樹下だより
2021年8月2日(月曜日)
私、樹下美術館館長は、去る7月24日夜、急性心筋梗塞を発症し、現在病院医療を受けています。
病院スタッフ皆様の懸命なご努力と高度な医療によりまして無事峠を越え、リハビリに入ったところです。
皆様にご心配とご迷惑をお掛けしましたこと、誠に申し訳なく思います。
おかげさまで今週いっぱいリハビリののち退院のスケジュールが立ちました。
それに沿えるよう精一杯療養に専念するつもりです。
皆様のお顔を思い浮かべて励みにさせていただいています。
2021年7月18日(日曜日)
本日妙高山麓の某コースでゴルフをしました。
ラウンドの道中や、待ち時間に林間をみると花が咲いていたのでポケットカメラで撮りました。
随所で見たオカトラノオ。
オオバギボウシ。
トリアシショウマ。
ヤマアジサイ。
ヒヨドリ花。
紅輪(コウリン)タンポポというらしい。
ピンぼけでしたが、初めて見ましたので揚げました。
どこかにあるに違いないウバユリは、ざっと見みつかりませんでした。
暑かったが日陰では涼しさを感じました。スコアはいまいちながら良い仲間と和やかなラウンドでした。
帰って日照りが続く芝生に撒水し、以下庭の花を撮ってみました。
リアトリス→ミソハギ(盆花)と進んだ南の一角。
2014年に数株植えたミゾハギがこんなに増えた。
一重のカサブランカと向こうに八重のカサブランカ。
強い芳香を放ち、庭の入り口で咲いてます。
赤いのはサルビアです。
カフェの正面の黄金オニユリ。
いよいよ始まったムクゲ。
何々?どれどれ?といっているようなキキョウ。
山の自生花と庭の園芸花それぞれの良さは甲乙付けがたいものがあります。本日の路傍の野草には心洗われました。
このところ体調が整っているので、ゴルフの昼食にうな重を食べました。
2021年7月14日(水曜日)
この春、感じの良い齋藤三郎の染め付け作品「街道屋」どんぶりが樹下美術館に収蔵されました。
また開館当初から収蔵されている「二合半」と題された看板があり、両者の風情の調和に感心し記載してみました。
以下どんぶりからご覧下さい。

右から街道屋の三文字が読める。
向こうに梅の花。
裏側から見る。
「齋」の署名は開窯間もない昭和20年代中頃のもの。
全体は如何にも玄人好みの風合い。
当時髙田に仮寓していた文化人たちをうならせた齋藤三郎の骨頂が観てとれます。
一方、以下は看板「二合半」の書き付けです。
裏に掛けヒモが付いていて、形と内容から小料理屋の品書きなどと一緒に店内にあったものと思われます。
ちなみに以下のように書かれていました。
二合半
二合半と二合半は五合=半升(繁昌)
一、ますます繁昌
一、徳川時代より二合半と云ふ相言葉あり
酒米を一日二合半で済ます者のことを云ふ
一、二合半階級を徳川時代 別名を「こながら」と云った
「こ」は可愛意味 「ながら」は半数 約半分の意味
「可愛く適当に飲む場所」のこと
米、酒ともに二合半がほどほどであり、それを「こなから」と説明しています。
当地でも職人さんたちが「なから{半分)」を、“およそ”、“適当”の意味を込めて使っています。
それを可愛く言うと「こなから」になるらしいのです。
ネットを調べますと京都宮川筋に「こなから」というとても感じの良い店がありました。
ここでは「こなから」は丁度良い、ほど良いという感じでしょうか。
看板とどんぶりを並べてみました。
良い風情です。
本日温いソーメンを食べるのにこのどんぶりを実際に使用してみました。
とても良い感じで、美味しく頂きました。
ほかに一品、テレビ男の料理で観たというモヤシと豚バラのゆかり炒め。
ゆかりはシソの粉末のことらしい。
以上、看板「二合半」と「街道屋」どんぶりでした。
どんぶりは昭和20年代半ばの染め付けで、看板は裏に昭和43年吉日とありました。10才違いの二つの作品は一目で風情が一致し、優れた作家の作品は時を隔てても意識や風合いが底通するのが良くわかりました。
京都で近藤悠三、東京で富本憲吉という、後に人間国宝になる両氏に師事した食通の齋藤三郎。場末の小料理屋から立派な座敷まで厚く経験(勉強)した事でしょう。人に恵まれ、“器の良い店は味の良い店”という哲学を身につけたに違いありません。
街道屋と書かれたどんぶりは、江戸、明治、大正の美味しい食べ物屋を彷彿とさせる趣きがありました。街道屋という店が実際にあったものか、イメージは通り沿いの店、ありきたりの店を想像させます。しかしそんな店にも善し悪しがあり、「街道屋」どんぶりは明確に前者が意識されていたと考えられます。
味わい深い速筆、上手く散らした梅の花、一見地味だが染め付けならではの品格、そして洒脱な二合半の看板。二作品とも今年の陶芸展示「齋藤三郎の書と絵 展」後半の一部展示替えでお出しするつもりです。
お盆が終わる8月19日(木曜日)から陶芸の一部入れ替を予定しています。
それにしても、ほど良い、丁度良いは、一朝一夕には出来ない高尚な水準にちがいありません。
2021年7月12日(月曜日)
先週末4日間に亘って行われた2021年女子プロゴルフツアー「 ニッポンハムレディースクラシック」で、プロ7年目の堀琴音選手が初優勝した。
2016年「日本女子オープンゴルフ選手権」決勝ラウンドの終盤、アマチュアの畑岡奈沙選手に逆転され貴重な初優勝を逃した掘選手。かって新人賞に輝いた選手は、以後極端なスランプに陥り、シードを失い引退まで考えながら不調に苦しんでいたという。
しかし今季はコーチにも恵まれ、再び復活の兆しが見え、レギュラーツアーでの活躍が期待されていた。
以下ショットはテレビ東京スポーツの決勝の動画からです。


バンカーが連なる恐ろしげなグリーンに向かって打っていく掘選手。
念願の初優勝。
最後のパットを決めた後ずっと泣きっぱなし。
優勝がこんなに嬉しいものだとは思わなかった、と語っている。
ご覧のように今どき珍しく化粧っ気の少ない選手。派手なマニキュアやピアスも無いことにも驚いた。しっかりした雨用のズボンといい、いかに競技に集中しているかかが窺われる。
2016年秋、日本女子オープンゴルフ選手権で高校生アマチュアの畑岡選手に
土壇場で抜かれた時の堀選手。
プロがアマチュアに負けて情け無い、と言って泣く姿が印象的だった。
(GDOニュースから)
この時 堀選手は「天才が1人来たと思った。勝つべき人です」と畑岡選手をたたえたという。
翌年プロに転向した畑岡は渡米し、一般に1勝さえ困難なアメリカで活躍。くしくも先週同じ日曜日に驚異的なスコアをもって4勝目を飾った。
なお掘選手が勝った最終日、一緒に回った最終組の2選手はいずれも新潟県出身者だった。
優勝経験者で、ママさんプレーヤーとして初の優勝が期待された若林舞子選手はプレーオフで掘選手に敗れ2位に、近時上位が多い若い高橋彩香選手は3位になった。ゴルフにおける当県出身者の活躍はとても頼もしい。
コロナの影響か、若者たちに戸外スポーツのゴルフ熱が高まっているという。ゴルフが好きな私には嬉しい。
2021年7月10日(土曜日)
本日、頸城区は希望館で集団接種に問診医として出務した。
一日1600~2000人規模の接種の午後の部で、いわゆる大規模会場だった。当地域では高齢者をほぼ終了し、すでに16才~64才まで対象を拡大している。
午後1時から5時過ぎまで問診と安静室を受け持った。問診は四人の医師が関わり、接種は7つのブースで行われた。7番目はナーバスな方などに向けてベッドで受けられるべく配慮されていた。
密にならぬよう待ち、受付し移動し、問診および接種、観察を受けることが何列にもなって一斉に行われる。高齢者の方たちと異なり、対象者は病歴や服薬も少なく、終始スムーズに推移した。
膨大な対象、しかも10代後半の方達も多く混じり、若者たちに懸念された緊張による不調も見られず、接種後に安静を必要とする人も無かったことは幸運だった。
途中、迷彩服の若い自衛官のグループが入り、最も混み合ったが、機敏な反応と動作によって流れ良く推移した。
この調子で国内の接種進行を期待したいところだが、ワクチン切れを生じたことは極めて残念だ。
但し、既に接種された若者達にも深刻な副反応が乏しいことが集積され、今後用心深い彼らの安心材料になれば、と思った。
無事終了し、一斉に片付けに入る受付スタッフ。
書類はじめ本人確認の受付、案内と誘導、観察など多岐にわたり非常に多くのスタッフが関わる。
薬液調整、接種、問診など医療系スタッフとともに長時間緊張の一日だったに違いない。
過労はミスに繋がるため、こまやかにスケジュールが管理されていることを望みたい。
折角の接種、変異を重ねるウイルスに十分対応することを心から願っている。
2021年7月8日(木曜日)
本日は髙田の新道地区方達が公民館活動として来館されました。その前に小山作之助の墓碑をご覧になって来られたということ、皆様の熱意がとてもよく伝わってきました。
診療時間でしたので十分な時間を取れませんでしたが、お話しをお聞き頂き誠に有り難うございました。

また午後にはThree Love Joetsu Myokoのちかさんが熱心に取材され嬉しかったです。ちかさんの地域に対する情熱を知り、とても頼もしかったです。地域の興味深いことも色々教えて頂きためになりました。
これまでの写真の一部を見せて頂きましたが、お上手ですね、どうかこれからも長く粘り強く頑張りましょう、有り難うございました。
2021年7月6日(火曜日)
連日の雨にもかかわらず庭の植物はよく順応して頑張っている。
大きなカシワバアジサイとテッポウユリが白さを競っている。
早々と雨のなかで開いたキキョウ。
庭を観察している風。
赤、白、黄色。この一角は雨でも明るかった。
リアトリスが咲き始めた。
田んぼに面した場所で毎年ションションと生えるイネ科の草。
風情が良いので全部抜かないようにしている。
柿が段々大きくなった。
柿は案外難しいようなので少し研究が必要。
2021年6月27日(日曜日)
今から10年前、大震災と原発事故に関連する政府のコメントに「安心安全」というフレーズが盛んに使われた。
その言葉の曖昧さがとても気になって、当時安心・安全の愚とブログに書いた。具体性が曖昧のまま事態が流れる印象を否めなかったからだった。
安心安全、また安全安心は、2000年に始まった介護保険制度の議論の中で盛んに登場するようになったやに思う。画期的な制度の議論で、自治体の要人たちは安心安全を常套句とした。述べられるものは役所が用意した数字などであり、責任者としての意識と意欲は薄かった。
挨拶などの終わりには「制度も大事だが、体を鍛えて福祉の厄介にならないようにしよう」などとよく結んだ。
体は鍛えてもらうのは良いが、その後に巡りくる不自由を手当てするのが介護保険。
制度の意味が理解出来ず、肝心な話の方向が違うのであり、委員会では精一杯抵抗し理解を促した。
どれだけ鍛えたか知るよしもないが、その方達は後に、忌み嫌っていた介護保険にしっかりお世話になったはずである。
介護保険、大震災、コロナ禍とオリパラ、、、多用される「安心安全」。
そもそも安心させたいのであれば、安全を十分確保しなければならない。
ちなみに交通安全週間と言うが交通安心週間とは言わない。職場で労働安全週間と言うが安心週間とは言わない。
これらで安心と加えた場合、途端に気が緩みそうである。
安心という言葉には危険な側面がある。
安全を掲げたビル建築工事の下は、工事が完成するまで安心ではない。最初から安心を掲げたら「ウソだろう?」という事になろう。
過日の西村長官の会見は「安全・○○」(○○は確実だったか?)と述べ、「安心」が外されていた。
ある意味正直だと思い、むしろほっとした。
安全は科学的、可視的で明らかなものである。
一方安心は心理の問題で漠然としている。
安全でもないのに、上手いことを言われて安心してしまうことは、世間ならどこでも起こり得る。
国が行うのは安全を可能にする科学を徹底させ一日でも早くコロナ禍を終わらせることだ。
弁を弄して曖昧な「安心」を繰り返すことではない。
ぼんやりだが、私達は安心と安全のちがいを認識していて、聞かされる「安心安全」に違和を感じ、「安全」が薄められるのを心配するのである。
以下は今週末の写真です。
昨日見た近隣のタチアオイ。
昨日新しいベンチで読書する人。
昨日、蓄音機でシャンソンやクラシックを掛けました。
5,6カ所で咲き始めた庭のテッポウユリ。
次第に一種「森」的な雰囲気が出てきた本日美術館の雨の庭。
お客様も庭を愛して下さっていることが伝わる。
本日閉館前にコーヒーを飲んだ。
国は、ふだん国民が色々考えたり国を批判することを好まない。
だが近時、過酷なコロナによって、ものを考えることが自然に増えた。
2021年6月18日(金曜日)
先日美術館に行くと、スタッフが“裏のベンチで小さな赤ちゃんを連れたお母さんが座ってお茶を飲まれた”と嬉しそうに、話してくれました。
良いお天気で、爽やかな風が吹き、とても気持ちよさそうに見えたといいます。
お伝えしていますように樹下美術館には、以下のように三つのベンチ席があります。最近の緑のベンチを載せてみました。
開館以来の裏手のベンチ。
水田に面していてますが、稲が随分伸びてきました。
昨年こしらえた鉄の椅子、テーブル席。
建物の真裏にひっそりとあります。
今春しつらえた駐車場に隣接する木製のテーブル&ベンチ。
これからの季節、晴れた日にどうかお座りになってみてください。いずれの席でも飲食が出来ます。
以下は「そよ風と私」、原題は「アンダルシア」。カテリーナ・ヴァレンテが歌った曲でしたね。
ジョン・ノーマン指揮のコーラスで「そよ風と私」。
ペペ・ハラミジョのピアノで「そよ風と私」。
本日6月18日、当地も梅雨入りしたと報じられています。
今年はどんな梅雨になるのででしょう。
宜しければ晴れ間に外の椅子に座り、海からの風に当たってみてください。
2021年6月16日(水曜日)
15,6年前に東京のデパートの展示会で味の良い伊賀風の壺を購入した。
辻村史郎の作品だった。
昨日NHK総合放送の番組フェッショナルで辻村氏のドキュメントが放映され視聴した。
「作ることが、生きること 陶芸家・辻村史朗」のタイトルで、サブタイトルは-孤高の陶芸家・辻村史朗 山奥で生きる日々に密着-だった。
奈良県山中の仕事と生活はまさに自然とともに営まれている。そこで土と炎にまみれて汗する作家の姿に感銘を受けた。
番組で、
“作品を如何に作るかではなく 如何に生きるかである”。
と述べ、
苦境については、
“嘆くのにも、前に進むのにもエネルギーが要る。同じなら進む方にエネルギーを注ぎたい”
という主旨を口にされた。
理想に執念を燃やし苦闘する人に相応しい言葉だと思った。
以下は樹下美術館で所蔵する作品です。

自然釉の壺に山岳と人の美。
ご長男・辻村唯氏の平茶碗。
茶を飲むと美味しい。
独学で、まあよくもここまで、と感嘆させられる氏の作品。
世間の名を求めず、失敗を肥やしに造形家として、美への執念ひと筋に生きる賜物ではないだろうか。
嘗て氏のことを知らず、ただ良かった、というだけで作品を求めたが、放映を観て素晴らしい人であることを知った。
現在樹下美術館はコロナの影響を考え、月末の呈茶を中止していますが、再開の際には、齋藤三郎作品とともに辻村氏親子の器を用いたいと考えています。