樹下だより
歳寒三友 酸友は陶齋の柚子の絵皿。
一昨日、庭石に生えた松のことを書かせて頂きました。石のくぼみで、かすかな養分を頼りに根付いた松に驚きました。あまつさえ小さな枝を元気に広げた姿は微笑ましくもありました。
緑を絶やさない長寿の松はめでたさのシンボルです。
ところで松といえば、樹下美術館に陶齋が高田で焼き始めたころの作と想定される絵皿があります。柚子が絵付けされ〝歳寒酸友(さいかんさんゆう・さいかんのさんゆう)〟の文字が見られます。松などどこにもありませんが、実は〝友〟の一つに含まれているのです。
書かれた四文字は中国に伝わる「歳寒三友」の〝三〟を〝酸〟にもじった陶齋の造語と考えられます。元々歳寒は冬のことで、三友は〝松・竹・梅〟の三種の草木を指しています。
松と竹は力強く冬を耐え、梅は寒中さきがけて花を咲かせる。厳しさの中にあって生き生きとした様から、古来貴いものとして中国で文人画の画題として好まれました。
ところが、歳寒三友は日本に伝わると江戸時代以降「松竹梅」と直接呼ばれ、目出度さの象徴となりました。
さて陶齋の酸友です。冬に明るい色で登場する酸っぱい柚子へ親しみを込めて酸友と称したのではないでしょうか。氏の優れた教養とユーモアが伝わります。
過日、新潟市會津八一記念館において、陶齋窯で製作された八一の書き入れ陶器を沢山観ました。気むずかしい八一が何度も陶齋を訪ねたのは、実力とともに陶齋の人柄、魅力に惹きつけられたのではと思っています。
柚子文皿の裏面。
表は九谷の色を用いて日本画風ですが、裏面の三角模様にはオリエントの趣が漂います。
戦後間もなく、築いたばかりの登り窯で自らの才覚を楽しむような陶齋の姿が浮かびます。
二代陶齋40年 初代生誕100年 新潟行き メディアシップ。
樹下美術館の常設展示作家・齋藤三郎(陶齋)のご子息二代陶齋・尚明氏が作陶活動に入られて40年が経ちます。時を同じくして今年は初代陶齋の生誕100年に当たりました。
そこで現在新潟市會津八一記念館で「陶芸家齋藤三郎生誕百年 会津八一の旅と出会い」展が開催され、新潟三越で二代陶齋の40年記念展が開催されています。
さらに今夕「二代陶齋齋藤尚明さんの作陶40年を祝う会」が新潟日報メディアシップ20階展望フロアでありました。午後を休診にさせて頂き二つの展覧会を巡り、夕の祝う会に参加してきました。
催事の関係施設ということで、會津八一記念館に置かれたてい樹下美術館の案内資料。
夕刻のメディアシップからの眺め。くっきり見える粟島を背に佐渡汽船が入港してきた。
右は朱鷺メッセ。
初めて訪れたメディアシップ。20F展望フロアから見る新潟市の夜景は素晴らしい。
たまたまガラスの夜空部分に、背後の尚明氏お祝い会が写り込んでいます。
會津八一記念館では八一の旅を象徴して、南都(奈良)を訪ねた時代の仏(ほとけ)讃歌が充実して展示されていました。半ばから旧高田市における陶齋(三郎)との交流および陶齋窯における器への書入れ作品が続きます。
中に、地に蝋で揮毫し、釉薬を施したのち焼成し、文字を浮かび上がらせる蝋抜きの大きな鉄絵皿には〝藝〟の一文字。ほれぼれする見事さでした。
三越の二代陶齋は赤の色に変化が見られ、唐津の焼き上がりが良く、施された草紋には風情が漂っていました。40年の節目を期して新たな展開が垣間見られました。
夕刻からはじまったメディアシップのお祝い会は、素晴らしい会場で盛大でした。尚明氏は昨春の病を克服され、とても元気。そのことが特別に嬉しく思われます。
発起人の一人として小生も挨拶を求められました。僭越ながら氏の幼少のこと、独自性へのさらなる期待などを述べさせて頂きました。
会場で高橋新潟日報社長、篠田新潟市長、竹石BSN社長、後藤丹教授、火坂雅志氏、濱谷朝さんのご縁者始め多くの方とお会い出来たことも有り難いことでした。
猛暑の日の大きな木 地下水の散水蛇口が付いた。
暑い日には大きな木が涼しく見える。
午後仕事休みの本日、樹下美術館へ行った。美術館まわりで目に付く木を撮ってみた。
「さいがた病院」の門のそばにヤマナラシ。風が吹くと葉がサラサラと鳴る。
ポプラに似ているが、すっきりしている。大潟一帯の雑木林にしばしば見られたが今は少ない。
(株)信越半導体のハンノキ。樹下美術館のデッキから東に見える。
当館庭の南にも数本ある。これも一帯の名残となる自然木であろう。
美術館の東に借りている駐車場に異常に背の高いネムノキ。
当初、松や雑木に囲まれて育ったゆえ、細く上へと伸びたと思われる。
樹下美術館のシンボル赤松の大木。
立派であるがポンポンを持って踊っているおばさんの様でもあり、
古いディズニー漫画を思い出させる。
(カメラを地上すれすれにしましたので、手前のトクサが竹のように写っています。)
今年前半の「お声」を有り難うございました。
本年の開館をしておよそ4ヶ月が経ち、梅雨のただ中となりました。この時期の恒例で、館内のノートに頂戴した皆様のご感想やメモを樹下美術館のホームページ「お声」に掲載させて頂きました。
およそ90筆ほどの数になりますが、お一人で、ご両親と、友人やご近所と、のんびりと、癒やしに、あるいは亡くされた方へのグリーフ(鎮魂)に、、、、樹下美術館へ様々な方がそれぞれのお気持ちで来てくださっていることをあらためて知らされました。
倉石隆、齋藤三郎両氏の作品や建物およびカフェ・庭など、好意的なご感想にほっとしています。
皆様のお声、まことに有り難うございました。
何かありましたならご遠慮なくスタッフに申してください、これからもどうか宜しくお願い申し上げます。
静かな樹下美術館ですが、お陰様で6月の来館者様は昨年より55名の増加、6月としては過去最高と聞きました(音楽会を除きました)。
花はいろ 人はこころ、、、 堀口大學の詩 年と共に響く言葉。
鎌倉へ行った方から頂戴した紙袋が堀口大學の揮毫による詩文でした。
文は短く〝花は色 人はこころ〟と書かれていました。
この言葉は神奈川県葉山町の大學の文学碑に刻まれており、女優森光子さんが好んで色紙などに書いたといいます。
大學は疎開によって戦前戦後の一時期を妙高市と上越市に居住され、その後葉山町へ移り永住されました。氏と当館展示の陶芸家・齋藤三郎との交流の縁で、長女・すみれ子さんには樹下美術館で過去三回、印象的な講演会をして頂きました。
目にとまった〝花は色 人はこころ〟の紙袋。鎌倉市は日本料理「御世川(みよかわ)」もの。
御世川は多くの文人に愛されたと云われています。
〝花は色・・・〟の原典が載っている樹下美術館収蔵の詩集「人間の歌」。
昭和22年5月5日 實文館発行。
あとがきの末尾に〝1946年春の彼岸。妙高山麓関川の假寓にて〟と記されています。
「人間の歌」71篇の170ページの「人に」。
〝花はいろ そして匂ひ
あなたはこころ そして やさしさ〟
樹下美術館収蔵の堀口すみれ子さん編、堀口大學詩集「幸福のパン種」
筆頭に「花はいろ、、、」が掲げられています。
ところで「幸福のパン種」の二番目に「自らに」が収載されています。心のともしびになろう磨かれた詩ではないでしょうか。
樹下美術館収蔵「詩と随筆 白い花束」 昭和23年2月20日 草原書房発行
上越市時代の発行と考えられます。
傍らにあった紙袋から堀口大學の詩へ進むことが出来ました。
この数年、年のせいでしょうか、〝ある種新鮮なもの〟として心を打つ芸術と出会えたり再会出来るようになりました。
※詩人・フランス文学者、堀口大學は昭和20年旧妙高山村関川の妻の実家に、そして昭和21年から昭和25年まで上越市旧高田の南城町に住みました。生活逼迫の時代、懸命に草稿し出版社へと送る生活の中で妙高上越両市の地元とよく交流しました。
おばあさんの話が二つ 陶齋の器にアジサイ。
たまたまお二人のおばあさんの若かりし日、あるいはお誕生の話をお聞きしました。以下、今は昔の物語です。
●「若き日のおばあさんと牛」
かって戦時中、出兵のため農家に男手が足りなくなった。そのため娘だった自分が代掻きなどで大き牛を扱った。牛はおじいさんの言うことを聞かなかったが、私には素直だった。
仕事が終わると、「えらいえらい、よく頑張ったね。明日も頼むでね」と牛を撫でてやった。一方おじいさんは蹴ったり叩いたりして懲らして(こらしめて)しまったのではないだろうか。突然だったがもっぱら自分が牛を扱うようになった。
●「サナエという名」
サナエさんという名のおばあさんを診ている。もしやと思いカルテを見ると6月生まれだった。田植え時に生まれたのですか、とお尋ねした。
すると「家は農家で昔の田植えは6月でした。私はその田植えに生まれましたので、親は〝早苗〟という名を決めたそうです。しかし届け出た役所の人が、〝女だからカタカナでいい〟と言って早苗を消してしまったそうです。せっかくの良い名前をひどい話だった、と思っています」
季節はアジサイの盛りです。玉アジサイ、額アジサイ、誇るようにあるいは密かに咲いています。日ごと色を変えながら、梅雨時の庭を独り占めしているようです。
鉄絵の手桶花生(はないけ):陶齋さんは活けではなく生けの文字を使っています。
陶芸ホールに入ってすぐに手桶花生がお迎えしています。
花は美術館や仕事場の庭から運んでいます。
写真は本日生けられていたアジサイ。園芸種がますます多様となり楽しめます。
「今年の展示はいくつか器に花を活けたために、場内がとても生き生きとしましたね」、とは常連の男性のご感想です。およそ4つの器に花を入れています。
卯の花音楽祭 筆者のゴルフは時の運 新潟市への途中で。
本日糸魚川カントリークラブでゴルフコンペだった。梅雨の晴れ間に恵まれたが51-53で残念ながら15人中11番だった。私のゴルフはもっぱら時の運だと思った。但し160ヤードのショートホールでニアピン賞が取れた。
参加賞とともに樹下美術館へ持ち帰り、閉館間際のスタッフと分け合った。
本日、東京から新潟市の老親の世話に通われる方が、ネットで当館を見たと云って寄ってくださった。ほくほく線へ乗り換えてのご来館、嬉しく思いました。
介護の合間に来館される方を時々お見受けします。お忙しい日常と想像されますが、当館ではゆっくり心休めてください。
さて本日午後、大潟コミュニティープラザで「第11回 卯の花音楽祭 小山作之助をたたえて」が開かれた。盛りだくさんの内容だったと聞きに行った妻。特に上越教育大学の後藤丹(まこと)教授編曲の「夏は来ぬ」素晴らしく、アンコールになったと云う、お聞きしてみたかった。堀川正紀委員長はじめ運営委員の皆様のご努力に深く敬意を表します。
樹下美術館の庭にも夏は来ぬ 料理人も来られた 地域ケア会議。
本日見たもの出会った方たち。
本日、今秋予定の「陶齋の器で食事会」で包丁を振るわれる料理人さんがお見えになりました。食器や庭をご覧になり、大変楽しみと仰って頂き安心しました。
ところで食事会は詳しくお知らせする前に、ホームページ案内へのお問い合わせだけで既に満席となってしまいました(10月の毎週日曜正午、一回5~7名様の予定でした)。
今年うまく行きましたら来年の初夏にもと、考えておりますのでどうか宜しくお願い申し上げます。
話変わって今夕、上越市大潟区の地域ケア会議がありました。地域包括支援センター主催、各事業所ケアマネジャー、市担当者、医師らも加わり40名余が参加し、有意義でした。懇親会もあり、ひごろ公私とも如何に沢山の方のお世話になっているか、あらためて知る思いでした。
大潟区の良いところの一つは医師同士、自然で仲が良いことだと密かに思っています。
7年目の樹下美術館 Dream Along With Me。
6年前の2007年6月10日、樹下美術館が開館しました。希望と不安の船出でしたが、今日までさまざまな皆様にお越し頂いていることを深く感謝しています。
エヴァー・グリーン、いつもフレッシュ。個人的には何かと忙しいのですが、感受性を維持し成長を続けたいと思っています。
7年目を記念して、昼食に妻と樹下美術館のトーストを食べてきました。
これもまた7年目を記念してペリー・コモの「Dream Along With Me(ともに夢を)」
18才で上京し初めて買った25㎝LPレコードに入っていた曲です。ペリー・コモショーのテーマでした。
彼はとても声が良く、そして品行方正。カジノのショーなどには決して出ませんでした。
テレビでよくカーディガンを着ていて、私は今でもその服装に影響されています。
学生時代は大田区石川町に住みましたので比較的横浜が近く、放送局「ラジオ関東」は感度良く聞こえました。
毎晩枕元で同局の音楽番組「ポートジョッキー」を聞きました。
番組のエンディングテーマはビリー・ヴォーンの「Among My Souvenir(思い出の中に)」だったと思います。
上掲はThe Lenon Sistersの「Among My Souvenir」です。失恋の曲ですが美しくて癒やされます。
レノンシスターズは戦後長く活躍した姉妹のコーラスグループです。
しかしこれほどクリーンな音源に接して驚きました。
Dream Along With Me そしてAmong My Souvenir
その昔、美術館を営むとは思ってもみなかったことです。
どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。
いつも古い曲ばかりで恐縮しています。昔のレコード曲は丁寧に作ってあった、と振り返るのです。
最後ですが、当初から何かと助力して頂くF夫妻と妻に感謝しています。
夏の庭へ 賀川孝氏のご子息とお会いした。
午前に雨模様となったが庭や畑を潤すほどではなく、午後から晴れた。庭は勢いを増していて次々と初夏の花を点けていく。
紅白のキョウガノコ、白いアスチルベ、シモツケ、青いホタルブクロ、一番乗りしたホトトギスもあって賑やかだ。
本日は初めてのお客様も多くお見えで、皆様一様に展示をご覧になり、お茶を飲まれ庭を歩かれたようだ。樹下美術館は設計の途中カフェは無かったが併設して良かったと振り返っている。また好きな庭にも恵まれて幸せを感じる。
本日も倉石氏ゆかりの方が東京からお見えになった。新潟県立旧高田中学校の同窓で、自由美術を経て主体美術協会の創始会員となられた同志的画友、賀川孝氏のご子息だった。
賀川氏は帝国美術学校(現武蔵野美術大学)、倉石氏は太平洋美学校へと進んだ。後の日も、二人は取っ組み合いの喧嘩をするほどの友だったと云う。
氏は原始美術や民族芸術の原初的な普遍性を追求されていた。残念なことに比較的お若くして亡くなられ、倉石氏が追悼文を書いた。
お会いしてご子息は年経るにつれ父を好きになった、と仰った。このたびは自らのルーツを訪ね、上越高田から樹下美術館へと回って来られた。
私も両親については同じような経緯がある。特に亡くしてからは、両親と一体化しているような感覚さえ時にある。本日訪ねて来られた氏から似たようなお話を聞きながら胸熱くなるのを覚えた。CGアートと取り組まれている氏、またお目に掛かりたいと思った。
※6月9日の追加・以下は冊子「賀川孝遺作展」(1979年12月/東京都京橋「ギャラリーくぼた」)に寄せられた倉石隆の追悼文の一部です。全19ページの中に小田嶽夫氏の寄稿も収められています。
- 仏像、社寺、二十三夜塔、庚申塔
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- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
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- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ・テレビ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- 昨日のオーケストラアンサンブル上越公演 ピアノとティンパニーのスリリングな即興演奏。
- 柿のカラス対策、お彼岸のオハギ、今日の食事。
- 遅くなりましたが上越市長の三田発言から「三田青磁」。
- 2025年、樹下美術館秋の催し三題
- 「小3の凄まじい体罰」をお読みいただいて。
- 上越市八千浦中学校の皆さま。
- 小3の凄まじい体罰 その3 終章。
- 小3の凄まじい体罰 その2。
- 小3の凄まじい体罰 その1。
- 小学校に上がるまでジャンケンを知らなかったAちゃん。
- 台風直後の上野駅から大潟町へタクシーに乗る その2。
- 今朝方の雷雨 その昔、台風直後の上野駅から大潟町へタクシーに乗る。
- 厳しい残暑のなか頸城野の稲刈り。
- ほくほく線のポストカードで。
- 気に入って頂いたほくほく線電車の写真。
- 今年初めての赤倉CC 仕事上の最年長になっている。
- 今年前半の「お声」から 刈り入れ前の田んぼの雀。
- 週末の上京 小5の築地と叔母の周辺そして「横浜事件」。
- 昭和100年、太平洋戦争80年の声無き声を思って。
- お盆14日は柏崎市の木村茶道美術館へ。
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