小島正芳先生と発行予定の著書「良寛の生涯と芸術」 竹。

2023年12月10日(日曜日)

二日続きの晴天のあとの本日はさすがに小雨模様。
されども比較的温かだった。
今年の樹下美術館は余すところあと5日となった。気のせいか今年ほど終了間近となってお客様が多くお見えになる年は珍しいのではないか。

そんな本日新潟市から良寛研究家の小島正芳先生が顔を出された。先生は来年早々の出版予定である著書「良寛の生涯と芸術」の表紙見本のプリントを持参された。500ページに及ぶ大著だ。

「良寛の生涯と芸術」の表紙見本。
2024年1月 考古堂発行予定。

背表紙に「良寛研究の集大成」とされているのが→「良寛研究の新発見紹介」と直されている。集大成ではお終いとなり、意にそぐわないこと、さらに最終校の段で新たな事実が見つかったので追加し間に合ったとニコニコされた。

名や地位へのこだわり無く、お好きな良寛研究に足を使い汗して長く探求された貴重な一冊。
先生のことだから、上から目線の堅い書物ではなく読みやすい、もしかしたらどこから読んでも面白い本になっているのではと、楽しい期待をさせて頂いた。

来年になったら倉敷市に行き、美術館や瀬戸内とともに良寛さんが修行した備中玉島の円通寺を訪ねる予定がある。繰り返し円通寺を訪ねられている小島先生から色々教えて頂いた。

円通寺から海が見える事も知った。良寛さんの故郷出雲崎も海と佐渡島が見える。玉島で10年におよぶ孤独で厳しい修行中、師は海を目にしては郷里を思い慰められたことだろう。

ところで円通寺境内に竹藪があり、小島先生が仰るには“筍や竹は中が空洞で「空や無」を表している。そのうえ、ふしがあることで節度、さらに重圧を跳ね返すしなりを有する事などから禅の修行で着目される植物”とお話された。

齋藤三郎作「染め附け竹文水指」

また同寺に良寛堂ほか師の立像や詩碑があり、岡山県で「聖良寛」と呼ばれ、さらに同県の三大茶会の一つに「良寛茶会」があるなど良寛さんは非常に重んじられているという。
とても嬉しい事で、瀬戸内の陽光と円通寺の茅葺きの佇まいが見られる事を今から楽しみにしている。

本日お越しの皆様まことに有り難うございました。

久し振りのSPレコード。

2023年12月9日(土曜日)

冬に希な二日続きの晴天。樹下美術館の今年開館が1週間を残すことになり色々な方に寄って頂いた。
A氏が久し振りにSPレコードを持参され居あわせたお客さんたちと聴いた。

あらためて平和を祈ろうと、初めに鐘のテーマで、エディット・ピアフの「谷間に三つの鐘が鳴る」と藤山一郎の「長崎の鐘」を掛けた。
最初の曲は人生の節目である誕生、結婚、死に際して谷間に響く三度の鐘を歌っている。三回目の鐘が戦死で無い事を祈った。

「長崎の鐘」は長崎市で被爆し、妻を失いながら被災者の治療に専念、自らも亡くなられ医学者への鎮魂と長崎市民の希望を繋ぐ歌。


昭和24年発売レコード「長崎の鐘」
藤山一郎の歌。

私の年代では知らない人がいない歌の一つ。
私自身昭和43年、医療に踏み出した年、九州を一州するきな団体旅行の医療班バイトとして同行した時、長崎市でバスガイドさんが歌うのを聴いた。
歌は昭和26年の第一回紅白で大トリとして藤山氏が歌い、その後昭和56年まで三回紅白で絵歌われたらしい。

以下は本日かかったレコードの一枚、D・リパッティによるショパンのワルツから。
リパッティはなかなかのダンディ。


本日のSPレコードから
ショパン、ワルツ10番。

黒い帽子が似合うA氏が羨ましい。

慌ただしい日にご来館頂いた皆さま、代議士のUさん、有り難うございました。良い一日でした。

よく晴れた金曜日。 

2023年12月8日(金曜日)

昨日とは打って変わりよく晴れた金曜日。上越市髙田で最高気温16,2度を記録した。

白鳥を見ているとほくほく線の電車が上ってきた。
先日の強風下でのろのろ走っていたのが本日は軽快に通過した。
それにしてもあれだけいた白鳥がこの所数を減らしているように思われる。沢山いた鳥たちはここを中継地としてさらに北陸や山陰へと渡っていったのか。今後遅れた一群が沢山飛来するだろうか、そしてハクガンは来るのだろうか。

近隣の用水池。

路傍のサザンカ。

樹下美術館では本日ススキやホトトギスなどの枯れた軸を切り詰めた。

足許に枯葉を抱えたクリスマスローズ。
今年は葉をつけたまま越冬させてみる。

以下はダイアナクラールのピアノ弾き語り「On The Sunny Side of The Street(明るい表通りで)」です。


ダイアナ・クラール
「On The Sunny Side of The Street」

“重いコートを脱いで明るい表通りを歩こう”、“わずか1セントでもロックフェラーのような大金持ちの気分になって”などと歌われる。かって5,60年前にはルイ・アームストロングのしゃがれ声とトランペット演奏のこの曲を多くの人が知っていた。

有り難い事に明日日中も晴れるという。

好天の日 「MY Foolish Heart」 明日明後日には晴れ間も。

2023年12月7日(木曜日)

晴れても一日、しばしば半日のいま時。本日の空は荒れたが何かと名残を惜しむ来館者さんたちが寄って下さった。

午後皆さんとお会いして、田んぼに白鳥を探しに行ったが一羽の影も無く、荒れた雲が光芒を引きながら移動するばかりだった。

強風区間のためこの日もほくほく線はのろのろと進んでいった。

戻ると静かになったカフェの窓からアラレで白くなった庭。まだ初雪ではない。

日頃の心を顧みて「MY Foolish Heart(愚かなりし我が心)」です。


1949年の映画主題歌の後年の録音。
原作は「ライ麦畑でつかまえて」

明日、明後日と温かい日射しが現れる模様、エナガや白鳥が撮れれば幸運。

夕刻から同業者ゴルフ会の忘年会があった。たかだか15年前のこの月には10回もの忘年会があった。時代は移り忘年会も古くなったのでは。

東京、神奈川からのお客様 旧師団長宿舎 落ち葉の大潟水と森公園 薄茶点前で エゴンシーレ・琳派風の茶碗 。

2023年12月4日(月曜日)

昨日日曜日も雨降りで、昼前に神奈川県から美大出のご夫婦とその友人が新幹線で見えた。出迎えてから上越市内大町の旧師団長官舎のレストラン「エリス」でランチをご一緒した。

館内は一段ときれいになり、各地から選んだ旬の食材を丁寧にあしらった料理を食べた。

いつ雪が降ってもおかしくない
初冬の館。

 上越市とは思われない
麗しい館内。

磨かれたグラスは良いレストランの証し。

筒石のイカと金柑の料理

 

長崎のスマガツオと黒姫大根の料理。

齋藤尚明さんの蓋物の器が
嬉しい佐渡サーモンと
ル・レクチェの料理。

メリハリが効いた美味しい料理の数々。明治時代の建物で時空を越えた贅沢な時間を過ごした。

三人の宿は眼下に冬の日本海が荒れ狂うホテルハマナス。客人は「凄いなあ」と歓声をを上げた。冬の日本海の波濤は貴重な観光資源だと思う。

一夜明け、本日日曜日昼に「絵付け陶芸三人展」をご一緒した。黒岩卓実さんの軽やかで壮快な赤絵、鈴木秀昭さんの凝縮された宇宙、正木春蔵さんの慎ましい美意識など共感し合い楽しく眺めた。

それから腹ごなしに大潟水と森公園を歩いた。

公園の落ち葉と足許。

帰ってから茶室で妻が点前して薄茶を飲んだ。

藤村正員の「雪聲」の軸。

展示中の鈴木秀昭作
「色絵金銀彩天空茶碗」。
器は大きく十分濃茶も行けそう。

上掲の抹茶茶碗をご覧になった本日のお客さんは「エゴン・シーレ」のようだと仰った。
その前にある方が尾形光琳の「紅梅白梅図屏風」のようだと仰っていた。
いずれもその通りの頼もしい感想であり、ずるい私は「宇宙琳派」と、良いとこ取りをさせてもらうことにした。

雨が小降りになって ピクルス 柿崎海岸 夕暮れの潟町駅。

2023年12月2日(土曜日)

何日も雨降りが続いていたが午後から小降りになった。日ごと気温が下がり雨も冷たくなってくる。本日午後車が示した気温は6度だった。外出すると頬の冷たさが冬のそれに変わっていた。

午後は美術館に寄ってから柿崎海岸を歩いた。

美術館の厨房で鮮やかで美味しそうな食材を見た。ピクルスの下ごしらえだった。以前は妻の仕事だったが今はみなが作る。

大きくて赤いブイが上がっていた。漁網を吊すものか。

かって浮かんでいた海を見ている。
空は今どきの鉛色。

荒れた直後のためシーグラスが上がっていた。

ありきたりの青色が殆ど。
かって僅かだが赤や黄色も
あった。

帰路、夕暮れの潟町駅
学生時代までお世話になった。

潟町駅は小さな御手洗池に接している。小学時代、釣り竿をもって正面線路側の土手から釣り糸をたれた。釣り糸、ウキ、釣り針、重りなどは近くの丸八さんでよく買った。
餌のミミズは家の排泄溝の脇か近所の豚小屋の周囲を掘って採った。
釣り場の土手は機関車の石炭がらの捨て場だった。土手は急で下手するとずるずる池に向かって足元が崩れるので用心しなくてはいけなかった。

深いと言われた池の向かって右には杭と板をあしらった場所があり、かって中学校の水泳部が練習場にしていたと聞いた。
いま池の真ん中に蓮が咲くのをみるとそれほど深くはなかったようだが、子供の頃は「底なし」と言われて怖かった。

11月末日、木村茶道美術館の皆さま。

2023年11月30日(木曜日)

今日で11月が終わる。早い遅いは言うまいと思うけれどもやはり早い。今年も樹下美術館は12月15日で終わり、冬休みに入る。

本日午後柏崎市の木村茶道美術館からスタッフの皆さま6名が寄って下さった。同美術館は今日が今年度の最終日で、別の組が本日分を担当されているとお聞きした。

私ごとだが、昭和62年だったか、あるお茶人と同館を訪ね、その人が所作よく茶を服する様子に魅せられてお茶を習い始めたきさつがある。茶道の新米でも実践に木村茶道美術館は全くもって絶好、いやそれ以上はるかに意義ある場所で、何度も通うようになった。

同美術館茶室ではビギナーも未経験の者にも丁寧な説明とともに、見どころある書画から茶器、茶碗、菓子器、釜はじめ茶杓(ちゃしゃく)や香合などにいたるまで一級品の茶道具を揃えてお茶を点てて下さる。

湯が沸く音、注がれる湯水や茶の音、あるいは動作の衣擦れや呼吸などをも耳にして茶が点てらる時間に身を任せる。そしてお菓子を食べ心込められた熱いお茶を、世と我が身の清濁を併せ、ある意味万感こめて服する。

時も味わいもほどよく過ぎる貴重な時間、それがお茶というものではないだろうか。

本日は冷たい雨がしっかり降った。

知人友人からのクリスマスリースと
クリスマスフィギュア。

本日ご来館の一同は「一年間、やはり疲れました」と仰り、皆さまと一緒に和気藹々のひとときを過ごさせてもらった。
本日ご来館の皆さま誠に有り難うございました。

大いに荒れた日。

2023年11月28日(火曜日)

午後から夕方そして夜へと風雨が強まり荒れた空が続いた火曜日。9月から始まった7回目のコロナワクチン接種が本日終わった。途中からインフルエンザワクチンも加わりそれなりに忙しい二か月半だった。

年寄りの小院でも毎日のようにコロナ陽性の方がみえる。全体に症状は軽くなっていて5類移行は順当だったのではないだろうか。
三日前に打った私のコロナワクチンは接種部位の痛みがこれまでよりも軽く、助かっている。

午後所用で外出したついでに田んぼへ出てから美術館に寄った。

強風のためほくほく線電車は超低速でそろりそろりと上って行った。何度か書いたが今年は刈った跡に生える二番穂の勢いが良く、あたかも刈り入れ時のように田んぼ一面が鮮やかな黄色に染まっている。

美術館の敷石と落ち葉。

美術館裏の田から見た冬の雲。
どんどん東へ移動していた。

以下は美術館カフェでもかかる「枯葉と雨に歌えば」を一緒にしたコーラスです。


レイコニフ合唱団のコーラス。
もう60年も前の録音。

夜ブログを書いていると大いにアラレが降り、雷が鳴り繰り返し短い停電があった。これも今どきの年中行事で、これからが本番。暖冬らしいのだが数年前のように短期間でケタ外れなドカ雪だけは止めてもらいたい。

雪囲いが終わり車は冬タイヤになった。

気持ち良く晴れた日曜日 賢治のこころの本の一節 エナガとコハクチョウ 

2023年11月26日(日曜日)

昨日の悪天候とは打って変わりよく晴れた日曜日。昨日の仕事終了時、コロナワクチンが1本残っていた。これどうしたの、とスタッフに聞くと、先生のですという。
私の場合、全てのコロナワクチン接種は熱は出ず倦怠感もほとんどないが接種部位の痛みが数週間続く。
昼近くに打ち昨夕から始まった左上腕の痛みで寝る向きを決めるのに苦労した。

本日昼少し前に美術館へ出てると寒かったが風は無く良く陽が射していた。スタッフにサラダの大盛りを作ってもらい田んぼのベンチで朝昼兼用のサンドイッチと果物を食べた。

厨房にあったお客様用の軽食。
とても美味しそうだ。

私の食事と読んだ本「宮沢賢治のこころ」。司修(つかさおさむ)さんの章「詩は童話、童話は詩」を読んだ。司さんの本は時空が多様に変化するが、脈絡が丁寧なのでほかの人の章より興味深くまた読みやすい。

賢治が妹とし子の臨終を詠んだ「永訣の朝(抄)」は胸が潰れる思いがする。これまで多くの人を看取ったり経過を看たので臨終の切実は分かる。

永訣の朝(抄)で、とし子は喘ぎながら「あめゆじゆとてちてけんじゃ」と何度か言う。あめゆじは雨雪(雨雪→みぞれ?)ではないかと思ったが(後段にそう説明もあった)、「とてちてけんじや」」は見当が付かなかった。
司氏の説明に「取ってきてくれますか」とあった。とし子は外に降るみぞれを取ってきてと喘ぎながら頼んでいるのだ。額にあてたいのか、あるいは食べたいと言ったのかもしれない。

病気は恐ろしいもので、しばしば病に苦しむ人を容赦なく高熱が襲う。熱は面倒だが一方で「うなされる」「意識朦朧となる」などの現象が生じ、臨終では通常耐えられない苦しみを緩和しているように見えることがある。

多くの看取りからもう一つ、高熱は臨終において体力の消耗を早め、結果として苦しみを短縮する働きがみられることもあった。

そんな訳で熱など好ましからざる事象は因果関係はともかく、ある場合においては苦しみの緩和や短縮に働くことがあるというのも不思議なことだ。

ちなみに賢治はとし子が息を引き取ると押し入れに頭を突っ込んで号泣したそうです、と書かれていた。ちなみに私は父の時も母の時も、辺り構わず恥ずかしいくらい泣いた。

食事と本の後、腕は痛かったが隣の空き地でゴルフボールを打ち、後に大池いこいの森へ向かった。

あわよくばエナガがきてくれればと待ったが中々現れない。待ちくたびれて少し移動すると、チーチー、シーシーとあたりに声がしてシジュウカラと一緒に何羽も現れた。

パッパッと素早く動くのでカメラはなかなか間に合わない。
何とか数枚は撮れたので美術館に戻りハーブ茶を飲みながらモニタを見た。すると私のメラを見たある男性に話し掛けられた。
その人は風景は雲が大事ですね、エナガですかシジュウカラと仲良しですね、などと本当に良いことを仰り、ひとときご一緒した。

頃合いを見て朝日池へ。しょっちゅう通っているので恥ずかしいが、短い期間しかないので通うほかない。

カメラの時刻で午後4:22

午後4時59分、池の東方向
池は喜びの声でいっぱいになる。

いつか動画にして鳴き声もつけてお出ししてみたい。

新潟市「にむらや菓子舗」で茶話会。

2023年11月23日(木曜日)

良寛研究家で全国良寛会会長をされている小島正芳先生から新潟市は寺尾の「にむらや菓子舗」において、良寛さんと齋藤三郎の作品を中心にして集う「良寛茶話会」の知らせが届いていた。

「晩秋のひと時  良寛様をしのんで 一碗差し上げたく存じます」と知らされていた。

世の中は便利で、初めて伺う新潟市寺尾の店もナビが親切に案内してくれる。午後1時の席に丁度良く着いた。

お店と会場の間の坪庭。

掛け物の図。岡山県玉島(現倉敷市)円通寺に向かう国仙和尚と良寛さんの図。右下に描かれた和尚に従う良寛さんが初々しい。

 

掛け物の書は良寛さんの扇面。端整な和歌「王我所轉(わがそでは)」に添えられた成書の出典ページ。あふれる悲しみにも品格。良寛に現れる無二の品格は壮絶過酷な人生と修行で到達した境地であろう。

齋藤三郎の秋草文の鉄絵水指。蓋を幾分沈ませ耳まで付いた何とも良い寸法。初めて目にする形状だった。
晩秋の虹のように華やかな色の輪を重ねた蓋置き。おっとりした形状の椿の香合も愛らしかった。

お茶会ではなく「茶話会」としたところが和やかだった。
10人は座れそうな大きなテーブルを6人で囲んだ。テーブルの真ん中に「船板」が置かれ、良寛さんが好きだったという石榴(ざくろ)が七個盛られていた。
海中で洗いざらしになった板が「何でも引き受けてくれそう」で欲しくて仕方無かった。

 

初めに出された菊湯。

爽やかなな甘み栗金団。

 

三浦小平二の青磁のお茶碗で飲ませてもらった。滑らかな泡立ち、美味しいお茶。

長きに亘った国上山(ぐがみやま)の五合庵を去った晩年の良寛は、旧和島村島崎の木村家に移り厚い支援を受け貞信尼との交流が始まるなど重要な時期にあたっている。本日の茶話会に木村家の方がお見えになったとお聞きした。

お店の外観。

過日小林古径記念美術館でお会いした時もそうだったが、一段とすっきりお元気な小島先生。良寛の精神と芸術の研究に心身を捧げ、忙しく全国を説いて回られる先生は現代の良寛さんのようだ。

先生、お招き頂き有り難うございました。にむらやのおかみさん、お世話になりました。

二日続きの好天も明日から荒れ模様らしい。

荒海の光は何かの救い。

2023年11月20日(月曜日)

本日午後在宅訪問の帰路海の方角の雲の濃淡が気になり、仕事場も近いので四ツ屋浜に寄った。走っている国道を折れて数十秒で日本海が現れる。

すると東の方向に驚くほど大きな光.。天使の階段というのだろうか、明るい光芒が見えた。

西方に奇跡でも起こりそうな強い光。

残念ながらここでポケットカメラのバッテリーが切れた。

仕事場が近いのでとって返し普段のカメラに変えて戻ると光芒は消え、代わりに海上に鮮やかな虹。

北東に虹の左脚部分

荒々しい海で強い光や鮮やかな虹を見るとわだかまりや疲れが消えて、ふと気が楽になる。

爽やかに晴れた日曜日、開院20周年記念のコンサートがあった。

2023年11月19日(日曜日)

本日よく晴れた日曜日、午後3時からA先生の所で開院20周年の記念コンサートがあった。
ピアノ小松園子さん、バイオリン腰高多恵さん、フルート田中志都さんによるトリオアンサンブルだった。
院内を待合室中心に広く工夫され立派なホールに設えられ、100人近い入場者さんで一杯だった。
プログラムはショパン、モーツアルト、ビゼー、チャイコフスキー、久石譲etc、ガーシュインのメドレーほか初耳の曲もあり、終始楽しい音楽会だった。

ツィゴイネルワイゼン、熊蜂の飛行、モンティのチャルダッシュなどテクニカルな曲の熱演、モーツアルト「フィガロの結婚」はエレガントに、チャイコフスキー「眠れる森の美女」のワルツのオリエンタリズム、ニューシネマパラダイスで交錯するバイオリンとフルートのスリリングな和音、ガーシュインはラプソディインブルー、アイガットリズム、ス・ワンダフルなどがちりばめられ、みな心ゆくまで楽しみました。

プログラム

チラシ、当日のプログラムとも美しく、選曲バリエーションが素晴らしく、安定したピアノのリードにバイオリン、フルートの熱演は高い天井に響き、本当にブラボーでした。

色々と忙しいお支度は大変だったことでしょう。
A先生ご夫妻、スタッフの皆さま、20周年お目出度うございます。お陰様でとても良い日曜日でした。

「生誕140年 小林古径の世界 」 朝日池、コハクチョウのねぐら入り。

2023年11月18日(土曜日)

上越市立小林古径記念美術館で10月21日から始まっている「生誕140年 小林古径の世界」は明日で終わる。本日出かけたところ5章に分けられた一級品揃いの充実した内容で来館者も多く高揚した気持で回った。

お忙しい笹川副館長さんがほぼ一緒して下さり繊細かつ多様な線、空間と構成など日本画の、なかんずく古径のエッセンスに触れることが出来有り難かった。

展覧会図録を買い忘れたので明日再訪し全国主要な美術館の収蔵作品を網羅した貴重な展覧会をもう一度脳裡に収めたい。

古径記念美術館への往路、稲田橋を見る。つかの間の晴れ間、強風に洗われる空の色と雲が良かった。

入場券

美術館を出ると晩秋の外堀と南葉山。

まだ明るかったので地元大潟区の朝日池へねぐら入りする白鳥を見に寄った。

 

 

 

湖面はせいぜい15~20分で真っ暗になる。何とか写せるのはISO感度のおかげ。

朝日池の白鳥はさらに数を増しているように見受けられた。

本日西日本は当地以上の厳しい寒さに見舞われたようで広島市などの降雪風景がニュースで報じられた。今冬は暖冬、厳冬どちらだろう?

悪天候の日 心に残った県水産海洋研究所所員のコメント。

2023年11月17日(金曜日)

しばしばザーザー降りビュービュー吹いた悪天候の金曜日。如何にも虹が掛かりそうな空だった。
虹と言えば過日14日の柿崎自動車学校における高齢者運転免許の更新講習がある。
座学の後、教習所のコースを回る実車講習の時、ある角を曲がると正面にまことに鮮やかな虹が出ていた。
写しても良いですかと聞いてみたい衝動を当然ながらこらえて終わったが、その時虹は消えていた。

これから先の悪天候ではよく虹を見る。本日在宅回りは3件あり、幸い猛烈な雨は止み雲間から陽が射したもののやはり虹は掛からなかった。
以下はその折の写真です。

あちこちの雲はみな悪相。

虹が見られなかった東の空。

さて過日のこと新潟県のニュースでサケの遡上が極端に少ない事が報じられていた。数えるほどしか獲れていないことが現場の映像を交えて知らされた。食用と採卵孵化の事業は大打撃を受けているようだ。

現在海水の高温化が原因してサケが沿岸に近づけず、そのため遡上も極端に少ないと新潟県水産海洋研究所員が話していた。

その人が最後に述べた次の短い一言が心に残った。
「私達も困っているが魚も困っていることでしょう」と言ったのだ。

このような問題では人間が被る影響のみクローズアップされる。しかしこの方は「魚も困っている」と付け加えた。

サケには異常に高い海水温はゾッとするほど嫌な事であろう。何より遡上産卵が出来なければ種の死活問題である。
ニュースは暗かったが魚の事情にも配慮された所員の心遣いが心に残った。

この数年谷根川(たんねがわ)の遡上を楽しみにしている。
今後本格的な寒気や潮流の変化で遅れている遡上が始まれば良いのだが。

 

読書「宮沢賢治のこころ」 柿崎海岸 来館したU君 田と朝日池の白鳥。

2023年11月16日(木曜日)

本日休診の木曜日は午前9時に起きて「宮沢賢治のこころ」という本を読んだ。本は先日の上京時に持参し往復の新幹線や夕食前などの時間に読んだ。
著述家や画家など6人の賢治ファンが書いた本文が150ページと比較的短く一通り読み終えていた。

しかし一読ではみな忘れてしまうので一旦読んだ本も2、3回また読むようにしている。
この度は画家・作家・装丁家・絵本作家の多彩な司修(つかさおさむ)さんの「詩は童話、童話は詩」のセクションの2回目を読み始めた。

氏は樹下美術館の画家倉石隆と同じ主体美術協会に所属されているご縁で2010年9月に当館で講演をして頂いている。
心の奥底に照らされる氏の物語は画家らしく複雑な遠近法のようであるが、時に伝聞から俯瞰、そして接写へと及び、そこから対象を突き破るように深く入っては飛ぶように出るなど不思議な次元や距離を体験させられる。

まだ二度目の途中なので何とも言えないが、賢治の本(特に詩は)は難しいのと司氏のところが面白いので繰り返し読もうと思っている。

さて10時を過ぎて柿崎海岸へ行った。柿崎は何十回どころではない、数百回も歩いたのではなかろうか。殆どテトラもなく砂浜が残っているので私には海と言えばここしかないという感じだ。

海岸は東西でかなり様子が異なる。たいてい真ん中辺より西を歩くが東側に比べて砂浜は広くシーグラスは多い。一方東側は西側より砂利が大きく砂浜の背の崖は高い。上掲写真は西側で、まばらな高齢の釣り人が一斉に帰るところだった。

陽は明るく柔らかかった。

東側の海岸線。ずらりと若い釣り人が並んでいる。

3700歩あるいた後美術館に向け新井-柿崎線を走った。柿崎地区で白鳥の群を見た。

小さな群を見ていると次々にほかから降りてくる。白鳥といえば雪上で見る事がほとんどだが、今年は雪の無い黄色の刈り田にいる。稲には二番穂が沢山ついているので今年の水鳥はお腹いっぱい食べているのではなかろうか。

美術館に戻ると中高の同級生U君夫妻が顔を出してくれた。息子の中学時代の校長で世話になり、ほどよい加減で寄ってくれる。
氏は僧籍を有しているので、何故一向宗は一揆を起こしたのに浄土宗は無かったのかなどと無茶苦茶な質問を許してもらい、近いうちに食事を一緒にしようという話になった。

さて去る11月6日の本欄で例年「朝日池」をねぐらとする白鳥が隣の「鵜の池」にいるのを不思議に思って書いた。しかるに本日夕刻に訪れた鵜の池はサギが並ぶだけだで白鳥の姿は無かった。

サギだけの鵜の池。

一方隣の朝日池では、

次々に白鳥が降りてくる。

枯れた蓮でいっぱいの湖面ながら鳥たちは気楽に憩っている風。

ゴルフ場のホテルの明かりが一部灯っていている。だがこれ以上遅くは暗くて撮影は無理だった。

一昨年から12月下旬の短い時期、ホテル全館に明かりが灯り、ある種絶景的な眺めが出現した。今年はどうなるだろう。ぜひとも再度まばゆい湖面を見てみたい。

それにしても鳥たちは鵜の池と朝日池をどのように使い分けているのだろうか。

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