本日ちゃんとした初雪?

2024年12月18日(水曜日)

本日近隣は雪に降られ、今冬初めてどこもかしこも白くなった。積雪は10㎝前後で冬将軍の挨拶と理解される。これから先が大事なのだが、将軍は何も詳しく答えない。頼りの予報は一旦ひと休みを告げているけれど、その通りにお願いしたい。

以下は本日の写真。白一色となり風もなくきれいだった。

 

上掲2枚はいつもの近隣の道。

 

樹下美術館の庭。

 

美術館裏手の水田。

 

潟町の仕事場の金柑。

本日は忘年会をした。ラ・ペントラッチャでスタッフはじめお世話になった皆さまと集まった。


みなあまり飲まなくなり、かと言ってしんみりでもなく、ほどよく飲食を楽しみ、今年の働きを慰労しあった。

お天気愚痴 高齢者向け見守りモニター。 

2024年12月17日(火曜日)

本日も午後のいっときを除いてびしゃびしゃ冷たい雨が降った。
過日、上京した後、“冬の関東は晴れ渡る。あまりに晴れるとピンとこなくなる。曇ったり降ったりしているほうが違和感がない”と書いた。しかし連日の冷たい雨に感想が変わってしまい、悪天候への愚痴が多くなった。

本日は在宅回診時、わずかに晴れ間が見えた。だが雲が多く、感じの悪い空だね、とナースに話した。

在宅回り後の西の空。
しばらくすると風雨になった。

意地悪な空に比べ、以下の様に人の営みのほうが心温まることがある。
ある80なかばの方が独居をされている。家の前の小さな畑はちゃんと手が入り、目立った認知症も無いが玄関と自室に小さなモニターが置かれている。
それには、はるか遠隔の娘さんとこちらとが一緒に写るようになっていてお互いの声もよく聞こえる。

過日のワクチンでは
「あ,問診票、問診票」とおばあちゃんが言えば画面の娘さんが、
「ほら後ろの椅子にあるでしょ」
「あったあった」となり、
支払いの段では
「おサイフは膝の上だよ」と娘さんの声。
前もって必要なことを娘さんが確認されているのだろう。まるで同居しているような雰囲気だった。

システムは娘さんが帰郷された時に設置されたという。私達がマスクをして訪ねるので画面の娘さんが慌てたようにマスクを着けられたのが微笑ましかった。
普段は可愛いひお孫さんが待ち受け画面に出ている。先日の帰りぎわ、今年のおばあちゃんは全く問題がありませんでした、良いお年を、と二人に告げた。

いよいよ明日は厳しい寒波の予報。

本日雨の中のあと片付けお疲れ様でした 心打たれた投句。

2024年12月16日(月曜日)

昨日今年度を終了し、本日は4人のスタッフが出て後片付けだった。私は年寄り風を吹かせて家に居たが、帰った妻は出入りの多い仕事だったので雨に降られて大変だったと言った。

今年は展示、カフェとも忙しい一年だった。黙々と働いたスタッフたちは本当にお疲れ様でした。来館者さんから丁寧な対応と評価を頂いていましたが、皆さんが維持した熱意には敬意を覚え深く感謝しています。

珍しく晴れ間が見えた昨日午後の
近くの道。
またこんな日がこないかなあ。

このところ1週間のほとんどが冷たい雨に見舞われる。昨日の晴れ間はまったく珍しいことで、およそザーザーシトシトとよく降る。さらに気温が下がれば雨はそのまま雪に変わるので空恐ろしくもある。

我が小院にも連日インフルエンザ、コロナの方が見える。本日後片付けをされたスタッフの皆さんは、くれぐれも気を付けて一先ず身体を休めて下さい。今年のお仕事本当にご苦労様でした。

今夕妻が新聞を持って来てこれ見てと言った。
それは読者投稿の文芸欄で、かってブログを書いておられた方の俳句が掲載されていた。

紅葉散るこの世を熟知したように

移ろう自然への深い眼差しと心境に心打たれた。

昨日眼鏡、本日Suica、そして最終日。

2024年12月15日(日曜日)

昨日に比べて青空とお日様が沢山出た本日、柿崎のドコモショップでSuicaをスマホに入れて貰った。
ショップの予約は午後5時だったのが、カフェで何組かの方達と今年のお別れをしているうちに時間を過ぎた。電話をすると少し遅れても構わない、気を付けて来て下さいと親切な返事だった。
いつもお世話になる柿崎のショップ。私もそうだが高齢者が多くみられるのもどこか微笑ましい。

これで遠くの駅の切符自販機であたふたしなくて済むし、人並みにスマホをかざし改札を出入りできる。今の時代に生きているかぎり、たとえ高齢でもこのくらいはしてみたい。

さて本日で今年の営業?(本当は何といえばいいのだろう)を何とか無事に終えました。
今年の当館コレクション展は陶芸・齋藤三郎「文様展」、絵画・倉石隆「とにかく生きる展」から始まり、秋から企画展「水彩画 高宮あけみ展」を、続けて「ラッセル・ジョケラ ハンドメイド家具展」を最終日まで行いました。その間、10月に開催した日本良寛会会長・小島正芳さんの講演会「良寛さんに学ぶ」も好評でした。
年間を通してご来館頂いた皆さまはじめ作家と講師の方々には大変お世話になり、あらためて感謝申し上げます。

夕刻は撤収を終えたジョケラ氏に挨拶し、妙高市の身内とささやかな食事会をしました。

最後まで賑わった最終日。

さてまことに恐縮ですが明日から例年通り来年3月15日まで冬休みにさせて頂きます。
来年は開館19年目。今のところ特に企画展の予定はありません。忙しかった今年を振り返り爺と婆は骨休みをさせて頂き、来年は館内外、とくに庭とカフェををしっかり維持したいと考えています。

初顔で好評だったドライカレー。

来たる年にまた元気でお会いしましょう。


Among My Souvenirs
(思い出の中に)

ささやかなブログは休みの間も続けるつもりです。

新たな眼鏡 マガモ 天ぷらソバ 同級生。

2024年12月14日(土曜日)

12月はなかばにさしかかった。今年6,7月に両眼の白内障手術をし、本日宿題だった新しい眼鏡が出来上がった。午後から世話になっているイオンの「メガネ館」へ取りに伺った。

お陰様で遠近くまなくすっきりと見え、一種晴れやかな気持でハンドルを握り帰ってきた。

何気ない感じのフレームで
気に入っている。

 

午後イオンに行く前に
いっときアラレがパラパラと降った。

上掲は本日のイオン。

夕刻の朝日池でマガモのつがい。

夕食の天ぷらそば。

本日来館された皆さま、寒い中まことに有り難うございました。午後のカフェに今年何度も来て頂いた中高同級生U君夫婦がいた。午前は高校を一緒し、ことあるごとに来館されるY君にも来て頂いた。以前から書いているとおり病によってお二人より一年遅れて卒業したのに、同級生として接して頂きいつも感謝している。

明日で今年の樹下美術館は終わる。最後を飾って頂いたラッセル・ジョケラさんの「オーダーメイド家具展」も盛会だった。このところ連日お見えのHさんは明日も来たいと仰って帰られた。

身内のかなちゃん、すずちゃん、来館ありがとうございました。

昨日、強風の日の雲 天然の美(美しき天然)という曲。

2024年12月13日(金曜日)

昨日雪は無かったが風強く、今どきらしい空だった。

樹下美術館から北方を見る。
強風のため雲の先端が毛羽立っている。

海へ行ってみた。

上下浜の海。
護岸工事が終わって整っている。

向こうにマリンホテル。
よく掲載している石のモニュメント。

不思議なことに荒れた海を見ると「美しき天然」が頭に浮かんで流れる。


美しき天然。

上に挙げた動画は「ピアノで奏でる日本の叙情歌4 リンゴの歌」CDで関春絵さんという方が弾いている。CDは20年ほど前に求めたものでよく聴いた。「美しき天然」を初めて聴いたのが何時なのか全く分からないほど様々に耳にしてきた。しかしもの悲しげで長く好きではなかった。

ちなみに以下は四番まである歌詞の一番です。

空にさえずる 鳥の声
峯(ミネ)より落つる 滝の音
大波小波 とうとうと
響き絶やせぬ 海の音
聞けや人々 面白き
この天然の 音楽を
調べ自在に 弾きたもう
神の御手(オンテ)の 尊しや

それがこのCDを聴き歳月を重ねるうちに好きになった。理由は簡単で編曲が良い(勿論演奏も良く)のと歌詞を良いと思うようになったからだ。詩は四番まで季節ごとの美しさを一貫して尊い神の手による織物と歌っている。
歌が出来たのは軍事に邁進した時代、明治35年(1902年)とあった。そんな社会のなか専ら自然の美を称える曲は庶民に受け入れられサーカスやちんどん屋の鳴り物にまでなって生活に浸透したのではないだろうか。

だがもの悲しいメロディーの解釈は難しい。基本ヨナ抜きの伝統旋律のせいもあるが、私達は古来詫び寂び、ものの哀れ、空や無、無常などはかなさへの理解や感覚に親しんできた。
美しき天然に歌われる鳥の声、滝や波の音などはあまりに悠久で美しく、このような場合あらためて我が身の無常に気づかされ、一種悲しみがよぎるのは分からなくもない。
またあまりに美しく尊いものに触れた瞬間に涙が出ることもある。不思議なことだがこんな時、感動とともに心の何処かが悲しむのだろうか。
いずれにしても私達は微妙で曰く言い難い。

「美しき天然」は日本人作曲のワルツの歌では大変初期のものらしい。だが小学校で習った“空も港も、、、”の「港」はそれより5,6年早く、こちらが一番古く、明るい長調なのが対照的です。

とりとめ無く述べましたが申し分けありません、上手くまとまりません。

本日12月13日、今年の樹下美術館は残り二日となり、今年最後と仰る方たちが来られました。
皆さま本当にありがとうございます。

明日は待ちに待ったメガネが出来てくる日です。

毎日の雨。

2024年12月11日(水曜日)

このところ毎日のように冷たい雨が降る。時に上がるがおよそしっかり降る。気温が下がればそのまま雪になるだから、連日の雨にはぞっとさせられる。

雪国の山脈を越えた関東甲信あるいは群馬のカラッとした冬は、晴れ過ぎて風情が無いと過日の本欄に書いた。しかし現実になってみればドカ雪を連想させる連日の雨にはやはり気持が滅入る。

本日は気晴らしに私の人生唯一の海外旅行先、タヒチの夕陽の音楽を掲載しました。時は1970年代なかば、タヒチ7日間(実際は現地5泊)の団体旅行でした。
途中給油のソロモン島、眩しいFAA空港、博物館になっていたゴーギャンの家、知り合ったご夫婦との黒砂海岸ピクニック、パペーテのバザー、カタマランクルーズ、家々のブーゲンビリアの花、曲がった貸しクラブで回ったゴルフ場の澄んだ小川、珊瑚礁の遠くに見える白波、モーレア島の朝焼け、息を飲むボラボラ島の夕焼けetc。
大昔のことなのに年のせいで色々おぼえていて今更びっくりする。

わけても夕食のたびに眺めた鮮やかな夕焼けは忘れ難い。今冬の雪を案じながら、以前からYouTubeにあった以下の動画を貼りました。加山雄三主演の映画音楽のようですが、タヒチ周辺の雰囲気を伝えていると思います。


タヒチの夕陽。パペーテから
飛行機で50分ほどのボラボラ島。

本日もまた妻の夕食料理です。

海老ピラフ

冬、果たして本番は ホタテの頂き物と懐かしい食事。

2024年12月9日(月曜日)

当地よりも僅かに内陸の髙田の最高気温6,9度とあった。海辺の当地は風があるため体感は数度低く感じるのではないだろうか。寒波が来て三日目、本日も夜間早朝に降った雪がうっすらと地面を覆った。

大潟区、本日昼頃の庭。

 頸城区、美術館の様子。
5キロの違いで雪が異なる。
逆のこともままあり一概には言えない。

北東の空。

雪もそうだが降り続く時の空は暗い灰色一色になる。それに比べ寒波といえど晴れたり降ったりの空は多様でそれなりに面白い。

冬、なかんずく雪の本番は何と言ってもこれから。クリスマスや正月の節目を目がけて酷い寒波に襲われることも希ではない。何度も書いていることだがくれぐれもお手柔らかにお願いしたい。

それにしても雪囲いを行い、何通りもの履き物を仕度し冬向けにタイヤを交換、除雪機の準備など何かと皆さんのお世話になりながら冬仕度をする。生活は便利になったけれども雪国の冬はやはり面倒が多い。

最後は愚痴になりました。

忘れものがありました、追加です。

本日美術館のトイレにあった椿。

今夕食のカレー。

 同じくホタテのソテー。

上掲のホタテは北海道の空港に勤務されているある男性からの頂き物です。今から数十年前、当時小学5年生だったでしょうか、双子さん兄姉とお母さんの三人を家に呼んで一緒にカレーを食べたことがありました。
当時からお兄ちゃんは空港の仕事にあこがれていて北海道で念願を叶え、お姉さんは可愛いまま他県でお母さんになりました。冬だったと思いますが、こんな頂き物をすると温かそうなセーターを着てお行儀よく食事をした兄姉お二人の様子が蘇ります。
※この記事を読んだ妻が、当夜の食事はスパゲッティーだったとのではということ。よそのお子さんには辛みの加減があるのでカレーは出さなかったと思う、ということです。
なるほどです、失礼しました。

初雪?の日 最近のお客さん 買い物の日。

2024年12月7日(土曜日)

朝方うっすら白くなったらしいので初雪になるのだろうか。
午前の仕事を終え美術館に出向いた。妙高市の美術家東條麗子さんがお見えになっていた。現在展示中のジョケラ氏は地域の外国人をはじめ皆さんに驚くほど顔が広く館内は連日内外の方達で賑やかにしてもらっている。

昨日はニュージーランドご出身の男性や設計家のA子さんが見えられた。ニュージーランド男性は映画「ふみ子の海」の撮影で使われた髙田の名建築・旧小柳医院を改築、所有されておられる。
ジョケラ氏のお知り合いは自然志向が強いこと、創造や造形を得手とされ、古きを尊び自由な雰囲気を有しておられるのが共通している。
ニュージーランド氏は山田五十鈴や高峰秀子、乙羽信子が好きだと仰り、蓄音機のこともよく御存知。最後はカフェの蓄音機に手許にあった三橋美智也の「相馬盆唄」を掛け皆で盛り上がった。

本日東條さんからは長く主宰された垣根の無い「スタジオ・ゼロ」での「実験」の話、熱心なある写真家の生活、そしてお身内の介護など興味深い話をお聴きした。彼女は私と同世代でお元気、とてもシンパシーを感じた。身につけておられたアウターが鮮やかでお似合いだった。

美術館を後にしてイオンへ行った。今夏両眼の白内障手術をしていたので遅まきながらメガネを新調するのが第1の目的。いつものメガネ館で慎重な検眼をしてもらい、気に入ったフレームに出会えた。ついでに旅行用のリュック、来年度の手帳や運転用の手袋も求めた。
12月と買い物の相性やお元気な東條さんとお話したせいなのか、不思議と気持が高まり久し振りの買い物は楽しかった。ただし突然のセルフのレジに困惑した。説明の方が付いていなければどうなっていたことだろう。

以下は冠雪した近隣の山々。頸城連山。

米山。

尾神岳。

外出中車の外気温は3から4度だった。日中一帯に積雪は無く一旦少し気温は上がるようだが来週末には再び雪マークが現れている。
しばらく見ていない白鳥たちは雪国らしい寒さとなり喜んでいることだろう。

雪が足許までやってくるとほどよい緊張感をおぼえる。しかしドカ雪だけは勘弁してもらえないだろうか。

二つの高瀬舟。

2024年12月6日(金曜日)

11月中旬の去る日、岡山県倉敷市から寄られた早川正弘さんから良寛椿と同地の名物羊羹「高瀬舟」を頂いた。一口大の羊羹が一個ずつ小舟の形をしたパッケージに入っていて、手を汚さずに上手く開けられる仕様になっていた。

 羊羹「高瀬舟」の外観。
お茶のお伴にとても良い。

 開いたところ。
シャリと呼ばれる砂糖が
吹いているのが美味しい。

高瀬舟とは底が平たく、浅い川でも往き来出来る舟。岡山県西部の高梁川(たかはしがわ)はじめかつて各地で見られた小舟で、このお菓子と同じ岡山県真庭郡落合町(現真庭市)が発祥とされている模様。同町には同窓の院長がいて50年も前結婚式に参列したことがある懐かしい地名だった。

さて聞き覚えがある高瀬舟。早川氏からおみやげを受け取った妻は「森鴎外の、、、」と言った。鴎外の高瀬舟は京都の高瀬川を行き交う舟上における話で、こちらの方が知名度が高いかも知れない。

上掲は先日の上京の際車中で読んだ岩波文庫の「山椒大夫・高瀬舟 他四篇」。江戸時代、流刑の罪人を京都から出港地大阪まで運ぶ月夜の高瀬川を行く高瀬舟。舟上の罪人と彼に付きそう役人の心と姿が描写されている。
清々しい表情をしている罪人は、苦しい病によって自死しようとするが死にきれない弟に乞われ手を貸し、死なしめたことを咎められ流罪を言い渡されている。
罪人の心境と金銭感覚に役人が打たれる短い物語だが、医師でもあった森鴎外が光を当てた先は今日でも全く同じ問題として存在し、時に表在化する安楽死の深刻なテーマだ。
行為は罪に問われるが、小説では月の光の揺らぎを浴びる罪人を形容して、「その額は晴れやかで、目には微かななかがやきがある」と述べ、困難な課題に挑んだ者を潔しとして擁護している印象がある。この点現代の倫理観とは異なるところだが、留学を経験している鴎外は問題を提起しながら氏が学んだ当時のドイツの方向を暗に反映させたのかもしれない。

京都の高瀬舟。
きょうと修学行ナビより引用。

本日は風強く荒れ模様の一日、病院紹介が必要な緊急用件が二つ続いた。
今週末寒波が到来し雪に見舞われる予報が出ている。気温が下がりいつ降ってもおかしくない状況になった。

時間を掛けて押す注射 ほぼ一年振りに替えた机上メモ。

2024年12月3日(火曜日)

午前は曇り、午後雨降り、夜は上がっている三日火曜日の夜中。今年も少なくなった。

例年どおりインフルエンザのワクチンを行っている。注射法では、特に小学校低学年ころまでの人には「優しくやるからね」とか「そーっとやりましょう」などと言ってから時間を掛けて注入する。
痛いがすぐ終わるのと、痛みは少ないが時間が掛かるのではどちらが良いか、今も迷う。だが火が点くように泣かれたり大暴れたりされるよりは良いかと思い、ゆっくり打つのを続けている。

続けていると言えば、数日前に机上の大きなメモ用紙を更新した。このメモをいつから始めたのか調べてみたら2020年2月19日のブログに前年の8月19日からと書かれていた。仕事やブログで調べ物がある場合、ちょこっとメモするのに便利ではないかと感じ、5年近く続いていることになる。

上掲の紙は今年1月6日に更新したもの。手前から書いて行くので、途中上下逆さにして使う。用紙はカレンダーの裏などを用いている。鉛筆、ボールペン、マーカー、ほかに赤、黒など色も変えながら、あるいは囲みを付けて使う。お茶をこぼしたりするので汚れている。

今回は少し小さめの用紙。

ある日の美術館で、“私も同じように机上メモを始めています”と仰るお客さんと出会った。その後続けておられるでしょうか。

昨日から一泊の上京。

2024年12月1日(日曜日)

昨日から一泊して上京した。同級生夫婦二組と亡きA夫人の5人の食事会だった。もう30年は続けたが一昨年Aが亡くなった。やはり寂しい。先に逝った方が良いのか残された方が良いのか、答えは見つからない。

着いた夕刻4.5年振りでお台場へ行った。

かってより人が多い感じ。

夕陽、海、高層ビル、飛行機、雁行、
色々見られるお台場。

夕食のメニューから。

翌日は迎賓館へ行く。

前を通るばかりだった迎賓館。荷物検査を受けて入館する。国賓を迎える国を代表する場所ならもう一段深み、重みが欲しいと感じた。

 あるホテルで見たクリスマス飾り。

冬の関東は晴れ渡る。あまりに晴れるとピンとこなくなる。曇ったり降ったりしているほうが違和感がない。年のせいか、色々不思議な感覚が起きる。

大潟区公民館活動の方々の樹下美術館来訪、小山作之助係累の話をさせて頂いた。

2024年11月30日(土曜日)

一昨日は忙しかった。午後妻と木村茶道美術館へ行ったことは前回書いた。実は午前大潟区の公民館事業として皆さまが樹下美術館を訪ねてこられ、お相手をさせて頂いていた。
樹下美術館や私は小山作之助となにがしかの縁があることを当欄に何度か書いてきた。この度は作之助のひ孫でバイオリニスト「中島幸子さん」のお話しさせて頂いた。

戦中戦後のある時期、作之助の未亡人松さんと長男蕃氏はお子さん4人とともに大潟区潟町の作之助実家に疎開されていた。その後皆さまは順次東京や関東に住まわれ当地とは相応に縁遠くなった。
ただお孫さん達の中で長女の翠さんとは後年樹下美術館展示の画家倉石隆夫人として、香織さんとは長女幸子さんが作之助が設立に尽力した国立(くにたち)音楽大学に学び著明なバイオリン受賞歴をもってウイーンに留学、大活躍の緒に就かれる経緯があるなどで間接的に関係づくことになった。

当日参加された皆さま。
前市長村山秀幸さんはじめ
お世話になっている方ばかり。
熱心に聴いて頂きました。

当日作之助との関係を簡略な系図をもって説明し、幸子さんの事は若干の資料お示ししてお話させて頂いた。
今年は作之助生誕160周年にあたり、来年2月に幸子さんのことなどを大潟区コミュニティーブラザで筆者が話す予定になっている。どんなことになるか心配だが、お暇をみてご参加頂けましたら有り難く思います。

本阿弥光甫のお茶碗で飲みたくて木村茶道美術館を再訪。

2024年11月28日(木曜日)

先週の日曜日に柏崎の木村茶道美術館を訪ねた事を3回にわたって書かせて頂いた。お席の晩秋の趣き、駐車場の事、郊外の野道などを記した。その折、当日お正客に出された本阿弥光甫(号:空中)のお茶碗があまりにも素晴らしく、年内にもう一度伺い是非ともそのお茶碗で飲んでみたいと書いた。

帰宅して光甫の素晴らしさを妻に伝え、もう一度行くが一緒に行かないかと話した。本日休診の日、風強くあいにくの空だったが二人で出かけた。

不思議な事だがライトアップは終わったのに園内の紅葉は前回よりも鮮やかだった。

お正客になれれば空中の茶碗で飲めると踏んで時刻を計って到着した。だが順番通りにならず目指す茶碗に当たらなかった。しかし有り難い事にスタッフさんは私も飲めるよう配慮して下さった。

最上屋製のお菓子「初霜」
リアルだが美味しい。

赤楽と名付けられてはいるがカテゴリを越える素晴らしい茶碗。しみじみとした風情、ひたすらデリケーで美しいとしか言いようがない。思わず空中とはどんな人だったのかよぎった所、「私はここにいます」と茶碗が答えている気がした。
当初から人気で美術館のポスターになっているが、長年の使用により変化が進み実用の限界に来ているという。それで今年限りで仕舞う予定と説明された。

ああそれならなお再来して良かった。願いがあれば諦めてはいけない、本当に今日来られて幸運だった。
出されたお茶を服す。柔らかでほどよく熱い。大切な茶碗にしっかり両手を添える。碗は思ったより歯ごたえがあった。名残を惜しんで五口で飲んだ。お別れなのでもっとしっかり吸い切りをすれば良かったと思った。手にしている間、茶碗は身を固くして少し緊張しているように感じ、意外に大きいと思った。

上掲は前回撮影し忘れていた宗旦の花入れ。詫びに徹した人らしくひたすら簡易。だが長く愛された年月の重みが現れている。ミソハギの紅葉とハマギクが時を惜しんでいた。

以下帰路の園内。秋は詰まりに詰まり、木々と落ち葉は渾身の鮮やかさだった。

 帰りの福浦八景はひどく荒れていた。

荒れるのもご馳走のうちか。

 美術館に帰るとスタッフが
ホットサンドを作っていた。

新潟からお見えのお客様、ホットサンドは如何だったでしょうか、お寄り頂き有り難うございました。

柏崎、上越、晩秋の野道 斎京まさ子さんの本。

2024年11月26日(火曜日)

24日日曜日に訪ねた柏崎は木村茶道美術館。二服のお茶を美味しく飲んだあと同市米山台の西方面へと向かった。そこから県道鯨波宮川線に抜ける林道でかってエナガを撮影したことがあり、くねくねした道の春秋も気に入っているため寄り道をした次第。
残念ながら目指す鳥の姿は無かったが、落ち葉の道で赤い木の実などを観ながら車を降りては歩き、戻ってはまた走るを繰り返した。

熟れたガマズミの実。
鳥でなくても食べたくなる。

アケビ。

キヌガサソウに似たクルマバハグマ。
よく見るが名を覚えられない。

陽に映えるモミジ。

以下は樹下美術館付近の道で見た赤い実です。

ヒヨドリジョウゴ。

マユミ。
樹下美術館にも自生している。

ノイバラ。

この日の午前はかなり降った。午後は上がり時々明るい陽が射し赤い実や紅葉は晩秋の野に映えた。

ところで上掲のクルマバハグマの名が中々分からなかった。ネットや本で色々調べるが出てくるのはキヌガサソウばかり。検索を色々変え、偶々一つだけヒットたので助った。そんな中、ひょっこり本棚から現れた一冊の本があった。

著者は上越市のお茶人斎京まさ子さん。四季折々の野草の写真集だが、写真、文とも隅々神経が行き届いている。花は花器の風情と相俟ってまことに麗しく、これだけで茶のエッセンスに触れる事が出来そうだった。

「頸城野 雪が育む花」 著者斎京まさ子
新潟日報事業社2014年12月2日発行。

晩秋の部の最後に以下の俳句があり文が附記されていた。

めぐり来て また問答の 萩薄   まさ子

 紅葉の季節も過ぎ、晩秋ともなれば枯れ野に木の実、草の実が鮮やかである。色とりどりの木の実が点々と、葉の落ちた梢を彩る。実の形や色を頼りに、木の名前を思い出しながら歩く。冬を間近に控えた、華やぎと寂しさが同居する山も好きである。

美しいページをめくりながら四季移ろう自然への敬いにも似た愛しみを感じないわけにはいかない。厳しいお茶修行を積まれたお人柄が滲む素晴らしい一冊だと思った。

かってまさ子さんから以下の香合を頂いている。

齋藤三郎作 拍子木香合。

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