September In the Rain(9月の雨)を二つ。

2015年9月2日(水曜日)

昨日はしっかり降り、今日は朝から風が強く、それが弱まると夕刻は少し降った。
夏の猛暑を挟んで梅雨と秋雨があり、この先の予報もしばらく曇ったり降ったりするようだ。

さて連日ユー・チューブからで大変恐縮ですが、「September In the Rain(9月の雨)」を付けさせて頂きました。
はじめは1959年、19才の時のスー・レイニー。
次が1962年のザ・ビートルズです。

春がきたというのに、前年9月の失恋から抜け出せない心境が歌われているようです。
両者の趣は大変異なりますが、歌わんとする所はちゃんと伝わりますね。

 


1959年録音の若きスー・レイニーが歌う「September In the Rain」
モダンジャズ隆盛の当時、ジャズヴォーカリスト(特に女性)はひねりにひねって歌っていました。
しかし声の良い彼女は技巧をこらさず丁寧に歌い、とても聞きやいです。
ビリー・メイの編曲、伴奏も半世紀前とは思われないほど洗練されていてさすがです。

 


ザ・ビートルズの「September in the Rain」
(この時はまだザ・ビートルスを名乗っていませんでした)

ビートルズがスタンダード曲であるSeptember in the Rainを録音していたとはとても驚きました。
デビュー前のオーディションに用いた1962年1月のデモテープが音源だそうです。
この時は落ちたようですが、同年10月にめでたく正式デビューを果たしています。

エルヴィス・プレスリーばりに歌うのはポール・マッカートニー。
歌は魅力的でとても上手いですね。
ちなみにドラムスはまだリンゴ・スターではありません。
大げさなエンディングやもたつくリズムなど、少々慌てて作ったテープだったようですね。

雨がちの今夏最後の日、二つの出会い。

2015年8月31日(月曜日)

日中曇り時々雨だった8月最後の日、二つ出会いがあった。
一つは午前の診療で、お母さんに付いて顔をだされた帰省中の娘さん。
私が開業した昭和50年代はまだ小中学生だった。
本日母と一緒に行って小生に会ってみたいと仰ったらしい。

お母さんの診察が終わると、カーテンの陰から出てこられた。
すらりとして丸顔の美人さんは、子どもの頃と同じにこやかな目をしている。
品川区に住んでいて、私が通った大学と病院もよく知っていると仰った。
上越で暮らしているいま、若き日に15年間通った品川の話を聞くと懐かしさがこみ上げる。

変わらないですねと言っていただき、近頃自分はこの言葉に弱い。
話から立派な方と結婚し熱心な子育てをされ、幸せに暮らしているようだ。
私も頑張ろうという気持ちになった。

 
学生時代、しばしばラジオから流れていたビートルズの「And I Love Her」
アコースティックなサウンドが親しめ、歌詞もメロディも優しい。
比較的単調な曲は、間奏から半音高く転調して引き締まる。

 

次に午後から美術館で陶齋の作品を熱心にご覧になる若いカップルさんにお会いした。
色使いが九谷風ですね、男性がズバリと仰った。
詳しい訳で、石川県から来られたということだった。

陶齋の師・富本憲吉は昭和10年代、色絵磁器習得のため石川県へ、九谷焼の北出塔次郎の許へ通っている。
その時代を師とともにした陶齋は当然同道したと考えられ、強く九谷焼の影響を受けたはずである。

齋藤三郎作「色絵色紙芍薬文鉢(いろえしきししゃくやくもんばち)」現在展示中の、齋藤三郎作「色絵色紙芍薬文鉢(いろえしきししゃくやくもんばち)」
緑の地色、赤、黄色に九谷焼きの風合い。 昭和20年代後半 幅29,0㎝。

作品に字も入れてるのですね、と陶齋の文字にも興味を示された。
落ち着いた雰囲気から、もしかしたら九谷焼きの作家さんかなと思った。

先日自分は北陸を訪ね、九谷焼美術館を見てきたばかりです、とお話させて頂いた。
陶齋を飾れて幸せに感じた。

空き地のタカサゴユリ 庭の難しさ。

2015年8月30日(日曜日)

同じような調子で日中雨が降り続いた日曜日。
住宅団地の空き地にタカサゴユリが咲いていて驚いた。
雨の中、数本の花は周囲の草ととても良く調和していた。

そもそもタカサゴユリは空き地に自生しないと考えられる。
かっての庭のあるじが植えたものが残ったのか。

樹下美術館の庭も色々植えているが、折々に除草し肥料をくべてかなり人工的に育てている。
できればこのように自然な感じにしたい所だが、雑草に負けて消滅しそうなので中々できない。

タカサゴユリの土地の持ち主は花をよくご存知で、夏期の草刈りなどほど良い手入れをされているのかもしれない。
私にとって庭の花と草は難しい課題。

 IMG_4627雨の日、団地の草地に咲いていたタカサゴユリ。
自然でとても良い雰囲気だった。

美しいカワラヒワの羽を拾った。

2015年8月28日(金曜日)

日中の山にむくむくと夏雲が出ていたが、夕刻から曇り空へ夜は雨になった。

昼過ぎ美術館のベンチの近くで鳥の羽を1枚見つけた。
黄色と黒のとても美しい羽だった。

昨今途方もないお金を掛けたプロジェクトのデザインが何かとすっきりしない。
較べて一羽の小鳥の羽の形状が、こんなに素朴で洗練されているとは。
それが空飛ぶ装置の一部とは。

 鳥の羽カワラヒワの風切羽と思われる羽。
長さ6,5センチ。

 

150502水盤のカワラヒワ今年5月、庭の水盤に来ていたカワラヒワ。

傷みがなく、一本だけだったので襲われたのではなかったかもしれないが、どうしたのだろう。

庭のりズム 当館のホームページやブログをご覧になって来館される方々に感謝

2015年8月27日(木曜日)

本日お客様と庭の話をして以下のようなことを感じた。
今時は花が少なく休みの庭。
それから燃える秋を挟んで春までは眠る庭。
庭はゆったりした呼吸のようなリズムを有している。

晩夏の庭ひと休みしている最近の庭。
それはそれで一種落ち着きが感じられる。

デッキ裏手のデッキから見える水田は日ごとに色づいて行く。
田んぼは当館の広大な借景です。

本日午後、新潟市からと埼玉県からのお客様にお会いした。
埼玉県の方は旅先の案内として当館のホームページをご覧になり、
新潟市の方は普段当ブログを見てくださり、このたび初めて訪ねたと仰った。

細々とした当館のホームページや拙ブログをご覧になって来館される方々は大変貴重で、いつも感謝しています。
新潟市のお二人は来館前に二代陶齋(斎藤尚明氏)の工房を訪ねたと仰り、とても幸せそうでした。

活躍する中学生選手たち 今年の雀。

2015年8月26日(水曜日)

昨夜鈴虫の声が聞こえ、蝉たちは夏の終わりを惜しみあっている。
季節は着々と秋の仕度をしている。
気がかりだった台風15号は日本海で消滅してしまって助かった。
雨上がりの庭で、今夜も鈴虫が鳴き始めた。

本日台風一過の爽やかな空を期待したが、曇りがちで朝夕は雨が見られた。

午後、施設出務の帰りに寄った美術館のカフェで、おばあちゃんと一緒の中学生の女子生徒さんにお会いした。
おばあちゃんが当館のお抹茶が美味しかったと話すと、自分も行ってみたいということで実現したらしい。
とても美味しそうにお茶とお菓子を頂く様子だった。

その折り生徒さんが剣道の選手と聞いてびっくりした。
絵本の挿絵のように可愛い女子なのに先日、日本武道館の全国大会に出場し、
別の選手権では新潟県の団体戦で優勝したという。

忙しい夏休みで溜まっていた宿題は三日でさっさと終わらせたらしい。
絵が残っているのでは、と親が心配したところ、
「冬休みのうちに1枚描いておいた」
とちゃっかり顔で答えたという、何という計画性だろう。

近隣に有望なスポーツ選手たちがいることはとても素晴らしい。
小生の母校中学校の女子陸上リレー選手たちは全日本中学選手権に出場して見事に決勝進出を果たした。
また同校の女子テニス選手は先日、全日本ジュニア選手権14才以下ダブルスで優勝している。

私が知らないだけで、当地には大勢の生徒さんがそれぞれの分野で頑張っているにちがいない。
部活、スポーツをする人は学習も能率良くする。
明るい未来に向かってどうか思う存分活躍してください。

 

水田の雀在宅訪問で出会った雀の群。
あちらこちらで見かける群は例年より個体数が多いように見受けられる。
順調な夏だったためだろうか、その通りであればと願っている。

台風が関係する奇妙で絵画的な雲。

2015年8月25日(火曜日)

現在22時半ころ、台風15号は島根県沖を北へ向かっている模様。
本日の空に台風の接近の影響と思われる雲が見られた。

およそ台風の前後あるいは通過する場合しばしば変わった雲が見られる。
くっきりした輪郭、とろりとした一様な濃さ、奇妙な形状などのことである。
それらに、全てではないが絵の具で描いたような一種絵画的、時には物語的な印象を受ける。

本日、上越市大潟区の水田から見て西は、妙高連峰の方角に以下のような雲が見られた。

12:2212時半ころのモノトーンに近い一様な雲。
様々な濃淡で何層か帯状に別れ、風向きに従って南北に連なっていた。

18:0518時過ぎ。
白と黒の一様かつ輪郭が明瞭でにょろにょろと這うような雲。
くっきりしているためか、それぞれの雲の遠近や上下の区別が判然とせず、絵画のように感じられる。

18:4718時40分頃。
上掲の40分後大きなウナギのような形の雲が横たわっていた。

台風が関係すると主に風の影響であろう、帯状、レンズ状、層状などで明瞭な輪郭の雲がみられる。
性質?もミルクのように緻密で滑らかな感じがする。
但し、同じく強風でも台風以外の場合、綿のようにふわふわした形のまま飛んで行く雲も希ではない、、、。

なぜ台風はさほど強風でない時間でも、しばしば絵画的で物語的で、奇妙な形になるのだろう。
台風の空を見ていると、次元が変化したような不思議な感覚をおぼえることがある。

明日はかなり遠ざかるようだ。
今のところ当地域に大きな被害は報じられていないが、どんな雲が見られるのだろう。

「手は難しい」と言った倉石隆の手 その3不安定な心の表れ。

2015年8月24日(月曜日)

「手は難しい」と言った倉石隆の手 で二回の記載を行いました。
一回目は雑音を避けるように、あえて手を描かない人物画。
二回目は動作の手と心理や感情など心が表れている手の作品を取り上げました。

色々ご意見はあろうと思いますが、本日は三回目最終です。
ここでは正面像にも拘わらず手の位置が不揃いだったり、その仕草に不安定さが見られる作品三点を眺めてみました。

④黄昏のピエロ倉石隆おなじみの油彩 「黄昏のピエロ」です。
まず細い身体と戸惑ったような目が印象的です。

④黄昏のピエロの手 か細い指をした手の高さが大きくずれています。
テントからの距離、細い体と頼りなげな手は拠り所のない孤独なピエロの心を伝えています。
「「(みつめる)」と同じように暖色系の色使いが、人物を優しく包んでいます。

 

E今春入ったばかりの油彩 「男の像」です。
黄昏のピエロと異なり、はち切れんばかりの異常に大きな身体です。
較べて手と顔は極めて小さく描かれ、顔の表情はいらいら落ち着きません。

E一応組まれている手にも同じようにに焦燥感が表れています。
新たなステップへの意欲と現実の狭間で、大きな体を持てあましている作者自身を描いています。

 

ネグリジェ倉石隆 油彩「ネグリジェ」
寝間着を脱ごうと服をずらした少女は細い身体をしています。

ネグリジェの手両手の位置は「黄昏のピエロ」と同じく高さが揃いません。
ぎくしゃくと左右異なる指のポーズから、緊張と不安が伝わります。
若い娘さんはモデルになるのが初体験だったのでしょうか。
何か可哀想で、見るほうもドキドキと緊張させられます。

さて三回にわたって倉石隆の人物画を、特に手に注目して見てみました。
〝手は口ほどにものを言い〟ではありませんが、氏の手には様々な表情が見られました。

実際手と指は顔にも劣らず大きく、二つもあり如実に動きます。
「手は難しい」
手は内部にある心を反映し、時には増幅するなど敏感な身体部分にちがいありません。
内省と観察の人物画家、倉石隆にとってそれは心と同様無視できない重要な器官だったのでしょう。

現在、樹下美術館では「倉石隆の男性」と銘打って老若の人物画を9点展示しています。
それぞれに、穏やかさ、無心、空腹、おどけ、困惑、寂寥、焦燥などが描かれています。

このたびの「(みつめる)」、「黄昏のピエロ」、「男の像」も展示していますので、どうぞご覧下さい。

「手は難しい」と言った倉石隆の手 その2動作の手 心の手。 

2015年8月23日(日曜日)

倉石隆の手に関連して前回は、手が描かれていない人物画を取り上げました。

本日の以下の二枚は1945から50年まで、戦後高田に復員していた困窮時代に書類や座右の半紙に描かれた素描です。
動作に関連したもので、構図が良く手のエッセンスが素早く描かれています。

授乳倉石隆 素描 「(授乳)」

寝そべる倉石隆 素描 「(寝そべる)」

 

このように熟達した描写力の倉石氏が「手は難しい」といいます。
次は動作をしていない人物(肖像など)で、表情のある手を見てみました。
いずれも1950年に上京し、画家としての地位を築いて行った時代の作品です。

(若い女性)倉石隆 素描 「(若い女性の像)」
重ねられるように組まれている手から、穏やかな感情が伝わります。
ダ・ヴィンチの「モナリザ」は椅子の肘掛けに片手を掛けていますが、この女性も似たような手の組み方をしています。

愁倉石隆 油彩 「愁」
固く組まれた手に愁いの強い思いが込められているようです。

 

最後に上の2枚と較べて、一種心の不安定さが手に感じられる作品を挙げてみました。

③見つめる倉石隆 油彩 「(みつめる)」
顔と同じくらいの大きさで描かれている手が気になります。
しかも離れた両手の高さが異なり、不均衡さが人物の心理に動きを与えています。
やや固い表情とともに、この手は一種不安定な気分を伝えようとしているようです。
但し、着衣の深い暖色と、首回りの引き締まった黒が絵画としての安定感を際立たせていると思われますが、如何でしょう。

モデルは作者自身ということですが、「(みつめる)」は私の好きな作品です。

1枚の無言の人物に込めなければならない心理や感情。
それが人物の困惑や不安で、しかも手でも表現を試みるのは、確かに難しいことでしょう。

心は文字や言葉にするさえ難しいのですから、倉石氏は手を何度も描いては消し、消しては描いたにちがいありません。
次回は「(みつめる)」と同じように、安定していると言いがたい心が手に表れている作品を幾つかご紹介したいと思います。

※括弧で書かれた作品タイトルはオリジナルのものが無いため、
「新潟市美術館企画展示図録 郷土の作家シリーズ 倉石隆展 1995年9月14日発行」の記載に依り、また一部は私が個人的に仮題としてつけました。

「手は難しい」と言った倉石隆の手 その1手が描かれていない作品。

2015年8月21日(金曜日)

過日美術館を見るという宿題の中学生とお会いした事を書かせて頂いた。

そのおり、〝倉石隆の人物作品は幾分ややこしい。
この画家には美術=美しい、楽しい、という図式と異なる部分があるからであり、
人間の孤独や不安、迷いやあせりなど弱い所へもしっかり目を向けた人〟など話をさせて頂いた。

さて、その倉石氏は生前「手は難しい」述べていたことを夫人からお聞きしたことがある。
デッサンの名人であり、太平洋美術学校時代は毎年デッサン賞に輝いた氏。
氏は後年「僕はデッサンをやり過ぎた」とまで述懐している。
なぜその人が「手は難しい」と述べたのだろう。

氏にとって手だけ描くのであれば、おそらく造作のないことだったろう。
仮に読書、演奏、絵画制作など「何かをしている」人物であればそれに合わせた手のポーズを描けば良い。

だが何もしていない人物画(肖像画も含めて)における手の扱いはどうすればいいのだろうか。
美しく描かない画家、倉石隆にとって重要なのはモデルの心理、感情、時には人物の歴史や物語でもあったはず。
顔や目は時間を掛ければ何とか描ける。
しかし手の心理、感情表現となると解剖図などに当然なく、描法もないl。

心理学で探すか、他者を詳細に観察するか自分を見るしかない。
正確に行おうとすれば、確かに難しい課題である。

このたび数回にわたって倉石隆の手について書いてみたい。
本日はまず手が描かれていない作品から二点掲載してみました。

①M夫人倉石隆 油彩「M夫人」

 

46倉石隆 油彩「秋」

何故手を描かなかったのだろう、と幾分の疑問を覚える作品である。
だが作者は作品に余計な心理感情を交えず、ただその人らしさを描きたかった、と考えてみた。
そのため手を描くことで生ずる雑音をあえて避けたのだろうと思われる。
倉石隆が終生心の師と仰いだという、レンブラントにも手が描かれていない自画像は多い。

次回は穏やかな手が描かれた作品に触れてみたい。
さらに先では困惑や混乱の心理、感情が手に表れていると考えられる作品について記載してみたいと思います。

晩夏の紅、ミゾハギ。

2015年8月19日(水曜日)

雲の多い日でした。
このところ予報が微妙にずれ気味のことがあり、秋が近づいている証拠でしょうか。

現在樹下美術館の庭では、昨年二カ所に植えたミゾハギが一カ所だけ育ち、花を咲かせています。
庭はムクゲが終わるころとなり、紅白のカノコユリとこのミゾハギが少々残っているだけ。
夏枯れ、あるいは一休みといった風情で、それも悪くないと観念しています。

ミソハギ沼地へ行きますと何十本とまとまってこの花が咲いています。
お盆の頃に咲きますので「盆花」と昔から聞いていました。

当館ももっと増やしたいと考えています。

雨雲たれこめる関川大橋の眺め。

2015年8月17日(月曜日)

運転で何度も何度も渡っている橋。
比較的大きな橋のうち、
関川大橋はこれまで最も多く渡った橋ではないだろうか。
往復何百回、いや何千回かもしれない。

本日直江津に所用があり、ふと歩いてみたくなって車を置いて橋の歩道を往復した。
車ならあっという間に渡り終える橋は、感じていた何倍もの長さがあった。
地図で見ると300メートル余はあるらしい。

雨で水かさを増した河はゆったりと横たわり、雨雲の下、謙信公大橋や南葉山を両岸に並べて広く美しい眺めだった。

関川大橋満々と水を湛えた関川。
左に謙信公大橋、右に低い雲がかかる南葉山、本日妙高山は見えなかった。
河岸を散歩する人をよく見るが、さぞかし気持ちが良いことだろう。

本日西日本や関東で大雨があり、当地も午後から夜にかけていっとき強く降った。

予報では明日も雨ですが、その後再び晴天となり、暑さが戻るようです。

美術館が宿題の中学生 実る水田。

2015年8月16日(日曜日)

蒸し暑さが戻った午後、熱心に絵をご覧になっていた家族にお会いした。
帰省中の方達で、長岡市の中学二年生のお嬢さんが混じっていた。
彼女の夏休みの宿題に美術館へ行く課題があったという。

「樹下美術館は小さいですから、宿題向きかもしれませんね」と話すと、
緊張ぎみだったお顔に笑み浮かんだ。
ただ倉石隆の人物作品は幾分ややこしい。
美術=美しい、楽しい、という図式と異なる部分があるからだ。

「この画家は、人間の孤独や不安、迷いやあせりなど弱い部分もしっかり目を向けた人」
として現在架かっている、「めし」「黄昏のピエロ」「見つめる」「男の像」などを少し説明させて頂いた。
大きな瞳を開いて熱心に聞いて頂いた。

大人達がカフェに降りた後も一人で展示場に残っていた、と後でお聞きした。

さてお盆も終わり、周囲の水田は急速に色を濃くし、穀物のかおりが立ち始めている。
そんな田んぼに連日雀たちがやってくる。

集団でさえずり、何かの拍子に田から近くの木に一斉に移ると、また田に降りる。
乾燥して固くなる前の今頃の稲穂は柔らかくて甘く、雀の大好物らしい。

 

欣喜雀躍喜びいっぱいの雀。
厳しい秋冬に向かって食べれるだけ食べる。
農家の方、申し分けありません、きっと害虫なども食べていると思われます。

びっしりと稲穂夕刻の田んぼ。場所によってかなり色づいている。
びっしりと実った穂は大きく重そうで、素人の私ですが豊作を期待してしまいます。

年によって毎週のようにやってくる台風が一休みしている。
これだけの実りが台無しにならないよう、お願いしたい。

本日終戦70周年。

2015年8月15日(土曜日)

本日終戦70周年の日。

昭和17年2月1日誕生の私は満州生まれ。
二つ上の姉も、一つ下の弟も三つ下の弟もみな満州で生まれた。
ある時期までいつか訪ねてみたいと思っていた中国だったが、
不思議なことに働くようになって、あるいは結婚すると全く里心を失った。

終戦の時、三歳半の自分に残ったのは記憶というほど高尚なものではなく、夢か幻に近い。
その中の一つに次のようなものがある。

5才の姉と私(もしかしたら一つ下の弟も居たのか?)は街を歩いていた。
通りは見た事がないほど祝祭的で人々は恐ろしいほど興奮していた。
その街中で、「早く、早く」と姉にせかされて家へ急いだ。
手をつないでいたのか、必死の姉をすぐそばに感じていた。

長く脳裏にあるこの場面は、満州における終戦の日ではなかったかと思っている。
そうであれば、父母はすでに厳しい帰還(引き揚げ)の準備で精一杯だったにちがいない。
戸外の騒ぎを見たい私たちは、親の目を盗んで外へ出たのか。
だが途中で、敗戦国民である自分たちの危険を感じた姉は慌てて帰ることを促した?

帰国後母は大陸の食べ物や、ちょっとした中国語を話してみせたが、父は満州を一切語らなかった。
縁者の大戦犠牲者はレイテ島に於ける母の弟がいる。
あるいは思想えん罪事件として、凄惨な拷問の果てに亡くなった無実の叔父も戦争犠牲者だ。
そして往診や訪問の行く先々でどれだけ戦死者の遺影を見たことだろう。

歳月が過ぎて関係者は黙っているが、今なを悲惨な死を遂げた当事者のうめき声が響いているように感じる。

故国を遠く離れた戦場で撃たれ血を吹きながら苦しみ、家族にも会えず冷たくなっていった兵は何を思っただろう。
みな善良で勤勉な兄弟であり夫であり、父であり子だった人達である。

歴史上の武将の物語も同じ、何千何万の兵のむごたらしい死なくして成立しない。
このことを考えれば、NHKは延々一年に及ぶ武将中心の歴史大河ドラマなどもう止めてはどうかと思う。

“70年の平和の重みは増すばかりであり、それでボケることなど絶対にあり得ない〟
偏狭な敵味方の峻別とその延長は戦争の導火線であり、いまや時代錯誤ではないだろうか。

 

019

待っていた雨 お盆の出入り。

2015年8月14日(金曜日)

「異常な暑さ」を嘆く毎日だった。
「暑くていいんです、盆が来たら降ればいいんです」
ちょうど一週間前、一粒も雨が降らず猛暑を嘆くと農家の方が仰った。
それが盆に入った昨夜遅くから午前まで、ちゃんとしっかり降った。

農家の方の言う通りになってきて、こんな流れがお米にも良いのだろう。

雨のおかげで本日雲らしい雲が湧き、アブラゼミが元気を取り戻し、
畑が助かったという声を聴き、庭の水やりも当分休めるようになった。

いまお盆客の出入りは患家に、通りに、お寺に、そして樹下美術館に見られる。
・訪れた家で認知症が進んだおばあさんは、お客が出入りする居間でじっとして緊張の面持ちだった。
・軽い脱水症のおじいちゃんを心配して、東京から帰省中のお孫さんが付き添って受診された。
・皆が集まったといって9人もの地元のご一家が樹下美術館で昼食とお茶をされた。
・一昨年の主体展で倉石隆の「琢也」を見たという東京の青年が、90才の実家のおばあちゃんと来館され楽しまれた。

そして今夕、水蒸気いっぱいの雲が茜に染まった。

1上越市大潟漁港。

2大潟漁港で刻々変わる空の色。
このあとしばらくして雨が降り出した。

本日長岡市からの男性が、拙館長のブログを見て雲に興味を持つようになった、と仰ったという。
有り難うございます、今夕は久し振りに見応えがありましたね。

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