樹下だより

インターネットで求めた作品と本。

2020年8月21日(金曜日)

樹下美術館は齋藤三郎の陶芸作品および倉石隆の絵画を展示しています。
齋藤三郎は亡父の蒐集を引き継ぎ、倉石隆については自ら作品を集めました。

齋藤作品は今でも時折骨董店や美術商で店頭に出ますが、倉石隆作品は中々商いがありません。
一方インターネットには齋藤作品がたまに出品されることがあり、今まで貴重な品二点を求めました。
いずれもネットオークションで、応札者は私一人でしたので随分安く落札でき幸運でした。

インターネットにおける倉石作品は油彩やデッサンはごく希に出品されることがあるようですが、私はまだ購入したことがありません。
ただ挿絵や表紙に絵筆を執られた書物および記事を執筆された美術雑誌などは古書のサイトを中心に案外出てきましたし、一部はオークションでも求めました。
ちなみに今年の展示で「倉石隆の本」を展示しています。挿絵・表紙に関係した倉石隆の本のうち半数以上はネットを通して購入したものです。
諦めていた古い本に出会える古書サイトは非常に貴重で、今でも時折検索しています。

さて以下二点はネットオークションで入手した齋藤三郎作品です。

 

梅文香盒。髙田における初期の作品と考えられました。
師の富本憲吉ゆずりの梅が一輪描かれた初々しい作風です。
2017年秋、収蔵品図録が完成した後のオークションでした。
間に合っていれば、良い場所に掲載できましたので、大変残念でした。

 

鉄絵椿文皿。
昨年12月のオークション作品で、
昭和30年前後の一種民芸調の作風が魅力的でした。

オークションは市中で商われる価格より随分安いため、時々覗くようにしています。
以上二点とも良い品で、現在の「椿と梅 展」に展示しています、どうかご覧下さい。

ところで、ごく最近倉石隆が挿絵をした「チャイルドブック 昭46年4月号」が手に入りました。
以下本の表紙とご本人の挿絵からです。

林義雄氏の表紙、チャイルドブック昭和46年4月号。
株式会社 1971年4月1日 チャイルド本社発行。

当号に収載された二話から「おめでとう」で倉石氏が挿絵をされていました。
4場面から2つを載せてみました。

愛らしいこどもと、倉石氏には珍しく、細くない〝ふくよか〟な郵便屋さんが描かれています。

4月に新入園するこどもをお祝いする話です。
主として若者から大人、さらに老人を描いた倉石隆。
あどけない幼児の挿絵に出合うと,、ほっとし、今でも驚きます。

当挿絵が描かれた1971年の5,6月に倉石氏は渡欧し、フランス、ベルギー、ドイツ、オーストリアを旅されています。その年の11~12月にはアテネ画廊で個展「もう一つのヨーロッパ」を催され、油彩11点を出品されました。一種エポックメーキングであろう、この時の作品を一点でも収蔵したいな、と願っている次第です。

倉石氏が表紙や挿絵を描いた書物21点を現在展示中ですが、このたびの「チャイルドブック」も場所をこしらえて展示いたします。

現在展示中の倉石隆「挿絵・表紙 展」の一部。

ベン・シャーンで一部盛り上がっていました。

2020年8月7日(金曜日)

6月16日~7月29日まで新潟市美術館で開催された「ベン・シャーン展」。
貴重な展覧会は、診療を休んでもと考えたが、どうしても行けなかった。
幸い親しいT氏は2回もご覧になり、後日図録を下さり、素晴らしさをお聴きした。

7才でリトアニアから父とともに米国へ移民したシャーンの作品には、一種民族の香りがするヒューマニティあふれるのを感じた。

図録の表紙「8人の乳をしぼるメイドたち」

絵画とともに多くのポスター、イラストなどのグラフィックアートが載っている。目を引くのは多様な表情をした線で、鮮やかにモチーフの「らしさ」が簡潔かつ十分に描かれる。
人の何倍もトレーニングを積み、自在な表現を可能にしたにちがいない。
政治や社会の残酷な側面を告発し、一方街中や著名な人物、風景、静物に暖かな眼差しを送っている。色彩画にみられる美しく澄んだ色も素晴らしかった。
出品は丸沼芸術の森からということ、所有者の幸福を想い、社会への貢献に深く敬意を覚えた。

 

さて、小学校を卒業するころの1954年3月1日、北太平洋マーシャル群島で米国の水爆実験が行われた。いわゆる「ビキニ水爆実験」である。危険水域外でマグロ漁船が空から降る濃厚な放射性物質、死の灰を浴び、23人の乗組員は早くから被爆障害を発症した。
船は「第五福竜丸」。
懸命な治療の甲斐無く亡くなられたのは通信長・久保山愛吉さんだった。
入学したばかりの中学校でも第五福竜丸事件と久保山さんらの容態は、逐一話題になった。原爆よりはるかに強力な水爆というものが登場したこと。被爆すると間もなく食事が食べられなくなり、吐き気下痢を生じ、皮膚のただれが起こり、衰弱感とともに次第に髪の毛が抜け落ちる放射線障害の恐ろしさを知った。

帰国後、国を挙げての治療は困難を極め、逐一ニュースとなり、ご家族のことも報じられ、中学生になったばかりの私たちははらはらした。
久保山さんは半年後に亡くなり、伝えられる氏の言葉「原水爆の犠牲者は、わたしを最後にしてほしい」には大きな無念がこもっている。

第五福竜丸事件を書いた絵本「ここが家だ」
絵:ベン・シャーン 構成・文アーサー・ビナード

文中から
「久保山さんのことを、わすれない」と
ひとびとは いった。
けれと わすれるのを じっと
まっている ひとたちもいる。

ひとびとは 原水爆を
なくそうと 動き出した。
けれど あたらしい 原水爆を
つくって いつかつかおうと
かんがえる ひとたちもいる。
実験は その後 千回も
2千回も くりかえされている。

 

話変わって、熱心な地域活動をされ、時折樹下美術館を訪ねて来られる方が、
昨年春、〝私はベン・シャーンが好きです。彼の展覧会で「ラッキー・ドラゴン(第五福竜丸)の作品を観てショックを受け、以来美術に興味を持ちました〟と仰った。
樹下美術館の図書にベン・シャーンは無く、今冬上掲の本と、以下の2011年12月~2013年7月まで全国4カ所を巡回した展覧会図録を購入した。

 

 

261ページの図録
「ベンシャーン クロスメディア・アーティスト」
-写真、絵画、グラフィック・アート-

新鮮で明解、明晰なベン・シャーンは多くの芸術家に影響を与えました。
氏の絵は見やすく簡潔でとても親しめます。

上記三冊ともカフェの図書に置きたいところですが、コロナを恐れ、図書閲覧を中断していますので、とても残念です。
図書閲覧が危険とは、コロナウイルスの残酷な一面ですね。

本日は降ったり止んだり、気温も下がり梅雨に戻ったような一日でした。
そんな日にご来館された皆様、有り難うございました。

7月が終わる日 電車、水田、浜の花、キジバト 鳩は今でも平和のシンボル 陶芸展示は一ヶ月延長。

2020年7月31日(金曜日)

コロナのお蔭で3月15日の開館を6月1日に伸ばし、午前中だけ開館、お茶とお菓子でで始めた。
7月から通常にして、大丈夫と不安が入り交じった一ヶ月の開館が、今日で終わる。

本日空はおおむね晴れ、昼休みと仕事終わりの2回外出し、眺めた種々(くさぐさ)を載せました。

 

ほくほく線犀潟駅を出た電車が高架でくびき駅へ向かう。
空に夏の雲。

 

 

早いところでは穂が出ている水田。

 

 

気持ち良さそうにひるがえる鳥追いのカイト。毎年ここのカンナは楽しみ。

 

 

夕刻は渋柿浜へ寄った。

 

夏の海岸の花ハマゴウは上品な紫。

 

 

浜にオニユリがまとまって咲いている所を時々みかける。
本日渋柿浜のを初めて見た。咲き始めの花はとても良かった。

 さて夕刻の美術館の庭。
芝生でコツコツとゴルフボール打っていると、キジバトがやって来た。
このところ撒いている餌にトウモロコシが入っているので、それがお目当てで現れる。

 

遠慮しいしい近づいてくる。

 

 

 

向こうの端から首を伸ばして取る。

 

 

2メートルほどだった距離を縮めると離れて行く。

 

 

一旦水盤の所まで行くと戻ってくる。

 

 

灯りにさしかかる。

 

近くまで来た。

 

 

この間少しだけ近づいてみた。

こんなことを何回か繰り返したあと、茂みへと去って行った。
今後どれだけ近づけるか、続けてみたい。

キジバトはあたふたせず、動作はおよそ静かだ。地味ながら色合いが洗練されていて好感が持てる。

過日つがいで水盤に来た個体。
鳩は水にクチバシを入れたまま吸水できる。
およそほかの鳥は飲み込む時に、そのつど頭を上げる。

争いを好まず、夫婦仲が良く、賢そうであり、高尚な機能を有し、過度に人を怖れない。
鳩が平和のシンボルと呼ばれていたのも頷ける。

オリンピックなどでもそうだったが、昔は大きなイベントがあると開会式でよく鳩を飛ばした。
もうこのような事をしなくなり、今や「友好」や「平和」という言葉を嫌う人まで見受けられるようになった。

世界がコロナに襲われているのはそんな風潮への戒めであろう。
自然や災害は人を選ばず団体責任として襲ってくるので、余計に怖い。

 

最後にお知らせです。
7月いっぱいで齋藤三郎・陶齋の展示替えを予定していましたが、開館がずれましたので8月いっぱい現在の展示を続けます。
新たな「ざくろと秋草 展」は9月1日からです。どうか宜しくお願い申し上げます。

テレビに一瞬出た拙写真 本日午後の呈茶。

2020年7月26日(日曜日)

昨日のテレビ放映「天才 志村どうぶつ園」で一瞬でしたが、私がかって撮った桜の幹の写真が使われました。

子ぐまたちの散歩シーン中の木登りに関した話題でした。たまたま昔のブログに出ていた写真がADさんの目に留まった、ということでした。

 

 

お届けした写真。
銀色の幹が気に入って撮った大潟区の新堀川公園の桜です。
放映で樹下美術館のクレジットまで付けて頂き、感謝しています。

さて4連休はあっという間に過ぎ、本日7月26日日曜日午後、樹下美術館は二席の呈茶を致しました。
二席で八名のお客様。三方の窓や戸を開け放ち、マスクを付けての点前でした。

堂々と初お目見えしました畠春斎の菱釜。
棚は源氏棚。

梅雨の空の下で明るく振る舞った前田正博氏の色茶碗。
右に輪島は若島孝雄氏の千鳥大棗。
棗には万葉集から、柿本人麻呂の和歌「近江の海云々」がしたためられている。
向こうの初代陶齋(齋藤三郎)の染め付け竹水指と良く調和していた、と思う。

最後はお目汚しの一枚。直前の拙おさらいです。

 

一応茶筅通しをしています。

予定通りでしたら8月は23日日曜日の午後1時および2時半開始で始めます。
一席5名様まで、二席の予定です。

本日薄茶を服して頂いた皆様、有り難うございました。

十分な配慮を致してますが、やはり拡大を続けるコロナウイルスが気になります。

追加されたフィンランドの食器イッタラ。

2020年7月24日(金曜日)

コロナ禍のため開館が遅れた今年の樹下美術館。
昨年12月16日以来、半年少々の長きにわたりお休みしました。
生じた時間で倉石隆の本、陶齋の梅と椿の器の展示に十分な時間を掛けることが出来ました。また雪が無い冬だったため、沢山庭いじりをしました。

さらに食器を見直す余裕が生じ、5月に新たなシェリーとマイセンおよびブルーキャリコを紹介いたしました
このたびは、フィンランドのブランドであるイッタラのカップ&ソーサーとプレートが加わりましたので、掲載させて頂きました。

 

タイカ・シリーズのカップ&ソーサー。
ブルー(1客)、レッド(2客)、ホワイト(1客)、ブラック{1客)。
200ミリリットルも入るたっぷりした器です。

昨日ベンチで使用してみました。
ムーミンの国、フィンランドの器にはのどかさが漂い、ほっとしました。

ケーキ皿も主としてイッタラを使用することにしました。

 

カラフルな輪が重ねられたオリゴ・シリーズのプレート。
ぱっと気持ちが明るくなります。

これから長く使う食器。皆様に気に入って頂けることを心から願っています。

新潟市から月刊キャレルの取材。

2020年7月17日(金曜日)

本日御前に新潟市から月刊キャレル掲載予定の記事について取材がありました。
眺めの良いカフェ特集ということ、ライターさんとカメラマンのお二人には丁寧に取材して頂きました。

仕事の合間に駆けつけて短時間でしたがインタビューに応じました。
ライターさんは美術館と周辺の世界にとても造詣深く、当館のコンセプトや設えについて大変好意的にとらえて下さり、感謝しています。

 

妻がスマホに収めた取材風景。

奇しくもライターさんが仰るように、当館は展示作品とともに建物、家具、食器、庭まで、樹下のものはみな鑑賞対象になるように励んで行こう、とあらためて思った次第です。

遠路の御取材、まことに有り難うございました。
雑誌は8月20日発売号ということ、楽しみに致します。

コロナの海に漂流する船 歩みを進める夏。

2020年7月16日(木曜日)

昨日上越市から10代と20代二人の感染報告があった。
当市の感染は今年4月26日以来6人となり、一気に緊張が走った。

現在、国内で再び拡大に転じている感染は、5月25日に次ぐ6月19日の自粛緩和が反映されたものであろう。
間近に迫るGoToトラベルには、各界から深刻な懸念が指摘されている。
いずれも容易に想定された事態である。
未知の医療マターにも拘わらず、予防、検査、診断、治療を検証重視して進められる医療の王道が顧みられていない。
おそらく絶えず政治の都合に押しまくられるのであろう。
政府の部会に参加する医療の専門家たちは、不条理をどのように耐えているのだろうか。
経済優先と言いながら、付いて回るツケは想像以上に大きいことが危惧される。

主要な流行地である東京都は迷走の末、一昨日知事は警戒レベルを最も高い水準に引き上げ、本日GoToに独自の制限を設けた。
周辺各県も追従する可能性がある。

〝緊張感をもって見守る〟といつも国は述べる。、
だが克服の港に向けてコロナの海を航海する船は、漂流しているように見える。
あるいは、もうこの先国民は、〝個人の責任に於いて泳いで渡れ〟と、言われているようでもあり、
経済とともに感染を促すのは、犠牲者を盾に抗体保有者を増やすことによって、社会防衛を果たそうと目論んでいるようでもある。

死亡者が少ない一点が楽観を許しているのだとすると、ウイルスはそんなに甘くはないことが経験されている。
重症者と死亡者は遅れてまとまって増えるのではないか。
予算に余裕があるとは考えられず、GoToの補助は支援金として直接業界に交付し、感染拡大防止と医療資源の確保に専念してはどうかな、と思う。

 

おしまいに、お目汚しに昨日、本日の写真です。

昨日切ったカシワバアジサイを水盤に入れました。

 

本日夏の花、ミソハギとリアトリスが盛りになりました。

 

今夕山を覆っていた優しく美人な雲。

久し振りの夕陽を浴びてほくほく線が緑の水田を走って行きました。

しゃんとしている今年のテッポウユリ。

2020年7月9日(木曜日)

毎年テッポウユリは梅雨のまっ最中に満開を迎える。
咲いたままひどく雨に降られると、早くしおれたり、脱色してガラスのようになってしまう。その点今年は雨に当たっているものの、しゃんとしていて驚いている。

例年の今ごろはお客様が減り、せっかくの美しい百合を見る人が少いので、花は可哀想だな、と思っていた。
ところが今年は皆様に多めに来て頂き、しかも庭をご覧になる方が多く、百合にも満足気な表情がうかがえる。

ところで花全体に言えることだが、夕暮れ時になると、彼や彼女たちは一段と穏やかな雰囲気を漂わす。
昨日は昼間の写真でしたが、本日は午後7時近くの花を撮ってみました。

美術館が陽当たり側なので、およそそちらを向いているのもけなげだ。

 

カシワバアジサイと隣同士↑

アマガエルも。

 

例年賑やかにおしゃべりをしている風に見えるのに、今年はみな静かな印象なのが不思議。
新鮮な感じは、宝塚の卒業生か、舞妓さんから芸妓さんになったばかりの女性達のようだ。

梅雨を越えてもはや「雨期」 換気、庭の花。

2020年7月8日(水曜日)

連日の雨は梅雨というより、「雨期」と呼びたくなるほどの執拗さ。
しかし当地では、昨夜から降り続いた雨は昼頃から小休止となった。

本日は換気の様子と庭の花を記しました。

 

開けっ放しの玄関ガラス扉。今までどんなに降っても閉めずに済んでいる。

 

降らない日には天井の排煙窓がさらに換気を促してくれる。

 

 

カフェのお客様は開けた窓を喜ばれる。

 

涼しいイトススキ。

 

トクサも庭を涼しくしてくれる植物。

以下今春沢山植えたテッポウユリがあちらこちらで賑やかになりました。

 

 

ヤマアジサイが終わった後、以下園芸種の額アジサイが綺麗に咲いている。

 

柿の実が大きくなってきた。

ポロリポロリと落ちて現在6個が付いている。
何とか秋まで頑張って貰いたい。

母の出身地の川がテレビに映った 雨降りの昼。

2020年7月7日(火曜日)

本日も雨が降り続く。
人間ならば息切れするところだが、雨はいっとき休んではまた降るを繰り返している。

洪水が頻発している九州の雨は残酷なほどで、昨日は母の出身地である佐賀県鹿島市の映像がテレビに出た。
母の昔話に出てきた川が氾濫しそうだった。
母はよくこの川で泳いだという。
ある日泳いで帰ると、いつもは穏やかな母が烈火の如く怒り、お前の背中に石をくくって沈める、と言ったという。
子ども時代ならまだしも、もう娘になるのだからはしたない、ということだったらしい。

近隣の水田。
雨を降り残した雲がもやもやと米山にけむっている。

本日昼のいっとき美術館はお客様で賑わっていた。多くの人がカフェを使われるが、今年は特に初めての方々が熱心に展示をご覧になり有り難い。

私がいた時に、俳句の皆様が寄ってくださり、庭を見ながら発句をされていた。
また車椅子でご老人をお連れした女性の静かな甲斐甲斐しさは印象的だった。
あるご夫婦は毎年結婚記念日に当館を尋ねてお茶を飲み、玄関で記念写真を撮ると仰った。例年スタッフがシャッターを押すらしいのだが、今年は私が押させてもらった。
持ち寄り食事会の後と仰る四人の女性は、カフェがいっぱいで陶芸室のテーブルにすわって頂いた。陶齋の作品に囲まれ、ここもいいですね、と仰った。

 

雨降るお昼のひととき、皆様有り難うございました。

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