樹下だより

今年前半の「お声」を有り難うございました。

2013年7月6日(土曜日)

本年の開館をしておよそ4ヶ月が経ち、梅雨のただ中となりました。この時期の恒例で、館内のノートに頂戴した皆様のご感想やメモを樹下美術館のホームページ「お声」に掲載させて頂きました。

およそ90筆ほどの数になりますが、お一人で、ご両親と、友人やご近所と、のんびりと、癒やしに、あるいは亡くされた方へのグリーフ(鎮魂)に、、、、樹下美術館へ様々な方がそれぞれのお気持ちで来てくださっていることをあらためて知らされました。

倉石隆、齋藤三郎両氏の作品や建物およびカフェ・庭など、好意的なご感想にほっとしています。

タチアオイ在宅回りで毎年目が行く上越市大潟区は里鵜之島のタチアオイ。

園内の百合梅雨の日を慰めてくれる美術館の賑やかな紅白のてっぽう百合。

皆様のお声、まことに有り難うございました。

何かありましたならご遠慮なくスタッフに申してください、これからもどうか宜しくお願い申し上げます。

静かな樹下美術館ですが、お陰様で6月の来館者様は昨年より55名の増加、6月としては過去最高と聞きました(音楽会を除きました)。

花はいろ 人はこころ、、、 堀口大學の詩 年と共に響く言葉。

2013年7月5日(金曜日)

鎌倉へ行った方から頂戴した紙袋が堀口大學の揮毫による詩文でした。

文は短く〝花は色 人はこころ〟と書かれていました。

この言葉は神奈川県葉山町の大學の文学碑に刻まれており、女優森光子さんが好んで色紙などに書いたといいます。

大學は疎開によって戦前戦後の一時期を妙高市と上越市に居住され、その後葉山町へ移り永住されました。氏と当館展示の陶芸家・齋藤三郎との交流の縁で、長女・すみれ子さんには樹下美術館で過去三回、印象的な講演会をして頂きました。

花は色目にとまった〝花は色 人はこころ〟の紙袋。鎌倉市は日本料理「御世川(みよかわ)」もの。
御世川は多くの文人に愛されたと云われています。

 

人間の歌〝花は色・・・〟の原典が載っている樹下美術館収蔵の詩集「人間の歌」。
昭和22年5月5日 實文館発行。
あとがきの末尾に〝1946年春の彼岸。妙高山麓関川の假寓にて〟と記されています。

花は色のページ「人間の歌」71篇の170ページの「人に」。
〝花はいろ そして匂ひ
あなたはこころ そして やさしさ〟

幸福のパン種樹下美術館収蔵の堀口すみれ子さん編、堀口大學詩集「幸福のパン種」
筆頭に「花はいろ、、、」が掲げられています。

ところで「幸福のパン種」の二番目に「自らに」が収載されています。心のともしびになろう磨かれた詩ではないでしょうか。

自らに 「自らに」の出典「白い花束」の本文です。

白い花束樹下美術館収蔵「詩と随筆 白い花束」 昭和23年2月20日 草原書房発行
上越市時代の発行と考えられます。

傍らにあった紙袋から堀口大學の詩へ進むことが出来ました。

この数年、年のせいでしょうか、〝ある種新鮮なもの〟として心を打つ芸術と出会えたり再会出来るようになりました。

 

※詩人・フランス文学者、堀口大學は昭和20年旧妙高山村関川の妻の実家に、そして昭和21年から昭和25年まで上越市旧高田の南城町に住みました。生活逼迫の時代、懸命に草稿し出版社へと送る生活の中で妙高上越両市の地元とよく交流しました。

おばあさんの話が二つ 陶齋の器にアジサイ。

2013年6月24日(月曜日)

たまたまお二人のおばあさんの若かりし日、あるいはお誕生の話をお聞きしました。以下、今は昔の物語です。

「若き日のおばあさんと牛」
かって戦時中、出兵のため農家に男手が足りなくなった。そのため娘だった自分が代掻きなどで大き牛を扱った。牛はおじいさんの言うことを聞かなかったが、私には素直だった。
仕事が終わると、「えらいえらい、よく頑張ったね。明日も頼むでね」と牛を撫でてやった。一方おじいさんは蹴ったり叩いたりして懲らして(こらしめて)しまったのではないだろうか。突然だったがもっぱら自分が牛を扱うようになった。

「サナエという名」
サナエさんという名のおばあさんを診ている。もしやと思いカルテを見ると6月生まれだった。田植え時に生まれたのですか、とお尋ねした。
すると「家は農家で昔の田植えは6月でした。私はその田植えに生まれましたので、親は〝早苗〟という名を決めたそうです。しかし届け出た役所の人が、〝女だからカタカナでいい〟と言って早苗を消してしまったそうです。せっかくの良い名前をひどい話だった、と思っています」

季節はアジサイの盛りです。玉アジサイ、額アジサイ、誇るようにあるいは密かに咲いています。日ごと色を変えながら、梅雨時の庭を独り占めしているようです。

手桶花入れ鉄絵の手桶花生(はないけ):陶齋さんは活けではなく生けの文字を使っています。

アジサイが入る陶芸ホールに入ってすぐに手桶花生がお迎えしています。
花は美術館や仕事場の庭から運んでいます。

写真は本日生けられていたアジサイ。園芸種がますます多様となり楽しめます。
「今年の展示はいくつか器に花を活けたために、場内がとても生き生きとしましたね」、とは常連の男性のご感想です。およそ4つの器に花を入れています。

卯の花音楽祭 筆者のゴルフは時の運 新潟市への途中で。 

2013年6月23日(日曜日)

本日糸魚川カントリークラブでゴルフコンペだった。梅雨の晴れ間に恵まれたが51-53で残念ながら15人中11番だった。私のゴルフはもっぱら時の運だと思った。但し160ヤードのショートホールでニアピン賞が取れた。

参加賞とともに樹下美術館へ持ち帰り、閉館間際のスタッフと分け合った。

本日、東京から新潟市の老親の世話に通われる方が、ネットで当館を見たと云って寄ってくださった。ほくほく線へ乗り換えてのご来館、嬉しく思いました。
介護の合間に来館される方を時々お見受けします。お忙しい日常と想像されますが、当館ではゆっくり心休めてください。

013夕刻の美術館のデッキからの空。秋を思わせるいわし雲だった。

さて本日午後、大潟コミュニティープラザで「第11回 卯の花音楽祭 小山作之助をたたえて」が開かれた。盛りだくさんの内容だったと聞きに行った妻。特に上越教育大学の後藤丹(まこと)教授編曲の「夏は来ぬ」素晴らしく、アンコールになったと云う、お聞きしてみたかった。堀川正紀委員長はじめ運営委員の皆様のご努力に深く敬意を表します。

樹下美術館の庭にも夏は来ぬ 料理人も来られた 地域ケア会議。

2013年6月20日(木曜日)

本日見たもの出会った方たち。

アゲハ新鮮なアゲハが真っ白なダルマバノリウツギに止まっていた。

ヒメタイサンボク短命で香り高いヒメタイサンボクが雨上がりを喜ぶ風だった。

今の庭イトススキやトクサがぐんと伸びて樹下の庭にも夏は来ぬ。

食器選び本日陶齋の食器選び。

本日、今秋予定の「陶齋の器で食事会」で包丁を振るわれる料理人さんがお見えになりました。食器や庭をご覧になり、大変楽しみと仰って頂き安心しました。

ところで食事会は詳しくお知らせする前に、ホームページ案内へのお問い合わせだけで既に満席となってしまいました(10月の毎週日曜正午、一回5~7名様の予定でした)。
今年うまく行きましたら来年の初夏にもと、考えておりますのでどうか宜しくお願い申し上げます。

話変わって今夕、上越市大潟区の地域ケア会議がありました。地域包括支援センター主催、各事業所ケアマネジャー、市担当者、医師らも加わり40名余が参加し、有意義でした。懇親会もあり、ひごろ公私とも如何に沢山の方のお世話になっているか、あらためて知る思いでした。

大潟区の良いところの一つは医師同士、自然で仲が良いことだと密かに思っています。

7年目の樹下美術館 Dream Along With Me。 

2013年6月10日(月曜日)

6年前の2007年6月10日、樹下美術館が開館しました。希望と不安の船出でしたが、今日までさまざまな皆様にお越し頂いていることを深く感謝しています。

エヴァー・グリーン、いつもフレッシュ。個人的には何かと忙しいのですが、感受性を維持し成長を続けたいと思っています。

 

樹下美術館のトースト7年目を記念して、昼食に妻と樹下美術館のトーストを食べてきました。

 


これもまた7年目を記念してペリー・コモの「Dream Along With Me(ともに夢を)」

18才で上京し初めて買った25㎝LPレコードに入っていた曲です。ペリー・コモショーのテーマでした。
彼はとても声が良く、そして品行方正。カジノのショーなどには決して出ませんでした。
テレビでよくカーディガンを着ていて、私は今でもその服装に影響されています。

 学生時代は大田区石川町に住みましたので比較的横浜が近く、放送局「ラジオ関東」は感度良く聞こえました。
毎晩枕元で同局の音楽番組「ポートジョッキー」を聞きました。
番組のエンディングテーマはビリー・ヴォーンの「Among My Souvenir(思い出の中に)」だったと思います。


上掲はThe Lenon Sistersの「Among My Souvenir」です。失恋の曲ですが美しくて癒やされます。
レノンシスターズは戦後長く活躍した姉妹のコーラスグループです。
しかしこれほどクリーンな音源に接して驚きました。

Dream Along With Me そしてAmong My Souvenir
その昔、美術館を営むとは思ってもみなかったことです。
どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。

いつも古い曲ばかりで恐縮しています。昔のレコード曲は丁寧に作ってあった、と振り返るのです。

最後ですが、当初から何かと助力して頂くF夫妻と妻に感謝しています。

妻

夏の庭へ 賀川孝氏のご子息とお会いした。

2013年6月8日(土曜日)

午前に雨模様となったが庭や畑を潤すほどではなく、午後から晴れた。庭は勢いを増していて次々と初夏の花を点けていく。

紅白のキョウガノコ、白いアスチルベ、シモツケ、青いホタルブクロ、一番乗りしたホトトギスもあって賑やかだ。

本日は初めてのお客様も多くお見えで、皆様一様に展示をご覧になり、お茶を飲まれ庭を歩かれたようだ。樹下美術館は設計の途中カフェは無かったが併設して良かったと振り返っている。また好きな庭にも恵まれて幸せを感じる。

本日の庭

061 - コピー本日も倉石氏ゆかりの方が東京からお見えになった。新潟県立旧高田中学校の同窓で、自由美術を経て主体美術協会の創始会員となられた同志的画友、賀川孝氏のご子息だった。
賀川氏は帝国美術学校(現武蔵野美術大学)、倉石氏は太平洋美学校へと進んだ。後の日も、二人は取っ組み合いの喧嘩をするほどの友だったと云う。

氏は原始美術や民族芸術の原初的な普遍性を追求されていた。残念なことに比較的お若くして亡くなられ、倉石氏が追悼文を書いた。

お会いしてご子息は年経るにつれ父を好きになった、と仰った。このたびは自らのルーツを訪ね、上越高田から樹下美術館へと回って来られた。

私も両親については同じような経緯がある。特に亡くしてからは、両親と一体化しているような感覚さえ時にある。本日訪ねて来られた氏から似たようなお話を聞きながら胸熱くなるのを覚えた。CGアートと取り組まれている氏、またお目に掛かりたいと思った。

 

※6月9日の追加・以下は冊子「賀川孝遺作展」(1979年12月/東京都京橋「ギャラリーくぼた」)に寄せられた倉石隆の追悼文の一部です。全19ページの中に小田嶽夫氏の寄稿も収められています。

追悼文の一部

倉石隆の資料 寺田政明氏の画集 収蔵図録 拙画展。

2013年6月7日(金曜日)

【倉石隆氏の資料】
去る5月28日、樹下美術館へ東京から主体美術協会の画家・﨤町勝治さんと榎本香菜子さんが来館された。今秋東京都美術館で開催される主体展の特別企画へ出品される倉石隆作品についての用件だった。

そのとき昨年の同展に刊行された立派な作品図録を見せて頂いた。筆者は、樹下美術館の収蔵作品図録を作成しているものの、6年経ても完成していない。陶芸の齋藤三郎氏と作品は幼少から親しんだこともあり、比較的速く原稿は出来上がっている。

しかし倉石氏について現役時代を知らず、作品写真や作品リストおよび年表などは出来たが、氏の人となり立場・方向などさらに深めたいと思っていた。そこで図録に˝倉石隆の言葉˝あるいは˝倉石隆について語られた言葉˝を集めたページを設け、多角的な方法で氏への理解の一助にと考えていた所だった。

ところで実際、手許の資料を観れば観るほど氏についてもっと知りたく、また確認したい衝動に駆られる。そのことをこのたび主体美術の方にお話ししたところ、˝その方法は良いアイディアかも知れません˝と好意的な反応を頂いていた。

 

014このたび﨤町氏から届けられた倉石隆氏関連のおびただしい資料。

倉石氏が書かれたもの、出席された座談会、氏の紹介記事、先輩へのインタビューなど、内容は豊富だった。何とありがたく心強かったことか。

【寺田政明氏の画集】

011一緒に届けられた大好きな寺田政明氏の画集。

かつて豊島区の寺田氏宅のご近所で氏のバラの絵2点が飾られているのをたびたび眺めた。ひたすら気持ちのいい昼の夢、うっとりするような絵だった。このたびの味わい深い貴重な画集は、樹下美術館のカフェに置かせて頂くことにした。

【当館収蔵作品図録】
ご覧の通り、「春には図録を刊行する」と当ノートに書いたが、夏になってもまだである。˝時間がかかればそれだけ良い物が出来るかもしれないから˝と妻には励まされている。このたびのことがあって、それは本当だったかもしれない、と感じないでもない。来年6月の満7周年事業へとなるのだろうか。

【拙画展】
ところで来年6月に、上越市本町の某所で小生の拙個展が予定されている。それには売るための絵も描かなければならない。如何に拙くとも制作は精神集中が鍵だ。
季節がテーマの拙絵。図録のペースを落とし、そろそろ自らの制作もと考えているところだが、どうなるだろう。当地医師会報の7月号も私の表紙の番となっている。

第49回主体展 倉石隆作品が東京都美術館へ行く。

2013年5月28日(火曜日)

昨日午後、東京から美術団体「主体美術協会」のお二人が訪ねて来られた。今秋、東京都美術館で開催され、京都、名古屋を巡回する同会の展覧会(主体展)に関する企画役員として公式の訪問だった。

当地の会員筑波進氏と新潟市の建築・美術家のお二人も加わられ、やや緊張した。

作品を観る倉石氏の予定作品を真剣にご覧になる皆様。

主体展は来年50周年を迎える。これに向けて昨年から特別企画「礎の作家たち」が始まっている。草創期の物故会員を特別展示するというもので、昨年は大野五郎、末松正樹、寺田政明、森芳雄、吉井忠のBig Nameが選ばれた。

倉石隆は昭和39年同会発足時の創始会員であり、今年の「礎の作家たち」5名に選定された。このたびは作品の現物確認のご苦労だった。
専門家の眼差しは厳しかったが倉石氏に相応しい作品、ということで「琢也」が正式に決定された。

 

戦後混乱期を乗り越えた協会発足当時、美術界の再編には劇的様相が見られる。美術で生涯を、日本を背負おうという作家たちの困苦や情熱は今日までも脈々たるものがあろう。本日選ばれた作品を前にあらためて胸打たれる思いがした。

190

189昨年の展覧会図録表紙(上)、特別企画のページ(下)。

 

倉石氏が没されて15年が経とうとしている。樹下美術館は小規模な施設であるが、氏の作品を展示させていただく幸せと責任をあらためて感じた。

秋の展覧会レセプションには天上の氏とともに喜んで参加したい。

ご来訪された皆様に施設と庭を褒めて頂き大変嬉しかった。

 

                  -(2013)第49回主体展-

          期間2013年9月1日(日)~9月16日(月)

          会場東京都美術館・1階、
その後京都(京都市美術館)、名古屋(愛知県美術館)を巡回

古流松應会の深雪支部花展 そして牡丹。

2013年5月27日(月曜日)

華道古流松應会 当地の深雪支部花展のお知らせ。

花展チケット

               期間5月31日(金曜日)~6月3日(月曜

               ●場所ミュゼ雪小町(あすとぴあ高田5F)

本日、妻が上越市は清里区(旧清里村)まで牡丹を頂きに行った。坊ケ池の近く、奥まった棚田農家のお宅だったという。ひごろ樹下美術館がお世話になっている造園業・丸山隆光園さんから紹介して頂いた。

このところ実家へ行って牡丹籠という専用の器を持ち帰ったり、忙しなくしていると思ったら上記の花展のためということだった。

室温の加減など花の状態を期間に合わせるだけでも、花展は大変であろう。今夜は外か家か、家ならどの部屋に置けばいいかなどと気にしていた。

牡丹頂いた黄牡丹。典雅な花姿、葉の気力、さすがであろう。

牡丹は富貴の花と言われてとても格が高い。先日はゴボウの匂いを誤って嗅いで、牡丹に失礼をしてしまった。

 

齋藤三郎(陶齋)も牡丹を多く描いた。鉄絵の掻き落としなどには幽玄な雰囲気が漂う。

牡丹壺陶齋作・掻き落とし牡丹文壺。

掻き落とし牡丹文水指陶齋作・掻き落とし牡丹文水指(みずさし:茶道具で水を入れる器)。

明日は今秋東京都美術館で開催される第49回主体展と倉石隆のことを書かせて頂きます。

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