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2月23日の小山作之助生誕160周年記念催事の仕度 夕刻は朝日池へ。

2025年1月26日(日曜日)

よく陽が射して穏やかだった本日日曜日。主に来月23日の拙講演のためのスライド12枚を作り系図1枚の下書きをしました。
講演は小山作之助生誕160周年記念の最終催事の記念講演で、作之助の系譜、特に没後の話をさせてもらう予定です。

上越市と大潟区においては作之助の顕彰事業として10周年ごとのメモリアル行事や毎年の「卯の花音楽祭」が行われています。しかしながら作之助亡きあとの末裔、特に音楽に関する系譜が話題になることは殆どありませんでした。

小山家の方々は東京と関東に移られて久しく、当地との交流がほとんど絶えた現在それらについて知る手立てが失われつつあります。そこで母方の当方で知り得た範囲でお話しさせて頂くことになったというわけです。

作之助には四人のお孫さんがおられ、長女の翠さんは高等学校の音楽教師とピアノ教師に、次女香織さんの長女幸子さんは幼年から音楽教育を受け、優れたバイオリニストになられました。
幸子さんは国立音楽大学卒業後オーストリアに渡り自身の音楽を大きく花開かれておられるまさにその時、若くして亡くなられます。彼女の没後ご主人は高名な指揮者兼バイオリニストに、幼かった遺児ヨナスさんはオーストリア屈指のホルン奏者など実は作之助の「音楽の系譜」は国外で伝わっていました。
これらの情報の詳細は幸子さんの同窓で先輩の作編曲家、指揮者、音楽プロデューサの中島良史氏から、ふとしたご縁でもたらされました。
※良史氏と幸子さんは同姓ですが血縁者でありません。

当日は中島氏から一昨年春に届けられた幸子さんの日本における演奏旅行で録音されたレコードアルバムの一部を掛けるつもりです。

会場は大潟区のコミュニティ-プラザで当日午後1時30分からの予定です。
どうかお暇をみてご来場いただければ有り難く存じます。

本日午後妻は美術館と家の整理を行い、夕刻一緒にハクガンを見に行きました。見ると言っても田では簡単ではないため、少なくとも朝日池でねぐら入りくらいは見ようと出かけました。

途中の尾神岳。
雲が格好よく、雪は少なそうでした。

目星を付けた4,5カ所の田んぼにハクガンの姿は無く、朝日池へ向かいました。

池に近づくと遠くから雁の群がやってきた。
幸運にもハクガンでした。

 

全群高らかに鳴きながらやって来て、
着水するなり急に静かになるのを
妻は不思議がっていた。

確かに空であれだけ鳴いたのに、、。不自由な水上で猛禽に居場所を知られるのを警戒するのかも知れません。但し普段新たな群が下りる場合、水上と空で盛んに鳴き合います。

夕焼けを写した水面のカモたち。

 隣の鵜の池の夕焼けを見ながら
帰ってきました。

2月23日のイベント
・会場と時間:大潟コミュニティプラザ 13:30~
・後藤丹 上越教育大学名誉教授による小山作之助に関する楽曲の解説講演。
・ゲストによる演奏会 などが開催されます。
・お申し込み、お問い合わせ ☎025 534 4367(大潟区公民館)

楽しい記念日になろうと存じますのでお暇を見てお寄り下さい。
近々詳細が告げられますので再度当欄でもお知らせ致します。

ああ近くに居たかった 鮎の甘露煮と百人一首最中。

2025年1月19日(日曜日)

本日日曜日も穏やかに晴れた。午後、庭に使う用土を買いにホームセンターへ出かけた。昨年秋から庭全体に肥料入り用土を蒔いているがまだまだ足りない。

本日芝生の目土3袋、花の培養土8袋を求めた。それぞれ小さめの14L袋11個を台車に積んだ。台車は一杯いっぱいになった。支払い後車まで運ぶ途中、溝のようなヘコみでガタンと音がして台車が前にひっくり返った。台車を起こしたところで遠くからスタッフが走って来て、車に載せるまで手伝ってくれた。

さて連日の鳥(ハクガン)です。今日はホームセンターへ向かうのに田を見ながら走った。午後2時半過ぎた頃、高く飛ぶ雁の大きな群を見た。双眼鏡を覗くと大半がハクガンだった。

車の向きを変えて群を追ってみた。雁の方向は朝日池で、車の私はあちこちの道をジグザグに走らざるを得ない。車が池に近づく頃、群は池の西端、米山に向かって手前の狭い部分を旋回していた。低く何度も回る。おそらく近づく前に下りてしまうだろうと考え遠くから望遠で撮った。

頭上を通過する群。

遠くからだったが以下の写真が撮れた。

湖上を旋回する群。

ここに居た方たちにとって
光景は奇跡だったに違い無い。

 降る如く舞う如く何度も旋回。

ああ羨まし、大きな群だった。せっかく舞ってくれているのに私は遠くから、しかも遅れて撮らざるを得なかった。普段のねぐら入りは17時前後であり、明るいこの時刻に現れるのは滅多に無い。池のふちにおられた方達は何と幸せなことだったろう。

因みに群の近くに居たのは大抵地元の人か撮影をしない観察者さんだ。一方普段三脚に大望遠レンズで撮る遠来のマニアさんたちはやや遠く東の方で構えている。車の数は数十台はあった。今日ばかりはここで待っていた人達が大変な幸運を掴んだと言える。

さて昨夕は京都、滋賀旅行でお世話になったAさんご夫妻から届けられた見事な鮎の甘露煮を食べ、本日は百人一首歌留多の最中を頂いた。

皺一つ無い見事な子持鮎。
美味しくてほっぺたが落ちそうだった。

百人一首の札が上下2枚の皮となって一包みされている。それにさお状になった甘い餅が入った小豆あんを切って挟む。
高校時代、一時家で百人一首が流行り、母に習って「むすめふさほせ」などを覚えて楽しんだ。このたびお菓子といえど札通りの図案はとても懐かしかった。

本日はせっかく紫式部の「め」で最中を作ったのに撮る前にバクリと食べてしまった。歌は「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」だった。幼なじみとの短い出会いの名残惜しさを雲隠れする月にたとえた歌だった。しかし私の式部最中(もなか)は巡り会うなり即お別れだった。

そこで二つめの河原左大臣(かわらのさだいじん)「陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」」を作って食べた。
「しのぶもぢずり」は福島県信夫地方の染めによる衣のことらしい。“もじずりのように乱れた私の心はあなたのせいです”と歌っている。

その昔、「しのぶもぢずり」の意味など全く分からずに遊んでいた。しかし意味不明の変わった言葉でも、かえって頭にこびりつい長く忘れずにいることがあるんだと思った。
※河原左大臣は嵯峨天皇の皇子だった人。

美味しい鮎、楽しい最中、京・近江の文化を有り難うございました。

音楽家飯吉さんご兄弟、兄汐澤靖彦さんのご逝去。

2025年1月11日(土曜日)

当欄でかってお載せしました指揮者の汐澤靖彦さんが去る7日にお亡くなりになりました。当日Yahoo!ニュースに出ていましたが、本日お載せ致します。

汐澤さんは本名飯吉靖彦と申され、中学時代からピアノで有名でした。お父さんは潟町中学校の校長先生だったと思います。当持の同中学校は吹奏楽が盛んで、近所の同級生たちはピッコロ、小太鼓、トランペットなどで一緒に演奏していました。
学生服の靖彦さんは時に我が家でピアノを弾いてくださりスターの雰囲気がありました。

直江津高校から進んだ東京藝術大学卒業後は読売日本交響楽団の創立時のバストロンボーン奏者として長く活躍、その後著明な吹奏楽団の指揮者とともに広く後進の指導に関わられ、東京音大名誉教授に任ぜられました。

当ブログには2015年、上越タイムス首都圏版での記事掲載2023年の白金フィルのコンサートの記事を書かせて頂きました。
23年には氏の友人から是非楽屋でお会いしてと勧められていましたので、当日お訪ねしますと、非常に喜んでくださり、お元気なのと「兄がお世話になりました」と仰ったのが心に残っています。

お兄さんの馨氏は新潟大学芸能科で学ばれた後ジャズに進みピアニスト、作曲、アレンジャーとして活躍され、NHKにもレギュラーとして出演されました。
私どもにも何度かお寄りになり、氏のライブ演奏をよく聴きに行きました。

一昨年指揮後の汐澤靖彦氏と
東京芸術劇場の楽屋で。

東京で演奏する馨氏。

馨さんは既に亡くこのたび靖彦さんもお亡くなりになられ本当に残念です。お二人の歩まれた道は違いましたがそれぞれの音楽に捧げられた情熱は熱く、幸せなご兄弟ではなかったでしょうか。

この度の汐澤靖彦さんのご逝去に対し心から哀悼の意を申し上げます。

脅しの如く大雪と言われながら 夜は「ハウルの動く城」をちゃんと観た。

2025年1月10日(金曜日)

降るぞ降るぞ、平地も降るぞとテレビの予報が言い続けた。東京の用事へ行った妻は何日も前から列車はどうなる、ほくほく線ににようか北陸新幹線にしようか迷い続けた。結局予定していたほくほく線が運休と聞き、新幹線に変更し遠い上越妙高駅へ向かった。

警報級とも言われ繰り返し予報された寒波は結局さほどのものではなく、当地で10センチ前後、山間でも数十㎝の積雪だったのではないか。警戒を促すのは良いが、この度は大雪、大雪、大雪とまるで脅しの如く言われ、逆に多方面のキャンセルなど混乱を招いたことはなかったのだろうか。

今夕の上越市大潟区四ツ屋浜の通り。

夜9時から「ハウルの動く城」の放映があるというので観た。ジブリは「千と千尋の神隠し」くらいで、以後観たこと無かった。普段時間が無いからと言い訳して殆ど映画を観ない。しかし今夜くらい観ようと夜9時からテレビの前に座った。CMも入れて11:30まで、思ったより長い放映だった。


倍賞千恵子さんのエンディングの歌。

見聞するだけだったこのアニメは人の行為と世界を魔法と魔界という舞台に置き換えながら戦争に焦点を当てた意味深長な映画だった。自動車などから時代は第一次世界大戦のころか、まだ世界が植民地と覇権に血眼になっていたころと考えられる。
そんな世界で良心の若き魔法使いハウルが超絶、過酷な魔法をもってボロボロになるほど死力を尽くしても戦争というものを終わらせるのは困難だ。しかしそれは不可能ではないと訴えていた。当然のことだがそのための鍵は「愛」と「暴力を嫌う不屈の哲学」ではないかと映った。

さらに“愛は若者から哲学は老人から”の振り分けも暗示されていたように受け取った。
今まだ戦争は絶えず、勇ましい人が多いこの世で平和を訴え続けるのは本当に根気のいる仕事だが決して徒労などではない。必死にそれに挑戦する貴重なアイコン、スタジオ・ジブリには長く頑張ってもらいたいと念願した。

ソフィーの声が倍賞千恵子さんだったのをエンドロールで知った。彼女の声は本当にいいですね、普段の歌も好きですが。

私は哲学というものを上手く説明出来ませんが、感情的にならず勤勉で、世界を広げ自らを省み、心静かに他者をも慮る態度のようなものではないか、と今のところ考えています。

大晦日のワルツはKALIから。

2024年12月31日(火曜日)

いよいよ大晦日、皆さまには大変お世話になりました。樹下美術館も私達も息災のうちに過ぎました。皆さまには深く感謝申し上げます。

 

行く年を惜しんでワルツは南の国のマルチニーク島の音楽KALIからワルツです。フランス領だった貧しいこの島からナポレオンの妻になるジョセフィーヌが生まれています。

それでは良いお年を!

カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その4。

2024年12月28日(土曜日)

コメント

 

イッタラのカップ!

 

まどろみの時間、カフェの絵の女性

 

楽しいひととき!

 

知的な人ですね。
Sちゃんが描いたんですね!

柔らかな頭脳。

 

着物を着たチェコのキツネとは!

 

美術館の庭、印象的なタッチ。

カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。

2024年12月27日(金曜日)

樹下美術館館内にはカフェの丸テーブルに小さなスケッチブックを置かせてもらっている。傍らにカラーボールペンと色鉛筆が何色かずつあり、
皆さまが自由に描いてくださる。

周囲に見えるもの、得意なモチーフ、友人やペットなど、いつも楽しい絵が描かれている。

 

 

 

 

 

 

 

美しい妙高山、待ち遠しいクリスマス、華やかなゴジラ、愛しいワンコ、瞑想、美術館の東屋、幸福がいっぱいの時間へと続きました。来館された皆さまのリラックスされた気持から自然に生まれた小さな絵は観る者をも幸せにしてくれます。
新たな絵はあと半分ほどありますので、明日でも紹介させて下さい。

館内のノートに残されるメッセージもそうですが見知らぬ者同士が自由に共感し親しみ合えるのにノートは良い方法ではないかと思っています。
今年8月~12月まで皆さまにお書き頂いたノートのメッセージが樹下美術館のホームページの「お声」欄に掲載されています。どうかあわせてご覧下さい。

美しい正月飾り 葛飾北斎が用いた数字のカレンダー 瑞々しいマイケルジャクソンのクリスマスソング。

2024年12月24日(火曜日)

相変わらず外はヒューヒュー時にザーザーやって、日付けはスースーと過ぎて行きます。それでもなんとか地に足着け、出来事や予定を忘れないようにして過ごすより仕方ありません。

以下は数日前のことですが、妻の友人から頂いたきれいなお正月飾りとあるハウスメーカーの要人だった方からの珍しいカレンダーです。

正月飾りとカレンダー
飾りは80㎝はありました。

カレンダーの表紙

これまでアンリ・マチスとアントニオ・ガウディのものを頂き、カフェの階段に掛けました。いずれも芸術家がかって作品や書物、あるいはメモなどに残した数字を拾って作成されています。宮沢賢治などから長く続いているシリーズだということです。

このたびは葛飾北斎でした。江戸後期の人ですが英数字やアルファベットのサインがあることに驚きました。

漢数字
二十は十を二つ並べて表記しています。
当館の齋藤三郎の掛け軸の日付け
にも同じ方法で書かれたものがあります。
昔人の遊び心でしょうか。

英数字と横文字のサイン。
すでに自分の書体を有していることと、
こなれたサイン!

今夜はクリスマスイブでしたね。今では懐かしいジャクソン5の大ヒット曲です。


1970年録音
「ママがサンタにキスをした」
12才を前に溌剌としたマイケルの歌。
最後はみんなで、本当だよ、信じて、
などとガヤガヤやっています。

明日から小学校は冬休み。猛威を振るっているインフルエンザにも一休みして欲しいところです。

昨日、強風の日の雲 天然の美(美しき天然)という曲。

2024年12月13日(金曜日)

昨日雪は無かったが風強く、今どきらしい空だった。

樹下美術館から北方を見る。
強風のため雲の先端が毛羽立っている。

海へ行ってみた。

上下浜の海。
護岸工事が終わって整っている。

向こうにマリンホテル。
よく掲載している石のモニュメント。

不思議なことに荒れた海を見ると「美しき天然」が頭に浮かんで流れる。


美しき天然。

上に挙げた動画は「ピアノで奏でる日本の叙情歌4 リンゴの歌」CDで関春絵さんという方が弾いている。CDは20年ほど前に求めたものでよく聴いた。「美しき天然」を初めて聴いたのが何時なのか全く分からないほど様々に耳にしてきた。しかしもの悲しげで長く好きではなかった。

ちなみに以下は四番まである歌詞の一番です。

空にさえずる 鳥の声
峯(ミネ)より落つる 滝の音
大波小波 とうとうと
響き絶やせぬ 海の音
聞けや人々 面白き
この天然の 音楽を
調べ自在に 弾きたもう
神の御手(オンテ)の 尊しや

それがこのCDを聴き歳月を重ねるうちに好きになった。理由は簡単で編曲が良い(勿論演奏も良く)のと歌詞を良いと思うようになったからだ。詩は四番まで季節ごとの美しさを一貫して尊い神の手による織物と歌っている。
歌が出来たのは軍事に邁進した時代、明治35年(1902年)とあった。そんな社会のなか専ら自然の美を称える曲は庶民に受け入れられサーカスやちんどん屋の鳴り物にまでなって生活に浸透したのではないだろうか。

だがもの悲しいメロディーの解釈は難しい。基本ヨナ抜きの伝統旋律のせいもあるが、私達は古来詫び寂び、ものの哀れ、空や無、無常などはかなさへの理解や感覚に親しんできた。
美しき天然に歌われる鳥の声、滝や波の音などはあまりに悠久で美しく、このような場合あらためて我が身の無常に気づかされ、一種悲しみがよぎるのは分からなくもない。
またあまりに美しく尊いものに触れた瞬間に涙が出ることもある。不思議なことだがこんな時、感動とともに心の何処かが悲しむのだろうか。
いずれにしても私達は微妙で曰く言い難い。

「美しき天然」は日本人作曲のワルツの歌では大変初期のものらしい。だが小学校で習った“空も港も、、、”の「港」はそれより5,6年早く、こちらが一番古く、明るい長調なのが対照的です。

とりとめ無く述べましたが申し分けありません、上手くまとまりません。

本日12月13日、今年の樹下美術館は残り二日となり、今年最後と仰る方たちが来られました。
皆さま本当にありがとうございます。

明日は待ちに待ったメガネが出来てくる日です。

二つの高瀬舟。

2024年12月6日(金曜日)

11月中旬の去る日、岡山県倉敷市から寄られた早川正弘さんから良寛椿と同地の名物羊羹「高瀬舟」を頂いた。一口大の羊羹が一個ずつ小舟の形をしたパッケージに入っていて、手を汚さずに上手く開けられる仕様になっていた。

 羊羹「高瀬舟」の外観。
お茶のお伴にとても良い。

 開いたところ。
シャリと呼ばれる砂糖が
吹いているのが美味しい。

高瀬舟とは底が平たく、浅い川でも往き来出来る舟。岡山県西部の高梁川(たかはしがわ)はじめかつて各地で見られた小舟で、このお菓子と同じ岡山県真庭郡落合町(現真庭市)が発祥とされている模様。同町には同窓の院長がいて50年も前結婚式に参列したことがある懐かしい地名だった。

さて聞き覚えがある高瀬舟。早川氏からおみやげを受け取った妻は「森鴎外の、、、」と言った。鴎外の高瀬舟は京都の高瀬川を行き交う舟上における話で、こちらの方が知名度が高いかも知れない。

上掲は先日の上京の際車中で読んだ岩波文庫の「山椒大夫・高瀬舟 他四篇」。江戸時代、流刑の罪人を京都から出港地大阪まで運ぶ月夜の高瀬川を行く高瀬舟。舟上の罪人と彼に付きそう役人の心と姿が描写されている。
清々しい表情をしている罪人は、苦しい病によって自死しようとするが死にきれない弟に乞われ手を貸し、死なしめたことを咎められ流罪を言い渡されている。
罪人の心境と金銭感覚に役人が打たれる短い物語だが、医師でもあった森鴎外が光を当てた先は今日でも全く同じ問題として存在し、時に表在化する安楽死の深刻なテーマだ。
行為は罪に問われるが、小説では月の光の揺らぎを浴びる罪人を形容して、「その額は晴れやかで、目には微かななかがやきがある」と述べ、困難な課題に挑んだ者を潔しとして擁護している印象がある。この点現代の倫理観とは異なるところだが、留学を経験している鴎外は問題を提起しながら氏が学んだ当時のドイツの方向を暗に反映させたのかもしれない。

京都の高瀬舟。
きょうと修学行ナビより引用。

本日は風強く荒れ模様の一日、病院紹介が必要な緊急用件が二つ続いた。
今週末寒波が到来し雪に見舞われる予報が出ている。気温が下がりいつ降ってもおかしくない状況になった。

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