頸城野点景

初夏、上越市大潟区四ツ屋浜の夕暮れ

2011年6月7日(火曜日)

 障子が赤らんでいたので夕刻、近くの四ツ屋浜の海へ行った。雲の切れ間から陽が下りてきて漁船の背後に沈んで行った。北から佐渡汽船が静かに現れ、直江津港まで文字通りあっという間だった。

 

夕陽 
 光りの中に船が入って、

佐渡汽船 
暮れると佐渡汽船が近づいてきた。
 

 さて、時間は夕陽の如く滑るように過ぎる。「間もなく」、などと図録のことを書いてからゆうに一年は経ってしまった。印刷屋さんに初稿を出したまでは良かったが、欲張ってアルバムの写真ページを追加することにした。そのクレジットなどの用件でもたもたもたした。メドがついたが、図録は思ったよりずっとずっと大変だ。

高田への三時間 精神に良かった午後

2011年6月5日(日曜日)

少しは家から離れたい日曜日。3時間のヒマをみて高田へ行った。三カ所を回って楽しむことができた。絵描きさんも呉服店さんも、バラ作りさんも、みな良い人たちでそれぞれ心こもりの品は気持ち良かった。

 

ああそれなのに、超危険物・原発の事故はまだ底なしの恐ろしい領域を残したままだ。近づけないほど危険な水は地下へ水脈へ、おそらく海へもしみ出ていることだろう。お前が悪い、言った言わない、うろたえる政治、確固としない関連学会。

加えて素人目ながら、一つの原発の来るべき精度疲労は部品を一つずつ替えれば済む問題ではないと写る。多分疲労・劣化は全体として一斉にくるのだろうし、それは巨大エネルギーシステムの最もデリケートで最も弱い点ではないのだろうか。

たとえ便利でも、恐怖を内包するシステムへの依存は少なくとも精神によくない。このたびの事故はそのことを極めて具体的に見せている。

時間と少々の不便はおそらく越えられる。もはやこれまで、今後は何事も精神に良い方を採用するこどだ。これこそ創意工夫の国、創意工夫の人、日本と日本人に相応しい過去と未来ではないのだろうか。

 

さて、高田の最初は遊心堂さん。小林新治・充也先生の親子展を見た。充也先生のさんさんたる色彩の雪、造形に虹彩を見るような日本画は魅力的だった。
新治先生はますますお元気だ。連日悩ましいアンバランスな政治とは好対照。そっとしたものから、晴々したものまで何とも気持ちのよい絵画だった。上越の風土はいかにもモチーフ豊かだなあ、とあらためて感じた。(充也先生の作品撮影は写真に室内が多く写ってしまい失敗、大変申し分けありません)。

灯台

大らかな大地と営みの風景画
花
優しい眼差しの生物画

次は「きものの小川」さん。いつも気にしながらお店の前を何度も何度も車で通っていた。さて今日は行くぞと、初めて伺った。高田の要所をきもので守る、とても貴重なお店だった。さわやかなご主人と奥様。先日樹下美術館へいらしてくださったお嬢様のお顔も見えた。ぜひまた来たい。

のれん非常にシックなのれん。何という色なのだろう、消し炭色?
あかり
吹き抜け天井からの灯り、山吹色かな
帯締め
帯締めのアラカルト

 

最後は陶芸家小川恵子さんのバラとお花の庭へ。以前少しご縁があったが、お会いするのは初めての小川さん。溌剌として美しい方だった。

バラまたバラの園内。妻と小川さんの会話は実に楽しそうであり、次々と出る花の名は私にはほとんどサッパリだった。下草もバラとよく調和していて、大変なはずの土の何気なさにやや驚いた。

IMG_0452
ばらその1
ばらその2
ばらその2

 ピエール・ドゥ・ロンサール
ピエール・ドゥ・ロンサール

 良い午後だった、また皆様のように頑張ろう。
樹下美術館も新潟の方々や何組もの若者さんたちでほどよい賑わいだった。

美しいネギ畑 最後の課題 第三の仕組み  

2011年6月2日(木曜日)

晴れたり降ったりの空模様、あすは晴天ということでまだ梅雨入りではなさそう。

 

ネギ畑
樹下美術館のすぐそば、大潟区渋柿浜のネギ畑

 

この畑を耕しているのは昔いっしょにヨットに乗った仲間だ。よく手入れされて見映えも良く、今日は終わりのアカシアが香っていた。

 

さて、復興を傍らにして休みなく続く政争。普段ヒマそうにしている政治家でも争いになると俄然生き生きとしてくる。つくづく争いが好きな人達なんだ、と考えさせられる。いや争いが好きだから政治家になるのか。
その昔、世の父母たちが精一杯慈しみ育て、苦労して学び懸命に働く人を、殺し合いの場へかり出す戦争を決めてしまうのも、彼らの悪しき闘争性分に因するのかもしれない。

 

そもそも政治の行き着くところは、粘り強い交渉による妥協である。つまり知性と理性の仕事だ。それが出来ないからだらだらと執行が滞り、最後はこどものように争いを始める。

 

いま身を切って行われるべきは「復興」以外にない。政治家が好きなことば「国難」は、皮肉にも与野党によって行われる貧しい政治そのものを指している。被災者ご本人、さらにボランティアや寄付さえも萎えさせる不幸だ。

 

薄い分別と品格および理性と知性、ののしりと心に響かない言葉。政治は国民の姿を写していると言われると本当につらい。

日本の民主主義はまだまだ若い、これだけ恥を掻けば少しましなものへと向かうのだろうか。それがダメなら、もはや政治はやりたい人にやらせてはいけない事になる。

 

その場合、国民の善良さと純粋な学問が反映される、全く新しい無駄のない第三の仕組みを、時間をかけて真剣に考える時になろう。
722人もの衆参議員が国会に群がって不毛なずヤジを飛ばし合う。こんなアナクロニズムはもう過去へと葬るべき時なのかもしれない。

 

Iさん、ネギ畑はよく手入れされて美しかったですよ。 

夕凪の水田 畦道にハマエンドウやジシバリ

2011年5月15日(日曜日)

二日続けて吹いた風が止んだ。 用事がたまっていてずっと家で過ごした。三時のお茶で寝ている母を車いすに移動させると、はぁはぁと息切れが始まった。何日か食がいい日が続くと、このような症状がでてくる。頂くおまんじゅうなどは控えないと。

念のため注射をして間もなく収まった。3月で母は96才になった。

 

熱いお番茶と甘納豆を少々出して、好きな石川遼が出るはずのテレビをつけた。

 

少々遅い午後、美術館へ行った。ゆっくり過ごされるお客様が何組かいらしていた。ボタニカルアートを教えてほしいとおっしゃる方に、まだまだ苦労している最中ですので、とお話した。

 

5時過ぎて庭の草花に液肥を遣り、終わって芝の草取り。暮れる前後、代掻きが終わり田植えを待つ水田はなんとも静かだった。

 

水田 
  夕なぎのみず田に浮かぶ茜雲近くに来ませ居ませ共に憩はむ

明日にでも田植えでしょうか、右端に樹下美術館の影があるのですが。 

 

ハマエンドウ 
畦道に可憐なハマエンドウ
ジシバリ 
同じく畦道、ジシバリという花らしい

新潟県立大潟水と森公園 時代はピクニック

2011年5月4日(水曜日)

今日のみどりの日、正午すぎまでおよそ一時間、上越市大潟区にある新潟県立大潟水と森公園を歩いた。繊細な自然との調和が意識されている公園。園内では多くの人がそれぞれに食事をし、自分たちの時間を楽しんでいた。 

“ピクニック”は世界共通の楽しみ。三々五々自由に過ごす人達をみて、時代がゆるやかに変わっていくような感じを受けた。

 

園内には騒がしいイベントも振る舞いもない。ピクニックをする人たちは自然で自立的で、それだけで国際人?!

 

 1

 

2 
4 
6 
8 
10 
12 
14 
16 
18 
20 
22 
 
3 
5 
7 
9 
11 
13 
15 
17 
19 
21 
23 
 
 

 24 
 当公園と樹下美術館は車で10数分です。

鵜の浜温泉は車で5,6分の距離です。

はじめましてツバメ。

2011年4月26日(火曜日)

つばめ 

雨中、朝日池の広葉樹が萌えている。ぱっと目の前を横切ったのは私の初ツバメ。いつもながら颯爽として突然の登場ですね。

お仲間と飛び交う姿は元気で、数千キロを旅したとは思われません。ペアリングはこれからですか、とても嬉しそうですね。

田が動く 知事には間違いのない判断を

2011年4月25日(月曜日)

午後、田を通って往診した。上越市大潟区の田は一斉にという様子で耕耘機が入っていた。

 

 耕運
今年も素晴らしい光景

 耕して田が黒くなる強くなる

それにしても原子力発電所の問題をいわゆる地元自治体だけに大きく任せるのはおかしなことだ。

 

県民が託せる最後の砦は知事であろう。泉田知事は賢い人とお聞きしている。今際の折りはどうか間違いのないご判断をお願いしたい。

梅と畑 朝日池「宮の袖」 進化 最後は女性 安心・安全の愚

2011年4月14日(木曜日)

 畑の梅1 

 

畑の梅を見る 

一作日の雨の日、畑道の行き当たりにある梅を見た。今日は晴れて、周りで仕事をする人達がいた。生活には色々な形があろうが、ここで過ごされる人の時間を羨ましく思った。

 

ところでこのすぐ向こうに朝日池の入り江の一つ「宮の袖」がある。中学時代のある曇りの日、こんな日は大きな鯉が釣れると聞いて、一人で「宮の袖」へ行った。

 

宮の袖は足場が悪いうえ濃い雑木に糸が絡む。さらに降りだした雨に濡れて苦労した。一、二匹大きなフナを釣ったような記憶はあるが、その日一人の大人が浮かぶ。

 

私の並びの少し向こうで釣っていた人がその大人だ。はじめから蓑傘(みのかさ)をまとって非常に格好良く見えた。ガボッと水音がするとヒュンヒュン糸鳴りがして大きな魚を何度も釣り上げた。雨降りでとうとう仕舞った自分、しかし格好良い大人と居たことに満足して帰った。

 

さてここへ来てふと思う。
雨中に蓑傘、こんな服装はもう見られない。そして今放射線防護服。比べるのは酷だが、これも進化だと本気で言う若い人は多いはず。何かと強い現実肯定、自分が生きている間のスパンで損得を考えたがる男の癖。

 

世代ギャップはどうしょうもないが、この先の主だったことは、母性を内包する女性に任せるのがいいのかもしれない(但し男の悪い面だけを備えたような女性もいるので注意が必要か)。

 

 

このたびの重要な国家的会議の委員に如何にもという男性が並ぶ(梅原猛氏は別格、この人に愛想を尽かされたらお終いかも)。しかもインタビューではさっそく「安心・安全」などとキレの悪い言葉が遣われる。安心と安全は趣意が異るがかぶることも多い。まず何が安心で何が安全なのか言ってほしい。

 

その前に、安心で安全なまちづくりや暮らしは目標として言うまでもないこと。それを得意げに話す。軽くて野暮な言葉は介護保険の行政用語からたちまち広がったと思う。明晰な現場はともかく、立場が上ほど政治家ほどよく遣った。子どもじみた言葉に進化でなく人間の減退を感じていた。 

 

馬鹿にされているようで、これを遣う人をあまり好きになれない。しかし今でも会った途端に“安全・安心”と言う人がいて悩まされる。

冷たい雨の日 静かな梅

2011年4月11日(月曜日)

先日とは打って変わって冷たい雨の日。

梅は静かでますますあざやかだった。

 

倉門の梅 
百歳の婆の倉なる梅の花 枝の栄えは孫にひ孫に

 

畑中の梅 
 畑行けば密かに梅の舞台あり おほらかな見栄そそぐ春雨

 

色々あった三月、遅れに遅れる図録を進めています(本当に恥ずかしいのですが)。 

こちらこそどうか宜しくお願いいたします。

2011年4月10日(日曜日)

 新潟県上越市には福島県南相馬市や双葉町から、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって約200人の方が集団で避難されているということです。ほかにこのたびの震災で被災地からご親族などを頼って上越市に来られている方も少くないと聞いています。

 

 先日は大潟区内に身を寄せられたお年寄りを往診しました。90才を過ぎたお顔に固い緊張が見られ、ここまでの厳しい過程が読み取られました。これからの安心にむけて精一杯させて頂きたいと思いました。

 

雇用促進住宅 車が沢山あった今日の雇用促進住宅(上越市大潟区雁子浜)

 

 ところで大潟区雁子浜(がんごはま)には30戸の雇用促進住宅が二棟あります。昨日、当住宅に福島県から集団避難されていた児童・生徒さんのおよそ半数(約30人)がご家族と入居されました。当面、大潟小学校と同中学校へ通うためということです。 

 

大潟区は昭和30年代に始まった帝国石油による開発で、秋田県を中心に多くの皆さんが移住され交わった経験があります。さらに上記住宅に隣接する鵜の浜温泉にはもてなしの気風が定着しています。

 

故郷を遠くにされた皆様はさぞ淋しさやご不便はあると思いますが、少しでも当区で安心してお過ごし頂きたいと願っています。

 

所変われば人も変わる、福島県の皆様には皆様なりの文化があることでしょう。遠くと遠くが交わることは貴重なことにちがいありません。

 

“私たちの方こそどうか宜しくお願いいたします”

2026年2月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728

▲ このページのTOPへ