画カタログの年表によれば1911年にシーレはクリムトの支援を受けて初個展を開いている。そしてその年、本日の映画館「髙田世界館」が「髙田館」として開館していた。
●「クリムト エゴンシーレとウィーン黄金時代」
2018年製作/90分/G/イタリア
原題:Klimt & Schiele – Eros and Psyche
なるほど原題は「クリムトとシーレーエロスと精神(魂)」のようだ。
ウィーンに行きましょうよ、とは、本日同じ映画を二度観ることになったA氏の感想だった。
産卵するアゲハ 「Poor Butterfly(プア・バタフライ)」という曲。
仕事場のカーポートの後ろにキンカンを植えて5年は過ぎた。
蝶、わけてもアゲハ蝶の仲間は好んで柑橘系の木に産卵する。毎年何羽かの蝶がこの木に丸く小さな黄色の卵を産み付ける。
孵化した幼虫は旺盛に葉を食べるので木は思ったように大きくなれなかった。だが木の我慢の甲斐あって、今春から一気に大きく伸びた。
すぐそばのブットレアの花がよく蝶を集めるので、二本の木は大変相性良く見える。
去る9月16日、アゲハ(ナミアゲハ)がヒラヒラとキンカンの周囲を飛び、産卵した。
この蝶の成虫(蝶の姿)としての寿命はわずか2~3週間といわれ、とても短い。産卵から孵化→幼虫→さなぎ、そして羽化、成虫まで全部をいれて精々50~60日程度、これを年に3,4回繰り返すらしい。
こんなに頻繁に生誕を繰り返せば、さぞかし辺りは蝶だらけになりそうだが、卵や幼虫は様々な他の生きものたちに食べられるため成虫になれるのはごくわずかということ。
それにしてもチョウなど、昆虫の複雑な成長過程は不思議に満ちています。
以下は1916年に発表された「Poor Butterfly(プア・バタフライ)」。
サラ・ヴォーンの「Poor Butterfly」 1956年。
導入や伴奏に東洋的な調べが混じります。
そして以下のようなことが歌われています。
“昔、蝶々さんと呼ばれる日本の娘が、アメリカから来た若者と恋に落ちた。彼女が思い出の桜の花の下で毎日佇んでいるのは、必ず帰る、と言って船出した恋人を待っているのです。哀れ蝶、いつまで待っても構わないと微笑むのに、心は悲しみでいっぱいなのです”
歌劇「蝶々夫人」をイメージして1910年代に作られたスタンダード曲。どこか東洋的な情感が漂い、まさに多くのアーティストによって愛され演奏されています。
曲はヴァース(前奏)が長いのですが、とても上手くコーラス(主要部)に繋がっています。
演奏されるスタンダード曲は、ヴァースが付くものが少なからずあり、特に歌唱でそれがよく歌われます。
「セプテンバー・ソング」や「思い出のサンフランシスコ」はじめ、両者がピッタリ合う曲は、曲調が高まり、感心させられます。
終了した「生誕90年 岩野勇三彫刻展」、最も気に入った「なほ」。
上越市の小林古径記念美術館で開催されていた「生誕90年 岩野勇三彫刻展」が本日終了した。
会期途中入院してしまい、終了間ぢかの一昨日と本日、二度観に行った。
「母」 1958年。
上越市大島区生まれの岩野勇三。
母は、芸術家を目指して上京した息子がどんなに心配だったことだろう。
「伊豆の女」 1976年(手前)、「あさこ」 1980年(向こう)。
作者のしっかりした眼と手によって命が生き続ける。
「待合室」 1968年。
駅の待合室であろうか、ふる里ならではの情景。
雪国のかくまきは髙田公園の「おまんた」や、
小田嶽夫著「高陽草子」の挿絵でも印象的。
「良寛」 1969年。
モダンな会場でいささか戸惑っている風の良寛さん。
私が一番気に入った作品は、展示場の奥にあった「なほ」(1983年)だった。この作品は撮影が禁じられていた。
以下は二番目に気に入った「なかま」です。
亡くなる前年の作品「なかま」。タイトルは人の名前だろうか。
他の作品の緊張と平衡の中で、背後からの眺めがゆったりして良かった。
ここだけ南国的なのどかさが漂っていた。
左向こうは翌年の絶作「牧歌(エスキース)」。
図録「岩野勇三彫刻展」
56才で夭折した絶作「牧歌」(1987年)が表紙を飾っている。
肺がんの末期は苦しい。
そのなかでかろうじて到達したエスキース(完成前の構想作品)。
驚くべき制作意欲。
当展には63ページからなる展覧会図録が販売されていた。
展覧会の計画と構想、作品依頼、神経を使う梱包、搬送、開梱。さらにあらゆる角度で鑑賞される彫刻ならではの展示と照明作業。開催は大変なことだったろう。
そのように忙しい過程で制作された図録だが、十分な体裁と内容が整えられ、作品同様の畏怖を禁じ得ない。
解説文などから、自然の観察こそ制作のみなもと、と述べている岩野勇三。身体、とくに裸に命の歴史と美を見出し、雪国の人に相応しい真摯さと喜びで制作されている。
そんな氏から、現代をどう観れば良いのか、一種示唆を受けたような、ほっとした安心を得た。
最後ですが、やはり「なほ」です。
全体と細部(色彩や手跡)まで気に入り感嘆した堂々たる「なほ」。
第17回中原悌二郎賞の受賞作品であり、作者の自信が溢れている。
図録に写真がありましたので、申し分けありませんが、
ページを見開いて撮り、掲載しました。
実作品にはブロンズらしい一段とヴィヴィッドな輝きがありました。
●新型コロナの拡大を懸念して、9月6日から臨時休館していました樹下美術館。
昨日9月19日から開館いたしました。
報告が遅くなりましたが、秋のひととき、どうか樹下美術館でお過ごしください。
きゅうきゅうと心臓が鳴った日の「びんのかけら」のアルファー波。
連休前の本日午前、当院にしては珍しく混んだ。その午前中に高齢の方の往診依頼があり、家人は入院を希望された。普段訪問をしているお宅で、医療の緊急性よりもむしろ介護事情の問題で社会的要因が加味されていた。
当然入院の可否は病院の診察医師の医学的判断にゆだねられ、希望通りに運ぶとは限らない。今回の患者さんの入院は微妙だった。
他方、病院への紹介はこちらの努力や力量も試され、今もって緊張する。紹介に値する診療だったかが暗に問われるのだ。
介護者に二つの病院を候補として挙げたが、入院まで保証は出来なかった。
昼食時間を外し、午後頃合いを見て第1候補の病院に電話した。医師は比較的若い印象だった。
容態と検査数値を伝え、事情を述べた。すると意外にも、分かりました直ぐ来て下さい、と返事が返った。
何と有り難いことか。
その返事を患者さん宅に電話すると、介護者は消え入るような涙声で礼を口にされた。
夏に病んで以来ややもすると心晴れず過ごしている。そこへ今週、病院紹介と病院からの逆紹介が数件続いた。いずれも波乱を含む課題があり、良いとは言えない心臓が時にきゅうきゅうと鳴るのを感じていた。
そこへ本日の一件。地獄で仏、病院の対応は他に替えがたい良薬だった。
そんな夕刻、ふと「びんのかけら」へ行きたくなり妻に提案した。
しとしと雨が降っていたが、芝生のアプローチ、壁を這うバラのツル、辺りの庭道具を目にしただけで心がなごんだ。
美味しかったアンチョビー(向こう)と田舎風(こちら)のピザ。
アルファー波は良い環境下の瞑目で現れるが、ここでは耳目に入るものでも鎮静される。
店に入ると「There Will Never Be Another You」のサックスが聞こえた。尋ねるとスタン・ゲッツだった。60年代?何とも嬉しい。
それから食事し、オーナーと古めのジャズの話をし、氏先日のアルプス山行やかっての北アルプスの雷鳥親子や星空、主宰されるバレー教室などの、逐一心地良いタブレット写真を見せてもらい、そして話をした。
ふと見たピアノに86’年9月のレイ・ブライアントによるサイン入りジャケット。
娘さんと一緒と思われる写真。
かって私もこのアルバムを持っていた。
上掲レコードから「Misty」
可愛いお嬢さんを膝に、演奏しているような優しい「Misty」。
1950年代後半のモノラル。
“ちょっと見て、私は木に上った子猫のように心細く”
“足を右左間違えずに歩いているかも心配”
などと歌われる歌詞がある。
入院とびんのかけら、本当に良かった。
どうでも良いことかもしれませんが 咲いて笑みこぼれては笑む萩の花。
時代により言葉は変わる。
名詞の短縮がはなばなしく行われる一方、ちょっとした助詞や接続詞の類も変わるようだ。
恐らく昭和では馴染みが薄かった後者の例をいくつか挙げてみました。
・~といった (例)宅配といった方法で→宅配などの方法で
場所、方法、事情の例えで、「など」が加味される。
・~ことから (例)感染拡大していることから→感染拡大しているため(ので)
理由を述べるのに用いられる。行政の通知文から始まったように思う。堅い上から目線のため、一般では通用しそうにない。
・~だったり~だったり (例)秀吉だったり信長だったりが→秀吉や信長が
比較的若い世代の説明や感想によく登場する。以前は「や」で足りていたので聞いているとまだろっこしい。
・~の方は (例)結果の方は数日後に→結果は数日後に
今春久し振りに行政の説明会にリモートで参加たところ、あまりに多く「~の方」が付けられるので驚いた。
・~とは思う (例)良いとは思う →良いと思う
いつのころから多くなった。無難や穏便を意識しての表現だろう。
「とは思う」を聞くと(だがしかし,,,)が連想され、「本当はどうなの」とモヤモヤする。
私達は聖人君子ではないのだから、自分なりに「と思う」と言えば良いのに、もう無理なのか。気の使いすぎ、窮屈の中の曖昧、不思議な世の中になった。
以上、文脈次第では妥当な場合もあると考えられますが、たまたま気になるものを挙げました。
名詞は痛々しいほど短縮されますが、上掲の言葉はみな長くなっている点も不思議です。
時代の進化洗練を願いながら、はたしてどうなのか。それでも良いとは思う、このごろです。
家の萩が盛りになりました。
「萩がこぼれる」を聞くと、「笑みがこぼれる」を連想します。
満開になったら再度載せてみます。
萩は古来日本で最も愛された花で、万葉集では梅よりも多く140余首もあるといいます。日本人は秋を最も愛したそうで、萩はそれを象徴する花ですね。
花言葉は内気、思案、柔軟な精神、などと記載されています。しかし私が見る限りとても丈夫で、こまやかで、時に大らか、さらに華やかな印象さえあります。
ころころと銀色の露を乗せた風情も格別です。しかし季節が進み葉が黄色になるころはさすがに無残を隠せず、早めに切りそろえるようにしています。
鵜の池のアイガモ 「Early Autumn(初秋)」 田の雀。
少々の蒸し暑さが戻った本日、午後の休養を有り難いと思った。
今夏はチョウトンボを見ていないと思い鵜の池へ行った。
もうチョウトンボの時期は終わったらしく姿がなかった。
静かな湖面をすいすい渡るアイガモが涼しそうだった。
池も海も初秋の趣きが漂っている。今後果たして30何度というような残暑はあるのだろうか。
以下は今ごろがピッタリの「Early Autumn」です。
多彩な活躍をしたスタン・ケントン楽団と自らのピアノによる「Early Autumn」。
戦前からの大御所ジョー・スタッフォードの「Early Autumn」。
今夏前半の熱暑、後半の低温は稲には良かったと聞きました。
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